010 想念言霊篇

明主様の御言霊―霊(物)と精霊

“宇宙万物はすべて霊体によって構成されて居りますが、例へば机とかカバン等の品物の霊が脱却する場合、机やカバンは其の本来の用をなさなくなります。(机やカバンが破壊された場合です)右の場合、其の机やカバンの霊は霊界と如何なる関係があるのでせうか。

“ただ霊といっても生霊、精霊二色ある。虫でも何でも生霊で、精霊は人間のみである。霊があるから存在している。一切空というのは、一切無くなる事、何十年、何万年経てば無くなる。物の存在は時間的の存在で、形あるものは時間を超越した存在はない。石も古くなると欠けるようになる。之は霊がなくなる。無生物の霊でも段々薄くなる。霊の方は、霊界へ溶け込む。溶け込んでも暫くの間は霊界でそのままの形をしている。霊は印象されるもので、之だけの人が集まった事は霊界でそのまま存在する。  大先生の言霊は霊界へ響き、波長になって全世界へ響く。その言霊が、言霊で働きを起すのと、それだけで済むのとある。(S24・1・6)

言霊は神なりの意味

“言葉の働く世界を言霊界といふ。神は宇宙の大元霊といふ。言葉は非常な働きをするのである。人間の場合は言葉と言い、言霊は神の場合を言ふ。普通の人間の言葉や話は龍神に聞えないが、祝詞は龍神にも聞えるものである。

言霊は神なり、(祝詞と霊)

“言霊は神なりとの御教えを戴いて居りますが、日本語、朝鮮語は接尾語で主語の後にテニオハ等の助詞を付け、其他の諸国語は接頭語で主語の前に前置詞をつけますが、それは何か霊的の意味が御座いましょうか。

“説明をすると、日本の独善主義的になる。神道からいふと、日本語が一番正確だといふ事になっている。言霊神なり、太初(ハジメ)に言(コトバ)あり、万物之によって造らる――と。言霊は神の働きをする。神力――。霊などは祝詞で救はれる。邪霊は逃げるか改心するかである。言葉に神の力が含まれている。(S24・5・11)

言霊は神なり、(言霊と想念)、(名の働き)

“言霊は神なり、又、神は順序なりと承って居りますが、五十音の母音には何か特別な霊的意味がありましょうか。又、各行の順序配列に霊界との関連がありましょうか。お教え下さい。

“言霊は神なりといふが、言葉により種々創造される。言葉でいろんなものが造られる。想念界と言霊界となっている。想念界は思ふ事の、言霊界は言葉の働く世界である。言葉一つで成功もするし失敗もする。争ひもし、争いを止める事も出来る。五十音――二十五音は濁ったもの。言葉の働きは言霊界へ働く。人の名でも、人が呼び、自分が思ふだけで変わる。

祝詞の言霊

“祝詞を御称へ致します理由について――

“祝詞の言葉は霊界へ響く(浄)。言霊は霊界を浄める。先に言霊の見える人があって、悪口などをいふと煤みたいに見える。良い言霊は光になる。狐など憑いてると除(ド)いたり萎縮する。祝詞は善い詞(コトバ)が組んである。御讃歌も言霊に注意してある。七十五音の並べ方がスラスラとつかえないで行かなくてはいけない。  それ故、読んでスラスラと気持よい。霊界でよく通るのである。(S24・7・29)

闇・霧と祝詞

“闇夜道を行く時、祝詞を奉唱すると明るくなります。御守護で御座いますか。

“山へ行って、霧などは祝詞を奏げると晴れる。真言の方で阿闍梨といふ位があり、阿闍梨になると、呪文を唱えると霧を霽らせる。言霊によって一つの光が生ずるのである

言霊の科学

“電波は言霊界の力動に依りて遠距離へ到達するのでせうか。

“地球全般に行き渉るのはラジオで判る。悪い言霊を発すると地球上を曇らす。善い言霊を発すると曇りが減る。二十億の人間の言霊が地球上の空間へ活動している。言霊は発したものが全部空間へ行くと共に自分の方へかえってくる。因果応報はジキに表はれるもので、悪口をいえば還ってくるから厄介である。愚痴をいえば、そういふ事が起ってくる。  共産主義などは、不平を作り、それを言ふ様にするから、不平を言はなくてはならぬ事が起って来る。悪口を言えば皆それが帰ってくるのである。 (S24・2・12)

言霊の働き、(見真実)

“言葉の働き――

“本居宣長が再興して言霊学といふ学問を作った。(七十五の鈴を張ったが)日本には七十五声あり、外国では多い国でも五十以上はない。言葉の数も日本が一番多い。外国では本当に言霊が出ない。アイウエオとかイロハを正確に言えるのは日本人だけである。日本語は一番言霊として力がある。  言霊の幸倍ふ国といふが、之は確かにある。病気なども、之で罪が減るんだからと言ふといい。コン畜生といふと言葉で畜生になる。アメリカで、言葉で治る事が流行った。「自分の病気は治った。病気はない。健康だ」といつも言っている。有難い、幸せだ―といつも言っておれば、その言葉が働く。言葉は或程度働く。大本の教祖は、何でも結構だといふ。悪い事でも結構と思ふと善い事になる―と言った。病人に対する言霊も慎まなくてはならない。善い言葉を出すようにするとよほど違ふ。想念も違ふ。言霊は神秘なもので、世界には神秘がある。特に日本には神秘がある。之が今にはっきりする。 此神秘が判った事が見真実である。

天の数歌と岩戸開きの意義

“天の数歌及び岩戸開きの御解釈を御垂示お願ひ申し上げます。

“之は天地創造の順序である。凡ゆるものがこの順序にゆけばいいが、様々に乱れて此通りゆかなかった。それで、此言霊は霊界の本当のリズムに合ふ訳で、霊界を調えるといふ働きになる。  岩戸開きとは、夜の世界から昼の世界になる事である。

天の数歌と言葉の意味

“天の数歌の言葉の意味を御伺ひ申し上げます。

“天地の出来た順序である。一は独一真神、二は陰陽、三は陰陽に分れて子が生れる。四は四方へ拡がって来て、五は火。火が燃え出した為に、火によって水が出来る。それで七で完成した。大体七が完成で、七はナナといい、成り、成る事、そして殖えて発達してくる。八で開く。八は即ち沢山のものが出来る事、数でいふと無数になる。九は尽くす、極点に達する。今は九の世の中である。十は陰陽を結ぶ。十一で始まる。統一ともいふ。百千万は略したものである。(その順序の)天地創造の数を数え歌といふ。霊界が一つの順序の言霊で力を発揮する。力とは神の力徳で、神の力徳により――。順序といふのは活動力になる。

数え歌の意義

“鎮魂祝詞の言霊の意義に就て御解説賜り度く、  御願ひ申し上げます。

“一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百、千、万。神様が万有を造った順序を言ったものである。霊界が間違っていると―混乱しているとその言霊の順序により調ふ意味である。人間の霊とてもそうで、順序が乱れるから如何なるものも狂ふのである。(S24・11・22)

言霊で風起る

“宮崎地方では脱穀作業中に口で「ヒューヒュー」と音を立てますと、風が吹いて来て仕事が捗ると申します。何かこの音に意味があるもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“言霊で小さい風が起せるのである。ひどい雨なども幾分減らす事も出来る。サシスセソ、ハヒフヘホの音によっていくらか風が出る。風の音はサーとかヒューとかいふ。雨など、ウの言霊でいくらか止まる。ウーは、押すとか、昇る言霊。又、生むとか生まれる言霊である。(S25・1・12)

副守護神に神

“副守護神に神と付くのはどういふ訳で御座いませうか。

“物をよく善言美辞でいふ。蛇といふと安っぽく面白くない。龍神といふと蛇も非常に喜ぶ。副守も喜ぶ。その言霊により悪い事が出来ない。言葉は出来るだけ善い言葉にすべきものである。 

犬神

“四国の或る人から頼まれたのですが、犬神の憑依した人は治るでせうか。私は体験がありませんから御浄霊法を御教え願ひます。又、犬神とはどう云ふものでせうか。御説明願ひます。

“犬である。犬の霊では言霊がよくないので犬神といふのである。斯ういふものに神の名をつけると、言霊の働きにより悪い事が出来なくなるのである。前頭部、頸の周りをする。

言霊・想念・物―(総説)

“言霊に就てお伺ひ申し上げます。

“言霊は簡単には出来ぬ。長くかからねば納得のゆくようにはならぬ。言霊とは言葉の霊であり、人間に聞こえるのはその体である。その言葉の霊が働くのである。聖書には「太初(ハジメ)に言(コトバ)あり、万物之によって造らる」とあるが、言霊の働き方は偉大である。例えば家を造るとすると、想念によって想ふと想念界に出来る。次に土木屋、大工など呼んで指図する。  之は言葉でし、この言葉で出来る訳である。又材木なども買入れる。之は物質になる。即ち、想念―言霊―物といふ順序である。「傀儡師胸にかけたる人形箱仏出さうと鬼を出さうと」といふが、之は言葉の働きを言ったものである。和合するも喧嘩するのも言葉による。言葉の外に霊がある。善い言葉と悪い言葉は霊により違い、人により異る。人の悪口を言ふと何となく感ずる。想念で思っても感ずる。之は言葉が霊界に記録されるからである。然し乍ら、行動に表はさなければ、そう大して罪ではない。想念の曇りは極く少ない。言霊界が曇ると台風や大雨、雷鳴、大風等で浄められる。菅原道真が死んで、道真を讒言(ザンゲン)した人などは雷鳴で死んだ。そして遂に天皇の御殿まで及んだ。それで祀ったのが天満天神である。あの位の人なら相当力がある。

