032 霊学篇二 霊的現象(2)

額の傷

“私は二十一年五月左額を負傷し、七ケ月も医療にかかり良くならず、結局は本教に入信して此御浄霊により快方に向いました。只今は左額に醜痕を残すのみとなりました。此信仰に入って額の大事な事につくづく感じ入りました。つきましては、私の負傷は御先祖の戒告とか諸霊の祟りとかの霊的因縁は如何なもので御座いましょうか。お教え願います。

“それ程の事もない。然し額を負傷したことは意味ない事はない。目より額は上で、目上、主人、先生、祖先などに関係あり、目下は家来であるから、祖先をおろそかにしたりすると祖先が気付かせるためにするのである。痕が残るのは薬のためである。薬毒の染み込んだあとが残るのである。

神参りの都度災禍

“四国の小豆島へ参拝して帰宅後、一回目の参拝では、家族の産後気が狂ひ死亡、二回目帰宅後、池へ落ちて死亡し、参拝する度に此の様な不幸があるのは邪神の為でせうか。

“霊的な訳がある。本教入信者ならば参拝はやめるべきである。神にも種々ある。此の問によれば、参拝してはいけないので、祖霊が止めるのだと思ふ。光明如来様は一番お位が上であるから、信仰する以上、神参拝するのは本当でない。

定日に事故あり

“本年四月十八日に息子が他所のお婆さんに自転車を突当てて怪我をさせ、又七月十八日に五歳になる子供が疫痢に罹り、八月十八日に瀬戸物の三万五千円程の品を詐欺にかかる等、十八日という日のみ災難に逢って居りますが、何か訳があるのでしょうか。御伺い申し上げます。因みに家族四入信して居り、本年三月光明如来様を御祭りさせて戴いて居ります。

“祖先に関係があろう。十八日に亡くなった祖先で、気に入らぬ事があるから知らせるのである。事柄を考えてみよ。昔、警察問題等は必ず八の日であった。  (S24・9・16)

中風霊知らす

“入信後二年になる娘の婿中村隆(二十七歳)と言う者で御座います。去る四月十日の夕方仕事先にて急に中風状態になりましたので、驚いて御浄霊を致しましたので幾分軽くなりました。三日目の午後、三人にて御仏壇に向て善言讃詞をとなえ申しますと、中途に於て妻(私の娘)の春江と申す者が急に居眠りを始めましたので、私がかたわらにてつつきますと目を醒しては、又居眠り、其の居眠りの内に鼻をつままれたり手を握られたりしたそうであります。又私にも亡父が目に写りましたので御座います。此の人は現在起きてぶらぶらして居る程度であります。私の家では中風にて亡くなった者が二人も有りますが、此の病人と何か関係がありますでしょうか。又今後如何に致しましたら御先祖を救う事が出来ますでしょうか。

“中風の霊が憑った。娘の鼻をつまむなどしてそれを知らそうとした。(母などに)婿が御神書を読み、出来るだけ徳を積めば必ず治る。(S25・4・7)

飲食の際肩胸痛む

“前(*)問(第八問)の荒井房吉さんは会社や他家で食事を頂く時は何とも御座いませんが、自宅でお茶を飲んだり食事を頂き始めますと必ず左の肩から左胸部にかけて急激に痛みを感じ、暫く御浄霊致しませんとおさまりません。これは如何なる訳で御座いましょうか。御教えをお願い申し上げます。

“何かの知らせである。光明如来様をお祭りしてもらいたいのである。(S25・5・2)

祖霊の夢みる病人 

“昭和二十二年一月、戸塚育子氏に師事、受講せし三十歳の女の信徒、(本年二月日本会所属)昭和十八年四月結婚、同年五月盲腸手術、十九年に二回掻爬、十九年十一月流産、二十年十月関節炎、二十一年二月下腹部切開手術、二十一年八月軽度の精神異状を認め、受講後約一ケ月にして精神正常となり現在に及んで居りますが、今月に入り全身倦怠感の御浄化を戴き、最近腹部或いは胸部頸部等に非常な苦痛を訴えますが、苦痛の個所には発熱を認められません。其の都度祝詞を奏上致し善言讃詞を奉唱させて戴くと苦痛が軽減致す時と、苦痛の場所が直ちに異動する時もありますが、御守護を戴きまして本日初めて御面会を戴いて居ります。一昨日汽車の中で一回、昨日横須賀の日本会本部に於て三回苦痛の御浄化を戴きました。尚本人は白蛇の夢や御先祖の夢をよく見せられて居ります。其の外生死霊の原因のある事も認められます。右に関し今後の御浄化に際しては祝詞と善言讃詞を奉唱させて戴き、御浄霊を続けさせて戴く以外に方法がございますれば御教示をお願い申し上げます。

“祖先の中で苦しんでいるものがあり、光明如来様をお祭りしてもらいたいのである。早く、救ってもらいたいのである。

祖霊の望みを知らす

“蓑島時子(二十七歳)未入信、主人は入信して居ります。四月十一日に男子を分娩、十三日夜寝ていますと左腰より下にかけて電気に打たれた様になり、一夜に三度もありました。同日は祖母の命日でした。又二十六日には床に入り、目はあけている時、仏壇の方より冷たい風が額に当り、目の前にお宮の屋根の様なものが顔前に現れ、其の前に小さな額が見えるので何かと思い良く見た処祖父の写真でありました。其の時も三度同じ事が繰返されました。其の日は祖々母の命日にて、祖々母は水死して居ります。尚本人自身非常に毎日淋しく感ずると言って居りますが、何かを知らせて居るのでしょうか。又如何にすれば宜敷いでしょうか。御教示下さい。

“祖霊が頼んでいる。家へ光明如来様、仏壇へお屏風様を祭ってもらいたいのでそうする。(S25・5・7)

肺病の夫祖先を気にす(狂死の霊)

“主人(四十六歳)は三年前より胸の病で休んで居ります。今迄に余り薬は用ひませんが、昨年四月迄約一ケ年療養所にて養生して居た事があります。三ケ月程前に御光を戴き、時々先生に来て戴き毎日私が浄霊をさせて戴いて居ります。現在の病状は微熱あり、食事の時位は起きて居りますが便秘気味ではっきり致しません。主人は祖先の霊の事を頻りと気にし居り、信仰も従来種々やりましたが、親戚に次の様な事があり、之と霊的関係があるのではないかと心配して居ります。十年前主人の姉の夫(坂場某)が精神病にて逆上の結果刃物で義姉とその子供を滅多切りにして即死させました。それから後は残った子供を二人私共で引取って世話して居りましたが、只今は一人を世話して居ります。その夫も間もなく衰弱して(座敷牢に入って居た為か)死にました。坂場家ではその後その夫の兄弟が跡を継いで居りますが、無信心で何もやりません。私共では近いうち光明如来様を御祭りする準備をして居りますが、今後如何にしたらよいので御座いませう。

“此霊とは関係はない。普通の浄化を間違った療法で治す為引延ばしたものである。祖先の霊を気にするのは、祖先の霊が助けてもらひたさに知らすのである。此信仰へ入ると、余計催促する。一日も早く光明如来様をお祭りする。そして信仰雑話を読む。音読するといい。霊界で聞いている。此信仰ではじきに救はれる。精神病や変死などは非常に悪い。非常に苦しむ。地獄――当分精神病で気がつかぬ。その中段々光で救はれる。一人でも多く救ふと、その徳で早く救はれる。

黒顔手を合せ得ぬ霊

“栃木県の或る熱心な信者で御座いますが、七月二日御屏風観音様をお祭りさせて戴き、その日より四、五日後のある夜半、一時半頃床に就こうとして横になりましたとたんに黒い人間の様な、猫の様な耳許迄口の裂けた恐ろしい顔が見えまして、それが自分の身体に入った様な気が致しましたそうで御座いますが、それから苦しくなりました。祝詞を三回奏上致しましたら急に額を畳につけたまま「重くなって重くなって頭を上げる事が出来ない。上から押えつけられる様な感じです。助けて下さい。助けて下さい」と申します。私が「大先生様が御守護下さいますから大丈夫です」と言い、肩を押上げますとす―っと頭が上り、軽くなりました。望みにより再び祝詞を奏上致しますと、手を合せる事が出来ず、合せ様としますと丸くなってしまい、全身寒気を感じました。手を合せてあげ、額を御浄霊しますと、すっかり軽くなりました。黒い顔した霊は祖霊で御座いましょうか、恨みの霊で御座いましょうか。又手が丸くなるのはこの霊と関係があるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“畜生道へ堕ちた祖霊である。未だ人間になっていないので、手を合せる事も出来ないのである。これで助けるべき方法が見付かった訳である。(S24・7・12)

眼二つ見ゆ

“或信者で御座いますが、霊が憑りました場合目の前にだんだん恐しい眼だけ二つ現われまして、睨まれる様でとても気味悪く感ずるそうで御座います。本人は三十七年前喘息で死亡致しました祖父の写真の目付きによく似ていると申しますが、霊的に何か関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“苦しんでいて、助けてもらいたいのである。祝詞を奏げればそういう事はなくなる。(S25・1・22)

胸に浮ぶ霊示

“或る会員で御座いますが、霊的の事は何でも胸に浮かび口を割って出て来ると申します。其の人の言う通りに致しますと、霊的の病気は一切解決されます。又、如何なる霊でも呼びたいと思い端座しますと直ぐ来ると申します。平常は別に憑霊的なところは見えません。副守護神の作用で御座いましょうか。或は憑依霊の為で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊的であるが、祖霊の中にそういう能力をもつ霊があるのである。ただ、全部の病気という事は出来ぬ。  (S24・9・11)

御光に人間焼失の霊視

“一昨年七月入信したまま手を振った事のない信者ですが、十日程前霊界の状態が見えまして、広間に百人程の霊が並んで一生懸命頭を下げてお願ひしている様子でしたが、間もなく正面から薄い光が出て段段強くなり、見る見るうちに殆どの霊が焼けてしまって後に残ったのは一割か一割半位しか居りません。こんな事が本当に有るかと聞かれて困って居ります。どう言ったらよろしいでせうか。

“無いとは言へない。はっきり言ふと、予言を言ふやうに思はれる。祖霊が忠告しているのである。

線香の煙による知らせ

“アパート住いの為お仏壇を箪笥の横の机の上に台を置いてお祀りしてあります。或日雨降りの朝お茶をお供えして線香を立てお詣り致し約二十分位経って気が付いて見ますと、線香の煙が一直線にスーッと勢いよく上に昇り、仏壇の天井にぶつかり、それから向って右側より下にもどり、お茶碗の中及びお盆の中をもやもやとして居り、又勢いよく上に昇るのと下に行くのとに別れて居たそうです。気流の関係にしては余りに不思議ですので、何か意味がありましょうか。

“箪笥より低くなるからいけないのである。それを知らせようとしたのである。早速箪笥の上へやるとよい。

祖霊が治らぬという眼病

“生後七ケ月の女児で御座いますが、生れました時目に白い雲がかかって居りまして、種痘後目がつぶれ、赤い寒天の様なものが出ました。驚いて医師に見せましたところ、目の玉を抜くより他に方法がないと言われ、御浄霊を御願いに参りました。御浄霊一週間で赤い寒天様のものは出なくなり、白い雲は薄くなりました。其の後十五日になりますが別段変化御座いません。先日祖霊が憑りまして「此の子の目は治らない」と申したそうで御座いますが、果して治らないもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“祖霊などには判らぬ病気がある。或いは他の霊が祖霊の声色を使ったのかもしれない。あまりそういうものに頼るのはよくない。種痘の種が目へ行ったものであろう。気長にすれば治ろう。(S24・8・22)

肉体に痣表われて知らす

“最近、五十六歳、女の患者さんで、喜び事の前になると下腹部に赤く痣の様になり、禍い事の前には右腕の付根に赤く「山」の文字が現われ、肉体的に疲れた時には膝の周囲に青い斑点が現われ、其の事が済むと消えます。何か霊的原因がございましょうか。御伺い申し上げます。

