014 信仰篇(入信、信仰上の悩み)

霊線とは

“霊線の根源と其の本体について御伺ひ申し上げます。

“霊線とは、霊的の繋りで、そういふ風に出来ている。神様が造られている。(S24・7・5)

霊線の長短

“霊線の長い短いという事はどういう事で御座いましょうか。又、血族の霊線は切れないとの事で御座いますが、血族の範囲はどの辺までを指すので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“長短は本来はない。太い細いはある。日本人がアメリカへ行ってもやはり繋っている。遠くになれば細くなる。血族の範囲は全部繋っている。遠くなる程細い。夫婦、親子、兄弟の順で、夫婦の霊線は質が違ふ。(S23・12・1)

因縁と霊線

“霊線は切れても因縁は切れないでせうか。因縁の綱は一種の霊線でせうか。

“異ふ。関係はないと言ってよい。前の世で近しくなった人でも知らない同志の場合霊線はない。因縁があると霊線が繋りやすい。 (S24・7・11)

家族変質の悩みの解決、(霊線による浄め)

“私は本年八月十二日入信致しました。私は後妻として此の家に来たのですが、先妻の子供が二人ありますが、それでせつ子(長女二十三歳)がヒステリーが強く、其の為に家の中が暗くなって仕舞ひます。私はなんとかよくしたいと考へて居りますが、本人は信仰する気持はない――浄霊は大嫌ひです。せつ子は胃が弱く、何時も胃薬を用ひて居り、せつ子の子供(二歳)が一人ありますが、叱り飛ばすので子供迄が癇が強くなって仕舞ひました。今後如何にしたらよいでせうか。御教へ下さいませ。

“入信して徳を積む。すると家族も霊線によって浄まる。せつ子も霊線によって浄めてゆく。そうすると入信したくなる。或程度浄めなければ信仰心は起らぬ。それには此方が浄まる事で、そして霊線によって浄める事が一番効果がある。霊線を伝わって曇りがとれる。一人判った人が出来ればいい。(S24・11・7)

本家霊友会・分家光明如来様の場合

“本家は真言宗でありましたが最近霊友会の信仰を始めました。その事を分家が知り、光明如来様をお祭りをして居りますが、それで宜しう御座いませうか。

“結構である。霊線の方も――本家も変ってくる。何れ悟る時期が来る。(S24・4・3)

一人の入信と家族

“昭和二十二年より光明一家になりました。但し当年九十二歳のお婆さんだけはお守を頂いておりません。この婆さんは二十年前より聾と盲です。本年二月六日に当年十三歳の曾孫がお参りに伺ひました。その夜夢にて観音様におさとしを頂き、その時から婆さんの左乳房の下部に黒あざが出来ました。如何なる訳でせう。

“周囲の人の霊が浄まれば祖母さんも良くなる。それは、一家の者は皆太い霊線で繋っているので、お祖母さんが御守を戴かなくとも、霊線を通して御霊徳はゆくのである。一家の中で一人が浄霊を受けると、霊線を通じてその関係者も浄まってゆくものである。

自暴自棄的病人に教修を受けさせる事

“酒井三郎(三十四歳)、昨年九月より肺結核にて昨年末まで家庭にて療養、本年の一月よりベツレヘム療養所へ入院約一ケ月、現在横浜教導所にて御浄霊を受けており、一週間程前より食事も進まず睡眠もとれず、本人も自暴自棄的状態になっていますが、尚御浄霊を続けて宜しいでせうか。二日前、本人が自分の部屋より光が出て行くと申します。

“面白くなく、食欲もない故むつかしい。本人に信仰雑話や地上天国などを出来るだけ読ませ、浄霊を続けてみるといい。自暴自棄といっても絶望ではない。  信仰が固まると御守護がある。教修受けさしてよい。

親密と入信(時期) 

“教導所の近隣の人達は、個人的には親密さと尊敬を以て私達に応接して居りますが、御道に入信してくる人が殆どないのは何か原因がありましょうか。

“時期が至らないからである。  (S24・5・23)

家族続死、受講前に死亡、(入信と罪の多寡)

“生後八ケ月の子供を一週間程御浄霊致し死亡致しました。其後その祖父(五十歳)が教修を受けることになりましたが、その翌日列車事故の為死亡致しました。職は鉄道員で、公務中で御座います。霊的に何か意味が御座いませうか。御伺い申し上げます。

“よほど罪が多いのである。  罪が多い為に講習受けるのが早い。資格になっていない。も一つは、教修を受けては困るといふ邪霊に生命を奪(ト)られる。それもそういう弱点があり、資格がある訳である。相応の理であって、一方的のものではない。

親切の悪魔

“吾々は親切の悪魔と言ふ。陰に悪魔が隠れている。善いのであるからどこまでも進んでゆく。光明如来様にお詫びしてお許しを願ふ。(S  (*)・10・16)

悪心の湧起

“現在四十九歳の女、三十三歳の時に神経衰弱にかかり、良くなったり悪くなったりが三ケ年、其の後、神様や仏様の前へ行くと唾・小便をかけたくなるのです。然し又それをしてはいけないと言う声もするのです。それは恐ろしくて、四十五歳の九月頃よりのぼせ、四十六歳の六月より床についたままです。それは起きると悪い事をしたくて、それが恐ろしいのです。其の兄嫁が昭和十二年十二月二十五日弁膜炎にて、道にて倒れたまま死亡しました。再婚の兄嫁が二十六歳より月のものが無くなり、此の家には子供がありません。此の方は現在三十六歳です。今後どういう方針を取ればよいでしょうか。

“信仰へ入ると治る。

入信と家相や年廻り

“家を建て、又修繕する時に彼の方向には金神様が居られるとか、又主人の年廻りが悪いとか言ひますが、此れは信じて良いのでせうか。又迷信でせうか。御伺ひ致します。 

“入信した人は霊が強いから、何の障りも受けぬ。であるから、そんな事は迷信になる。家相は少しはある。方角や年廻りなどは少しもない。(S25・1・25)

入信者の乗船で浄化起る

“愛媛県南宇和郡西外海村の中川(三十八歳)といふ男でトロール船の乗組員ですが、昨年十二月入信させて頂き、近隣の人を浄霊して御利益を頂いております。此の男がそのトロール船に乗り込みますと漁獲が激減し、又乗組みの漁師たちが手を折る、怪我をする、熱を出す等大騒ぎが度々ありますが、怪我人や熱の出た人々はその都度浄霊にて度々お救ひさせて頂きおります。処がこの人が浄化にて三、四日下船している間は何事もなく却て大漁と云ふ始末ですが、如何なる訳でせうか。御伺ひ申し上げます。

“此人が乗ると浄化作用が起るのである。全員が入信すれば非常に大した事であるが、まあ自然にしておくとよい。それに関係した霊が工夫しているから、そのままにしておくと、或時期へ行って非常に結構になる。(S25・4・25)

眼は心の窓

“諺にも「眼は心の窓」と申しますが、必ず心を写すもので御座いませうか。

“心の窓で、必ず写す。ただ此方に見分ける眼があるかないかである。人を見るには眼が一番よい。信仰に入って一番違ふのは眼である。入信前の眼は暗い感じである。救はれた人の眼は明るい感じである。心に一物ある人の眼は分る。(S24・2・24)

入信して金欲出づ

“今年六十三歳になります私の母、今まで数々の御恵みを賜はり一生懸命信仰いたしておりましたが、最近に至り、大先生様の御神影及び御神体には有難いと礼拝致して居りますが、大先生様の御事になりますと非常にきらうようになり、地上天国及び光新聞も拝読する間がないと申して戴かず、  ただ金をためる事のみに汲々としてまいりました。私も余りの変り方に驚いて居ります。如何なる訳でございませうか。

“霊が憑った。執着をとる為に神様がやった。病気と同じ事で、浮かして処理した方がよい。(S24・10・9)

入信後浪費癖出た青年

“十八歳の青年、非常に金使いが荒く母親(二十三年九月入信)を悩まして居りましたが、昭和二十三年十二月入信以来性格も良くなり、一教導所を受持って熱心に布教に従事させて頂いて居りましたが、最近又前の癖が出て参り一般信徒の信頼が薄らいで参りました。如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“罪が残っているからで、此ままにしておけばよい。祖先の霊が憑って使はす場合が多い。(S  (*)・7・8)

