011 民族、国土、迷信篇

民族の優劣

“気候風土に影響ありとしても民族に優劣を定め給ひしは如何なる神の御意志によるもので御座居ませうか。

“民族のみではなく凡ゆるものに優劣は造られている。神様が人間を使い世界経綸をする上に種々な人間がなくてはいけない。偉い人が沢山出来ても困る。労働するのやしないのや、いい具合に神様は調節してある。指導者は極く少数で、一国に数人で沢山である。之は凡ゆるものがそうなっている。植物でも雑草は数が沢山あるが、良い植物ほど少ない。綺麗な花の咲くものは少ない。鉱物でも金は一番少なく、之は装飾に使ふもので、貨幣に使ふのは間違いである。鉄は一番沢山産出するし、一番沢山使ふ。金は五六七の世になると非常に装飾に使ふ。このように、良い物ほど少ない。民族にも優劣がある。戦争中には日本の優秀性を大いに強調した。  (S23・12・22)

東洋人と西洋人の霊的相違、(猶太人)

“東洋人は霊主体従及び  西洋人は体主霊従と先日お伺い致しましたが、浄霊を致す場合、西洋人は体を先に霊を後に浄霊をした方がお光が強く透って良いものでしょうか。お伺い申し上げます。

“そんな事はない。西洋人とても霊主体従である。ただ東洋人とは霊主体従の具合が違ふのである。東洋人は霊六体四とすれば、西洋は霊五体五となる。東洋人の方が霊が強く行く。其他にも意味はあるが、人種的偏見のように思はれるから、悉しく言えない。猶太人。猶太は無神主義、唯物主義である。優れた民族である。(S23・10・19)

日本人と西洋人声量の違い

“日本人と西洋人とは声量が随分違いますが、如何なるわけでしょうか。

“日本は木の国で、日本人は木即ち火の性質である。木は霊で、即ち霊的である。  西洋人は体的で、水と石である。日本人は鳥であり、西洋人は獣である。洋人は吠え、日本人は歌ふ。それで細くなる。  (S25・2・7)

趣味、色彩の霊関係

“人間の趣味(魚釣り、花道、碁、将棋)  等は霊的原因でありますか。又、人間各々種々の色彩を好みますが、その好き嫌いは霊的原因でありましょうか。御伺い申し上げます。

“霊的である。(凡て副守護神の関係である)魚釣りはあまりやらない方がよい。狩猟もあまりやると祟る。娯楽としては華道などは結構である。必ず人間の部屋には花を活けなくてはいけない。(部屋が天国になる。私はどんな部屋でも活ける)花は邪神が嫌ふ。邪神は美を嫌ふ。出来るだけどこでも綺麗にする必要がある。碁、将棋は天職に影響せぬ程度ならよい。その(趣味)程度の範囲ならいい。(私も信仰してから随分将棋をやった)  好き嫌いは霊的原因がある。(共産主義は赤色を好む。サタンは赤である)あっさりしたのと、くどいのを好むのとあり、フランスなど薄色を好む。中国など強烈な色彩を好む。(赤、青)(近代人は原色を好む)アメリカも原色を好む。(原始的なもの)日本人はくすんだのを好む。寂びた色で、渋いといふ事は外国にない。シブ好みは日本の特色で、宗教なども日本が一番多い。(S24・7・25)

性格の遺伝

“性格の遺伝という事はあり得る事でしょうか。性格の遺伝は霊統と密接不離のものでしょうか。民族によっても性格の差があります様に感じられますが、之はやはり単に霊統というのみではなく、環境(例えば気候、食物)等がそういう性格を作るものでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“性格の遺伝はある。祖父の性格は孫に似るといふ。霊統とは密接な関係がある。好戦的なのは支那、朝鮮、軍閥などはそうである。環境、気候風土等大いにある。印度人は菜食と牛乳だから抵抗力がなくなる。無抵抗的である。印度の今日の運命の根源はこれである。之が一番影響している。魚屋と八百屋をみても分る。(S24・7・3)

空似の前世、美醜

“他人の空似と前世の関係について。又、双生児が普通の兄弟姉妹よりよく似ている理由。又、心が美しくても不美人であったり、其の反対であったりする場合の理由を御教への程御願ひ申し上げます。

“他人の空似といっても民族関係、系統関係など影響する。日本には三民族と霊的地位によって顔形がそのようになる。前世に兄弟などの近い関係の事もある。形と霊とは種々で、前世男が女に、女が男になる事がある。霊的に種々訳がある。前世醜い顔の霊は美人に生れようとする想念が働くと綺麗になる。霊界で思ひ込むと霊界で段々そうなる。美人が美を利用して幾人もの男を翻弄するとか愛されたりして罪を作る。即ち美の悪用で、之等が現世で醜となるのがある。その罪を作ると反対の結果となる。遺伝はあるに決っている。メンデルの法則から出た。朝顔でも、赤い花の種なら赤い花が咲く。青い花の種なら青い花が咲く。人間でも、その人の持ってる性格は伝はるのは当り前である。白人が色の白いのも一種の遺伝である。遺伝は一代おきである。(S24・7・1)

血液型と毒素の関係

“現代医学の説に依る血液型と毒素との関係及び浄霊に依る変化をお伺ひ致します。

“血液型は民族関係である。支那、朝鮮、日本、アイヌ(コーカサス民族)とある。支那の中にも支那本土と蒙古族と違ふ。こういふのが血液型に出ている。毒素との関係はない。祖先で薬をのんだ人は毒素が多い。  浄霊によれば毒素は減る。濃毒も浄霊すると白くなり、透明となる。それで痛みがなくなる。毒素が溶けて出ようとするのが痛みである。浄霊すると排出すべき膿が薄くなり、力がなくなり、痛みはなくなる訳である。 (S24・5・25)

大和民族

“大和民族に就て――

“大和民族は比較的新しい民族で、絶対戦争をしない。極端な平和愛好的民族であった。其為数千年前武力で征服された。この霊統には、古来軍人、武将になるものは極めて稀で、もしありとしても、何れも皆芸術に親しんだ。此民族は芸術的に優れており、有名な芸術家に多い。光明皇后、応神天皇、義経、聖徳太子、尾形光琳、西行法師等、その他有名な芸術家悉く大和民族の霊統である。日本人は今後平和文化によって世界を楽します使命がある。そのため神から徹底的に戦争を止めさせられた。今迄はヤクザ民族で、喧嘩によって己の縄張りを拡げる事に専念した。本当に深い美術、之は日本美術より外にない。音楽なども日本のは静的なるに反して、西洋のは動的で、何となく士気を鼓舞される。声楽なども、日本のは歌ふが、西洋のは吠える。又は楽器に声を合す。庭園などは、西洋のは幾何学的花壇が主で、天然の風景を比較的採り入れようとしない。岩の味わいなどは殆ど分らぬ。日本美術では建築なども出来るだけ自然をとり入れる。又、用材も日本には凡ゆる種類のものがある。

信徒の霊統

“我々の霊統を大先生より御調べして戴けますでせうか。

“判っている。教団信者になる人は本当に大和民族であって、極端な平和民族である。それが素盞嗚尊や神武天皇に征服されたのである。それは極端な戦争嫌いである。自分で分る。私などは博物館に行っても、武器に関するものは見ない。刀剣美術は素通りする。  民族は混霊はせぬが、随分混血はしている。(S24・6・27)

聖徳太子の御霊統

“聖徳太子の御霊統についてお伺ひ致します。

“聖徳太子は観音の生れ代りで、観音様は色々と生れて来られた。応神天皇、光明皇后等。徳川家康は大国主命の生れ代りで、腹の底に根本的悪い所があった。歴史をみると、目的のためには手段を選ばなかった様で、随分残酷な事をしている。  日光の宮を東照宮と称したのは、西は天子、自分は東を照すと云ふ意味だったのである。

日本精神未顕

“日本精神は未だ現れて居ないとのお話でございましたが、これは日本の正神が未だ現れて居ないといふ意味に解しても宜しいでせうか。

“此意味でよい。これから本当の日本精神が表はれる。(S24・6・3)

イスラエル民族と日本人

“イスラエル民族と純正日本人との関係(純日本人━天孫民族━イスラエル民族と存じますが)―― 

“いろんな説があるが、私の解釈は違ふ。イスラエル民族はユダヤで、純正日本人とは関係はない。猶太の本元は素盞嗚尊で、朝鮮民族である。素盞嗚尊が世界を放浪して、今でいふユダヤのエルサレムへ住居して、朝鮮民族とヨーロッパ人との混血児(民族)が出来た。これがイスラエルの祖先である。十二人の子を生んだが、之が十二の流れである。その中の一種族は二千年前(イエス昇天後間もなく)東の方面へ行って帰らぬ。それは支那の後漢時代(北方へ住む進歩的民族。勢力扶植せんとしたが支那は進歩的でない)日本の九州へ渡来して天孫民族となった。日本民族はコーカサス方面から来た。今のアイヌ族と、出雲朝━朝鮮民族は最初出雲へ来た。その後、越後、越中方面から信濃、茨城方面へ相当入った。それから右の天孫民族である。純正の日本民族は、弥生族で、これ等が混血しているのである。(S24・1・7)