父音  五十―|
     │この働きは面白い。
母音  二十五|

姓名判断なども意味はあるが、文字だけで行くから本当でない。之は文字だけで行くから、文字は体で、読む言葉が生命である。本居宣長は言霊学の中興の祖である。自分の居間へ鈴を七十五張った。そして鈴屋(スズノヤ)と名付けた。鈴屋は愛知、三重辺へ響いた当時の学者である。姓名なども相当判る。アイウエオは基本の言霊である。この音のついた人は性格がハッキリしない。私などオがつくからはっきりしない。故に陰で指図するとうまく行く。カキクケコが入ると几帳面になる。サシスセソは我が強い、怒りっぽい、然ししっかりしている。私などサシスセソが入っていないからすぐ負けてしまう。渋井総三郎などは怒りっぽい。天狗の言葉であるから天狗の霊が働く。二つ入った人はとても怒りっぽい。ザジズゼゾと濁った人は龍神が憑ってる。唯物的である。マミムメモは女性的である。

男女  男
オカダ  モ  キチ  中山ミキ――女神
キの言葉はよい。  (S24・7・15)

言霊と想念と祓戸神

“本県児湯(コユ)郡上穂北村杉安川上佐久那太理速川(カミホキタムラスギヤスカワカミサクナダリハヤカワ)ノ瀬に速川神社と言ふ元村社があります。此の神社には、瀬織津比(セオリツヒメ)、速開都比(ハヤアキツヒメ)、気吹戸主(イブキドヌシ)、速佐須良比(ハヤサスラヒメ)の四柱の神をお祭りしてあります。戦時中此神社の氏子及び信者には一人の戦死者も出ませず、他にも色々と奇蹟を目のあたりに見せられて居ります。中臣(ナカトミ)の祓(ハライ)の一節に「高山ノ末、短山(ヒキヤマ)ノ末ヨリ佐久那太理ニ落多支(オチタギ)ツ速川ノ瀬ニマス瀬織津比(ヒメ)」とあるのと地名が全く一致しています。尚、信仰雑話「気候と天候」の中の祓戸の神に対する御一文を拝読し、非常なる神秘の感銘を受けました。右の土地名と四柱の神様との御因縁を御教示下さい。尚、四柱の内三神まで此(ヒメ)が付きますが、女神で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“女神である。祓戸四柱の神は、天地間の浄化を行なはれる。風水、洪水などは、瀬織津比売(ヒメ)であり、雷火―火――。天地間に始終汚いものが溜る。その掃除をされる。人間の体でも、罪穢が溜る。体的には薬である。天地間は人間の想念により、言葉により――嘘をつくとか、人を間違はせる、迷惑さす等――の言葉を使ふ結果が罪になる。  それが曇らす事になる。一番ひどいのは宗教家が間違った事をいふ事で、又、思想家や学者などは皆それで、この人達が曇らせる程度は大きい。言葉の方は空間に経緯の段階がある。言葉の響く世界、想念の響く世界、電波の響く世界等々あって、人の言葉などは世界中の空間を行く。言霊は非常に重要なもので、それで祝詞など、良い言葉のみを使ふようになっている。あたり前の事を言っても、その人の想念が曇っていると曇らす作用をする。であるから、言葉を使ふ人の魂がよくなくてはいけない。(S24・4・10)

天災に就て、想念・言葉の曇らす範囲

“天災について――

“空気のある所までは想念、言葉等によって汚れる。悪行為は一番霊界の現界に近い所に曇りを生ずる。言葉の働く所は言葉で曇らす。想念界のその奥に曇りを生ずる。曇りが或程度溜ると、一種の毒素が空中に溜る。その掃除が大小の三災、風雨雷霆で、雷は電火で、火で焼く作用。地震は地殻の収縮であるが、その際、罪穢の多い所は悪い影響が行く訳である。(S23・7・7)

言霊・行ないは永遠に残る

“悪い行ないは霊界に積り、悪い言霊も霊界に積ると申しますが、霊界に於ける浄化作用によって是等の言霊は  永遠に消えるものでせうか。  それともその儘の形を変へて悪の想念の人の所へ行くのでせうか。お伺ひ申し上げます。

“(言霊は消えない。言霊の毒素分は浄化作用で除れる)人間の行ないも言霊も永遠に残っている。古都などへ行くと、家屋などにもその時代の人間の想念や言霊がシミ着いている。だから、古い時代の美術品は価値がある。時代は価値がある。(S24・12・18)

言霊や文字の働き(雀)

“稲田に雀がついて困りますので「此の稲は人間の食べるものであって雀は食べてはいけません」と張り札を致しましたら来なくなりました。如何なる訳ですか。御教へ願ひます。

“言霊や文字が霊界に働き、雀の霊が食はぬよう、霊界に働きが起る。斯ういふ事は雀など敏感である。蛇などは特によく判る。(S24・9・28)

文字の霊体―音の意

“文字は霊と申されますが、之を霊体に分ける事が出来ませうか。例へばヘンとツクリとの如く考へられますが、御伺ひ致します。

“霊体になっている。仮名は霊で、本字が体。片仮名が霊で、平仮名が体である。  言霊は霊で、字にしたのが体。字が霊で、絵は体。絵でも墨絵が霊で、彩色が体になる。旁(ツクリ)と偏(ヘン)はいろんな説がある。光は火と水を組合せたもの。火水━光。暗は乙姫が統べる。佛の時代は十をホドイた時。神は結ぶ。五六七の世は経緯結ぶ。 (ス)神御隠退になり、音姫―龍神になる。立━龍。音、闇、立。佛の時代故 (ス)主をホドイた。今度は結ぶ。(S24・3・2)

言霊学に就て、明主様の言霊学、昭和の年号

“仏教の講義など、途方もなく手前勝手の解釈している。これから本当の事を印刷物にする。言霊学は非常に難しい。極く昔あったが、中絶していた。本居宣長が国文学を本として中興した。それを長沢雄楯といふ人がやり、それを出口師が受け、それを大先生は一部とられ、神様からも聞かれた。言霊学を発表すると、日本の天皇の事なども判る。終戦後初めて言った。昭和の年号に、昼になる事が出ている。凡ゆるものの神秘が判る。或程度の言霊は書こうと思ふ。

言霊学と神秘、応用と解釈、(最高的人間)

“言霊学は昔あって暫く絶えていた。本居宣長が学問的に再興したものである。それから弟子の長沢雄楯に伝はり、出口王仁三郎氏に、それから大先生は四代目である。  根本は違はぬが、人により皆違ふ。応用の仕方など違ふ。独特の解釈の仕方がある。言霊で解釈すると神秘が判る。神秘が判ってはいけない事がある。今迄は判ってはいけないようにしてある。これからは判ってもいい。文字と言霊は大したものである。中有界以下は――、新生霊は――、馬鹿、利口は高い低いとは違ふ。神の立派な霊で、高い霊で、経験の多い霊は人間としては最高である。霊界の高い所からも、どこからも生まれる。

霊返し

“霊返しの方法と言霊の働きの意味に就き  御教示御願い申し上げます。

“霊返しとは、沢山の言葉を一つに詰める事である。例えば、オザワはアとなる。最初の頭字と終の字と合はすのである。即ちオはオコソトノのオであり、ワはアカサタナのワである。ショウイチは、イキシチニで、イチはイ、イ行の中のサシスセソであるから、シとなる。野沢正一を一字にすればニになる。アは天、オは地、イウエは中で、イは天に近いし、エは地に近い。アイウエオが元になる。之は基礎音であるから霊的の働きが多い。斯ういふ人は陰の働き、奥(裏)の働きになる。であるから、オカダモキチでは表には出れない。カキクケコ――几帳面、マミムメモ――女性的。(S23・7・18)

霊返しと言霊学

“例えばタナカを一字に詰めるとタになる。全部ア行である。ソウイチ―名前の一番下がチでイ行である。オカダ・モキチは、チはイになる。  言霊学は本居宣長が再興した。  長沢雄楯は宣長より上であり、それが出口師に伝はり、私は出口師から教へられたが、自分が研究した方が多い。言霊は文字の霊で、文字は体である。今は体だけで姓名学をやっている。トシフサはア行になる。タナカがタになり、名も姓も火となる。両方水と水になってもいけない。  トシフサでは物質に困る。怒りっぽくて苦しむ。ソウイチはシとなる。(S23・7・12)

札幌の言霊、(日本と外国の言霊)

“北海道及び札幌の地名は言霊ではどんな意味がありますか。

“サッポロはアイヌ語で、アイヌ語の言霊は日本語と違ふ。アイヌ語は解釈の要はない。アイヌは古代の侵略者で、コーカサスから入った。外国の言霊は合っている。  外国にも言霊はあるが、之は別の学問であるから、日本語を知ればよい。日本語は一番よく表はれている。外国は五十以下で、言霊は完全でない。

各行の言霊

“言霊学上、ア行以下カサタナハマヤラワの各行の働きと、その特色に就て、右の各行と数字一二三四五六七八九十との関連に就て、右、御教示御願い申し上げます。

“ア行は天の行、天の基礎音で、アタマなどといふが上の働きになる。ア―(天行)は火―霊の働き。オ行は地の働き。ウ行は水の働き。イとエはその間である。カ行は物を区切る働き。サ行は天狗の働き。我が強く、自惚れが強い。タ行は物を強くする、勇気を出す。ナ行は地の音、七の音―(智能)。ハ行は開く、火にもなる。マ行は女性の音、オミナといふ。ヤ行は速度の働き。ラ行は龍の働き。ワ行は和らかく(する)、和合するような働きである。(S23・10・18)

濁音半濁音の働き、(各行言霊と命名)