信仰急変

“本年五十二歳の男、二月十八日に入信、三月に大先生に御面会させて頂き熱心に御手伝いに従事して居る方の妻ですが、一年前入信し熱心に御仕事をさせて頂いたのに、主人が御面会より帰るや反対する様になり、主人の浄霊は受けますが、  外の家族の者の浄霊も致しません。妻の反対するのは、妻の実家の方に何か霊的原因がある様に思はれますが、如何なもので御座ひませうか。又、光明如来様を御迎へ致したいと申して居りますが、妻の反対を押し切ってお迎へして宜敷いでせうか。併せて御伺ひ申し上げます。

“大先生の神様をみて驚いて改心した。  (S24・9・28)

信仰心境一変・反対者となる

“大先生様の御霊徳に依りまして、家族一同教修を戴き、四月二十一日より自宅で開業させて戴きました。すると今迄熱心に人に勧めていました父(五十三歳、葬儀商)は、三日目より心境が変り、突然反対する様になり、家族の者の信仰を止めさせようと致しますので、色々な手段を取りましたが、一向に解りません。すると五月二日、霊的である事が分りました。それは信者、三好秀造さんがお出でになりまして、頭痛がすると言はれますので御浄霊致しますと、市川家の先祖が現れました。父の事に就て尋ねますと、先祖の一人が憑依していると言ふので御座居ます。此の事実を父は更に否定し反対致します。此の際、一時他の場所に出て開業させて戴く事は差支へないで御座居ませうか。御垂示御願ひ致します。尚、父は最近、光明如来様の前では眠れないと言ひ、毎晩、板の間に薄縁(ウスベリ)を敷き休んで居ります。毎日御浄霊を受けているので御座居ますが、一日も早く改心し、御観音様の御恵みにお報ひ奉る事が出来ます様御守護御願い申し上げます。

“憑依霊が苦しいのである。お守をかけただけで苦しいのがある。祝詞、御讃歌、信仰雑話を聞かすのがいい。  (S24・5・9)

受教しての精神病、(狐霊)

“以前看護婦をした当年三十五歳になる女、神経衰弱と云われ、四年前教修を頂き、御浄霊を続けている間はさほどでなかったのですが、昨年頃よりだんだん悪くなり、ほとんど喋らず頭を軽く上下に振り、口を動かして何時も口に手を当てうつむいて居ります。良い時は普通に仕事をし御光を頂いて居りますが、悪くなると御光を取り右の様な状態になり、蒲団の上に坐って居ります。御浄霊を非常に嫌がり逃げ回ります。以前看護婦の免状を取る時稲荷を信仰したとの事で御座いますが、やはり狐霊で御座いましょうか。尚、逃げ回るものは如何したらよろしいのでございましょうか。  右、御教示御願い申し上げます。

“狐霊の精神病である。祝詞がよい。善言讃詞、御讃歌等がよい。逃げ回る時はしない方がよい。教修が早すぎた為、本当に治らぬ。(S24・7・3)

入信して精神病

“或る夫人が入信されましたが、祖父が反対してお光を取り上げて自分でお光をかけて居ります。  其の後、夫と共に精神病となりましたが、祖父は何事も御座いません。精神病の夫婦は何時も仏壇に向って礼拝して居ります。祖霊の戒告と思はれますが、此の場合如何致しましたら宜敷う御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。

“狐である。こういふ事を経なければ救はれぬ人である。浄霊してやってればよくなる。それから教修を受ける。(S24・8・1)

入信して家族発狂と浄化

“一家全部教修を頂き且つ光明如来様をお祭りしてあります家庭、此の家は分家ですが、  お仏壇にはお屏風も頂いてお祭りして御座います。又稲荷その他の神様等はお祭りした事はありません。三年前に縁談の事で長女発狂致し、最近母親が軽い中風で倒れましたが、御守護によりどうやら回復致しました処、又々本月八日の朝父親発狂致し盛んに狂暴性を発揮致して居ります。御浄霊を致します時は大変鎮静致し、今迄の不信仰を詫びたり致します。何か特別の障りが御座いませうか。

“何れ起るべき浄化である。結構である。(S24・9・13)

入信後精神病となる、(九尾の像)

“会員鈴木忠(三十一歳)鈴木五月(二十八歳)兄弟、教修を頂きましたとたんに気が変になり、霊が浮きました。この家には古くから神棚に山車の飾物用のはりこの金毛九尾の狐が祀ってございます。初めは白狐でございましたが、この狐を方々へ貸す習わしにて、途中にて金に塗られ、その後神棚へ納めました。現在は家の裏の稲荷のほこらの脇に九本の尾ははずして祀ってございます。尚、父は脳溢血にて死亡、一家中皆多少気が変のようです。右の御浄化の霊的意味及び狐の処置につき御垂示御願い申し上げます。

“相当の狐がいる。白狐はいい。金に塗った為金毛九尾の眷族が憑いた。何か要求がある。聞いてみよ。(S25・1・18)

入信しっ放しと浄化(再浄化)

“四十五歳の男子(眼科医、昨年入信)最初肝臓浄化し黄疸になりましたが、御浄霊により回復、  その後しゃっくりが連続的に十日間続き、未だに止まず、体も相当衰弱して居ります。狐霊がついてる様に思はれ、昨日から御浄霊を嫌ふようになりました。医師は十二指腸潰瘍と云ひ、食欲はありません。御救ひ頂けませうか。

“入信しっ放しでは何にもならぬ。人を救ふ力と行り方を覚えるにすぎぬ。それっきりでは何にもならぬ。それを生かさなくてはいけない。応用しなければいけない。それをせねば生存の価値はない。その理で、まず難しい。治そうとしても駄目だ。遠ざかるべきである。先に歯医者で、倅は眼科医で、石鹸毒で目がつぶれそうなのが治り、講習受けたが、それが家内にも秘密だという。知れると医師会から除名されるという。(遠藤仁護)西田博士――。

浄化続発と過誤の存在(喉痛)

“私は一昨年光明如来様を御祭りさせて戴きました。昨年四月三日、四歳の女児が死亡し、本年春母親が腸に塊が出来、  沢山に増えてそれが段々大きくなって死亡致しました。又、長女(十六歳)が本年の五月肋骨カリエスにて死亡し、此の度夫は咽喉が痛み声が出ず、それに水気が咽喉を通らず、頭や胃等が時々痛み、此頃は一週間ばかり便秘し、臥して居ります。どうしたら御救ひを戴けませうか。御教へ願ひます。

“教修の受けっ放しか、何か間違った事があるに違いない。入信後の状態を記せ。  喉は厄介である。浄霊がよく通らぬといけない。(S24・6・7)

入信して極度の不幸

“昨年一月入信した婦人の家庭ですが、戦災後の苦しい中を九人家族全員あらゆるものを倹約し御光を受け光明如来様も御祭りさせて頂きました。主人は肺結核のため昨年十月亡くなりました。ところが十二月も大晦日の日、長男と長女が争ひの末、長女が脇腹を蹴られたのが原因で丁度肺炎の様な状態になり、遂には父の如くになり、母の懸命の浄霊の甲斐もなく去る八月六日永眠致しました。  二ケ月前、下から二番目の男の子を他家にやりました所その後その子の御守が紛失し、  又一番下の女の子も他家にやる話になりましたが、その子も御守を紛失し、且つどちらも袋だけ返って参りました。長女は最後迄浄霊を受けつつ、然も一番本教の話も分りよいと思って居りましたが、死体は実に焼きにくく「オンボー焼き」は、この人は栄養失調だったと云ったそうですが、長女には父の霊が憑ったのでせうか。御守は本部の指示に依り長女と共に焼かせて頂きました。何分のお訓し御願ひ申し上げます。

“余程大きな罪を背負っていて、何か間違った事がある。間違った事を査べよ。  祖先が神様に御無礼するとこんな事がある。(S24・8・15)

入信後の不幸

“私方では本年四月観音様の尊いお話を伺ひ、早速私始め家内、長女、三女、四名が入信、光明如来様もお迎え致しました。以来長女(二十一歳)はお道の御用をさせて戴いて居りました処、八月、近所の肺病の娘さんを浄霊中死亡し、その後長女は頭脳が変になり、その娘さんの死霊や家の先祖の霊等が色々と憑り、現在では精神病そのものです。大変浄霊や御祀りを好み、突然夜中に起きて祝詞、善言讃詞等を奏上します。又家内一同疥癬が出て居ります。如何なる訳でせうか。如何にすれば良くなりませうか。 