瓊々杵尊と日本民族

“皇孫瓊々杵尊と日本民族に就て――

“瓊々杵尊に就ては今言えない訳がある。日本民族は日本、朝鮮、支那の三人種が混血したものである。本来の日本民族は絶対闘争しない。大和民族が征服されてから戦いが起った。日本の歴史は戦争の歴史である。然し乍ら、他民族が入ったために、仏教等の文化が日本へ入ったので、これがやはり神の経綸である。

日本と天孫民族

“天孫民族に就て――。又、天孫民族種が一番最初に神様によって造られたのでせうか。

“天孫民族は支那の漢族で、瓊々杵尊とは漢の英雄である。これは確実な事はいえぬが、猶太ではないかと思ふ。  といふのは、イスラエルの十二種族の中、一種族だけが東方へ行ったきり帰らぬといふ事で、それは支那へ行った。そして支那で何かしようとしたが、支那では国が栄えていて、事を挙げる事が出来なかった。それで日本へ来たものと思ふ。もう一つ、ユダヤ民族は放浪癖があり、一個所に固定しない。それでその支那へ渡ったものの中の一族が九州へ渡り、鵜茅葺不合尊となり、神倭磐余彦命となった。当時山に居たんで、誰言ふとなく天孫民族といった。富士山に住んでいたといふ説があるが、これは本当ではないと思ふ。天孫民族は二千数百年前のものである。神が一番最初に人間を造られた時は、何万年か何十万年前か分らぬが、木の葉の着物を着ていた時は随分古い事である。素盞嗚尊が日本へ渡来し日本を征服した。それを又神武天皇が征服した。そして今日迄日本を支配した。要するに、朝鮮系と支那系が日本を征服したので、原住の大和民族は下積みとなり、埋もれてしまった。本当の日本人は被支配者となった。素盞嗚尊は神須佐王、速須佐王、武速須佐王と三代続き、それから大国主命となった。日本歴史は朝鮮支那両民族の天下の奪り合いで、大抵の戦いは此両民族の争いが多い。であるから、日本には人民の歴史はない。これは外国とは大いに違ふ。外国では人民の歴史が多い。日本だけは支配者の歴史である。これからが人民の歴史になる。徳川家康は大国主命の霊系の直系である。天皇は多く神武天皇の霊系である。南北朝もそれで、南朝が素盞嗚尊、北朝が天孫の系統で、之は寧ろ歴史に歴然としている。天理教の御筆先にも「日本の真の柱は唐人や」と書いてある。大本教でも支那の盤古大神(支那民族の先祖)が渡来して、日本の天皇になったと言っている。瓊々杵尊と神武天皇の間には意外な事がある。

天孫民族

“天孫民族は支那の漢族で、瓊々杵尊とは漢の英雄である。これは確実な事はいえぬが、猶太ではないかと思ふ。(S23・6・28)

日本人の系統(三系統の割合い)

“人間に夫々火、水、土の系統があると承って居りますが、之は一見して識別出来るので御座居ませうか。

“日本には支那系が一番多い。純粋の日本人は百分の十位で、朝鮮系が二十パーセント、支那系が七十パーセント位である。素盞嗚尊が三代続き、次に大国主尊の代に、瓊々杵尊は支那から来た。神武天皇はその孫で、九州の高千穂峯から出雲朝を倒し、大和へ来た。この間に支那文化が入った。皇室典範などは殆ど支那のものである。大和民族は殆ど下積みになってなくなった。他にコーカサスから来た匪賊がある。青森辺へ侵入した。長髄彦、八十梟師等がそれで、これがアイヌになった。共産党は此土匪の系統である。日本には四つの民族がいる。(S25・4・25)

日本人の悪化と多宗教

“宗教面から見た日本人と他国人の性質、思想が、比較的日本人は悪化している様に思われます。これは種々の宗教が日本人にあるからではないでせうか。

“日本人が悪化しているといふ事は、今簡単に言えぬ。説明し難い。純粋の日本人は十人に一人位しかいない。後皆外国系である。特に東洋人である。日本の歴史は外国人同志が戦ったのである。(日本にいる)種々の宗教がある程いい。食事でも、洋食もあれば支那料理もあり、お茶漬も食ふ。之位豊富に食ふ事はない。庭でも、日本風もあれば西洋風もあり、建築でも塗ったものも、木肌を出したものや種々ある。草木など日本が一番多い。スイスなど、良い所といっても十一種しかない。景色も海や山、滝、水流等変化に富んでいる。これは外人も賞めている。信長前後、日本に帰化した外人は多いと思ふ。一番多いのは支那朝鮮で、その混血は非常にいい。ただ精神的に悪い事は、アメリカ人などからみると劣る。アメリカなど狡い人間がない。これは宗教関係だと思ふ。アメリカあたりは大抵キリスト教である。日本の政治家で、宗教信者はいくらもないと思ふ。之が最大原因である。今度五六七教が大いに拡がると、狡い人などなくなる。人間もいろんな国の血が混るほどいい。日本人は一番交っている。日本人はいろいろ混って、今度素晴しい民族になる。いろんな宗教のある事はいい事で、いろいろ違ふのでいい。教団へ入った人も、宗教的な事をした人は違ふ。

熱し易く冷め易し

“日本人の欠点として「熱し易く、冷め易し」と云ふ事をよく言はれます。残念乍ら事実と思ひますが、只単に国民性だと云って片付けてよいものでせうか。上魂と言われる日本人にしてかかる性質は如何なる原因によるものでせうか。御教示下さい。

“之は国民性であるが、日本は日の本といって火の国であり、経である。東洋人の中心は日本人で、火の本であるから熱し易い。感情に走りやすいのである。西洋人は理性的であるが、東洋人は感情的国民である。日本人はもっと理性的にならなくてはいけないし、西洋人は感情的にならなくてはいけない。(日本人は西洋人より額狭く、後頭部が発達している)(S24・11・25)

日本人と黒眼と茶眼

“日本人にも眼色の黒いのや茶色なのがありますが、之は如何なる理由に依りまして二色に分けられて居るので御座居ませうか。

“人間に色の黒い人と白い人とあるようなものである。日本人にも白人の血が混っているのがある。信長時代白人も相当に入っている。目に青味があり、頭毛縮れて赤い人もある。之も成長するにつれて殆ど判らぬようになる。大して知るほどの要はない。どっちかといえば茶色の目の人がいいようである。  (S24・2・2)

縮れ毛

“「縮れ毛」の因縁につき御教示下さい。

“縮れ毛は日本、支那、朝鮮人以外に信長以前外人が入った。その血を受けている。  又、極く古い時代、印度人の系統もある。赤い縮れ毛や小さい縮れ毛、多く縮れるのと少なく縮れるのとある。(純日本人は縮れ毛ではない)(S24・6・25)

源平の二潮流

“昔時、日本が源氏、平家と二大別されましたが、それにはどんな原因と意義とがあるでせうか。亦その象徴である紅白の旗印の意味について御教へ下さい。

“その前から二派に分れていた。最近まで徳川と天朝とで、源平以上の対立をしていた。根本は朝鮮から素盞嗚尊が来て統治した。それと前漢時代、瓊々杵尊が九州の一角に立籠り、機会を狙った。(神武)そして出雲朝は大国主尊時代に軟弱になった。之を時期到来として神武帝四十五歳の時、東夷征伐の旗印を以て征めて来た。出雲へ軍使を派して降服を求めた。それで国土奉還した。素盞嗚尊の前は天照大神が統治された。それを朝鮮が征服し、支那が征服した。であるから、二潮流が争ったのである。綏靖天皇の時、結婚政策で出雲朝の娘をやった。斯の如く朝鮮は軟化政策をした。  大和民族は殆ど町民になった。多くは芸術家となった。一番よく分るのは、支那の美術品と日本の美術品を比較すると、支那は精巧でない。その中血が混り、武家や天皇になった。  応神天皇、光明皇后、義経等の如きそれである。徳川は大国主で、皇室は支那といふ。そこへ日本の血が混った。五六七が混った訳である。平家は南朝、北朝は支那。(盤古神王)(S24・9・6)

平家村の美貌

“平家村の住民は美人が多いと言ふ話を聞きましたが、美貌と血族結婚とは関係がありますか。御伺ひ致します。

“血族結婚の為ではない、平家は大体上流である。  人品がいい――それが表はれる。皆身分の高い人が逃げた。性質も卑しくないようだ。(S24)