“「ガ行」「ザ行」の如き濁音、「パ行」の如き半濁音の言霊の働きに就て――、右、御教示御願い申し上げます。 

“濁りといふのはやはり濁りで、善い働きでない。例えばタメはいいがダメは悪い。濁るのはあまり良い働きでない。然し濁りも必要がある。  物によっては、悪いものでも無くてはならぬ。五十鈴もスズで、ズが下へ行くんでいい。  スが上、ズが下、猶太はズになる。ジュウはズになる。言霊が判ってくると大本がどうもよくない。出口はズの霊、王仁は鬼で(ユダヤ)、三郎は女で――月になる。大本を抜ける原因もそこにあった。然しそれも必要である。澄んでるか濁ってるかといえば濁っている。濁りがあると幾らか唯物的働きがある。パピプペポは強める意味である。名など少しは濁りがあってよい。少なければよい。水清ければ魚住まずといふ。(以下、二十三年)

アイウエオは基礎で一番霊的になる。  後は体的の働きが強い。カキクケコは決る言霊。サシスセソは一番問題な言霊で、天狗の働きになる。自惚れ、自慢、威張りたがる。話をしても此音のある人には負ける。特に女のサシスセソはよくない。ある場合は上になければよい。マミムメモは女性的。タチツテトは強い、人に負けない。ナニヌネノは智、女によい。ハヒフヘホは火で、霊的働きがある。女など此音が入ると縁遠い。ヤ行はア行と同じ。ラリルレロは蛇に関係がある。  龍神が憑り易い。ワ行はア行に似ている。女でスミは、スは天狗の働きで、女性的でいいようだが、スは一人で、強く、  人に頭を下げない。 天の行のある人は宗教心がある。濁音は物質慾が強く、唯物的である。名前は非常に運命に関係がある。

五十音の働き

“五十音の言霊を御垂教御願ひ申し上げます。

“一字一字に、意味といふより、働きがある。(S23)

観音と勢至、最高の言霊

“観音勢至といって、夫婦になる。  観音が男、勢至は女になる。勢至は弥陀の働きである。大は立派にする為つけた。三尊仏――勢至菩薩、応身・法身・報身。セイシ――イ行は最高でない。ウ行は最高である。詰めてウになるのが一番である。ウは真中、中心となる。主神はスウ神になる。

ア行の音

“ア行以下カサタナハマヤラワの関係――

“ア行は基音であり、基本となる。霊になる。物質的働きはない。後の全部は物質的働きになる。ア行の音は一番最高で、タカアマハラとかアタマ等は皆上の音である。(S23・11・8)

観音様、キとチの言霊

“観音様は明らかに日本人である。頭をみれば判る。日本は木の国である。十八を一字にすると木になる。木は霊といふ事。気とか気分とかいふのもこれから出ている。キは神といふ事、それで名はよくキの言霊を私は用ひる。阿部幸一の如きはそうである。言霊はアイウエオが基本になる。チは霊である。千代などの名は大抵孤独になる。名前など大抵は一番下でみるのである。

阿 (アウン)の意義

“仏教などで一切万法の終始の意味として、又は相撲などで阿 (アウン)の気合などと云って居ります。此の阿 (アウン)というのはどういう意味で御座いましょうか。御教示御願い申し上げます。

“ア―天―陽―男。ウは水で、陰、女である。ウ―は、生むといふ言霊となる。それで、陽陰の呼吸が合ふ事となる。相撲などはどっちかが男、どっちかが女となる。それでアウンの呼吸が合ふといふ。要するに陽陰合ふ事である。  (S24・7・23)

五十鈴川、(川の水音)、五十音(日)・二十五音(月)

“五十鈴川にはどのやうな謎が含まれて居るのでせうか。

“五十音は父音になり、日になる。之が正確に発音出来るのは日本人だけで、外国人は本当の発音は出来ない。宣長は綱を放射状に引き鈴を七十五付けた。五十鈴川は伊勢の大神宮の手前にあるが丹波にもある。(元伊勢の手前)この方が古い。五十―は、天照大御神の御魂(日)。母音は二十五声あるが、之は月の方で、父音五十で、七十五声となり、之が日月になる。それで、天照大御神をお祭りしてある川は五十といふ意味になる。川の水音は一つの言霊になる。水が鳴る。言霊が鳴るのが本当である。水が鳴るので鈴といふ。未だ神秘はあるが此位にしておく。(S23・10・22)

五十鈴川

“五十鈴川に就て――

“五十鈴川は、イスズガワともイソスズガワともいふ。「五十の鈴」としてあるが、神道では「言霊の元」といふが、これはコジツケの点がある。寧ろ「川」といふ字に意味がある。深い意もなく、これが良い名として付けたものである。日本人の言霊は、子音が五十音、母音が二十五音となっている。外国人は少いので、ヨーロッパあたりは三十音位である。言霊学は古い時代にあったが、一時絶えていた。それを本居宣長が復興した。彼は自分の居間に鈴に紐を付けて、七十五付け下げていたといふ。それで鈴屋と号したのである。之を受継いだのが愛知県の神官長沢雄楯といふ人で、その弟子が出口王仁三郎。私は亦出口氏から教はったが、それは簡単なものであって、その後研究して私独特のものをもったのである。出口氏のは付会が大いにある。命名など合っていない点があった。五十鈴川は伊邪諾の神にもなる。この言葉は入っていないが天照大神は女になっている。此点どういふ意味かちょっと判らぬ。五十鈴川は外にもある。丹波綾部の和知川の下流を昔は五十鈴川といった。丹波元伊勢にもある。歌では――。イはイスラエル人といふ字になる。これは物質になる。(人)即ち神ではない。  イス――イスラエルで、スは治める。人が治める。神が治めるんでない。

片仮名の起源、イの言霊

“片仮名の霊的解釈を承ります。

“片仮名はいろいろな所からとっている。漢字、象形文字(物の形)などからとっている。大抵両方からとっている。(一つ一つ研究したら面白い。イロハも面白い神秘がある)イは人、日本では素盞嗚尊になる。神から人になる第二義的の意味がある。(イスラエル、イエスなどそうである)又、猶太とか朝鮮系統といふ事にもなる。有栖川はイスラエルになる。有栖川は南朝、北朝は支那系統である。キ、モ、ヨ――。言霊の時説明するが、いろはなども面白い。北朝は支那――盤古系で、南朝は素盞嗚系であり、徳川系である。皇室は現存するとすれば北朝である。(足利は北朝系、楠木は南朝系で、水戸公が忠臣に祭り上げた)征服者同志が妥協して作ったのが明治政府で、今度は整理されて、特権階級は没落した。真の日本人は下積みになった。(S23・10・27)

言霊の時代支配

“宇宙はアイウエオのアより始まり現在はラ行に当嵌り、ラは乱で、だから乱れるのである云々と言ひ、五十音は夫々皆時代を支配する言霊の活動力を持っている、と申していた或る心霊研究家がありましたが、此れは本当で御座いませうか。本当とすれば、詳しき御教示を御願ひ申し上げます。

“嘘ではない。何の時代がどの言霊か知る人はない。ラリルレロは龍神の言霊で、螺旋、渦巻く事。故に、乱れるより、螺旋に廻る意味が本当である。(S24・10・3)

言霊の共通

“歯と葉、目と芽、鼻と花、皮と川等の如く同一発音のものは言霊的に共通の意味を有っておりますか。

“言霊は共通している。歯と葉は共通している。  歯は一種の骨、即ち骨の枝の先といふ意であるから、植物の葉と働きも共通している。木が枯れる場合先づ葉が枯れる。人間も年を取ると先ず歯が抜ける。目と芽も共通している。人間も、赤ン坊も目があくと見える様になる。木も種から芽が出るといふ事は、目があくために世の中の物が見える様になるに通ってる。  女の事を「め」といふ。めは外の働きが強い。マミムメモの音のつく名は女らしい所があるが、之は女の性格を表はす。眼は又日と月になる。天理教では月日様といふが、之は日月といふのが本当で、人間も右手を多く使ふのは、右は体になるからである。  ハナは初めとか、突先きといふ事。人間の顔をかいても鼻を一番先にかく。顔を出しても鼻が先に出る。素盞嗚尊は鼻に当る。突先きとは開く事。花が咲いて初めて木でも草でもそのものの存在価値が表はれる。即ち、ハナは始める事だ。カワとかガワといふのは、外の方といふ言霊で、又川は系統を表はす。その場合河ではない。河は水の流れぬ川。川は水の流れる形。  川といふ字のついた名はやはり系統や霊統を表はす。大地の名も意味があるもので、玉川は玉はス、  川は系統で、主の系統となる。大森は大ミロクといふ事になる。

言向け和す

“言向け和す――とは、言霊によって和合する事である。(S23・6・21)

明主様御名と命名の時期、改名と神の許し

“悪い姓名を良くしようとしても、どうしても神の許しがなくては付けられぬものである。名前を変えるのは時期があって、やたらには付けられぬものである。姓名判断の大家に私は聞いた事があるが、慥かに改名するのも早い遅いがあるとの事で、姓名学からいふと幾つの時にその人の名を変えるといふ事も名前に出ているといふ事であった。大先生の御名に就ても其人から聞いたが、大先生の名は表面へ立ってはいけない、裏面にいて人にやらす、又は人を使ふといふようにしなくてはいけないと言った事があるのを覚えている。私はそれ故表面へ立たぬ。常に陰へ隠れるのである。掛合い事など人にやらすとうまくゆくが、私が当ると屹度負ける。これはよく当っていると思っている。(S23)