“浄化である。入信してからはいろんな事がある。入信すると掃除が始まるのである。それで悩みや苦しみがある。大掃除があり、それを通り越すとお蔭を戴く。大掃除は現実的にはやはり迷ふ。  長女の頭脳は治る。疥癬も仕方ない。峠を越せばよい。今度は本当に良い事が多くなる。(S24・11・25)

浄化と神の都合、(最近の疥癬)

“最近疥癬の御浄化が下火の様に思へますが、如何な理由に依るもので御座居ませうか。

“種々神様の方に御都合があるから、どうと決める事は出来ぬ。観音会の人達は一段落した。今後、宗教的にするには大いに浄めなくてはならぬから、二、三年疥癬が起ったのである。ただ、斯ういふ事はいえる。疥癬の浄化の時は浄化もおだやかであったが、浄化が激しくなると、もっと外の症状になる。未だ未だどんな形になって出るか判らない。只では済まぬ事は事実である。今の人間の体内の毒は大変なものであるが、如何なるものかは、すべて神の都合によるものと思ふ。(S23・8・12)

入信と浄化

“御光を戴いてより体全面にタムシの御浄化を戴き、今尚続いて居ます。霊的のものでせうか、体的のものでせうか。

“これは疥癬である。田虫のような、天然痘のような、はしかのような、いろいろある。入信すると、霊の曇りが出る。故に信仰熱心になると疥癬が出るのであるから、霊的でもあり、体的でもある。  信仰は、神秘探求が旺盛でなければならぬ。

入信しての流産、(入信後の出来事は吉事)

“妹で御座いますが、約二ケ月程前より浄霊させて戴きましたが、当時妊娠中で、此の一日、生れましてすぐ死んでしまひましたが、この様な子供はどの様な因縁で御座居ませうか。よく沢山の方が御浄霊を戴いて安産し、子供も丈夫の方を聞いて居りますが、妹の場合は如何なるもので御座いませうか。

“簡単には言えぬ。  生れ代る場合執着のあるのが早く生れ代る。  そういふのは不具か低能で、一家を幸福にする元にならぬ。そういふ者が宿った場合(生れぬ方が幸せだし、御守護により流産したりする)浄霊すると害を与えぬようになる。之は大変なおかげで、之が流産などする。又、妻君に毒血の多い場合、毒を除る為に流産させる。毒血を除る為には流産は良い方法である。入信して流産する人は、皆毒をとって頂く。入信してからの事はすべて良い方へ解釈すると合ってゆく。(S24・2・4)

入信後の流産

“三十歳の初妊婦(信者)、妊娠三ケ月にて、薄い古血の様な下り物がありましたので、御浄霊を続けて居りました処、約半月位経って流産致しました。胎盤の左上方部に人差指位の固まりがあり、それを破きました処、毒血の固まりが出ました。此の為に流産致しましたのでしょうか。お伺い申し上げます。

“そうかもしれない。然し、信仰へ入っての流産はよい。罪が除れる。  (S25・5・23)

高発熱三日にて死せる子

“生後七ケ月の子供、一月十五日の朝突然熱が出て三日煩って死にました。身体が火傷の様でした。霊的に関係がありませうか。

“入信後の事であるから、母体の薬毒に因る。母体の薬毒の浄化である。子供を使って薬毒を出させる神様の思召であらう。(S24・1・26)

御神書と中風、(御神書と病気快癒)

“私は昭和十八年入信、翌年出世御尊像様御姿を御奉斎させて頂きました。当時は二階のお床の間にお祀り申し上げて居りましたが、主人の死後経済的御浄化の為二階を他人に間貸し致す事になりました為、現在ではお軸をお箱に納めて、階下の居間の床の間にお立てかけして御座います。又光明界の横額は、間貸しをして居ります二階に只今もお祀りさせて頂いて居りますが、如何でございませうか。お伺ひ申し上げます。  尚、私は本年七月より中風状態の御浄化を頂いて居ります。

“御本を読むと中風もよくなる。(S24・12・18)

非行の子をもつ男入信の今後

“当年三十八歳の男子、妻子がありながら他の婦人と関係を生じ、家庭の不和も頂点に達しましたが、観音様の御利益にて平和になりました。本人は信仰に専心しておりますが、その婦人に罪の子が生れんとしております。如何にして円満に解決せんか苦慮致しております。どういたしたらよろしいですか。因みに婦人は身持ち悪く、生れる子は三人目で、前の子は闇に葬り去られ、目下信仰説得中であります。

“斯ういふ問題は観音様にお任せする。人間が考えたり心配する必要はない。然し何にもせずにお任せするんではない。当事者が出来るだけ多くの人を助ける。その徳によってその人の苦痛は減る。自分自身を磨く。すべて、考えても考へのつかぬ時は神様にお任せするとうまく解決する。私自身もそうである。

製薬業に投資

“主人の里が家伝薬製造業でした。戦争中廃業致しましたが、最近生計の為製薬を始める事になり、  私の方で資本をおろす事になりました。薬のため私としては誠に不本意に思ひますが、親戚の義理合いから、やむを得ず送金致しました。当日電車の中で怪我をして、勤務先にて無理に傷の手当をされてしまひました。薬に投資致し、里にこの上製薬を続けさせます事が霊的に罪ではないでせうか。

“大いなる罪である。盗賊、強盗よりも悪い。(売薬製薬している者は)神様にお任せして、暫くしてやめる。一たんやめたものを又やるのは極くわるい。断然やめる。祖霊も止める。怪我は祖霊の戒告である。悪いと信じた事は絶対やめなくてはいけない。やめても先方は困らぬ。多くの人の身体を悪くする。それを知ってやるのは絶対いけない。(薬を飲ませたり売ったりする罪程大きいものはない。知らなければ許される)(S24・4・3)

入信せる狩人

“五十一歳の男子、睡眠中時々ヒーヒー云ひます。本人の両親は喘息で、父親は死亡し、母親は床について居ます。本人は農業の傍ら狩人をし、時々猪を獲って来ます。妻は入信して居り、家は本教の浄霊場になって居ます。この病気は喘息の遺伝でせうか、どうしたらお救ひ頂けませうか。

“猟人はやめた方がよい。

病院の仕事して悪夢に悩む

“私は御観音様の御仕事の御手伝いをさせて戴きたいと思って居りますが、なかなか思ふ様になりません。現在も御観音様と正反対の病院の仕事をして居りますが、最近毎夜の如くいやな夢を見て起きれば悩みは重なり、種々考えた末病院の手伝ひをやめ様と思って居ります。何卒御守護御願ひ申し上げます。

“一日も早くやめよ。(S24・10・9)

既成宗教信仰の障り除る事

“他の宗教の信者が今回専門にお道に入らせて頂きますと何かと既成宗教が障りになりますが、  如何致したらよろしいで御座いましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“(捨てておいた方がよい。急にはならない)染物の如く、染まったものを染め替えるように、色抜きに手間が掛る。宗教は想念の問題であるから、急に治す事は難しい。時の問題である。その間待ってるべきである。処が人の色抜きをしようとして  自分も色のある人がよくある。人より先ずそれをよく反省する要がある。 (S24・10・8)

本教と金光教信仰

“私の両親始め家庭は二十数年前より金光教の方を信仰させて戴いて居ります。御利益の方は大変戴いて居り、親神様として今尚本教の方と共にお参り、信仰させて戴いて居りますが、此の様な事はよろしいでせうか。今後も以前と同様信仰させて戴き度いと考へて居りますが、如何で御座居ませう。

“当分は仕方ないが、永久に両方といふ事はいけない。位が全然違ふ。金光は孫弟子位になる。無理に判らすのはいけないから時期を待ってお任せする。(S24・11・27)

生長の家との両信

  “一、本教会の信仰でありながら生長の家の神想観を行じて良いものでせうか。仏前で聖経甘露の法雨を読誦して良いでせうか。

二、観音様のミョウフの蓮華が開かれれば汝等天地一切のもの解せよ、感謝せよ、と云ふ七つの燈台の点燈者の神示にあることが書いてあるとの事ですが、観音様と生長の家の大神の関係を御教示下さい。

“一、いけない。どっちかでなくてはいけない。

二、生長の家は深く知らぬ。  (S24・2・15)

弘法信仰も持続する事

“私は以前弘法様の信仰にて救はれ、其後継続して居りましたが、最近観音様を信仰させて戴き、倅の病気も御浄霊で救はれました。然し観音様と弘法様と二道信仰をして居りますが、よろしう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“之もいけない。いけないといふより、観音信仰すれば弘法は必要はない。弘法は本当いふと釈迦の弟子であり、釈迦は観音様の弟子である。