水平社の撤廃

“水平社とは如何なるわけで水平社と呼ぶのでしょうか。御伺い申し上げます。

“明治になってからつけた名で、新平民とつけ、大正の初めか明治の末期に水平社といい、昔は穢多(エタ)といった。朝鮮人の系統で、昔武具に革を使った。  白革の陣羽織のようなものや槍の袋、又毛皮の靴など穿いた。昔は獣を獲るのを汚れるといって肉食しなかった。日本人は嫌がって、そういふものは朝鮮から取らせ、朝鮮民族にやらした。牛肉を食べ始めた時、家の中では穢れるといふので外で煮た。獣を扱ふのは別種族にさせた。山窩族も同様、嫌はれて山の奥へ行ったものである。(獣を用ひないのは同化さした。今は皮を用いるから全部穢多になる)斯ふいふ事は何でもない。早く撤廃すべきである。(S24・2・9)

新平民

“新平民の嫌われる訳、又其の人種は昔は何であったのでせうか。

“神道の方で多くいふが、獣は血が汚れるといふ。然し毛皮は非常に要求される。大将の敷物とか袋物などもそうである。日本人は皮を使ふと汚れるといって嫌がる。それで、朝鮮人が渡来したので、一ケ所へ集めて皮をはがせた。それを所謂穢多と称した。馬鹿々々しいもので、何でもない訳である。日本では最初肉が入った時は家の外で焼いたといふ。朝鮮人は越後、越中辺から多く渡来したので、朝鮮系が多い。金とか今の字はそれである。

水平社の多い地

“水平社に就て、一、その霊統は何でしょうか。二、そういう人の多い土地に御道の伝道をさせて頂いて宜しいでしょうか。  三、そういう人と普通の人との結婚は如何でしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“一、何でもない。先祖は朝鮮人である。獣を殺すなどは仏教の影響を受けて汚れとした。然し、武人の陣羽織などは毛皮で作った。極く昔は肉を食ったが、仏教渡来から肉を食はなくなった。 越後の海岸からは沢山朝鮮人が入った。それ故に越後、信州方面は朝鮮人が多い。水平社の如きは早く撤廃した方がよい。封建性が未だ残っている。(S24・4・13)

穢多、(朝鮮系の姓)

“大体神道で多くいふ。神道で血汚れ、仏教では殺生といふ。昔はよく戦争などで革を用いた。日本人は汚れるとされ、その頃朝鮮人で渡来したものが引受けて皮をはがした。之が新平民となった。昔は極端である。今は殆ど肉食だから、全部穢多の筈である。北陸地方に随分渡来した。金、今のつくのは全部朝鮮系統である。(S24・1・17)

ズーズー弁 

“東北の人間がズーズー弁なのはどういふわけでございませうか。

“アイヌの言葉が多い。はっきり言えぬがアイヌ族が多い。アイヌの地名が多い。アイヌの言葉から出たのであらう。

コロンボックル

“昭和四年の岩手県勢要覧に「本県は歴史以前はコロンボックルと言へる人種が住居し、歴史に見える頃には蝦夷(アイヌ)が居住していたものの様である」とございますが、コロンボックルとは如何なる人種でございませうか。

“原始人であらう。アイヌの住んだのは間違いない。岩手県にはアイヌの地名が沢山ある。岩手県の人は髭が濃く、体が大きい。(S  (*)・2・24)

アイヌ衰亡の原因

“アイヌ人種衰亡の原因は何で御座いませうか。御教へを賜り度く御願ひ申し上げます。

“アイヌは日本人でなくコーカサス人種である。神武以前日本へ侵略したのであるから侵略者で、人種として低いので、日本に居る事が出来ぬ。それで衰えた。まだ支那、朝鮮系は人種的に上だから、日本で繁殖出来るのである。(S24・8・12)

アイヌ族

“アイヌ族と日本先住民族とは如何なる関係が御座いませうか。御伺ひ致します。

“神武以前に渡来侵入したのは土匪で、ついに近畿地方にまで侵略して来た。それで終に神武天皇に征服された。そうして北方に移住した。之は神様のお尤めを蒙り、日本に長くいられなくされている。日本人種に混じってる民族は沢山ある。漢民族系は忠君愛国思想である。二・二六事件を起こしたのはその反対派で、これは素盞嗚尊系統である。かくの如く、素盞嗚尊と盤古系は戦った。コーカサスの混じったのがアイヌである。(S24・12・25)

アイヌ族

“アイヌ族は何故滅亡状態になったのでしょうか。又、彼等の霊統は何でしょうか。アイヌ人に御道をすすめたいと存じますが、如何で御座いましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“アイヌはコーカサス民族で、北方から侵入したものである。出雲朝から来たのが朝鮮民族である。朝鮮人は出雲朝が一番多い。その外は越後、越前等が多い。天孫民族は九州の西で――。日本民族は朝鮮と支那民族に圧迫されたものである。日本民族はこれから出る。お道を奨めるのは結構である。

アイヌ族

“アイヌ族について――

“神武以前、極く古代の侵略者である。  (S24・12・3)

アイヌ族

“アイヌ族について――

“神武以前、極く古代の侵略者の系統である。

アイヌの寝姿

“アイヌ族は寝ている所を他人に見せないと言われていますが、寝姿は横になって背を丸くして足をお腹の方に抱きこみ、犬の様な恰好だそうです。如何なるわけで御座いませうか。

“寒い所に寝る為に自然にそうなったのであらう。霊的には関係はない。(S  (*)・2・24)

有尾人種

“有尾人種が現存して居るとの事、動物でせうか。

“人間と動物の間であるが、人間の方が多い。動物の方が多いのが類人猿である。チンパンジー、オランウータンもそうである。人間が、進化したようにみえるが、そうではない。

日本国の龍形と臍の働き

“日本国が龍型になって居る意味に就て――、右、御教示御願い申し上げます。

“之は大本教で唱えている。国常立尊様は龍神であらせられた時、日本の国土と同形で同大のものであらせられたといふ。(之は嘘ではないらしい)丹波丹後は眼、伊勢は喉、東京湾は女の陰部、東京が子宮、伊豆半島が男の陰部、北海道・千島は尾になるといふ。これは合っている。(臍は役立たないものと思ふが)動かず何にもしないようなものは重要なものである。(一番重要なものは動かぬ。一国の元首など余り動かぬ)共産主義は働く者食ふべからずなどといふ。動くのがいいと思っているが、そうでない。(S24・2・8)

日本国名の意義

“日本の国名が大和、敷島、秋津島など種々変りましたが、その訳、及び意味を御垂示御願い申し上げます。

“大和とは、山が多いから。世界で一番面積に比して山が多い。斜面を面積にすると大きい土地になる。倭は支那で書く字である。日本は大和と書く。敷島とは、四季が一番はっきりしている。春夏秋冬のはっきりしてる国は世界にない。虚子は、俳句は世界を廻って日本だけのものと思ふと言った。外国では出来ない。日本以外では作れぬと言った。だから日本は面白い。秋津島は蜻蛉の事を「あきつ」といふ。蜻蛉島といふ事。蜻蛉は男で、蝶は女になる。日本は蜻蛉の形をしているといふが、古い時代、そんな形をしていたかもしれない。(黴菌のようなものから虫になり段々大きくなった)男性といふ意味はある。於自凝(オノコロ)島といい、自ら転ぶと書くが、男といふのが本当である。日本を造る時、棒のような形に神様が造って転がしたといふ説があるが、少し変である。大和島とも、言霊の幸倍ふ国などともいふ。(S23)

日本は祖国か

“日本は祖国でせうか。

“日本は祖国ではない。一番後で出来た国である。

西蔵に就て

“「西蔵(チベット)」は世界の謎の国と言われて居りますが、何か神秘なものがあるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“西蔵は神秘がある。将来大変な所になる。アジアでは一番良い所にならう。神様が隠してある。特に鉱物が沢山ある。黄金がどの位あるか分らぬ。五六七の世には、金を非常に沢山使ふ。それで黄金時代といい、黄金は装飾に使ふ。  黄金の御殿は、恐らく西蔵に出来よう。教団で経営する事とならう。(S24・7・21)

満州の意義、日韓支

“満州は世界の型になる。之は万州を隠してある。即ち、万国といふ事である。  日本は五、蛇。支那は七、蛙。朝鮮は六、なめくじ。(S24・1・1)

鹿児島と山口の因縁

“九州の本源は薩摩で、鹿児島である。今日の日本の文化の一番最初が鹿児島である。今迄の文化の発祥地であり、その発祥は七千年以前である。七、八千年前、既に金を掘った。一万年前、印度から征めて来、鹿児島から上陸し、山陽道まで行って逃げた。支那人、安南人等は東洋人であり、台湾は黒人――インディアンである。その頃の文化は印度か支那にあった。よほど前である。明治維新は鹿児島から起った。山口県は日本の関門で、外国人の入ってくる関門である。山は日本の事―山の国である。山口が開ければ日本中が開ける。

