015 浄霊篇(上)

御光御揮毫の期限

“これは甚だ失礼なお伺ひとも存じますが、御光の御揮毫は地上天国完成の日までも、何時までもお願ひ出来るものと信じさせて頂いてよろしうございませうか。種々デマもとんでいますのでお伺ひ申し上げます。

“生ある限りは書く。

御守変る

“一、大浄光、大浄力、浄光、浄力、浄の御守り様を御下付戴きます由、霊的・体的に、御働きに就きまして個々に御垂教を御願ひ申し上げます。

一、善言讃詞に差し加へられますのは「救世主と成らせ」で御座居ますか「救世主と成らせ給ひ」で御座いますか。又その御文字は右の通りで御座いませうか。

“光では力が弱い。仏の力になる。二十年位前、世界紅卍会の幹部十八名来た時、至聖先天老祖神君(国常立尊様)――(キリストや釈迦など御指図遊ばす神様)が、その時「浄」と書いて下さった。(S25・2・18)

「観音力」時代御守外した理由、(大本教時代)、(産婦の御守)

“以前は御守様を夜は御納めして寝み、産婦は安静期間中御納めしたのですが、今日では二六時中戴いて居りますが、此の違ひはどういふ訳なので御座いませうか。

“以前は観音力と書いた大きい御守だったので、ふだん掛けると挙動に差支える為にそうした。そして寝る時は小さいのを掛けるようにしたが、それを工夫して小さくした。そして手数もかかり面白くないので始終吊るようにした。産婦の事は私も知らぬ。産婦に掛けさしても汚れるような事はない。外してはいけない。昔から神様に対する認識が非常に違っている。大本にいた時は獣肉も食ってはいけなかった。そうすると西洋人を救ふ事は出来ぬと私だけは肉を食った。参拝の車中、私だけはサンドウイッチを食った。電車などは邪神の作ったものだといって乗らなかった。産婦の場合、よけいに御守護頂かなければならぬ筈である。(S23・11・4)

大光明と光の働き、(字の働き)

“大光明の御守と普通の御守とのお働きの相違――

“大がつくとそれ丈働きが大きくなる。  これは字の通りである。字は不思議なもので、字の意味が一つの働きをする。ただ誰が書いても働きがあるといふ訳にはゆかぬ。私の腕から筆を通し紙や字に光が染んで働く。言霊、文字、想念は密接な関連がある。

御守と御霊線、(信仰と霊線)

“御力を「戴く」と「戴かない」とで霊線は如何様につながりの相違がありますか。又、霊線のつながりは如何様に出来るものでせうか。

“御光が入っていないと大先生の御霊線の繋がりがないから力がズッと少ない。信者は或程度ある。懐へ御光を入れないとよく災難にあふ。信仰が強いと線は太くなる。(S24・7・27)

御守を外す、災難

“私儀四月初め頃より御神体にお参りの節、毎日瞬間的に神床に金色の大光明如来様が映ります。五月十日朝起床致しますと、首にかけて居ります御守様が中の袋共紛失致しており、首には空の袋だけがかかっておりました。吃驚致し、探してみますと枕より一尺位離れた所に置いて有りました。此れは私が無意識の中に引出した事と存じます。早速御神前へ参り御無礼をお詫び申し上げました。その後、腰と胃が一日三、四回位痛み、同時に上半身が電気に触れた様な激痛を感じます。肩は非常に張り首が回らなくなります。御浄霊をいただきますと大変楽になりますが、復すぐ元の様に痛みます。如何なる御浄化で御座いましょうか。御伺い申し上げます。尚、五月十一日、父(恒吉五十七歳)が茅ケ崎市よりの帰途、バスにて、列車との衝突事故の為負傷、当然生命の無きところを明主様の広大なる御守護を頂きまして軽傷にて済ませていただきました。会長先生と岡田先生の御浄霊を頂きまして大変傷も良くなりました。突発の事とて市立病院に入院しておりますが、退院次第御礼に参上させて頂きたく存じております。本日は父に代り御礼に参上させて頂きました。謹んで御礼申し上げます。  今後共御守護の程御願い申し上げます。右は霊的に如何なる訳が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“袋は無意識にやった。憑っている副守護神が苦しいからやった。やはり浄化だから、気長に浄霊すれば治る。災難は決っている。それが御守護によって軽くすむ。  (S25・5・18)

御守で苦しむ

“三十三歳の男の方で  入信後悪夢や恐ろしい夢を見る様になりました。お光を戴いております胸の辺が何時も重苦しいそうで御座いますが、如何なる訳で御座いませうか。  又、霊的に意味が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“此人の動物霊が胸に居り、御光の為思うようにゆかず、動きがとれぬ。そういふ霊は濁りがあるから重い。或時期まで待てばうまく行く。悪い霊ほど重く、御光が恐ろしいのである。(S24・9・22)

御守かけて変になる。

“本年八月頃教修を受けた方ですが、御守様を掛けると少し変った態度になるそうです。原因を御教へ下さい。

“副守護神(動物霊)が苦しむ。全然かけられないのもある。霊がよく「御守をかけると苦しい」と言ふ。之によっても御守の偉力が知れる。こういふ人は霊に負ける訳で――といふ事は本当の霊が弱い、即ち曇りが多いといふ事になる。(S23・11・16)

御守嫌ふ精神病

“私の姉は十八歳の時発病し、一時治りましたが、  現在、精神病です。昨年八月、光明如来様、御屏風の御観音様を戴き、御守護に依り大変良くなりました。  御守様を戴く様に話しますと、私は要らないよ、と申します。姉に御守護を戴きたく思いますが如何で御座居ますか。宜敷く御守護御願い申し上げます。

“狐が憑いてると、狐が嫌がって御守様を捨てたりなどする。

御光の紐切る

“本年九月入信の三十八歳の未亡人で御座いますが、十一月二十一日午前三、四時頃、夢の中で何か細布を一生懸命噛んで居りました処、目が醒めて見ますと首に掛けているお光の紐を噛み切って居りました。誠に申し訳のない事で御座いますが、何かの御知らせの印で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“副守がくやしいのである。(S24・12・11)

重病人に御守

“重病人が必死に御守を戴きたがる場合は授けても勿体ない事はないでせうか。

“授けないのが勿体ない。病人だったら成可く大光明如来様の前へ寝かす方がよい。  月経時の御給仕はいけないなど、いろいろ昔の間違った習慣がある。(S24・7・16)

乳児の教修

“乳児(一歳)教修を頂きましたが、御光を適当に小さく折りたたんで御掛けして上げてよろしうございましょうか。

“いけない。六つか七つ位過ぎから――いくらか判る位から御守かける。(S24・8・23)

幼児の御守拝受

“五歳の子供が御守様を戴きたいと申しますが、何うしたもので御座いましょうか。 

“差支えない。御守を出来るだけ小さく作ってやるとよい。

夢にて御守戴く、(妾の受教)

“去る二月十八日御伺ひ申し上げました其の後の経過を御報告申し上げます。  明主様御言葉通りに本妻に御守様を頂き主人を浄霊するよう申しましたが聞入れません。現在浄霊しております妾は本妻より早く夫婦になられたそうです。家の都合上現在の様になりました。本妻は病気にて寝たり起きたりしております。三月三日夢にて、明主様が自動車にて御出でになり、浄霊をして頂きました。其の時、妾の側に稲荷様がおり、明主様に叱られました。  徳永先生外二名の先生に御命じになり、稲荷さんを焼き払ひました。其の時、明主様より患者は大変立派な御守様を頂きました。翌朝は大変気分よく、咽喉部も痛みはなく、食事も水も頂けました。只今、本人は死んでも良いから大浄力の御守様を頂き度いと毎日申しております。妾も頂いて浄霊して上げたいと申して居ります。如何致しましたら宜しいでせうか。