“守護神の一人が知らせようとする。夢とか外の事で知らす。知らしたい守護神の働きである。

四足五指の雛鶏孵る

“島根県の事ですが、数年前鉄道自殺をした方があり、先般三回も信者の方に憑依致し、救って欲しい、家族が入信してほしいと頼みましたが、家族の者はどうしても判らず、入信致しません。処が此度其家で鶏の卵を孵そうと致しました処、九ケの内八ケは腐り、一個だけ四本足に五本の指の雛(ヒヨコ)が孵りました。右の霊と何か関係がありましょうか。

“無論関係あり、怒って不思議な事をして気付かせようとしてしたのであろう。今少し打遣っておけ、霊の要求が段々判って来よう。

祈る時観音様見ゆ、明主様と観音様

“四十歳の女、二十年前より観音様の信仰に依り御祈りして病気を治して居りました。御祈りする時に観音様が現れて私の目に見えますが一般の方には見えないと言います。此の観音様は正しいか御伺いします。入信は昨年十月致しました。其の後も同じです。

“見える人と見えぬ人がある。観音様は本当で、贋物でない。二十五、六年前私が大本へ入って間もなく或人が訪ねて来た。その頃大本教と聞いていたが、大本は神か仏かとその人は質く。先生の側に観音様が見える。目をつむっている。大先生と同じ位の大きさで、便所へ行かれたら観音様も便所へ行かれるという。私は観音様はその御姿など好きだった位しか思わぬ。何か観音様と関係はあると思った。その人が大先生の所へ来ようとすると観音様が見える。観音様が大先生を使われてる事を知った。神憑りの婆は「そもじは観音を熱心に信仰してるようだ」と言ったが、そんな事はない。(S24・1・6)

霊衣の見える訳(霊眼の二様式)

“霊衣(光)の見える人と見えない人がありますが、原因を御教え下さい。

“いろんなものがよく見えるのは、眼の裏にある毒や、霊の曇りの為にそうなるので、之は浄霊で治る。眼の神経の異常である。霊界を見るには眼をつぶった方が見える。人事百般いろいろな事が見える。よく映画のように、廻り燈籠のように運命が見える人があった。(自分の過去)右の二様式がある。人間の霊感は素晴らしい働きをする。

霊視と転換期

“普河教導所所属の信者から最近霊的疾患の方が続発し、又霊衣の見える人が出たり致しましたが、これは如何なる訳でございましょうか。御伺い申し上げます。

“霊界が段々明るくなって、火素が増量し、霊が早く助けて貰おうとして人間に憑依する。最近の新聞で、京都でヂフテリヤ予防注射で相当数病気になった。島根でもあった。大阪日赤製造のもので、こんなのがこれから出るであろう。之は霊界が明るくなり、浄化力旺盛になった為である。霊が見えるのはその人に霊が憑る。度々見えるのはよくない。一番見えるのは精神病で、医学では幻覚、幻聴と言う。――石川の例。一番よく見えるのは狐霊で、日蓮宗などはよく見える。以前大本教時代、京都で、見えすぎて困る人があった。(S23・12・9)

霊視能力の根本

“心霊学者、修養団体(報恩会、奉誠会、霊友会)等の指導者の霊視能力は憑霊のためでしょうか。

“すべて霊視能力は憑霊の為で、その殆どは狐霊である。狐が憑ると霊が見えたり、声が聞えるのである。精神病者は右の能力が顕著である。故に普通人がそうなる事は危険である。然し特殊の場合、一時的に見える場合は差支えない。始終見えるのは危い。精神病者がよく空間を仰視(ミツ)めているが、之は医学では幻覚と言い、聞えるのを幻聴と言う。正守護神が見せる場合があり、その際狐を使う事もある。(狐は特殊の能力を持っているので、人間に知らす為よく守護神や人霊に頼まれる。巫女なども大いにそれがある。狐はとても頭がよく、どんな事を聞いても返事する。実にうまく何でも理屈つけるので、限りなく喋る。喋ってる時の理屈はとても人間も敵わぬ。こっちの話は全然聞かず、押付けるように喋るものである)

霊視に就て

“光明如来の御軸より出る光が教団に古くから入っている人に見えずに、新しく入った人に見えるのはどんな訳で御座いますか。

“その人の霊の関係で、見える人と見えぬ人とある。始終、霊の見えるのは良くない。危険である。偶に見えるのがよい。見える場合、狐の霊が憑く時に見えるので、正守護神が狐を使って見せさすのであるが、どっちかというと見えぬ方がよい。精神病になる人は見える人に多い。見えぬのが原則である。信仰団体では、多く見える人が尊敬される。日蓮の行者は、狐が憑くと神通力が出るという。

霊視能力(霊眼)

“私は前に弘法大師を信仰して居りましたが、神経痛の為、隣家の人の御浄霊を頂いて居りました。本年二月下旬、その人が御面会から変られ早速御浄霊をして頂きました。其の夜十二時頃座敷の南の鴨居の真中に弘法大師が現われ、平伏して頭を下げました。そして頭を上げて見ると光明如来と金文字で南の鴨居に現われ、又御写真で拝見した大先生が大勢の前で御話しをして居らるる処が現われ、又人間が落ちて行く地獄の絵巻(床の間の桂(*)の上)の上に手と手が握り合って居る(御救いの手につかまれとの暗示と思いました)等々種々不思議な事が映画の様に見せられました。其の後私も御守を戴き、それから光明如来様を奉斎致しましたが、今も尚阿弥陀如来が神として現われるとか種々不思議な事を見せられます。私には何故右の様な事が見えるのでしょうか。御尋ね致します。

“之は霊眼で、そういう能力のある人がある。人により廻り燈籠のように(映画のフィルムの如く)見える人がある。祖霊の中で、種々教える為とか、信仰を進めるとかの目的で、そうしたもので、弘法大師が導いたものであろう。そういう霊は狐である。狐は霊視能力は一番である。大先生の御手につかまらぬと地獄へ堕つる事を(見せたのである。)阿弥陀は月読尊、素盞嗚尊である。(S24・7・25)

息苦しく頭振る(足のみ霊視)

“私の母(五十二歳)は、去年七月、田の草取りで(稲の穂で目を突き)目を悪くして以来盲となり、一進一退の状態です。私が最近善言讃詞を上げていると、すうっと手が上り(母親)頭を左右に振り、声は荒々しく息苦しく、くやしがり終(ツイ)に泣き出して了います。又悪くなって以来、大光明如来様の前に人間の足の膝から下が(歩く姿が)見え、又蛇の腹が見えたり、太い大きな木が倒れたりするそうです。如何なる霊の仕業でしょうか。又此の様な事が今後続くのでしょうか。御教示を御願い申し上げます。

“祟っている。頭を振り息苦しくなるのは霊が憑ってくる証拠である。足だけ見えるのは霊が歩くのである。霊の足だけ見える事はよくある。気長に浄霊すれば治る。頭をよく浄霊する。  (S24・7・5)

両眼突如失明・蛇と骸骨を視る

“愛知県碧海郡上郷村の或信者の家で御座いますが、三月五日に年忌を致しました処、翌六日、其の宅の十二歳になります子供が突然目が見えなくなり、両眼共白く雲がかかりました。それからは、何時も目の前に海に舟が浮いて居る様に見え、海にも舟の中にも無数の蛇が居り、皆二ツ頭で、舟の中にはトグロを巻いて居るそうで御座います。又、舟の中には五ツの骸骨があり、右手は肉がついて居る様にも見え、棒を振り廻しているそうで御座います。御浄霊を致しましても霊は浮きません。又母親が昨年道端に居た蛇に田の土を投げた所、蛇は逃げず、善言讃詞を奏上致しますと、頭を上げ一向に逃げず、御浄霊を致しますと、投げた土の中に入って姿を消してしまったそうで御座います。何か霊的に関係が御座いましょうか。御教えを賜りたくお願い申し上げます。

“蛇を沢山殺した漁師が、殺した蛇を船へ乗せて海へ捨てた。その怨みで、漁船が難船五人溺死したのであろう。頼って来てる。眼は治る。浄霊もするが、祝詞を出来るだけ奏げる。一日に数回、祝詞や御讃歌を奏げる。段々よくなる。光明如来様と幽世大神様にお願いする。(S25・4・21)

霊感者の例

“私の導いた信徒で本年二十七歳の男子、入信後霊憑りの状態を表わし、患者を浄霊する場合、相手の患部が自己に反映し、特に霊的原因に於ては霊が見えるのであります。夜間独り歩き等する場合、通行人に出会う五十米位前方に於て、もし相手に害意がある場合は黒い影、しからざる場合は白い影が眼前に現われ、事前に知る事が出来ます。誰に浄霊をしても霊が出て参りますので、本人は非常に恐れて居りますが、如何にしたらよろしいのでしょうか。尚先月御面会を頂きましてから余計その状態が激しくなった様であります。御教示御願い致します。

“斯ういう人はある。霊感の強い人である。良い事に使えばいい。此人に憑っている霊がそういう能力のある霊である。苦痛のようだったら治して上げる。霊が見えて苦しむ人もある。(S24・10・8)

病人に御讃歌の霊感

“御浄化を戴いて居る人を浄霊致し、病人の頭へ祝詞を奏上させて戴いて居りますと、御讃歌を病人の胸に奉唱すればよいと云う霊感が私に感ぜられます。依って同一の御讃歌を病人の胸に三回奉唱致しますと、病気に原因の霊が私に見えて参りますと共に其の霊の要求が解ります。其の霊の要求通りに致しますと浄化が速かにおさまりますが、右に関して御教示を御願い致します。

“大いに結構である。守護神が手伝うのである。御讃歌は非常に喜ぶ。(S24・7・29)

人の意中・行動を感知す

“三十三歳の婦人、肺結核の為三ケ月床につき、本年四月入信して以来、他人の意中、行動等が教わらずに分る様になりました。(尚、此の人は以前御稲荷さんを信仰した事もあります)如何なる訳でしょうか。御教示下さい。

“稲荷が判らすのである。(S  (*)・7・8)

霊写真の原理と霊

“霊写真は如何なる作用で撮れるのでありましょうか。又現在の所謂科学は今後の進歩によって霊をどのように把握出来るのでありましょうか。御教示願います。

“写真は人間の眼で見るより五倍の強さがある。鋭い。凡ゆる強さが写る濃さがある。それで霊が写る。種々はっきりした霊写真はあるが、可成本当の霊写真ははっきりしている。こしらえ物も随分ある。肩へ乗ってるのや、上にいるの等種々ある。霊は写真で把握出来る。もっと進化するし、もっと感度が強くなるとはっきり写る。霊界には沢山霊がいる。あまり見えてうるさいので、霊が見えなくしてもらいたいと頼みに来る人があって、汽車等乗ると轢死霊の出るを見る人あり――。(S24・5・25)

心霊写真の原理

“心霊写真は如何なる原理に依って映るのでせうか。御伺ひ申し上げます。

“写真の乾板は映写力(映写の密度)が人間の眼の五倍としてある。であるから人間の眼に見えぬものでも映るのである。それで霊が写る。(S24・6・27)

心霊写真・神靴写る

“心霊写真はどんな時に写りますか。又心霊写真を写す写真機は特殊な写真機でありませうか。

“偶然に写るものである。外国などでは霊媒を使ふ時もある。特殊でなく、普通の写真機である。作り場も相当ある。霊は人間より小さく写る。以前山で、神様の藁靴をはかれた足が写った事がある。  (S24・11・27)

写真占い

“写真占いは当るものでしょうか。

“当らなくもない。写真は紙へ印画されたのみでない。人間の霊線が繋っている。(写真に金を糸で吊下げてみると、生きている時は左に回り、死んだ時は右に回り、実によく中(アタ)るから、研究すれば中々味のあるものである)(S23・10・13)

霊を招ぶ事

“霊媒が霊を呼び出すという様な事は霊にとって迷惑なことにはなりませんのでございましょうか。又お盆に霊を呼び出す事はいかがでございましょうか。

“そんな事はない。霊の方で口を利きたいとか知らせたいなどというのが沢山あるので、迷惑になるような事はない。厭なら来ない。知らせたい事はいくらでもあるので、霊媒などは大いに喜び、先を争って憑るのがある。霊媒は特に霊のエーテルの多い者がなる。霊がそのエーテルを抽出して、自分の霊のエーテルを足していろんな事をする。そして霊として殆ど人間のような動作をする。握手する霊も随分いる。亀井三郎は有名な霊媒で、これはインドのバラモン行者の霊で、酒好きで、亀井も好きで、三升位飲まなくてはやらぬ。坂本紅蓮洞という小説家があり、よく憑る。適切な事をいう。光線があると活動出来ぬ。(S24・2・24)