姓名の働きと運命、御名を指ささる

“姓名は運命に如何に影響するか――

“姓名は運命に大いに影響する。人が呼ぶとその働きが起り、自分がその名を想っていると、その言霊の働きが出る。字と言霊と両方が運命に影響する。字の霊が言霊で、字は体になる。であるから、良い姓名を付けなくてはいけない。姓名といふものは、その人の生れながらにして運命通りに付くもので、やはり産土の神が付ける。産土の神が、その人の身魂相応に付けるのである。大先生の御名は、産土の神にいろんな名を記いて供えて、赤ン坊のうち、  指ささした処「茂」の字をとられたとの事である。悪い姓名を善くしようとしても、どうしても神の許しがなくては付けられぬものである。名前を変えるのは時期があって、やたらには付けられぬものである。姓名判断の大家に私は聞いた事があるが、確かに改名するのも早い遅いがあるとの事で、姓名学からいふと幾つの時にその人の名を変えるといふ事も名前に出ているといふ事であった。大先生の名に就てもその人から聞いたが、「大先生の名は表面へ立ってはいけない。裏面にいて人にやらす。又は人を使ふといふ様にしなくてはいけない」と言った事があるのを憶えている。私はそれ故表面へ立たぬ。常に陰へ隠れるのである。掛け合い事など、人にやらすとうまくゆくが、私が当ると屹度負ける。これはよく当ってると思ふ。

姓名の運命に関はる理由、(三の言霊)、(言霊界、想念界)

“姓名の善悪がどうして自分の運命に関係するのでせうか。御説明下さい。

“言霊といい、言葉の働きである。  いろは四十八文字であるが、本当は父音五十、母音二十五、之が本当の日本の言葉で、一つ一つに働きがある。空間に――霊界中に言霊界といってもいい言霊が働く世界がある。も一つ奥に想念界がある。それが霊界へ響いて働きが起る。霊線などは想念界の世界を活動している。例えば、家を作らうと思ふと、想念界で設計が出来て、出来る。言葉で大工を呼んで指図すると言霊界へ出来る。次に現象界へ出来る。聖書に「太初(ハジメ)に言(コトバ)あり、万物之によって造らる」とある。言葉で物が造られる。(言葉に善悪がある)言葉は非常に働く。言葉の組合せの善い悪いがある。ア行の字、カ行の働きなど皆ある。その人の性質にカキクケコを入れると締まる。頑固な武骨者にマミムメモを入れると優しくなる。サシスセソは自分の言ふ事を通す。ひびく――。人が呼ぶと言霊界へ働き、自分がその名を思ってると想念界に働き、自分に働く。それによって運命に影響する。 (S24・2・26)

姓名は非常に関係があり、名の言葉が働く。姓名を思っても働く。根拠は言霊である。三のつくのは女の働き、よく養子に行ったり嬶天下になる。(S23)

姓名の善悪の根本

“姓名の善悪即ち生命の善悪でせうか。

“名は、呼んだり、意識すればそれで働く。変えた働きで運命は左右される。霊的に良い名でなくてはいけない。姓名判断は体的である。

名のつけ方、(改名と身魂向上、言霊) 

“生れた子供に名前を付ける時、注意すべき基礎的な事柄に就て――

“基礎的知識としては、名と姓は天地になる。陽陰といふようになるのがよい。姓が天なら名は水とか土が一番よい。霊返しは、オカダでも、アはア行、オは水である。タが一番上の名と一緒になり、タの行が主になる故にアとなる。モキチ、キチはイ行、モにつけるとミになる。この様にオホヌマはア行、故に名はオ行がよい。偶数、奇数何れがいいかといふと、字画の合計が偶数になればよい。母と子では、育つには名が合ふのがよい。それは画数が働く。一方が偶数なら一方は奇数がよい。夫婦でも偶数と奇数にした方がよい。サシスセソは二つ付けてはいけない。字の意は、名の意と合はなければいけない。合はぬとその子は出る様になる。 (S24・8・8)

言霊はいろは四十八文字、五十音の組合せでみる。性と名は陰陽にする。姓が陽なら名は陰が本当である。一字一字の働きがある。マ行は女性的。サ行は強情、談判などすると勝つ。サ行音の二つある人は凄い。三つになると変る。一つ位がいい。之は天狗界の言霊で、天狗の働きで、威張りたがる。そして、しっかりしてやり通す意志がある。信州は天狗が多い。(シナノ、シンシュウ)言霊が基本で、言葉の霊である。陽を主にし陰を従にするのが根本。人間も後ろが陽で、前が陰。言霊は面白い。重要な学問で古代にあった。それを本居宣長が研究した。出口氏の先生が長沢氏。  大先生のはちょっと違ふ。身魂を向上させれば変る。姓名変える場合も時機が来ぬとどうしても駄目で、変えられぬ。霊的状態に相応した名が付いている。故に向上する外ない。(S23・6か)

姓名学の真理

“姓名学に就て、現在迄の姓名学は字画数により判断して居る様でありますが真理でせうか。言霊による判断とどの様に違ひませうか。

“真理とか何とかいふ程でもない。軽率に言えぬ。霊体とすると、言霊は霊で画数は体になり、霊体関係している。画数のみでは霊がないから体ばかりとなる。今迄は、木火土金水―五行の組合せ、字の意味、画数等を主としたものである。又、天地陰陽で決めるのがある。姓の上と名の下を両方合して判断するのもあり、いろいろある。字義などは割合い正確である。夫と妻が画数が同じだと離れる。画数もたしかにある。字の意味や字の配り等、ややこしいのはいけない。第一は言霊である。(S24・9・9)

姓名と画数

“私の氏名は、其の字画の各々が偶数になって居りまして、以前姓名判断の説に依りますと、最も不吉な者だと言われた事があります。幸いにしてお力を戴きました今日、心配にはなりませんのですが、こうした説は霊的に如何なものなのでしょうか。お伺い申し上げます。

“(悪い事はない)全部偶数といふが、(朝日新聞の前社長)村山龍平の如きは全部奇数である。画数はあるにはあるが、それほどでない。言霊と文字の意味が肝腎である。夫婦の場合偶数と奇数がよい。姓と名と全部で偶数になった方がよい。物が滑らかに行く。偶数、奇数の働きはいろいろ関係がある。(S23・10・19)

画数(偶数労せず、陰陽)

“姓名の画数――

“姓名の画数は相当ある。例えば夫婦どちらも奇数の場合は悪い。一方偶数で、一方が奇数ならうまく行く。(以下、二十三年)

画数は、偶数が陽、奇数が陰。偶数の名の方がスラスラゆく。全体で偶数の人はあまり苦労しない。親が偶数なら子供を奇数にするといい。伊藤、加藤等、オ行の人は名をア行にする。

画数と言霊

“姓名学上画数の働きと言霊の働きと何れが大切ですか。

“言霊の方が上である。言霊は絶対的のものである。四画は、一度は没落するといふが割合いあたる。(S24・7・23)

女子命名の場合の子の字画

“女の子の名前で、子をつけます場合、これは画数、言霊に関係あるので御座いませうか。

“子―は、関係はない。(S24・10・28)

仮名と漢字の意義と漢字制限

“一、片仮名及び漢字の起源とその働きについて――、二、最近小学校では片仮名を教へなくなり、又、漢字制限等が行はれて居りますが、之はどういふ意味でせうか。右、御教示お願ひ申し上げます。

“一、漢字が一番古く、次に片仮名で、平仮名は一番新しい。漢字の方は体で仮名は霊である。漢字制限といふが、仮名ばかりではいけない。言霊を表はすのは仮名でなくてはいけない。姓名判断は漢字のみで、霊を使はぬ。霊を研究していない。字の並べ方の感じのいいのとか画数、陰陽でする。陰陽は、天地――五行(木火土金水)に別けて判断している。六の画数は、普通は四であるが、熊崎健翁は六の数にする。五は四画であるが、五にする。名は全体でみる。画数は陰陽になっている。姓名は言霊が霊である。絵でも、墨絵は霊で、彩色画は体。書は霊、絵は体になる。

二、漢字制限は結構と思ふ。片仮名は平仮名にした。片仮名は男、直線、(霊)。平仮名は女、曲線、(体)で、画数は同じである。  出来るだけ正確な字をかくのが本当である。(S23・11・8)

一郎名と親別居

“一番上の子供が男子で、名前が一郎といふ場合、その子供が大きくなってから、両親と別居の生活をしていることが一般に多いやうですが、これは名前の横の「一」の字の働きの為でせうか。もしさうとすれば、名前を替へるべきでせうか。

“名前の働きによる。  一は元とか一番上といふ事にもなるから、親から割に早く別れる事になる。スの言霊、霊返しで、スになるのなどは、自分が一番上にならねば承知しない。一郎は一番上になるから、親の側に長くいられぬ。(S24・6・3)

孤独性の名前

“私の母は当年数え年六十三になります。通称を倉田ふじと言って居りますが、戸籍では「ふち」となって居ります。今後これをどちらにした方がよろしいでせうか。御伺ひ致します。

“倉田ふじは、孤独性がある。ふちはひになる。(S24・9・27)

正といふ字

“私の信徒で、伊藤シュウさんに正雄と言ふ子供があります。正といふ字は余り良くないと聞いて居ります。如何でせうか。又、改名の場合、どの様な文字を使用すれば良いでせうか。姓名学等は如何様なものでせうか。御教示願ひます。

“正は別に悪くない。一を止めるとなり、一は神であるから、反って良い字である。  又、下と上と繋がっている。それで、正は善い事に使ふ。文字は運勢に関係がある。(S24・5・17)

マーケットに光の字

“土建請負業をしている者で御座居ますが、人口約四千世帯の土地に湯屋、マーケットを建築中ですが、之等にお光の字を冠して、坂下光湯、坂下光マーケットと致す事は宜しうございませうか。

