031 霊学編ニ 霊的現象(1)

霊と頭脳、高級霊憑依の自覚

“その人の霊は既に分って居る事でもその人の頭脳にははっきり分らない事が沢山あると思ひますが、如何でせうか。此事は高級な神仏が人間の御姿にお生まれになった場合にも言へるのでせうか。

“霊と頭脳とは、同一人間の中にあって、別々ではない。前世の事は両者とも分らぬが、信仰のおかげによれば、前生とても分る。高級の霊が自分に憑っている事も判らぬ。

血液の稀薄

“霊の物質化せる血液の稀薄せる時、各種の憑依霊が憑依するとの事でありますが、それは如何様の理由でありますか。

“霊細胞が稀薄になると、それだけ空いてる訳になる。充実してる時を十とし、五だけ充実してれば五だけ空いてる。四なら六だけ憑霊が入れる。憑霊が六となると精神病になる。

霊憑依と血液

“血が少くなると補充する意味で霊が憑り易い。祝詞を出来るだけ奏げる。すると又よくなる。(S23・10・16)

憑依霊の種々相、(副霊同志争う時の人間の状態) 

“憑依霊は副霊の働きの強い時に憑依するでしょうか。又憑依する霊は先祖に関係あるでしょうか。 

“副霊が憑いている肉体へ別の副霊が憑くべく入ろうとして争う事がある。其際、憑依霊同志が戦うので、人間の方はクラクラしたり煩悶状態になるものである。そして前住の副霊が後入より弱い時は、後の霊が勝つ事があるが、それは一時的で、長い間にはやはり先住の副霊が勝つのである。先に墓地に接近すると必ず病床に寝る人があったが、之は死霊が憑くのである。又ある松の下を通ると必ず死にたくなる一所があった。之も縊死の死霊がつくのである。狐などは臨時に憑いて人を殺したり悪事をさせたりする事が多いのである。そういう事のうまい程、彼等の仲間で巾がきくのである。祖霊は人間に何かを伝える時など大抵は狐に委託するものである。

天才絵かき

“天才的子供で四歳から盛んに立派な絵を描き、絵さえ描かせて居れば気嫌よくして居ります。こうした子供はそのままその才能を伸ばさせても宜しいもので御座いましょうか。十で神童云々の諺も御座いますので、あまり早期教育はせぬ方がよいとも存ぜられますが、如何なもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“好きなだけやらしてよい。絵を描きたくて仕様がないので、自分の系統の子に憑いてその子の手を使ってやる。描かせてやれば天才的に素晴しくなるのがある。雪舟などもそうで、狩野では一番うまい。天才は憑ったり、生れ代ったりしたものである。  (S25・1・21)

御参拝で感極まる

“度々御参詣にあがりますが、今日御神前に座りましたら感極まり涙がとめどなく出ますが、如何なるわけでしょうか。

“此人に霊が憑ってる。普通祖霊である。その外稲荷―人間が狐になったものである。そういうものが非常に喜ぶ。長い間求めていたものに出くわした。その嬉しくて堪らないものが涙となる。人間が求めるより霊が求める方が強い。(S24・1・15)

自意識ある憑霊

“最近、患者の憑霊現象は、全然無我になる事無く、霊の言った事した事を皆よく自分で憶えていますが、如何なる訳でしょう。

“全部は占領せぬ。七分まで。三分は人間意識がある。霊がいくらか弱った訳である。(S24・9・3)

突如歯ガチガチす

“私が今度郷里を出発して御面会に上る日の昼頃でした。突然歯がガチガチしてとても御参りに上れないかと思いましたが、光明如来様に御祈りして楽にさせて戴きました。私の悪因縁は如何にしたら切れるのでしょうか。御教え願います。

“救ってもらいたい霊が憑くので結構である。長く続かぬから心配はない。

祝詞奏上時寒気す

“二十五歳の女の人ですが御浄霊によりまして蛇の霊や狐霊が解決したので御座居ますが、善言讃詞をお奏げして禽獣虫魚のところまで奏げますとゾッとする寒気を感じるそうで御座居ます。如何なる訳で御座居ましょうか。御伺い申し上げます。

“この時霊が身体に憑るのである。よく祝詞を奏げる時、ここへ入る前にゾッとする事がある。之は祖霊が憑るのである。  (S24・6・2)

讃詞奏上・白煙昇り頭髪分れる

“或六十七歳の女の信者さんで御座いますが、善言讃詞をお唱え致しますと白い煙が頭から出まして、風がないのに毛が分かれてしまいます。これが三晩続いたそうでございます。何か霊的に意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“意味がある。善言讃詞を聞きたい為に霊が憑るのである。上の方の祖霊である。祖先の中で、昔身分によりそのように髪の毛を分けた人があったものである。(S24・5・12)

祝詞奏上時咳止らず(木龍と祝詞言霊)

“或入信者(結核)、仏壇の前に座し善言讃詞を奏上致すと必ず咳が引続き出て止まらないそうで、当家は死に絶えた家の後に建築致したもので、本人の父が生前建築、引越して現在に至ったとの事。如何なる訳でしょうか。

“霊が憑っている。善言讃詞を聞きたいが、言霊では耳に聞えぬ。木龍などは特に聞えぬ。然し人によって聞える。身魂が磨けると、その人の言霊は強いから聞えるのである。

祝詞奏上時胸圧迫感

“朝晩善言讃詞を称え奉る毎に急に胸を押しつけられるように苦しくなり、自分で霊気を送ると忽ち楽になります。如何なる訳でしょうか。御教示下さい。

“未だ救われぬ霊が善言讃詞を聞きたいのである。子供の霊が胸へ抱かれてくるのか、或いは胸が苦しくて死んだ霊である。霊界で正守護神が  子供を助けたい為に伴れて来たものである。

祝詞で肩重くなる、浄霊で落涙(龍神と祖霊)

“一家全部入信致し御神体もお祀りさせて頂き集会所を提供されて居ります熱心な信者の家の妻女で小川和己と申す者で御座いますが、最近霊憑りらしい状態となり、大変体が衰弱して参りました。祝詞、善言讃詞を奏上致しますと肩が重くなり、御浄霊致しますと嬉しくて涙がこぼれ、或時は延髄を御浄霊致しますと左手がしびれ、或時は前額部が痛くて御浄霊致しますと腹部が痛くなり、腹部を御浄霊すると前額部が痛くなります。如何につらくても集会所で御浄霊を頂かうと出掛けますとその途中でスーッと楽になります。又夜半遅くまで眠らずに家の者に集会所でお聞きした明主様の御教へをお話して、夜昼転換も迫っているのにこの様な状態でどうする、もっと真剣になる様にと半ば霊憑りの様になって訴へ、又特につらい時、仏壇に善言讃詞を奏げてほしいと家の者に頼みその様にして貰ひますと楽になり、又死ぬ様な気がしてならなくなる時も御座います。尚三年前に死亡致しました長女の墓が未だ墓標のままになって居ります。又昨年暮の或朝起きる直前に夢で仏壇より大きな鱗を持った太い松の木の様なものが生え出ているのを二度も見た事が御座いました。これは如何なる訳で、又どの様にさせて頂きましたら宜しう御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“之は祖霊と龍神と両方で、何か目的がある。早く救はれたいのであらう。龍神は早く人間に生れ代りたいのである。出来るだけ神様の本や、祝詞を奏げてやるとよい。(S25・5・12)

(無  題)

“閻魔大王様は必要な時まで蔵っておく。出世大神は大国主尊で、国常立尊は現在現界で御活躍になっている。

教修会開いて浄化

“藤井としゑと申す信者(五十一歳、未亡人)、昨年五月十日に本人主催で教修会を開かせて頂きました。その夜から御浄化を頂き、七月中頃に床を離れましたが、十一月二十日の夜、震ひが来て下腹部が脹り、食欲進まず、其の後現在迄一週間に一度か二度位震ひが起り、この頃では肋膜の所が痛み、一時呼吸が止る場合もあります。御浄霊を一時間位致しますと盗汗が一晩中出ます。御浄霊中は痛みが止る場合と激痛の場合と御座います。御浄霊は一日二回位させて頂いて居ります。娘が肺病と腸結核とで二人死亡しておりますが、娘の病気の所が痛みます。何か関係があるもので御座いませうか。お伺ひ申し上げます。尚本人は生家を恋しがり、生家(栗山家)へ帰れば食欲は進み、体の心地も宜しう御座います。生家も本人宅も御屏風観音様をお祀りさせて頂いて居ります。

“教修会を開いた事により霊が救はれる事を知って、早く救はれたくて憑いた。生家へ行きたくて行けないのである。  (S25・4・21)

布教中は霊的発作せず

“一、長い間の霊的御浄化をお救ひ頂き、此の道に御使ひさせて頂いて参りました。霊的御浄化も一ケ年に一度か二度程度の発作で済み、布教に支障なく過させて頂き、誠に有難く厚く御礼申し上げます。本年正月より霊的御浄化が一週間に二回位に強くなり、茨城及び千葉、栃木等の出張先で夜中、霊的発作が頻繁に起き、呼吸逼迫致し、苦しみますが、五分位で良くなります。

二、発作が起きますと、非常に水がほしくなります。又胃の中に生き物が居る様に思はれてなりません。

“やはり必要の憑依である。(S24・1・28)

教会参拝時息苦し(狐か)

“二十歳になる女子(教修生)、カリエスにて毎日御浄霊をいただいておりますが、教導所へ伺ふべく仕度をし始めますと息づかひが荒く悪寒が来ます。御浄霊を終り帰宅しますとすぐに治ります。私の教導所の入口には家主さんの家の稲荷が祀ってございますが、関係がございませうか。

“稲荷が嫌がるのかもしれぬ。近所へ来られると間違った事が出来ぬ事になる。改心しない訳にはゆかなくなるから、浄霊を受けたい場合、人に憑る。稲荷は邪魔する。然し、教導所の入口なら邪魔とばかりいへぬ。稲荷が浄霊してもらひたいといふ点もある。

龍神による難聴

“一家全部(五名)教修を頂き、御神体の御軸、御屏風観音様をお祀りさせて頂いて居ります信者の主人(六十五歳)が、最近両耳共に遠くなりました。此の家で昭和十二年に十年程経つ池を埋めました。右の御浄化はその池と何か関係がございましょうか。

“龍神が助けてもらいたいのである。光明如来様に向い、又は自分に向って祝詞を奏げる。そして早く救われるよう御願いする。(S24・12・18)

悪寒移動(浄霊中)

“三十四歳の女、御浄霊を致して居りますと冷水をかけられた様な状態が身体中を転々と動くのですが、話によれば氏神様(明神様)の立木を伐って使ったとの事、尚立木を伐ったのは氏子三十七軒全部なのですが、此の女の家が総代になって居るとのことです。又その祖母は人を呪ったりして苦しめた人なのだそうです。右は如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“立木に憑いた龍神が救われたい為、浄霊するとそこへ憑って来たのである。寒いのは死霊で、動くのは龍神である。火龍は熱く、水龍は冷い。悪い意味ではない。(S25・3・18)

龍憑依・食欲無くなる

“私は一年程前に蛇が左足より腹に入った夢を見ました。其の当時少ひ気分が悪かったのですが、それ以来特にお腹が重く、身体中がだるくなり、四ケ月程お医者にかかりましたが貧血だと言うので寝て居りました。其の後浄霊の御蔭で今は大変よくなり、御蔭様で動ける様になりましたが、今でも時々ひどく身体がだるくなり、食欲がなくなります。此の時思い切って食事を戴きますとやがて治って了いますが、不思議でなりません。如何なる理由でありましょうか。御伺い致します。

“この宗教で助かりたい為この人の体へ入り、その人の体を使って働きたいので、この龍神が入信するようにしたものである。 (S24・8・9)

浄化後骨なしとなった子(浄霊求む)

“二歳の子供、先月末頃脱腸、一日二晩苦しみ、御浄霊でよくなりましたが、それから夜になると毎晩物凄い声で泣き出し、一晩中家人が眠れぬ有様で、一生懸命御浄霊を致しましたら大変よくなりましたが、其の御浄化後どうした事か全身骨無になってしまったように首も足もしゃんとしなくなりました。これは霊がかかったのでしょうか。何卒御教示御願い申し上げます。

“痛いのである。霊は龍神である。治る。龍神自体が御浄霊を戴きたい、助かりたいので子に憑った。祝詞と浄霊。幽世大神にお願いする。  (S24・7・23)

怒りっぽく水飲む霊

“半身不随で半年程寝て居た祖母が御浄霊に依って治して戴けました。今迄非常に怒りっぽい性質で、家中が曇って居りましたが、治ってからはとてものんびりした性質になり、家中が明るくなりました。所が最近月例祭をして戴くようになったら、その前後二、三日位ですが、また怒り出す様になり、その上水を沢山飲む様になりました。霊的でしょうか。