“大浄力はいけない。浄力ならよろしい。妾が浄力を受けてよい。

漁船に御守

“機械付漁船ですが、人と同じ様に講習を受けてお光を頂くべきか、船主の私が受けております故それで宜敷いでせうか。

“持主なり、支配者なり、その人の自由になるべきものは、その人間さえ教修を受けて信仰に入ればよく、人間の信仰の強弱による。御守護の点からいえば人間本位にすべきものである。(S24・1・19)

記念に御守

“私の娘(二十六歳)は昭和二十一年一月十六日に私と一緒に入信させて頂きました。当時娘は教員をしておりました。そして昭和二十二年三月二十八日他家へ嫁ぎました。其の結婚当日、相手にも記念として御光を拝受させて頂きました。其の当時は喜んで居りましたが、其の年、娘が浄化の為家に帰り四ケ月程静養中、留守の間に心変りして御光を持たなくなりました。其の後娘が色々の浄化を頂きましたが、其の都度夫は  「お前が今息を引取ると云っても御光は絶対に持たない」と言っております。又、先方では家族の者皆全然此の道に理解がありません。為に娘は常に不安に思っている様で御座居ますが、其の様な所に娘を置いては如何でせうか。心配で堪りませんので御伺ひいたします。

“結婚記念に御光を授ける如きは大いに間違っている。神様を侮辱している。光明如来様を贈り物にしている。信仰は止むに止まれずするのが本当で、無理にするのはいけない。暫く実家へ帰り、先方で要請されたら行けばよい。でなければ離縁した方がよい。(S24・9・17)

御守に御書体入れる

“或る分会の先生で、私の方の教修生に、あなたは龍人系ですから私の分会で特に二体戴いてある金龍の御書(御守様)を御光の中に共に入れて置けば病気はすぐに癒るとの事ですが、その様な事は事実でせうか。又その様な御書(御守様)は普通の方には戴けないものでせうか。

“これは間違っている。光だけである。龍神系と関係はない。(S24・6・3)

お返しされた御守を掛ける事

“私は本年二月十八日に御光を戴きましてより数々の御利益を頂きました。私の友人が私の話を聞いて、その恩人の子供の小児麻痺を救って戴けたらと云うので自分と共に入信させて戴きました。然るに友人は伏見稲荷の信者にて、自分には何も不幸な事もない身の上で単に恩人の子供を救えたらという希望だったので、中途で反対論となり、入信後二ケ月余にて御光を掛けなくなり、私に「もう掛けないからあなたの御母さんにでも差上げたい」と言いますので、私が「あなたが戴いたのだからそうしておいて、又掛けたくなったら掛けなさい」と言うと「あなたが持っていかないなら焼いて了う」と言いました。私は焼いてはと思い、上の先生に御教え願った上取計ろうと思っていました処、母が掛けたいと言うので、一時掛けさせてみたら大変御利益を戴いて悦んでおりますが、如何なものでしょうか。御教示を御願い申し上げます。

“稲荷がそうしたのである。御守が怖いのである。狐は非常に怖いのである。(以前、癲癇で、掛けると苦しい人があった)御守そのものは何でもないから、誰が掛けてもよい。但し一時は許すが長くはいけない。但し、教修は一日も早く受けなければいけない。(S24・7・28)

御守の転授

“私儀教導師補の時に「浄力」の御守様を拝受させていただきました。此の度教師を拝命、「大浄力」の御守様を拝受致しましたが、前の「浄力」の御守様を家族の者に拝用させていただいてよろしう御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“いけない。その人が御守護頂いたのだからとっておくべきだ。御神体は構はない。  (S25・5・18)

夫婦で御守取替る

“三十五歳の女、気狂いです。夫婦共に入信して、妻君は大分良くなりましたが、最近主人が入湯中自分のと主人のと両方共御守の袋を開き、出してしまひました。何れの方とも分らなくなりました。如何したら宜しいでせうか。

“開いてみても夫婦で取替っても差支えない。夫婦は一体だから変ってもよい。それで、額になっている。(S24・6・26)

被浄霊者の御守

“御浄霊の場合、御浄霊を御受けする者は観音力を外して御浄霊を御受けすべきで御座いましょうか。私が入信後間もなく妹の頭を御浄霊させて頂きました処、其の部分から白い煙の様な「カゲロウ」の様なものが上るのを見ました。そして直ぐ妹の観音力を外させまして御浄霊致しました処、今度は其の様な事は御座いませんでした。御浄霊の場合、御浄霊を戴く者は観音力を外して御願いするのが本当で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“御守は掛けたままでよい。(S24・2・21)

被浄霊時の御守

“浄霊を受ける場合、御守様を持っていてもよろしう御座居ませうか。

“差支えない。御守様を持っていた方がよい。

御守と祖霊戒告

“番やす(五十七歳)女、本年一月入信、家の都合にて御守様を先生宅に預かって頂きました。其の後本人は気管支炎にて大変苦しくなりましたが、此の浄化は御守様を先生にお預けしました事に関係があるのでせうか。御教へ下さい。

“大いに関係がある。祖霊が気づかす為にやったのである。御守は決して放してはいけない。  (S24・11・7)

水泳中の御守

“子供が近くの海や川へ泳ぎに行きます場合、又、電車で遠くの海へ出掛けます場合、御守様は如何致したらよろしう御座いませうか。

“泳ぐ所のどこかへ掛けかえればよい。家へ置くのはいけない。電車事故等の頻繁な今は特にそうである。(S24・7・19)

出漁時の御守

“漁師の信者、仕事の関係上濡れてはとの考へから御守様を戴かずに出漁致しますが、沖で御浄霊させて戴けません。此の様な場合、如何致しましたら宜しう御座居ますでせうか。

“之は間違っている。油紙で蔽えばよい。之はゴム引でもよい。出漁の時こそ肝腎である。  (S24・3・4)

水泳の際の御守

“水泳の時の御守は如何致したらよろしいでせうか。

“水泳に行く場所によるが、釘掛けのある場所ならお掛けする。海など行く時は、家へ置いてお断りする。人間が誠意を以て出来るだけの事をする。  (S24・2・10)

御守紛失と心得、(御守は不消の火)

“首にお掛けしていました御守様が時々無くなったと云ふ事を聞きますが、如何なる訳でせうか。

“これは不注意である。そういふ事はないとは言えぬが、御守が無くなるとか、汚すなどは置き所が徹底しないからである。尊いと言ふ信念が薄いといふ関係もある。良く反省して、お詫びして心を入替へるようにすべきである。御守は火素の塊のようなもので、消えない火であるから水によって浸す事は出来ない。

御守焼ける神意

“昭和二十二年に入信致しました岩尾ナミエ(四十二歳)と云ふ信者で御座いますが、(日頃あまり熱心にやって居りません)先月外出先より帰って、御光を箪笥の横に一寸掛けておきました処、風か鼠の為に落ちました。丁度其の下に火鉢があって火が少々残って居りました為、御光が焼けてしまいました。改めて御光を受けさせて戴く考へで御座いますが、霊的に何か意味があるのでせうか。御伺ひ致します。

“大いに意味がある。大変意味がある。御光を箪笥の横へ掛ける想念は全然判っていない。故に必要がない。必要のないものを与える要はないといふので神様が焼かれた。御光を粗末にすると斯ういふ事がよくある。間違っている事をお詫びして再教修受けるか、その気持になれなければ信仰をやめるべきである。中途半端ではいけない。信仰するならそのような行動をとるべきである。(S24・8・28)