霊友会で祀る姑

“私の姉が嫁いで居る家では近頃流行の霊友会に入会し、姑さんが熱心にやって居ります。家庭の不和は御先祖様がさせるのだと申し、喧しくて仕方ありません。偶々家の事が難しくなると、私共仏の戒名を自宅の仏壇に祭り御題目を上げると家の中が円満になると申しますので「私共では光明如来様を御祭りして居るから御宅の方で供養して戴かなくともよい」と申しましても、姑は仲々聞き入れず、結局姉は中に入って困って居ります。如何したらよいでせうか。

“姑のする通りした方がよい。霊は承知しているから咎める事はない。もしやれば姑をやる。無抵抗でなすまま気持よくさせ時期を待つ。すると良いものは良く、悪いものは悪い。時期を待つ寛容の精神をなくさぬようにする。祖霊が気に入らなければ何とかする。

父子異信仰の競争

“私宅は教導所として御手伝ひさせて頂いて居りますが、  私が入信(昭和二十三年一月)と同時に父も御岳教に信仰、親子熱心に互いに信仰の道へ進んで居ります。私も父に負けずに御手伝ひさせて頂いて居りますが、一生懸命になればなる程父は私に挑戦しうまく行きません。右の状態で御座いますが、今後如何なる方法をおとりしたら宜敷しいか、御教示下さい。

“競争的はいけない。無抵抗的にせよ。こっちが勝つと父はよけいに興奮するから、成可く負けるようにする。信仰は凡て争いがあってはいけない。争いがあっては此方が負ける。 (S24・8・27)

父御神体を隠す

“私は二年前に入信、昨年十月光明如来様をお祭りして頂きました。私は七十六歳の父がありますが、大変仏に熱心で、光明如来様は気に入らず、今月二十三日に光明如来様を外して、畳の下へ隠してしまひました。私は驚いて、教導所へ光明如来様を一時お預かり願ひましたが、如何致したらよいでしょうか。又、父を分らせるには如何致したらよいでしょうか。

“光明如来様も仏である。実際は邪神が憑いたのだ。気にせず時節を待ち、お任せするだけでいい。(S24・4・28)

受講に就て、(再講習と御守取替え)

“神経衰弱等で元気のない場合、受講さしてよい。再講習は御守を取替えなくてはいけないような事はない。但し、本人の希望ならよろしい。今度の御守「御光」は取替えてはいけない。(S23)

動物早死する事

“人間が動物に転生して人に飼はれる時、飼い主と其の動物との因果関係の霊線の結び付きについて。又、其の飼い主が教修生の時は動物に落ちた霊も浄化されるから其の動物は死ぬと云ふ事になるものでせうか。

“浄化されると早く人間に生れ代る。それには動物の体を早くならす事になる。その為に幾分早く死ぬ事になるといふ理屈はある。動物でも殺してほしがっているのが随分ある。

悪宣伝受けた場合、(負ける事の必要)

“個人的又は団体的の悪宣伝を受けた場合、宗教人としての私共は良い宣伝を以て之に報いるべきでせうか。右、御教示御願ひ申し上げます。

“負けた方がよい。すると先方は好い気持になり、こっちは気持が悪い。然し、後になると良い。徳川家康は負けたから天下を取った。大いに成功したりする為には負けなくてはならぬ。怨みの霊の来ぬ事で、感謝の霊の来るようにする。すると、怨みほど霊的に損するものはない。

反対者判らすには

“昭和二十一年八月、妹のカリエスのため、母親がお光をお受けしましたが、同年十一月、母親から勧められて、私はお光をお受けする事が出来ましたが、妹は二十三年三月死亡しました。私は御道のため御救いを戴き心から感謝していますが、父親始め家の者に反対されていますので、それに対してどうしましたらよいでせうか。又、死んだ妹と何かの関係がありませうか。

“時節を待てばよい。あまり奨めぬ方がよい。奨めると反って延びる。霊線が通じているから、一人か二人判ると或程度浄まるから、そうすると反対する霊も浄まるからいい方へ変わる。  (S24・8・17)

反対者に就て(御用上)、反対者の二種

“本教の御用を務めたいので御座ひますが、反対するものが多いので思ふ様に出来ませんが、どうしてで御座ひませうか。又、如何致しましたならよろしいでせうか。御教示願ひます。

“反対者はあるに決ったものである。之を知らずに反対する者と、邪神の家系で反対するのとある。邪神は決して悪くみせない。反対するのが良いよう、巧い理屈をつくる。放置して時期を待つ事である。先方と闘争せぬよう、避けるようにして、その程度で御用する。大先生とて今以て反対者はある。之は五六七の世まである。然し、本当のものは良くなる。それを妨害したものは必ず滅びる。であるから、ちっとも心を用ひなくてよい。ただ、時期の問題であるから、焦らず、気をもまず、気長に待っているのがよい。  (S24・5・26)

妨害者に抗せず(布教)

“左の件につき御伺ひ致します。一、故意に布教を妨害する者に対する態度は如何にしたらよろしいでせうか。

“これに対する反抗はいけない。当らずさわらずにしておく。そして時期を待つ。大抵の妨害は「我不関」がよい。抵抗すると意地になってよくない。私などよく妨害されたが、反抗しなかった。  (S24・9・17)

反対者の苦しみ(入信後)

“私共夫妻は三年前御光を戴き今日に到りましたが、私のみは泌尿器関係の浄化激しく、連続的で御手伝ひも十分出来ず、加ふるに父が反対して、やる瀬ない日々を送っております。度々先輩諸先生に御指導を願って居りますが、その通りに実行出来ません。どうしましたらよろしゅう御座いますか。

“罪穢が未だある。訳があって苦しむのである。入信してまず第一段は救はれたが、未だ家の中までは入れぬのである。先ず健康になったが、罪が病気で除れないとなると、罪穢をとる為他の事で苦しむ。であるから、反対者があって苦しむのは悪い意味に解すべきでない。(泌尿器関係は治る。手術しない人なら必ず治る。自分で浄霊する)(S24・1・6)

異信の家族の邪魔は障るか(怨み)

“私は一昨年教習を受けた者ですが、  父や弟等が私の信仰と反対です。阿弥陀様だけでよいと云ひます。ですから昨年私は反対者を後に島根県の方へ観音様の御手伝ひをしに参って居ります。父等は私を怨んで居るでせう。その反対者の想念が御手伝ひの邪魔になるでせうか。お伺ひ致します。

“少しは邪魔になるが、こんな事は差支えない。本当の事をしている以上、これを打壊す力はないから(あまり影響はない。懸念の要はない)怨みの想念が来ても何でもない。その中に必ず判って、頭を下げるようになる。(私などいろんな邪魔があったが、打勝って発展した)「正を履んで恐れず」である。(S24・1・27)

信仰に反対の息子、(異宗霊憑依)

“私の次男(二十歳)は素直であったが信仰(教会)にはとても反対で、本人が浄化して素直になると思ひましたが益々反対するのです。如何したら宜しいでせうか。

“前世が仏教信者とか神道の信者で、自分と違ふ信仰に入るのが面白くないので反対するか、又は外の熱心な信仰者で霊界へ行ったので、此信仰が面白くないので、その息子に憑るかである。うっちゃらかしておけば、何にもせず自然に信仰に入るようになる。その霊が判る。生れ代った場合としてはその人の守護神が判る。神様もその機会を与えて下さる。(S24・10・16)

父弟の反対、(霊の邪魔を考えよ)

“私の家は父と弟が信仰が嫌ひで、私が御浄霊に行く事を反対し、親類の人は益々反対して居ります。  今日の御面会も抜け出て参りました。父は「屋敷がなくなるからやめて置け」と云ひ、私は唯今は京都へ布教に出掛けて居りますが、入信の人があまり出来ません。家には光明如来様を御祭りして居りますが、どうしたら家庭の地上天国が出来るので御座いませうか。又、京都方面の布教は如何にしたら発展するでせうか。謹みて御伺ひ申し上げます。

“父に憑った霊が邪魔する。之は焦るからで、もっと気長にゆっくりせよ。あまり反対するのを強いてやると霊が邪魔するから要領よくせよ。天理教と間違えている。此信仰は金が儲かるとかいふ風に言い、新聞等置いておく。神様にお任せし、後要領よく、刺激を与えぬようにする。(S24・9・8)

