007 宗教概観篇

新バッジの意味

“新しいバッジの意義について御教示御願ひ申し上げます。

“経緯結んで真中が真の神の働きとなる。統一される。(S25・2・23)

救世教となっての病気のお願い

“病人が非常に苦しい場合、以前は本人が念被観音力を唱へると楽にして頂いた事があります。メシヤ教になりました現在では如何に唱へたなればよろしいでせうか。

“同じである。念被観音力で差支えない。

  観音様は東洋的、メシヤ教は世界的お働きであるが、御本体は観音様である。  (S25・4・16)

メシヤ観音御尊像

“此の御部屋の御床に御奉斎して御座居ます御姿の御称を御垂示御願ひ申し上げます。

“メシヤ観音である。  (S25・2・8)

高天の意義

“神山荘、上の間の御額「高天」の意義――

“高天とは一番高い天といふ事。天国にも上中下あるが、ここが一番高い所だといふ事になる。

五秘仏と密教の真解

“五秘仏に就て――

“五秘仏は昔からいふ事で、真言宗の密経にある。密経にはいろんな神秘な事がかいてある。仏教の真髄は密教にある。密教は仏教の方の神秘に属するものを扱っているようである。真中はミロク様をかいたつもりで×(経緯)結ぶと真中はミロク様になる。×を四天王で表はしたのである。

五秘仏御揮毫年と御白髪

“今日お掛けしてある観音様の御説明を御願い致します。

“昭和六年にかいたもので、何時か必要の時もあらうと蔵ってあった。用意してかいた訳である。

  昔から五秘仏といって、五つの仏様になってあるが、それを私が直してかいた。  真中が弥勒様で、四人が四天王といふような重要な仏様になる。本当は真中の大きいお姿は黒髪であるが、特に白い髪にした。

(S23・11・3)

五秘仏の意義

“此のお部屋に奉斎されてるお姿について――

“昔から五秘仏と言って五体の仏様があった。それを余程直してかいたもので、真中はミロク様、四柱の仏は四天王又は四魂ともなる。即ち荒魂、和魂、幸魂、奇魂である。四柱はミロク様のお仕事を分担されている仏様である。

五秘仏と四魂

“御神殿におかけしてあります五秘仏のお働きについて御伺ひ申し上げます。

“五秘仏といい、真言密経の中に説いてある。  ミロク様の家来。(四天王である)東西南北になる。神道の四魂を人格化したもの。勇智親愛である。ミロク様のお働き四つと解してもいい。 (S24・6・26)

五秘仏の御姿画

“此の所にお祭りしてあります観音様の、上下にあります御四方の事を御教へ下さい。

“五秘仏で、昔からある。真中はミロク。

  四天王――四人の重要なる弟子で、後は想像してもらえばいい。

五秘仏(熱海別院)

“熱海別院の御神前に御祭りされて御座います御観音様は何と申し上げさせて戴けませうか。

“五秘仏といい、真中がミロク神。四人の家来又は四魂である。

五秘仏の表象

“正面にお祭りしている御軸の御姿の謂(イワ)れをお教へ下さい。

“五秘仏、四天王、四魂、四柱神の表象。(S24・2・10)

五秘仏

“こちらの床の間にあります観音様のお姿の謂れをお教へ下さい。

“五秘仏は仏教にある。

  ミロク様――。

四天王

“観音様の四天王の謂れ――

“四人の重要なる家来で、敢て観音様のみではない。人間でも四天王とか三羽烏はある。

  四人偉い人がいる事――それだけのものである。(S23・11・21)

四天王

“四天王とは如何なる方々ですか。

“仏教にある。天王―天とか王は印度の位である。

  四天王は仏語から出たもので、偉いのと悪いのと両方ある。(S24)

瑞泉郷と周辺の御計画

“二間道路にする。橋もかけかえる。道路へ桜の木を植える。渓流の両側へも桜――。花苑も作りたい。熱海の名所にしたいと思ふ。

  低い山はつつじ山にする。  その上に京都風の日本建築にする。つつじは岩崎さんの別荘から千本買った。

  山の平らな所へ凡ゆる花を造る。それで貿易をしよう。くちなしの八重は、花の中での最高の匂ひである。三百本余買ふ。蘭は非常に売れる。一輪五分といふ。蘭ぐるみの温室がある。西山に温泉源地がある。温泉熱による温室にする。鶏の孵化も計画中である。(S23・3・20)

瑞雲山石崖の石の奇蹟

“地上天国岩盤、ここだけに石崖や石があって尨大なものである。之は大奇蹟で、何萬年前からの御経綸によるものである。今ちょっとした石が百円、八十円、運賃が四十四位する。

  ――――――――――

  瑞雲天国――。椅子一千―一千五百、建物の外廊へ一千五百で、計三千人容るる。三十万仕入れ、三万坪位――。(S24)

五六七教会と教団

“五六七教会は  日本観音教団の中に含まれるものでございましょうか。右御教示御願い申し上げます。

“時と場合により五六七教会は教団の中のものと言ってもよいし、別のものと言ってもよい。  (S24・1・28)

観音教団と五六七教の関連

“日本観音教の名称と五六七教の関連と、及び仏教、キリスト教と対比した場合の名称につき御教示御願い申し上げます。

“日本五六七教は渋井が分会をやっていた。観音教の中へ入っていると活動し難い、十の中六つか七つの成績を上げている、後全部で三つ位だが、五六七会が活動するのに三つの分会の為に掣肘される。分会長会など開くなど、一々やらうとする事を規則など作らなくてはならぬ。そういふ事が理屈に合はぬ。その為に別に思ふ通りやりたいといふ理屈である。

  観音会も五六七会も同じ事で、それで仏教――名称を使ふだけで同じものである。  活動や救いの都合でいろいろになる。将来一つになるかもしれぬ。名称も出来ている。  (S23・12・28)

将来の教会様式、県別・都市別教会設置

“一、御道の発展につれ将来各地に教会の建設が予想されますが、現在のキリスト教々会の様に、一般の方が一見して「あれは観音教の教会だ」と判る様式のものが逐次御指導頂けますものでせうか。

  二、同様に将来の発展に備へ、各府県の中心都市に各分会総合の行事等を執り行なへる教会が設置せられ、その地方発展に主動的役割を果す事が出来ますれば結構かと存じますが、この点如何でせうか。

“一、独特の様式が出来るであらう。キリストのようでもいけないし、仏教のようにみえてもいけない。

  二、無論実現する。県別、都市別、もう一層発展するとそうしなければならぬ事になる。  何よりも本部が出来なくてはならぬ。

(S25・2・3)

大光明教会に就て

“大光明教会は大先生様にあまり御無礼なる為、昨晩狐霊に伺ひましたところ、必ず滅びるとのことでございました。事実のことで御座いませうか。

“深町といふ男がやっている。仕様がない。元大本教にいた。その頃知っていた。暴れて評判の男で、四、五年前から本教へ入らうとして来た。

  生花の花の如くパッとやって散るやり方ではいけない。「私の方では地味にコツコツやる方式だから向かぬ」と断わったが、「やる」といふので―教修を受けて病気を治す―といふので藤氏が遇った。そして中途から間違った事をした。教団を利用して顔役になる事を企て、金を誤魔化す。渋井氏が使った。最初はよかったが、宝山荘へ蟠踞した。そこで出さなくてはならぬといふので、話同会を――。すると今度は信者の方へ働きかけた。そして是非にといふものが五名あるといふ。聞けば不平があって深町の方へ入るといふ。それをお許しになったが―そして信者を奪ってはいけないと言ったが、やはりコッソリ引っ張る。実に卑怯である。ハデにやると経費が掛る。大先生より金をおやりになった。然し信者は碌に出来ない。又真面目な信者はない。又金を借りに来た。逆である。「金を作り献金するのが本当である。当方へ来る金は信者の血と汗の金である。宿屋は温泉へ入る客が泊るべき為に出来たもので、清い神様の話をする為にあるべきでない。別の家で本当の行り方をやれ、そして宿屋を引払ふ事、人寄せをしない事、それが出来ないならよせ」と言ふと、「大芝居をやる」といふ。そして表面絶縁するといふ。で、「勝手にやれ」といふ事になった。(S24・5)

深町の事

“同じ大先生の御光を渡す大光明教会では独特の浄霊法を行う由、印刷物に広告して居りますが、独特の浄霊法とは一体どんな方法でしょうか。之の浄霊法を受けると皆がブルブル震え出すそうですが、如何なる理由でしょうか。尚鎮魂帰神の法とはどんな事でしょうか。御尋ね致します。

“知らぬ。深町は大本教時代の知合いで、去年の秋からやらしてくれといふ。  有力な人が紹介して来て「助けてくれ」といふ。「コツコツやれ」と言ったら――野心のある人で、インテリ方面に顔が広い。(和同会の会員あり)話のうまい人で、その連中に宣伝したいといふので、特殊の斯ういふのを作った。処7が元からの信者に働きかける。之は絶対いけない。今は海とも山ともつかぬ。良いとも悪いともいはぬ。固まっている。元の動き――。

  絶対に触れないようにしてもらいたい。因縁によって繋るんで、自分勝手に離れたりなどは、絶対にいけない。出発点がそうである。 

  勝手にやらしてる。或は善い事をするかもしれぬ。神様がやらしている。

  諸君は因縁が違ふから、関係ない。

観音様の渡来

“我国に於て仏教渡来前、既に観音信仰があったと云ふ事で、例へば那智観音は千数百年前に滝壺から御本尊が裸行上人なる道人の御手に飛び移ったと拝承致しますが、仏教渡来以前の観音様につき御教へを御願ひ申し上げます。