原因不明の御守のシミ

“三十四歳の男子、七月十三日山桃を取る為木に登りました。その際知らぬ間に二粒程ポケットに入り、遂に御光様に染の付いたのに気がつき吃驚しました。  何か因縁があるので御座いますのでしょうか。又、今後如何様に致したら宜敷いでしょうか。御伺い申し上げます。

“(御守様の内側は汚れる筈がない)自分自身考えてみよ。何かある。斯んな事はあるべき筈がない。本人が考えよ。考えて判ったらお詫びして戴き治せばよい。(S24・7・28)

御光を焼いた罪

“昭和二十二年の暮娘が入信し、母親が理解出来ないで昨年九月に御光を焼きました。その罪は如何なる罪になるでせうか。最近母親が入信致したいと改心しているのですが、如何致したら宜しいでせうか。御教示御願い致します。

“改心すればそれでよい。(全然罪は消えるのではないが、十分の一位になる)ズーッと罪が減る。(S24・9・8)

御守濡れる、(シミの有無) 

“恐れ多い事ですが、夏は汗や夕立などで御光を濡らしてしまう事があります。充分注意はして居るつもりでも粗相してしまった様な場合は如何にしたらよろしいので御座いましょうか。又御光の力に変りはないものでしょうか。謹んで御伺い申し上げます。

“濡れた場合開けてみて、紙へシミか汚れがつかねばいい。油紙か水の滲みぬ紙で包むといい。シミの着いたのはいけない。新しく理由を話して受ける。

御守濡らす

“私の妹が田植の際大雨にて御光を濡らしてしまいました。臨時祭の時平良先生に調べて頂きましたら、染が入っておりましたので、大先生に御伺ひしてみなさい、と言はれましたが、如何に致しましたら宜敷いでせうか。御教示を御願ひ申し上げます。 

“普段、油紙とかパラフィンのようなもので包んでおく。一般へのそういふ御注意である。差支えないから包むとよい。(S24・8・28)

御守紛失

“五歳の男の子が何時の間にか御光をなくして参りました。本人に聞きましても知らないと申します。誠に申し訳ない事を致しまして、深く御詫び申し上げます。これは何かのお気付けで御座いませうか。御教授願ひます。

“お気付けとは限らぬ。外に理由のある事もある。穿鑿は別として、お詫びして新規に戴く事である。  (S25・4・17)

御光紛失(子供の場合)

“先月左記第一項に就き御伺ひ致しました処  「余程大きな罪があるか、神様に対する何かの間違ひがあるかも知れぬから今一度調べる様に」との御指示で御座居ましたので、改めて御伺ひ申し上げます。

一、中谷かつ子と申します熱心な教導師ですが、その夫は、昨秋十月肺病で死去し、お道に熱心だった元気な長女が本年一月発病し、八月死去し、その後、末の子供を二人他家にやる様になりました処、御光を二人とも何処かに紛失し、袋だけが戻って参りました。右中谷家は、戦時中空襲で近所は殆ど助かりましたが、主人が一代で作りあげたその家と三軒だけが焼けました。

二、以上の件に付き、因縁を御伺ひ致しました者でありますが、右に就き調べました処、この家は神戸市にて、観音山と云ふ山の頂上にあり、西国を型どりまして、六百年前より麓より頂上にかけて、三十三相の観音様を石に刻み、お祭りし、常福寺といふ寺にて管理して居ります。中谷家の宗旨は不明なので、夫人(中谷かつ子)の実家の宗旨(真宗)で夫と子供をお祭りしてあります。又、空襲の際、爆弾落下の為弱った地盤がその後雨にてくずれ、下の天理教の教会が埋もれ、十七人生き埋めとなり、十二人が即死致しております。

以上の様な次第で御座居ます。何卒よろしく御指示を御願ひ申し上げます。

“御守を紛失したのは変である。子供なら仕方ない。お咎めはない。財産は怨みの財産で、之を潰さなければ救はれぬ。(S24・9・15)

御守の余白を損す

“腫物にはるために御霊紙と間違えて御守様の御神体の余白の処を少し破った人が有りますが、如何したらいいでせうか。

“お詫びすればよい。  (S24・11・18)

御守等鞄に入れる事

“御教修、布教等に出張の際、御守、御屏風、其の他の御書体等をお持ちさして頂くのに鞄に入れるのはいけないと思ひますが、汽車等の混雑甚だしく、鞄にお納めした方が安全な場合、鞄に入れさして頂いてもよろしいで御座居ませうか。右、御伺ひ申し上げます。

“鞄は差支えないが、その上へ何か載せぬ事である。

旧御守の取扱い

“御守の御取替えをした場合、旧い御守を子供が御教修を頂くまでかけさせて戴いてもよろしいでせうか。右、御伺ひ申し上げます。

“いけない。しまっておいて額にするといい。一年位経ってから額にする。(S25・3・28)

光明の御守を額にする事

“去る御面会の節、御守開封の件に付き御質問を致しました方が御座居ました時、「時が来たら額に出来る様になっている」との御解答が御座居ましたが、私事昨年七月大光明の御守を戴き、本年春、初めに戴きました光明の御守を、不注意にも先生方にも伺はず、しまひ置いては勿体ないと存じまして、玄関の間(八畳)に御額にして御掛け致して御座居ます。前述の、時が来たらとの御解答により大変な間違いを致してしまひました事に気付き、謹んで御詫び申し上げます。尚、此後如何致しましたら宜敷う御座居ませうか。謹んで御伺ひ申し上げます。

“時が来たら、などと言った事はない。こんな心配は要らぬ。間違いではない。額であるからそれでよい。(S24・9・5)

御光開ける事

“迂闊に御光を開けて見た後で、勿体ない事をしたと驚き分会長先生に御浄めをして戴きましたが、未だ気になります。今後どの様にしたらよいのでしょうか。御教示願います。

“開けてもいい。(その為額にしてある)ただ丁寧にする。(懐へ入れれば御守になる)(月経女を部屋に入れないのがあるが、構はぬ。死んだ人は神様から遠ざけるが、私の方では近寄った方がよい。光明如来様に近づけ、お光によって浄める。神様は生米や塩はお嫌いで、之は龍神が好む)  (S24・7・25)

お返しした御光を下付する事

“入信後御光を返却して参りました場合、その御光は如何にすれば宜しいですか。この御光を浄めて戴いて他の者に戴かせる事が出来ますか。

“御光は汚してあるから、一旦お手許へ返す。そして浄めて上げる。そして入れ直す。それからがいい。(S24・6・25)

お返しの御守処理

“会員の中には脱会の際御守を返上する方がありますが、かかる返上された御守は如何致すべきでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“一番良い事は、お詫びして焼く事である。  お軸はとっておく。(S24・1・18)

お返しした御守

“講習生が御守を粗相し、御浄めに御預りしたもの三体、兄の生前中よりございますが、如何させて戴いたらよろしいでせうか。三体共名前がついておりますが、分りません。内一名は御主人反対のため戻されたものであります。

“額にするとよい。しまっておけば、又入用の時が来る。

死者の御守の入棺

“亡くなられた方の戴いた御守はそのまま棺に納めて焼却させてよろしいでせうか。

“礼を言って焼くのが普通である。棺に入れてもいい。霊界へ行っても特別扱いされる。霊界へ行くと大変な違いである。

死者御守御処置

“入信者死亡の時、家族が過って死者の御光に対し左記の如き取扱いをなした場合、如何なる処置をすれば宜しいか。

一、死者に持たせて火葬した場合、

二、死者に持たせて土葬した場合、

三、河川に流した場合、

四、神社、寺院にて焼却して貰った場合。

“どれでも構はぬが、霊だけの御守護で、そのまま掛けてやるのが一番よい。霊界で素晴しい待遇になる。河川に流したりするのはあまりよくない。神社で焼却するのはさして悪くないが――。朝鮮で御光を戴いた為に、霊界で良い所へ行けたと教師に泣いて感謝した霊があった。  (S24・6・25)