外国や日蓮宗の降霊と憑霊の処置

“外国に於ける降霊術、法華宗等に於ける霊媒等による霊の実在を証明する方法は何の程度信ぜられる事でしょうか。又浄霊をして居た時に憑霊(喜んでいる場合、喜ばぬ場合)した場合はどうしたら宜敷う御座居ますか。御教示下さい。

“外国に於る降霊術は割合本物が多い。日蓮宗には霊媒が多い。そう出鱈目でもないが、狐が多い。之は嘘が多く、見分けは中々困難である。「自分は何々の神」など言うのは狐である。簡単に知識は得られぬから、教師などに依頼する方がよい。あまりやると精神病になりやすい。相当修行――経験が要る。私も随分扱ったが、厄介な事もあったが、為になった事も多かった。(「霊界叢談」に出ている)

明主様見えるという霊、神気狂い

“御伺い申し上げます。本年四十三歳の女ですが、一月十日頃より、「今夜地震がくる、皆助からない」とか「帰り途狸が出るから送ってくれ」とか「今夜何時に泥棒が入る」又「何月何日どこの家に入る」とか言うようになりましたが、其の頃は時折平常になり「先生あんな事を言って終って申し訳ございません」と言って居りましたが、又一月下旬より、「私の言う事を聞かないと(信じないと)その人は今月中に死んでしまう。だから私の言うことを聞け。私にはお観音様のお告げがある。眼をつぶれば左に会長先生右に大先生様が見える。そして眼をつぶれば何時どこで誰が何をしても、悪口を言うても解る」など、言ったため家の父母は之を信じ、そのためその家の若夫婦は煩悶に煩悶致して居ります。私が時勢の浄化だからよい事と悪しき事を聞き分けてくれる様に申しても全然聞き入れてくれず、すばらしいと申して居ります。又三月五日の夜は私にあやまりにくるようにと言って家人が来ましたので「どんな」と聞きますと、姉が浄化して「明朝四時に私は死ぬ。だが若夫婦と私があやまれば二、三日生きられる」と言うような事を申し……この頃は本部から神龍を戴いてきて胸に掛け「私は神龍だ。私の言うことを聞かない者は沈んでしまう」と言って居ります。このために近所のある男の会員がよいものと絶対に信じて居り、ここ一ケ月有半、時には夜明かしし、又一時二時頃までも毎夜と言ってよい位話にきて、家の中が平和に行かず困って居りますとのこと。本日近所の者も参って居ります。霊浄化につきお導き下さいませ。

“よくある事だ。璽光尊の如きも此類である。昔から神気狂いといって、神に関した事をよく言う。斯ういうのは偉い事もするが悪い事や脱線もする。なかなか神秘の事も言うので生き神様のように思う。だから気狂いとも言えぬし神様とも思えぬ。偶には当る予言もある。注意して扱うべきだし、割に始末がわるい。斯んなのはいろんな霊が憑って此人を使う。斯ういう信仰は沢山ある。そうして人から崇められ、持囃される場合もある。大先生様が見えるとか、会長が見えるなどと言うのは贋物である。狐が言うのである。いつか明主様が疥癬でお寝みになった最初の頃、お寝みになっている所へ京都の山科の信者が二十人位連れて御面会に来た。その時田舎娘みたいな者を連れて来たが、それが神懸りになって、大先生が来いと言われたといって信者を二十人位連れて来たというのであった。(S24・3・12)

霊媒は先天的か

“霊媒の素質のあるのは先天的との事で御座いますが、前世にて何か特別の因縁でもあるので御座いましょうか。御教え願い上げます。

“特別の因縁がある。霊を大勢に知らす使命をもっている。(大阪の亀井三郎が使ってくれといって来た。昔の坂本紅蓮洞の霊が憑る。始末の悪いのは腹中にバラモン行者の霊がいて、ウイスキーを一遍に一本、日本酒なら三升飲む。四十七歳だが、二十六歳で恋愛、心中しようとしたが、女が死んだ。今以て独身、その女が憑いてる為らしい。浮草のような生活をしている)(神霊研究会に行った事があるが、椅子に縛られたまま襦袢を脱ぐ。物質の霊化である)(S24・2・11)

巫女よせと再浄化

“当年三十歳の姉が本年三月喉頭結核にて、残念ながら死亡致しました。姉は長らく本教の御奉仕をさせて戴いて居りましたので、家の者が一度「霊魂寄」(ミコヨセ)をしたいと云ひますが、如何なものでせうか。御伺ひ申し上げます。

“「身魂寄せ」の必要はない。(本当のもあるが贋物が出るのがよくある)之はよくよくの事で、普通は死ぬのが助かるのだが、偶々此様な事がある。衰弱で死ぬのは多くある。再浄化は実に危い。再浄化は大抵強い。長く服んだ薬量が過ぎてる為である。薬の量により浄化も強い。(S24・8・8)

霊媒の言

“東海林サワ子(四十三歳)、今年二歳の幼児、母乳不足の為山羊乳を飲ませて居りましたが、衰弱死亡致しました。処が死後二ケ月位経ってから、霊媒者に見て貰った処、霊媒者の言うには「注射を打って呉れれば二十歳迄の寿命はあったのに、母さんは浄霊々々とばかり言って、僕を医者に見せてくれなかった」と、大変悔みましたそうです。霊媒を通じた人は、本教の事を既に知っている霊媒師です。その場合、霊媒者自体の想念が言わしめたものか、又本当に霊魂自体が言ったものでしょうか。御伺い申し上げます。

“注射すれば二十年も寿命があるなどと幼児に分る筈がない。霊媒が反感を以て言ったもので、なかなかアテにならぬ。(S24・8・18)

心霊実験霊媒の霊

“各地におきまして霊媒研究が盛んに行われております。人形、ラッパ、蓄音機等を用い、踊らしたり鳴らせたりするそうであります。又縄抜け等もするとか、これは如何なる霊が行いますか。

“そういうような元祖は亀井三郎という人で、此人は先日私宅へ来た。最初立会人(普通十人乃至十五人)が霊媒を椅子へ縛りつけ縄目に封印をする。ラッパなど空間へ稲妻型に迅速に動く。到底トリックなどでは出来ない。時々空間で鳴らす。不思議なのは縄抜けで、之は物質が霊化して、再び物質に還元するのである。右の亀井は皆バラモンの行者の霊が憑いてやらせるのであって、此霊は非常に大きな男で、酒好きだそうで、実験後三升位は飲むそうで、亀井氏は近頃はウイスキー一本を飲まないと酔わないと云っていた。霊は明るいと活動が出来ない。だから実験は真暗な所で、種々の器具は夜光液を塗って行うのである。こういう事は一回見てしまえば興味を失い、永続性はない。

心霊現象の霊級、心霊会に於る心霊現象に就て

“物質浮揚等の物理的現象は相当高級霊が行ふものと思はれますが、霊層界の位置はどのあたりでせうか。亦人霊でせうか、天狗霊でせうか。

“人霊である。八衢の霊。高級霊ではない。寧ろ低級霊で、八衢の霊である。人間の霊の天狗霊である。神は決して出ない。(S24・9・9)

心霊実験

“心霊科学の実験談発表によりますと、暗室に於て物体の移動、楽器の吹鳴が認められ、又、霊媒者が固縛の状態から離脱し得ると伝えられて居りますが、其れ等の原理を御尋ね致します。

“霊がやる。鈴など鳴らしたりする。明るいと霊が活動出来ぬ。バラモンの行者の霊がやる。物質が霊化する事が出来るし、霊が物質化する事も出来る。人間が霊化する事もある。英国で壁を抜けて舞台に出る俳優があった。又煉瓦の外廓を抜ける人もあった。テーブルのラッパを動かし、吹いたり、椅子に固縛して襦袢を抜ぐのを見た事もある。こういう実験を見ると霊の存在がよく分る。(S24・12・23)

降霊会の暗黒

“降霊会の時暗くしなければ出来ないのはどうしてかと聞かれますが、何とお答へ致しましたらよろしいでせうか。御教示を御願ひ致します。

“明るいと霊は活動出来ない為暗くする。玩具など、夜光液を塗する。やはり邪神に類する。正でも邪でもないといふのが沢山ある。英国では一番斯ういふ事は盛んである。(S23・12・18)

霊活動と暗

“研究会の時部屋内を暗くしなければ出来ないのは如何なるわけでしょうか。

“明るいと霊が働けぬ。それによっても低級霊が判る。(S24・9・9)

エクトプラズム

“心霊研究会で行っている、物理的現象を起すエクトプラズムとかいうものは如何なるものでしょうか。

“物理的現象を起すのは霊のエーテルで、一種の力である。霊媒が立合ってやる。西洋の実例。四角い椅子へ霊媒が腰かけ、霊界から遇いたい人を呼び出す。すると枠の中へ顔だけ出す事がある。又死んだ子が出て母の膝の上などに乗るのであるが、誰かよく判らぬが死んだ娘のようである。それが十八、九位になっている。霊界で育ったのである。証拠があるかとよく見ると、疣か何かあったらしい。幽霊と握手したのもある。実際に見た浅野氏から見せてもらった事がある。英国の有名な霊媒で、幽霊の指紋というのがある。男の霊媒で、何かいうと手だけ出る。固いから柔くしろなどという。霊媒に聞えるのである。固く捺す。それがお土産になる。エクトプラズムとはそれであろう。(S24・7・15)

物品引寄せ(武術、忍術、エーテル) 

“狐など、物品の霊を持って来ると物質が付いてくる。人間が壁を突抜ける事もある。霊を持ってくるのは非常に早く、人間の眼に判らぬ。武術の早業、忍術等すべて霊がやる。宮本武蔵などは出来た。武術の奥儀とは天狗が憑る。そして不思議な事をする。人の眼――視力を失わす事なども霊が出来る。又大蛇、蛙等、現実でなく見せる事も出来る。エーテルの多いもの、エーテルの殖える(与える)のがあるが、霊的のエーテルは特別なものである。するといろんな不思議が出来る。生れつきエーテルの多い人間を西洋では探す。霊媒のエーテルを抽出する。それに死霊にエーテルを送り濃くすると人間の眼に見える事がある。(窓)明るいと霊は働けぬ。幽霊と握手するのがある。それはそう冷たくないものがある。写真に写る場合は、霊が濃いからである。執着によって濃いのは、これは幽霊で、之は別の例である。死んで間もないのは濃い。段々霊界へ行くうち薄くなる。キリストの復活など見たものがある。この霊は怨みやなどでない。物質になる粒子があり、(元は土である)それに陰陽粒子が働いている。石も生きている。石が死ぬとポロポロ欠ける。石には硬化して金属になるのとポロポロして死ぬのがある。肉身のまま昇天、胎――。西洋の例で、俳優で、楽屋の裏から壁を抜けて出るという記録が英国にあった。ラッパ舞鳴、テーブル浮游、襦袢のみ抜ける(縛ったまま)――バラモン行者の霊である。(酒)  (S23・7・2か)

物品引寄せの二種

“福井地方に於きまして、白狐術と申し、或る興行師が狐を使って観衆の眼前で遠近に拘らず観客の希望通りの品を即座に箱の中に置き、そのものを取り出して見せますが、霊的にみて此の現象は如何なるもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“之は二種あり。狐のやる物品引寄せである。又はトリックと両方あるが、後者が多い。印度のバラモン行者はよくやる。(凄い事をやる)空ッポの甕へ呪文を唱えて酒が一杯になる事がある。日本でも浅野和三郎がやった。新聞に載っていた。主婦之友、石川氏宅で失敗したという。失敗の原因を浅野氏が聞いたら、狐の曰く「大勢見てるから出来ぬ」と狐は人が大勢見てるとやらぬ。人々の疑いの想念が固まって、霊界に妨害的影響を及ぼすので、狐の霊が圧倒されるのである。(S24・8・21)