“面白くない。普通の名がよい。光は尊い字であるから、やたらにつけてはいけない。名負けになる。相応しなくてはいけない。名に負けるといけない。逆になる。(S24・4・23)

命名とカ行

“出産児に命名するにカ行より取れば良いと申されましたが、易者等が姓と名との字画を合計して善、悪を決めますが、カ行より取れば如何なる字画になっても良いのでせうか。

“苗字にカ行のないのは、カ行を入れるのがよい。几帳面になる。木火土金水に分けるが、姓と名で判断する。(S24・2・20)

名と素直

“私は  何時も諸先生より素直になれと御指導を頂いて居るのになかなか我と執着がとれず、悩んで居ります。如何にしたら最も早く素直になれますか、御教示をお願ひ申し上げます。

“名前をア行を避ければズーッと素直になる。(S24・6・27)

動物名の姓名

“熊吉、虎三、牛松等の人の名に動物の名が入るのはいかがなもので御座いませうか。

“悪いとしてあるが、然し斯んな名で出世する人は相当ある。広沢虎造の如き。  (S24・3・4)

名の呼び方

“姓名の呼び方で、例えば私の名前の光彦(テルヒコ)を光彦(ミツヒコ)と呼ぶ人もありますが、此の場合、言霊から言えばどういう事になりましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“言霊の働きが違ふ。テルの方が強い。ミツは優しくなる。強い方がよければテル、弱い方がよければミツにする。(昔の学者など、名前が沢山あった。徳川時代の学者が一番多い)(S24・1・8)

姓名の関係か

“私は生来我と執着が強くて、自分乍らわからない時が御座います。何時もその性質をなくそうと努力して居ります。それには姓名の関係がありませうか。如何致しましたらよろしいでせうか。御垂示御願ひ致します。

“関係がある。姓も名もア行であるから、名をオ行にする。(S24・8・27)

名前のお伺い

“私は二十九歳迄は鈴子の名前でしたが、名前が悪いので弘子と改名致しました。終戦後に配給や金融通帳等の関係上、以前の鈴子に致して居りますが、どちらがよろしいでせうか。御垂示御願ひ致します。

“鈴子は我が強い。弘子でもあまりよくない。変えた方がよい。(S24・8・27)

サシスセソの名と反対者

“私の家族は現在八名ですが、父は無口な人、良い方ですが、妻に運がなく、現在四人目ですが、三人目の子が長男で、私の兄にあたります。今年二十五歳になりますが、大変気が荒く、乱暴をするので家族全員が泣かされて居ります。私は観音様におすがりして御救ひ願ひたいと思ひ、今日御参拝に上りました。光明如来様も昨日お受け致しましたが、掛けさせません。大先生のお蔭で良い事をお教へ下さい。

“名前がわるい、取替えるとよい。サシスセソ――。(S  (*)・12・15)

甚三と圭造

“私は十五、六年前「圭造(ケイゾウ)」と改名致しましたので、現在は本名よりも通称「圭造」の方が通りよくなり、商売や登記、銀行等種々と混乱致します。  思い切って旧名に戻さうかとも思ひますが、元来私は十七、八歳位より二十八、九歳迄非常に苦労の多かった為、或る権威ある人に聞いた処、  非常に悪い名前だと言はれて居る為悩んで居ります。私の本名はそんなに悪いのでせうか。何卒御教示願ひます。

“圭造の方がよい。

ゆきの名

“私の名はゆき子ですが、雪に語呂が同じで、雪は日に当って溶けると申しますが、名を変へた方がよろしいでしょうか。

“幸子とすればよい。  (S  (*)・2・26)

名について

“名前に就てお伺ひ致します。正治と政司と、どちらが宜しいで御座居ませうか。

“どちらも悪い。政は強情を張り通す。梅沢はア行である。(S23・11・22)

悪印象を消す神光、御奉斎の尊さ

“現世に再生の度数が多い程、経験が豊かになり智能が発達するとの御教えを戴いて居りますが、  執着がとれて霊界に永く居ります場合は、現世的知識が発達しないもので御座いましょうか。御伺ひ申し上げます。

“(霊界へ行けば全然なくなるが、元あったものは消えはしない)善悪共に一度あった事は何年経とうが消えるものでない。空間で、霊界へ印象される。その為(*)なる。然し、神様をお祭りすると、神の光によって悪い印象は消える。そこに信仰者の――。(S24・7・21)

想念の印象

“人間のやった事は霊界へ印象される。鎌倉は武士が沢山いて戦ったりなどしたが、鎌倉の霊界にはそういう気分がする。又鎌倉へ行ってると、いい意味で昔の鎌倉時代の感じが出ている。京都、奈良も同様である。空間に、そんな記録があるのである。人間が悪い事をすると、霊線によって幽庁に通じ、記録され残っている。空間の霊界にも、人間の行為の記録が残る。であるから――。

想念の記録、想念行動の記録器と雰囲気

“(人間が悪い事をすると霊線によって幽庁に通じ、記録され残っている)空間の霊界にも人間の行為の記録が残る。であるから、今に人間の想念や行動を記録する機械が出来ると思ふ。一軒の家でも、始終喧嘩している家は感じが悪いのは、その家の霊界に悪い想念や行ないが記録されているのを感ずるからである。又、史蹟などを訪れるとその時代の雰囲気が漂っているのは、昔作られた雰囲気が残っているからである。すべて想念は霊界へ反映して、曇りや悪気になるのである。人間が善い事をするようになると、善い記録が残るから、感じがよくなる。故に信者の家へ行くのと普通の家へ行くのと感じが違ふのは、そういふ訳である。(S23・6・24)

製作と想念、愛玩や崇敬の理念、井戸、利久茶杓

“古刀、古物類には現在尚其の製作者の想念が写り、其の想念のままに活動致して居るものでせうか。又、現在其の所有者の人格の如何(イカン)により其の物質霊や想念の活動もおのずから変化されて行くものでせうか。

“古物と刀とは違ふ。人を切った刀は切られた人が憑いている事がある。古物には愛玩した人の霊は憑いている。製作者の想念は気を入れて作ったものには憑いている。村正の如きは切る一方の想念で作った。正宗は天下泰平の想念で作った。だから反って切る気にならぬといふ。昔の人は霊が強かった。その為美術品なども強い引きつけるものがある。今の人は霊が弱い。昔の六百年、八百年前のものでも出来たてのようである。今以て霊がシミついている。一生懸命やったり愛玩すると、段々その人の霊が移る。井戸茶碗は、朝鮮の飯茶碗であるが、秀吉が朝鮮征伐で分捕って珍重した。秀吉の時代は茶器への愛着を感じた。領地よりも有難がり、茶碗を奪る為に戦った事もある。朝鮮征伐も、茶碗が欲しくてやったといふ人もある。愛玩する人の想念は沢山入っている。之は目に見えぬ想念である。仏画など、人が礼拝、崇敬すると、有難いといふ意力が濃くなって放射するので、見ただけで有難くなる。又、製作者と所有者の人格によって違ふ。不昧公の如きもいい。利久などの茶杓は自然の気品をもっている。光琳の茶杓でもその気分が含まれている。 

想念界と意志交換

“想念界とは――

“想ふ世界、物質的行動に表はさぬ世界。言葉は下の方の霊界で、上の霊界は目だけで判る。現界のように諄々しくない。(S25・3・28)

相性と年齢・星、(想念と働き)、副守の興味

“縁結びや夫婦関係の良し悪しを、年齢や星にこだわって考へる習慣がございますが、やはり意味のあることでございませうか。 

“ないとはいえない。相性、十二支(エト)等によっていくらかある。自分とか夫婦とか――。人間は思ふとその働きが出る。想念によって大いに左右される。自分で作るものである。相性や星まわりなど、思ふとそうなる。信仰者は、信仰する神の力の強弱と信仰によりズーッとちがふ。観音教団など信仰は絶対大丈夫である。御守護のない人はいろんな霊にやられる。病気も精神作用が関係する。副守護神はいたずらなもので、食物が古いとか、食べると中毒するなどと聞くと、急に腹が痛む事がある。これは副守護神が面白がってやる。本人がそう思ふと痛い事などをする。それを副霊が面白がる。よく神経といふのが副霊の悪戯である。人を騙し苦しむ事に副霊は興味をもつ。(S  (*)・2・4)

想念と地獄極楽

“想念界中に地獄極楽ありや――

“想念は自由であるから一切ある。善い想念は極楽界へ、その想念は想念界で天国へ行く。悪い想念は地獄界へ通ずる。千手観音は、種々の物の救いと、実権を握る。如意輪は、如意宝珠を使ふ事。

一人で何人も思ふ事―想と念、思ふ事と行動

“一人で同時に二人の異性を思ふといふ事を神様は御許し下さるでせうか。

“一人で二人を思ふ、之は仕方ない。然しどっちかが強く思ふ。両方同じ事はない。神様はそういう想念を与えてある。之は多くを思ふ方がよい。神様は世界人類を思ふ。ただ行為に表はさなかったならば、どんなに思ってもよい。行為に表はすと罪悪に思ふ。思はない様にしても思えるものは仕方ない。念は祈る事。念と想は違ふ。

考える自己の主体、(悪想の執着、御光と平沢自白)

“神或いは守護霊・本霊・副霊等もろもろの事に就て考える自己と言うものは、本人の本守護霊に属して居るものでございましょうか。それとも何か別のものでございましょうか。