“そう古くはない。仏教渡来の少し前位で、支那との交通をするようになってからである。

  観音様が駒形から上ったのも神秘である。(S24・7・1)

光明如来の御名の記録

“昨年十二月十五日入信の下村昌吾(五十三歳、歯科医)より左の様な質問を受けました。「私は観音様の信仰は親の代より引続いて致しています。然し光明如来様を御祭りして、観音様と言って居られますが、  光明如来様の御出ましになられた根本が何処から出られましたか。釈尊の言った仏法の書物にはそうした事が出ていない様に思はれますが、如何なる書物に出ているのでしょう。御伺ひして下さい」との事で御座います。御教示御願ひします。

“観音様はいろんな御名がある。

  光明如来様はある。法華経の訓読の裏にある。(S25・1・17)

中国に於ける観音様の位置

“或る中国人の信者の話に依れば、中国では御観音様の御名は各地に知れ渡って居りますが、釈迦、阿弥陀の名前は全然知れておらず、又霊界図には御観音様が最高位にあると申して居ります。如何なる理でせうか。

“之が本当である。

  日本は間違っている。真宗などが言い出したのだ。

  観音様は阿弥陀の脇立(慈悲の表はれ)などというが、我田引水から起った事である。

  印度へ渡られ、中国を通じて来られたので、中国では間違えずに来たのである。  蒙古、西蔵なども全部殆ど観音様であり、観音様を上にしている。

東洋に残る観音信仰

“西遊記の物語中、孫悟空一行が度々観音様に救はれて居りますが、此の物語は霊的に何か深い意味がある様に思はれますが、如何なるもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“泰やインドで残ってるのは観音信仰だけである。(S24・12・5)

観音様の出開帳

“当地方(岐阜県大垣市)にて本年四月、両国三十三ケ所、観音様の出開帳がありますが、これは何か因縁があるものでせうか。お伺ひ申し上げます。

“昔はあったが、今は何にもない。これからは意味がなくなった。世間の観音様もなくなった。

  こっちが元である。(S25・2・7)

妙音観世音

“観音経にございます左記の真義を御教へ下さいます様御願ひ申し上げます。  一、妙音観世音。二、梵音海潮音。三、勝彼世間音。

“妙音観世音は間違っている。之は弁天様の事を妙音菩薩といふ。市杵島姫命である。

  梵音海潮音、これもおかしい。梵語の海潮とい――。

  観音経は梵語の漢訳であるから、間違っている。字の意味からいふと意味をなしていない。坊さんならこじつけて言ふが、確実な根拠がなくてはいけない。

  勝彼世間音など出鱈目である。(S24・7・22)

普門品と観音様と釈迦、(釈迦の改悟)、善言讃詞の内容

“普門品で観音様を讃えられたのは――。又、観音と釈迦の関係――

“釈迦である。釈迦が七十二歳以上になって説いたのである。事実が判って説いたのが法華経である。

  善言讃詞も観音礼讃を以て未来を語ったものである。

  釈迦は、婦人関係で良くなかったといふ。それが観音様の教えを聞いて翻然として改悟、山へ籠ったのである。

  故に観音様の弟子であり、又、母である。

観音膝下釈迦修行年限、(観音のバラモン)

“観音様の御名とバラモン――

“観音様は伊都能売の神であるから、神力があり、その頃印度はバラモン教が盛んで、難行苦行が行はれたが、観音様には敵はず頭を下げた。

  釈迦は観音様の下で七年間修行した。之は七年、九年、十一年などいろいろの説があるが、七年が本当である。

  本当は観自在菩薩といふのであるが、観世音といふのは支那の鳩摩羅什といふ人が名づけた。

  その頃印度で一番偉い神として選ばれたのが自在天で、自在天の世を観てるといふので観自在といった。

  禅宗などで、世の音声を観るといふが、  之はそんな事はない。

  (S23)

大日如来菩薩となるか

“大日如来は菩薩となる場合は何といふ菩薩で御座居ませうか。

“菩薩にはならぬ。如来のみである。(S  ・10・14)

釈迦最大の功績、(生誕、涅槃、成道の日)

“釈迦は四月八日が誕生日、十二月八日が成道の日、山へ入って暁方の星瞬く如くをみて悟った。二月十五日が涅槃の日(亡くなった日)。釈迦が悟りを開いた事は、人間の行ふべき道を知ったといふ。

  之は本当いふと間違っていないが、特に有難い事を知らねばならぬ。

  古い以前からバラモン教があり、難行苦行した。達磨もバラモンの行者である。羅漢も行者の行をしている姿である。十六羅漢とか、五百羅漢といふ。難行苦行せず楽に悟りを得る、之が優れた功績である。

  涅槃の時は急病起り、外で亡くなった。家へ帰る暇がなかった。

  釈迦没後二五○○年、二六○○年両説あり、二六○○年が本当らしい。

唯我独尊

“釈迦の言葉の「天上天下唯我独尊」とは如何なる意味を含めているもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“釈迦としては世界中で自分が一番偉いと言った。その時代ではそうだったに違いない。生れてすぐに言ったといふが、それは嘘である。キリストは神の子といった、それで神が知らすのである。  (S24・8・22)

釈迦の性

“釈尊の前世の神名、及び現在は男身ですか女身ですか。御教へ下さいませ。

“女である。人間でも女や男に生まれる。霊界では女である。(S24・7)

釈迦の神名

“釈迦は観音講座にては豊雲尊とうけたまわっておりますが、信仰雑話には稚姫君尊となっておりますが、どちらが本当で御座居ますか。御伺い申し上げます。

“(之は間違いであらう)  (S23・10・19)

阿弥陀と釈迦の姿の差異

“阿弥陀様とお釈迦様の御姿はよく似ていて見分けがつきませんが、その差異を御教えを御願い申し上げます。

“釈迦は頭の真中が禿げている。何にも飾りがない。

  阿弥陀は縮れっ毛で禿ではない。頭に飾りがある。縮れっ毛は葡萄の形をしているといふ。

  大仏は阿弥陀の姿である。

  仏の方で、どっちともつかぬのがよくある。  大抵感じである。釈迦は人間じみている。  シャム、チベットなど釈迦が多い。

  阿弥陀は仏じみている。霊の働きであるからである。(S24・4・21)

阿弥陀の事蹟

“諸々の聖者の御事蹟は種々御座居ますが、阿弥陀に就ての御事蹟のないのは如何なる訳でございませうか。

“阿弥陀にもある。釈迦の友人法蔵菩薩で、西方浄土を作り、等覚を得たものを安住させると約した。

  法蔵菩薩は早期に印度の西方へ隠居した。

  法蔵菩薩は釈迦の後輩である。釈迦と約束した。それは西方に浄土を作るから、仏になったものは寄越されたいと言った。

  浄土は印度、出張所が日本にあった。もう帰られた。以前私が善光寺――。

(S25・2か3)

阿弥陀の御協力

“先日の御言葉にて「阿弥陀様はもう印度へ帰られた」と承りましたが、阿弥陀様も元の御神格、月読尊におなりになって、五六七の御代の御建設の御手伝いをなさる事と存じますが、  この点如何でしょうか。  又、御釈迦様は如何でしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“そうである。

  印度へ帰ってもすぐならぬ。いろいろ準備や部下へ納得させる。月読尊の働く時期もある。簡単にはゆかぬ。

  釈迦も同じ事である。(S24・7・23)

阿弥陀は慈悲の表れ

“門徒宗の信者さんが最近入信され、  御屏風観音様を御迎へ申し上げ、御祭りさせて戴きました。十年程前、門徒宗本山より「南天不可思議光如来」なる軸を下附され、阿弥陀如来の両手の働きをされると云ふ仏説があり、二体御祀りして御座居ます。此の意味に就て御願ひ申し上げます。

“之は出鱈目である。本願寺は何でも出鱈目である。

  観音は阿弥陀の慈悲の表はれといふが、之は逆である。阿弥陀は観音の慈悲の表はれで、阿弥陀は日本にいない。(S24・7・2)

地蔵の本体

“一、お地蔵様はどういふ仏様でございませうか。

 二、よく遭難者があった所にお祀りしてありますが、これは地蔵様の御力によって地縛の霊が救はれるものでせうか。

“一、阿弥陀の化身、法蔵菩薩である。地蔵は道しるべで、悪い心の人が、心が緩和する。

 二、変死した人など地蔵に祀るが、罪がある人は地蔵の役をさしてもらい、罪がとれる。であるから地蔵として祀るのは大変よい。世間の人の救いで、罪がとれて地蔵に憑れる。

  お道の話、差支えなく、あまり嫌味なく、簡単率直にやる。 (S25・5・3)

地蔵と子供

“毎年八月二十三日地蔵盆と云って地蔵様の御祭りを行ひます。その際大勢子供が集まって来ます。地蔵様と子供の関係及び観音様と何かの関係があるのでせうか。又、地蔵様とは如何なる神様でせうか。御教示お願い致します。

“地蔵の本体は法蔵菩薩であるから、阿弥陀になる。地蔵は地の働きをする。頭を坊主に、よだれ掛けをし、赤ン坊の姿をして守護する。子供の働きである。

  観音は日、阿弥陀は月の関係になる。  (S24・9・8)