死者の御守と遺族

“何かの理由で御道から離れた場合、或いは信者が死亡してその家族に信仰心のない場合等には、御写真、御神体、御書体等はどの様にさせて頂いたらよろしいでしょうか。信者が死亡致しました場合、御守は一緒に火葬にするようにと御伺い致しましたが、土葬の場合、御守は如何致すべきでしょうか。

“遺族の希望通りでよい。  (S24・12・3)

死者の御守の埋葬

“教修者が亡くなりました場合、御守様をかけたまま葬るべきで御座いませうか。或いは別に御処分御願ひすべきで御座いませうか。

“どちらでもよい。本人の希望によった方がよい。  (S24・1・19)

死亡者の御守

“入信者死亡の場合の御守様の御処置――

“焼けばよろしい。

左眼は霊視能あり

“御守様をお掛けしていますと左の眼前にて金粉をふりまいている如くちらつき、外すとそのちらつきも止みますが、これは何故でせうか。お伺ひ申し上げます。

“御守から光が出ている。御守をかけると身体へ光が入って、身体から光が出るのである。左の目が霊が見える。それで見える。左の眼は霊の見える性能がある。

御守袋より脱ける

“一昨年入信致しました会員で、  日頃熱心に信仰を続けておりますが、二月程前の夜、近所の家より帰宅して見ますと、御光が外袋より脱けて御座いません。驚いて見に行くと、自宅の出口の所に落ちて少し水に濡れておりました。御文字は濡れて居りませんでした。直ぐにお詫び申し上げて新しい外袋にお入れ致しましたが、どんなにしっかりスナップで止めて置いても  必ずその外袋より脱けて出てしまいます。如何なる訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“ない事はないが、二度までもといふ事はおかしい。一回見せてくれ。 (S25・1・11)

観音力御守の袋口の開閉

“他の会の方に聞きましたが、観音力の御守様をセロファン紙等にて包み、又、被いの御袋に入れさせていただく折、上の口を決して閉じてはいけないと云うことで、すっかり開けておられるそうで御座居ますが、これは如何致すのが正しいので御座居ましょうか。御伺い申し上げます。口が開いておりますと、飛び出したり中に埃が入ったりして不都合の様で御座居ます。尚、スナップで止めておきました所、未だわからない家族の者が入浴中に中を開いて出して見たという実例もありまして、最近は私共の方では大抵上をすっかり縫うように致しておりますが、これでよろしう御座いましょうか。  御伺い申し上げます。

“縫って宜しい。観音力の名称は不可、「御光」といふべし。(S24・4・21)

御守を包む事

“長崎県の海底炭鉱に働く者で御座いますが、坑内は泥水が雨の降るやうに落下して、働く者は全身泥まみれになります。今度有難い御光を戴くことになっておりますが、働く時に坑内で御守様に失礼があってはと心痛致しております。此のやうな場合は如何様にさして戴いたら宜しう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“御守は防水油紙などで包むとよい。(S24・11・2)

御守の鎖紐

“夏季、婦人が洋装等の場合、御守様の絹紐を細い鎖に代えて掛けさせて戴いてもよろしう御座居ますか。御伺いさせて戴きます。

“差支えない。(S25・4・28)

浄霊時の御称号

“危険の場合に御守護お願いの祝詞をお奏げ致します場合、日月地大御神様に御願い申し上げる事は勿体ないので光明如来様にお願い申し上げる様にと御教えを賜わって御座いますが、病人の御浄霊をさせて戴きます前に祝詞をお奏げ致します時も、「大光明如来守り給へ幸倍賜へ」と申し上げるのが宜しう御座いましょうか。御教えをお願い申し上げます。

“祝詞を奏げる時は書いてある通り日月地大御神である。日月地大御神は神、光明如来は仏であるから、祝詞の時――(心の時に小さい声で唱える)。霊界に属する事は幽世でいい。(S25・2・21)

浄霊の時の祈り

“御浄霊の際「この病人が一日も早く治ります様に」との気持から観音様に御願ひし、且つ念ずる心になり勝ちですが、矢張り之も抑へた方が宜しいのでせうか。右、御教示お願い申し上げます。

“制えなくてよい。そういふ気持は大いに結構である。斯ういふ気持でするのが当たり前である。危急の場合とか、思ふように行かぬ場合は大先生にお願いする。普通はそうしない。(S23・11・8)

浄霊時の祝詞

“天津祝詞を奏げて浄霊する場合及び  善言讃詞を奏げて浄霊する場合、如何なる病人、如何なる浄化の時に致しますか。御教示下さいませ。

“普通は祝詞を奏げる要はない。霊的の場合に祝詞を奏げる。その時は天津祝詞は強い、善言讃詞は弱い。人霊は善言讃詞の方がよい。動物霊は天津祝詞の方がよい。(S24・11・26)

人獣同化霊に対する祈り言

“御浄霊の時人獣同化霊の場合、如何様に祝詞を奏げましたらよろしいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“幽世大神様でよい。

御守の働き

“御浄霊を行う時、御光は御守様より発して肉体を透って掌より発するのでしょうか。又、御光は肉体に入る時、左進右退的になって毒素を浄化するのでしょうか。御伺い申し上げます。

“この通りで、水を乾かすような意味である。(S23)

霊光は直線的、(平均浄化)

“浄霊の場合、掌より放射される霊気は被浄霊者の体内を直線的に通過致しますか。又、神経系統等に依り体内に分散或いは曲折致しますか。尚、霊体の曇りの種類及び濃淡に依り放射霊気が曲折、反発、消滅することが御座居ますか。右、御尋ね致します。

“無論直線的である。屈曲はしない。(アインシュタインの原理)太陽の光線で、患部へ直射してその部が浄化される。そこが綺麗になるとそれを伝って他の部分も綺麗になる。それは身体全部に関連しているから、その為平均浄化が起る。平均せんが為の自然浄化が起る。背中をするとお腹と……身体は段々浄化し、溶けてくる。それで全体に治る。よく医学では別々にしているが、実に嗤ふべき事である。例えば頭が悪いといふ事はどこかが悪い。その奥がある。その位の簡単な事さえ医学で判っていない。例えば、先の女中で、歯が痛いといふので査べてみると、盲腸の毒が出たのである。  肺病を査べると股にあった。(S23・11・3)

観音教団の行り方と浄霊力強化の法

“今の行り方は治療と信仰の間の行り方である。信仰へ入れば病気も治る。手数は要らぬ。信仰は霊的であるから、話をする事が主になる。話して納得ゆけば治る。第一は誠の心を持つ。一人でも多くの人を救ふ――といふ大慈悲心の旺盛な人ほど治る。天国的生を楽しむのも結構である。それ以外に、多くの人を救ふ気持――世界人類を救ふ大きな心を持ってやると全然治り方が違ふ。その意力の強さと、大きな広さである。(S23・6・12)

浄霊時の想念

“浄霊に際して想念との関係に就て――

“どういふ気持も何もない、ありのままでいい。苦しんでいて気の毒だ、楽にしてやりたい、助けてやりたいといふ想念である。此人を助ければ大いに宣伝するであらう、発展の為働くであらうというような、先の事はあまり考えず、助けて上げるといふ想念だけで結構である。神様のお考えは人間と違ふ。(S24・2・16)

治療はあまり一心にやるのはいけない。観音様から、通してやってよい。(S23・7・18)