出雲の国

“私事、六月中旬より島根県隠岐の島へ出張して居りますが、此の島は世界的(霊的)に云へばどの国の型で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“出雲は素盞嗚尊が朝鮮から渡って上陸した所である。そして朝鮮と日本の間を往来した。(S24・7・15)

方言ある理由

“県別又は国別に使用する言語の相違する理由――

“封建時代に隣国と交通しなかったし、交通も不便であったため、その土地の方言が出来た。今は交通機関もあり、教育機関もあるから、何年か経つと全国的に同じ言葉が行はれる。

桃太郎の鬼征伐、(明主様の鬼征伐)

“桃太郎の鬼征伐の噺の意味に就てお伺ひ致します。

“桃太郎の鬼征伐は今もやっている。先にもやった事がある。昭和六年五月五日、何かあるような気がした。二軒行く約束があり、他の一軒からは招かれた。

オ―小山勘蔵(広島県代議士)

ニ―新山(宮中顧問官)

ガシマ―東島―ヒは霊であるから無くともよい。

それでオニガシマとなる。清水生太郎は桃太郎の夢をよく見た。何れ素晴しい宝物を奪る事になる。今それをやっているが発表は出来ない。宝物といふのは龍宮の乙姫の持っていた物で、それを貰ふのである。(S23・7・18)

高砂の謂れ

“掛軸にある「高砂」の姿は  如何なる意味が含まれておりましょうか。御伺い申し上げます。

“塩槌の翁といふ年とった神である。日本の神でない、台湾の神である。それで高砂といふ。台湾は高砂である。人間で長生きして神格を得た神があったものが、伝説にあったものと思ふ。作ったものだと思ふ。それで台湾は高砂といふ。  夫婦円満、長生きした表徴である。(S23・10・19)

浦島太郎と玉手箱

“浦島太郎のお伽噺は如何なる意味ですか。又、玉手箱より煙の出たといふ解釈――

“木曾の寝覚の床に浦島太郎の持ったといふ釣竿が祀ってあるのをみても、浦島太郎は実在のものであらう。之は漁の好きな若者が、沖で難船し、朝鮮に漂着したのである。龍宮城といふのは、其頃の朝鮮の王城であって、王様は素盞嗚尊であった。其皇后は音米姫といふ御名であった。素盞嗚尊は神典にある如く、天照大御神の弟神であるから、弟姫をつめて乙姫と唱えられたのである。当時夫神は日本に渡来し、出雲朝を打樹てたりして不在であったから、孤閏の淋しさから、浦島太郎の眉目秀麗なるに恋慕し、寵愛した。太郎といふ名前であったが、後世の作者が浦島といふ姓をつけたものであらう。日本に対し朝鮮は裏になるからである。玉手箱は作り事であらう。もし本当なら、空箱が残っている筈である。

寝覚の床と浦島

“寝覚の床(信州)と浦島太郎との関係に就て御伺ひ致します。

“浦島太郎の釣竿が寝覚の床の近くに祀ってある。浦島太郎は日本海へ漁に出て暴風に遇い、朝鮮へ漂着した。龍宮城は朝鮮の建物、素盞嗚尊が留守であった為乙姫が歓待した。神代は男女関係が乱れていた。乙姫は執着強く、海底に龍神となった。  世界中の富を集めて、実権を掌握した。その財宝を持たれたのが千手観音様である。(S23・11・22)

桃太郎、金太郎、浦島

“桃太郎、金太郎、浦島太郎について御伺ひ申します。

“桃太郎は観音様の化身で、大先生は桃太郎の型をなされた事がある。金太郎は坂田金太郎といい、子供で、大きくて力が強かったといふ訳で、歴史にある山姥の息子である。熊などと戦った事もあらう。浦島は漁が非常に好きで、使ったといふ釣竿が寝覚の床にあるが、本物であらう。暴風で流され、朝鮮へ漂着した。女ばかりで、浦島は美男だったので歓待され、土産を貰って帰った。男女関係は乱れていた。相当期間つばめであったらう。稚姫君尊は素盞嗚尊に愛着心が強く、烏になって行った。それが於加来須明神――元伊勢明神といふ。大本教祖は稚姫君の生れ代りである。天照大神の姪位になる。子か姪かである。本当の事はいえない。(S24・10・19)

犬、猿、雉

“桃太郎が雉、猿、犬を連れて居りますが、霊的に如何なる意味が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“勇(犬)、智(猿)、親を象(カタド)ったものである。桃太郎の鬼ケ島征伐は大先生様がなされた。霊的には済んだ。(S24・1・28)

因幡の白兎

“因幡の白兎に就て御垂示を御願ひ申し上げます。

“重要な事ではない。

因幡の白兎

“大国主神と因幡の白兎の神話の意味に就て―― 

“大したものでない。こしらえものである。(S24・12・23)

七夕

“七夕の意味――

“星を賛美する星祭りで、人間が作ったものである。七夕祭りは星を人間化しての作り話である。星を素盞嗚尊と乙姫の逢ふ事にたとえたのであるが、これはいい加減なものである。

七夕祭

“星を人間化しての作り話である。星を素盞嗚尊と乙姫と遇ふ事にたとえたのであるが、之はいい加減なものである。  (S23)

七夕と天の川

“七夕と天の川に就て御教えを御願い申し上げます。

“七夕――之は作り事で、伝説である。昔の作家――小説家のようなものが作ったのである。昔から星を人格化したものは沢山ある。特に之は西洋に多い。天の川は星の密集したもので、星の世界でも地球と同じで、人間の多い土地と、人跡未踏のような所があり、そういふ区別は天にもある。ヨーロッパからアジア大陸は密集しているが、そういふ事が天にもある。それが天の川である。天地は合せ鏡で、星と人間とは合っている。(S24・5・1)

七夕祭

“七夕祭の意味に就て――、右、御教示御願ひ申し上げます。

“昔の学者が作ったものである。  (S24・5・23)

七夕

“七夕祭の意義について御教示を御願い申し上げます。 

“作り物で、馬鹿々々しい。無論、昔支那の小説家が作ったものだらう。(S24・8・5)

かぐや姫

“かぐや姫の伝説には如何なる意味が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“大したものでない。お伽話である。(S24・9・12)

男装坊

“十和田湖男装坊――

“清和天皇の娘で、男のようで、その境遇をいとひ、仏教に入り、一生仏教徒として生きようとした。そして男装坊といふ名で、男の姿となり日本中を遍歴した。紀州へ落ちついた時金の草鞋をつけ、切れた所へ落ちつけとの御告げがあり、それを穿いて行脚した。そして十和田湖畔で切れたので、そこで草庵を結んだ。すると、清和天皇の重臣で、悪人の為追放された者が東北へ行く途次、十和田湖で男装坊に遇ひ、二人でそこへ住まふ事になった。といふのは夫婦になった事と思ふ。が結局は十和田湖へ飛込み自殺をした。五六七の世まで諦める外なしとして龍神となって待った。そして今から二十年位前、その龍神は昇天した。それは皆見た。小さい地震があり、暴風があり、十和田湖の水を捲上げて、金色にピカピカ光って昇天するのを三十人位見た。  私の子供の頃、下谷の道潅山で、法螺の貝が天上したといふので皆見に行った。裾の方が二、三間位えぐれている。たしかに天上といふ事はある。 蛇が松の木に絡んでいる。すると蛇が空中へ行って段々上へ行ったといふ。之等は霊は非常に大きいものである。蛇は大きくなったり小さくなったり自由に出来る。  (S23)

十和田湖の異変

“最近十和田湖の周辺の山、河、道などに火柱が五分間位立ち、以前からそれが立つと何日か過ぎて火事があったと謂われていますので、附近の人々は戦々兢々として居ります。又、湖に「いもり」の六尺位のがいまして、それが姿を現わしますと湖水が濁り、異変があると申して居ります。最近その「いもり」が現われたと騒いでいるとの事で御座います。又、十和田湖に何か伝説があるそうで御座いますが、これらは何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“火柱は霊界で火が燃えるのである。之は見える場合と見せる場合がある。光明如来様にお願いすれば火難のあるべきを許される。古いいもりが希望をもってやるか、斯ういふ事をやるから丁寧にせよといふ意ともいえる。いもり、やもり、蚯蚓(ミミズ)は龍神の一種である。十和田湖の神秘は、男とも女ともつかぬ女で信仰深く――。龍神は教団に沢山働いている。十和田湖と離れた所に豪族があり、その娘の様子が変で、誰か来るらしいといふので、母が覗いてみると、美男が部屋へ入って恋を語る場面をみた。それっきり来なくなったが、娘は姙娠して子を産んだ。これが太郎と名づけた。長じて青年になると英雄であった。或日山へ行って、喉が涸いたので、谷川へ行って水を飲んだら、いくらでも呑めるので、ついに一日一晩呑んだといふ。呑むと身体が龍体になった。そして紆(ウネ)って十和田湖へ行った。入ると先から龍神がいて、戦った。十和田湖の争奪戦の跡がある。負けて逃げて八郎潟の主となったといふ。(S24・3・1)