物品引寄せと盗み

“或信者の宅で昨年春頃より殆ど毎日の様にお金が無くなるそうで御座います。如何に注意致しましても鍵をかけましてもポケットやハンドバックの中でも昼夜の区別なく決って百円札が二、三枚宛紛失致すそうで御座います。御屏風観音様にお願い致し仏壇に置きますとなくならないそうで御座います。その附近の家でも時々紛失するそうで御座いますが、近くに昨年越して参りました行者が住んでいるそうで御座います。尚家人の申しますのに黒い影の様なものが入ってくるとも申して居ります。これは何の仕業で御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“狐である。物品引寄せで、よくやる事だ。大した力をもっている。以前、浅野和三郎氏がよくやった。評判になって、主婦之友社の三階で実験した事がある。その時はどうしても実験が出来なかった。霊媒に聞いてみると、狐が出て来て言うのに「大勢見ていては出来ない」と。印度のバラモンでもよくやる。酒など空瓶に一杯に入れる。然し、こういう事は盗みだから、長くは続かない。(S25・5・12)

催眠術の原理

“催眠術の原理――

“こちらの霊で向うの霊を負かす方法である。であるから、自分の霊より以下の霊なら術がかかるが、自分より以上の霊の者にはかからない。催眠術にかかるのは大抵女に多い。それは女の霊は自ら男に負けるものだからである。何れにしても之は副霊の作用で、邪道であるからやらない方がよい。

催眠術

“催眠術は霊的に如何なる事になりますので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“副守護神を制(オサ)えるのである。動物霊同志で制えつけるのである。であるから、かかる人とかからぬ人がある。かからぬ人は強いのである。

催眠術と副霊

“催眠術をかけまして色々のことを聞き出すことがあると聞きますが、これは狐霊に落ちた先祖の口を借りるもので御座いましょうか。

“そうは定まっていない。喋るのは副霊で、寝言と同じようなものである。故に絶対のものではない。副霊が、経験は知ってる。

行者の療病

“病気が楽になるだけで(治るんでない。)狐が憑ると透視が出来る。法華経行者は皆狐を使う。一時的である。(S23・8・7)

透視術

“透視術と云って、精神統一をすると木に止って居る雀等でもバタバタと落ち、亦他家の家族の年令や精神状態まで分る人が居りますが、如何でせうか。

“透視術といふのは、物体を透して物が見える事であるから違ふ。(S24・11・11)

呪い釘の処置(怨みの御許し)

“或る女の信者で御座いますが、戦争中長男の縁談が決まり結納が納まった日に、或るカフェーの主人が、そこの女給がその長男と関係があり、目下姙娠中であると申し出て参りましたが、そんな馬鹿な事がと相手にしませんでした。そこでその女はカフェーの女将と共に縁談の相手の令嬢の家へどなり込んだ由で、その縁談は解消となりました。同時に長男は応召致しました。その留守中カフェーの女は大きなおなかを抱えて認知方を嘆願に参りましたが、誰の子かわかるものかと追い返しましたが、女は七生迄も恨むと言って立ち去り、そのまま今日迄消息不明であります。長男は無事帰還致しましたが、其の後一家は運が悪く、家は戦災で焼け、親子共する事なす事うまく行きません。今度長男は勤務先で争いが起り悲観して居りましたので、母は教導所へお詣りして先生に相談して来ると家を出ましたが、都合でお詣り出来ず帰宅致しますと、長男がどうだったと聞きますので、悪いとは思いましたが、先生は皆過去の罪の浄化だ、素直な気持になって争い心を捨てろと申して居られたと言っているうちに我知らず此の家は「のろい釘」を打たれて居ると口走りました。長男は驚いて何処にと尋ねますと、また鎮守の神木だと申して仕舞いました。長男は直ぐお宮へ出かけます。大変な事を言って仕舞ったと心配しながらついて行くと、不思議にも「呪い釘」が数本打ち込んでありました。驚き乍ら苦心して抜き取り、釘には祝詞を奏上し「世を呪ひ人を恨みしその頃の心の曇りは消えて跡なき」の御讃歌を奏げましたが、これは如何処置致しましたら宜しいもので御座いましょうか。尚この長男は未入信で、浄霊を極度に嫌い、睡眠中に御浄霊致しましてもすぐ起きて仕舞います。如何致しましたら宜しゅう御座いましょうか。

“正当の場合は怨みは或程度許される。誤解などは根本的には何にも出来ぬ。入信して徳を積むのがよい。釘は怨みが入ってるから、紙へ包んで、光明如来様の前へ、三宝へ載せ置いておく。怨みの曇りが除れる。一年位でよい。(S25・1・11)

お経に苦しむ呪い

“本月十四日知人が私宅に参り、話に依りますとそこの嫁は霊友会の熱心な信者で、毎日お経をあげて居ります。半月程以前より義弟(主人の弟)が急に悪寒を覚え、胸が苦しくなり一日に二、三回程苦しみ、十日程で死亡致しました。死ぬ少し前より、嫁が御経をあげると苦しいから止めて呉れと申して居りました。医師は死亡は胸の病気が原因と申して居りましたそうです。其の後間もなく姑も同様に苦しくなりましたので不思議に思い占者にみて貰うと「嫁が三十日以内に姑の命が取れる様に祈って居り、祈り始めてより三日目だ」と言われ、占者に苦痛を取ってくれと頼んだ処「生霊故駄目だ」と言われ、私の処へ相談に参りました。此様な事は事実でしょうか。又事実としたら如何様にしたら宜敷いでしょうか。因みにその家は姑と義弟と嫁の間が不仲の様です。

“お経をあげると霊は苦しい。霊界が違って来たから、お経は絶対あげぬ方がよい。霊友会など、特にそういう事がある。日蓮宗など、怨みや執着が反っていいとしてあるから、斯ういう事はあり得る。然し浄霊すれば何でもない。祈り怨むなどは先方が間違っている。光明如来様をお祭りすれば何でもない。(S24・10・16)

神酒錫の呪い

“島根県の大羽キヌ(三十五歳)と申す信者で御座いますが、約一ケ年以上神経痛で臥床中で御座いましたが、此の度教修中に御浄霊により憑霊現象を現わしました。その霊は隣家の主人の生霊と称し、約十七年前、キヌさんの家に土地の問題で恨みを持ち、一月三日津和野町稲荷神社に籠り一週間の間キヌさんの家が滅亡する様、九人の命を取って来れる様にと願をかけ、九個のミキスズ(錫の御神酒の壺)を受け、同年一月十三日帰宅、自分の家の四隅の柱、床柱、前後の入口、大黒柱の根本と八個を埋め、残る一個は其の夜十二時にキヌさんの家の床下にもぐり込み、床柱の下に埋めました。そして今迄に七人の命を取り、八人目がキヌさんであると申します。七人関係者が死んで居りますそうで御座います。そこで其の不心得と罪を諭し、其の夜キヌさんの家の床下を掘って見ますと、果してそのミキスズが出て参りましたので、取り敢えず集会所の御神前に安置致しました。すると今度憑って来た霊はその人の妻だと称し、夫に恥をかかし夫の呪いをきかなくして口惜しい。今度はわしが呪ってやる。命を取らいでおくものか。自分にはイヌガミの霊が憑いている。それが家の行李の中にいて自分を操っている。それの命令だから仕方がない。自分は十八歳の時から何回も嫁に行き男と関係したが、その度にイヌガミの命令でその男の命を取った。その男の名前は、中村芳一(三十八歳)、中島幸一(二十八歳)、三宅幸一(十八歳)、橋本藤一(四十八歳)等で、皆名前の下に一がついている合計九名の命を取ったと申しました。教修最後の日にはキヌさんが御光を受けると自分が苦しい、御光を授ける前に私のイヌガミを取って呉れ、そうしたら自分は離れると申し、キヌさんの受教を妨げて居りましたが、御浄霊により霊は離れ、キヌさんは喜んで御光を戴きました。神経痛も癒えた様で御座居ます。尚憑霊中人間の生霊だと云い乍ら、二階から階段、玄関、土間等を這い廻りました。こミキスズは如何処分致しましたらよいもので御座いましょうか。密封してありますので中は判りませんが、酒と外に何か固形物が入っている様で御座います。尚右憑霊の夫婦は此の事件に就ては何も知りませんが、御道の事を聞いて入信を希望致して居ります由で、もし入信致しますと、その八個の分について調べました上、実在ならば如何処分致すべきで御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“処分の要はない。人の踏まない所へ埋めればよい。霊が離れるか改心すればそれでよい。  (S25・2・11)

呪いの死後

“私の信徒の住む或る村の鎮守様の裏に狢が居るそうで、某婦人はふとした事から隣家と折合い悪い為にその狢に依頼して隣家を呪いました。其の後間もなく呪われた家の人が精神病の様になり、狂い死に致しました。右の様な場合、呪った人、呪われて死んだ人の現界、霊界はどの様になるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“これはお互いに悪い。呪われて死んだ者は未だいい。呪った人は寧ろ自分を呪っていると同じで、霊界で非常に苦しむ。呪われても神の守護があれば何でもない。(S24・5・17)

祈り釘で失明

“六十八歳の老母、昨年三月、自宅所有の山の近隣でも一番大きい松の木(周囲四、五尺)に釘が何十本となく打たれてあるのを近所の人が発見しましたので、其の人と一緒に行き釘を引抜きました所、小さいのは二寸位、大きいのは四寸位のものが二百二十本ありました。帰宅一、二時間後、左の眼が急に痛くなり、早速医者にかかりました所、眼球を突いた病状との診断を受けました。十日位は痛みもとれず、それ限り明盲となりました。尚、釘は頭がありませんでした。本人は人から怨まれる様な事はした事がありませんが、如何すればよろしいので御座いましょうか。御教えの程御願い申し上げます。

“所謂牛の刻詣りなどの如く祈りをやったので、釘を打った人が怨み死にした。その霊が釘に憑いたので、釘に執着があり、抜かれるのを怒った。釘の霊で霊が眼を突いたものである。長いが治るには治る。(S24・9・11)

夢の原理(明主様糞の夢)

“夢はどうしてみるのでしょう。

“神夢は或程度神格を得たものでないと見ぬ。大抵は自分の想念で作る。正夢はシャレッ気がない。守護神が見せると思う。私はよく糞の夢を見た。糞を手に持ったり、糞壺に溢れる夢を見たが、それから金が入るようになった。(S23)

高所より落下の夢(明主様の夢と弾圧)

“夢の中で高所よりドッと落ちて眼を醒ます事が御座いますが、如何なる理由で御座いましょうか。又、正夢は何故事実が夢になって予知出来るので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“落ちる夢は、そのつど地獄へ落ちるのである。よく、大難は小難に、小難が無難になる人がある。人間の災難は決っている。一番無難なのは夢である。死んだ夢は非常によい。今迄の自分が死んで新しい自分が生まれるから信仰が進む。正夢は正守護神がありのまま見せる夢と、シャレた見せ方をするのとある。以前私が弾圧される前に、トンネルを歩いていると真黒になり、それから明るくなった。之が弾圧の正夢であった。も一つはその日にある事は前の晩に夢を見た。之は一週間続いた。(S23・12・1)

夢で故人に遇ふ時の現人霊

“夢で故人に遇ふ事がありますが、其際夢を見ている人の霊はどうなっているのでせうか。

“寝ている時は、幽冥に行っている霊と肉体は霊線によって繋がり、目がさめると元へ戻る。昔から「人の寝ている時枕元を歩いてはいけない」と言ふが、之は霊線が切れて了ひ、そのまま霊が帰らなくなるといけないといふ事を意味したものである。それで裾の方を通らなくてはいけないのである。夢で故人に遇ふといふが、幽冥界へ行って故人に遇ふのは、故人の方で遇ひたくて来る場合と、此方で遇ひたいと思ふ想念によって故人を引寄せる場合とあるが、引寄せられるのは故人としては甚だ迷惑である。

夢で他人と遇う(死霊、生霊)