御用専念の時の浄化と弟子に浄霊受くる時との度差

“いろいろの都合で先生が御弟子よりの御浄めをして戴く機会が少ない場合、御道のために専念させて戴いて居る浄化と、御弟子に数多く御浄めをして戴く浄化の度合は、如何なるものでせうか。

“はっきり計算的にはいえない。根本的に想念がある。根本的心構えである。ただ一生懸命やってもいいが、根本は世界人類を救ふ大きな覚悟がなくてはならぬ。全世界人類を救はなくてはならぬといふ気持である。弟子が浄める場合は弟子が上になる。大勢一緒にお浄めする場合もある。臨機応変である。  (S  (*)・8・8)

浄霊力と覚り

“お浄めは霊層界の上へ行く程よく治る。それには即ち仏教でいふ覚者にならなくてはならぬ。その智が進み、高い所を知る程上へ昇り、治りよくなる。宗教となると、兎に角喋らなくてはならぬ。一般の宗教は治療の武器がない為、話より外ない。  (S23・6・24)

心臓の大小と健否

“心臓の大小、健否は神霊放射能の多寡、強弱に関係御座いますでせうか。

“無論関係がある。神霊放射は火素であり、火素を吸収するのは心臓である。故に大いに関係がある。心臓が強くなくてはいけない。

治病遅速の原因と祖霊

“霊主体従の法則に依り霊体より肉体へ移って病気の治癒に遅速があるのは、その人の毒素の多寡によるものでありませうか、又は浄霊する人の霊力の強弱によるものでありませうか。

“毒素の多寡、浄霊の霊力の強弱――いろいろある。祖先の関係もある。祖先で救はれたのがあると、霊界で力があるから、良い教導師を引っ張って来れる。堕ちている(地獄で苦しんでいる)祖先はそういふ事が出来ない。それで良い教師を得ず、救はれぬ事がある。祖先の贖罪の場合、子供を身代りにして犠牲にする場合がある。症状は吐く。その他種々の原因がある。(S24・6・25)

浄霊による副霊制圧

“副霊は浄霊によりどの様に変化致すので御座いましょうか。

“浄霊により心の曇りが除れると、正守護神の制御力が強まる。浄霊によって副霊そのものを制圧出来るが、これは一時的である。(S24・7・8)

子宮癌浄霊強力の為より痛む

“去る四月六日の御質問に御指導を頂きました妻四十六歳の子宮癌でありますが、「より以上の人の浄霊を受けよ」との御指示で、○○先生の御浄霊を頂いて居りますが、非常に痛くなり、楽になる時は殆どありません。上の先生にやって頂くとより以上に痛くなるようで御座います。苦痛の箇所は腰のまわりで、板の如く感じたり、腰骨が折れる様に痛くなる事もあり、下腹部や足の付根、主として左の方が病みます。上の先生にやって頂くと痛みが増すのは如何なる理由でありませうか。

“浄霊が効くと痛い。効かないと苦痛も起らぬ。痛くとも間もなく治るので、なくてはならぬ。起った浄化を一層溶かす力が不足している。治癒力の中位の人などそうである。速力の峠のようである。今少し辛抱すれば峠を越す。下腹部は足の付根の痛み、腎臓をやる。  一日に何回でもよい。続けてやれば速く痛みがとれる。数によって霊力が強いと同じ意になる。(S24・5・6)

病院での御浄霊

“最近病院より出張御浄霊の依頼を受けますが、病院では効果が薄いと思ひますが如何でせうか。

“全く効果が薄い。なるべく避けた方がよい。万止むを得ない時はやってもよい。触れなければよい。臨機応変にせよ。

睡眠時の浄霊

“眠って夢を見ているのは霊が脱けている為だと伺ひましたが、眠っている人に対する御浄霊は或程度効果も少ないのでせうか。右、御教示お願ひ申し上げます。

“浄霊の効果は同じである。霊体と霊があり、浄霊は霊体を浄める。抜けてるのは副守護神で、  霊体はそのままある訳である。(S23・11・8)

骨に入った針

“本多敬二と申す四歳の子供、レントゲンにて座骨に針の入っていることが判り、足にムクミと痛みがございます。如何御浄霊を続けさせて戴きましたらよろしうございませうか。御伺ひ申し上げます。

“身外に出てくる。何でも、身体の中にあって悪いものは出て来る。

外人浄霊の効果

“西欧人には御浄霊の効果がより顕著で御座いませうか。

“顕著な訳である。私は経験はない。(S24・8・9)

多数呑んだ蛞蝓の供養

“昨年二月入信の信者で十年前に肋膜を病み、ナメクジを約千匹程度呑み小康を得ておりましたが、本年八月より咳、痰の御浄化を頂き、丁度結核的症状となり、最近はヌラも時々混って出ます。その時飲んだナメクジではないかと存じますが、之をお祀りするには如何致したらよろしいでせうか。

“別に祀らなくともよい。入信し浄霊してると段々ナメクジは出てくる。

無苦痛時の浄霊

“二十三歳になる娘が結婚後間もなく発熱、朝三十七度二、三分、午後八度四、五分の熱が約五十日位続きましたが、現在は平熱に復しました。  発熱は医師の診断では身体に異状なく、妊娠と認定されました。妊娠の為発熱する様な事があるでせうか。それとも何処か身体に異状があるのでせうか。浄霊は平素も続けております。今後の措置、方法を御指導下さい。

“熱のないのに浄霊するのは意味ない。苦痛のある時浄霊すべきである。何ともない時に浄霊するのは嘘である。 (S24・5・28)

浄化中に浄霊する事

“自分が軽い浄化をしております時、他人を浄霊している中に治る事がありますが、如何なる訳でせうか。お伺ひ申し上げます。

“人を浄霊する時光が身体を通る。故に堪えられる限り人を浄霊するのは結構である。(S24・6・8)

医師依頼の浄霊

“或信徒の知人にあたる医博、座談会に出席、本教の教義と偉大なる治病力に感銘した為か現在同医師の往診中の病人の浄霊を依頼されて居りますが、医師法違反其の他を考え躊躇致して居りますが、如何で御座居ましょうか。又、其の医者は痔瘻、神経痛、糖尿病に悩んでおります。それに信徒の知人でもあり、悪気はない様に思えます。

“医者の依頼であるから、差支えない。  (S25・2・28)

再浄化の浄霊法

“三十五歳の男、三、四年前より肋膜を患い、大分快くなりました。昨年十二月より腹膜になり医者に見放されました。御浄霊のおかげで快くなり、食事も進み、起きられる様になり、大喜びで家内中熱心に信仰しております。最近微熱が出て食欲減退し衰弱して来ました。それの浄霊法及び原因をお聞かせ下さい。因みに本人の母親の兄弟は皆若死しております。 

“特に肺に関係した人によくある。  浮いてる毒が一たん除れる。すると丈夫になって、今度は内部の長く固まったのが除れる。之を再浄化といっている。なかなか難しい。再浄化が極く緩慢に来るよう浄化を微弱にする方法と一遍に短期間に治す方法とある。それはその人の固まった毒の多少によって決める。多量に薬を服んだのは再浄化の時駄目になる。状態によって臨機応変にする。病人は縋ってくるし、非常に困る事がよくある。(S24・5・4)

腹膜浄霊(重症)の浄霊の加減

“現在浄霊しております四十歳の婦人ですが、喘息に悩み、お腹が固く、苦痛があります。重症の様に思はれますが、浄霊を続けて差支へないものでせうか。お伺ひ致します。

“差支えないかといふと、浄霊すると悪いような意味になる。ドシドシ浄霊した方がよい。腹部を出来るだけする。浄霊を加減するのは肺病の場合のみである。(S24・9・7)

嬰児の浄霊

“生れたばかりの嬰児の御浄霊を一日一回致してよろしいでせうか。

“浄霊はやり過ぎる事はない。何回でもいい。(S24・5・13)