“考える根本は本霊で、副霊は考えを混ぜる。本霊に力があれば、善い事をする。副霊に力があれば悪い事をする。(平沢の如きは副霊強く、あんな大それた事を平気でした。あの事件の時堀崎課長は私の御光を受けているので、堀崎の友人消防課長塩谷氏が信者である。堀崎がお浄めしたら、平沢は涙を出して、それから自白し出した)  人間は本・副霊の中間が人間の考えである。始終善をするか悪をするか迷っている。どっちが勝つかで、勿論如何なる場合も善が勝たなくてはならぬ。どんな人でも心では悪を自由に思ふ。然し、それを制する本霊が働けば行動にしない。然しただ思ふだけは構はぬ。行動に表はさねばいい。悪を始終思ふと執着になる。すると悪い。  あそこの妻君は綺麗だ、あの娘はいいと思ふのは本能だから構はぬ。キリストは想念だけでもいけないといふ。  (S24・10・8)

精神統一と想念の自由

“祝詞を奏げても種々な邪念が出てくるものである。一番統一出来るのは、碁、将棋、芝居の鑑賞である。想念は自由である。キリストは、心で思ふだけでも姦淫の罪になる――といふが、神様でない以上これは無理である。要は行動で表はせば罪になる。(S23・10・17)

天候の予言、(想念と豊凶、災難)

“農作物の豊凶を毎年五月熱田神宮様のおためしとして一般参拝者に公開されますが、今年は天候も不順で凶年だと言はれて居ります。如何様なものでせうか。

“熱田さんでは判らぬ。  もし当れば気象台で利用すべきである。斯ういふ事は当ってもいけない。豊作とか不作は人間がする。豊作に感謝の気持ちで、日本中の人間が立派な気持でやればとても良く出来る。皆間違った了見を持っているから不作になる。故に、人間が作っているから仕方ない。災難でも天候でも、皆人間が作るのが真理である。  (S24・5・6)

豊凶作と想念

“豊作とか不作は人間がする。日本中の人間が農作に感謝の気持で、立派な気持でやればよく出来る。とてもよく出来る。皆間違った了見を持ってるから不作になる。故に人間が作っているから仕方ない。災難でも天候でも、皆人間が作る。之が真理である。  (S  (*)・11・16)

今年の気候

“過日御面会を頂きました際、本年は火素が強くなるとの御教示を頂きました。其の後火事が頗る多い事を新聞等を見ても知られますが、本年今後の気候も例年より相当高温多雨になるのでは御座いませんでせうか。作る作物に関係が御座いますので、御教示御願ひ申し上げます。

“斯ういふ理屈にはなるが、日本人の心掛け一つである。厳しくなければよい。人間の想念が気候に表はれる。(S24・5・17)

琵琶湖の不漁と荒れ

“琵琶湖が春以来近年になく荒れる日が多く不漁ですが、何か原因がありませうか。

“琵琶湖附近にいる人の心が曇ってるので、湖の龍神が絶えず浄化作用をしているのである。故に、漁をする人が、悪い言葉や、悪い心を持たぬようにする。漁師自身が不漁の原因を作っているのである。人間は兎角罪を他に転嫁しようとするが、皆人間自身が作るのである。

御文字の働き(恵水、春光)

“最近光明如来の御書体のある床の間に、  煙の様な文字で「ポカポカ」と出るのを数人が見えると申します。如何なる現象で御座いませう。

“之は御字が活動する。神秘なもので、簡単に説明出来ない。何れ「神秘の扉」といふのが出るから、それに書く。 之は字が働くのである。先に坂井の家で、水がいくら掘っても出ないので、「恵水」と書いた字をやった。すると間もなく近くへ水道が来て、困らぬようになった。又「春光」といふ字を掛けておくと冬でも暖かいので、ストーブの代用になるとよく言ったものである。字からそれだけの力が出るのである。(S24・7・27)

字の働き(簡単な字)

“字も霊的に意味があると伺って居りますが、近頃漢字制限をやって居りますが如何なもので御座いませうか。

“字は制限してよい。ややこしい字は働きがない。簡単な字ほどよい。霊的に意味のあるのは言霊である。次は画数、奇数偶数は陰陽になっている。(S  (*)・2・4)

言語・文字の起源、言霊の発祥、平仮名と片仮名

“言語、文字の起源について御垂示願ひます。

“言霊は初めからある。  人間が神様から造られたと同時にある。それに意味をつけたり作ったり、人間が工夫した。之も神様がやられた。文字は其後に生れた。最初は象形文字である。絵のように表はした。片仮名が一番古い。神代文字はローマ字と似ている。日本の文字は古くない。ヨーロッパが古い。文化もそうで、ピラミッドなど五千年前である。日本のは新しい。一番古い時代は、竹の皮とか石や大きい木の葉へ泥で書いたり、小刀で傷つけたりして書いた。そういふ化石が出る。文化は、日本は割合い新しい。木の直径が三尺位のが石になっており、  年輪も見えている。葉の化石とか動物の骨の化石などもよくある。菊の葉の化石もある。之等は五、六千年も経っている。平仮名は新しい。漢字は支那で出来た。私は七千年前まで、神憑りで知った。それからは出ない。六千年前から大変動があった。  それから又新たに文化が造られた。

神代文字とローマ字

“日本の神代文字に就て御説明下さい。

“神代文字は日本独特のものではない。ヨーロッパから来たものと思ふ。ローマ字に似ている。日本歴史以前、インドもヨーロッパも日本へ来た。神代文字はそれであらう。(S23・1・13)

神代文字の研究

“古代文化研究の為神代文字を学びたいと思ひますが、果して神代文字は古代に存在したものでせうか。又、存在していたとすれば価値あるものでせうか。

“存在していた。どの位古いものかはっきり分らぬ。少くとも神武以前である。酒井勝軍といふ研究家がある。暇があったら研究してよいが信者には暇がない。研究しても大した価値はない。  (S25・5・16)

平仮名と片仮名

“平仮名と片仮名とでは霊的に何か御座いませうか。あれば其の意義をお教へ下さい。

“平仮名、アイウエオ―は霊、いろは―は体である。すべて霊体になる。画と書では、書が霊になる。(S23)

「アイウエオ」と「いろは」

“「アイウエオ」の五十音と「いろは」の四十八文字とでは、霊的に如何なる相違が御座いますか。

“アイウエオの方が古い。先に出来た。いろは―はズーッと後である。いろは―はアイウエオを、漢字を略して書きいいように作った。弘法大師が作ったといふ。英語でもそうで、両方ある。  (S23)

いろは―に就て

“五十音の発音の配列に就て「ア行」「カ行」等の行とアカサタナ、イキシチニ等の列との組合せの意味及びイロハ順の配列の意味に就て御説明を御願ひ致します。

“いろは―は大した意味はない。言いよいように並べたもの。意味にのるよう、歌にして覚えやすくした。言霊はスラスラ淀まぬのがよい。黒岩涙香が懸賞募集した事があった。「とめなきさとは明放れみよひむかしの……」等があった。弘法が作ったといふ。

いろは歌の作者とローマ字

“いろは歌の作者に就て御教示御願ひ申し上げます。

“片仮名は古い。片仮名と漢字の両方からとっていろはを作った。片仮名は神武天皇前後で、  神代文字はローマ字と同じようで、そう古いものではない。ローマ字の古いものだと思ふ。天孫民族はすでに猶太教であった。それまで備はっていなかった文字がローマ字に完成した。それでローマ字といったものと思ふ。

昭和の意義

“昭和の御代は次々と大問題が起きていますが、此の「昭和」の字の意味若しくは何か因縁がありましたならばお教へ下さいませ。

“大いにある。非常に神秘で、ここでは言えない。日の召により○(ワ)す。昭和の年号は意味があって、その意味の通り世の中がなるのである。信仰が進んで来ると分る。

旭の意義

“旭といふ字と朝日といふ字の意味の違ひを御伺ひ申し上げます。

“朝日は、朝の日の字のままの意である。旭は九に日、特に輝く感じ。  上ったばかりで輝く状態である。旭は今の世界、日は一で、十になるから、九の世界へ日が昇るといふ訳である。であるから今の状態である。

一、二、三の意義

“一は神、一番根元の神。二は霊体二つに分れる。高産霊・神御産霊である。三は陰陽の神で、子を産む。三人になる事。

数理百まで(総説)、百の神秘、五六七の世の型、二十一世紀

“一から二十の各数及び三十、四十等、百までの数理に就て――

“一は初め、本である。  神にすれば造物主(独一真神)である。日本でいえば天の御中主大御神である。

二は陰陽(霊体)、高御産・神御産霊で、タタ・カカで父母となる。陰陽に分れる事。

三は子を産む。子(陰陽から子が生れる)

四は東西南北四方へ開けてゆく。(拡がる)

五はそこで火を発する活動力。熱が出る。

六は水の数で、火により氷がとけて水になる。水によって火が燃える。火は霊で、それによって水が出来、土が出来、初めて完成。ムユ(六)――火が燃える事。  七は完成の意。重要な事に使ふ。完成して大地が出来る。ナナとは成り、成る。出来上った事。ナルは、言霊で、発する、鳴り渡る事。(聖書に限らぬ。七日間で宇宙創成されたといふが、本当である。創世記――七日目に出来、一休みし祝ふといふ)七は土と書くが本当。ナは土。

八は開ける、多数の数が出来る。(多くなる)

九は尽しで、発達し、極点に達する。極まる。出来た頂上にゆく。つくしの海。(九州)

十は陰陽結ぶ。(経緯)本当の完成である。人類文化或程度まで進化する。十になると力が出来る。結ぶと力が発生する。(今日、東西文明結び完成に近づきつつある)(今は九の時代、つくしの時代。東洋、西洋文化結ぶ――之がメシヤ教)

十一は結んで始まる。(これが二十一世紀である。二つのものが結ばれ、二十は王、十一は初め、二十は結び、王になる。上に乗るのが主である。最高神が世界を経綸する事になる)