“夢とは霊魂が幽冥界へ行くこととの事ですが、夢の中にて他人に会い言葉を交したりする場合、相手はそれを知りませんが、其の時の自他の霊魂の関係を御教示下さい。

“遇いたいなどの想念で、その人の霊が遇いに来る。であるから、不思議はない。死霊は言葉を交すと消えるというが、生霊はそんな事はない。(S24・1・6)

死者話かける夢

“「近所に住んでおりました男の人で、他人なのですが死亡し、死後度々夢の中で話しかけられるのです。夢を見た後の気分は変りありません」以上、信者からの訴えで御座居ますが、何の関係で御座いましょうか。御教示下さい。

“死んだ人が思っている。(恋している)(S24・6・23)

夢の世界

“夢には神夢、霊夢、雑夢等の種類があると承っておりますが、その夢自体に一つの世界がある様に思われますが、如何なので御座居ましょうか。御教示お願い申し上げます。

“(一つの世界という訳のものではない)霊界である。夢の世界があるとすれば、その人が作る。(想念が作る)(S24・6・23)

音響と夢

“音響に依って夢を撹乱することが出来ると心理学者は申しますが、それは可能でせうか。又、夢と霊との関係を御教へ下さい。

“音響は夢を撹乱でなく、影響する。夢へ影響する事がある。(S24・12・28)

盲人の夢

“金沢四高教授の松本と云ふ方が先日朝日新聞紙上に「盲人の夢」と題していろいろ書いてありましたが、その中で盲人の夢に就て疑問としている点は、第一、盲人は夢を見るか、若し盲人も眼あき同様夢を見るとすれば、夢を見ると云ふ事はどんな事か。第二、一般人の夢でも色彩のハッキリしている事は稀であるが、盲人の夢に色彩があるか。等々御座いましたが、右に就て御教へを御願ひ申し上げます。

“下らない事である。盲人でも生れながらの盲人は想念が夢に化する。中途での盲人は普通の人と同じ夢である。それだけの違ひである。夢は副霊が霊界へ行く。自分が霊界へ行って作る事もある。(潜在意識はその時に働く)色彩はある。その時強い印象のある夢は記憶がある。大部分の夢は自分で作る場合が多い。

明主様のお仕事の事見せらる

“昨年十二月二十五日、夢にて東より西に箒星の出て居るのを見ました。其の星が不思議にも端から一つ一つ天界より地上に落下し、全部美しく炸裂し、地上は暁野原となって居るのが目に映りました。何か霊界からの御知らせでしょうか。御伺い申し上げます。

“大先生の遊ばしておらるる事である。天から一つ一つ星が落つるのは、人間の霊で――天系という事。今度、此仕事をするのは天系の人がする。炸裂とは、美しく活動する事。火素で焼くので、焼野原となる。人間の霊ばかりみるとそうなる。 (S24・7・18)

金龍の夢

“金色燦然たる金龍を再三夢に見ますが、之は如何解釈すればいいでしょうか。

“必要があり、神様が見せてくれる。正守護神が神様に願って見せる場合と、神様が命令して見せる場合がある。その人の信仰を増す為とか、金龍に因縁のある人である。金龍は私の守護神で、伊都能売神である。

御書体に土下座

“私の妻宏子(四十二歳)が私と話をして居りました折、数秒間返事をしないと思って居りましたら夢うつつの様に成り、支那の家の様な赤い屋根の上から眺めて居ると、道の所々に大勢集り、大先生様の御書体を「幟」(ノボリ)に立てて並んで居りましたと普通状態になって言ひました。又変だなと思ひましたら、道を歩いて居ると「土下座土下座」と言って声をたてて居りました。一分位の間に二度こんな夢を見たと言ひましたが、何か訳がありますでせうか。御伺ひ致します。

“訳のない事はない。一つの予言である。神様が守護神に命じて、小さいお知らせをなさった。斯ういふ時期は何れ来る。(S24・9・7)

審判の夢

“妻の夢、一天俄かにかき曇り、周囲は暗黒になった時、私の家のみ金色に輝き、天より龍が家に降下した――の意義。

“良い夢である。世の中が最後の審判の時、信仰者は金色に輝いている事。守護の為、龍が因縁あって天から下った訳であろう。

一切焼く夢

“これは富山市内の一信者の夢で御座いますが、夜九時頃寝付いて間もなく非常な恐怖感に戦き、それは今尚名状し難いものが御座います。その夢は東南方(熱海の方向)に当る処から、霧と申しますか、雲状の真白の中に細い赤色を帯びたものが現われ、段々に拡大し、暫くしてちぎれ雲と化し地上へ高速度にて進んで来るや、触れる物総べて異様な音響(ジュウジュウ)と同時に焼失し、一面硝煙の地と化して終いました。尚、当人が何か大切な物を持っておりましたが、自分の身に迫るを感じ、それを投げ捨てた所、忽ちその物も焼失して終いました。世に言う「火の洗霊」とはこの様なことで御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“火の洗霊で、執着で持っていても駄目という事。

仏・火となる夢

“私は又夢で、五、六人の仏様が段々遠くの方に行く中に火となり、その火の中より観音様が現われて来ましたので、有難く拝んだら目が覚めました。火の夢は何の意味でしょうか。火の洗霊(例えば火事の様)のお知らせですか。

“火というのは霊の日(*)祖となったもの。観音様も移動する場合丸くなる。それを夢にみたのである。(S24・2・27)

円光の夢と現実、或夢

“一、夢で教導所の御神体の冠から円に金色のお光が見えました。二日後に教導所で御神体から同じお光が見えました。此れは何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。私は時々此様なことが御座います。

二、私の見ました夢に就いて御伺い申し上げます。口頭にて申し上げます。

“一、御光が出る事を教えてくれたものである。昼間になると御光が強くなる故、方々で沢山見るようになる。

二、最初の姿は騙そうとしたものばかりである。天照大神二度目の誕生(布袋は仏であるから、大日如来から神になられる)は即ち昼になる事。今の霊界を知らした。どう斯うという訳でない。神様が仏に化けていられた。今度は神として生れられた。昼間になる事を教えて戴いたのである。

白煙・日の字夢に見ゆ

“夢にて初め少しの白煙りが床上から渦巻き上り、見る見る内に其の煙が大きくなり、私にふはりと其の煙が掛り、その白煙の中から普通の女性用のパラソルより少し大きく、周りが十センチ位赤く、真中が縦に十センチ位赤く成って来たと思って良く見て居りますと、日と云ふ字に成って居ります。此のパラソルの解釈は如何がでせうか。御教へ賜り度く御願ひ申し上げます。

“昼間になったといふ事である。白煙に蔽はれたのは、朦朧とした中に置かれたのであるが、信仰の為に昼間の世界になったといふ事である。(S24・5・22)

御神体消えた夢

“或る信者の御宅で大光明如来様を御祀り申し上げ、その御祭に参った信者の方が帰宅後次の様な夢を見ました。それは御祀りした大光明如来様の御神体が床ノ間より消え、光明如来様の御神体を床の間以外の所に御祀りして其の宅の妻が拝んで居りました。以上の様な夢は霊的に如何なる意味が御座居ましょうか。現在其の宅の御主人が御浄化で重体で御座います。右、御教へを賜り度く御願ひ申し上げます。

“何か訳がある。信仰が未だ本当の線に沿っていない。想念がそこまで崇めていない。それを教へられたのである。(S24・8・12)

御掛軸光満の夢

“私は五日の夜左の如き夢を見ました。何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。自宅に於て一心にお観音様を拝んで居りますと突如丁度お観音様の左肩の辺りに掌大の御光が現れました。驚いて平伏し、畏る畏る頭を上げて見ますと御光は燦然(サンゼン)として御神体を覆い、御掛軸一面に拡がって居りました。以上であります。御伺い申し上げます。

“之も知らせるのである。信仰を増すように奇蹟を見せてくれる。お掛物をかけただけで霊界が明るくなるのである。

御神体傾いた夢

“私は入信以来満二年になり、光明如来様を奉斎致して居ります。今度上京の前夜、光明如来様の御軸が傾いて了っている夢を見ました。何かの御知らせでしょうか。

“夢は信仰には本筋でない。真の事がある。お詫びして直すとよい。(S25・1・25)

病人来る夢

“信者で結核の方、御浄霊を始めてより毎日の如く夢を見、それは自分が色々な病人を自分の所へ連れて来るそうで、何処からとなく身体を静かにして居たら全快するからと云う声が聞えるそうで、霊的に意味がありましょうか。

“今に教会を始める事を正守護神が知らせるのである。又、静かにしないと浄化が起りすぎ、衰弱しすぎるからで、静かに浄化を強く起させない方がよい。

信者蝟集の夢

“八月二十八日の晩、私事、午前四時頃夢を見て大光明如来様の前でご参拝して後ろを向きましたら部屋がとても広くて沢山の参拝者が居た夢を見ましたが、何のお知らせでしょうか。御伺い致します。

“何れそうなる。信者が沢山来る事になる。私も昔よくあった。(S24・9・7)

龍昇天の夢

“今暁三時頃の夢で高天より龍神が下界へ向って下降して参りました。最初龍神の大きさは三尺位でしたが地上二百米位の処では八尺位の大きさに見えました。その時龍体に亀甲の如き鱗が数個見えた途端に目が覚めました。何か異変の暗示で御座いましょうか。

“結構な夢である。昇天した龍が、貴君の身体を使って今度働こうという訳である。(S24・2・22)

死んだ夢・死期知らす事

“悪い方にのみ解釈は出来ぬ。これは良い意味である。先のその人が死に、新しいその人が生れる。(私など)自分が死んだ夢を見た事もある。非常にいい。その度に新しい自分が生れる。(此人は古い自分では信仰に入れぬ)本当に死ぬ時は死ぬ報せは殆どない。人間に知らす事は禁じられる。神様の規則になっている。  (S  (*)・8・7)

畜生生んだ夢の後猫来る

“光明如来様をお迎へして後畜生を生んだ夢を見ました。其の後猫が家に来るやうになりました。何か意味がありませうか。

“畜生道へ墜ちている霊界の霊が畜生に生れ代る所を夢で済ませていただいて人間に生れる訳である。人間の大難は小難に、小難は無難にして下さるが、神様は、畜生に生れ代るとか大難とかは夢で済まされる。その形を済ませてくれる事がある。畜生を生んだのは猫であらう。来る猫は、霊で生んだ猫に関係があらう。(S24・10・16)

入浴の夢

“夢を御伺ひ申し上げます。(口頭にて申し上げます)

“手をあてて天津祝詞を奏げ、鎮魂で数歌を歌ふ方法である。未だ時期が早い。浄化する場合など、夢で湯へ入らす。湯へ入る方は身魂の磨き方が足りない事で、明成会が発展せぬのは、その為である。(S23)

一富士・二鷹・三茄子

“一富士、二鷹、三茄子の意味――

“よく判らぬ。大して意味はない。迷信の方が多い。夢でも出たらめでない夢はよくある。病気になる前には、風呂へ入って身体を洗う夢をみる人があるが、これなど全くよく合っている。

溺死の夢

“私は最近毎晩の様に水に溺れる夢を見ます。何か霊的の原因で御座ひませうか。私の知って居る範囲内には、水死した先祖はありません。御伺ひ申し上げます。

“水死する運命が来ているのを、御霊徳により、夢で済まされた。災難などでも人間一生の中大難は決っている。それを一番軽くして下さるのが夢である。(S24・9・28)

火災の夢

“最近私は一週間程続けて夢を見ました。それは近所一帯の火災の様です。浄化の前ぶれでせうか。御伺ひ致します。

“火事のお報せとみて、その準備をした方がよい。

大洪水の夢

“出張治療に行って宿泊中、前後三回大洪水の夢を見ました。何か意味があるでしょうか。

“その土地に大洪水が何れあるかもしれない。霊界では洪水が出てるかもしれない。

正夢を見る事(迷いの必要)

“七、八年前迄は正夢を始終見ましたが、入信後は殆ど無くなりました。雑夢のみですが、霊的でしょうか。

“正夢を始終見るのは本当ではない。あまり前から判ると良いような悪いような事だ。正守護神にも小乗的なのと大乗的なのとある。あまり悟りを開くと活動力がなくなる。人間は迷いがあるから活動が出来る。故に迷う事もわるい事ではない。智慧証覚を磨けば或程度判るから夢の必要はない。はっきりしない方が反って面白い。