浄霊で結核起るか

“浄霊を続けて結核は出ますか。  過去一度も結核にかかっていません。

“結核になる事は絶対にない。ただ浄化作用が起る。毒が古くなるから微生物が湧く。これを結核菌といふ。

御浄霊受ける態度

“お浄めは故意に寝てはいけない。起きられるのに寝ているのはいけない。敬虔な態度が一番いい。寝てる時でも起きてる時でも同じ事である。

弟子より浄霊受ける態度

“弟子、会員等に浄霊を受ける場合、観音様の代行者として礼儀正しく受けるべきでせうか。亦浄霊の方法、急所等を教へると云ふ立場から受けたらよろしいでせうか。

“自分が受ける場合、向ふ人は観音様のお取次と思ふべきだ。礼儀正しく尊敬を以て受けるべきである。妻でも子供にやってもらう時も同じである。然しあまり窮屈に考えなくともよい。(S24・9・9)

浄霊の手の間隔

“浄霊の時手をどの位離したのが一番霊気が強いのでせうか。

“かなり遠くとも霊気は強い。二、三間は離れてもよいが、あまり遠いと中心を外れる恐れがあるから二、三尺位が一番いい所で、中心がよく合ふのである。

御浄霊の手の距離と曲げる事

“御浄霊に就て御伺い致します。

一、御浄霊の際、肘を伸ばして霊射するのと肘を曲げてするのと霊力に相違がありますか。

二、数人を一度に御浄霊する際、人体を通過した霊放射能は、人体を多く通過するに従い弱くなるものでしょうか。

“一、どっちでもよい。(肘を曲げるのが本当)

二、遠くへ行く程弱くなる。あまり近過ぎても弱い。一、二尺乃至三、四尺が適当である。(S24・7・25)

御浄霊の距離

“御浄霊を致します時の適当な距離はその人の霊力により異なると思いますが、御説明戴きとう御座居ます。

“そんな事はない。距離は大抵一尺位である。(S24・5・23)

御浄めに手を振る理由

“「御浄め」を致します場合、手を振りますのは如何なる訳でありませうか。手を振らないと霊光が非常に少ないのでせうか。又振り方は縦横何れでも宜しいのでせうか。御教示御願ひ申し上げます。

“手を振ると力が強くなる。先に十三の子で光を見たのがある。手を振ると患部の見当がつき易い。じっとしていてもよい。又、患部の奥の方へ行き易い。気持が行き易いのである。  但し、大きく振らない方がよい。熟練した人はそう振らなくともよい。横に振るのみである。(S23・7・18)

掌振動の意味

“御浄霊の際に掌を振動する意義について御教示の程御願ひ申し上げます。

“手を振動するといくらか強くなるし、患部を狙ふ場合霊光が集注し易い。振った方がよく霊がゆく。  (S23・12・18)

御浄霊の手を振る事

“御浄霊を致しますに際し、その掌を静止しているのと振動させるのとは霊光の強さの差異が御座居ましょうか。御伺い申し上げます。

“振った方が奥へ行き易い。悪い所へ集中し易い。よほど熟練しないと、じっとして奥まで通らぬ。故にどっちも力は同じである。

浄霊法の誤り守護神戒告

“私は手の振り方を  左進右退の方向に御浄霊を行なわせて戴きました。昨年十二月頃より御浄霊を致しますと右手が氷の様に冷たく(右手のみ行ないます)なり、二、三人続けますと背中が寒くなって参ります。寒い日には特に手の冷たさや寒さを強く感じます。最近暖かくなりましたためか背中の寒くなりますのは楽になりましたが、如何な訳で御座いませうか。宜敷く御守護御願い申し上げます。

“左進右退にする必要はない。本来じっとしておいてもよい。ただ奥へ行かす為と、見当のつき易い為振るのである。反って斯んな事をすると治りが悪い。成績が悪い。その為に守護神が気を付けるんだと思ふ。間違ってる事をしてるとお気付けがある。

浄化甚しい時指圧するあり

“本教団の内で、以前の浄化療法式で人を導いている会があります。浄化がひどい時は治療でなければ助からぬと云い、指圧の許可もとってやるからと云ってすすめております。許可をとれましたら治療をしてもよろしいのでしょうか。御伺い申し上げます。

“逆である。浄化のひどい程浄霊する。  (S24・10・5)

両手の浄霊

“手足が不自由な者は、健康者より光が薄いのでせうか。光を厚くするのは如何すればよろしいでせうか。

“両方の手で浄霊するより一つの手でした方が光が強くなる。(S24・1・7)

写真の浄霊と人体図の浄霊

“遠隔の地にて、写真又は氏名に浄霊を行ふ場合効果如何ですか。

“少しは効果はある。写真は霊線が通じている。霊線によって通ずる。以前私は人体の絵をかいて、それに名をかき治療した。  (S23・11・16)

写真の浄霊の効果

“写真を御浄霊する事に依って治療効果を挙げる事が出来ますでせうか。

“写真から霊線を伝はって行くのであるから  少しは効果はある。死ぬと写真がぼんやりするのは霊線が切れるからである。(S23・11・2)

死者の写真へ浄霊

“戦死者の写真に浄霊すると霊は浮ばれますか。

“いくらか違ふ。浄霊より祝詞の方がよい。(S24・1・7)

浄霊の掌死人に触れ失感す

“御浄霊を致しますと手に暖かく感じ、特に悪い処はよくわかる人と、又、全然感じなく、わからない人とあります。又、此の手に感じる人が死人に手を触れると約十日間位手に感じがなく、其の後又ボツボツ感じる様になりましたが、それは如何なる訳でせうか。

“手が熱くなるのが本当である。冷たくなるのは月の霊統である。六感の働くような人は手が敏感である。修行でも或程度判る。幾人もやる時は、その要がないから、私はやらぬ。死穢れと言って霊的の穢れ――死穢れと言い、昔からやかましく言ったものである。故に死穢れのとれぬ間は感じがない。触ってはいけないと神様が注意をされたのである。浄霊は神の代りであるから、させない訳である。 

動物の浄霊

“動物の御浄霊頼まれますが、もったいない様な気が致しますが如何でしょうか。

“観音様は虫螻までも慈悲を垂れ、恵んで下さるから、動物でも人間でも同じように思はなくてはならぬ。浄霊は下等動物程効果が強い。

濁水浄霊で澄まず

“私の家の水は以前より濁りまして困りました。十九年に御光を戴きまして、それより井戸に浄霊致しておりますが今日に至るも澄み清まりません。どうしたものでせうか。又望みないとしたら如何なる方法で処置したらよいでせうか。

“澄ます事も出来るが、徳を積まなくてはいけない。御書体の額をおかけするとよい。(S24・3・15)

洗濯の知識

“洗濯を致します時、水に御浄霊させて頂きますと、小さな泡が沢山出まして、布にも御浄霊して一晩其水に浸し、洗ひますと、どんなシミでもすっかりきれいになります。然し純絹、純綿の場合だけにて、スフ、人絹はお水だけではよく落ちず、少々石鹸を使はねばきれいになりません。その訳を何卒御聞かせ願ひとうございます。

“汚れたものの霊が綺麗になるから、落ちやすくなる。スフ、人絹などは人工的に造るのに薬剤など使ふから落ち難くなる。

浄霊時疲労・心臓苦痛あり

“浄霊していると自分の体が疲労を覚え、又心臓が早く動悸を打ち、苦痛を感じるのは、何処かに悪い処があるのでせうか。

“こういう事はあるもので、霊が憑るのである。

特定病人に浄霊中睡気

“特に限られた人を浄霊致しますと、浄霊を施す者が睡気を催しますが、如何なる訳でせうか。

“眠くなる人はある。眠くなるのは悪くない。心配にならないような――楽観した病人はいい。ハラハラするのは悪い。人間を見詰めると眠気を催すものである。霊が眠くさせる場合がある。病人に憑いてる霊が、浄められると苦しいから施者又は病人を眠くする事がある。