桜ケ池伝説

“天空(皇円)阿闍梨が五六七の世迄遠州桜ケ池に蛇体となり、如何なる御修行をなされましたか。  又、昇天後、如何様になされましたか。御伺ひ致します。

“斯ういふ事は沢山ある。一番の親玉は役の行者である。役の行者は五六七の世の来るのを知っていた。大峯山に弥勒岩がある。有名な池にはよくこのような話がある。伊都能売金龍は長く琵琶湖に潜み、昇天し私の守護神となった。十和田湖の龍神は二十年位前に昇天した。  金色の龍である。今教団の為に働いている。八郎潟の龍は、八郎次郎といふ豪農の息子である。(S24)

桜ケ池、阿闍梨龍となる

“静岡県榛原郡池新田村桜ケ池についての伝説に「アジャラ上人?」と云ふ方が此の池より約一里半程離れた寺に蓑と笠とを置いて、五六七の世が来る迄蛇体となって身を沈め、五六七の世が来ると救世の為世に出ると云ふ事ですが、此の上人は如何なる方で、  又真実でせうか。お伺ひ申し上げます。尚、其の時の蓑、笠が其の寺にあり、秋の御彼岸には一般の人に見せます。 

“伝説にもあるが、事実あった事であらう。外にもある――十和田湖の龍神の如きそうである。役の行者もそうである。大峯山に弥勒岩を残したといふ。(S24・7・16)

阿闍梨上人

“遠州桜ケ池には阿闍梨上人が龍体となって五六七様御出現まで待っておいでになるとの伝説が御座いますが、阿闍梨上人に就て御教えを御願い申し上げます。

“阿闍梨は役の行者の生れ代りだと思ふ。彼は阿闍梨の元祖である。  阿闍梨は仏の位で、山で霧を晴らしたりなど自由にする。真言宗の一つの位である。山へ登り、祝詞を奏げると霧は晴れる。役の行者は、五六七の世が来るといふので、龍神になって待つといふ。弥勒岩がある。  (S24・3・1)

イエスは日本へ渡来したか

“毎日新聞青森版に「ヘライの土にキリストの遺跡を探る」と云ふ題で出ておりました。それによりますと、キリストは十和田湖の山裾、三戸郡戸来(ヘライ)村に聖跡を残している。処刑になる時弟イスキリが身がわりになり処刑された。キリストは今の八戸の港に上陸し、日本婦人をめとり、百六歳の天寿を全うして東洋の僻地に没した、と書いてありましたが、本当の事でせうか。

“二、三十年前それを発見したと称する人があったが、間違いであらう。もし日本へ渡ったとしたら、ヨーロッパの事蹟がなくてはならぬ。日本の人々のそれで言ふ事は証拠がなさすぎる。あまりに根拠が薄弱である。何かの間違いであらう。(S24・11・5)

乙和池の伝説

“佐渡に乙和池と呼ぶ三面山に囲まれた周囲凡そ半町の池があり、中に浮島があります。この浮島には次の様な伝説があります。今から約五百年前、長福寺(現存)に乙和と言ふ美人が居り、ある日山に物取りに行き、途中不浄の身となり、  馬の足跡にて腰巻を洗い、潅ぎし所、その足跡に件の池が出来ました。乙和は山にて取物をしていると、龍神が美男子となって現はれ、両人は夫婦約束をして、一日を過し、乙和は長福寺へ帰ると、翌朝早く、龍神が七巻半して時の住職に乙和を要求しました。住職は、龍には乙和はやれぬ、姿を変へて来たれ、と言ふと、龍は忽ち美青年となり、白馬に乗ってやって参りましたので、住職は乙和を与へました。青年と乙和は共に白馬に乗って其地点迄来ましたが、一天俄かにかき曇り、件の青年と乙和は行方不明となりました。そこには一個の石があるのを見送る人達は発見しました、と。又、この寺には今尚乙和の使用せる腰巻、櫛、鏡、カタビラ等が残って居り、縁日は七月二十三日となって盛大に挙行します。乙和池の浮島の中に井戸があり、その深さは無限と言はれ、供物(食物)を投げるとキリキリ廻って沈み、食い残りのもの(不浄なるもの)は沈みません。其他未だありますが、右に就き、次の諸点に就き御教へ願ひます。

(イ)、浮島の井戸の神秘に就て――、

(ロ)、跡に残った石は、今でも手で叩いても金属性の音を発しますが、その理由――、

(ハ)、美男子に化して現はれた龍神は何龍神でせうか、

(ニ)、私共は来る縁日に参り、善言讃詞を奉唱しようと思ひますが、如何なもので御座いませうか。

“斯ういふ事はよく方々にある。龍神が美男子になり、美人に恋して一時的夫婦になる等の伝説はいくつもある。之は無いとも言えぬ。又、種々の証拠が残っている。材木などが浮いてると、そこへゴミが溜り、浮島になる。その時井戸が出来ている。それは龍神が造ったものであらう。石が硬いと金属性の音を出す。大きな龍神で、別に何といふ名はない。後で人間が名をつけるのである。十和田湖の龍神は此通りである。善言讃詞を奉唱してもしなくてもよい。奉唱されて、龍神が変るようでは、あまり偉くない。(S24・7・17)

家康と年三回結実の栗

“一年に三回実を結ぶ不思議な栗の木が、幕ケ谷と云う一定地区に限って御座いまして、他の処へこれを播種又は挿木致しましても育ちません。生(ナ)り方も普通の栗と違い枝に間断なく生るので御座います。伝説には、徳川家康が戦の際休息し、栗の箸にて食事をし、其の箸を地に挿して「私が天下をとったら三度生れ」と云った。其の後、年三回生ると申して居ります。  想念によりなるもので御座いましょうか。又、霊的に何か原因が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“徳川家康は天狗の大きいのが憑いている。その先祖がしたのかもしれぬが、断定は出来ぬ。

阿闍梨上人

“桜ケ池由来の阿闍梨上人様は五十六億七千万年の後弥勒菩薩の御下生にお会ひ奉り、御教化を奉らん為、寿命長い大蛇に身を化し五十六億七千万年の後を待たんと桜ケ池へお入りになられましたさうでございますが、阿闍梨様は現世へお出ましになられましたでせうか。又、阿闍梨様は如何なるお方で御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“役の行者もそうである。之は阿闍梨の元祖である。役の行者は、弥勒下生まで待つ事となり、大和の大峯山で修行した。ミロク岩といふのがある。桜ケ池上人などは役の行者の流れである。五六七が本当の数字である。それを寓意的、神秘的にした。大蛇になって待ったといふのは本当で、  人間が弥勒を待つ為に大蛇になるのはある。十和田湖の龍神の如き、そうである。(S25・5・5)

死生一ケ月間神社内に入るな

“人が生れた時、又は死んだ時、一ケ月間は神社内に入ってはいけないと云ふ言ひ伝えがあり、私の附近でも現在そうして居りますが、之は必要な事でせうか。又、迷信に過ぎぬものでせうか。

“迷信でもあるし、必要でもある。一習慣でよい。よく死汚れ、血汚れといふが、大したものでない。ちょっと遠慮するだけの意味である。  (S24・2・17)

弁天に夫婦参拝すると別れるといふ

“世間では俗に弁天様に夫婦にて参拝致しますと死別又は生別すると申して居りますが、何か意味が御座いませうか。  お伺ひ申し上げます。

“弁天様は白蛇で、蛇は非常に嫉妬が強いから、弁天様によってはそうする場合もある。此信仰に入っていれば何でもない。私などもよく夫婦でお詣りに行った。  (S25・5・12)

立春に卵立つ 

“立春に卵の立つのは如何なるわけで御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“別に訳はない。その時に立ったものである。立春でなくとも立つ。(S25・2・28)

お供へ餅の風習と災い、(御名により断る)

“私の一族は昔から正月神前に供へる御供餅を重ねてはならない家例があります。即ち一つの御供への上に切餅をのせるだけであります。これに対し、本家の若者が迷信として重ね餅にした処、その為か不幸が相次いで連発し驚き戦いて居ります。又、節分の時の豆撒きは勿論、豆を煎る事さへも禁じられて居ります。此の家例は続けるべきでせうか。

“重ね餅は天地合せ鏡になっている。今迄のはそれが本当であるが、お供えの為に何か災害など受けたとか、豆の為に病気になるとか、赤ン坊が喉へつかえて死んだとかいふ事があって、何かそういふような遺言をしたものであらう。或有名な実業家で草餅を絶対食わぬ人がいた。仏様に向い、「大先生からお話を伺った。これからこういふお供へをするから」とことわればよい。豆まきはいけない。 