十二、十三は―先の一、二、三、四は原始からの順序であるが、十になると一旦完成して、それからのは変ってくる。今度は前とは違ふ。

百は、十が十、(イゲタ)━(シロヌキジュウジ)、五六七の世の型になる。今に、四角のもの、五つのお宮が出来る。百は意味深く、モモと読む。又、一と白である。一は天、ノは下る、 はス、之は神秘がある。

数の神秘(十八、二十三、百、千) 

“数には神秘が隠されていると伺っております。数字には如何なる意味があるのでせうか。

“一は始める事。二は分れる事。十は結ぶ、経緯完成する事。十一は結んだのが始まる。統一。十八は結んで開く、観音様の事を言ふ。二十三は応身の働き。王は二十(一十一)、三はミ――身(王身)。百は十が十、モモと読む、いい意味。又、一尋(ヒトヒロ)にもなる。之も意味があるが、簡単にお話は出来ぬ。千はチ、霊といふ場合がある。千代といふ名など良くない。千は霊であるから、女としては孤独性となる。又、ノと十になる。ノは深い意味がある。

数の意義(一より十一)

“一は初め、天地創造の時は一人である。二は天地、夫婦。三は子供。四は三人の力で四方へ拡がってゆく。五は火の働き、熱が出る。六は水、火むゆる。七は大地。天地創造は神道では軽きものは天へ昇り、重きものは地となるといふ。いろんな物が発生して開く、それが八。(沢山の数。四方八方といふが、四方の間へ一つ拡がると四方八方といふ。それに天地が加はり十方となる。九は尽し、開け切る、極点になる。九州はつくし島といった。十は完成。十と十が重なり井が本当である。真中が四角、両方へ四角。十一は完成してから始まる。十―経緯。現在の世は九分九厘で、も一つで十になる、その一つが五六七教である。(観音教)(S  (*)・8・7)

数意、五六七、主の神秘、丶の意義

“五を火と言ひ、六を水と言ひ、七を土と申されますが、この言霊について御教示御願ひ申し上げます。

“天地創造の順序である。火は霊で、五の数になる。天地陰陽に分れて二となり、子が出来て三人になり、四は四方へ拡がる事、それから火の活動が起り、水、土……。分れて天地が出来、清浄なるものが天、濁れるものが地になった。八は数が殖える。八方へ拡がるとか言い、沢山の数は八で表はす。九は充分爛熟する。つくしといふ。九州は昔筑紫島と言った。そして九分九厘となって大転換する。そして十になる。完成する。霊体結ぶと言ふ。神は結び、仏はホドケル。十  王  主。三は火水土になる。主の神の、どいてる時は王になる。素盞嗚尊が天照大神を押込めて夜の世界になる。今度、昼間の世界になると神になる。仏は神の化身で、仏も元の神になる。一は神、止――とどめる。(正)暗の世は乙姫の世――立は龍。立正安国論。乙姫は世界の金銀財宝を一手で握り龍神になる。今度は乙姫が非常に苦しむ。三寒三熱の苦に堪えきれず、神様に返上する。之が千手観音様の握っているものになる。乙姫の世を観ている――即ち、観世音である。火は大の字であり、人の形になる。(フチドリヒ)であるから、人は万物の霊長といふ。人間は霊的動物であり、獣は体的動物である。水は獣の形。(フチドリミズ)即ち陰陽になる。水は体、土は物質。土は一が大地、その上に十(火水が交錯してる)。土は完成の意味、造物主が七日目に造ったといふ。十はナの字になる。之は成り、成る事。十一は統一ともなる。九から十で結び、完成して十一(凡ゆるものが一になる、帰一する)十一はこれからの世の中である。それが五六七の世の始まりである。今は九分九厘で、それに一厘足して十となる。大本では九分九厘と一厘との戦いといふ。お守の丶は、天から降った形である。

三の数と日本の三段階

“日本は日の本であるから三段階がはっきりする。外国ではそうでないのもある。支那は四七。今は三といふ数を使はぬ。今迄は大抵凡ゆる事を二か四を使っている。如何なる事も三にしなくてはうまくゆかぬ。天地の真に外れる。(S23・11・14)

三六五日、節句

“一、桃の節句、雛の節句の謂れにつきまして御教へ下さい。二、一年は三百六十五日と言ふ数字について何か深い意味がありますのでせうか。御伺ひ申し上げます。

“一、徳川時代の風俗をとったものである。飾りのようなものである。

二、三六はミロク。五はいづ、生れる事。弥勒に関係がある。(S24・5・28)

七と数意(一より十、二十一世紀)

“聖書の中には「七」の数字がよく出て参りますがどんな意味でせうか。右、御教示お願ひ申し上げます。

“七は完成の意味である。ナナといい(言霊)、成り、成る。出来上った事。聖書に限らぬ事である。(キリスト教では七日間で宇宙が創成されたといってるが本当である)七曜は凡ゆる宇宙原素世界。  一は独一真神であり、初め、本である。神にすれば造物主。二は陰陽。三は陰陽から子が生れる。四は四方へ拡がる。五は熱が出る―(火)。六は火によって氷が溶けて水になる。火は霊で、それによって水が出来、土が出来る。土が出来て初めて完成するのである。キリスト教の創世記には七日目に出来て一休みし、祝ふといふ。八は開く。数が多くなる。九はつくしで、発達し極点に達する。十は経緯を結ぶ、本当の完成である。人類文化が或程度まで進化する。今は九の時代、つくしの時代で、東洋・西洋の文化を結ぶ。之が観音教団の仕事である。十一は結んで始まる。これが二十一世紀である。二つのものが結ばれ、二十は王。十一は初め、二十は結び、王になる。上に乗るのが主である―最高神。最高神が世界を経綸する事になる。七は土と書くのが本当である。ナは土。(S23・11・8)

仏教の諸命日

“仏教で言ふ初七日、三七日、三十五日、四十九日、百ケ日、命日、祥月命日等は、此の方でも意味が御座居ますでせうか。御伺ひ申し上げます。

“七といふ数は種々に使はれる。(キリスト教でも七日目を安息日として休む。七は完成の意味である)釈迦は七の弥勒で、仏教は釈迦が作ったものであるから、  七といふ数は関係がある。百は数の充実したものである。それ故百ケ日といふ。七七━四十九日。之を二倍して九十八日になる。それでは覚え難いのと、ややこしいので二日足して百日にしたのである。七は土の数であるから、肉体に関係したものに使ふ。それで生れてからお七夜といふ。又死んでから間もない中はまだ肉体に関係があるから七の数を用いる。  神道は十日目毎で十、二十、三十、五十日、百日祭といふ様にであるが、神道は釈迦に関係がないから七の数を使ふ意味はない。支那―四と七。  (S24・1・14)

お七夜と初七日―数意開明

“子供が生れて七日目をお七夜と言ひ、死んで七日目を初七日と申しますが、如何なるわけで御座いませうか。

“七は完成の数、キリスト教では七日目は安息日といふ。一―始(造物主)。二―陰陽、霊体。三―子。四―東西南北(四方)に拡がる。五―火―活動力。六―水。七―地球が出来る。土なり。重要な事に使ふ数。八―拡がる、無数。九―極点の意味。十―本当の完成。今日完成に近づきつつある。東西文明を結ぶ。(S23・12・9)

初七日、四十九日の謂れ

“法要の場合、初七日とか四十九日、一周忌、三回忌といふ風になされていますが、その訳を御垂示お願ひ申し上げます。

“霊はその家から五十日間で出て霊界へ行く。五十日間居るのが霊界の法則である。  七はナリ、成る。完成の数字である。凡ゆるものが七日で完成する。四十九日は七七―四十九で、一周忌、三回忌と、段々間が開いて行く。四は四方へ拡がり、五は燃え始め、六は水、七は火水の力で出来る。(五六七、火水土)八は開ける、沢山出来る、物質が無数に出来る。九は極点に達する。つくし―ともいふ。九州は筑紫島である。十は結ぶ。今迄は九の世の中で、今度は十になる。十一―それから始まる

数珠の真義、百八の意義、(八の数意)

“数珠は百八つある。仏教では百八煩悩といふ。数珠は珠であり、魂を意味し、魂が繋っている事をいふ。自分なら自分が何度も生れ代っているといふ訳である。八は無数を意味する。八百万などといって、数の多い事を八で表はす。先ず天地が出来て、種々な物が完成(七)して、(七)成る。それから数がふえる訳である。之が八である。九はつくしといい、殖えた数が極端に殖える。そうしてそれが破壊されるのである。それで又やり直しをやり、十で完成する。十は霊と体であるが、百が本当である。従而百八とは、無限に魂が続いている事。無限に生れ代り、続いている事をいふ。  (S23又は24・6・16)

八は無数といふ事になる。物が沢山ある事。米国は八十八と書く。故に、物が豊富である。八百屋などといふのも、その意味から出ている。  (S23・5)

数の意義、(数の活用)

“数の神秘、数霊について御伺ひ致します。

“数には霊的意味がある。五六七など神秘がある。数の働きは非常にある。日の吉い悪いも事柄によって用ひる。婚礼などは十とか七とか結ぶ数がよい。私など十を用いる。二十一日は極く良い。十一日も良い。八の日はいけない。四も良くない。葬式などは何時でも構はぬ。  始める日など八などがよい。四は使い道によってはいいが、言霊の善くない事がある。一は最高の神、主神――祖先でもよい。二は陰陽に分れる。(父母)三は親子三人。四は四方に拡がる。正月の四方拝などは大間違いで、東西南北の四方を祝ふのであるが、之は平面的で、立体的――天地を忘れている。故に六方拝が本当である―だから皇室は続かぬのである。五は火になる。  火の働きである。六は水である。ムユルといふが、これは納得し兼ねる点がある。七は成る。八は開ける。  九はつくす、開け切るのである。今は九の時節である。皇室を九重といふが、之は尽きるんで大変悪い。尽きるとは終る事である。十は完成で、十一で始まる。経緯が完成して大地に立つ事である。観音教団は十の仕事である。天の数歌はその順序を言霊でいふ。それで順序の狂ったのが直る。