“龍神で救われないのがいて、祖母さんに、救われたい為に憑った。浄霊していると治る。霊界の時期が切迫しているので、救われたい霊が随分憑ってくる。

観音様を祭るべきを告ぐる龍神と岩谷堂町

“岩手県和賀郡更木村の沢田太利右ヱ門(十九歳)と申す熱心な信者、此の度祖父の霊及び前世の因縁ある霊が憑り、岩谷堂町の資産家・中善と申す家の井戸に龍神となって居り、此の度同家の倉に古くより安置されている百観音様の使命を受け、岩谷堂は日本の扉であり、扉を開くには先ず私及び鎌田師の両人で右観音様に善言讃詞を水の因縁の日に六十回奏上し、そして中善の主人にお道の話をさせて頂けば必ず判る。又、町の人々に告げて、右観音様を同町旧城趾に観音様の縁者にて堂宇を建てて祭ればよい。此の事を知らせに憑った。此の通りにして頂かねば此の肉体より離れる事が出来ず、遂には此の肉体がもたないから、早く御参詣して頂きたいと何度も同じ事を繰り返して申して居ります。尚、右観音像は四十年前気仙郡の或家にお祭りしてあったものを、先代が譲り受け、爾来一般には秘密に致し、昨年九月色々暗示があったので初めて御開帳しましたが、平常は参詣を禁じて居るもので、如何したら宜しいでしょうか。尚、前の所有者の家は癩病で絶えて居ます。

“これは本当である。この通りにしていい。岩谷堂は重要な所である。

岩手開拓と金龍神(龍神憑依して霊示)

“先般御教へ頂きました岩手県岩谷堂町に関し、其の後沢田さんに十三の龍神が次々と憑り、岩手の戸を開く為龍神界の龍神が神様から許された此の肉体の霊感を通して開拓地方と其の方法を知らせると申し、目下四方八方へ活動致して居ります。去る十六日土沢教導所にて沢田さんの霊眼に金色の龍神が写り、其のお姿は全身桜の花の様な模様が金色に輝き、眼や金色の光があり、何とも言ひ表はし様のない美しさと申して居りました。其の翌日龍神が憑り、十六日に沢田の霊眼に写ったのは金龍神で、此の度当地方に金龍神が来られ釜石、気仙より海岸を一廻りされるにつき、龍神界の龍神がお供をする。而して沢田の肉体を海岸地方へやれ、開く道を教へるからと申しましたが、右の事は真実で御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。尚、霊が憑ります時は本人は全然自己意識が無く、眼を閉じたまま人払ひの後紙に蛇の様な字体で書きます。全然口は利きません。そして常識的で御座います。

“本当のものである。此通りやった方がよい。金色の龍は伊都能売神が差図して一遍はやられる。(S25・5・2)

神憑りで語る

“治る。気長に浄霊する。神様と話が出来るのは神様でなく、祖霊と狐などと合併している。天津祝詞をよく奏げてやる。(やはり)馬頭観音であろう。先祖の誰かが信仰していたものである。龍神である。祖先の中で龍神になっているのが知らした。喜んで礼に来た。(S23・8・7)

観音様の御分身(祖霊)

“私(四十四歳)、昨年九月受光、母(六十三歳)、本月八日受光、妻、昨年九月受光、長男(二十二歳)も御光を頂いて居ります。本月七日夜八時頃長男が母及び長女を浄霊いたして居りました処、突然母が右の手がふるえて仕方がないと言うが早いか両手を合せて頭の上に上げて、息ざしが苦しそうになりました。それから直ちに両手を下げて礼拝する形になり、段々畳の上を這い乍ら仏壇の前に行きますので、長男と私、妻と三人で盛んに浄霊をさせて頂きまして、最後に私が母に向い「あなたはどなたですか」と尋ねますと「お前等は何を信仰して居る」と言いますので、私も一寸不安な気持で黙って居りましたが、又一度「仏様ですか、神様ですか」と尋ねますと「俺は神だ」と言うと段々母も己に還り、不思議な顔をして私達を見つめて居りましたので、母に聞いて見ましたら、己の傍に観音様が三人居たと言いました。其の時母は眼が赤くなって泣いた様子が見えました。之は如何なる神様で御座いましょうか。御伺いいたします。

“神にも八百万ある。観音様も御分霊で、分れて沢山ある場合もあるが、大抵お一人のもので、三人とはおかしい。一人でなくてはならぬ。観音様にみえたものであろうと思う。錯覚であろう。大抵祖先である。天国へ出世した霊であり、信仰を勧める為に疑いをもってる人などに見せる場合がある。今少し様子をみる。外に神様に用があったのかもしれない。ただ、悪い事ではない。  (S24・2・15)

母親の霊ついた病人(守護霊)

“先日三十四歳になる女の人を浄霊致しました所、左の様な事を言いました。「私は此の子供(三十四歳の女)の母親で、今年八十二歳になりますが、此の子が可愛いので何とか長生きさせたい為について居ります。何とか此の子供を御救い下さい」と。又次に「私は弘法大師であります。此の子供の母親は非常に信仰家である為に、なんとか此の子を守り度い為に約十二年前に丸い玉をお腹の中に入れました。此の子も知っておる筈だ。(女の人に聞きましたら知って居ると言いました)」と言いました。八十二歳の母親は生きて居ります。此の場合は生霊でしょうか、狐霊でしょうか。又、此の場合の浄霊方法を御教え願います。尚、弘法大師は現在如何に御働きでしょうか。又、丸い玉とは如何なる作用を致しましょうか。三十四歳の女の人は時々神憑りになるそうです。右、お伺い申し上げます。

“母親に憑いてる守護霊で、母親の代りをやっている。弘法大師は怪しい。代理である。昔信仰した為のおかげである。丸い玉は霊である。霊というものは始終丸い玉になるものである。であるから、弘法の眷族である。山にいると狼などが眷族になって働くものである。それだけの守護されているから結構である。  (S24・8・15)

大日如来と観音様、殿様の霊

“従来大日如来様を御本尊として祀ってある家庭で屏風観音様をお迎へ申しました処、祖霊が出て参りまして、大日如来様と観音様とは同格だと申し、実はその家庭は以前代々家老職を務め、殿様が来られた家柄なので、死後も殿様の霊がその部屋に留って居ると申しまして、然もその部屋は霊界が高いから、家族の者の入ることをも猛烈に反対拒否し、朝一回のお参りだけを許すと申します。如何なる訳で御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“大日如来は天照大神様、観音様は日の弥勒であるから構はぬ。同格でも構はぬ。封建時代は殿様を偉くしやうとして種々言ふ。殿様の霊は高い霊界とは言へぬ。地獄へ行くのも沢山ある。それは殿様を崇め奉らうといふ意味から言っている。然し斯んな事はない。殿様の霊が居れば続けて祀ってもよい。その部屋に居るとすれば、部屋全体が仏壇みたいになっている。それより、仏壇に戒名をつけて祀った方が仏らしくて、反って喜ぶ。ただ、普通の出入りをしてもよい。それをいけないといふのは嘘である。

“大日如来様は軸になっていますが、神霊は宿られているでせうか。

“その家の人の想念による。御神体を書く程の人は相当の修行をしており、普通の人とは違ふ。然しその為に狭くなるなどの場合は大日如来は撤去してよい。その人が大日如来より観音様の方が良いと思へば、大日如来は撤去してよい。(S23・8・21)

後事頼む神官霊

“四十二、三歳の男子(前職歯科医)、疎開して旧神官の家に住むようになってからの事ですが、昨年十一月突然口中や手足がしびれて中風状態になり、爾来夢にも現にも時々神憑りとなり、  神官の霊が次の様な事を申すそうであります。「此の御宮(附近に現存して居ります)を護って貰いたい。祭神は鎌倉八幡の別宮にて武内宿弥、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后の四柱であり、幣帛は直接宮内省にて受けて居た。其後氏子等も作り祭事を行なわんとしたが、不幸、自分が死んだので後を頼む」註━此の御宮は今より三年前に鎌倉より移祀した由。そして此の病人を他の神官が御祓いすると非常に苦しがります。又神官の霊も御祓いを近付けてはいかんと言うそうです。

右に就いて、 

(イ)此の病人は未だ御光を戴いて居りませんが、如何にしたら救われるでしょうか。

(ロ)霊が御祓いを嫌うのと病人が苦しがるのは執着の為でありましょうか。或いは又神様の思召で神官の霊を動かして居られるのでしょうか。

(ハ)此の病人の浄霊法を御伺い致します。

“神官が希望があって、行く所へ行けないんで、此の人を選んで知らした。霊の希望の通りしてやるといい。霊はお礼をしなければならぬ。という事は守護してる事で、事情が許せば希望通りしてやるといい。後を頼むというのは四柱の神格者をお守する事を希望する。誰か神官的な人を探して頼むといい。それも具合が悪ければ四柱の祭神を自分の家の床の間へ、台の上に安置して、後ろへ光明如来様のお軸をかける。その方がよい。憑いてる霊が上であるから、下の者からやられる(お払い)と苦しい、気持がわるい。上ほど光がある。下の霊だと曇りがあるから汚れるので気持がわるい。神官が御光を頂かなくてはならぬ。ズーッと早く救われる。浄霊は前頭の奥を一番沢山する。

時宗の霊

“六月二十日、増田イトさん(信者)を御浄霊させて戴きました処、霊憑りとなりまして、伊達家先祖代々と北條時宗の御位牌をお祀りして下さいと申しました。伊達家の方は因縁が分りましたので早速お祀りさせて戴きましたが、北條時宗の方は解りませんのでお祀り致しませんでした処、又霊憑りとなりまして「早く早く北條時宗のお位牌を祀って下さい」、「貴方は此の肉体と因縁がありますか」と尋ねました処「大先生様がよく御存知です」と申し、お位牌をお祀りして呉れればうんとうんと働きますと強く申します。「貴方は本当に北條時宗ですか」と聞きました処「そうです」と強く頷きました。伊達家の位牌を祀りまして苦しみが大分楽になり、御礼に出て参りましたが、尚時宗を祀って欲しいと申し依然として憑霊状態は治りません。(昨年四月頃も霊が浮きまして、時宗々々と申しましたが、その儘で現在に至ったので御座居ます)時宗をお祀りした方が宜敷う御座居ましょうか。

“本当に時宗の霊である。無論早く祀った方がよい。霊に、神仏何れかの希望を聞く。(S24・7・2)

武将の霊界状態を語る霊

“私は広島県三原市へ布教に行って居ります。私が現在世話になって居る家は私の光明如来様を御祭りしてあり、その家に精神病の娘(二十三歳)があります。母親は入信して居ります。或る日以前にその母親が信仰して居た阿弥陀様の行者が突然にやって来て、御経を唱へて居る中に急にその娘に霊が憑り、遂に私と一問一答をやってしまひました。以下その大要を申し上げます。問「貴方は此方へ来れば余計地獄に落ちるのに何故かかって来ましたか」答「判って居ります。早く地獄から救はれたい為です」問「何年前の御先祖で名は何と言ひます」答「此の家の三千六百年前の先祖で、名はげどうと言ひます」問「その当時の年号、国の状態又日本を治める人の名は……」答「年号無く、統一して居る人はありません。私は五十人程の部将で、私のやうなものがあちこちに居りました。その部下を皆殺しにした罪によって部下よりひどい地獄に落ちました。どうか私を祀って、南無阿弥陀仏の六字を唱へて欲しい」私は「貴方は地獄に居られるから今霊界で一番偉い神様を御存知ないのである」と種々観音様の事を話しますと、「善言讃詞でいいから是非奏げてほしい」と申します故、「大先生にお伺ひしてからいいようにしてあげる」と申しますと、「お願ひします」と言って帰りました。右は事実御先祖でせうか。又、如何にしたら此の先祖を御救ひ出来ませうか。尚此の家の娘は私が初めて参りました頃はおとなしかったのですが、最近は釜や鍋をブチ壊す等乱暴をする様になりました。娘は三ケ月程浄霊して居りますが捗々しくありません。今後如何様にさせて戴いたら御救ひさせて貰へるでせうか。御伺ひ申し上げます。

“之は本当らしい。霊界で一番長いのは六千年である。当時統治者も年号もなかった。五十人の部将では最低地獄、根底の国である。祝詞を奏げてやる。精神病は浄霊すると暴れる。それから治ってくる。右延髄に塊があり圧迫する。天津祝詞だけでいい。  (S24・10・26)

宣教使霊ザビエルの腕に就き明主様へ奏上を乞う

“松橋美恵に憑依せるドイツ人の宣教師の霊が、三月二十一日、申すには「マリア様より宣教師に御指示があり、左の事につき明主様に御開示をお願い申し上げて戴き度いとの事でした。ザビエルの左腕を主の大神様に御捧げして頂き度い。 左腕は現界の人には知られて居ないが長崎の大浦の天主堂にあります。此の事が地上天国建設に深い関係があり、明主様に御報告申し上げますと、東方の主の大神様より明主様の御腹中の光の玉へ総ての御伝達があります、と申します。この御報告を申し上げるという事はかくの如き眼に見えざる神様の御経綸が行われる事を現界の人々に知らせ、神の実在、霊界の実在を信じない人々の眼を覚すのが目的でこの様な事を知らせるのだそうで、最近このドイツ人の霊は明主様の特別のお許しを頂きました由で、日本語ですらすらと話を如何なる事でも聞く様にと申します。憑霊中は身体が熱いそうで、又最近特別なお光を戴き、此の肉体を浄めると申し、憑霊状態で夜もあまり休まずに御神前で自分の身体を御浄霊して居りました所、二十八日夜、明主様の御分霊と申す龍神がかかり、明主様の特別な御仁慈により千葉県市川市六反田に住む者(受教中)二名憑依せる龍神を昇天消滅させると申し、種々の動作をしましたが、その御浄霊其の他の動作が奇異に感ぜられました。此の霊が憑依する時には頭が燃える様に熱く、  身体は厳粛な感を覚えるそうです。その他色々不思議で腑に落ちぬ事もありますが、宣教師の霊は、この肉体には神様の御経綸が行われて居ると申します。今後如何扱ったら宜しいでしょうか。