亥の子の謂れ

“当地其他各地にも十一月中の亥の日に「亥の子」と称え祝ふ習ひがあり、農家では必ず米俵又は土蔵の籾溜りの上に餅を供へる。耕地の潅水や堤防の補強工事に使用する土俵も「亥の子」とも称えられておりますが、これらの縁起について御教示願ひます。

“昔猪の子を殺した。それが祟った。それを供養したのであらう。(S25・1・17)

獅子舞

“北陸地方の村祭に獅子舞がありまして、その舞を「悪魔払い」と言って居りますが、如何なる意味で悪魔払いになるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“獅子は悪魔払いにした。恐ろしい顔をしているから悪魔が恐れようといふ単純な意で、深い意味はない。(S24・5・21)

瓢箪から駒とは、(馬頭観音の御顔)

“下世話に瓢箪から駒が出たということが御座いますが、霊的に関係が御座いましょうか。御垂示御願い申し上げます。

“之は意味ない。昔仙人が瓢箪を吹いていると馬が出ている絵から出ているのであらう。冗談から駒――といふのも、之から出てるのであらう。馬頭観音は閻魔の顔のようである。(S24・2・9)

三ツ児の魂百まで

“昔から三ツ児の魂百までと申されますが、霊的に何か意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊的といふ訳ではない。その人の性格は極く小さい時でもその萌芽を表はす、それを言ったものである。(S24・6・21)

屋根より高い庭木と不幸

“屋根棟より庭木が高い場合、其の家は何か悪い事があるといいますが、どういうわけでせうか。

“斯ういふ事もないが、ただ大木はよく竜や天狗、鳥などが憑依している事がある。それらが人間より上にいる事になり悪いという訳であるが、事実そういう事はない。  霊的の上になる程お咎めはひどい。下等動物になる程咎めはない。(S24・5・26)

天井・手鏡みる赤子は死ぬ

“赤ん坊が手鏡を見たり天井を見ると、其子供は早死すると伝へられて居り、私の子三人共そうでしたが、やはり誕生前後に死にました。原因がありませうか。

“いくらかあるが、大したものではないから、気にする要はない。入信すればそんな事はない。

釜鳴り

“二ケ月前から大釜に火を炊くと、未だ沸騰しないのに物凄い大きな音がします。  光明如来様を御祀りして、観音様を信仰して居りますが、何かの暗示でせうか。

“昔から釜鳴りといって、非常に良いとしてある。心配事ではない。  (S24・8・17)

朝蜘蛛、夜蜘蛛

“朝蜘蛛を喜び、夜蜘蛛を嫌ふ謂はれ――

“蜘蛛には脚が沢山あるので、朝は物を掻き込む、物を持ってくる。夜は持ってゆくというような、欲張り的心理からいうのであらう。(S24・4・2)

亀死し桃生ず

“或時亀が家に入り、之に酒を呑ませた所其の亀は酒に酔って死んでしまいました。そうしてそれを地の神様の前に埋めた所、その上へ「千両桃」が何本かはえて来ました。何か霊的な意味が御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“それは植えたのであらう。そして伝説が作られたのであらう。信じられない。  死んだ亀の子が霊になってもそんな事は出来ない。(S24・5・22)

亀と漁師

“船主の家に産婦が居る時、漁があった場合は非常に多くとれもし、漁の無い時は全然取れないとの事で御座います。この大漁の時は漁師が「ガメ」に付いたと云って大変喜ぶとの事で御座いますが、産婦と漁に如何なる関係が御座いましょうか。尚、「ガメ」とは如何なる意味が御座いましょうか。御教えの程を御願い申し上げます。

“カメは漁師と関係がある。偶々そういふ事があったんであらう。それが一般にある如く思はれたものである。(S25・1・21)

産婦と目赤鰤

“富山県の或漁村で、産婦がお産致しましてから一週間内に、其の家が煮焚きした飯を其の家の人が食べて大引網(鰤(ブリ)網)を引くと、網の中に入っている「鰤」が殆ど逃げてしまい、中一、二匹の入った「鰤」を見ますと、目の色が赤くなって居るとの事で御座います。何か霊的に関係が御座いましょうか。御教えの程をお願い申し上げます。

“偶々そういふ――。  (S25・1・21)

死人引き上げと大漁

“漁師が漁に出て死体の流れて居るのを発見した際、それを引き上げる時に、船乗り中で一人が死人の代理となり、その人が「どうか救って呉れ」と他の船乗りにお願いすると、他の船乗りが「救ってやる。その代りに大漁にしてもらい度い」と問答した後引き上げると、その年は非常な大漁との事で御座います。この様な事は本当で御座いましょうか。又、何の力がこの様な事をするので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“いつでもある訳ではない。たまにあった事が一般にそうなると思ったものである。獲れる時も獲れぬ時もある。(S25・1・21)

兎と月

“伝説にあります月の兎の餅搗きに就て御垂示お願ひ申し上げます。

“月表面の暗影を言ったもので何でもない。  兎は月と縁がある。烏は日の、兎は月のお使ひになっており、日月を表徴してる。敢て根拠のあるものでない。

栽培禁じた野菜

“私の地方では「栽培してはいけない」と云われているもの(例えば、きうり、ごま等)を栽培致しますと不幸が必ず起りますが、如何致したらよろしいでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“斯んな事はない。出鱈目ではなく、訳はないが(あるが)、これからは大丈夫である。変な邪神か何かが何かの訳があって嫌ふんだと思ふ。霊界が昼間になると違ってくる。それで肥料が駄目になる。それで無肥料が効果があるようになる。一番いけないのは硫安等の肥料で、硫安は米から人間の身体へ入ってくる。それが非常に人体に害を及ぼす事甚大である。  回虫もやはり糞から入る。大体無肥は、最初三分の二、二年目は三分の一、三年目が同じ位、四年目から増収。その場合、不吉な事が起るといふのは、  これは迷信だと思ふ。普通の人間は始終悪い事が起っている。之は科学肥料の為と思ふ。水の関係もあらう。此為の悪い事があるなら、神様が教へる。

禁作の野菜

“福井県吉田郡森田町附近では胡瓜が作れず、他処より購入致して居ります。言ひ伝へに依ると、神様が胡瓜柵にて眼を突いたとか言はれます。作って祟ったと思はれる例も沢山ありますが如何なる訳でせうか。

“胡瓜の柵で眼を突いた人があり、胡瓜作りに怨みを残して代々胡瓜を作らせぬといふ怨みで祟り、いつか伝説のようになったものである。然し、作っても差支えはない。本教信者で作れば怨みは出来ぬ。こういふ事は長くは続かぬ。  (S24・10・6)

作物禁止の家例

“農家に於て、家例により胡瓜、蜀黍等を作ってはいけないと申し伝えられてありますが、迷信で御座居ましょうか。

“死の原因となった野菜を霊が怨んだりなどして、食ふ人を殺したりする。それは一時的で、御神意に叛く。

鬼門から妻をもらふ

“息武治三十歳(入信者)一年前に結核で妻をなくしました。此の度後妻を世話して下さる方が有りますが、亡妻も又今度も私の家より鬼門に当るので御座いますが、鬼門の方角から妻を貰ふのはよくないと聞いて居りますが、如何で御座居ませうか。

“迷信である。反って鬼門の方角がよい。行ってもよい。決して気にする要はない。  (S25・5・5)

結婚年齢の迷信

“男子は二十五歳、女子は二十二歳で結婚してはいけないと言はれていますが、いけないものでせうか。

“之も迷信で、決してそんな事はない。

二組の結婚に就ての伝説

“一年の中で二組以上の御祝儀(結婚)があった場合、何れかが破婚になるという土地の伝説がありますが、これは迷信でしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“迷信である。(S24・1・28)

姙婦参葬と病気

“姙婦が葬式に行くのは悪いと申し、はしかをしている家へ姙婦が行くと、はしかが重くなると申しますが、意味のある事で御座いませうか。

“これは構はぬ。葬式でも何でも構はぬ。斯ういふつまらぬ迷信は沢山ある。斯ういふ事を気にすると生活が暗くなる。強いていえば、葬式に行った場合その霊が不断から可愛がっていたとか等で、その人に憑る場合に、憑りやすい。  産後は血少なく、特に憑りやすいといふ事である。出産後、精神病に罹りやすい。(S24・3・4)

姙婦の参葬

“姙娠中の夫婦は葬式の役をしてはいけないという習慣になっていますが、如何なるわけで御座いませうか。

“迷信である。姙娠は目出度い事であるから、縁起のわるい所へ近よらぬ、という意味であらう。  (S24・5・26)

姙娠と出産月と信仰

“姙娠と出産の月に就き御伺い申し上げます。旧暦で数えて、年齢に依り姙娠する月が異なり、その受胎月に良い悪いがあり、姙娠して悪い月に姙娠すると難産子だと言うのであります。右は迷信でありましょうか。又、安産するには如何にしたらよいでしょうか。御教え願います。