浄霊時の睡気

“東北地方でよくある事で、御浄霊をすると立ったまま居睡りするような、或は船に揺れる如く全身ふらふらとします。又は、本人は無意識的なのか笑っている人があります。之は如何なる理由でありませうか。

“之は恐らく睡眠不足の為であらう。眠い時は歩き乍らでも眠る事もある。私も浄霊しながら眠る事がよくあった。

浄霊の手大きく振れる

“私は妾腹の子であり、生後幾月か後他家(豊則家)の養子となりました。養父は子供嫌ひで、殊に私が胃腸が悪くて非常に泣虫で、泣く度に養父の折檻を受け、お湯の中に頭から突込まれるとか其他種々目に余る残虐な仕打ちを受けたとの事です。その後又他家(栗山家)へ貰はれましたが、病弱は以前と変らず二、三回も仮死の状態になりました。又、六歳の頃か、釣りランプが頭上に落ちた為に殆ど全身に大火傷を負ひましたが、幸ひその跡も残さぬ様に治りました。幼児の時受けた残虐のためか或ひは病弱であった為か、現在でも視力不十分で十度の眼鏡を掛け、耳が遠く、誠に不自由で御座います。其後私は預けられた栗山家の主人が神社の小使をしていた関係から、私も高等小学校を終へて神職の見習いに入り、栗山家の養子となり昭和十六年には養父を納得させて元の真言宗から神社神道に改宗致しました。其の後観音教団に入信、一年後の昭和二十三年五月より御手伝ひをさせて戴いて居りますが、本年一月浄霊中掌が患部の近くに行くと突然腕から先が自然に大きく烈しく振れて来るので自分で驚きましたが、それ以来、現在も其の通りになるので不思議でなりませぬ。私の先生は右様のことは相当因縁があると云ひます。目、耳の不自由なこと、浄霊中の不思議な手振りになること等について私にどんな因縁があるのでせうか。体の不自由は救はれませうか。又浄霊中、何者が妙な手振りをさせるのでせうか。御教へ下さい。私は未だ光明如来様は御祭りしてありませぬ。

“先ず光明如来様のお祭りをしなくてはいけない。門口だけで座敷へ入っていない。耳、目の不自由は虐待による内出血の塊のようである。手を大きく振るのは霊的で、そういふ性質のある副霊である。(S24・2・26)

浄霊者に起る浄化状態

“人に浄霊している時に私のお腹がごうごう鳴ったり、又ゲップが出るのはどの様な状態ですか。

“浄霊すると、自分も浄まる為である。

横体とガス(ゲップ)

“重症以外の方を御浄霊致します際、坐して致しますと霊やゲップが出やすく、横臥又は会話中は出ない様で御座いますが、如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“ゲップなどガスであり、ガスは上昇するものであるから、口から出やすい。寝ていると閊えよう。それだけの物的解釈である。浄霊は立っててやる位構はぬ。(S24・8・11)

浄霊に従事して嘔気を催す

“私事浄霊に従事いたしまして二、三日経過しますと嘔吐を催します。如何なる理由で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“大変いい現象である。汚いものが出る事――。(S24・7・15)

御浄霊の掌の冷感、浄霊の光への障り

“御浄霊を頂く場合、非常に熱く感じたり、びりびり感じたりする人があり、又当方が相手によって感じに差があるのは――

“原因はいろいろある。  相手が水性の多くある人の時熱くなる。火素が水に当るほど熱くなる訳である。霊の障りのある時は、両者何れかへ憑いて邪魔が入り、光を遮る。それで迷はしたり邪魔をする。その時は火素の出が少ないから、熱くない。何れにしても無心でやればよい。

浄霊で掌の痺れ

“体内の浄化している場所(患部)を浄霊致しますと手の平にはっきり痺れを感ずる人がありますが、如何なものでせう。

“之はよくある。一種の霊能である。普通人でも練習すると或程度出来る様になる。  (S  (*)・1・25)

放射霊気の感度

“被浄霊者に放射霊気の感度に差異を感ぜられる原因――

“浄霊者によっても違い、因縁関係、想念等によっても違ふ。浄霊者の古い新しい、信仰の如何にもよる。決める事が出来ない。

御浄霊の感受性

“御浄霊を戴く場合、感受性の強い人と弱い人と御座いますが、如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“生れつきであるから別に訳はない。人間はこれでいい。鈍感な人と敏感な人とあるようなものである。(S25・2・28)

御浄霊の感受性

“御浄霊をするものと受けるものとが感じるとか感じないと申しますが、感じないのが本当でせうか。

“受ける人により感受性の強い弱いがあり、やる人により感じの強い弱いがある。  霊が強くて感ずるのがいい。信仰の強弱、魂の上下である。(S24・11・26)

御光を浄霊時感ずる

“私の関係している信徒の中で、浄霊を頂く際お光の身体に入るのがわかり又出るのもわかるという人が、疥癬をしたり、長期に渉り浄霊を頂くと感じなくなると言い、御光の強弱を云々して布教上困る事がありますが、本人に納得行く様に説明するには如何したらよいでしょうか。

“御光が身体に入るのが判る人がある。疥癬するのは浄化作用である。(もっと要点詳しく書け)  (S24・6・18)

浄霊の手の痺れる感じ

“他人を浄霊する時、その患部に手がさわると自分の手が痺れる様に痛いと云う人がありますが、如何なる訳でしょうか。又、その手の痺れる時は治り、感じない場合は治らないと申しますが、如何なる訳でしょうか。併せて御教示下さい。

“人によって斯ういふ能力がある。病気によってその部の感受性が異ふ。霊気がその部に遮断されてる。又、やる人の守護神にそういふ働きがある事もある。普通人でも修行すると或程度出来る。  (S  (*)・7・8)

御浄霊で寒気

“十九歳になる婦人の信者、常に寒気が致し、御浄霊を頂きますと一層寒気を覚え、胴震ひが致します。手足は常に氷の様に冷たく、油手で御座います。之は如何なる訳でせうか。お伺ひ申し上げます。

“浄化熱に因る寒気である。浄霊者の力が足りない為に溶かす事が出来ぬのである。長くかかるが治る。相当古い人にやってもらふ。(S25・4・12)

浄霊の手触れし毛髪刺激感あり

“私は浄霊の場合、浄霊者の手が私の頭髪に触れた刹那「ピリッ」と電気にかかった様に感ずる訳――

“毛髪が敏感で、霊を感ずるのである。  又、薬毒の場合もある。或種の薬が皮膚面に来ている時、痛く感ずる事がある。

特定人の浄霊に温感

“二十六、七歳位の婦人で御座いますが、御浄霊を戴きます時、誰から戴きましても寒気が致し、胸部、腹部等に圧迫感を感じます。所が唯一人柳川と申します四十五歳の男の人から御浄霊を戴く時に限り、身体が熱くなり、汗を流します。柳川さんとは別に親類関係もなく、お道の関係で知り合っただけで御座いますが、これは如何なる訳で御座いましょうか。御教えを賜わりたく御願い申し上げます。

“日、月、土の系統があり、それぞれの霊気を発する。温くなるのが本当だが、一時的現象である。近親の霊はよけい温く感ずるが、でないのはいくらか違ふ。(S25・3・1)