“右腕に左腕が一緒だなどいっても誰も承知しないから不可能である。霊は現界の事が判らぬので勝手な事をいうから、いい加減にしておけばいい。霊界へ行くと肉体の事を無視する。分霊といっても、伊都能売金龍の家来である。も少し此儘にして続けておく。だんだん極る所へ決ってハッキリする。或段階へ行く経路であるから、その都度お知らせすればよい。

外人霊憑依

“昨年九月入信の未亡人、右乳に拳大以上の腫脹があり、固く、真中は赤くなって居ります。御浄霊にて排膿もせず小さくなりました。以前より憑霊現象は御座いましたが、本月十八日突然霊が浮き、祝詞、善言讃詞をお奏げ致しました処、ノーノーと大変嫌います。他には口をききませんが、こちらの問いには態度で答えます。それによりますと、この肉体に関係ある人に依りフィリッピンかジャワで殺された為帰る事の出来ない米人らしいという事が判明致しました。祀って欲しいと申しますので、上位と書き幽世大神様にお願い申し上げ、御神前に祀って差上げました。然し離れてはいない様で御座います。尚、本人の申しますには、無我の状態に入る前ピストルの弾が三発胸に射込まれた様な感じがしたそうで御座います。本人はこの霊の言う様な心当りはないそうで御座いますが、如何致しましたら宜敷う御座いましょうか。同家では母、嫂、弟と四人入信致して居りますが、夫をはじめその兄弟四人まで結核で死亡し、現在長兄も臥床中、亡夫との間に出来ました四歳になる男の子は脊髄、三歳の男の子は胸骨の下端がラッパ型に凹んで居り嘔吐がとても激しゅう御座います。之に就いては祖父が、ハワイで宮島の三鬼神を祭って居りましたが、死後祭る人がなくなった為、三鬼神がひとりでに帰って参りまして、男子七人までは殺すと言って居るそうで御座います。三鬼神と前記の霊及び現在の病気に何か霊的関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“三鬼神が何か怨んでいる。米人の霊はピストルで殺した人が此家の祖霊の一人で、三発射ち込まれたのは事実に違いない。関係がなければそんな事はない。一人でも多くの人を助ける。その徳により霊の曇りが減る。光ってくるとどうする事も出来なくなる。他の信仰では力が足りぬから斯うはゆかぬ。(S24・8・21)

バラモン霊憑り

“私は現在茨城県下舘で行商を致して居りまして、行商しながら観音様の御話をさせて戴いて居りますが、最近出会った事で御座いますが、七十一歳の爺さん(信者では御座いません)、自分の本霊は天帝で副霊は八岐大蛇と狐霊で、龍神は腹に、狐霊は肩に居ると申しまして、最近では天からの光が段々薄くなった為副霊が暴れて大変苦しいけれども、自分には抑える力が無くなり、苦しみの余り短刀等突きさして一時鎮静させる事もありまして、其の為狂人にされた事もあるそうで御座いまして、本霊の言葉として、人類の一大危機の迫って居る事をおぼろげながら悟って居り、それは「ピテレスパラス、シドロトナルヤ、ヨハフケシヅム、シットロットドドド、テデフルワイナ、チチフルワイナ、ピテレスパラス……」と申すそうで御座います。それでこの言葉を解明出来る方に逢い度いと申して居りますが、最後の変な言葉は単に狐霊の戯れ言で御座いましょうか。それ共何か多少意味のあるもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“バラモン行者の霊であろう。行者や信者は日本へ来ている。変な所もあるが、そうでない事もある。

母のみに反抗する子

“私が御導き申し上げたいと思って居ります或る家庭の十九歳になる男子(健康体)、他人に対しては大人しく何とも致しませんが、家人、特に母親に対して当りちらします。ガラスを毀したり皿を投げたり何でも手当り次第に乱暴致しますが、理解力もあり、仏壇やお墓参りもよくします。(尚その人の兄もその通りで、お金を沢山使った上毒死して間もない家庭です)如何なる訳で御座いましょうか。又御導き致すにはどの様に致したら宜敷いでしょうか。

“母親に対し反感をもっている霊――祖霊であろう。母に罪あり、本人より母が徳積めば苦しめられぬようになる。霊的向上である。苦しむ事により己が罪が減る。相手に感謝すべきである。「汝の敵を愛せよ」というが、そこまでゆけば人間は磨けたのである。祖霊である。祖霊の中に一人一人気に入らぬ事がある、母に対し反感をもってる霊で、査べれば母に必ず思い当る事がある。本人を治すより母自体が徳を積む。すると母に力が出て、母を苦しめるような事はなくなる。苦しめられるのもその理由がある。霊的に向上すればひとりでに治る。結局どんな事も自分にある。すると人を怨む事もなくなる。苦しむ事によって自分の罪がなくなる。然し本当からいうと苦しめる人に感謝すべきだが、なかなか出来ない。キリストの「汝の敵を愛せよ」の精神もこれである。磔の時キリストは祈っていた。隣の泥棒が何かときくと、磔にする人の救いを祈っていたという。(S24・6・26)

父のみに狂暴な子

“長男(二十七歳、先妻の子)の病的原因と其の対策に就て御伺ひ申し上げます。十六歳頃より怠惰、狂暴性、吝嗇、短気等が著しくなり、他人には大した事はなくむしろ親切なのですが、特に私に対してのみ右の行為を強く示します。尚養父母、先妻等は変死や肺結核死、中風死等で霊的にも関係あるやうに思はれます。右、御教示御願ひ申し上げます。

“父を怨んでる霊で、父の罪が大いにあるから、息子に関係はない。父が徳を積むべきである。(S24・7・9)

対話出来ぬ父子の因縁

“六十二歳の父、三十三歳の長男、一家に住み乍ら直接にはどうしても話が出来ず、母を仲介者として何事も話します由。而も父子共愛情はあります。右は如何なる因縁に依るので御座いませうか。又、お導きさせて頂くにはどの様に致したら宜敷いでせうか。御教示下さい。因みに、その家では他家に嫁いだ娘が入信致して居ります。

“霊的で、全然父子としての親しみのない霊が一方に憑いている。又、父と仲の悪かった霊が息子に憑ったか、前の世で非常に身分が違ふ為直接話が出来なかった関係にあったかである。入信すれば御守護により自然に治る。  (S24・10・28)

父不在に笑わぬ子

“一信者で御座いますが、三歳の女子、昼間の中は何ら変った事もなく、夜分になりますと主人が留守の場合、母親の側に居ても膝へも来ず、笑いもしないでむっつりして居ります。霊的に如何なるわけで御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“主人と子供と霊的関係がある。霊が憂鬱になるのである。父の亡親の霊か何か憑いているのであろう。大した事でない。(淋しがる)(S24・2・9)

婿と共に在ると痛む

“教導所として居る家で本年九月娘に婿を取りました。先月二十日の朝より母親(継母米山せい、三十五歳)が肝臓の御浄化を戴きました。毎日婿が帰宅頃になりますと気分が悪くなり、肝臓が痛み出して参り、婿が家に居る間痛みが激しく、浄霊を致しても少しも痛みが取れません。婿が出勤すると治るのでございます。何か霊的な関係がございませうか。御伺ひ申し上げます。

“婿に憑いてる霊が怖いのである。(S24・12・18)

前妻と同一症状の妻の解決

“五十六歳の婦人(橋本キク)は七年前より徐々に手足が不自由になり、手の上げ下ろしや立ち坐りに時間がかかり、足がよろけ易いのです。言語やや不明瞭で、目もかすみます。一ケ月前入信以来動作はやや軽快になり、浄霊直後は目もはっきり致します。此の人は未亡人ですが三人目の後妻でありまして、前妻二人共此の人と同じ様な病気で死亡して居ります。此の病気は霊的でせうか。現在の家は数年前に買ったもので、以前の持主が近所に住んで居り、この家に執着を持って居るのが病気の原因でないかと気に病んで居ります。右の原因と浄霊法を御伺い致します。

“霊的関係がある。浄霊すれば治る。光明如来様をお祭りすれば消える。そうすればそんな霊は来れなくなる。 (S24・11・18)

先妻と同症の後妻

“三十五歳の婦人の信者、後妻に嫁ぎました。先妻は心臓及び腎臓病にて死亡致して居ります。子供が一人出来ましたが、その後先妻同様の病態となりました。家族の者はお道の話がわからず、医者よ薬よと申しますので、止むなく離縁致し、実家に帰りまして信仰を続け、二ケ年になりますが同じ状態で御座います。霊的の様に思われますが、離縁しても霊は来るもので御座いましょうか。

“霊の執着である。(S25・3・1)

憑霊による病苦(兄の霊)

“私の娘(十九歳)、本月十八日の例祭の夜突然意識不明になり、無意識の中に両手で頭髪、枕等頭の近くにあるものを掻きむしり、熱は平熱に下りました。先生の浄霊を受けてから其の症状は二日位でよくなり、一定時間意識を取り戻す様になりましたが、其の後は意識のある時無い時に拘らず非常に物におびえる様になり、熱は延髄附近に少々出て参りました。尚、意識の有る時は腎臓部の痛み足部の倦怠感を訴へます。如何なる原因で御座いませうか。因みに本人の祖母は喘息、兄は腎臓結核にて腎臓を剔出し、もがき苦しみ六年前に死にました。斯うした霊とも関係が御座いますでせうか。又あるとすれば如何様に致したら宜敷いでせうか。御教示を御願ひ申し上げます。

“兄の霊。天津祝詞、善言讃詞、御讃歌を奏げてやる。すると段々よくなる。(S24・7・27)

母霊と娘の病気(出血、命日に泣く)

“信者河合ふく(十七歳)、昨年十月より出血いたし、初めは月のものと思っておりました。量も多く日も長く、下腹部に激痛を起し、その状態が二十日位続きました。又、十二月と一月末より同じ状態が続きました。その度毎にいくらか軽くなって来ました。二月二十六日頃母の言葉で、父方の母親が産後亡くなって居るとの事で、母の位牌が祀ってなかったので、三日の日が命日に当り早速お祀りをいたしました。その時二時間位前より本人は何が何だかわかりませんがしきりと泣きたがり、五時間位泣いておりました。その後起きられる様になりましたが、微熱が続いて居ります。学校の方より欠席届を出す様やかましく言われ、昨六日医師の診断書必要につき診断を受けました所、慢性気管支炎との事です。当家では御神体を御祀りさせて頂いて居ります。何か霊的な事が御座いましょうか。

“母の霊関係がある。

兄の写真嫌ふ霊

“蛇の霊である。(関係がある)も一人祀ってもらはない霊との為である。兄だけ祀って自分を祀ってもらへぬ故、兄の写真を嫌ふのである。弁天様は月に一回位お祀りしなくてはいけない。(S  ・11・25)

頭重後苦しむ(夫の霊)

“本年三十七歳の女、十四、五年前夫に先立たれ、或家に後妻として嫁ぎました。それより頭が大変重くなり、時折気持が変になります。その状態は「苦しい苦しい」と言います。そうして「お山へ帰る」等と申し、浄霊を致しますと頭の頂点と胃の上部が痛み、呼吸が止るかと思う程苦しみます。変った所は先妻の怨みや狐霊のいたずら、又先夫の死霊の様にも見受けられますが、如何なものでしょうか。浄霊はどの様にすればよろしいでしょう。又浄霊をすれば必ず発作するのは如何なる訳でしょうか。

“之は夫の霊と思う。人霊に狐霊が憑いて憑依する場合もある。死霊が憑ると、死の時の状態をするものである。頭の重くなった時、祝詞を奏げるとか、信仰雑話を読むといい。祝詞や御讃歌を出来るだけ奏げれば霊も段々判って来て、離れ易くなるのである。

出血と菜食(親密霊、祀り方による憑依)

“本年四十歳の女性会員、光明如来を御祭りし、尚受光以来二年間一日として欠かす事なく熱心に浄霊を受けて居りますが、排便の都度出血多量で貧血を起します。如何なる理由でありましょうか。尚、昭和二十二年八月、その人の幼児の乳母が独居して居りましたが、突然死去し、それを隣人も知らずに二日間そのままになってあったそうです。三日目にその人の御通夜に参列した夜、就寝中に非常に重いもので身体を押付けられ、声も出なくなりました。苦しいその夜の出来事以来病状も一段と悪化して、停頓の状態です。霊的の関係がある様ですが、如何にしたら救われましょうか。

“出血を止めるとか、減らすには菜食した方がよい。すると出血は減る。菜食は血の収縮力を強める。菜食の血は収縮力がある。昔切腹などして血が出ぬ――喋ったりするのは、肉が縮まるからである。外人には出来ない。乳母の霊が此人に憑いた。非常に親しく思ったり、お祀りの仕方によりそういう事がある。信仰しているうちに乳母の霊は救われ、或時期へ行くと離れる。霊の祀り方に就いては、遺骨など埋めてないか――の事など注意する。(S24・3・16)

夫の戦死霊

“私、昨年四月より乳と乳との間に大石を乗せた様な感じが致します。又、胃の上部が時々痛みます。起きている時よりも寝た時の方が痛みます。四十日位浄霊して戴いて居ります。先の夫とは生き別れです。又、後の夫は胸に弾丸を受けて戦死致しました。この事と関係がありませうか。又、浄霊法をお教へ下さい。