“迷信である。子は神様が与えるのであるから、善い悪いはない。入信した人は殆ど安産するし、癖のある人も難産する事はなくなる。姙娠の月も日も良いと思っていい。

姙娠と病人

“一家に於て姙娠中の婦女ある時、其の家庭に於て病人があると、病人が負けて失命すると云ふ事を昔から言い伝えられて居りますが、如何でせうか。

“迷信である。(S24・7・7)

姙娠中の火事と痣

“姙娠中に火事を見ると顔に痣(アザ)が出来るとか云はれ、又信仰をするとよい子供が生まれるとか云はれますが、如何なる原因でせうか。

“斯んな事はない、迷信である。痣はそんな単純な原因ではない。無論信仰で良い子は出来る。悪い了見を持たぬから子供も親の想念をうける。全部でないが親の想念を受ける。親が間違っていて子を叱るのは滑稽で、親は幹である。先ず親が良い行ないをする。そうすれば不良児は出来ぬ。人間はどうしても悪い事は出来ぬようになっている。悪い事には利息がつく、早く解決した方がよい。

姙婦と竃

“姙婦のある家が竃(カマド)の修理をすると出生児に三ツ口が出来ると云われて居りますが、如何なるわけで御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“斯んな馬鹿な事は絶対ない。竃を治さぬと餓死する意味になる。(S24・7・28)

産児男子の徴し

“妻が姙娠しました折、その夫の瞼がはれますと腹の中の子供は男だと申して居りますが、何か意味が御座いませうか。

“迷信である。瞼が腫れない時も沢山ある。その方が多い。(S24・6・22)

八ケ月児育たぬといふ事

“子女分娩の場合、七ケ月児は育つが、八ケ月児は育たぬと言われて居りますが、如何なる意味があるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“八ケ月では育たぬといふ事はない。七ケ月以上は育つのは本当である。であるから八ケ月以上は育たぬといふ理由はない。故に一種の迷信である。(S24・9・11)

手首の筋と短命

“子供の手首の横すぢは大抵二本切れておりますが、稀に一本のものがあって、俗に珠数掛けと申して、長野県の田舎では短命だと言はれていますが、迷信でせうか。

“迷信である。生れて来たものは育つに決っている。

丑年に火災多し、(景気の循環)

“丑年に火災が多いと言われていますが、  何かわけがあるでしょうか。

“迷信であらう。天地間には循環率がある。景気は十年間といふ。(S24・2・27)

年廻り

“結婚の年廻りの男の二十五歳、二十七歳、女の十九歳、二十二歳は悪いと言う事ですが、如何なものでしょうか。

“大した意味はない。差支えない。多分に迷信がある。申し分ない条件で結婚しても不幸になる人も多い。(年齢、日柄、相性をみ、完全な結婚して生別、死別する人も沢山ある)(S24・1・28)

正月、五月、九月

“正月、五月、九月は月が悪いと言い伝えられて居りますが、何か意味が御座居ますか。

“そんな事はない。月はあるにはあるが、特に悪い月はない。(S24・12・23)

正月、五月、九月、  四万六千日

“正月、五月、九月――。そんな事はない。特に悪い月といふ事はない。大した意味ない。その時詣れば四万六千日は行かなくていいといふ。

三りんぼう

“三りんぼうに建築すると、こわれると言ふ事の意味――

“こういふ事は何でも迷信と思ってよい。

八せんの日

“八せんの入りの日に雨が降ると、明けの日には天気が良いと謂はれますが、何か訳がありませうか。

“八せんなど大した意味はない。全然迷信でもないが、昔の人が統計上そういふのであらう。(S24・4・2)

土の日の竹と子供

“土の日に竹を切ると、切口に必ず水を持ち、泡を吹き非常に性が悪く、又、土の日に生まれた子供は寿命が短いと謂はれる訳――

“土の日とは、数からいえば、十一日とか七日とかになる。これは迷信である。|つちのえ||つちのと|  (S24・4・2)

十二月八日の迷信

“十二月八日は一ツ目小僧の出る日と申し、戸外の履物をしまふ習慣が御座いますが、意味が御座いませうか。

“迷信である。(S24・12・23)

四万六千日の意味

“四万六千日の意味を御教え下さい。

“大した意味はない。馬鹿々々しい。その日にお詣りすれば、四万六千日参拝しなくとも生きられるといふ説である。所が其の日から四万六千日とすれば、一年が三百六十五日だから百年以上になる。或る時代に坊さんが作ったんだと思ふ。

四万六千日

“仏教徒は七月十日を四万六千日と申しお観音様へお参詣いたしますが、如何なるわけで御座いませうか。

“不明といふより馬鹿々々しい。四万六千日といえば百年位になる。あまりに根拠がなさすぎる。御詣りは、毎年とか毎月一遍でも行くんで価値がある。(S24・3・14)

節分の豆と災害

“節分の時にまいた豆を、初めて雷が鳴った時に、其の豆を食べると災害がない、と言ふ伝説が有りますが、何か霊的に関係がありますか。

“斯んな事はない。迷信である。(S24)

恵方

“恵方といって、毎年方角が違ひ、又御参り致しますが、恵方とは如何なるもので御座いませうか。

“恵方は迷信である。西洋人はどうなる。

酉、申、寅、巳は子供がない

“酉、申、寅、巳の四適(*)は子供が無いとか、商売が失敗するとか、昔から色々言はれますが、迷信でせうか。

“之は立派な迷信である。巳年などは反って商売が繁昌する。酉でも子供はある。  私の母は酉年で、子供が三人あった。  (S24・10・16)

巳、寅、申の障り

“家族の中に「巳、寅、申」の年の者がある場合、何かの障りが御座居ますか。御垂示御願ひ申し上げます。

“やはり十二支の働きはあるが、之等は信仰により無くする事が出来る。申、寅、巳は源三位頼政の退治したヌエである。

申、寅、巳の結婚

“巳年と寅年の結婚は昔から嫌われて居りますが、如何な訳で御座いますか。万一にも子供が申年に生まれますと、一家内にてヌエ(申、寅、巳)になるので嫌うのですが、此の御道の人でも巳、寅の結婚は良くないので御座いましょうか。

“申、寅、巳と言い昔から嫌ふが、斯んな事はない。十二支は支那で出来たもので、無意味ではないが、大して意味はない。(源三位頼政から起った。私は問題にせぬ)(S24・1・28)

巳、寅、申

“一家の内に巳、寅、申の年の者が三人揃ふと誰かが病気をするか、又は争いが絶えないと古くより申し伝へられて居りますが、迷信で御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“迷信である。(S23・10・12)

巳、寅、申

“巳、寅、申の意味に就て御教示下さい。

“昔からサル、トラ、ヘビと言い、顔(*)が猿、体が虎、尾が蛇の怪物を、源三位頼政が退治したといふので忌むのであるが、大した意味はない。(S24・2・12)

七草粥

“七草粥は体に良いと言はれておりますが、こちらから考へますと反対の様に思はれますが、御伺ひ申し上げます。

“薬でも、薬でなくもない。迷信である。

亥の子祝いの迷信

“十一月の亥の日を亥の子祝いと申し、おはぎなど作ってから炬燵を開ける習慣が御座いますが、これにも意義ある事で御座いませうか。

“迷信である。(S24・12・23)

お守の量と守護

“古いお守やお札が俵に十二俵になると御守護を戴き、家内繁昌するとの事で、或る信者の宅で今六俵半ほど出来て居りますが、之を如何処置させて戴けば宜敷う御座居ませうか。

“量でゆく訳で、寧ろ馬鹿げた習慣である。之を以てみると、お守やお札は如何に力がないかが判る。天理教などでは一生に一つといふ。之も極端だが――。本教は蓄電器か何かの――。  (S24・7・1)

弘法様の指輪

“左の事に就きお伺ひ致します。天保銭にて作った指輪(通称弘法様の指輪)をはめて居りますと肩が凝らないと云ひますが、如何なる訳でせうか。

“一種の迷信である。  (S24・11・26)

六三除け

“六三除けは何か霊的意味があるのでしょうか、  御伺ひ申し上げます。

“よく云ふが、大した事はない。  病気の時、やってみて貰った事があるが、三六の逆であるからよくない。三+六━九といふ数もよくない。三は水、六も水で、火がないから悪い。誰かが言ひ出して斯うなったのであろう。吾々は何でもない。(S24・11・17)

六三の障り

“六三の障りは在るもので御座居ませうか。又、その意味に就て御説明下さい。

“六三の祟りと昔からいふ。之は神道の方でよくいふ。別に大した意味はない。六三様などといふ。昔から歯を痛めた時六三の祟りといはれ、日枝神社で拝んでもらったら治ったなどといふ。  いくらか祟りがあるんであらう。 (S24・1・2)