信仰の母没後順調ならず、(邪霊とれず)

“私は昭和二十二年入信、雑貨商を営んで居る者です。母の生存中光明如来様をお祭りさせて戴きました。兄は母が病気の時死ねと言ひ、私には出て行けと言って困りましたが、何事も順調に行きましたが、母の死後急に転換し、何事もうまく行かず、兄は焦るばかりです。私にも死ねとか出て行けとか、  兄も教修していながらも信仰をやめさせようとして困りましたが、現在は右の様な事は申しませんが、商売は全然なく、生活も大変で、私も働きでもしようかと思いますが、なかなか出来なく、御用させて戴きたいと思ひますが落着けなく、不安でなりません。如何に致したらよろしいでせうか。又、右のような事を言うのには霊的に何か関係がありませうか。お伺ひ致します。

“母が死んで兄に間違った霊が働くから、  吉い事はなくなった。邪神系の――変な霊が憑いているし、本守護神は信仰したいが、なかなか邪神が除れぬ。気長に焦らずいると除れる。時期が来るとトントン拍子になる。生活に苦しんだ方が改心が早いから反っていい。やはり祖霊などがやっている。(S24・4・26)

親の言ふ事を聞く事、(法律違反)

“信仰雑話の大乗と小乗の項に『偶々自分は目的を立て、それを遂行せんとする場合、親の許を離れなければならないが、親は不賛成をいう。止むなく一旦親に叛いて家出をし、目的に向って努力し、成功してから親の許に帰れば、親もその光栄に喜ぶは勿論で、大きな親孝行をした事になる』と御座いますが、観音様の信仰をさせて戴いて、親の反対する場合、前項の如く大乗的にやってもいいでせうか。観音様は常識を欠いてはいけないと言ふ御教へでありますので、迷って居ります。如何致したら宜敷いでせうか。御伺ひ申し上げます。

“臨機応変で、立派な親なら言ふ事を聞く。分らない親の言ふ事を聞くと子供も良い仕事も出来ぬ。出来るだけ理解さすようにして、親が困らぬようにして出るのもいい。自分も親の心配を掛けぬ手段をとってやるべきである。法律には従はねばならぬが、之にふれなくては良い事が出来ぬ場合もある。ふれなくては救いが出来ない。法律にふれた為に人が困るならいけないが、それが為に人が幸福になるから仕方ない。戦時中、平和の話をすると法規違反になる。法規に従えば闇米は買えぬ。之は小乗で、破って闇米を買ふ。之は大乗である。(S24・10・27)

家族が反対の養子

“本年二十六歳の男子、婿養子に行き一子迄有りますが、家族が全然信仰心がありませんので、目覚めさす目的で家を飛び出し布教に従事して居りましたが、最近家に戻らなければ離別すると云われて居ります。如何様に致したら宜敷いでしょうか。御伺い申し上げます。

“どっちでもよい。結果は同じである。気持次第でやる。(S  (*)・7・8)

周囲の反対

“斯の御道の信者で、周囲の反対の為に手術を致しましたけれど、御観音様の御守護によりうまくいったと云うものが屡々ありますが、之は如何なものでしょうか。

“うまく行ったのは一時的で、決して永久ではない。周囲の反対なんていっても、原因は寧ろ自分にある。反対といってもマサカ暴力を使ふ訳ではない。(S25・5・23)

之は本人が悪いんではない。本教の事を親戚が知らない為にやった事であるから、大して罪にならぬ。その中、祖霊が働いて復活するようにしてくれる。(S24)

近親の反対者

“兄様が家を捨てて出て行き、二十歳の弟が後を取り、現在ではお光一家として弟が救ひの道に邁進していると、親類並びに近所がうるさく付きまとひ困っていますが、どういう風にしたらいいでせうか。又、死んだ父親がどんな思ひをしているかお教へ下さい。寝ていた時に白い着物を着た人が二人自分の目の前に来た時息が切れ、行った時息が出たのはどういふわけでせうか。現在自分の家族は全部お光を頂いて居りますが、兄が無神論者の為困っています。自分の信仰が深くなるにつれて祖先並びに家族が救はれるでせうか。

“父は喜んでいる。反対は眼中におかぬ事である。おとなしくしてれば、親類も頭を下げてくる。  (S24・2・15)

未入信の父の死因(祖霊)

“既に光明如来様も戴き、一人息子と母親は熱心に布教の御手伝いをして居りますが、父親は未だ入信せずに居ります。息子が本格的に布教に乗り出して家業より離れるのをおそれ、私宛に「妻と息子は観音様の信仰を止めた」と云ふ通知をよこしました。その夜父親が隣村の会合よりの帰路、路傍の下水溜りに落ちて即死したのですが、之を信仰的にみて如何に解釈したらよいでせうか。御教示御願ひ致します。

“祖霊がやった。どうしても入信しなければならぬので、祖先が生命を奪ったのである。  (S24・10・8)

御参拝と父の反対、(信仰は自由)

“私の父は観音様信仰を絶対反対致しますが、本日御参拝致すにも反対を押切って参りました。今後は反対であれば中止して時節の来る迄待つ方が良いか、それ共反対を押切って御参拝した方が良いか、御教示下さい。

“一概には言えぬ。信仰は自由であって、これに反対するのは自由を束縛するものである。父の霊が嫌ふのである。善の方になられると好きな事が出来ぬ。光を恐れるのである。どっちともいえぬ。行動に表はさず、本など父に知れぬように読んで、時節を待つ。(S24・10・28)

父入信拒否を固持す(争はず)

“私は昭和二十四年六月入信致しました。其後家人にも色々御道の事を話し入信を勧めましたが一向に信用せず、又、親戚の人達もてんで相手に致しません。又、私の家では兄弟三人が結核になり、二人死亡し、一人は戦死致しました。又、主な親戚でも大部分二人位づつ戦死致しております。それに弟は五年前骨膜炎をやり手術をして足が曲らなくなりました。又、父も二ケ月前足を捻挫し、其後再三浄霊を勧めましたが頑として受け入れる気がなく、あらゆる療法を行ひましたが、未だ一人歩きが出来ません。此様な状態で私の家も相当な因縁がある事と思ひます。戦死者及び父、弟の足の病等、何か霊的に原因があるのでせうか。御伺ひ致します。光明如来様は本年二月御祭りさせて頂きました。

“之も同様で、放置しておく。  無理に勧めたりなどはいけない。焦ったりなどするのを制え、穏やかにやる。争いが出来ぬから結果がいい。 新聞など置いておく、救はれる時節が来たとすれば、それを読む事となる。(S25・4・26)

反対を押切るべきか

“今春、某大学を卒へ、今後は只管(ヒタスラ)このお仕事に尽力させていただくべく心掛けておりましたが、家の反対の為、銀行へ出る傍(カタワ)らお手伝いさせていただいております。もし時機が参りましたら、すべての反対を押切ってこの道を進む事は如何なもので御座いませうか。お伺い申します。

“反対を押切らなくともよい。時期を待つと親の方から銀行をやめてやれといふようになる。  (S24・5・4)

父の無理解と子の病気

“吉岡誠(三十歳)は中学校三年生の頃より恐怖性神経衰弱に罹り、方々の医者に診て貰ひましたが一向よくならず、病性は悪化するばかりで乱暴を働く様になり、医者をあきらめて或神に頼りましたが、動物霊ばかりがかかり、少しもよくならないのでそれを断り、次に奈良の八峯様と言ふ神様にお縋り致しました。八峯様はこの子は治ることは治るが相当長びく、と言はれましたが、仰せの如く長びきました。乱暴はしなくなりましたが、現在は口も思ふ様にきけず手足も不自由ですが、記憶力は普通で、殊にお経等は驚くほど良く覚えます。母親の信仰はとても熱心で御光も受けられ、  本人にも御光を受けさせ、今は人助けの為に浄霊を熱心にして居られます。父親は村長でありますが信仰には反対で、理解がありません。本人に浄霊を致しますとしばしば御先祖様の霊がおかかりになり、お光が有難い有難いと言はれるのですが、一体どうしたら御先祖様がお喜びになり、本人が一人前の体になるかをお教へ下さい。

“父が信仰に入る事である。祖先も父を入れたいのである。それには本を読ますのが一番いい。父の側へ神様の本を置いておく。父が入信して判るとズーッとよくなる。幹が良くならなくては良くならぬ。  (S25・1・25)