正夢逆夢の別と故人の夢

“正夢と逆夢との区別のつけ方を御教示御願ひ申し上げます。又、故人の夢を見まして、口を利いたのは既に再生して居り、利かないのは未だ生れ変って居ないといふ事を申しますが、いかがなもので御座いますか。御伺ひ申し上げます。

“正夢は夢の通り表はれ、逆夢は逆に表はれる。大抵は斯うだが、自分の想念で作る場合あり、必ず斯うとは限らぬ。或いは自分がそれであったかもしれぬ。普通は霊界の霊と遇ふ場合がズーッと多い。之は霊界の霊が逢ひたくて引付けるのと、自分が霊界の霊に逢ひたくて引付けるのとある。之はあまり良くない。(S24・10・28)

青火吐く夢

“未入信者の夢で、自分の口から青い火を吐き、七、八尺程離れた壁に直径一尺の円となってはっきりと写ったとの事、何の意味でしょうか。

“夢は正守護神が作るのである。判りやすいのと、ややこしいのとある。

夢知らせ

“夢は本霊が見るので御座いましょうか。又は副守護神が見るので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“普通は副守で、本霊――正守副――。夢知らせなどは正守護神がやる。(S24・12・11)

二度同夢

“同じ夢を其の日の中に二度見たのですが、これは正夢でせうか。又は暗示を与へられたのでせうか。

“正守護神が見せるのである。(S24・2・12)

他人悪事の夢

“夢で自分の信頼する人が悪事をしているのを見せられる事があります。自分と其の人との間に何か知らされる事でもあるのでしょうか。お教え下さい。

“守護神が警戒せよという意味だと思う。その人との間の関係が判らぬとはっきり言えぬが、相当関心を持つべきである。

先祖が礼拝している夢(守護神知らせ)

“夢と先祖の関係を教示願いたく――。夢で先祖様が祝詞を上げて居る処です。真中に男、両端に女二人でした。髪が薄紫色で、古代の髪でしたが、私の考え通り先祖でしょうか。お尋ね申し上げます。

“先祖の霊である。先祖も此の通り信仰してると見せてくれた。人間には正守護神がついていて、始終人間を守護している。必要に応じ夢で見せたり、虫が知らす。霊的に知らせる。人間を守護すべくいろんな事をしている。気の乗らぬ事もある。浄霊などの場合、嫌な気持や心配の場合は行かないようにする。行った結果はよくない。それを正守護神が知らす。非常に行きたい所は成績がよい。

祖霊に関する夢

“私は現在実家に帰って居りますが、或る日夢で嫁ぎ先に帰った処、戦死した筈の主人が店で一生懸命働いて居りましたので、私は主人に自家より帰って来た方が良いか帰らぬ方が良いかと聞きました処、店も忙しいし帰って来るのが当然であると申しますので、仕度して来るべく店を出て振返って見ましたらもう店には主人の姿が見えず、それと同時にはるか南方の空より黄金色の光を発したものが見え、段々と私の方に近付いて来ましたので、よく見ますと、其の姿は阿弥陀様の御姿同一のもので御座居ました。やがて店前に降りて通りの方を向いて止りましたので、何か欲しい物と思ったので一銭銅貨を一つ差上げましたが、御帰りにならないのでもう一銭差上げました処いらぬと言わんばかりに落してしまいました。そこで私は何か御希望な物が御座居ますかと申しました処、店のお饅頭を頂きたいと申されますので、早速差上げました処、口に入れたまま食べ様とせず、私に一緒に行ってくれと話しましたので、私は行く事が出来ないと申しますと、大きな口を開いて泣き始め、何としても御帰りになる様子も御座居ませんので、再度御帰りになります様申しますと今度は地に泣き伏せてしまいました。私も困り果て、店に入り泣き伏せてしまいましたが、此の様な夢は如何なる訳で御座居ましょうか。

“祖先が霊界へ行って執着をとらねばならぬ場合、夢を使う事がよくある。夢にも確実性のあるのと馬鹿々々しいのとある。此夢は満更ではない。阿弥陀を信仰した祖霊が、子孫に遇いたい為夢で来たのかもしれない。(S24・2・24)

蛇の夢

“私は四月十五日午前二時頃、次の様な夢を見ました。「山の中腹にて作業中一匹の大蛇に会い驚き、(私は元来蛇が嫌いであります)急ぎ我家に帰る途中、又二匹の大蛇に会い、二匹共天井に向い立っている姿なので愈々驚き、家に帰ってみれば今度は入口より将に入り終ろうとする処の姿で、其後天井裏に上り黄金色の腹部をみせている」夢を見ました。如何なる訳でしょうか。御伺い申し上げます。

“祖先が蛇に落ちているんで、それを見せたのである。人間に生れる事を見せた。信仰していれば救われる。(S24・7・5)

夢お伺ひ

“私の見た夢について。(口頭)

“元禄時代の祖先であらう。今に良い物を授けられる前ぶれであらう。前世にお妃さんに尽した、御恩返しであらう。光明如来様。大先生の代理である。(私の姿で、以前は白い洋服を着たから、私の代理が沢山働いているから、それである)

飛ぶ夢 

“御守りを頂いてから、夢で悪者に追われる時、私の体は空中に軽く浮いて自由自在に動き、軽く飛ぶ事が出来ます。それまでは走りたいと思っても、体を自由に動かす事が出来ませんでした。どう云う訳でありましょうか。御伺い申し上げます。

“鳥の霊が憑いているのであろう。夢で空中を飛ぶのは鳥霊である。(S24・9・17)

入信して龍昇天の夢

“昭和二十一年十二月教修を頂き、一週間後夢を見ました。庭のありもしない所に松の木があり、不思議だと思っているうち、その松の木が龍に変り、見る見る天へ昇って行きました。如何なる訳で御座居ますか。

“教修を受けた人に龍神が憑いたのである。入信した為に龍神が救われた。そして少し残っていた曇りがとれて昇天した。それを夢で知らしたものである。(S24・4・28)

蛇咽喉より出る夢

“私は又夢で、大きな蛇が私の咽喉から出て往ったのを見ました。主人の弟は二歳の時脳脊髄膜炎にて不具となり、主人の浄化と一緒に同じ様な経路をたどって居ります。主人と弟の病気及び之の夢と何か関係があると思いますが、如何で御座いましょうか。

“蛇が抜けたのである。脳脊髄膜炎は根気よくやる。

錦色蛇に見つめられた夢

“二月四日朝方夢で、光明如来様の前に錦の様に光る綺麗な三尺位の蛇が一尺位鎌首を上げて自分の方を見て居りました。此れは何の知らせでせうか。御垂示下さい。

“此人の前世は蛇であった。人間に生れ代っても人間になりきれず、一部残っているものが今度光明如来様によって救はれた事を知らす為である。錦色になるといふのは、蛇に残っていた霊体も救はれた事である。(S24・2・25)

蛇に関する夢(前世)

“或信者が夢を見ました。それは白蛇を手の上に乗せて眺めていました。次の瞬間には鍋に入れグラグラ煮ていましたが、蛇は生きており、又、食べる様にして出して呉れましたが、食べずに手に乗せた所、見ている内に蛇が四つに切れ、頭の方は観音様の様な姿に、尾は黒い玉となり、中の二つは判らず、水はないのですが水が流れる様に消えて仕舞いました。その時淋しい様相にて「つまらないです。助けて頂こうと思って来たのに行かねばならぬとは」と言って立去りました。それが未だ気になって仕方がないそうです。如何なる理由でしょうか。

“前の世の事と、これがその運命とを知らされたんだと思う。手の上に乗せたのは、手に入れたとか、手なづけた、寵愛したとかいう意味。煮た蛇が苦しむこと――。あつくなること―。食べるとは可愛がること。白蛇は弁財天の眷族である。その眷族四人を手に入れて可愛がった訳で、そのうち上の方のはいい性質のもの、尾が黒い玉になったのは下の方のは邪霊とか悪人になる意味。そして流れ消えたのは行方がわからなかった、之が淋しいという訳である。前の世にこういう事があったので、前の世にあった事は此世でもあるから、その型をさせて頂いた訳であろう。こういう事はあり得る事だ。

昏倒を救われ亡父を夢に見る

“今年十月十六日、光明如来様を奉斎させて戴きまして有難う御座居ました。去る五日夜、御不浄へ起きまして、小用中急に目まいがして昏倒してしまいました。倒れた音で驚きて妻が目を覚まして起きてきました時は仮死の状態であり、急いで大先生様に御守護を御願いさせて頂き、御浄霊して戴いたので、五分間程で御観音様の御恵みにより蘇生させて頂くことが出来ましたと妻より聞き、御救いを戴きました私は勿論、家内一同驚きと感謝の他御座居ません。誠に有難うございました。厚く厚く御礼申し上げます。四日前の夜、夢で亡父が何処よりか帰りて来まして、私を見ますと、両手を差出し喜んで、にこにこしながら抱きついてきました。此度のことと何か関係が御座居ますでしょうか。

“関係がある。(S24・11・9)

全身鱗・顔見せぬ娘の夢

“私の妻は最近夢にて、死去した長女の顔は見えないが、体だけで、其の手首より二の腕迄一面に鱗があり「お母さん」と呼んで居る夢を見ました。又妻の実家の井戸桁の上に遺骨の箱が乗っていたり、尾のない蛇の夢を度々見るそうです。以上の夢と関係があるのではないかと思います事は、二、三年以前、妻の実家で二、三坪程の池を埋め、その上に杉を植えた事があり、其処(池)が蛇の巣になっていて、其の家の人も妻も蛇を見かけた事があるそうです。右の様な次第、如何に処置致したらよいでしょうか。御伺い申し上げます。

“長女の顔は蛇であるから見せぬ。龍神になったのである。今の娘の蛇の状態である。蛇が池を埋められ、娘に憑いた。井戸が関係がある。祝詞を奏げ、御守護願う。(S25・1・16)

足のみ熊となりしものを霊夢に見る

“信者で御座居ますが、御守様を頂きまして約一ケ月後に夢まくらに戦災で死亡されし奥さんが立たれ、殆ど全身は当時のままですが、足だけは熊の様な形をして居り、驚いて目が覚めましたのですが、如何なる訳で御座いましょうか。

“足の方が畜生道に墜ちかかっている。足から変ってくるものである。祀ってやって、よく信仰すればそこで食止める事が出来るが、でないと動物に墜つる。人間が龍神になる場合、足からなり、ついには首だけ人間になったのなども沢山ある。人魚などは、そういうものを見たのである。  (S  (*)・2・4)

人魂の夢と蛇

“私は家で夢を見、その夢は人魂が家の中に入って来ようとするので、私は追い払うのですが又入って来るのです。此の様に追い払う事四、五回、その時眼が覚めました。私の実家の母、妹も同じ夢を見、その翌日、実家では先祖の位牌の後ろに青大将の小さいのがとぐろを巻いていました。其の蛇は近所の河原に捨てました。二、三日すると実家に兄の戦友が兄の帰りは少し遅れると知らして来ました。此の事は家に何かあるのでしょうか。又は兄に何か関係あるのでしょうか。

“親族に死者がなければ兄の霊かもしれぬ。人魂――夢で知らした。人魂は大抵死ぬ前に暇乞いに来る。二、三日前に抜けるのがある。(本守護神) (S24・2・20)

霊界へ行っての病気(夢)

“本年一月十六日の夢で、私は主人が戦地より痩せ衰えて帰って来た夢を見ました。あまりにも痩せている為聞きました処、主人は私の体に「サナダ虫」が湧いているからだと申しますので、裸にしてみますと、主人の体全身より其の「サナダ虫」が数限りなく無数に出て来るので、早速御浄霊致しました処、主人は大変な苦しみ方で、見ているのも気の毒な程なので御浄霊をやめました処、御浄霊前の姿に変りますが、苦しみは致しません。此の夢は如何なる訳で御座居ましょう。

“生きていた中にそのような状態で、霊界へ行っても治らぬので助けてもらいたい為に知らしたものである。病気は死んでも続く。肉体という邪魔がないから、霊は早く治る。戦死で、食物等の関係で絛虫が繁殖したものである。(S24・2・24)