“関係があらう。その為の痛みであらう。寝た時に痛むのは、弾が中(アタ)って寝たまま死んだ。その痛みが残っている。出来るだけ祝詞を奏げると早く治る。

戦死者の霊憑り病

“和歌山県の森西兼松さん(六十歳)は、昭和十八年来頭より顔へかけて右半分が激痛にて悩んで居り、最初は一時間に十分位の痛みで御座いましたが、最近は五分間位休んで二十分位激痛が続くと言う有様で、頭を抱えて臥床したままで御座います。よく喉が乾き、入浴すれば痛みは減り、それのみが楽しみで御座います。尚、右手が左手より黒い様で御座います。長男はコレヒドールで頭を射たれて戦死致しました。仏壇には御屏風観音様を御祀りし、位牌もお祀り致して御座います。次男の栄次さんの御浄霊だけが気持よく、他の人の御浄霊は何も感じないそうで御座います。また二ケ月間御浄霊を頂いて居りますが変化御座いません。栄次さんは肺炎にて死亡致しました先妻の子で、当家はこれで三代後妻を貰って居ります。何か霊的に関係が御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“長男の霊であろう。お祀りせよ。祝詞を聞かせ、御神書読む。(S25・3・1)

打撲後手足不随の戦災未亡人

“三十歳の女、二年前倒れて頭を打ち、其の後左手足が冷たく、不随で、内側へ彎曲して居ります。言語もやや不自由であります。今迄五、六回浄霊を致しましたが、最初の時前頭部に霊射すると頭を左右にそらし逃げようとしました。目付きも異常の様に思われます。尚、本人の夫は戦死しました。霊的なものでしょうか。又浄霊上の御注意を御教え下さい。

“霊がいる。前頭(天庭)の奥を浄霊する。夫がどうという事はない。戦死した夫の霊を祀っているのが、どっか違うとそれを気にする事がある。すると夫に憑いていた副守護神が、夫の命で気付かす為にそういう事をする事もある。又、不随は、中風の霊が憑った為に転ぶとか、転んだ時の内出血が固まったかである。前頭部と頸の周り、腕の付根等を浄霊する。(S24・6・18)

行方不明子の霊憑る

“先日御伺ひ申し上げました四十五歳の女、本人の申しますのには三ケ月位で流産したと申して居ります。何か他の憑依霊でございませうか。戦時中次男(当時十六歳)が満洲へ義勇軍として派遣され、現在に至るも行方不明でございます。御浄霊の当初全身が震へ出し、白い着物を着た次男が「お母さん」と言って本人の側へ坐るのが見えたと申して居た事がありました。現在では八月三日御教修を戴き、殆ど苦痛はございませんが、依然として身体の自由はきかず、食欲は軽く一膳半位にて、御浄霊を始めますと相変らず掌、前額部、お守等から神様が見えると申して居りますが、如何なる訳でございませうか。

“流産には関係はない。流産は腹膜に固結あり、子宮を圧迫してる為である。行方不明の子供の死霊が憑っているのであらう。早速祀るとよい。(S24・8・9)

明主様に死霊憑る場合

“先日の御言葉に、「私にも以前死霊がかかった」と仰せられましたが、普通人の死霊にはまぶしくてお近寄り出来ないといふことはございませんでせうか。

“神様の許しがなければ憑れぬ。(中村明代子の例)(S24・5・13)

胸騒ぎと淋しさ(死霊処理)

“時々急に胸騒ぎがして気が落着かず、体ががたがたふるへ動悸がして来て何とも言へない淋しさと苦しさに悩んで居ります。何の為でせうか。御浄霊で治るでせうか。御教示下さい。

“死霊が憑るのである。胸騒ぎするのは霊の苦しみが映るのである。淋しさは、地獄から出て来た霊であるから、こういふ状況である。斯ういふ時には祝詞か御讃歌を奏げるとよい。光明如来様をお祭りし、祝詞を奏げると段々よくなる。(S24・2・25)

死霊助けるには

“主人浜島茂雄(六十二歳)、日頃家事の事情を気にいたして居り、今年の四月十日午前九時半、二階で縊死をとげました。私の心はまっ暗で御座います。死後霊界の向上を計って回向をいたすべく御指示願います。私は昭和二十三年三月入信させて頂きまして、御浄霊を頂いて居ります。光明如来様は未だ御奉斎させて戴いていません。

“死霊を助けるには光明如来様を是非お祭りする。これだけで助かる。(S25・5・7)

足冷え・心臓・手麻痺感(霊の入る局所) 

“午前一時頃より足部より悪寒を覚えます。そして左手が痺れたり、心臓部が痺れて来ると死ぬ様に苦しくなります。尚、浄霊者が参りましても多少痺れを感じます。どうしてでしょうか。

“死霊がくっつく。考えてみよ。死んだ人で必ず斯んな症状の人があるに違いない。足から冷えるというのは足から入ってくるので、地獄霊である。龍神は人差指、狐は足の拇指から入る。(S24)

死霊憑ると発熱す

“五十七歳の男子、三年前に山仕事に行ってから発病致し、発熱、苦痛甚しく、暫くは起居不可能で御座いましたが、日を経るに従い癒りましたが、神経衰弱の様になり、夜間は楽で安眠致しますが、日中は苦しい様であります。また妻女が傍にいれば畑へも出ますが、一刻でも離れると茫然として何も手につかなくなり、離れる事が出来ません。妻が便所へ行くにもついて行きます。今御浄霊させて戴いておりますが、未だ変化は御座いませんが、これは如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“妻君に関係のある霊が憑ったのである。死霊の憑りたてには熱が出るものである。入信して、光明如来様をお祭りすると段段よくなる。(S24・11・21)

死霊と発熱

“去る六月二十三日の夜中の二時ごろの事で御座居ます、妻(二十七歳、昨年二月教修を戴きました)がお墓の夢を見てハッとして目をさますと、長男秀男(三歳)が乳を吸ひ乍ら、全身ふるへて居り、全身が非常に冷たくなって居り、すぐ私を起しました。私が頭部をお浄めいたしますといやがって手を払ひますので、祝詞を三度上げさせていただきますと、お浄めをさせます。目は初めより閉じた儘でした。一時間位お浄めして居りますとふるへは止り、今度は四十度以上の熱が急に出て来て、「お水お水」と言ひますので、大きい湯呑でやりますと、三杯のみまして、すやすや休んで仕舞ひました。翌朝は平常以上に元気でございました。右は如何なるわけでございますか。

“死霊が救ってもらひたくて頼るのである。死霊の憑った状態である。死霊が憑ると熱が出るのである。(S24・6・29)

墓地通って重感あり

“本年一月十二日、弘法大師の開山である紀州高野山に初めて本教の布教に行かせて頂き、奥の院の墓所を通りました処、重いリックサックを背負はされた様に身重になり、足取が重くなり、  墓石の立並んだ彼所此所から霧の様なものが走るのが見られ、重い足を引きずって奥の院の弘法大師の墓所で善言讃詞を奉唱致しますと気分が爽かになり、帰りは墓石の間からも何も見えませんでした。何の現象で御座いませうか。御教示お願ひ申し上げます。

“霊界の暗い所へ行くからで、此道の人は身から光が出るから、地獄霊がべったりクッつくので重く感ずる。祝詞で救はれ、軽くなった訳である。  (S25・2・17)

同時同一症状の両人

“舞鶴地方で聞いた話ですが、一軒を置いた隣り同志で、両方の主人が同時に発病し仮死状態に陥りましたが、間もなく片方は息を吹き返しましたが片方はそのまま死んでしまいました。その後蘇生した者が、死んだ人の言語挙動そっくりになってしまいましたが、死んだ者の憑依でしょうか。

“死霊の憑依で、仲間を連れてゆかねば淋しいのである。よほど訳がある。一つの霊が両方へ代る代る憑いたのである。そして一方を殺し、一方を殺そうとしている。一つの霊が両方へ行って、病気を起さしている。早く浄霊してやるといい。

呼吸困難日曜に起る(怨あり)

“四十七歳になる男子の信者で御座いますが、三十二歳の時左足首後方の筋肉が切れまして、就床中突然強烈な呼吸困難が併発致しました。其の後、一年毎に発作の回数も多くなり、程度も激しくなりましたが、これは喘息だとの診断で御座いました。発作の起りますのは大抵夜間一時と二時との間で、当時は勤めの身でありましたが、日曜が近づくと必ず発作が起き、折角の休日も床の内で苦しみ乍ら過すので、食事は勿論の事水も飲めません。食事は五、六食位とばすのは普通で御座います。又、人を招くとか少し変った食事でもすれば必ず起き、或いは他家へ招待されますと、前日迄は元気な時でも当日になりますと折角の御馳走も戴けない位苦しくなるので御座います。又、元気で調子がよいと喜んで就寝致しましても、一分も経たない内に苦しくなって来るのが殆ど毎晩の様で、朝になれば又次第によくなって参ります。又少々の発作も家を出て家が見えなくなれば次第によくなり、帰りには家が見えると再び苦しくなるので御座います。(長男も同様で御座います)右の様に色々と異常に感ぜられるので御座いますが、七月、御神体を御祭り致しましてからは発作も非常に軽くして戴きました。何か霊的に関係でもあるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“此時に死霊が憑った。足首から入ったのである。呼吸困難は死ぬ時の状態が表われたのである。それから霊が体を支配するようになった。日曜に起るのは霊が気づかす為で、苦しめるのは怨みがある。信仰を一生懸命やれば救われる。  (S24・12・11)

家族死後脈激しく悪寒、死の気持あり

“私、八年前心臓を患い、約三年間服薬を続けました。そして二十一年入信させて頂き、数々の御守護を頂き、厚く御礼申し上げます。此の度、以前と同じ症状の御浄化を頂きました。其の時の症状は、一寸驚いた時の様な不快な感じが持続し、腹部、全身的という様に力がなくなり、悪寒を感ずると共に脈がとても激しくなります。それが約十日目毎に一回というように四回あり、最後は非常に激しく、その時脈の不正なのに気が付きました。丁度つまづく様な打ち方でございます。以後、心臓背部に常に鈍痛があり、脈の不正は未だ持続して居ります。以前の時も家族が二人死んで間もなく発病して居り、此の度も二人亡くして間もなくでありますので、何か霊的に関係がありましょうか。脈が正しくよくなるものでしょうか。御教示御願い申し上げます。

“霊が憑った。憑る時は死ぬ時のような気持になる。治る。(S24・8・23)

両腕腰無力・全身冷たし

“四十五歳の女、三年前より両腕や腰に力が入らず、何時も全身が冷たく、特に立つ時にはふらふらになる訳。

“両腕、腰に力なくて死んだ死霊がついている。地獄だから冷たい。浄霊で段々治る。

憂鬱症

“十七歳になる男子、六年前より軽い胸の病気で医療を受けて居り、病気自体はさ程でもないのに、三年前より極度の人嫌ひになり、離れに一人閉じこもり終日寝そべって居り、医療も嫌って受付けません。尚同人の叔父が同じ様な状態で、同じ離れで亡くなりました。又弟が脳性小児麻痺(霊的と思はれます)で三歳の時に死んで居ります。之等の事柄と何か霊的の関係が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。此の人の家業は代々肥料問屋で、土地の旧家であります。因みに、その子の母が八月一日入信致しました。

“叔父の霊が憑いている。祝詞と御讃歌を出来るだけ奏げてやる。浄霊は前頭部である。所謂憂鬱症である。  (S24・8・18)

両腕動かず痩せる(毒死霊)

“栃木県の曹洞宗芳朝寺の住職が両腕が全然動きませんで、段々と骨と皮になってしまふさうです。又、腹も全然力が無く、痰も容易に出せません。医者は勿論の事、あらゆる良いと言はれる事は何でもやってみました。医者の言ふ事には、脊髄筋肉縮小炎と言はれたさうですが、病気になり始めてより七ケ月、床についてから三ケ月になるさうです。此れは霊的に関係が御座いませうか。又治るもので御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“死霊の憑依である。服毒自殺したやうな霊である。毒を服むと身体が硬直する。永く病気をして服毒した霊である。(骨と皮になっているから)(S24・6・2)

原因不明の痩せ

“私は六歳の頃は首が曲って居りました処、或る治療で直し、今は人並みですが、十五歳の頃より右の胸より痩せ始め、次に左腕が痩せ、何時しか指先の方まで不自由となり、腕を上下する力がなく、その内右も同様となり、十八、九歳の頃には足も痩せ、右足が稍よい位です。此の間苦痛は全然ありません。昨年六月入信以来一心にお縋りして居りますが、余り右の様に長い間に段々痩せるのは、如何なる理由でせうか。原因と浄霊法を御伺ひ致します。

“霊が憑いている。痩せて死んだ霊である。浄霊をし、祝詞と御讃歌を奏げる。霊が救はれて、霊が肥ってくる。

薬毒――動悸・胸苦し

“私の関係の信徒、大工で田中宗太郎(六十一歳)と申す人は、昭和十二年十月頃、夷隅郡大原町の波切不動尊(国宝に指定された建物であります)の移転の時、本尊様を移す時、作業中箱が破れて誤って床の上に落しました。本人も気にして居りましたが、其後二ケ月後真夜中に急に動悸が激しくなり、胸苦しくなり、苦痛に堪えかね医者を呼びましたが、医者が来る前に大抵良くなる事が多く、その後発作的に起る様になりました。普通後頭部及び肩等が非常に張り、苦しいので、沢山注射を打ちましたので遂に針も通らなくなりました。何とかして良くなりたいとて千葉医大其他に診療を受け約十年にもなりますが一向捗々しく参りませんでした。本年二月頃御光を戴き、約四十日位浄霊をして居りますと大変よくなりました。四月上旬頃風呂場の作業中梯子より落ちましたが御蔭様にて怪我もなく、引続き浄霊して居りますが、真夜中になると又苦しみます。薬毒の浄化でしょうか。或いは又霊的でしょうか。今後如何にしたら早く良くなりましょうか、御教示御願い致します。