母の反対

“脊椎カリエスだった私は昨年九月より本年八月まで浄霊を頂き、お蔭様で体は起きられる様になりました。救はれた御恩に万分の一なりとも御用さして頂く様決心致し、大光明如来様も奉斎さして頂きました。母(姑)、子供(養子)の三人暮しで御座居ます。母は本教に反対でして、私が布教に出る様になるとそれを固く止めます。止むなく所属の先生の宅でお手伝いさして頂きたいと決心致して居ります。家には猫がお軸にジャレて、私の居る時は追い出してやりますが、母は反対でもあるし、其の上猫を可愛がって居るものですから、追ひ出す事もせず、私の留守の時は御供へもしてくれません。如何にしたら宜敷いでせうか。御教示を御願ひ申し上げます。

“母の判る迄待て、無理にするのは間違ってる。(S24・8・18)

父の反対と傍観

“当年五十一歳、父は本教の事がよく判らず、しばしば反対致します。気分がよければ、御浄霊をしてくれと申しますが、御浄霊の途中より「お前達はだまされている」と申します。それで私は嫌になり、止めてしまひます。それでいて他人を御浄霊致す時は黙っております。私の罪の為でせうか。御教示下さい。 

“父に浄霊を嫌ふ霊が憑いている。そして本守護神、正守護神は浄霊を良いとしているのである。(S24・10・8)

父の反対(御願いせよ)

“二十八歳の女子三ケ月前より、及び二十六歳の女子七ケ月以前より心臓弁膜症にて臥床、此の姉妹は共に夫戦死せしため子供を連れ親許に同居す。猶二十四歳になる妹も同様になる一歩手前と思ひます。此の二人は医師の紹介にて約半ケ月の浄霊により現在戸外に少しく散歩出来得る程度になりました。二十六歳の妹が入信したいのですが、父が大反対します。どうしたら良いでせうか。

“少し父の判るまで気長に待ってるとよい。観音様が機会をつくって下さる。教導所へ行って観音様にお願いする。(S  (*)・12・15)

勘当され入籍する事

“親兄弟から教団に入った為に勘当されて私の家(母と子供二人)へ入籍出来るかどうか。私の先祖に対して、入籍した場合、どうなるでせうか。

“此ままで時期を待つ。極端な事はいけない。了解得ぬと霊が邪魔する。神様がうまくして下さる。こちらから緩和してゆけばよい。(S25・2・15)

反対の家庭を出づる事の可否

“私は昭和二十二年五月入信させて頂きました者ですが、主人も長男も反対で、事々に辛く当ります。長男は御写真、御神体までも御無礼を致して了ひました。  あまりの事に気も狂はんばかりで御座いました。最近又々ひどくあたり、其の為私は家を出て一ケ月ばかりになります。此の頃になって主人は早く帰ってくれと申します。私はどうしても未だ帰る気持になれません。主人の母は十六人子供を生みまして其の内十三人締め殺したとの事で御座います。主人は誠に身持ちが悪く、私は四人目の妻で御座います。  私には五人の子供が御座いますが、此の際お道のために御奉仕させて戴きたいと思ひますが、如何致したら宜しう御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“ちょっと具合が悪い。家を出るのはいいが、それを材料にして救世教は家庭破壊の信仰といはれると道の障りになるから、そういふ事のないようにする。腹の中で信仰していて、家庭にいるうちは信仰の話はせぬ。時期を待てば神様がうまくして下さる。(S25・3・28)

信仰を邪魔する霊への対処

“私の娘(十九歳)、一昨年七月頃より御浄霊を行ひ居りますが、其の後御祭りにも参らず、又、浄霊もやらせず、一時は治ったと思ひましたが、近頃は又変になり、家内の者迄御参りを差止めます。考へますれば狐霊の働きと思ひます。如何にすれば早く取れませうか。

“変な霊が憑いている。母が良く信仰して人助けをする。母が良くなり浄まると、霊線を通じて娘が浄まる。すると邪魔する霊の力が弱まる、萎縮する。(S24・3・16)

悪霊の邪魔とその解決

“妹夫婦は入信して御奉斎して居ます。妹の夫は四年前より右手足が中風症状で、益々ひどくなって来ますが、父親は病院に勤め、母親は本教に大反対です。如何なる訳でせうか。

“悪霊がいて邪魔するのである。信仰で人を助け、気長に神様にお任せする。

黒装束霊の邪魔と信徒の動揺

“山口県阿武郡徳佐村、三戸秀子教導所に於て、昨年十月、中山映生(テルオ)教導師、三日間の大浄化にて急逝しましたが、其後其処へ出張致しますと、夢か現かの様に黒装束の大男が現われ、私に襲いかかって来ました。又、しばらくして出張しましたら、講習中昼間明らかに弓矢で右の耳を射られる如き気持がし、激痛を感じました。其夜、又夢にて豚に似た怪物に襲われました。それから、同教導所の教導師補田村マツ、胃癌にて伏せる様になりました。そして急に信仰心が無くなり、医者にかかって居ります。尚、右教導所には約五百人ばかりの入信者が御座いますが、動揺し始めた様です。これに対して如何な対策を講じたら宜しいでしょうか。御伺い申し上げます。

“黒装束は邪神の親玉で、邪魔に掛っている。大光明如来様をお祭りしたか。力のある邪神である。之が静まるまで動揺はあらうが、神と悪魔の戦いであるから構はぬ。結局悪魔は負ける。  (S24・9・3)

信仰に反逆する児

“私が浄霊しています家(昨年十一月、一家七人全部入信、本年二月光明如来様奉斎)の一人息子が肺患にて最初一ケ月の経過良く、目方も一貫目増へましたが、本人は御浄霊を好まず、最近は全然受け付けません。親が本教に熱心になればなる程反逆します。何か霊的原因による様に見受けられます。如何なものでせうか。  御教示願い上げます。

“怨みの霊か、邪魔しようとする霊である。メグリに対する災いである。  (S25・2・17)

坊主の逆宣伝に迷ふ信徒

“私は昨年入信し御光を戴き、又十一月には光明如来様を御迎へして御祭りして居りますが、当地へは一度に五体御祭りした為か、只今では寺の住職が村人を集め、又、人家を廻り、観音様の事を悪口ばかり言ひますから、村で入信した方も迷ふ方も出来、浄霊をして上げたいと思ひながら皆断ります。今後如何致したら宜敷いでしょうか。

“迷ふ人は迷はしておけばよい。丁度犬の集団等へ異ったものが入ると、目の仇のように苛められる例えに同じである。終ひには坊主も此信仰に入る。大いに悔改むる時が来る。(S24・10・16)

新聞の非難

“岐阜県高山市にて毎日の様に新聞に悪口を出して居りますが、此れに対して放っておいた方が良いでせうか。お伺ひ致します。

“新聞は一面、広告になる。最近静岡――政治。「真相」なる雑誌にも出ていた。あまり偽報であったら訴えた方がよい。(S24・2・17)

読売新聞記事

“読売新聞に本教誹謗の記事が御座いましたが、新しい信者は迷う事が相当御座います。其の指導法を御教示御願い申し上げます。

“寧ろ読売の罪を救う気持である。  (S24・9・29)

信仰を隠す傾向

“山口県及び九州地方の人は兎角自分の入信を他人に隠す傾向が非常に多う御座いますが、之は人間性の問題でせうか、それとも未だ発展の時期になっていない為でしょうか。

“どこでもそうである。新聞雑誌で悪く言ふとか、友人などの忠告もある。そういふ考えがあるのは、世の中がまだそこまで行っていない。これは時節である。(S(*)・12・3)

高山街頭録音に就て

“去る十七日御伺い致しました岐阜県高山市の方でありますが、其の後、毎日の様に各紙筆を揃えて非難を続けています。来る三月一日に名古屋放送局が「信仰と迷信」、「光明様問答」を主題として街頭録音を行うから大勢出席してほしいとNHK高山支局から通知して来ました。如何したらよろしう御座いましょうか。

“迷信の最たるものはキリスト教である。ただその中正しいものは世界的に大きくなる。疥癬に就ては、日本全国彼方此方に流行らなくてはならぬ。止めると死ぬから出すようにする。浄霊に於ては触らぬ。寧ろ医者は触るから、寧ろ手落ちがある。着物などから移るとすれば、電車などで――。疥癬が治るから、その患者が沢山来る。それで疥癬が多いようにみえる。(S24・2・27)