日と数字

“日を決めるのは、日蓮宗の暦では大安が一番悪く、仏滅が一番良い事になっている。これは係はらぬ。数の働きは非常にある。結婚などは結ぶのであるから結ぶ数がいい。七、十、十一、二十一(二人結んで一(ハジ)める)。開業などは八の字がよい。五は出づであるから、五の日はどこかへ行く時がいい。  四はよくない。滅多にない。弔などがある。重要な事を決める時は日を決める方がよい。九はあまりよくない。盈つ数で極端に達した時である。  (S23・7・12)

始めると結ぶ数

“数は非常に神秘がある。非常に影響する。陰陽結ぶには、結ぶ数がよい。八とか六は離れている。七、十、十一、二十一などは結婚にいい。私は数はよく用いる。始める時などは八などいい。  五もいい。イズ―は言葉がいい。それで伊豆は重要な所といふ。熱海もそういふ意味がある。

数の働き、婚葬と開始の日、(凡ゆるものは数によって活動する)

“数の働きはある。結婚は結ぶ日を入れる。十、二十一(二人結んで始める)。葬式などは離れる数、八とか二とか。始める時は、一とか五とかを用ふ。九はあまり用ひぬ。極点になる。十は完全、足らう。凡ゆるものは、数によって活動する。 

人間の季節と厄年

“人齢の内に厄年、例へば男子二十五、四十二、四十九、女子は十九、三十三、三十九は大厄であると誰もが警戒されて居りますが、私も二十五歳にて父を失ひましたが、  其の本人家族の重要な人に別れるとか、災難に遭ふ事など、これ等の事実は厄年に関係ありましょうか。又、何が原因でございませうか。又、観音様の信仰と浄霊によって厄年を無難に越されませうか。

“厄年が障るのは霊が弱いからである。即ち信仰が弱いのである。(四十二は厄年といふ。春の花の咲いた時は嵐が吹きやすい。人間にも季節がある)御守護があれば何でもない。霊が弱いから負ける。霊が強いと受け付けぬ。気にする人はどうもうまくゆかぬ。  (S24・10・26)

男女の厄(六十)と言霊と神護

“男子の二十五歳、四十二歳、六十一歳、女子の十九歳、三十三歳を厄年と言ひますが、厄年又は厄当りと言ふ事はあるものでせうか。

“厄は言霊の作用である。言霊の働きで運命に関係する。日の善い悪いがある。重要な事に就ては日を選ぶ。(人は常によい言葉を働かすべきである)男の二十五、女の十九、之も意味がある。二十五は五五―二十五で、五は火で、火火(五五)で、火が勝つから、火が勝つと物質上などに損をしたりする。物質的に恵まれぬ。  姓が火で、名が火の場合もやはり物質に恵まれぬ。  六十一は本家還りといふ。人間の生命は百二十までが原則である。身体に毒がなければ百二十まで生きられる。六十歳はその真中であるから一区切になる。変り目であり、節だから、何か変った事がある筈である。それで厄といふのである。十九は女の婚期の中心である。女の運命の節になる。男子との配偶は女の運命の根本である。これで一生の運命が決る。女は男に依存するからである。(嫁に行くのは運命の変り目である)九は数の極点であるから危険がある。九はつくしといって、日本では九州をツクシといふ。今の世の中は九である。今度は十になる。神様の御守護があれば厄年など問題ない。そういふ事に支配されるのは霊が弱いので、霊が弱いといふ事は曇りが多いので神の光を受けないのである。曇りが多いと、何かの形で災難がある。そういふ人は厄年に限らず、何か禍を受ける事になる状態にある。(S23・10・17)

厄年―運命の関所

“男女の厄年に就て御垂示お願ひ申し上げます。

“厄年は数字の言葉が関係している為である。人生の運命の関所ともいふが、本当は言霊から出たものである。

厄年と人間の四季

“厄年は  如何なる原因により言い伝えられたもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“数の働きと季節的の定まったものがある。人間の一生は四季に似ている。人間が生れるのは元旦のようなものである。年頃になると春になる。人生の花が咲く。月経の事を花が咲くといふ。花が咲き、実が稔る。五、六十で苅込みになる。八、九十は冬となる。本当は人寿は百二十が本当である。男は四十二、女は三十三、之が一番大厄といふ。春は嵐吹いて花が散るといふ事。四季の中、季節的に強風が吹いたりするのと同じで、自ら定っている。

厄年、(明主様の御災難)

“女は三十三歳、男は四十二歳が大厄と申されますが、厄年なるものはあるものでせうか。

“厄年はある。四季に例えれば二百十日とか、二百二十日に暴風が吹くようなものである。人間は四季と同じようになるものである。人間の生まれた時は、冬から春になる。そして年頃になって花が咲く。三十三歳は丁度桜が咲く時になるので、その時には嵐が吹き易く、散り易い訳である。男は四十位が男盛りで、  やはりその時風が吹き易い事もある。(二百十日、二十日に当らう)又、言霊からいっても四十二は四二(シニ)、女は三三(さんざん)である。然し(之は大したものでない)信仰へ入っておれば問題はない。人間の大難の来る事なども決っている。之はやはり節である。大先生に於かれてさへ四年目毎に災難が来る。 昭和三年に信仰にお入りになり、昭和七年に大きい苦しみにお遇いになった。大本教からひどい目に遇はれ、致命的な目にお遇いになった。それで脱退の決意を遊ばしたのである。それから十一年には、当局から弾圧されブタ箱へ入れられ、家宅捜索を受けられた。十五年には十一月に玉川署へ留置された。之は医師法違反だといふのである。注意してやったので違法の点はない筈だが、自分の方で治るから医者の方に行かなくともいいといふのは医師法違反だといふのである。これで私の方から誓約書を入れて療術行為をやめてしまった。其後二、三年経ってから、平生釟三郎、後藤文夫、平出英雄、久原房之助等の名士から治療を頼まれ、是非やってくれといふ事になった。十九年にはガソリン問題でスパイ行為をやってるのではないかといふ嫌疑をかけられた。警察では国家の擁護する医学を否定する反逆的人物といふ事になり、又医者に反対する位のものだから確実かもしれぬともいった。二十三年には税務署問題が起った。斯のように、四年目四年目に災難が来ている。然し乍ら、節を通り越すと、非常に発展するのである。(S23・12・12)

厄年とは、(四の使用、四の画数、支那の使用数)

“厄年について御説明をお願い申し上げます。

“数や言葉の働きである。女の三十三、男の四十二が一番大災としてある。三十三は三ン三ンとか、悲惨とか惨澹とか、サンは悪い時に使ふ言葉の働きである。四十二は四二で、言霊で死になる。易者などでも人間の其時の関門のようなものであるといふ。二百十日とか二百二十日は、季節的のそれである。或年齢の時が危険期になる事はないとは言えぬ。私も四の言霊は使はぬようにしている。といって支那などは四か七を使ふ。日本は四といふ事は相当の働きがある。四の画数の名は、どんなに良くなっても必ず頓挫し、破綻に瀕する事があるといふ事になっている。近衛公の如き、そうであった。数の働きは確実にある。五六七など素晴しい働きがある。例えば、三は女の働きで、三のつく人は必ず養子にゆくか――。

厄年の霊的意味

“世間では厄年(男子――十五歳、二十五歳、四十二歳、六十一歳。女子――十九歳、三十三歳、三十九歳)をよく問題に致しますが、之は霊的に意味がある事でしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“厄年は霊的意味はない。  (S24・1・28)

年廻りと禍

“土地の伝説的のものである。大抵は四十位の時が花の咲く時で、花に嵐といふ。四二は言霊の働きである。六十一は本家還りといふ。転換期である。二十五は火火で、火が強過ぎる。水の働きがない。大した事はない。年違いは迷信である。(S23)

四畳半七畳半等

“住宅の畳数に依って世間色々の流説が有りますが、四畳半、七畳半に就て承り度いと存じます。私の家で四畳半を座敷に使用、七畳半を店舗に使用、四畳半にて就寝すると病気するとか、又、非常に金銭の消費が多くなると昔から申しますが、如何で御座いませうか。

“信仰雑話にかいてある筈である。四畳半も七畳半も本当はいけないが、大した事はない。斯ういふのは半畳だけ板の間にすればよい。九畳は最もいけない。すべて数は偶数がよい。姓名の字の画数でも全部合して偶数がいい。奇数もわるくないが、奇数の人は物をするのに苦しい。偶数は楽にゆく。半端数はよくないといふ事がいくらか表はれる訳である。(S23・11・16)

二十二は凶数か

“お嫁に行くには、二十二歳の年が悪いと言ひますが、どういふ訳ですか。

“二十二といふのは、二二ンが四をいふので、四を嫌ふのである。之は構はない。姓名判断では四画は一度は没落するといふが、之はいくらかあるようだ。(S24・4・28)

轢死者と六の数

“鉄道自殺の場合、自殺者が飛び込んだ枕木より必ず六本目で轢断出血するそうで、これは統計上絶対に例外がない由でありますが、六と言ふ数字に何か神秘があるのでせうか。

“六は数字からいっても陰である。六道とか六文銭とかいふが関係のない事もない。