“元は霊的だが、後は薬毒である。肩が張ったりなどするのは薬毒であるから、注射をすればよけいに殖やすようなものである。気長にやれば治る。動悸がし、胸苦しくなったのは死霊で、その当時死んだ。此人に執着のある霊である。(S25・4・17)

喘息で失神

“満洲より引揚げた娘(八月八日教修終了)ですが、毎日喘息の様な発作があり、失神し、うわ言にて満洲当時の友達を浄霊に連れて来る様子を順序よく言うのですが、これは友達の霊が本人を縋って来るのだと思いますが、この様な場合、霊を祭ってやる必要がありましょうか。

“浄霊だけしてやればよい。その都度祝詞を奏げる。(S24・8・23)

特定の場所で腹痛

“最近一週間ほど毎日朝会社へ行く途中同じ場所で必ずお腹が「シクシク」痛くなり、約二十メートル余りの間で其処を過ぎますと痛みは止まります。如何なる訳で御座居ましょうか。

“自縛の霊がいるのである。祝詞を奏げてやるとよい。(S24・6・29)

子宮癌・腹の固結移動す(生霊の本体)

“五十歳の女子、十五、六年前子宮癌にて手術を致しました。ところが此の度風邪にて医師の診断を受けました処、腹部に大きな固結があり、早急に手術の必要を言われました。本人は驚いて早速浄霊を申し込み、間もなく入信致しましたが、三回程施行して戴いた頃、固結は小さく握り拳程に成りました。其の後固結は早朝の間は右上部、午前十時頃には右下部に移り、又は恥骨上に移動致します。此の現象並びに浄霊の順序を御教示御願い申し上げます。又、此の固結は消滅致すものでしょうか。御伺い申し上げます。

“子宮癌ではない。生霊らしい。男女関係が多く、偶には親子もある。生殖器附近に憑く生霊といっても、その人に憑いてる大抵は動物霊である。動物霊でも大抵管狐である。祝詞を自分に聞かすようにいう。浄霊は玉のある所である。

下腹部熱感

“二十六歳の婦人ですが、時々下腹部にユタンポを当てた様な熱さを感ずるそうでございますが、如何な訳でございましょうか。

“生霊かもしれない。男女関係が多い。殆どそうである。生霊が憑くと熱い。恋愛関係であるから、それは下腹部へ来る。性器へ生霊は来る。熱くなる前に一時的に熱の出るのは普通の熱である。恋愛している生霊は下腹部へ来るものである。(S24・6・19)

生霊の憑依感

“生霊の憑依に就て――

“相愛の場合は快感あれど、片愛の場合は不快感である。

三代にわたる歩行不能と眼病

“四十歳の男の信者、十年前より段々歩行が困難となり、五年前から特に悪化して、幼児の歩き初めの様な状態になりました。二年前入信させて頂き、妻と共に一生懸命にお縋りし、御浄霊させて頂いて居りますが、大した変化がありません。御神体や御屏風観音様もお祀りさせて頂いて居ります。尚、父は五年前より底翳で失明し、床に臥し、母は三年前腹痛で死亡、尚、先夫と祖父は共に本人と同じ様に歩行困難となり、眼を悪くし衰弱し、死亡して居ります。

“足と目に子供の霊が憑った。特に目に祟りありと思わる。祖先からひどい目に遇った怨みが祟っている。或いは子供がそういう具合で死んだのかもしれない。神様の御役に立つよう徳を積む。人を救う事により、怨みは段々消えてゆく。

指伸びず・浄霊時腕を振る

“十七歳の女子、本年一月 疽(ヒョウソ)を、左の人差指を浄霊によって全治致しましたが、その後指が伸びません。最近浄霊致しますと自然と円を描き、次第に腕を大きく振ります。又、左腎臓を浄霊致しますと左足をはげしく躍動致します。右の浄霊法を御垂示御願い申し上げます。

“指の伸びないのは毒が固まって痙っている。そこへ霊が憑った。そこで円を描く。塊を溶かせばいい。指で浄霊する。(S24・11・19)

足への憑霊(血の道患者)

“女の人で、長く血の道で、自由も叶はず寝て居ります。それを私が浄霊して上げましたら、自由も叶ひ、歩く事も出来る様になりました。それが私が帰るとすぐ歩く事も出来ない様に成って、気持が小さくなりましたが、如何なる訳で御座いませうか。

“霊である。浄霊によって霊が放れて自由になった。根気よくやれば治る。足なら足に毒があり、足の霊が曇っている。足が浄まって、憑けなくなって治る。根気よくやる事である。

背部浄霊で痙攣

“平川ムラ(五十六歳)と申す者で御座いますが、背部を浄霊の場合ビクビク痙攣致します。如何なる訳で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“背中に霊が居る。大した事でない。治る。(S24・7・12)

足臀部にくっつく

“昭和四年一月一日生れの子が、昭和十九年十一月、何の心当りもないのに突然一夜にして右足踵が臀部に屈(*)着しました。其の後注射を一週間続けましたが効果がないので、鍼灸を一日に二回づつ四ケ月位続けて漸く足先(爪先)が地に着くまでに伸びましたが、尚右腰が引痙ったままなので、諸所の神仏にお参りを続けて現在に致って居ります。五、六回の浄霊で下痢を始めました。其の屈(*)着した原因を御教示下さい。

“霊が憑ったのである。治る。腰が引痙ったまま毒がある。霊が五六七教で治してもらいたいという希望の意味もある。(S24・5・6)

「床下土中へ埋められし者の霊」の処置

“三十歳になる未入信の男子、五、六日目に一回位の割で霊が憑り、暴れたり意味の判らぬ事を喚いたり致しますが、半日位で平生に返ります。途中半日位誠に憂鬱となり「もうあかん」「こらえてくれ」とか言って如何にも恐そうに周囲を見廻します。平生に返った時尋ねますと、「家の下に入ってしまい、体が土の中に入って死んでいる様な気持であり、自分一人だけで誰一人おらず、恐くてたまらない」と言うそうでございます。如何なる霊が憑依するのでございましょうか。妻は入信し、御浄霊させて頂いております。

“誰も居ない時に殺され、家の下へ埋められたらしい者の霊である。掘り返すのも厄介だから、位牌を作って、仏壇の下位へ祀ってやり、祝詞を奏げてやる。そうするとお礼をする。(S23)

外人の面貌となる

“三年以前より発病、頭髪が抜け、最近では眉毛も抜け、ひげもうすく、顔は赤々として腫れ、目はくぼみ、一見外人の様に見えます。医師の診断でも病名不明にて困って居ります。浄霊にて全快出来るでせうか。妻は先般入信して毎日浄霊をしてくれますが、余り変化がありません。如何なる原因でせうか。御教示願ひます。

“浄霊を沢山やった人は霊の集注がいいから強い。斯ういふ状態の霊が憑ったのである。外人の霊かもしれない。気長にやれば治る。(S24・8・9)

定日に発作する病気

“現在入信致していない二十一歳の青年ですが、大概の月に一日と十五日の二回発作を起し、先祖の仏壇にお参りしお祭りしてある母の写真を知らぬまに持ち、無意識となり倒れています。御浄霊を好みますので母の霊でもつくのかと思はれます。御浄霊法を御教示御願ひ申し上げます。

“執着の為霊界で救はれていない。信仰に入らなくてはならぬ。一日と十五日とすると、昔職人か、職人に関係ある者であらう。母を愛していたものに違ひない。霊界で遇へないから、現界で執着するのである。此人か家族かが入信して、発作の時祝詞を奏げる。(S24・7・16)

毎閏年に一時的発狂

“東北地方に閏年馬鹿と称し、陰暦の閏年に限って発狂し、其の年が過ぎれば平常に戻る者が御座いますが、霊的関係が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“四年に一ぺんづつ二十九日にお祭りするようにする。霊が閏年に死んだとか、殺されたとかいう意味で、それが魂に強く染みついている。それで閏年に限って憑くのである。  (S25・1・12)

三人宛身体を動かす

“私が唯今浄霊している者で、先祖代々(数代前より)必ず三名宛常時体を動かしているのであります。これは夜昼の区別なく、寝ている時でもやっております。此れが為に急にぽっくり死ぬと次の者にちゃんと代りが出来ます。唯今は夫婦と子供一人がやっております。この様なのは浄霊しまして治るでせうか。霊的の原因を御教示下さい。尚、先祖に注意すべき者はありません。

“一人ならあるが、代る代るあるのは珍しい。浄霊で治る。前頭部と腰をする。救はれない霊が憑るのである。(S25・2・7)

犬猫や叔父を恐る

“五歳の女児、半年前より肺門淋巴腺炎を患い、医者に治療を受けておりましたが、最近御浄霊をさせて戴いております。脈搏百三十を今尚打っておりまして、最初は犬や猫を見て恐ろしがっておりましたが、最近は同居している叔父を見ると恐怖心を持つようで御座いますが、何か霊的に関係が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。但し其の母に、脳貧血で死亡した祖母が現在憑っておりまして、御浄霊中で御座います。

“脳貧血では死なない。脳充血か脳溢血である。前世に犬か猫に噛まれて死んだもので、叔父さんに苦しめられた霊が憑っている。(S24・11・21)

夜間と外出に恐怖感(癲癇)

“私は時々自己意識を忘却する様になり、頭脳の中に色々の事が想ひ出されて現在の時間的観念がわからぬ事もあります。一寸した瞬間で以前はさほど気にもして居りませんでしたが、最近頻繁に発作的に襲はれる様に思はれ、特に夜間と外出に恐怖感を抱く様になりました。数年前、中耳、内耳炎に罹り、相当医療を受け、又蓄膿の手術もして居ります。絶へず後頭部が重苦しく感じます。之は単なる薬毒の浄化で御座いませうか。御教示願ひます。

“一種の癲癇と薬毒である。想ひ出されるといふのは霊が思ふのである。過失死とか、殺されたか――夜、外で死んだ霊で、その恐怖である。薬毒の除れるに従って治ってゆく。(S24・12・25)

外出恐怖症

“私は長年心悸亢進症で苦しんで居りましたが、一昨年入信させていただきましてから御守護いただきまして、大変良くなりまして、一時外出も出来るようになりましたので御座いますが、其の後外出先で発作を起しましてからは又外出すると気分が悪くなりまして、今は殆ど一歩も戸外に出る事が出来ません。家に居りますと普通と変らず働けますし、毎日五、六人位ずつ御浄霊させていただいて居ります。教会へお参り致し度いと思い、又いくら励まされても一歩戸外へ出ると気分が悪くなる為お参りも出来ないので御座います。何か霊的の障りでも御座いましょうか。御伺い申し上げます。就きましては気掛りの事が御座いますので、左に申し述べさせて戴きます。私の実家は岡山県津山で、代々一向宗で御座いましたが、母と私が大本教になりまして、栗田家へ嫁いでからも一昨年本教に入信させていただく迄信仰致して居りました。母は戦時中疎開先の神奈川県相模原で死亡致しまして、遺骨は其の土地の氏神様、日々神社に預けまして今日迄其のままに致して御座います。両親は正式の結婚では御座いますが、どちらも相続人の為それぞれの姓を名乗り、寺も宗旨も別々なので御座いますが、埋骨の場合いかが致したらよろしゅう御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“遺骨などは早く埋めよ。本当は男の方へ祀るべきである。外出して死んだ霊が憑いているので外出を怖がる。よく徳を積め。  (S25・3・18)

老人の霊による病気(死霊)

“田中裕明と申します生後二年四ケ月の男児で御座いますが、発育不順で誕生日頃に漸く這う位で御座いました。畳の上に這わせますと急に泣き出し、人の上に這わせますと泣かないそうで御座います。其の後疫痢にかかり、只今は腰が非常に小さく、坐る時は立膝でないと坐れません。風の日には大変息苦しそうに致し、顔を軽く吹いてさえ息苦しそうに致します。本人の曽祖父は他国で首を吊って自殺し、其の弟は生れ乍ら身体がコチコチで、生後三日で死亡致して居ります。右の病気は霊的原因によるもので御座いましょうか。如何処置致しましたら宜しゅう御座いましょうか。教えを賜り度く御願い申し上げます。尚、本人の母は近日教修戴く事になって居ります。

“年寄の霊が憑いてるか生れ代りかである。それで畳の上をイヤがるのである。息苦しい病気で死んだものである。(S25・2・11)

甘味とらぬと眠れぬ

“半月程前から甘いものが無いと痰がからんでどうしても寝られず、甘いものを少し食べるとどうにか眠れます。それでも二、三時間位です。これは何の因縁でしょうか。光明如来様御奉斎済み。

“甘い物の好きな人間の霊かもしれぬ。その人に憑って果そうとする。それと、一つの癖がつく。段々減してゆくといい。

家族に立向う霊の処理

“年令五十歳の薬屋さんの主人、十五年ほど前より体が病弱で何時も年代不明の四十五歳位の婦人が憑って来るとキセルを持って長男や嫁に立向って行きます。そうすると長男も嫁も体が硬直してしまい、声も発せられず苦しみます。今月十四日に奥さんと長男と嫁と三人入信致しましたら、いつも主人に憑る霊がその晩は直接に長男に、翌晩は嫁に立ち向って来て体が不自由になってしまいました。どの様にいたしましたらよろしいでしょうか。