仏教会長で入信せるを非難さる

“私は現在仏教壮年会の会長をして居りますが、五六七教に入信させて頂いてより先の仏教壮年会員より面白くない事を言はれます。先の会の仕事をしながらでも御用には差支へないでせうか。  御垂示下さい。

“全然差支えないとは言えぬが、今迄の因縁があればはっきり捨てる訳にゆかぬ。当分世話をやいて怨みを買はぬようにした方がよい。五六七も仏であるから、同じ仏教であるから、そう違はぬ。怨みの霊が来ると霊的に支障が生ずるから、怨みを買はぬようにする。そのうち先方で変るようになる。怨まれるようにしてはいけない。出来るだけ怨まれぬよう努め、ボカすようにする。怨みの想念が来ぬようにする事が肝要である。(今迄の職業、仲間から恨まれぬようにする。いきなり断らず先方に気持よくさせる。私などいきなり断った事はない)

大本信者の転向

“二十七歳の男、  心臓弁膜症及び肥大症で約一ケ年余医療を受けたが、はかばかしくなく、結滞亢進は夜間寝てから特に激しくあった。本年二月頃から御浄霊によって一時軽快したが、七月頃又前と同じ様な容態となり、リュウマチの如く処々傷みを加へましたが、やはり御浄霊によって軽快致しました。本人は親戚の関係から大本教を祭り、先祖も仏から祭り代へていますが、今度こそ観音教に変へて教修を受けたいと云っていました処、ひどく親戚の感情を害し、絶交迄ゆきそうになりました。如何致したら宜しうございませうか。

“争ってはいけない。時期を待つ。大本教は月で、観音教は日で、とても反感をもつ。(S24・9・23)

神業へ転換の心構え

“四十歳の男子、目下小学校教師ですが、危機迫る此時、本人は本教に依りあくまで救世一方で行きたい、それに就いてはどうしても現職たる教師を止めなければ種々の支障があるので困っていますが、今教師を止める事によって妻とも意志の疎通を欠き、家庭不和を来す懸念も有り、又たちまち生活上にも困る様になるので本人は迷って居りますが、何か良い方法はありませんか。御教示願ひます。

“いきなりやめずに準備する。そのうち段々浄霊を受ける人が殖えて、教育をやめても生活に困らぬようになって、初めてやめるとよい。パッとやめるのは乱暴である。何でも転換する場合は徐々としてするのでなくてはいけない。無理なく、苦しみなく出来るのでなくてはいけない。そして目立たず支障なくゆく。気を焦らず落ついて移る。大自然がそうである。寒い時から暑い時に一度にはならぬ。段々になる。そのようになるのが大自然の姿である。それを習はなくてはいけない。(S25・1・25)

家業と神業転向

“私は屑物行商をして居りますが、前途の見通しが解りません。現在手持の品物は処分し此の御神業に専心すべきでせうか。経済界の如何によっては職業はこのままでお手伝いさせて頂いて差支へないでしょうか。

“之は智慧が働かぬ。最初は両天秤でいい。両方やればいい。そのうち大勢信者が殖え、立派に生活してゆけるようになればやめてもよい。迷ふ必要はない。私なども最初からそうやっている。今の家業をやり乍ら、信仰している者は徐々に移るべきで、急に一遍にするのはいけない。  反って徐々にするのが早い。アメリカの行り方はそれで、決して一遍にしない。ヒットラーのような行り方はいけない。日本の空襲の時でもそうである。だからアメリカには失敗がない。(S24・9・7)

お導きと家業、(入信後の苦しみ)

“私は観音様の信仰を一生懸命続けたいと思って居りますが、私一人稼ぎの為生活に追い回されて居ります。何とかして一人でも多くお導きしたいと思って居りますが、中々思う様に御手伝い出来ません。如何したらよいでしょうか。御教え下さい。

“無理に家業をやめなくていい。出来る範囲でやる。辛抱していると具合いいよう観音様がなさる。人助けすると、有難いからと収入もある。本業よりいい。するとやめてもいい。  大抵の人は入信後非常に苦しむ。そして素晴しいものを下さる。大抵の人はそういふ経路をとる。

救業へ転向の良否

“私は綿打加工業を開業致すべく準備致しましたが、近頃入信させて頂き、御用の偉大さを知りました。綿打加工業は中止して御用に専念致したがよろしいでせうか。又、開業して双方共に進んだがよろしいでせうか。御教示願ひます。

“勿論御用に専念した方がよいが、此人の懐具合である。一年位食える蓄えがあればよいが、最初から収入を得られる事は出来ぬ。故に、綿打業をしながら浄霊をする。そして、収入を得られるようになったら漸次替えてゆく。綿打業の現状による。(S25・4・27)

貸座敷業者の入信

“京都の一会員(祇園の貸座敷業)中風と肺を御浄霊にて御救い頂きました。御守護厚く御礼申し上げます。本人も大変喜び、今後積極的に御道に御奉仕させて頂きたいと念願致して居りますが、今の職業を続ける事が申し訳ない様に存じ、今後の進む方向に迷って居ります。如何致したら宜しいでしょうか。御教示お願い申し上げます。(本人は本日参上させて頂いて居ります)

“迷ふ要はない。よす外ない。迷ふ事はない。よすと決心すれば何でもない。よすとしても成可く損害や被害のかからぬよう智慧を働かせる。急がなくとも漸次やってゆけば、神様の守護が加はり、うまくゆく。(S24・6・23)

看護婦より転向につき、(御奉仕して困る事なし)

“私は十五歳より五十歳迄看護婦に就業、十九歳の頃より肋膜、二十八歳にて腎臓周囲炎、三十八歳で眼病(医師は梅毒性と云ふ)及び神経痛再三起る等々病魔に苦しめられ、凡ゆる医療を致しました。其の後は水を沢山飲む様になり、一日四升位飲む程でした。昨年七月、腎臓病再発、それからは胃、胸、背中等が昼夜の別なく痛み、衰弱は増すばかりで御座いました。本年一月より御浄霊を受け、二月入信、御蔭様にて大変に楽にして戴き、水も一日五合位にて済む様になり、勿体ない御利益を戴きました。今迄の職業は光線療法でしたが、今後本教の御手伝ひをしたいと思って居りますが、生活の不安もあり、如何にしたらよいかと考へて居ります。  私は今後どうしたらよいでせうか。

“看護婦は勿論罪悪の手伝いであるからやめた方がよい。(結核と神霊療法)本教のお手伝いをして決して困る事はない。  (S24・5・6)

天理教信者入信(執拗)

“十三年程以前より熱心なる天理教信者でしたが、昭和二十一年七月お光を頂き、数々の御守護に感謝致して居る者ですが、天理教の御縁もそのままになって居りますので、教会の先生が度々おいでになりまして、因縁話をして、天理教の信仰に帰る事を勧められますが、有難いお光を頂いている現在では、その気持になれません。如何にしてこの縁を切れば良いのですか。御教示下さいませ。

“最初からキッパリやると怨んだりなどする。あまりしつっこく来るなら断乎として断(コトワ)ってよい。「度々来ても無駄である。天理教へ帰るようなら自分の方から行く」とハッキリ言った方がよい。神様の事は執拗い事はない。しつっこくしては決していけない。気乗りがせねば止めなくてはいけない。非常に結構なものを買はぬのは先方が悪いので、之は勿体ない。値打のないものを買はすには、しつっこくする訳である。今の凡ゆる事は非常にしつっこい。先方で求めて来るまで待つべきである。しつっこくしても一時的で、長く続くものでない。しつっこい行り方で迷惑する時ははっきり断る事である。

仏教信者の改宗

“仏教信者が自分の代になって他の宗派に取替える事はよろしいでしょうか。御伺い申し上げます。

“一概に言えぬ。長い間真言宗などであったのが、自分の代に替わると、祖先では気に入らぬから、成可く取替えぬ方がよい。観音教は喜ぶ。顕著に救はれるからで、観音教は祖先以来の仏教を信じながらでいい。他の信仰は替えぬ方がよい。一代法華は、一代なら祖先は許す。代々もやるといけない。法華は長くやるといけない。(S24・1・28)

入信後の仏教浄財

“よく仏教信者が、本教を信仰するようになって、仏教に対して浄財しなくなる人があるが、よろしいでせうか。

“勿論それはいけない。寺が立って行くだけの面倒はみなくてはいけない。未だ霊界は仏界があるから極端になってはいけない。霊は人間と同じように、例えば一家でも、一人が信仰に入り、他の者が入らぬ様に、霊が気に入らぬ(のがある)のであるから、無理に信仰させる事はよくない。キリスト教は祖先を祀らぬ。之は緯の教えであるからで、信者は不幸な人が多い。緯の民族なら、霊界が違ふからよい。(S23・11・17)