六三除け、誤った利益

“世間良く六三に掛り病気になった場合には医薬では絶対に治らず、六三除けの色々な方法を行ひますととても良くなりますが、六三様と云ふ神様は如何様なる神様なのでせうか。

“迷信である。六三の日に発病すると薬を服んではいけないといふ。薬で悪くしたものを薬をやめるから御利益のようにみえる。(S24・9・13)

六三除け

“病気治しに六三除けと言はれるものがありますが、如何なるものでせうか。御伺ひ申し上げます。

“とるに足らぬものである。三六の逆になる。神道から出ている。(S24・7・17)

六三の祟り

“昔から六三の祟りとか六三除けとか申しますが、六三とは如何なる意味で御座いませうか。

“一種の迷信にすぎぬ。六三――別に意味はない。(S25・3・23)

新仏二重と死

“山形の村山地方では、新しい仏が二つ重なった場合、もう一度不幸が重なるという伝説がありますが、御教示御願い申し上げます。

“(大した事はない。よく二度ある事は三度あるといふが、そういふリズムになったものがある)  (S24・1・28)

予め仏壇を買ふと不幸ありと言ふ事

“昔より新仏の無い時に仏壇を買い入れると不幸があるとか、又仏壇の位置を変へると不幸があるとか申しますが、  本当で御座居ませうか。

“いくらかあるが、  五六七教の信者になれば別に何の事もない。(S24・8・15)

隠亡すると丈夫になるといふ事

“体の弱い、特に結核の人が火葬場の「おんぼ」をすると体が丈夫になると申します。又、火葬場の近くに済むだけでも身体が丈夫になると申しますが、之には何か訳が御座いませうか。御伺い致します。

“迷信である。以前に斯ういふ人があって、それから起った説であらう。(色々迷信があるが、常識で考えて、理屈に合はないのは全部迷信である)(S24・9・18)

閏年の墓石

“閏年に墓石を立てますと、翌年に又其の家に死人が出るとの言い伝えがありますが、根拠のあるもので御座いましょうか。

“迷信である。

針と針の山

“死後四十九日の間に其の家にて針を使いますと、霊が針の山へ登るとか申しますが、それは迷信でございましょうか、本当でございましょうか。御伺い申し上げます。

“迷信である。針の山と針の関係はない。(S24・7・3)

人間と家柱の取替え

“私達夫婦は離れに寝起きしています。昭和二十三年六月、母屋の草屋根を瓦に変へました。此の場合、柱を新しく取替へれば、「祟り」がないと聞いていましたので、四、五本新しく取替へました。前の病気に関係ありませんでせうか。御伺ひ申します。

“迷信である。人間が柱位で影響しない。逆さ柱など、ウソである。―――――――――棟木つなぐ事、逆柱と無信仰田舎で、棟木をつなぐと(後から建増の為)不幸があるといふ。よく逆さ柱はいけないといふが、之は幾分理由はある。之は何でもないと思ふ。信仰のない人には、つまらぬ事が影響するので請合えぬ。(S23・7・21)

麦藁屋根を瓦にする事

“私の村では、本宅の屋根を麦藁で作ったのが沢山あります。「瓦に変えるとその家に必ず不幸がある」と言伝えの様になっていますが、現実に当る様ですから困ったものです。如何なる訳でしょうか。改造を必要とする場合、どの様にすれば難をのがれられましょうか。御伺い申し上げます。

“そんな事はない。(S24・9・16)

屋根の高低の対立と鍾馗瓦

“私の村では屋根の上で鍾馗が立って居る家がありますが、村人の云うには、相向いの家の屋根より低いと、低い方が負けるといって、屋根に向って瓦焼きの鍾馗を作って立てますが、迷信でせうか。

“迷信である。両方で競争したらどんなに高くなるか分らぬ。家の高い低いで関係はない。土地の高い所へ住むのはいい。坂の中途などはいけない。往来より降りる所もわるい。霊界がそういう形になっている。東山荘はまずい。 鬼門よけといって、鬼瓦を鬼門へ向け、鬼を建てるが、大変な間違いである。  (S24・5・26)

辰巳と塀修理

“塀の修理を致したいと思ひましたが、或人が此年は辰巳の方角は十年目に先祖が来ているのだからいけないと申されますが、信じて宜しいものでせうか。

“迷信である。早く修理せよ。  (S24・6・3)

三年塞がり

“高島易断の暦によると今年から三年塞がりが北になるそうで、昨年は西の方角でしたが、私の兄はそれに構はず家の中心より西の方に竃(カマド)を築き仕事を始めました。所が家内一同非常に目を悪くしトラホームではないかと心配して居ります。之は三年塞りに関係して居りませうか。此の方角は悪いのでせうか。お伺い致します。

“迷信である。西洋などはどうするといふ事になる。斯ういふ事を気にしてはいけない。占者、身のほど知らず――といふ。(S25・2・5)

竃修理の迷信

“竃を修理したいと思って居りますが、姙婦のある家庭が竃を修理すると三ツ口の子供が生れると伝へ聞いて居りますが、姙婦と竃の修理と関係がございませうか。御伺ひ申し上げます。光明如来様を御祀りさせて戴いて居ります。

“迷信である。   (S25・1・26)

干支方角と伐木

“私の地方で其の年の干支に依って其の方角の立木を切ってはいけないと言うことを言ひますが、何か理由がありますでせうか。

“迷信である。よくある。  (S24・11・26)

八日と山登り

“世間で八日は山の神様の日として山登りを休み、其の日に山登りを致しますと怪我をすると言い伝えられて居りますが、何か意味が御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“迷信であるが、八は富士の形をしている。八は五三で、木花咲爺姫で、観音様である。故に意味のない事はない。然し、八日に山登りしてはいけないといふ事はない。  二月八日といふのは地方的のもので、一般的のものではない。(S24・3・11)

着物に白虱

“着物に白いシラミがたかると其の人は死ぬと云う事を聞きますが、如何なる訳でしょうか。ほんとうに死ぬものでせうか。

“迷信である。(S25・4・26)

梅干と不幸

“梅干に黴(カビ)が生えると必ず不幸がある様に聞きますが、何か訳があるものでせうか。

“迷信である。(S24・5・15)

鶏鳴

“鶏(白色レグホン)の雌が毎朝雄の様な声で鳴きます。又、夕方鳴く時もあります。世間では運が悪くなる前兆だ、などと云ふ事を云ひますので不安です。卵は毎日産んで居ります。何か意味があるのでせうか。御教え下さい。

“鶏の啼き声は運命に影響しない。迷信である。(S24・5・28)

鰻の夢

“鰻の夢を見ますと人が死ぬと申しますが、之は鰻と人間と何か霊的な関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“迷信的なものである。

御馳走の夢

“夢にて御馳走を頂くと病気になると申しますが、霊的に関係が御座居ますか。御教えを賜り度く御願い申し上げます。

“迷信である。夢でも御馳走をもらえれば結構である。(S24・5・22)

雷と線香

“雷が鳴る時、線香をたてますと落雷を防ぐという事をよく申しますが、何かわけがございますのでせうか。

“迷信である。蚊帳の方はいくらか意味がある。(S24・2・24)

まねき猫

“商売で「まねき猫」の像や絵をかざる意味、及び之を高くかかげて置く事の善し悪しをお教へ下さい。

“つまらぬ迷信である。猫は招くような恰好をするんで、猫を選んだんだと思ふ。(S24・3・20)

種蒔日の迷信

“栃木地方では一般に「不熟」(暦の中の用語)や  「卯の日」に種播きは絶対禁物と言う伝説がありますが如何なものでせうか。

“そんな事はない。迷信である。

山椒歌吟採取で枯死

“山椒の芽や実を採る場合、歌を歌うと枯死致しますが、何か意味が御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“迷信である。そういふ事が一回あったので、全部そうとしたのである。(S24・9・11)

田植え、種蒔きと日柄

“今日まで世間の伝説に九星暦の「卯の日」には田植えはしない方が良いと言はれますが、如何なる意味が有るのでせうか。又、「戌の日」には大小麦の種蒔きをしてはいけないと言はれますがなぜでせうか。

“迷信である。西洋にはそういふ事がなくて収穫がある。(S24・9・13)

不熟

“各地方で「不熟」と称して、毎月子、午、酉の日には種蒔き、植付けを嫌って行はないので御座居ます。何か意味が御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“之は迷信である。幾日でも構はない。瓜をとるのも卯、申、酉、未にはとってはいけないと言っている。(S23・12・21)

牛馬田掻きの迷信(東北)

“東北地方の一部で、旧暦の五月四日の午后より五日にかけて牛馬にて田掻きを致しますと日照りが続くと申し、絶対にやりませんが、何ういう訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“一種の迷信である。 (S24・3・11)