天国と浄土と昼の世界、阿弥陀と素盞嗚尊、霊国と天国・極楽

“阿弥陀の本体は月で、神素盞嗚――。六字の法名が阿弥陀で水になり、日蓮は五字の法名で、火になる。

  最初、法蔵菩薩が阿弥陀になる。釈迦との約束により西方浄土を作る。実際に楽土を作った。  そして霊界にも浄土を作った。

  寂光は月の光で、黄金色の光線――。

  素盞嗚尊は印度で阿弥陀如来と生れ、  西洋ではイスラエル(猶太)の祖先となった。故に西洋文化と関係がなくもない。

  神道では天国といい、仏教では極楽といい、之は同じ意味であるが、霊界では違ふ。

  極楽は日で、日蓮等は之である。浄土は月になる。

  天国は日の世界、霊国は月の世界といふようなものである。

  夜の世界がなくなると、日の国のみになる。

十八仏

“仏教の説教中に何歳で死んでも「十八仏」  になられると言いますが、「十八仏」とは如何なるもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“十八仏になるようにしたいといふ希望である。

  十八はミロク、ミロクに救はれるとかミロクに近づくとかいふ意味である。

  (S24・5・21)

弥勒仏

“日月地大神と法華経の弥勒仏とは同一神仏と考えさして頂いてよろしいものでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“法華経の弥勒は釈迦の弟子である。(S23・11・18)

普賢、文珠

“普賢・文珠菩薩に就て――

“普賢は女で、象に乗っている。優しい愛の仏である。

  文珠は男で、獅子に乗っている。智慧の仏である。(S25・2・12)

金剛童子の尊称、(不動と仁王)

“先日、或人が御浄霊により霊憑りとなり「私は神と迄は行かぬが金剛と申すものである云々」と申しました。これは金剛童子かと思いますが、如何なるもので御座いましょうか。又、俗に金剛童子とか、善財童子とか申しますが、こんな童子といって未完成、未成人と思われるものを尊崇致しますのは如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“仏の方で金剛などの位とか名はあったものである。善財は釈迦の子供の時の名である。尊崇していふ言葉で、大した意でない。普通の人より上といふ程度の尊いものとして敬えばよい。

(S24・10・11)

  不動様は観音様の弟子。

  仁王様の神名は、楠岩間戸の神といふ。(S24)

鬼子母神の信仰

“鬼子母神とは如何なる御方で御座いますか。御伺い申し上げます。

“人間の子供をとって食ふ。しきりにやってとうとう釈迦によばれ、そういふ事をしてはならぬといふので、柘榴の実を食えと言はれた。それから改心して善い事をするようになった。

  利益もあるが、今は駄目で、これからは伝説で、信仰的対象とはならぬ。

  (S24・5・21)

鬼子母と柘榴

“鬼子母神に就て御説明御願い致します。

“伝説にあるが、いろいろの説がある。人間の子供をとって食ふのを釈迦がその誤りを諭した。それで改心し人助けをして神に祀られたといふ。柘榴を食べるよう言はれた。それで鬼子母の絵姿には柘榴がついている。  (S23・10・13)

鬼子母霊統

“鬼子母神の霊統及び因縁に就て――、

  右、御教示御願い申し上げます。

“人喰い婆さんである。釈迦に改心させられた印度人である。霊統は判らぬし、判る要はない。

鬼子母の利益

“鬼子母神様に就て御垂教下さい。子宝が授かった等、御利益を聞きますが、本教から見て正しいものでせうか。

“仏滅で、釈迦に力がなくなったから、もうそんな事はない。(S24・10・9)

空海の奇蹟

“僧空海の奇蹟を現はせし法力は如何にして発揮されたのでありませうか。

“大体に於て大した奇蹟は表はせなかった。病気治しは全然出来ない。それはあの灸で判る。如何に治せなかったかを証明している。

  真言にはいろいろ修行がある。奇蹟は役の行者の方が余計に表はした。阿闍梨の位になると相当奇蹟を行ふ。「キュウキュウニヨジツレイ」などと呪文を唱えると……阿闍梨になると、霧を晴らす事が出来るといふ。之は吾々の方でも出来る。霧へ向って天津祝詞を奏げると霽れてゆく。

  石芋などは本当のものではない。

弘法の履物

“弘法大師は人類救済の為観音様と関係御座いませうか。弘法大師の仏像の前に履物があり、他の諸仏の前には何も履物は見えない様ですが、何か意味が有るので御座いませうか。お伺い申し上げます。

“弘法が良い履物が好きなのであらう。人類救済の為などといふ事は弘法にはない。日本救済位であらう。(S24・11・8)

道元の死後

“道元禅師は其の著「正法眼蔵」の中で霊魂不滅を否定しておりますが、霊界ではどんな生活状態で居りませうか。又その教えをうけた曹洞宗の信者は霊界を信じて居っても帰幽後道元の指導をうけるもので御座居ませうか。

“霊界へ行っては、暫くはボヤボヤしている。然し早く悟るから救はれる。

  (S24・6・3)

日蓮は狐霊使ったか

“日蓮宗の信徒の中には多くの狐霊が働いて居りますが、  日蓮上人は、布教伝道に当り自ら狐霊を利用したでしょうか。

“日蓮上人が狐霊を使ったのではない。行者が使った。法華経を奏げると狐は通力を増す。観音経は一番嫌ふ。(S23・12・3)

禅宗

“「地上天国」第十五号に、『仏教の中禅宗が最高である』と拝見致しますが、これは霊的にどの様な意味でせうか。

“霊的より寧ろ体的で、禅宗は一番行ないが浄い。禅宗の坊さんは智性は高いが広さに欠けている。一休、沢庵など私は好きだ。隠元も偉い。

(S25・5・13)

普門品と観音教団

“法華経第二十五普門品の観音様と本教の観音様との異同を御教示願ひます。

“仏教は印度から支那、日本と来て、日本で花を咲かす。印度はもう済んだので必要はない。日本で花が咲く。その実が観音普門品で、日本で花を咲かすのは法華経のみである。

  南無阿弥陀仏等、全部月の系統であるが、法華のみは日の系統である。それで日蓮といふ。二十五は日の出といふ事、その花が散ってかつての観音教団が生れた。観音は光明如来となられ、弥勒となられる。法華は仏教の花である。  一代法華と言い、一時は非常に良くなる。教団が生まれれば用はない。実の主だからで、実が今育って段々発展してゆく。本地垂迹である。  (S24・11・27)

観音下生(御位と時の事情)

“御讃歌集には観音下生と弥勒下生と別になっていますが、別個のものですか、同一のものですか、御説明下さいませ。

“観音下生も弥勒下生も同じだが、お働きによって違ふ。時期が来なければ、菩薩ではお働きが出来ぬ。いくら神様でも、その時の事情で低くなくてはやれぬ事がある。高い位でもその時の事情で……、寧ろ観音下生して、弥勒出世なさるといふ事がはっきりしていい。下生は大衆の中へ生まれる事、胎蔵といふが、弥勒が生れぬうちは、仏界の中に胎っている訳である。もう弥勒は直きに下生する事になっている。あんまりはっきり言えぬ。

観音下生と五六七神出現

“観音下生と五六七神出現に就て――

“弥勒と観音は同じであるが、観音から応身弥勒となり、五六七大御神となられる。  弥勒下生と言ふが、観音下生とは言はない。

  下生は下層社会(階級)へ生れる事である――。(S23・12・3)

胎蔵界と弥勒下生、胎蔵弥勒

“「胎蔵界に出でます弥勒を只管に待ちあくがるる諸善天人」  とあり、又「金剛界に弥勒下生を待ち望む諸善諸仏や八百万神」と御座います中の胎蔵界を夜の世界、金剛界を昼の世界と解しておりますが、胎蔵界、金剛界の意味に就て御教へを御願ひ申し上げます。

“胎蔵とは、弥勒は仏教から生まれるので、仏教の中に胎ってるといふ意味である。故に一名胎蔵弥勒といふ。昼間の世界に生れるミロクである。弥勒が生れると仏教はなくなる。下生とは下へ生れる、下層階級に生れる事である。(S24・7・22)

胎蔵界・金剛界、(日と月の世界)

“胎蔵界、金剛界は如何なる処でせうか。

“胎蔵界は月の世界、金剛界は日の世界である。胎蔵の弥勒といふが、之は弥勒の世界は仏教の中に胎蔵されている事である。

胎蔵界、諸善天人

“「胎蔵界に出でます弥勒を只管に待ちあくがるる諸善天人」――

“胎蔵界――弥勒が生れないうちは仏教が胎蔵界になる。仏教の中に含まれている。  仏滅後同時に弥勒が表はれる。弥勒下生といふのは、中流以下に(下に)生れる。諸善天人とは、悟りを開いた人、正しい人とかいふ事である。(S23・10・19)

胎蔵界、金剛界

“胎蔵界及び金剛界に就て御教示の程を御願い申し上げます。

“胎蔵――弥勒が表はれない世界  ――仏教――夜――月の世界。

  金剛界は太陽――太陽の光は金となる。

  弥勒下生して金剛界となる。

  胎蔵界とは仏語であって、五六七の世を蔵する世界、即ち今迄の世界、夜の世界である。

  之はいろいろ神秘がある。(S23・12・8)