実子浄霊で欠伸

“嫁を浄霊します時は別に何でもありませんのに、実子(嫁の夫ではなく)を浄霊しますときは欠伸が沢山出ますが、如何なる訳でございませうか。

“欠伸は毒素の霊である。非常にいい。曇りが排泄さるる場合――。術者が欠伸の出るのは――。霊線の伝わっているのは――、息子の霊線を伝わって浄まる訳である。親子は霊線が続いているから伝わって出る。欠伸も同じようなものである。之は噴門から出る。毒素は一旦必ず一個所へ集まる。(S24・2・24)

夫の浄霊せるを自宅で知る妻

“三輪善龍さんという信者(真宗の住職)が、自宅外で御浄霊致しますと、留守番の奥さんが間違いなく主人が御浄霊した事を知っておりますし、入信以来お寺の仏壇などを少しも掃除をせず、お祭りもして御座いませんでしたので、気にかかって一度大掃除をしてお経をあげました処、其の翌日から四十度に近い発熱が続きましたが、不思議に苦しみが御座いません。四日後全快致しました処、其の後奥さんは主人が外で御浄霊致しました事がわからなくなりました。之は如何なる訳で御座いましょうか。

“夫婦は最も太い霊線が通じているから敏感の人は判る。熱で死んだ霊が憑った。(救われたい為に)いくらか主人が霊の曇りを引受けたので判らなくなったのである。(S25・1・11)

水の霊気の二作用

“水の霊気で治病する人は患者の罪を洗ふともお聞きし、又「明日の医術」には固めだともお書きになっておられますが、如何解したら宜しいでせうか。右、御教示の程御願い申し上げます。

“両方の力である。水系の人は背負ふ。浄霊法は火の働き。水系の人やってる引受けるのは少ない。人の道など引受けるのが多い。御木徳一が振替えたのを神に振替えてもらふ。神が又月の系統である。曇りの物質化は毒素で、キリストは浄化法でない。引受ける一番の親玉はキリストで、万人の罪を引受けた。キリストは霊の憑いたもの(邪霊)を除るやり方であるから早い。贖罪療法である。金田徳光は徳光教、病気を引受ける位沢山あった。浄霊法は火で燃やすから益々身体はよくなる。

心霊療法

“世間一般に言はれます心霊療法は矢張り固め療法だと申されましたが、それ等はラジウムのような放射性能を持つものでせうか、お伺ひ申し上げます。

“そういってもよい。  水の精は固める方で、冷える方の霊である。熱の精は溶かす方で、之は今迄初めてである。心霊療法はラジウムの極く上等のものである。(S25・2・23)

患者の苦痛映る

“肺結核、腹膜炎、脊椎カリエス等、重病患者を浄霊する時、必ず自分が患者の苦しい部分と同じ様な苦しみを感じますが、自分の体が先に浄化を頂くので御座居ませうか。それとも、多少自分の曇りのある中は伝はるのでせうか。此の頃それが強く感じます。どんな真因ですか。お伺ひ致します。

“身代りになるのである。今迄の治し方は全部月の治し方であった。その親玉はキリストである。(S24・9・5)

月系統人の浄霊

“月の系統の人が御教修を頂いて御浄霊致します場合、それは日の系統の人より治病効果は薄いので御座いませうか。又それは冷却による固め療法となるものなのでせうか。

“先方の病気を此方へ写して治すのは月の系統である。日は焼けて、水は洗濯と同じである。メシヤ教信者はそのような必要はない。  (S25・5・13)

病苦写る

“入信者の婦人、百日咳の子供を抱きますとゲップが出て子供の咳は止まり、すやすや眠ります。又、他家の山羊が苦しんで頭を振って居りましたが、その前を見て通りますと頭が痛くなり、山羊は間もなく治ったそうで御座います。重病人を御浄霊致しますと、後半日位苦痛で床に就きますので思う様に御浄霊が出来ません。如何致しますれば宜敷う御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“先方の病気をうつすのである。月の系統の人は病気を水で洗ふ為、汚いものは自分に来る。今度は火で焼くのである。一時的で、始終やっているうち治ってくる。普通浄霊のようになる。  (S24・10・11)

患部の反映

“本年三十五歳、教導師で大光明の御光を拝受している者、他人を浄霊していると相手の患部が全部自分に反映する様申しますが、如何なる理由によるのでしょうか。御教示願います。

“そう長くはない。段々普通になるから、そのままにせよ。(S  (*)・7・8)

局部的身代り

“佐田正夫と申す信者が黄疸と腹膜炎の患者の御浄霊に行き、その家族の人に教修をお勧め致しました刹那、火鉢の火の粉が飛んで腹に火傷致しましたが着物もシャツも焼けて居りませんでした。之は何か霊的に意味が御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“(その人を助けるべき理由があり)局部的に身代りしなくてはならぬ訳があるのである。(S25・5・1)

浄霊を行ふとゲップ出る人

“御浄霊さして戴く時ゲップが出る人が、御浄霊を戴く時にはゲップが出ません。之は如何なる訳で御座いませうか。

“先方の病気を引き受ける。月の系統の人である。月の精気が残っている。すると引受ける。始終ゲップが出るとだんだんよくなる。(S24・7・2)

浄霊すると欠伸出づ

“御浄霊を受けている時は欠伸やゲップが出ませんが、御浄霊をさせていただきますと欠伸やゲップが出る人が御座いますが、如何なる理由で御座いますか。御教へお願い致します。

“病気を引受けるのである。水系の人である。(S24・5・22)

浄霊の手熱くなる

“患者を浄霊中に自分の手が暖かくなります。何時もではありませんが、時々感ずるのはどう言ふ訳でありませうか。

“斯うなるのは当り前である。火素が出るのである。暖かくなる程いい。とても熱くなる。

浄霊の手の温冷

“御浄霊を致します時、浄霊者の掌が暖かくなる人と冷たくなる人がありますが、如何なる訳でせうか。御伺ひ申します。

“暖かくなるのが本当である。月の系統の人は最初は冷たいが、或時期へ行くと暖かくなる。冷たいのは或る期間だけである。  (S24・6・7)

浄霊の手冷感

“浄霊していると自分の掌が冷たくなる人がありますが、如何なる訳でしょうか。

“暖かくなるべきものである。之は月の系統の人である。今迄は月の霊気で治った。それで冷たくなるのが本当だった。斯ういふ人は月の霊気が多分に残っている人で、月の霊気では自分が病気を引受ける事になる。(S24・1・7)

浄霊の手の温冷

“浄霊中に手先の方が温かくなるのと冷たくなるのとありますが、如何なる理由でしょうか。御教え願います。

“暖かくなるのが本当である。水の系統の人でも、浄霊するうち、暖かくなる。  (S24・2・27)

浄霊の手冷たくなる

“私は最近御浄霊を致します時に手が大変に冷たくなるのです。以前は大変温かくなったのですが、此は如何なる訳で御座居ますか。

“之は逆である。暖かくなるのが本当である。やはり未だ毒があるからで、毒の性質により冷たくなるのと暖かくなるのとがある。今に暖かくなる。(S25・1・27)

浄霊の手熱くなる

“腰の神経痛患者の頭部を浄霊していますと浄霊者の手が熱くなります。その訳を伺ひます。

“手が熱くなるのは御光による。非常にいいのだから続けてやるとよい。

浄霊の手の温感

“御浄霊の際相手方の患部に手が向った時掌に異状な温か味を感ずる様になりました。例へば七月十五日、六人一度に御浄霊に従事の際、頭部及び腰部を浄霊中、特に掌が温かく感じましたので確かめて見ますと、一人は頭痛あり一人は腰痛のあることがわかりました。時により感度が異る様です。如何なる理由でせうか。御伺ひ申し上げます。

“温かくなるのが本当である。感受性の強い人はいろいろある。(S24・7・27)