“迷って悪意を持ってる霊である。憑った度に浄霊すれば段々よくなる。斯ういう時、御讃歌の執着に関する歌とか、信仰雑話の「我と執着」の項などを読んでやるとよい。又、素性がはっきり判れば祀ってやるとよい。

白痴霊善言讃詞を喜ぶ

“私の四歳になります甥は、生れつき白痴でありますが、善言讃詞を奏げますと眠っていても、起きて来て喜んでお参りいたしますが、どう言ふ訳でありませうか。

“白痴の霊が憑いている。善言讃詞を奏げて非常に気持よくなるといふのは結構である。白痴の霊自体が治りたいから、聞きたいのである。 (S24・8・17)

魚商生臭い大出血す

“一信者の夫で結核の三期と言はれ既に見放されている人で御座いますが、七日朝脳に血が逆上致します様な感じがいたしまして、同時に脳の左側が耐へられない程苦しくなりました。熱心に観音様を念じました所、頭痛がとれて歯茎から毒血が吹出しまして、その状態が一日中持続致しまして、御浄霊を戴きましても止りません。出血の量は一日で小洗面器二杯程で御座いました。八日午後御浄霊させて戴きました所口内からの出血は止りましたが、一時間後鼻血が出始めまして一晩中続き、朝七時頃、奥さんの御浄霊を戴いている中に止り、その後ずっと眠って居ます。鼻血の出血量は洗面器一杯程で御座いました。又同じ様に真黒の血便が相当量出まして、出血の時間は前後三日間程続きました。それは真黒で生臭く、出ると直ちに固まるさうで御座います。当家は代々魚商をいたしています。何か霊的に関係が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“生臭いのは、魚に関係がある。大変結構である。父の霊が、霊界で中気が未だ治らず、憑って来たものである。そして中気の毒が出た訳である。肺病であってもよく治る。(S24・5・12)

死直前大人顔となった子(霊・子を殺す)

“先に御開示を御願い致しました動物や叔父を見て恐ろしがる四歳の子供で御座いますが、最近死亡致しました。死ぬ直前に、一度首の附根迄両手をつき上げ、顔は五十歳前後の男の様に変り、其の大きさも三倍位になりましたが、間もなく又普通の顔に戻って立派な死方をさせて戴きました。(其の子の母親は子供がなくなる少し前に入信されました)最近では其の子の叔母の寝顔が男の顔に見えるそうで御座いますが、以上の事実は何か霊的な意味が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“霊が憑いていたのが今度は伯母に憑いた。救われたいのである。五十歳前後の霊が子供を殺した。何か訳があろう。信仰雑話をみれば判る。入信して一生懸命すれば治る。(S24・12・11)

昏睡より醒む(御守護願ひの偉力)

“今月四日に御守護御願ひ申し上げました渡辺満子(十八歳)、その後御守護を戴き、九日間昏睡状態で御守護御願ひに上り、お邸到着が十一時四十分でございました。本人が気がつきましたのが十一時四十分で、同じ時間でございました。それから御飯を食べる様になりました。それから四日目より又霊的になりました。あとは口頭にて申し上げます。

“こういふのは説得してやるとよい。「命をとれば自分自身地獄のドン底に落つるから、助けてやりなさい」と。段々治ってゆく。(S24・8・19)

飲酒で顔面神経痛(奇病)

“未入信の方で御座いますが、平常は異常御座いませんが、酒を呑みますとひどい顔面神経痛を起します。此れは霊的に何か意味が御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“酒の、顔面神経で死んだ霊が憑っている。気長に浄霊すれば治る。入信して、或程度判ると治る。(S25・3・2)

スポーツと憑霊

“御著書に「義経には鞍馬山の天狗が憑いていた」と拝見致しますが、スポーツや武術――例えば水泳や唐手、馬術等で超人的な妙技をするのは如何でしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“超人的なのは霊で、動物の霊が多い。斯ういう霊は斯ういう人に憑きたがる。河童、魚の霊、龍神などが憑く。(河童は水に入るのが好きなだけである)(S24・1・18)

狂信者の霊

“私の主人は六十歳になりますが、二年前よりだんだん気が変になり、此頃は一人で居ると昼夜を問はず独り言を言います。それは大抵先祖の事か、神仏の事か、又修養の話等、普通聞いて為になる話をしますが、人前に出ると変な言語動作を致します。因みに主人は十年間程道徳科学の教えを受けて居ました。又、昭和二十年に御光を戴いて居ります。如何なる原因でしょうか。私は現在、教導師として此道に御手伝いをさせて戴いて居りますが、今後如何に致したらよいでしょうか。御伺い申し上げます。

“信仰気狂いのような霊が憑っている。長いのは五、六年、早くて一年位かかろう。

人喰人種の霊

“人喰人種は獣霊の憑依でしょうか。

“獣霊の憑依だけでなく、原始人の習慣が残っている。それが伝統的にいいとなっている。原始人はそういうのが多かった。之は文化から離れている為で、未だにある。文化の普及により段々になくなる。然し、文化人でも獣霊が憑くと人を齧りたくなるのがある。(S23・12・22)

特異憑霊

“次の事項御教示の程お願ひします。

(イ)、私は時折夢の中で法華経だとか一度も読んだ事のない、又習事もない難しい経文をスラスラと読んだりします。如何なる理由でせう。

(ロ)、それから人と対談中、相手の心の動き、即ち今この話しをし相手は何を考へて居るかと言ふ事が見え透く様にわかり、又他家に訪問の場合等でも、心から言ふてくれるか表面だけのお世辞かと言ふ事等がハッキリわかり過ぎて困ります。

(ハ)、次に事細かい日常の家庭内の事でも、又社会一般の事でも余も先の結果が見え透いて歯痒く、仕舞ひには馬鹿らしくさへなり、法律規則等までに文句の一つも言ひたくなります。例へば、十八歳にならぬものは会社、工場等も使用出来ず、その中に不良化したり、ヒロポン等と言ふ注射液等乱売の結果、青年の身心共に滅する者が続出したり、又、産制の為の社会悪、道徳の乱れ等思へば、全く腹立たしい位の世相を何とかする事は出来ないでせうか。知事、課長、部長級等の者の犯罪等も有り、此の眼に余る社会悪の氾濫は、早く何とかならぬものでせうか。以上三項目御教示下さい。

“(イ)、斯ういふ霊が憑いている。そして寝る時に話す。

(ロ)、憑いてるその人が教へる。あまり相手の心が分らぬ方がよい。

(ハ)、考へ方が単純である。やはり時期もある。世相をみれば制へ切れぬ考へが起るが、やはりこれでいいと思ふ。(S24・9・25)

精神病で死んだ霊

“青森県大畑町の信者さんが昨年二月二十七日、意識不明になって霊界に行って来たそうで御座居ます。その時案内者より「お前はもう三十年寿命を与えるから豆腐と蜜柑と材木の気持になって働け、お前の力で及ばぬところは光が援助するから帰れ」と言われて正気に還ったそうで御座居ます。昭和二十二年脳溢血で仆れた事もあり、又其の後僅かの時間発狂状態になった事もありますが、本年三月下旬より下半身が常に細かく揺れておりまして、祝詞をあげましても御浄霊いたしましても変化は御座居ません。本人は「豆腐と蜜柑と材木の気持」と言う意味が判らない――何か深い意味があるのか、又は狐霊にでもいたずらされているのかと気に致しております。如何に解釈いたしたらよろしゅう御座居ましょうか。又、御浄霊により震えがだんだんよくなるもので御座居ましょうか。(一家入信、御神体もお祭りいたしております)御教え御願ひ申し上げます。

“現界の人間には判らぬ。霊自身には分っているかもしれぬ。又、霊自身が発狂状態で死んだのかもしれない。出鱈目である。気にする要はない。狐霊でもない。精神病で死んだ霊である。だんだんよくなる。(S24・6.2)

定時足指より半身麻痺

“未入信の五十歳になる女の方で御座いますが、毎日必ず夜六時頃から左足の指三本から急に寒気が致しまして、冷たい痺れが下から上へと左半身に感じ、脳髄も半分痺れ、思考能力不能に陥り、数分後自然に普通の状態に復ります。御浄霊を戴きましてから此の状態は二日おき、三日おきと間隔を置く様になりました。此の症状は何か霊的に意味が御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。尚、当人は他人との面会を非常に嫌ひますが、これにも何か特別に意味が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“地獄の霊が入る。足の指から入る。拇指から入る。長く居られないで出てしまふのである。こっちの曇が減るに従ひなくなる。大抵、死の時刻に入るものである。(S24・10・2)

空腹におくび

“空腹になると盛んにおくびを連発し、食べますと直ぐ止ります。之は如何なる毒素の浄化で御座居ませうか。

“之は餓鬼道的な霊で、おくびを連発して食べようとしているのであらう。(S23・11・12)

餓鬼道霊

“霊界で腹が減っている餓鬼道へ堕ちた死霊で、死んだ時の状態を表わす。よく査べて、仏様へ毎日食物を上げる。新しい霊はよく喉がかわく。(S23)

尼霊の反対(精神病)

“私の妻(朝江、三十八歳)、昨年三月入信、信仰浅く、本年六月頃より御守を外し、其時より常に常識を欠き、八月下旬頃より些細の動機より精神異常者となり現在に至りました。私は妻の病気により本年九月入信、光明如来様を奉斎し、教導所の先生及び私の浄霊を欠かさず致して居ります。三十幾年前の事ですが、前住者は精神病の尼さんで、死後は後継者もなく、家屋も壊して仕舞ひました。(その尼さんは観音様が大嫌ひだった由)その跡へ私が知らずに現在の家を建てたのであります。只今妻は時々家を出たがり、又私及び母等に対し他人行儀にしたがり、三度の食事も遠慮して食べませんので無理にすすめて居ります。其他は余り常人と異る処なく、朝夕の御祈りの時は素直ですが、月次祭や教導所に御詣りに行きますと外に出たがり、「外で死んで御詫をする」とか「殺してくれ」等と騒ぎます。妻の弟は教導所の御用をして居ります。右の病気は尼さんの霊と関係ありませうか。又、今後如何にさせて戴きましたら早く御救ひ戴けませうか。

“尼さんに狐が憑いている。救はれたいのである。祝詞を聞かす。尼に、善言讃詞もよい。又、信仰雑話の霊的関係の所を読む。根気よくやってやる。(S24・11・27)

狐霊憑依の僧霊

“三十七歳の男、昨年二月十一日より霊憑りとなり、耳元にて色々の事を申しており、四月十一日まで御浄霊させて頂いておりましたが、私が何か坊様に関係した事がないかと調査致しました処、此家は代々浄安寺と申す寺――住職並びにその家内をお世話申し上げていた事が判りました。その中に住職になる方がありました者が二人肺で夭折(ワカジニ)致し、その方々が殆ど無縁同様になっておりました。その供養を致しました処、耳元で種々申される事がなくなりました。その後本年一月二十八日までは何事もなく過しましたが、今度はただ頭が変になって新聞も見られず、何事もいやになり、一日三回位布団にもぐり込んで寝て仕舞ひます。如何なもので御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“坊さんの霊に狐の霊がついて、それが憑依しているのである。祝詞、善言讃詞、御讃歌など奏上するのが一番よく、気長にやる事だ。又、家の人が人助けするとそれだけ早く治る。前頭部をよく浄霊する。 (S24・3・19)

亡母霊不仲の父を嫌う、ガ行発音す

“十八歳の入信の女、肺炎にかかり亡母の霊に憑かれ、極度に父を嫌うようになり、目をむいたり、唾をかけたりしていましたが、その後大声で「ガガガガギギギギググググゲゲゲゲゴゴゴゴ」と申しました。如何なる訳でしょう。母は生前父と不仲でした。

“ガギグゲゴの泣声の動物、即ち蟇蛙の如きものの霊で、母に憑いていた動物霊で、生前から父へ対し復讐的信念をもっていたものである。

引付け・手足ブラブラの小児(死霊)

“未入信の八歳になる男子で御座いますが、まだ物が言えません。耳は普通に聞える様で御座います。この子供は生後十ケ月の時、四十五日間、一日十五回乃至二十回引付けを起し、その時は鍼程度の治療を致しました。二歳誕生前迄手足はブラブラで、寝返り一つ出来ませんでしたのが、電気療法四十日間で寝返りも出来、歩く様にもなったとの事で御座います。現在、頭の左右から頬にかけ微熱が御座いまして、御浄霊致しますと少し汗ばみます。後頭部延髄部にも微熱が御座います。又、六歳の時まで涎がひどう御座いましたのが、止むと同時に唾を吐く様になったそうで御座います。又、両足を交互に少しずつ踏みつけ、しきりに跳ね上ります。その様子は恰度何かが悔しがっている様な格好に見えます。この家庭は以前女郎屋をしていたそうで御座います。何か霊的に関係が御座いましょうか。御教えをお願い申し上げます。

“引付けるのは霊が頭へ行く。手足がブラブラになって死んだ霊である。涎は毒の多い為。憑いた霊に又動物霊が憑っている。女郎屋は狐霊が一番よく憑く。浄霊で治る。光明如来様御祭りする。  (S25・5・21)

焼死霊憑依の処置

“他界して久しく墓を建立せず、其の後建てましたが、変死者等の霊は墓場に居るのですか、仏壇の位牌に憑依するのですか。又、墓について御伺ひ致します。祖母が老衰で死亡し、火葬中死人が苦しみ、声を出したが其のまま火葬に付しました。其の後家族の者に夢枕に立って、其当時の事を訴へ「よくも焼殺したな」と言ひましたが、祖母(死亡)の曽孫に当る子供が九ケ月で誕生、生れながらに全身火傷(赤く)の如く、今日迄三ケ年経ました。歩行出来ず、最近信仰に入りましたが、祖母の再生でせうか。又、浄霊すれば成仏するのですか。御伺ひ致します。