金剛・胎蔵、日月光の色

“金剛界と胎蔵界に就て――

“仏説で、胎蔵は胎ってる、隠してある事。仏滅後、弥勒菩薩が表はれるといふ。  日の光は金の色、月の光は銀の色。(S24・2・12)

金剛界・胎蔵界と現在

“金剛界及び胎蔵界と言ふものは如何なる世界でせうか、御説明御願ひ申し上げます。

“金剛界は火の世界(昼)、胎蔵界は水の世界(夜)で、仏滅後弥勒が表はれ、ミロクの世となるので、今はもう胎蔵界でも仏教でもない訳で、過ぎたのである。

(S24・11・17)

紫微宮界

“紫微宮界の意味――

“極楽の最高のお宮である。

曼荼羅

“曼荼羅とは―― 

“仏教でいう理想又は仏体――。仏教的最高のもの、最高の目標をいふ。

十万億土

“仏説の十万億土とは如何なる所でせうか。

“極楽浄土の事で、阿弥陀様のお側の事で、昔はすべて大げさに言った。例えば五十六億七千万年の如き、大変遠いやうだがすぐ目の先にある。

蓮華に就て

“蓮華に就て左の点を御伺ひ申し上げます。

  一、仏様は蓮華の上に坐って居りますが、不動様は頭に戴いて居りますのは如何なる訳でせうか。

  二、月日の命を養ふ蓮華とあります。是は如何なる意味でありませうか。 

三、是の蓮華が無くば娑婆もなく国土もなく仏法もなく世法もなく、故に仏の台を蓮華と云ふとありますが、その意味はどういふ事でせうか。

  四、蓮華の大きさは四十万方里もあると聞いて居りますが、私達は死後天国に行き、そんな大きな蓮華に坐るのでせうか。

“一、不動様は位が低い。蓮華台の下になる。それを表はしている。

二、蓮華は印度では一番位のある花としてある。彫刻など、蓮華台を作って座られたものである。之が蓮華台になる。周りの山が花ビラである。それだけではないから――。東方に海が見える。

  三、コジツケである。仏教の講座など殆どコジツケである。梵語を漢訳したのを日本語に考えるのであるから、そうなるのである。

  四、出鱈目である。  そうすると全宇宙が蓮華台といふ事になる。そんな馬鹿な事はない。泥から咲いた蓮が全宇宙の代表物といふ事はない。そうすると蓮華が仏より上になってしまふ。

  花の上でなく、蓮の葉の上に座れる。二人位しか座れない。蓮華は仏でも徳のある者が花の髄へ座る。白髪三千丈の類(タグイ)である。

(S24・7・6)

十八願

“仏説の第十八願と、五六七教で言ふ方法とは理論上違っているようですが、十八の数の間に何か連絡がありませうか。

“大いに連絡がある。十八はミロクの数。  五六七は十八になる。六六六も三六九も十八。十は結ぶ。八はひらく。

  昔から十八の数は一番いいとしてある。それで観音様は一寸八分で、お堂は十八間四面である。善光寺もそうである。非常にいい数である。観音様の参詣の日も十八日になっている。(S24・8・9)

五六七の訓の創始

“五六七を以て「ミロク」と読む事は、大先生様が最初でございましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“釈迦が最初である。(五六七)、ミロク。火水土は大本教――。(S24・5・23)

五十六億七千万年、(予言の範囲) 

“目下五六七の御代と宣伝されて居りますが、無理解の輩は「釈尊入滅後三千年足らず、  五十六億七千万年等の数字に達しないではないか。余り早過ぎる」等と申し、疑心満々の反感を抱き居りますが、此の輩に納得の出来る様な適当な説明の御言葉を御教示下さい。

“五十六億七千万年も経てば事実地球はどうなっているか分らぬ。予言の必要価値はない。予言の範囲は数千年位である。五六七の数字を言ったもので、火水土の順序が正しくなる事である。  (S24・8・16)

五十六億七千万年

“五十六億七千万年なら実際予言の要なし。之を真面目に予言したとすれば釈迦は馬鹿である。数千年か(五千年位)が予言の限度であらう。

  人間が発生してからでさえ、億といふ数はない。五六七の数を言ったものである。  (S23)

煩悩即菩提

“煩悩即菩提とは――

“諦めいい為に斯ういふ言葉を作ったものである。

  凡ゆるものに対する煩悩――いろんなものを欲求するのが煩悩で、それをなくする事は反対の結果になる。疑いは信の初めなりといふが如しである。

  即身成仏といふが、之は生きてるうちに仏になれるといふ訳である。

  (S24・7・11)

色即是空

“「色即是空」に就て――

“仏語で、大した意味はない。色情も之空だ―という意味―即ち一時的なもので、大したものでない事、死ぬほどの熱情も結局空である、客観的には何でもない事だ。  恋愛に支配されてはならぬ。之を支配しなければならない。(S23)

耳根円通

“仏法にいう「耳根円通」とは、どういふ訳で御座居ませうか。

“耳根とは耳の根、耳の根本の事。円通とは完全に通ずる事である。道理が判る事である。そのまま円満に判る。今の人間は素直に聞かぬ。

阿耨多羅三藐三菩提心

“観音経普門品二十五に「阿耨多羅三藐三菩提の心を起しき」とありますが、阿耨多羅三藐三菩提とは如何なる事でせうか。お教へ下さい。

“梵語の漢訳であるから、真の意味は分らぬ。よく解釈するが、皆コジツケである。要するに、菩提心を起す事であらう。(S24・11・8)

因果の意味

“因果応報とか、親の因果が子に報いと言いますが、罪の事を言うのでしょうか。他に因果というものが御座いましょうか。

“因果とは罪である。親のみでなく、祖父も何十代前の罪もある。カリエスなどはそれである。近年多くなって来た。古は少なかった。世の中が段々変って来たからである。(S23・10・13)

業因とは

“現世の業因が転生並に宿命として表はれる実相に就て――

“因果応報の事である。(S25・2・17)

仏法僧

“三宝としての仏法僧の意義に就て御伺ひ申し上げます。

“釈迦の時は仏法と言ったので、後で仏教とした。釈迦が法を説き、僧が弘める。正像末といふ。  (S24・5・17)

如来・菩薩の名

“如来・菩薩の称号の意味を御垂示お願ひ申し上げます。

“印度の位で、如来・菩薩は天の名で、尊者の名も沢山ある。天が一番上である。

諸善天人

“仏教の方の詞である。諸善諸菩薩とかいふ。つまり修行の出来た末、生仏になった人達の仏語である。

須菩提

“光明真言経にある須菩提は何様に相応しますか。又金剛薩は何様ですか。“之は釈迦の説いた弟子の尊者をいふ。後と前とはちがふ。

般若

“仏典では般若を智恵又は光明と訳していますが、誤釈でせうか。又般若心経及び般若菩薩に就て御説明をお願ひ致します。

“般若は梵語である。(S24・7)

沙羅双樹

“御歌集「山と水」中に御座います「沙羅双樹」はいかなる木で御座いますか。御伺い申し上げます。

“菩提樹とも橄欖樹ともいふ。釈迦が説教したり、その樹下に行をした。

  (S25・3・18)

無明

“「仏教の無明」とは如何なる事で御座居ましょうか。御伺ひ申し上げます。

“暗黒、地獄といふ事である。  (S24・11・17)

女は罪深いといふ事、(男の世界)

“既成宗教では女性は特に罪が深いと言はれておりますが、何かわけがございますでせうか。

“斯んな事はない。  どっちにしても悪い事をした人は罪が深い。斯ういふ点から言ふと思ふ。男が権力が上であるから、男の方が罪が多い。  英国の或女流小説家で「男の世界」を書いた。男が作った世界といふのである。凡ゆるものは男の都合のいいように作った。日本は特にそうである。女が一番男の罪の原因になっている。故に犯罪の裏に女ありといふ。男は女に罪を着せる。寧ろ今迄の日本は男の方が罪は深いと思ふ。或は女は汚れてるといふ。そういふ自分は汚れた女から生れて来ている。(汚れるといふのは月経があるからであらうが、之は神が決めた生理作用である)(S24・11・14)

況んや悪人をや

“親鸞の言葉に「善人は救われる況んや悪人をや」という事がありますが、それでは悪人の方が救われる事になりはしないでしょうか。

“悪人は救はれる事を諦める事がある。(罪を犯したので畳の上では死ねないと諦めてる)そういふ者の為に言った言葉で、強く言った言葉である。字通り解すると大間違いになる。

  善人は当然救はれるが、悪人を先ず救ふ要がある。

  悪人は諦めているもので、それを救ふ為に言ったのである。(S24・10・23)

化土の往生

“仏教にて念仏を一心に念じても、救はれて化土の往生しか出来ないと云ふ説教師がありましたが、如何なる訳でせうか。お伺ひ申し上げます。

“大した事ないといふ意味である。之は本当で、いくら南無阿弥陀仏を唱えても救はれぬ時期になっている。(S24・9・7)

人と猫の段階、五劫の意義

“之はいい加減なものである。(昔真宗の坊さんが言い出したものであらう)六十段なら意味があるが、五十二段なら意味ない。人間と猫(動物)は少くとも六十段は違ふ。(一段は変だ、形からいっても一段の違いでない)

  未来永劫といって、長い期間を言ふ。人類社会――。

  五劫といふのは、木火土金水を言ったのであらう。五劫と永劫と違ふ。劫――(罪を言ったのであらう)濃い罪、五つの罪――。

  之もはっきりしない。梵語を漢訳したものを日本語にしたのだから。(当にはならぬ)  (S23・8・7)