負債に困る、御用したい時

“現在私の家は六月初めより鹿沼市に布教に御出になった長生会教導師佐藤先生を御世話させて頂いて居りますが、光明如来様を御祭りしてあり、尚、御熱心な御教導に私達夫婦及び実弟も入信させて頂きました。私は従来自動車の修理を業として居りましたが、欠損続きで廃業し、只今之を整理中で御座います。私はどうしても一家揃って有難い観音様の布教に従事させて頂き、尚、光明如来様の御軸を御祭りしたいと切に念願致して居ります。然し、負債の為苦しんで居り、現在教導所にしてある家を売る外どうする事も出来なくなりましたが、如何致したらよいものでせうか。

“負債を整理出来れば一日も早く片付けた方がよい。その為売ってよい。神様の事で生活しなければいけない事になっているから、信仰上の仕事をするとよい。なくなっても適当な所を与えて下さる。前(サキ)の事は心配しなくともよい。(S24・7・9)

営業故障続き

“私は六月に熱海にお目通り頂きました時に、営業用に掘りました天然瓦斯井戸が僅か九ケ月位にして俄かに止まりましたので御伺ひ致しました時に、大先生は、祖霊が騒いで居るので今少し経たなければわからないと申されましたが、其の後三十万程かけて見ましたが瓦斯は出ませんでした。生来、出る見込みが有りませんでせうか。それとも時期が来れば出るものでせうか。又、今一本の井戸は昨年の七月より止まって居るのですが、掃除をしましたら出るでせうか。

“之はやめた方がよい。神様の事をする時期が来たのである。神様がうまくして下さるから、決心だけすればよい。(S24・8・9)

営業不振の対処

“現在私は二年来織物業に従事して居りますが、盗難や父及び義妹の病気が出たりして思ふ様には商売出来ません。私共夫婦は二十二年入信以来御用も出来ずに居りましたが、本年七月頃より本教の重大なる事に目覚め、主人も最近は何か御用を致し度いと云ふ気持になりましたが、現在よりも商売を大きくしたら良いか又小さくすれば良いか迷って居ります。今後どの様にしたら良いでせうか。“小さくした方がよい。不振になるといふのは、神様の御用をする使命のある時にそうなる。そうすべき使命がある。であるから小さくした方がよく、転換するにも楽に行く。  (S24・11・27)

営業不振

“うまくゆかぬのは、よして布教に専念しろといふ事である。今は神様が布教師を集めている時代である。よくある事である。夫婦で一生懸命布教に努力せよ。(私などもそういふ経験がある)  (S23・8・7)

入信後営業行詰る

“私は肺浸潤、喘息、足の腫物等で十八年間色々の医者に通いましたが治らず困って居ましたが、伊賀先生より本教の偉大な事を教えて戴き、御浄霊に依り今日迄一日も休まず営業を続けられ、健康の有難味をしみじみわからせて戴き感謝致して居ります。二十三年六月、母を亡くして八月に入信させて戴きました。又、同年六月頃迄順調だった営業が段々悪くなり、借財が出来、目前に納税を控へ如何に致したなら宜敷いでせうか。明るい道に出られる様に致すにはどうしたらよいでせうか。御教示を御願い申し上げます。

“商売をやめて、信仰の事ばかりやれといふ神様の思召であろう。私も商売をやって段々わるくなった。それでやめて信仰をした。(S24・7・5)

伯楽・馬の病に悩む

“或る馬の仲買人(教修生)が世話した馬が、夫々の飼主の所で病気になり、其の仲買人へ苦情を申し込んで来るので仲買人も少々気に掛り、何か馬の霊の祟りではないだらうかと思ひ、馬の供養をしたらよいものかと思案しています。右の場合、馬の供養をしたらよいものでせうか。又、其の供養は何うしたらよいでせうか。

“伯楽をやめよといふ事である。神様は商売をやめさせる時、それをうまくゆかぬようにする。(S23・12・29)

営業行詰り

“私は酒の販売を業として居りますが、本年五月入信以来店は家人に任せて布教に従事さして戴いて居ります。近頃金詰りとなり、殆ど貸売となり、現在数万円になって居り、一方仕入は全部現金買い故非常に困って居ります。如何にしたら回収がうまくゆきませうか。御教示を御願ひ申し上げます。

“布教一方にせよといふ事である。商売をやめよといふ事である。(S24・10・6)

商売故障(警察犬訓練士)

“私は警察犬訓練士で、多数の犬を飼育して居り、犬の病気を治すべく昭和二十四年四月十三日光明如来様の御霊鎮めをさせて戴いてより数日後次々と犬が病気(ジステンバー)し、御霊鎮めをした翌月同日最も大切に飼育中の犬が死亡、引続き他に二匹死亡、仕事及び商売は止り、物質上生活に差支える迄に詰って参りました。此の理由を御伺い致します。

“職業をやめて信仰専門にするようにとの神意である。(S24・7・5)

酒屋へ勤め家人の続死

“或信者の、当時未入信の二十歳の長男が、二十二年四月七日、或酒屋へ働きに行きました処、其の翌日午前六時半頃留守宅で同居の叔父が縊死致しました。本年一月十二日(此の時は本人以外の家族は全部入信致し、御神体も御屏風観音様も御祭り致して居ります)又同じ酒屋へ働きに行きました処、その翌日二ケ月前から御浄霊を続けて居りました腎臓病の姉が死亡致しました。其の際死の直前に病人の顔がサッと変り、成年の男子の顔が病人の顔に写り現はれました。矢張り時刻は六時半で御座いました。又、葬式を済まして十五日の晩、酒屋へ出掛けて行きました処、十八日午前四時頃、父が腹痛を起し、死の直前の如き様相が続きました。一昼夜の御浄霊にて全快させて頂きましたが、何か酒屋へ行く事と関係がある様な気が致しまして、此の度は行き渋って居ります。之は酒屋と何か霊的関係が御座居ませうか。又如何致しましたら此の悪因縁から脱(ノガ)れる事が出来ませうか。御教へを御願ひ申し上げます。

“之は酒屋を止せといふ事であるから、素直によした方がよい。(S25・2・11)

家業の事故

“私は  盲腸炎の為に手術をしなければならない程難儀を致しましたが、観音様の御浄霊で良くなる事を聞き、早速、佐藤教導所の先生を御訪ね申しまして、一回の浄霊に依り効果を頂き、  まことに驚く程で、感謝致し、御礼申し上げます。その後、あまりの悦びに豊橋中学に教鞭を取って居りましたが、早速平良先生の下に御修行させて頂き、教導師の資格を以て、御用させて頂いて居ります。所で本年四月で丸一年になりますが、自宅の牛が野良につないであったものが崖から落ちて即死致しました。何か理由が有る様に思われますので、御尋ね致します。霊的関係が有りましたら御教え下さい。

“農業をやめて此道一方でやれという神様の御示しである。

神の警示(家畜の続死)

“十一月初旬光明如来をお受けしまして、山羊二頭牛一頭死亡しました。十二月五日にこの由を御伺ひしましたが、其の後浄霊しましても現在買ひました牛が毎日連続的にふるへがまいります。前の牛の様な状態でありますので心配して居ります。御教へ願ひます。

“頭を充分浄霊する。こういふ牛など飼ふのはよせといふ事を神様が気付かして下さるのであるから、よした方がよい。

蚕を鼠が食ふ

“蚕をねずみが食べるのですが、如何致したらよろしいでしょうか。御伺い申し上げます。

“少し位ならいいが、たんと食べるなら神様がもうよせといふ事である。(S24・8・23)

鶏等盗難の因由

“私の父が三年前失眼した時、両親が御光を戴き、二年前私が肺炎になり御光を戴き、御守護を受け感謝致して居ります。本年五月衣類を盗難に遭ひ、又、一ケ月前鶏を二羽動物らしきものにとられ、最近再度五羽とられました。之は何か御難の知らせであり、又御難が続きませうか。御伺ひ申し上げます。

“鶏は飼はぬ方がよい。やめよといふ事を知らされたのである。そういふものに手数を掛ける間に、神様の御用をした方がよい。祖霊は嫌がる。盗難位は人間――その家に汚れがあるので仕方ない。  (S24・6・28)