“地縛の霊は一町の範囲より出られない。約三十年間としてある。ただ遺族の供養によって早くなる。その場所で善言讃詞を五、六回奏げれば離れる。(どく)仏壇は出来るだけ綺麗にしておく。祖霊は嫌がる。墓など特に綺麗にせぬと怒る事がある。出生児は祖母の再生か憑依である。胎中で憑依すると再生と同じ様なものである。恐らく胎中で憑依したものであろう。信仰と浄霊で段々薄くなる。焼傷の為に歩行が出来ないのである。信仰して徳を施せば早く良くなる。

被爆焼死霊症状(痛み)

“五十歳の女、重い顔面神経痛で、冷い風に当ってもはげしく痛み、頬に手を触れると頭へ痛みが走り、頭に手を触れると頬へ痛みが走って堪えられぬ苦痛があります。浄霊によって余程痛みも軽くなって来ましたが、その人の子供が空襲の時に同じ方の頬に爆弾を受けて焼死しました。霊的に関係ありますか。

“これは霊的らしい。気長にやれば治る。

縊死の霊の処理

“私は只今或る家の二階を借り昨年一月より住んで居りますが、此の家は一昨年十二月六日に家主の叔父に当る人が世をはかなみ縊死したそうで、後日近所の人から聞いた時は別に恐いとも思いませんでした。然し今年になってから、私の咽喉に異常が現れ、咽喉笛が食違った様な感じがあり、追々ひどくなって、五月頃からは咽喉を締められる様な感じで仕方ありませんので、五月二十日頃から縊死した人の霊を慰めようと思い水、御茶、御飯等をあげ、善言讃詞を朝夕あげました。その朝は咽喉ばかりでなく気分がいらいらして、気狂いになるのではないかと心配致しましたが、供養を始めてから一週間目には気分も大分落着いて来ましたが、それでも時々気分が落着かぬ事もあり、何となく不安でなりません。此の死霊は未だ私に憑いて居るのでしょうか。又、今後如何にしたらよいでしょうか。御伺い致します。

“地縛の霊が苦しいので、助けて貰いたくて憑るのである。祝詞や御著書等出来るだけ奏げ、又読んでやる。すると成仏する。判ったら早くお祀りさせる。その人の仏壇でもいい。位牌を小さくして戒名を付ける。 (S24・6・8)

目撃した轢死者の霊憑依

“私の姉(二十六歳)が、耳は聞えますが言語が喋れません。今より十三年前、近くの踏切で唖の老婆が列車にはねられたのを目撃した姉は驚き、其の後一週間目頃より急に恐怖症状となり、便所には白髪の老夫妻が立っているとか言って行かなくなり、又、家の中の独居を恐れたりする内に言葉が出なくなりました。耳は聞えます。其の後一年間位は喋れる時もあります。尚、其の唖の老婆も村の世話で葬儀をしました。此の老婆と姉の状態とに何か霊的関係が御座いますでしょうか。又、私の兄も精神病者で乱暴をしますので、今は監禁しています。家の中で二人の異常者があるので、家中で熱心に御用をさせて頂いて居ります。如何なる因縁で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“お婆さんの霊が憑いた。治る。本人にも祝詞を出来るだけ奏げさす。(天津祝詞がよい)すると老婆の霊が清まるか、霊界へ帰る。供養もしてやる要がある。それで治る。精神病は最初乱暴する。少し経つと温和しくなる。その時に浄霊する。右延髄の固結、又、精神病者に天津祝詞を奏げる。  (S24・7・28)

失神して息苦しい夢遊病

“今年二十歳の女、中村シテヨと申します。八年位前から時々頭がボッとなり、倒れる事があったそうでございますが、最近教修いただく四、五日前から大声を出して走り出す始末で、本人は無意識だそうでございます。教修中も一回横に倒れ、声は出しませんでしたが、この様に倒れる事は一ケ月二回位はあったそうでございます。こんな場合は頭が重くなり、腹部と胸部を上下にふくふくさせ息苦しそうでございます。お光をいただきますと下に下り楽になります。三日間に大変気持よくなったと申します。之は何の霊でございましょうか。御伺い申し上げます。

“赤ン坊か子供の霊である。夢遊病がそうである。他殺され無縁となったものが生れたのである。父なし児のように息が出来ず死んだもので、その胸の苦しみが表われる。(S24・8・22)

祖霊(無縁)を霊視

“当年二十六歳の娘(教導師)、近頃ポーッとして居り、浄霊中、半意識朦朧となり、私と彼女の問答は次の様です。彼女「何か見えます」私「何が見える」彼女「墓場です。あ、亡くなった(行方不明)祖父が居ります」暫く後、彼女「見えなくなりました」彼女「又見えます」私「何が見える」彼女「私の家です。誰か居る様です」私「誰が居る」彼女「行方不明で亡くなった叔父です。杖をついて玄関に腰掛け、食べ物を求めて居ります」等、如何なる訳ですか。

“祖父の霊が迷っている。無縁になっている。菩提寺の坊さんを頼み、お祀りしてもらう。とても腹が減るし、盗みも出来ぬのであろう。年月日が判ればよい。拝んでやると大抵治る。

笑い中気と泣き上戸

“笑い上戸や笑い中気は狸の霊との事で御座いますが、泣き上戸や泣き中気は何の霊で御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“笑い中気というのは狸の憑いた死霊が憑る場合である。泣き上戸は憑った霊が死ぬ時に悲観して始終泣いていたものである。中気で長いと泣く――そういう霊である。(S24・3・11)

四這になる酒癖の夫(無縁)

“義弟(三十四歳)、お酒が何より好きで酔ふと家の中を四這になって這ひ廻り、又食欲が物凄く旺盛になり、手当り次第に食べて終ひます。最近酔って居る時私が御浄霊致し、前頭部に祝詞を奏上致しましたら、本人の家の台所を指さし「あすこに人が埋めてあるのに何故出さぬ」と申しました。家人に聞きました処、其の辺一帯は昔無縁墓地の有った所ださうで御座います。右の妻は早く夫の悪い酒癖を直したいと最近入信致しましたが、心ではお縋り致して居りますのに、一日に数回お守り様を外して終ひます。義弟夫婦の右の行為はその無縁仏と関係がございませうか。又は他の霊によるもので御座いませうか。御教示を御願ひ申し上げます。

“憑霊が苦しいといふ関係がある。無縁仏が救はれれば、受ける影響も少くなる。(S24・10・9)

産土祭の群衆心理とその実態

“産土神様の御祭の時などに人々の性格が一変して別人の様になって騒ぎ廻ったり致しますのは霊的な現象で御座いませうか。又、群衆心理などと言はれるものも何かの霊に支配されて居るので御座いませうか。

“霊的の現象もあらう。産土神には稲荷の昇格したのがあり、その眷族の稲荷などが憑く。群衆心理などは、狐などが何十匹も集(ヨ)ってはああいふ事をする。(S24・8・29)

道祖神の石垣より墜つ 

“或る患者が隣接の道祖神(平常其の庭を使用して居ります)の石垣、高さ一尺五寸位の所より落ち、膝関節をいため、御浄霊をさせて戴いて居りますが、中々よくなりません。何か道祖神と関係がありませうか。

“浄化してくれたんだから道祖神に礼を言ふといい。普通なら治る。道祖神はその土地を守ってる神(産土神)の眷族であるから、大した神ではないから、気にする要はない。

養狐の障りありや、無機物と霊、(札供養)

“養狐場で狐を殺して毛皮を取って居てもあまり狐霊の障りを聞かないのは、狐に霊がないのでしょうか。

“人間が皮をとる為につくるのだから、狐の個性はない。植物のようなものである。祟ったり怨んだりする狐のような感情はない。然し全然なくはない。多くなると、殺生の罪になるから、いくらか祟る。沢山になると怨みなどの祟りになるから時々供養する。人間の使うものは無機物でいて霊が出来る。御神体と思って拝むと、物体でも神の働きをするようになる。だから札供養もいい。紙幣などは生命を捨てたり生きたりする事がある。殆ど生きてるようなものである。この位人間の霊の入るものはない。

機械器具へ憑依

“霊の憑依は機械器具等にもあって、其の運転作用に支障を起しますでせうか。

“憑依はおかしい。もし出来れば高級の霊で、機械器具に憑依してする事は出来る訳で、普通はない。  (S24・7・19)

腕へ戒名彫る

“今年二十六歳になる未入信の青年で御座いますが、三歳の時母と死別、其の後父とも生別れとなりました。戦争中、満洲で左腕に母親の戒名を入墨致しました。腕へ彫った戒名でも霊はかかるもので御座いませうか。そのまま放置しても宜敷うございませうか。御伺ひ申し上げます。

“人体に彫り付けるのは間違っている。之は放置するの外はない。戒名を彫りつけても、人間の腕に霊の憑るのは法にないから、憑らぬ。(S24・11・2)

観音像奇瑞を示さる

“某地に聖観音と呼称するものあり、一名生貫観音とも言ふ。(これは地中から出てる石で彫刻された坐像で高さ六尺もあり)その聖観音なるものに左記疑問の点あり、何卒御教へ下さい。

一、村に火難、盗難、悪疫流行等起る場合、必ずその事前に額から全身にかけて流汗して村民に知らせるのは何故でせうか。

二、村民にしてその聖観音の事に関して、たとへば「あんな石で作ったものが言ふ事は皆嘘だ」とか「あんな石仏に参詣したとてなんの御利益もあるものか」等と言ふ事が再三にしてある際、その本堂の側なる欅の枝に遠方から誰が見てもわかる様な火が、恰も蝋燭の燃える如くに見える事のあるのは何故でせう。

“観音様の霊が宿って不思議な事を見せる。大抵の観音様には霊が入っている。人が崇めたり、拝んだりすると御力が出る。

観音像の霊(人間仏格と観音)

“成城の信者に霊媒の方がありまして、度々死霊が救ひを求めて憑りますが、それぞれ解決がつき、感謝して帰るので御座居ますが、先日観音様の霊と言ふのが憑りましたので御伺ひ申し上げます。最初手を頭巾をかむって居られる様な形に動かしまして「私は観音だ」と申します。「こんな汚い肉体にお観音様は憑られはしないでせう」と申しますと「私はこの家の仏壇にお祭してある魚籃観音の仏像の霊である。仏像の格によってそれぞれ憑る霊の格が違ふのである。私は此の家相応の観音として此の家を守っている。霊界では天国の直ぐ下にいる。一つ願ひがある。それは此の家に早く観音様の御魂を迎へてほしい。私も早くこの家にお観音様がお祭り出来るやうに霊界で働くから」と申し更に「現界は平らにならなければならないし人の心が平らにならなければならない。霊界と現界がしっかり手を取り合はなければならない。今霊界は大変和やかだが、現界はみにくい。然し現界がさうなるのも間近いでせう」と申しまして帰りました。この様なことが果して有りますもので御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“これはある。観音様は沢山ある。それぞれ霊が大抵憑られている。人間が或程度仏格を得ると観音様になれる。同じ姿にもなれるが、極く小さいので、力が薄い。光明如来様をお祭りすると、力を戴くから、力を与へられるので、働きが強くなる。(S24・5・22)

石観音様祀った墓跡(喘息症状となる)

“中村正勝(三十一歳、信者)が山に石で彫んだ観音様を近所の中尾某と協同で祀っていたそうですが、光明如来様をお祀りさせて頂きましてからは、その観音様のお祀りを致しておりません。右の場所は昔落人の墓跡らしく、点々と色々な石があるそうで、中村氏の五歳の子供が時々其処に遊びに行きますと、必ずその夜は喘息の様な状態で苦しみ、御浄霊を厭がり、恐ろしいと言って、目付きが変り、言葉が荒くなり、御浄霊を頂きますと大人しくなりますが、済めば又暴れます。中尾さんも御浄化を頂いて、御浄霊でお蔭を頂き、教修を頂きたいと申しております。何か霊的な関係がございましょうか。又、此観音様を今後如何様に処置致しましたらよろしいでしょうか。

“之は霊が憑依している。本当からいうと、観音様は石ではいけない。木に限る。雨ざらしの所へ祭るのも不可。御像は金無垢の一寸八分が本当である。でなければ木彫りがよく、金鍍金ならよい。観音様は東洋のお働きであって、東洋のものはすべて木か金でなくてはいけない。西洋のものは石である。之は外の霊が憑いているから、庭へもって来た方がよい。光明如来の方へ向いて安置し、月一ぺん祝詞を奏げてやると、それで霊は救われる。

観音像求めて腰立たず

“深井又吉(七十歳)、長年関節リューマチにて苦しんで居りました処、昨年八月入信致し、痛みは軽くなりましたが、歩行も充分でない時、教会の秋季大祭に参列致し、帰途岡山の古物商にて釈迦時代の仏像と言はれる一尺近い青銅製観音像を求めました処、その翌朝より腰が立たず、現在、御浄霊を受けて六ケ月になりますが、中々起きられません。憑霊現象も認められず、食欲もあり、気分も大変軽く、唯手足の痛みを覚へるのみで御座います。観音像入手の時お金が足らない為一度帰り、金を整へて店に行くと、店の人が観音様を今迄置いてあった所より出して呉れたので良くみると、今迄顔も体も同じ様な薄墨色で御座いましたのが、顔だけ錆を落した様に光って居るので不思議に思ったとの事で御座います。本人の症状と観音像と何か関係が御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。