仏教と牛

“「牛に曳かれて善光寺詣り」等の言葉がありますが、仏教と牛とは何か特別の意味が御座いますか。

“特別な意味はない。大した意はない。

優曇華の予言と吉凶

“一、優曇華の花。

どんな場合に咲きますか、又色によって、良悪を云いますが、何故ですか。  二、七夕の意味。

“一、之は両方ある。日本では花でなく虫といふ。本当の優曇華は印度にある。大した事ない。  然し全然意味のない事はない。偶に咲く。印度の言伝えによれば、転輪菩薩が表はれ、一切衆生を救うという伝説があって、非常に良い事か、悪い事があるという。別に気にする要はない。いくらか何かあるようだが、信仰している以上何でもない。

 二、作り事である。(S23・9・16)

優曇華咲く

“優曇華の花が「地上天国」の御額の上に咲いたのですが、霊界とどういう関係があるのですか。

“日本で言ふ優曇華の花は虫である。虫の卵といふ説もあるが、微生物である。  印度のは本当の花で、これが咲くと転輪菩薩が現はれて、大きな功徳を恵むといふ伝説がある。(日本でもそういふ事を言ふが、間違っているとはいえぬ)

  大して気にかける要はないが、全然なくもない。何か変った事はある。悪い事としてあるが、浄化であるから善い事としてよい。

(S23・10・13)

優曇華(日本のもの)

“「優曇華の花」が咲くと良い事があるとか、悪い事があるとか申しますが、如何なる理由でせうか。

“優曇華の花が咲くと、  転輪菩薩が表はれ慈悲を垂れるといふ。日本の優曇華は虫の卵で、あれが咲くと何か変った事があるといふ。悪い事にしろ善い事にしろ変り事がある。

  然し、その人に罪があれば悪い事になり、罪がなければ吉い事になる。然し結局はどちらも良い事である。

優曇華と災難

“三千年に一度花を開くと伝えられます優曇華に就て御教示を御願い申し上げます。

“(印度の伝説である)日本では大きい災難のある場合など咲く。悪い方が多い。  (S23・11・18)

優曇華と信仰

“優曇華に就て、

昨年親戚に優曇華が咲き、次の様な結果となっております。私の許にも只今咲いておりますが、如何なるものか御教へ下さい。

  Aの家、主柱の上敷居に茶色で横に咲き、嫁を失っております。

  B、兄の家ですが、山のみかんに咲き色は緑、五月発見して十月兄の妻が脳溢血で急逝して居ります。

  C、私の家、昨年九月寝間の天井に白で三ケ所咲き、二つの結果を見ておりますから光明如来様に御願ひして祈念して居ります。いまだに消えません。何だか気懸りで御座居ますから、御教え下さい。

“優曇華は日本では虫としてある。本当の優曇華は印度に咲くもので、大変に芽出度いとしてある。日本では不幸の事が多いようである。あまりいい事はないようである。信仰に入っていれば少しも心配はない。もし何かあれば浄化であるから、心配ない。(S24・1・19)

優曇華とゴノコッケン

“優曇華が家に出来ましたが、昔から、これが出来ると非常によい事か、若しくは悪い事があると親から聞いていたのですが、迷信とは存じますが如何で御座いますか。

“優曇華が出ると必ず何かある。虫の卵だといふが、  半動物で、苔のようなものである。動物といふのもある。

  ゴノコッケンは動物であるが、苔のようになる。(S24・7・18)

仏舎利の真偽

“法隆寺の仏舎利は本当におしゃかさんの骨で御座居ませうか。お伺ひ致します。

“釈迦の骨ではない、贋物である。本当の釈迦の骨などなら印度で放す筈はない。釈迦の弟子あたりのものであらう。(S24・10・8)

舎利の扱い

“火葬にして舎利が出来ますがどうしてでせうか。

“舎利とは人によってある。偉い人はあるとしてある。釈迦などは相当数あったといふ。今でも日本などにもあって、非常に尊んでいる。骨の小さい豆粒のようなもので、普通の人でもある。大して意味はない。大切にしてとっておいた方がよい。単にとっておくだけである。

舎利

“近頃、法隆寺の宝物に就て大分問題になって居りますが、五六七の御代になりますと  仏舎利などの価値は如何なりますでございませうか。

“今でもかけない仏がある。

  仏のある間は力がある。今日ではない。

  舎利は偉い人に沢山出るといふ。  (S24・10・19)

祀舎利の処理

“「おしゃり」とて砂粒の様なものを寺より譲り受けてお祀りしてあるそうで御座います。何う致したら宜しう御座いましょうか。

“そのままにしておく。

托鉢の可否

“僧侶の托鉢はしていいものでせうか、悪いものでせうか?

“昔はよかったが、今は適合せぬと思ふ。もう一層文化的のものがある。自分が食ふだけで他人に及ばぬ。往来へ、あんな恰好でブラブラしているのは通行の邪魔にもなる。

断食の功罪

“断食の功罪――

“之は一種のバラモンの行であるが、人間は三度乃至四度食ふように出来ているので、毎日食ふべきものである。断食してるとその間社会的仕事は何にも出来ぬから、それだけ怠けの罪を犯す事になる。故に断食は間違っている。一時は良くてもその先が悪い。

印を切る事

“昔から「印を切る」とか申しまして、  手の型により法力が違ふとか、又神想観等に於きましての合掌の仕方に色々型や理義が存在する様に聞いて居りますが、何か深い理が存するのでございませうか。手の型と法力、又私共が御神体に対しての合掌或は浄霊時の合掌法の正しい在り方及び霊的関係、理義等御教へ賜り度く御伺ひ申し上げます。

“印とか法力とか合掌など大した問題でない。行者はよく印をやるが、一種のバラモンである。仏教でも釈迦のやり方ではない。然し日蓮宗などは殆どバラモンを採っている。

  合掌でいい、真言でも印を切る事をよくやる。(S24・7・22)

蝦蟇・蟇目の法

“蝦蟇の妖術、蝦蟇仙人、或は蟇目の祈祷等の事が古来謂われていますが、蝦蟇はどんな霊性能を持っているので御座いますか。

“人間が蝦蟇になったのは沢山ある。神通力があるのがある。

  三すくみといい、五六七になる。蟇目の法といい、天と地を結んでいただくといふ方法である。(していただきたい)蟇目の法をしていただく――。

(S24・7・3)

授戒と血脈

“浄土宗や禅宗で五重とか授戒とか申しまして五日間の説教や剃髪の式を致し、其の後血脈と称する証書の様なものを頂き、それを大切に保存しておきその人の死体と共に葬る事が盛んに行なはれておりますが、何か霊的に意味が御座居ませうか。御教へ願ひ致します。

“キリスト教でいふ洗霊、本教でいふ教修である。五日間やるから五重といふのであらう。戒めを授けるとは、お守を授ける事であらう。剃髪、血脈とは、繋った――といふ訳であらう。(S24・5・12)

引導

“禅宗で引導を渡すと申しますが、如何なる意味でございませうか。

“霊に言い聞かす。改心さす目的で言ふ。(S24・5・22)

除夜の鐘、(百八の意義)

“除夜の鐘は如何なる意味が御座いましょうか。又、百八ツ撞くのは何う言う訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“仏教では、人間の煩悩は百八つあるといふ。その百八煩悩を鐘を突いて抹消する意味だと思ふ。珠数も百八つある。珠数によって煩悩を軽くする事になっている。  神様の方でも百八の数を用いる。百は十が十、即ち井で、十は霊体結ぶで、それが重なり、霊体となる。八は開くで、二重――を開く事になる。

(S28・12・21)

大文字焼

“京都の大文字山や箱根の明星ケ岳を始め、日本各地の山々に大の文字を山肌に表はしたものがありますが、これは如何なる訳で御座いませうか。特に大の字を火で焼く日が定められて居りますが、これは何かわけがあるのでせうか。

“意味がない事もないが、大の意味は今説明は出来ない。

  強い意味ではない。 (S24・8・17)

護摩と須弥壇

“山伏のような仏教、山岳仏教の一つの行の形式である。(山岳仏教は山岳を主とした仏教である)その時行者の掛けた(書いた)のが護摩札といふ。お守のような働きをする。

  須弥壇は、須弥仙山――最高の仏の住む所といふ。それを台にして須弥仙台といふ。(S23)

護摩焚く事

“護摩を焚くと言う事は何を意味しているので御座いますか。

“山岳仏教の行の一形式、護摩焚いて修行し、その時書いたものを護摩札といふ。  (S24・12・23)

行者の火渡り等

“大した事ない。御岳の行者がインチキをよくする。私の子供の時火渡りをするのを見たが、インチキな仕掛をしている。よく針で突いて痛くないとか、火をつかんで熱くないといふのがあるが、あれは本当で、行をすれば出来る。(S24・1・27)

火渡り・熱湯の行事

“御岳教の火祭り等に於て、火渡りや熱湯を浴びたりいたしますが、熱くないのは如何なる訳で御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“火渡り等熱くないのは修錬すればそうなる。塩を撒いて焚くと、真中の火が消えるのである。熱湯の場合は修錬すれば出来る。大いにインチキ性がある。