前妻来た夢

“妻が一年前五歳の女児を残して死亡、最近六歳の女児を連れた婦人と結婚しました。同居の姪が前妻が家に来て居る夢を見ました。如何なる訳でしょうか。

“これだけの夢ならそのままにしておけばよい。

伐木夢にて中止

“私の所の一信者、最近周囲六尺以上の松の立木を求め、切ろうと思いました処、その夜長男が夢を見ました。夢は「その信者の自宅の側の垣根に青龍が二匹自宅の方を見ており、家の人が追うと家の中に入って了い、ふと又垣根の方を見ますと、ものすごい龍神が口を開いて狙っているところの夢を見ました」その夢を見ましてから木を切り倒すのがいやになり怖しくなります。如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“樹木に龍神が居る訳で、二匹は夫婦であろう。切られては困るのであろう。松を二本植えて、生米や塩を上げ、天津祝詞奏上してから切る。(S24・2・9)

稲荷の夢

“昨年十二月十五日朝四時、妻が次の様な夢を見ました。朝起きて玄関を開けますと同時に雄の稲荷様が家に飛び込み、あらっと思っていると亦一匹飛び込んで来まして夢から醒めました。私の所は漁業をやっており、何か由縁のある様に思われてなりません。

“夫婦の稲荷であろう。祀ってもらいたいのである。(S24・1・19)

蛇・女の霊の夢

“武内照雄(四十九歳)は六月末の或夜、夢で、猫が大きな蛇をくわえて座敷へ上って来たので、蛇を助けてやりましたのと、一人の女が私の手にすがり助けてくれと云ひ泣いて離れない夢を見ました。朝になっても昼になっても忘れる事が出来ず、日蓮宗の先生に見て貰ひましたら、馬、猫、蛇、無縁仏がついていると云はれました。併し馬、猫は直ぐ離れ、無縁仏は妻の姉に当る者が雪崩の為死亡、それが私に祭ってくれと云ひますので、自家の仏壇に祭りました。蛇は「身延山」に二十一日間修行したもので、黒雲龍神と云ひ、祭ってくれと云ふのですが、祭ってよいのでせうか。又祭るとしたら如何様にしたらよいで御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“祀ってもよいが、何にもなかったら祀る要はない。面倒だ。光明如来様をお祭りすれば蛇も浄化される。(S24・8・8)

馬暴れ来る夢

“正月以来同じ夢を数回見ました。その夢は、自分の方に向って馬が暴れて来ます。それは何か霊的に関係が御座居ませうか。もし霊的に関係が御座居ましたら、どの様に致したらよろしう御座居ませうか。御教へを賜はり度う存じます。

“信仰に入ると斯ういふ夢を見る事がある。馬が助けて貰ひたいのである。或いは馬が口惜しがってやったといふ事もある。(S24・5・12)

狐になった神主霊の夢

“御書体を戴いた夜に見た夢、突然「ドン」といふ音がして、バラバラと土が顔の上へ落ちて来ましたので、土間へ降りて同居の人に「今のは何の音ですか」と聞いたら「誰か救ひを求めに来て居るのであらう。あれをごらん」と云って指さされた方を見ると、天井の上の方に人等大の白い狐が三匹立って居ました。それを浄霊すると、首から上だけ狐で他は和服姿の人間になり、その時どの先生だか居られて「肩の辺をよく浄霊してやりなさい。重いものは持って行けないから」と云はれ、浄霊をして居ますと目が醒めました。右御伺ひ申し上げます。

“これは神主が畜生道へ堕ち狐になったものである。光明如来様をお祭りした為に救はれる。重いものとは罪の重荷。此人が三人か、三匹だか、将来助ける事がある訳である。正守護神が斯んな事をするのである。

隔離病舎での死霊蛇となる

“私は十年前より隔離病院の管理人で、病院に起居して居ります。何回となく夢に蛇がかまどの中に入り焼死するのです。時には其の蛇を食べる時もあるのです。非常に気持が悪く感じますが、如何なもので御座居ませうか。右、御教示お願ひ申し上げます。

“死んだ人が焼場へ行って焼かれる。それ迄に蛇になる。伝染病で死ぬなどは罪が深い。上等なら死ぬ時大勢人が来て、遺言するとか出来る。隔離されていてはそれも出来ぬ。自宅でなく隔離病院で死ぬなど罪が深い訳で、それで蛇になる。そういふ霊が迷って救ってもらひたいといふ事を夢で知らすものと解さるる。先方で頼るといふ事は半分は救はれている。早く光明如来様を祭る。その光で多くの霊が救はれる。善言讃詞を奏げる。言霊で霊界は浄まると、蛇にならずに済む。大功徳である。

火の玉音立つる夢

“二、三ケ月前より赤い火の玉の様なものが隣家の屋根又は或る時野原から「ポン」と云ふ音を立てて空へ上る夢を見る様になりました。その音で私は必ず目を覚まします。如何なる理由でせうか。

“玉は凡て霊である。そのうち形体的に判る。(空間移動する時は玉になる。隣に関係した霊)(S24・2.16)

御神体・不動鬼子母に巻きつかる夢

“昨年暮三十日の朝、大先生の夢を見せて戴きました。勿体なくも私の家の大光明如来の御軸の前で御祈りして下さいました。私は後ろの方で平伏して居りますと、大光明如来の御軸がキーッと音がして、驚いて見上げますと、何時の間にか横の方に不動様と鬼子母神の御軸が掛けて有り、それに大光明如来様が巻付いて居ります。以前主人が不動様を信仰致し去年の春頃迄御詣りして居りました。又長男が乳児の時鬼子母神で虫封をした事が有ります。その為か長男は此の信仰が大嫌ひで、事々に邪魔をします。如何に致したらよろしいでせうか。

“鬼子母神や不動様がいくらか障っていたんで、光明如来様が封じて下さったのであらう。(S24・2・15)

毎晩蛇の夢

“或る旧家ですが、家族の者が次々と肺病で倒れますので、日蓮の信者に見て貰いました処、蛇の祟りというので、之を封じて貰いました。其の後此処の娘が教修を受けました処、毎晩の様に蛇の夢ばかり見て悩んで居ります。之はどういう訳でしょうか。

“斯ういう事もある。蛇の祟りは執拗なものである。祀るのは後面倒であるから祀らずに済ました方がよい。(そのままで――)蛇が救ってもらいたいのであるから、早く人間に生れるよう幽世大神様にお願いし、祝詞、御讃歌を奏げる。(S24・2・20)

首締められる夢

“未入信者、親戚の人の夢を見ましたが、恐ろしい姿をして居り、首を締められたり、体を押付けられたりしました為、声を出して助けを求めようとしましたが、声が出ず、体も自由にならなかったそうです。其の後数日を経て夢に現われた人は死亡致しました。この様な場合に声の出ないのは如何なる訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“よく霊は首を締める。(S24・9・11)

黒物や猫・鼠の夢にうなさる

“未入信の芸者、夜中より夢で、黒い形の無い物や、三尺位の鼠と猫が本人に飛びついて来て大変うなされる由、何の霊でしょうか。

“黒い形は人間の霊である。猫は朋輩の芸者か何かである。怨みであろう。三尺位とすれば狐霊の間違いではあるまいか。やはり芸者で、怨んで死んだものである。

人顔鰻体の子の夢

“ある妻女が死んだ子供を夢に見ました所、顔は生前の子供の顔で、首から下が直径六、七寸の胴体を持つ長さ一丈程の鰻で、海の中より自分に抱かれ様としていたと申します。その人は以前魚屋をして居りました事があり、子供はその時生れたと申して居ります。これは如何なる訳でございましょうか。御伺い申し上げます。

“あなごか海の鰻のようなものが祟ったものである。長虫は大きさが伸び縮み出来る。霊が勝つので、伸縮自在になる。魚屋をしている時に斯ういう鰻を食った祟りであろう。(S24・5・2)

黒影に襲わる夢見

“私毎晩のように霊に悩まされて来ましたが如何なる訳でしょうか。又次の霊は私に何か関係があるのでしょうか。床に就て間もなく短刀を持った黒い人影が裏口から窓を開け寝ている所へ座ったと思うと表の方からも同じ様な人影が来て私を刺そうとしました。意識はあるのですが頭が強力な電気に打たれた様になり、目をつむり、体の自由は奪われ、少しも動かす事が出来ません。此状態が暫く続き、体の自由はきかないのですが、目が開けなくとも相手に組付いて戦っているのが見えます。高い断崖の所まで連れて行かれ突き落そうとするのですが、私が組付いていて離れないので空中に持ち上げられました。その時に対手は急に虎に変りました。私が咬みつくとギャーと悲鳴をあげて逃げて行きました。龍神だと思いますが、来たと思うと足の先からぐるぐると頭の先まで巻きついて来ます。

“邪霊が苛めに来る。前生の因縁もあり、今生の因縁もあり、怨みが霊になってくる。霊の襲った時、祝詞を奏げてやるといい。すべて悪魔は黒い。

実現する夢見

“夢を見ると正夢となって現れるのですが、その場合、言霊に出すとそれが実現するのですが、それはどういう訳でしょうか。御訓え下さい。

“正守護神が見せ、知らすのであって、正守護神の性格による。悪夢を見た時は光明如来様にお願いする。  

布教に行く夢の現実化

“十一月二十五日長崎県五島(奈留島)へ出張教修に行きました。面識ない婦人(橋口キク、六十二歳)、夜観音様に礼拝、善言讃詞奉唱後に婦人が語るには、私が行く二、三日前に上衣、白錦、下衣、白袴に幣を持ち、その幣の上には小さい人が立っておられ、小さい人の顔形ははっきりせぬが、朝夢を確かに見たが、幣を持っていた人が貴方の様な気がして、船が着いた時よりずっと思っていたが、今座る動作、手を動かすのを見てはっきり判ったと言ひました。その翌朝(二十六日)朝夢で、今度は黒牛に乗っていて、頭には紙子頭巾の様なものに両端から房のやうなものが長く垂れ下っているのを冠り、上衣は白錦、下衣は薄青色の袴で乗っていた。私だと言ひます。私も何か思ひ違ひをしているのだと思っていました所が、又翌朝(二十七日)に昨日の夢と寸分違はぬと又語り、二十八日私が帰る朝は、私が今朝はと問ひますと、見なかったと言ひますので、私も笑ひ乍ら、冗談まじりに今日は牛に乗って帰ります、と語り乍ら渡船に乗って、それから本船、そして動きだしたので、船尾の方へ行きつつ別れの手を振って、そしてともを見ますと、一匹牛がつないであったので内心はっと思ひ、よく見ますと黒牛なのです。偶然と言ひますか、疑問から疑問ですが、如何なる事で御座居ませうか。お伺ひ申し上げます。

“霊だけ先に行ってる訳である。白袴等の姿は神の使ひとして行ってるのである。霊界の姿である。牛の霊が乗せて、霊界を行ったものである。霊体一致であるから、その人の霊が乗るには、牛の体が必要で、牛は神様からそこへ連れて来られたのである。霊界で神様はいろんな事を人間にさせるのである。

悪龍の対抗と地震

“福井震災のあった一ケ月程前に弟が寝室の東に当って大きな赤黒龍が虎視眈々と対応して居た夢を見ました。不思議に思って居た所今度の震災に遇ひました。何か霊的に関係がありませうか。

“龍神とは霊的に関係はない。赤・黒龍は邪神である。悪龍が対抗しているのである。日本にも外国にもある。悪魔と悪魔が対抗している。(S24・7・7)

人寿延長(霊界実見)