“持って来よ。(S25・4・21)

武士霊の功徳

“私の町に土岐悪五郎と言う武士の墓があります。握り飯を供えお願いすると「オコリ」が治ると申して、元は相当お詣りが有りましたが、三十年程前に或る郡長様が「可哀相に悪五郎様は餓鬼道へ落ちて居るそうな」と言いましたら「オコリ」が治らなくなりました。今度は刀劔を供える様になったら又「オコリ」が治る様に成りました。これは悪五郎の霊がさせるのか、或いは狐等の霊の仕業ですか。お伺い致します。又、唯今ではお詣りする人は一人も有りません。果して此の古い霊はその墓に居るでしょうか。お伺い申します。

“悪五郎の霊が憑いている。功徳の為そんな事をしたのである。霊界で一生懸命やり、或程度罪が消えたのでよしたのである。それでそういう事が絶えた。(S24・10・7)

石塔より依頼さる

“私は去年六月頃、肋膜炎の為御浄霊を頂いて居りますが、大変良くさせて頂きましたが、この六月頃より又少し御浄化を頂き、御浄霊を戴いて居りますが、はっきり致しません。現在私の家に左図の様な石塔が祀ってあります。その石塔は昭和十八年に今年九歳になる弟が病気ばかりして居りますので、何か障りが有るのではないかと稲荷様に見て貰った処、その石塔の霊が出まして、元の位置に戻して祀って呉れと出ました。その石塔は私の祖父が宅地の西南の一部に「ため」を掘った時に出たもので、それを家から一丁程離れた道祖神の側に置いてありました。現在は宅地の一隅に祀って水と線香を立てて供養して居りますが、何か私の病気に霊的に関係がございましょうか。又、その石塔を如何致したら宜しゅうございましょうか。

“之は坊さんである。供養してやった方がよい。水に線香、食物など、月に一ぺん位供えて、日を決めて善言讃詞を奏げてやるとよい。肋膜は関係ない。肋膜は二、三回起る事があるが、その都度治る。それは再浄化であるから、少しやれば治る。(S24・11・19)

無機物の霊

“無機物たる石にも霊のあるものがあります由、その霊は霊界に於てはどんな位置に居るのでしょう。

“石の霊のみでなく凡ゆる物に霊はある。大抵は龍神が憑いている。石を使って霊を憑依さす場合がある。霊は非常に几帳面なものである事――。

不思議な動かせぬ石

“吉金種一(三十三歳)と申す信者の宅で御座いますが、井戸より西北に五尺程離れた所に昔から不思議な石が御座います。此の石は井戸へ行くのに不便な為石を取り、穴を埋めますと家の誰かが病気になり、御浄霊致しましても効果が御座いません。石を元の位置に埋めますと即座に治ります。石を除きましても穴を埋めなければ変化無いそうで御座います。石は三貫位で、何も書いて御座いません。穴は石が半分入っている深さで、三寸位で御座います。又、此の土地は先祖の言い伝えによりますと、昔寺の墓地の跡だったそうで御座います。此の石と穴に就いて霊的に何か関係があるので御座いましょうか。又、此の穴は如何に処置致しましたら宜しゅう御座いませうか。お伺い申し上げます。

“龍神がそこにいて離れたくないから知らせる。その儘置いてやればよく働く。人が近寄ると嫌がるから周囲に垣を作ってやり、月一度お祭りしてやると喜ぶ。石にはよく龍神が憑いている。石は憑きよい物質である。

祀石の処置

“平井某という信徒の家では、二ケ年程の間に色々と不幸が続き、行者に見て貰った所「庭に埋めてある荒神様がある。其れの祟りであるから、家の内に入れて祀ればよい」との事で、祀っては見たのですが一向に変化なく、御主人の病気も悪化するばかりでした。其れが観音様に救われ、御光も戴いて非常に喜んで居るのですが、御仏壇の前に荒神様だと言って庭に埋れていた石が其の儘になっているので、今では其の石が邪魔になるので、何とかして戴きたいと言うのですが、どの様にすれば宜しいのでしょうか。御教示下さい。

“荒神様は石ではない。庭へ出して、人の通らぬ所へ置いておけばよい。蛇か蛙の霊である。早く人間に生れ替るよう、幽世大神様にお願いしてやる。(S25・1・17)

拾った龍頭の処分

“山梨県吉田村の和光さんと申す信者で御座いますが、三年程前、冨士川で木彫の龍頭を拾ひました。裏に初鹿野村と銘が御座いましたので、同村の神社へ持参致しましたが、受け取って下さいませんので、そのまま持ち帰り、長押の上に飾り物として掛けて置きました。最近に至り気になり、取り外し、御神前で二、三の信者に見せました処、寒気を催しましたので、近所の浅間神社にお預けさせて頂きました。処が其の後、和光さん方に来る信者さんの幾人かは必ず気分が悪くなります。尚、或る時写真を撮りました処、龍頭の後部に、白歯をむき出した龍頭の如き幻影が現れました。これは霊的に如何なる意味が御座いませうか。又、この龍頭は如何処分致しましたら宜しう御座いませうか。

“龍神が憑依している。自分が浄めて貰ひたいのである。外へやってはいけない。光明如来様お祭りの時祝詞を奏げてやる。鉢を置いておき、生米、塩、生魚、生野菜など上げてやる。酒もよい。 (S25・4・22)

泥人形壊して歩行不能となる

“三十二歳の信者、戦時中支那の山間部落の或るお堂に宿営致しました際、お堂に投身大の泥人形が御座いましたので戦友と共に打壊しました処、翌日から足の具合が変り、日一日と足の感覚がにぶって、とうとう、帰国致しましたが遂に歩けなくなりました。去る九月上旬入信致しました処、お蔭様で杖に縋って歩ける様になりましたが、如何すれば宜敷う御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“支那にはそういうものが多い。泥人形のように手足が動かなくなった状態が映るのである。浄霊で離れ、救われる。光明如来様に早く人間に生れるようお願いする。(S24・12・11)

軸物入ってより奇病出づ

“奉天から復員時持帰った軸物がその家に入ってから間もなく関節リョウマチ(二人、一人は死亡)が、片足を切断した者と足の指を切断した者が出たので御座居ますが、之は軸物に憑依した霊の働きでしょうか。それとも其の家の先祖の霊の祟りで御座居ましょうか。

“中の絵を見てからでないとはっきり言えぬが、霊が憑いているようである。よく支那や朝鮮から持ち帰った物に憑いている。箱根にある石の飾り物などにも、査べたら王様の霊が憑いていたので、救ってやったら帰った。よく査べないと又死ぬ。以前短刀に三代将軍家光の奥方の霊が憑いていた事があった。  (S24・3・2)

銃や刀に憑いた霊(持主に祟る)

“本年二月入信致しました森つる子さん(四十歳)、精肉商の妻で御座います。森家は代々精肉の卸と小売を致して居ります。同家は老夫婦とも健在、当主つる子さんの夫は酒乱で御座います。本年一月つる子さんが喀血致しましたが、御浄霊により御守護を戴き全治致しましたので、夫の酒乱を治すべく入信致しました。夫は初め二回程御浄霊を戴きましたが、その後は嫌って御浄霊を受けません。お爺さんは不動尊の信者で寒行、水垢離など致して居ります。叔母の話によりますと、終戦後中古の猟銃を買ひ入れました所、其れより酒が激しくなり、酒乱になったと申して居ります。同家では銃に何か因縁があるから売って終ふと申しますと、お爺さんは売らないと申します。この猟銃と酒乱に何か霊的関係が御座いませうか。御教へを賜りたく御願ひ申し上げます。

“猟銃や刀などで殺された霊が憑き、いろいろな事をする。討たれて死んだ霊は人に憑らず刀や銃などに憑ってその持主に祟る。光明如来様をお祭りして、その前へ置くと治る。(S25・3・21)

刀剣類の祟り(解決法)

“刀剣類の祟りが各地に続出いたしておりますが、この場合、刀剣類を如何処分いたせばよろしいでしょうか。お教えを御願いいたします。

“刀剣にはよく霊がくっついている。額を当てると霊がついてくる。(憑ってくる)この刀で何年前に殺されたなどという。殺された時その刀そのものに霊が憑く、すると何時迄も憑いている。そういう場合天津祝詞を三回奏げると、大抵それで解決がつく。そうばかりも言えない。先に、石の観音様があり、二千年前の支那の天子の霊が憑いていた。非常に喜び――それまで祟ったんで会社の社長が坂井に貰ってくれろというとの事である。今迄救う人がなかったので悲観したという。支那では兵戦があり、墓を守ったり、位牌を作ったりする事がないので、無縁になっている。それで逃げる時大抵土中へ埋ける。であるから、少し良い物は土中物と言う。(S23・9・21)

刀剣の処置

“私の家に伝はる刀剣は、年代は不明で有りますが木曽義政と武田信玄が木曽の鳥居峠に於て戦った際(凡そ四百年前位と思はれます)に、何れの部下であったか判りませんが、須藤某と言ふ武士が敵方を二十八人切ったものにて、須藤は自宅の附近にて自害してその死体を私の先祖が葬ってやり、その刀剣を預ったものであります。その刀剣が私の眼病に何か関係が有るので御座いませうか。尚、その刀剣の処置に就いて御教示を御願ひ申し上げます。

“刀剣は霊が憑いてる場合があり、祭ってやるといい。然し四百年も経てば大抵片付くものである。ただ憑いてるとすれば光明如来様をお祭りし、その前に刀剣を置いておけば自然に救はれる。目は白底翳、之に関係ありと思へぬ。外の原因であらう。眼球注射の為治りが遅い。必ず治る。(S24・1・19)

祟る刀の処置

“島根県、知井宮村の岩成といふ人の子息二人共大手術で死亡、其の原因を或る祈祷者に査べてもらった所、其の家に以前家伝の名刀ありしが紛失した為、其の刀の祟りといふ事になり、現在代りの刀に其の祈祷者から御霊を入れてもらひ、床の間に祭ってある由、マッカーサー司令部の命令もあり迷っています。如何取計ったら宜敷いでせうか。

“お礼を言って断り、始末する。こういふ事情で祀れないからと。お祭りするしないに関係ない。

刀の為狂ふ

“私の本家に昔試し切りをしたと言ふ脇差が代々伝はって居ますが、其の祟りの為か先代と当主が狂人となり、他にも色々不幸があり、困っています。どういふ処置を講じたらよろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“切られた霊がくっついている。(S24・10・3)

日蓮宗霊品物に憑く

“本年二十一歳の男子(二十三年に受教)、二月八日御面会を戴くと同時に霊が浮き出し、時々乱暴を働くと同時に、特に父親には凡ての点で反対致します。当家は代々日蓮宗の為、お寺でみてもらったら祖霊が憑って居ると言ったそうです。善言讃詞を上げると特に嫌がります。浄霊も同じく嫌います。腹部脛部で脈打って居ます。尚、両親は二十二年に御教修を頂き、去年の二月には光明如来様を御奉斎頂いて居ります。どの様にして御浄霊したらよろしいでしょうか。何卒御守護御願い申し上げます。

“日蓮宗関係の品物に憑く。それを謝って焼くといい。(S25・3・18)

拾った位牌の霊憑き関節痛

“未入信の柴田ナカ(七十五歳)と申す者、二ケ月余り御浄霊を受けていますが、関節が痛み出し、手足が動かなくなりました。頭の御浄化を頂いて、時々暗いとか帰りたいとか申しまして、家中の者を困らせます。本人二十年前海岸に落ちていた位牌を持ち帰り、現在も自宅にお祀り致しております。又、三十年程前に漁に行った時に、網に頭蓋骨が掛ったので、共同墓地に葬ったそうで、其後此家では三人続けて若死を致しましたそうで、拾った位牌及び頭蓋骨とこの柴田家と霊的関係がありましょうか。又、其後の処置は、如何致しますれば宜しいでしょうか。

“関係がある。関係がなかったらそのような手続きにはならぬ。死霊が憑っている。頭蓋骨のそれではない。位牌の実家へ帰りたいのであろう。光明如来様をお祭りして仏壇へお屏風観音様をお祭りすれば段々救われ、満足する。手足の痛むのも治る。浄霊が足りないし、急所を外れてる。

着物と霊

“霊はよく着物に憑く。気に入った着物など、死んでからもその傍にいる。(S23・7・25)

人参に憑依した霊(霊憑する物)

“小笠郡栗本村の信者が或日人参を掘りました処、其の人参は二股で、其の股に蛇の形をした人参が付いて居りました。家人も不思議に思いましたが、夕食の時、其の人参を食べようと致しました処、母親に霊が憑って申しますには「其の人参は二股の方は丑五郎で、蛇の形をしたのが神崎与五郎だ。こんな姿になって誠にはずかしい。是非祀って戴きたい。一晩でよいから観音様の前に置いて下さい。そうすれば救われるから」と申しましたので、その様にしましたとの事で御座います。人参等にも霊が憑依致しますので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊界へ行って祀ってもらえないと何にでも憑依する。霊は殆ど凡ゆるもの、果実の実などにも憑依する。そういう物を食うと中る。信仰へ入らぬと詰らぬ障りをよく受ける。そういう結果に恐怖していろんな迷信が起る。六三の祟りなど、三六の逆であるから、邪神の邪魔である。  (S24・3・1)