  バラモン教でやるのと、日本神道でやるのとは違ふ。

ハレルヤ

“御歌「メシヤ降臨」にあります「ハレルヤ」の意味――

“ハレルヤは芽出度いとか気持よいといふ意味である。(S24・5・22)

最後のラッパ

“御教えを頂きましてより聖書の事がよく判らせて頂いて来て居りますが、聖書にある最後のラッパは何を意味するのでございませうか。御伺いさせて頂きます。

“教団の宣伝が最後のラッパである。眼を醒さす鐘である。今迄日本では法螺を吹いた。  (S24・10・12)

人の子

“新約聖書のイエスの言葉の中によく出て参ります言葉「人の子」について御教示下さいませ。

“神の子であり、人の子でもある。(深い意味がある)一人子と言ってもいい。神は人の子となって天降るとか、人の子になって生れるとかいふ事もある。謙遜の場合もある。凡ゆる人間は皆神の子といふ等の事もある。(S23・12・28)

禁断の果実

“聖書に言ふ禁断の木の実は何の事で御座いませうか。

“之は神話だが、はっきりどうといふ事は言えない。例え話が多い。私は薬と思っている。人類は薬を服み始めてから非常に不幸になった。薬が病気を作り、病気が薬を作った。

禁断の木の実とエデンの園

“キリスト教では、アダムとイヴが禁断の木の実を食ったことにより人類の原罪が作られたと申しますが、之はどういう意味でございましょうか。又、原罪という事は如何に考えさせて頂いたら宜しうございましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“之ははっきり判らぬ。私としてのコジツケだが、禁断の木の実とは薬と思ふ。薬を服むと病気が起る。すると又薬を服まなくてはならぬ。私の宗教ではそう言えばピッタリする。キリスト教ではエデンの園とか言ふが、実際あったかどうか判らぬ。  モーゼが海を渡るなど可笑しい。

パリサイ人

“光新聞特集号の「健康による天国化」の御章の中に「パリサイ人」とありますが、如何なる人の事でせうか、御伺ひ申し上げます。

“キリストに反対した人間、  神に反した人間を言ひふらされた。(パリサイ種族、異端者)  (S24・7・5)

キリストと鳩

“キリストの霊と鳩はどんな関係にありますか。

“鳩は平和の使いとなっている。大して関係ない。(S25・3・3)

十二人の使徒――猶太の畳・鐘

“キリストの十二人の使徒は何を意味したものでしょうか。

“何を意味したんでない。最も熱心な幹部の者である。之は私の解釈だが、その中の一種族はイエス昇天後間もなく東の方へ向って出発し、それっきり帰らぬ。そして後漢の時代北方へ住んだ。それで今日は十一種族である。それが進歩的の民族で、大いに勢力を扶植しようとした。

  支那は今以て進歩的ではない。それ故西洋医学も拡まらぬ。それで自分の国は一番偉いと誇りを持っている。支那には五千年の歴史がある。私の所に周の時代の銅の花活けがあるが実によく出来ている。四千年前のものであるが、現代の銅器より巧妙である。日本などの美術工芸品などズーッと劣っている。斯ういふものは退歩した。現在は美術的価値が薄い。日本画などは大下落している。  今、筆でかいた画は展覧会など当選しない。絵は描くもので、塗り絵は工芸品である。

  畳とか古代の鐘など、西洋のそれとそっくりである。

  猶太文化が大いに入っている。(S23・11・3)

新約・旧約の作者

“キリストには十二人の弟子があった。その中一人はイエスに叛いた為、実際は十一人の弟子である。その当時、当局の圧迫がひどく、弟子達は皆逃避してしまった。十年の間はひっそりしていた。凡そ十年位経って皆寄り合って、教えの本を作らうといふので、皆でイエスから聞いた事を書いた。それがバイブルであるから、その中には間違ったものも沢山ある。

  旧約はモーゼが書いたもので、夢みたいな謎みたいな事が多い。

  (S23・7・23)

キリストと十二人の弟子

“キリストと十二人の弟子に就て――

“キリストには十二人の弟子があった。そのうち一人はイエスに叛いたため、実際は十一人の弟子である。

  その当時、当局の圧迫がひどく、弟子達は皆逃避して十年の間はヒッソリしていた。十年以上たって皆寄り合って、教えの元を作らふといふので、皆でイエスから聞いた事を書いた。それがバイブルであるから、キリスト御自身の書いたような訳にはいかないであらう。

  旧約はモーゼが書いたもので、夢みたいな謎が多いが、それは神憑りによったものである。ヨハネが作ったといふ説もあるが、之はモーゼが書いたといふのが本当であらう。

  仏教のお経とても釈迦の説いたものを弟子が書いたものである。釈迦はただ説くだけであった。

  圧迫のほとぼりの冷めるに従ひ内密に書いたのが聖書である。

  キリスト教徒には中々偉い人があった。アフリカ探険の有名なリビングストン博士の話を聞いた事があるが、偉い人で、私も感心した。此人はアフリカ探険の際凡ゆる危険を冒して伝道したが、土人の鉄砲に包囲された中を平然と通過した。彼の信仰は、「もし自分が現世に用事があれば絶対に神は自分を殺さぬ」といふ信念であったとの事である。

モーゼの奇蹟と戒律

“キリストも独善的で、頼りないものである。モーゼがイスラエル民族を率いて海を渡る時、海の水が分れたといふ事がある。之も馬鹿々々しい話である。

  その当時、戒律を作ったが、之は力が薄い為で、戒律は一つの束縛であって、自然に悪い事をしないといふのでなくては本当でない。

  (S23)

処女懐胎

“キリストの聖書の中に「聖霊により孕り」と云ふ言葉があり、処女懐胎の超人間説がありますが、真理でせうか。

“之は作りものである。そういふ事は絶対にない。ヨセフの子である。

  (S24・11・27)

処女懐胎

“イエスが処女から生れたというのは事実で御座いましょうか。右、御教示下さいませ。

“処女から生れる事があるとすれば、世界は破滅する。ヨセフの子に違いない。  (S23・12・28)

イエスの受胎

“聖女マリヤは、聖書に依れば霊交によりキリストを受胎したと云はれますが、果して本当で御座居ませうか。

“本当はヨセフの子であるが、立派にみせる為に作った作り事である。

  (S24・9・5)

イエスとパン

“キリストが極く僅かのパンを何千人食べても未だ余る程にしたと聖書にありますが、実際にこんな奇蹟はあり得る事で御座いませうか。右、御教示の程を御願ひ申し上げます。

“之は嘘である。水を萄葡酒にするなども嘘である。作り事である。キリストは力はそうなかった。弟子に病気を治させる事が出来なかった。

  仏教によって、人間の苦しみはよほど減った。ただ力がなかった。

  (S23・12・18)

イエスの復活

“キリストは肉体をもって復活し後、昇天したと、聖書に御座いますが、これはどういふ意味でございませうか。御伺ひ申し上げます。

“肉体をもって復活はしない。霊が見えたのである。之は後から作ったものである。偉人の歴史には随分ひどいのがある。日本歴史でも、足利と楠木の関係のようなもので、実は足利は大忠臣で、楠木は南朝で、逆臣である。今の天皇は北朝である。徳川は大国主で、出雲朝の系統である。

  キリストも肉体をもって復活したなら、天に昇る要はない筈である。

  (S24・8・22)

テサロニケの書の一節

“使徒テサロニケの書に、主イエス・キリスト降臨の前に、背教の事あり、不法の人、すなはち滅亡の子現はれざるを得ず。彼はすべて神を称ふる者及び人の拝む者に逆ひ、此等よりも己を高くし、遂に神の聖所に坐し己を神として見する者なり……それに欺かるな――右は何を指してなせし予言で御座いませうか。“贋救世主の出る事を予言してある。然し、真の救世主の出る事もある。

(S24・6・9)

イエス受難予知せず、(霊は神の子、体は人の子)

“イエス・キリストは予言を信じ、自ら神の子と称し、自らの使命と来るべき受難を予知しつつ受難直前父なる神に三度祈りを捧げ、最後に「我が父よ、この酒杯もし我飲までは過ぎ去りがたくば、御意のままに成し給へ」と祈り、三人の弟子に向ひ「視よ、時近づけり、人の子は罪人らの手に付さるるなり、起きよ、我ら往くべし云々」と云って捕へられ、十字架上にて、  「我が神我が神なんぞ我を見捨て給ひし」との言葉を発し、最後に大声を残して息絶へたと聖書にありますが、伝道中は神の子と称し受難迫りて人の子と謂ひし意味と、十字架上の言葉と沢庵和尚の辞世の言葉との対照に就て御垂示を御願ひ申し上げます。

“霊は神の子、体は人の子である。キリストは受難の事を知らなかった。神は知らせなかった。贖罪しなければならぬ意味があった。世界万民の贖罪をした。(白人種は、キリストが出なければもっと野蛮だった。実に大功労者である)(S24・1・28)

黙示録十章――解説

“聖書「ヨハネ」黙示録第十章に、「我また一人の強き御使いの雲を著て天より降るを見たり、その頭の上に虹あり、その顔は日の如く、その足は火の柱の如し、その手には展きたる小さき巻物を持ち、右の足を海の上におき、左の足を地の上におき、獅子の吼ゆる如く大声に呼ばれり、呼ばりたるとき七つの雷霆おのおの声を出せり、七つの雷霆の語りし時われ書き記さんとせしに、天より声ありて“七つの雷霆の語りしことは封して書き記すな”といふを聞けり…」