“一昨年の春より母が首が痛いと申しますので浄霊をして居りましたが、中々よくなりません。すると或晩の二時半でした。突然母が物凄いうなり声を出しまして、暫くするとよくなり、一人で有難い有難いと申して居ります。後でよく話を聞いてみると次の様な事を申しました。近くの道で鎌で首を切られ半死半生で苦しんで居ると、通りがかりの人に無理に首を締められ、遂に息を引取りました。自分は確かに一度死んだ。身体は死んだが霊はある。だが今迄と同じ様に苦しんで居る。自分の死体のまわりには大勢人が乗ってワイワイ騒いで居る。けれども私が苦しんでいるのに皆知らん顔をして居る。すると天より一人の男の様な人が降りて来て道案内して細い道を天の方に向い上って行きました。到着した場所は川があり丸い橋が懸って居りました。門を入ると裁判所の様な処に来ました。するとその中の一番偉そうな人が「お前は何で此処に来たのだ」母は「私は首を切られたから参りました」と申しますと「お前は前世に居る時何か白い四角なものを糸にて首にかけて居たろう」と言われ、母もハッと気付き「持って居りました」と答えますと、その偉い人は「お前は死ぬのは未だ早い。又向こうの世に帰り人を救いなさい」と両手の中間に焼判をおしまして、コンニャクの様なものを弁当に下さいました。そうして家に帰ってから私(清吉)の名を呼んだ様ですが、その声が「うなり」声だったのでありました。母は唯有難い有難いと申し、又自分で気がついた時は未だ身体が冷たかったそうです。右の場合、私の先祖に首を切られて苦しんで居る人があるのでしょうか。此の事は夢ではないと本人は申して居ります。

“夢ではないであろう。首を切られた人が助かって有難いのであろう。偉い人というのは閻魔様である。白い四角いものはお守。お守によって生命が延びたのである。人間の死ぬのは決っている。その時が寿命であり、それを延ばされた。信仰に入った徳により、死の型をしたのである。焼判は、閻魔様が助けてやった――死の要はないという印である。コンニャクは寿命の元かもしれない。  (S24・1・15)

卵生む夢

“私の妻が先日夢を見せて頂きました。妻が大変いきんで腹から卵を一個生みました。その卵は柔かく透き通っており、その中より松葉杖が出て参りました。妻はその松葉杖を持って、その意味を御伺ひに会長先生の御宅へ参りました処、途中は夜分にもかかはらず少しも恐くなく、伺ふことが出来ました。会長先生の御宅は現在の御宅と異り立派な平屋建で、十名程の見知らぬ信者様が居られました。卵の意味を御伺ひしましたがよくわからぬまま帰宅致しました。すると又件の卵の中より別に一個の品が出ましたが、はっきり憶えなく目が覚めました。右の夢の意味に付いて御伺ひ申し上げます。

“腹から卵を生んだといふのは、生れ代ったといふ意。松葉杖は年寄を意味し、祖父か曾祖父が生れ代った訳であるから、今後子供が出来る。  (S24・1・29)

夢判断―虫(人間転生或いは憑依、産土神使う)

“私は或る夢の中で大国主命様にお目にかかりました。私は命様に御挨拶申し上げ、立ち上ろうとしますと、命様は「手ばたきを三度しなければいけない」と申されました。其後命様はきらきらと輝く御召物にて、私に申されますには「あなた様は実に幸である」とおっしゃいました。そして私の役目を或る形式にてお見せになりました。それは美しい御召物を着、美しい弓矢を持ち、二度引く役を行うのです。その後で色々の神様が御通りになりますので、命様は御弟子様を大勢お連れになりました。それは神様を拝して戴く有難い事と私も思って居りました。命様は道に線をお引きになり「これより先に出てはいけない」とおっしゃいました。御弟子様達は先を争って線より出て、お叱りをうけて居りました。其の中にまた色々な姿の神様が御通りになり、その三、四人目に眼鏡をおかけになった女の神様が私の前を御通りになる時、手のひらに三寸位の虫をお出しになり、お見せになりました。女の神様の申されますには「虫にも赤い血があるのですよ」と申され、良く見ますと弓なりになった虫の側に赤い血が溜って居りました。それから相当長い時間がたちましたが、私の役目の美しい姿は何時になっても参りませんでした。私は心中待ち遠しくてなりませんでした。右の夢の意味に就て御伺い申し上げます。

“夢判断は、簡単な夢は正夢が多いが、複雑したのは自分で作るのが多いから判断は難しい。大国主命は出雲朝最後の当事者で、神武天皇に国土奉還した。今は霊界の役である。悪い夢でない。人間が虫に生れる事はよくあるし、虫に憑く事もある。又神様が虫を使う事もあるし憑る事もある。産土神が虫を使う事はよくある。正守護神が重大な事を知らせる時は極く簡単である。よい夢ではあるが、他の事は判断がつかぬ。

曲芸の夢

“私が歯が痛くて家族の者に御浄霊を受けましたが、仲々痛みが止りません。その中にうたた寝をし、次の様な誠に有難い夢を見ました。夢で大先生様に御浄霊を戴きました。その中に山梨の私の母の実家に大先生様がお出ましになり、私もそのお供をして参りました。大先生様が「七、八名は集るのか」と申されました。「その位は集る予定でございます」とお答へ申しました。間もなく人が集り、私が鉛筆位細い長い竹の上に背中の真中をあて、水平になり、竹が私の体を支へて居ります。その上でトンボ返りをしたり、さまざまな曲芸をして居る中に目が覚めてしまひました。歯の痛みはすっかり止って居りました。右の夢は如何なる意味が有るのでせうか。御伺ひ申し上げます。

“危い芸当をしていた。それが助かるといふ夢である。

夢お伺い(器は心の動き)

“左の夢の意味を御伺い申し上げます。

夢の一、私が大先生様の御邸へ御光り拝受に御伺い致します途中、御玉串を忘れました事に気がつき引き返して参りますと、大先生様が御呼びとめ下さいますので振り返りますと、御奥方様と御二方で此の方を御覧になって居られました。そうして私に瀬戸の模様入りの器を上げようと御出し下さいました。御思召しの有難さに恐懼、手を差し出しました。すると其の器を御引込めに成ってしまいました。

夢の二、河幅百米もあると思われます大きな河にさしかかりました。橋がかかって居りましたが、其の橋は通れそうもないひどい橋で御座いまして、横手前には数多の人が集って居りました。その中の御婆さんに「此の橋を渡るんですか」と尋ねますと、御婆さんは「どうしても此の橋を渡らなければ生きて行く事が出来ないのです」と申しました。私は単にお婆さんばかりではなく、ここに居る人達も私もどうしても此の橋を渡らなければならないと直感いたしまして真先に渡り始めました。命がけで御座いました。八分通りまで渡ったと思いますと、橋に空間が出来て居りましたものか、夢中で飛び降りて居りました。飛び降りました所は水際で御座いまして、あぶなく渡り終る事が出来ました。

夢の三、或る山道へさしかかりますと右の方約二十間位の所に沢山の蛇と、八俣大蛇二匹が恐しい形相をして辺りを見廻して居りました。恐しさのあまり私は一軒の家に飛び込みました。「こんなに沢山蛇が居るのに恐しくはないのか」と思い乍らその家の婦人に「ずいぶん沢山蛇が居ますが恐くないのですか」と尋ねました。其の婦人の答はハッキリ憶えが御座いませんが、大体割合い平気のようで御座いました。その帰路、無数の蛇が私にすれすれに接近して参ります。恐しさのあまり御観音を一心に念じました。一匹の蛇は頭を向けて飛びかかる様子を致します。親指から御光りを放射して一心に観世音菩薩と御唱え申し上げ居りましたのが何時の間にか意識せずに大光明如来様と御唱名申し上げて居りました。そうしてようやく危難を逃れました。

“一、器とは人間の心の動きである。瀬戸模様入りというのは不明である。

二、斯ういう事は危ない橋を渡る事。之からあるかも知れない。

三、蛇など恐ろしい思いをして、観音様に助けられ、光明如来様に変られた事を細かに言ったものであろう。

夢流し

“私は火事と焚火の夢を見ますと三日目に必ず雨が降ります。その事を人に話をしますと降りません。如何なる訳でございませうか。御伺ひ申し上げます。

“夢を人に話すと流れるといふ。それで好い夢は流さぬやうにするといふ。夢流しといふ事があり、夢を言って水で手を洗ふ。又獏に食はすといふ。之は逆夢で、火が水になる訳である。正守護神がやるのである。霊でも、天文が得意らしい人に話すと夢は消える事になる。

茄子夢お伺い

“関係がある。一月元日茄子の夢は大変いい夢である。無事に帰ったのはそのお報せである。大蛇。災難を受けようとした時夢でそれを見ると大難はズーッと軽くなる。全く難はない場合もある。夢で済まされるのである。

植木鉢の夢

“二十八日、御伺いの朝方家内が夢を見させて頂きました。大先生様の御庭で直径五尺位の大きな植木鉢が二個御座いまして、その鉢が全部金で輝き、鉢の縁(フチ)には龍が浮き彫りになって居ります。植木も龍の形を致して居り、根本には見た事も無い綺麗な小花が沢山咲き、家内と二人で手入れをさせて頂いて居る所へ大先生様が御出ましになり、御機嫌麗わしく、にこにこされ「徳永御苦労だった。出来上ったか」と仰言って植木を御覧になって頬笑まれ、「ああ、良く出来た」と御褒めの言葉を頂きまして頭を下げて居る内に、大先生様は御屋敷内に御帰り遊ばされました。どの様な意味の夢で御座いましょうか。

“良夢である。植木鉢二個とは何かを育てる。鉢植で育てる事。龍神が活動する。守護神であろう。花を咲かすとは今に良い事がある。

牛の夢

“牛の夢を見ると人の怨みを受けると言いますが、私の母は牛が襲ひかかった夢を最近続けて見ますが、如何でせうか。

“牛の夢はいい。私は昔、神様がよく夢を見せられた時、牛が出た。大望成る――とか言って、大きい牛ほどよい。

歯の抜けた夢

“歯の抜けた夢は家族の誰かが死ぬなどと申しますが、悪い夢で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“悪い。きっと何かある。夢の中で一番悪い。正守護神が知らせる。分りいいとみえてやる。  (S23・12・11)

荀の夢

“荀の生えた夢を見ますと非常に悪いと申しますが、如何なる訳が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“大した意味はない。夢流しといって、水の垂れる所へまじないする。(S24・3・11)

初夢

“初夢を正月二日夜と定めたのは如何なる理由からでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“(私も変だと思っている)初夢を二日とは判らぬ。元日の夢が本当である。(S24・1・18)

栗拾う夢

“或る会員婦人(三十三歳)、栗を拾って歩いて居る夢を見た翌日は必ず知人か近所の人が死亡して居ると申しますが、どの様な訳でしょうか。

“必ずしもそうではない。

蛇の夢

“私の母が最近大きな蛇の夢を見ます。何かあるでしょうか。

“これだけではちょっと判らぬ。(S24・1・25)

夢判断

“過般私の見ました夢に就きまして御伺ひ申し上げます。大先生様が私の家に御出でになりました。私と兄の前にて、私に対しまして「信仰が足りない」と仰言って目が覚めました。私の家では四人教修をいただいておりますが、兄はさ程信仰が深いとは思へません。右の夢は如何なる意味でございませうか。御伺ひ申し上げます。

“夢判断だけはしない事にしたから、その質問は受付けない。(S24・8・29)

御神体汚された夢

“私は十一月二十四日夜、去る八月シベリヤから引揚げて参りました弟の友人に酩酊の末吐瀉物で御神体を穢された夢を見ました。其の時の様子を申し上げます。私が畑の仕事から帰って来ると、其の友人が御神体を御奉斎の御座敷で休んで居りました。ふと床の間を見てびっくりしました。吐瀉物が一ぱいで、御書体の下の部分を穢されて居ります。私がサア大変な事になったと大騒ぎを致しますと、家内中飛んで参りました。其の友人も気が付き平謝りして居ります。尚よく見ますと、御神体の文字が消えて軸の中は空で、そして向って右側に鎧兜の武士が後向きに、左側に支那の絵にある仙人の様な姿をした人がこちらを向いて写って居ります。右の武士は金銀紫に眼もまばゆい程に燦然と光って居ります。丁度東京の先生も居られ、其れは大変だ早く御詫びをしなくてはと、一同で幾重にも御詫び致しますと、両側の人は段々光が薄くなり、とうとう消えてしまいました。それと同時に御神体の文字が両側からすり上げる様に光明如来とはっきり元の様になりました。先生初め一同ホッとして、これで良かったと喜び合った時にハッと眼が覚めました。如何なる訳でしょうか。

“夢に就いては答えぬ。(S24・12・3)