  右の御使いは日海地(火水土)を表現して居られる様に思はれます。又黙示録中にこの御使いの告げられし事のみが記すことを禁じられております。又命ぜられてこの御使いの持てる巻物を食すことに依り口には甘く腹は苦くなれりと記されてあります。これに就て御教示を御願ひ致します。

“黙示録は寓意的で解釈がむつかしい。記いた人がいろいろ誤解している点があり、救世主をいったものである。

  顔は火の如く――云々は、昼間の間、日の系統の神。巻物は経綸、水と土は観音様になる。七つの雷霆とは地の経綸で、世界に轟く事、秘密にしておかなくてはならぬといふ事である。

  此御使ひの――云々は、神秘であるから喋るなといふ事である。

  巻物を腹へ呑込むとは、神秘の分る事。

  口には甘く――云々は、呑込む事は楽だが、実行する事は大変だ――といふ事である。  (S24・6・9)

全能者、人の子、一番者の右、降臨と復活、天の雲に乗る――(聖書解説)、キリスト教の救い

“新約聖書中の左の個所、即ち、

「……大祭司言ふ“汝はキリスト、神の子なるか”  イエス答へて言ふ“汝の言へる如し。かつ我汝等に告ぐ、今より後、汝等人の子の全能者の右に坐し天の雲に乗りて来るを見ん”……」に於て、イエスの言った言葉の一句一句に重要な意味がある事と存じますが、右について御教示の程を御願い申し上げます。

“聖書などははっきりせぬ。どっちへもとれる。

  汝等人の子は一般大衆。全能者は支配者。右の方に――はイエスの事か。一番者の右とは、二流、三流者といふ事である。又、女の働き、月の神とかいふ事である。  全能者はエホバ。右手はイエス。

  天の雲に乗る――とは、再臨のキリスト――メシヤといふ事。

  復活は昇天であるから、天の雲に乗る―のは降臨である。

  バイブルはイエス自身書いたものでない。パリサイ人は「イエスはキリストでない」と言った。 

  キリスト教は過去、現在、未来の救いで、この教えが出なかったら、白人文化は斯んなに発達しなかった。

(イエスが救世主なら、もっと救はれている筈である)(S24・1・28)

光明如来様とマリヤ

“大東亜戦争の始まり日がカトリックでは聖母マリアの誕生日で、終戦日が死去された日と申しますが、霊的意義がありませうか。又、マリアと光明如来様との霊的関係を御教示下さいませ。

“間接には関係がある。光明如来様は、弥勒、伊邪諾尊、エホバ、メシヤにもなられる。天の一人子、(エホバの一人子)それを生んだのがマリヤである。ヨセフを通じて宿らしたといふ意味である。  (S25・4・17)

観音様とマホメット教

“マホメット教と観音様とは関係が御座いませうか。

“直接にはないが、間接には関係がある。マホメットは猶太民族から出たイスラエル民族、印度にはイスラム教がある。月系の神。キリスト教が高すぎる為、低くして説いたのがマホメット教である。マホメット教はアラーの神、キリスト教はエホバ。  マホメット教では豚を絶対に食べない。以前マホメット教の宣教師が日本に来た時、豚料理を出し喰べぬ事があった。

  蒙古は牛を重宝がる。之は勿論生活そのものにも用途多く、燃料や壁などにも用ひ、その需要範囲が広い。(S23・10・12)

観音とマリヤ

“観音様はマリヤであると言う人がよくありますが、これに就て御教示を御願い申し上げます。

“マリヤ観音と言って、マリヤをなぞらえたもので、出鱈目ではないが、ハッキリと観音と言えぬ。

 マリヤ観音と言っても差支えはない。

サタン、提婆

“キリストとサタン、釈迦と提婆との因果関係に就て御垂示御願ひ申し上げます。

“サタン、提婆は邪神で、事毎に神様の妨害をする。始終私などの妨害をしている。サタンは赤龍で、人間を使ふ。(S24・6・19)

摩耶とマリヤ

“釈尊の生母摩耶夫人と聖母マリヤとは言霊的に共通性を有して居る様に思はれますが、之に就て御教示を御願ひ致します。

“共通している。世界の二大宗教となっているが、  経緯である。マリヤも摩耶も、聖者を生ますべき神の使いである。(S24・5)

阿弥陀如来とキリストの関係

“阿弥陀如来とキリストの関係に就て御教示願ひます。

“元は一つで、どっちも月の神である。

  阿弥陀は月読尊である。だからそう苦しまぬ。

  キリストは素盞嗚尊であって、世の中を乱した罪を償ふ為イエスに生れた。万民を堕落さしたから万民の罪を負って磔になった。 

イエスと阿弥陀、(大乗・小乗)

“イエスと阿弥陀は同根の神より出たものと存じますが、其の教えが何故経と緯とに相違致しているので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“仏教の中にも経と緯があり、大乗は緯であるが、世間で説かれたのはよほど違っている。イエスは特に大乗で、何れ本に出す。

  系統は同じ系統で、どっちも月の系統である。月は照るのと暗のとある。照る方は月読尊で、暗のは素盞嗚尊で、陰陽である。

  阿弥陀は陽で、小乗。キリストは陰で大乗である。それで全世界へ拡がる。

  経は狭い。法華はズーッと少い。孤立的である。

  阿弥陀は大乗で、多く拡がる。(S24・5・1)

イエスと阿弥陀と贖罪

“イエス、アミダが贖罪をなす因縁について御教示下さいませ。

“(どちらも月の神で)、阿弥陀は贖罪はしない。月読尊。

  イエスは素盞嗚尊、暗であるから、それで素盞嗚尊は罪を犯し易かった。

  阿弥陀は月読尊で、照る。阿弥陀は照の働きであるから、罪を犯さぬから、贖罪はない。

  伝説にも、素盞嗚尊は立派な神であり乍ら邪神に利用された。中臣の祓にある如く、日本に於て罪を作り追放された。そして外国へ行き猶太へ住はれた。そして子供を十二人作った。その中からイエスが生れた。それが、日本に於ける罪の贖いをした。(S24・10・8)

弥勒三会とイエス

“弥勒三会により、イエスが三つの一つとして合体して働かれることになるのだということを、キリスト教徒で或程度理解を持った人にはお話し致しても宜しいでしょうか。右、御伺い申し上げます。

“弥勒三会とイエスは違ふ。直接関係はない。間接には関係がある。

  日月地――弥勒の三会は済んだ。  阿弥陀の本体は素盞嗚尊で、猶太へ表はれてイエスになる。

  弥勒三会は東洋の言葉、イエスは西洋である。(S24・2・18)

宮中と猶太、ヨハネとイエス

“宮中の賢所に昔から御神体と仰がれている鏡の裏に、ヘブライ語でキリスト教の聖書の句「我は有りて在る者なり」と刻まれてある由ですが、この事の裏面に何か偉大な歴史が秘められて居りますでしょうか。右、御伺い申し上げます。

“(或事が秘められている。日本の皇室の先祖は猶太に関係がある。之は未だはっきり言はぬ方がよからう。エルサレムには十六の菊の紋が門に付いている。四つの中一つは開かずの門といって、開ける事が出来ぬようになっている)

  旧約聖書も新約聖書も何れも本当の事は書いてないし、知られていない。ヨハネは経であるから旧約は戒律的であり、キリストは緯であって、之は火と水になっている。キリストもヨハネもお互ひに彼を賞め合っており、謙遜している。 ヨハネは国常立尊といふ説があるが、之は国常立尊がヨハネの働きをなさるので、国常立尊はもっと大きな存在である。

  凡て或程度悟りでゆく。

  モーゼなど、逃げる時、海が乾いたなどといふが、之は大嘘である。又、キリストが十字架にかかる時、弟が代りをしたなどといふのも嘘である。

  ヨは横――水、水の中にも火があり、ハは火――火。故に水の洗霊で、ネは根。霊は火になっている。

  メシヤは救世主といふ事である。

八戸市とキリスト

“青森県八戸にはキリストの墓があると言ひ伝えられ、また赤ン坊のお宮参りに朱で額に十の印をつけると聞きましたが、これは日本とキリスト教につき秘められたる何かがある様に思はれますが、如何なものでせうか。

“之は疑問である。キリストの弟子が日本へ来たのであらう。

キリストとマホメット、有栖川、五十鈴

“三尊の弥陀の御姿が観音、阿弥陀、釈迦とうけたまわるのですが、キリスト、マホメット等の聖者は西洋に於てはどの様な型になりますでせうか。或は東洋、西洋にも弥陀の型がありますでせうか。

“三尊の弥陀は同じ事である。

  キリストもマホメットも地位からいえば大した違いはない。ただ因縁が違ふ。その国に表はれる場合お姿が違ふ。一柱一柱に就ては因縁が違ふ。(キリストは素盞嗚尊が生れた。素盞嗚尊は非常に世の中を紊した。その為世の中が紊れたので伊邪諾尊の御勘気にふれ、追放され、日本をお払い箱になり、外国へ行き猶太に住んだ。女好きの神で、二号三号をおき、十二人の子が出来た。これがイスラエルの祖先で、その中からキリストが生れた。そして自分の世を乱した罪を贖ふ為――贖罪の為に善い事をする)

(月の神は暗〈裏〉の時素盞嗚尊、表が月読尊で、阿弥陀如来になる。であるから関係は非常にある)

  マホメットも矢張りイスラエルの民族から出ている。印度ではイスラム教といふが、イエスもイスラム教といふが、之はイスラエルといふ事である。

  有栖川も五十鈴もイスラエルの意である。出口師は有栖川から生れた事を晩年に知って豪華に振舞ったが、斯ういふ点は考えが浅かった。

  イエスやマホメット等のその上に神様があり、天之御中主神と申し上げ、至聖先天老祖とも申し上ぐる。之はエホバで、最高の神であり、この神から観音へ、  観音から大先生へ来ている。故に絶対力が出る。

  老祖神は観音、釈迦等に命令される。  (S23)

マホメットの神名

“マホメットも釈尊、弥陀の如く日本の神様の化身として活躍したのでしょうか。そして御神名は何神様ですか。お伺い申し上げます。

“そうでない。国々にいろんな名で表はれる。日本にも外国にも表はれる場合がある。  (S24・7・3)

大宗教家は東から出づ

“昔から大宗教家は大体アジア州又はヨーロッパ州の東部より出て居る様で御座いますが、何か理由が御座いますか。  御伺ひ申し上げます。

“東は霊で、西は体であり、宗教は霊が本位であるから東へ出る。日本の宗教は皆西から出ている。文化は西から起り東漸した。本当の東は極東である。インドなどもアジアからみれば西である。キリストも東洋からみて西である。東洋に近い所から出た。(S24・9・5)

日本神道教祖の女性

“仏教、キリスト教等諸外国の宗教の教祖は概ね男子であり、日本の神道は教祖或は古い神様にも女神が多い様で御座いますが、之には何か意味があったもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“事実である。日本の最高神は終戦前は天照大神といふ事になっている。女といふのはおかしい。  女だけで子を生む訳はない。夫神がある筈で、そこに大きな疑念が起きなかった。ここに謎がある。所が立派に夫神があった。素盞嗚尊に征められ夫神が危ふかった時、  皇后のみは許すといふので夫神は逃げられ、隠れられた。その点非常に秘密にした。複雑した話があるが未だ発表は出来ぬ。見真実になると分る。弥勒の世になると全部見真実になる。根本的に秘密はなくなる。今迄の日本は皆秘密になった。之も神の経綸である。

  女教祖は日本の神道では天理教、大本教位であらう。

  天理教では月日様といふが、之は日月様といふべきである。中山ミキもミは女、キは男で、女が上になっている。之は月の系統の為である。

(S24・8・11)

紅卍教

“紅卍教について、

  一、その霊統は何でしょうか。

  二、その本尊とする至聖先天老祖とは何でしょうか。

  三、「扶 の(フーチ)術」とはどんな霊の働きでしょうか。

“一、今から三、四十年前、済南の在に百姓のような人から始め、丁字型の棒を両方で持ってやった。之は古い時代からあった。道教の信者か何かで、ひとりでに動き出した。それが道院となり、始まった。そして、救済事業などをする為に紅卍会を作った。

  釈迦、キリスト、観音、弥勒、孔子、マホメットの如き、大宗教家などが老祖の命によって書く。

  至聖先天老祖はキリスト教でいふエホバ、日本でいふ国常立尊である。

  (S24・5・23)

紅卍会と西蔵政府

“世界紅卍会の本部は西蔵のラッサに有ると聞いて居りますが、同じくラッサに有る所の西蔵政府とは同体のものでせうか、異体のものでせうか。御伺ひ致します。

“天津か北京か西蔵は支部のようなものである。無論同体の筈はない。

 (S24・8・25)

紅卍会の動き

“中共軍の活発な動きに伴ふ現在、支那紅卍会の動きにつきお伺ひ致します。

“知らない。紅卍会は戦争の場合、赤十字のような役をする。死骸を片付け、葬る事をする。敵味方はない。両方の死骸を片付けていると思ふ。教えは道院でやっている。社会的活動は紅卍会でやっている。

転輪菩薩と天理教、(大将軍と若姫君尊)

“「天理王の尊は転輪菩薩にて  聖観音の化身とぞ思う」の御歌の如く、聖観音の化身のお働きである天理教の様な既成宗教が、今日邪教的になっているのは何が原因でございませうか。

“邪教とは言えない。天理王尊は十柱あって、総称して天理王といふ。転輪菩薩は印度の神である。

  十柱の中に天照大神、国常立尊等も入っている。

  三千年目に優曇華の花が咲く時、転輪菩薩が出現するといふ伝説が印度にある。  中山ミキは初稚姫尊の生れ更りで、初め大将軍が憑られた。大将軍は乱暴な神で、その償いに善事をしようとされた。

  中山ミキは月の系統になるから、月の働きで、暗の間はよかったが、昭和六年以降は病気も治らなくなった。それで人間的に教えを作った。

  お筆先、御神楽歌は、神が懸って書かれたものである。

  天理教はこれから骨が折れようが、神様が何とかされるだらう。

 (S23・11・22)

天理王尊

“天理教も昔は転輪教と言い、天輪王(天輪菩薩といふ)と言った。暫く経ってから天理王にした。

  これは印度に表はれ、三千年前生れた。汚れた世を浄化して善い世を造るといふ伝説があり――。(S23・6・13)

霊友会に就て

“最近流行して居ります霊友会に就て御説明下さい。

“死んだ人を供養する。死んだ人の霊は祀るほどいいとしている。  それもいいが、遂には祖霊の仏壇を片付けたりなどするが、之は本当の行り方ではない。であるから長くすると不仕合せが起る。

  売薬のようなもので、宣伝した時は一時発展する。生長の家の谷口氏は追放にかかっているが、之等はすべて新陳代謝している。生長の家など幹部の入替えが激しい。モラロジーなど盛んであるが、一時的である。天理、金光位が現在力がある方であらう。  (S23・11・2)

金光教に就て

“金光教とは如何なる宗教でせうか。今後も此の宗教を続けてよいでせうか。

“金光教は神道でも割合にいい方である。何れは本教へ入ってくる。天地金の神を祀っており、非常に消極的で、積極性がない。教祖は朝から晩まで座ったきりだといふ。花柳界や俳優に信者が多い。穏かで搾取しない。

  先に金光教信者を治してやった事があるが、治ったら金光教の神様に礼をしていた。行ってみると、金光教の神の御利益で治す人を与えられたと言っていた。

  「天理、金光、  黒住、妙霊先走り、艮(トドメ)に艮(ウシトラ)の金神表はれて……」とある。(S24・1・25)

新興宗教の踊る理由

“新興宗教、日蓮宗、生気術等に於て踊ったり運動したりするのは催眠術にかかる為でしょうか。

“催眠術でない。霊が憑る。踊る宗教なども霊が憑る。日蓮宗は狐が寄ってくる。法華経の中、観音経は狐は嫌ふ。日蓮宗の行者など霊が憑り口をきくと口がきれたと言い、赤飯焚いて祝ふ。それを長く続けると精神病になる。故に日蓮宗は大抵狂人になる。  (S23・11・3)

廃仏立神の理由

“明治時代に神と仏を分けて御祭りする様になりましたが、之はどういう訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“天皇政治になった為である。徳川時代には仏を祀った。維新になると天皇系統は神道であるから、宗教も政治もそういふ意味にした。霊的関係がある。

(S24・10・11)

釣鐘の起源

“堂宇にある釣鐘は如何なる意味が御座いましょうか。

“時を知らす必要から出来た。西洋でも鐘を鳴らした。

  形は一番よく鳴る方法で作った。  (S24・5・21)

守り本尊

“人間に守り本尊があると云はれて居りますが、之に就て――

“文珠なら文珠を懐へ入れて、守り本尊にすれば、それが弱いが守る事にはなる。生れ乍らにして守り本尊がある訳ではない。(S24・11・9)

守り本尊

“時折、自分の守り本尊が千手観音又は普賢菩薩だとか云ふ事を聞きますが、どう云ふ事でありませうか。御伺ひ申し上げます。

“いい加減なものである。此信仰に入れば、光明如来様が守り本尊である。

  (S23・11・15)

不動のお守

“自動車には不動様のお守はまずい。必ず不動の名の如く事故がある。

  (S23・6・27)

三すくみ

“なめくじ、ひき蛙、蛇はどういう風に五六七に当嵌るので御座いますか。尚、魚類にも五六七がありましたら御開示下さいませ。

“三すくみといって五六七になる。

  日本は蛇、朝鮮はなめくじ、支那が蛙である。時間のある時話をする。

  (S24・10・3)

三すくみと五六七

“先日「蛇、なめくじ、蛙は三すくみといって、ミロクになる」との御言葉でございましたが、之はどの様な意味でせうか。

“蛇――日本――五、なめくじ――朝鮮――六、蛙――支那――七、といふように拵えたものらしい。

  これが直接ミロクに関係するのでない。直接の関係ではない。派生的にその理屈になる訳である。  (S23・7・13)

ピラミッドの意味と八尋殿

“古代エジプトでは、ピラミッドを作り、死者を葬ったと聞きますが、これは如何なる意味でせうか。又、ピラミッドはヒラミツトノで、太陽の光の満つ殿で、古事記の八尋殿と同意で、日本にもあるといふ説を聞いた事がありますが、右に就き――

“古代からエジプトでは太陽を崇拝した。ピラミッドに祀ったのは皆王様である。ピラミッドの三角形は宇宙の型。

見真実

途中では全てが分らぬ   八尋殿といふのは、御殿が八ツあったのでそういふ。