004 明主様篇

神人とお生まれになる場合

“『キリストも釈迦もメシヤも観音も人の姿の神にぞありける』といふ御歌がありますが、神様が人間の御姿にお生まれになる場合に神様はその御方の本守護神となられるのでせうか。それとも、その御方にお憑かりになって宿られるのでせうか。

“本守護神になって生まれる。生神である。(S24・5・13)

観音様と光明皇后、聖徳太子

“光明皇后並びに聖徳太子は観音様に御関係が御座いませうか。

“大いにある。光明皇后は観音の化身で、聖徳太子は千手観音の生まれ代り、千手観音は大先生の一部――。太子は芸術方面や政治、法律等の働きはあったが、救いといふ事は薄かった。宗教的偉人ではなかった。今でも太子会といって崇拝する人はあるが、拝む人はない。(S23・10・22)

武将となられた理由

“大先生がかつて義経という武将として御出現になられました事は平和愛好者としての大先生とどの様な御関係が御座いませうか。右御教示御願い申し上げます。

“観音様は応身であるから何にでもなられる。馬頭観音は戦ふ。あの時代には斯ういふ役をせられねばならぬ訳があった。(S24・12・23)

光の玉の体と明主様

“大先生様の御腹中にまします「光の玉」とは「体」がおありになるのでせうか。それとも霊だけの玉でましますのでせうか。右誠に畏れ多い極みで御座いますが、お伺い申し上げます。

“一つの如意の玉といって、元は神様の方からの霊線による光で、御神体とも何ともいえぬ。本当は人間が使はねば偉力を発揮出来ぬ。それを使っている。今迄使ふ人はなかった。(使へなかったのは夜の世界で水素が多く、玉が包まれていた)昼になると火素が強く、強く使はれる。(玉の争奪戦で、神と邪神と戦った事がある。一時邪神が奪った事がある。龍神が玉をとった事がある。龍が持ってる玉がそれである)今迄、偉くみせまいとして随分努力した。書くものを大いに書いて後世に残す。来年一ぱい位かかろう。和光同塵である。(S24・6・3)

明主様御光と御文字の働き

“私の書いた絵や文字から光が出るのを見る人は沢山ある。事実、光が沢山出るのである。その文字の通り光が出て、その光が文字の意味通りの、光の働きをする。此説明は今の科学的頭では理解出来ない。

私が光とかいた紙を懐へ入れると、それが光の働きをして、それが腕を通って治る。私が字をかくと、私の手から光が筆を通って紙に印画される訳である。それは、私のお腹には光の玉があって、その光が手を通る。又、この玉は観音様から出る。観音様は又、その上の神様から出る。

私が大光明如来とかくと、大光明如来の働きをする。又、極く簡単な説明で、詳しく説明すると、先ず霊界の構成から説明しなくては判らない。此の説明は何れ著書でする。今は此の程度でいい。

和光同塵

“和光同塵の意味を御教示下さい。

“「光を和め、同じ塵に混る」といふ事である。御讃歌に、「いと高き御位(ミクラ)をすてて御救のままにみろくは下生しませり」とあるが、観音様は和光同塵の行り方である。最後の世を救ふには非常な力が要る。非常な力は高い神でないと力がない。又、救ふには非常に低い地位に降りなくてはいけない。それで弥勒下生といふ。(之は弥勒が下即ち下層社会へ生まれる事である)崇神天皇の頃から和光同塵の政策をとるといふ記録がある。弥勒も応身も同じ意味で、大先生の遊ばす事が和光同塵である。  (S24・6・27)

化無為

“御書体に御座います「化無為」とは  如何なる意味で御座いませうか。

“無為にして化す。之が本当のもので、一々御説教や訓戒したりして心が直るのは本当のものではない。何にもしないで治るといふのが化無為である(S23・12・22)

明主様はお咎めの御言葉がどうしても言えない。怨みを残すと霊的に障る。それが判らぬので、執着放れず――。(S25)

神幽直通者

“神幽(神より)の直通は一人である。大抵は守護神を使はれ狐など使はれる。要は常識である。  (S23・12・23以後)

メシヤ様現在の御働き

“今度世界救世教御開教を戴きまして、信仰対象の神様の御称名は神、救世神、大光明如来、観世音の何れを御称へ申し上ぐるべきで御座いますか。右御垂示を御願い申し上げます。

“今は大光明如来、観音何れのお働きもある。メシヤの御働きはホンの始まりで、極く霊でだけに出ている。何れも同一神ではあるが、まだ神様からお知らせはない。或る時期へ行くとハッキリする。も少し今迄のままでよい。段々移ってゆく。(S25・2・8)

大先生様の御呼称

“会員以外の人のいる席上で、大先生様のお話をさせて頂きます場合「大先生様」と「教祖様」と何れを申し上げたら宜敷う御座いませうか。右御教示御願い申し上げます。

“大先生でよい。教祖は御昇天後がよい。(S24・1・18)

明主様宗教御専念になる迄の経緯、画家御志望を御断念、観音様御付きを霊視、(明治、大正天皇求救)、神意と天職、(職業掛りの神)

“人間の考えと御神意は違ふもので、その人の天職使命は霊層界で決められる。本人はそれが判らぬので、周囲の事情などで計画するが、うまくゆかず、失敗したりなどして、外の職業に就く。斯ういう風に、霊層界で決った職業をさせられるようになるものである。

私は斯んな仕事など予想もせず、観音信仰などまるでするつもりはなかった。先に麹町で、『私は観音様は信仰しない。観音様の方で私を使っているんだ』と言った事がある。だが、前から観音様は好きだった。いつか地図を描く男(野口秀昌)に大本時代、大本教の話をした所「大本の神様は観音様仏ですね」と言ふ。『如何してか?』と言ふと、「大先生の側に観音様が見える。お座りになっている。便所へ行くと、後へ付いて行かれる。今、側にお座りになっている。どうも、目をつぶっておられる」といふ。『これは何か訳がある』と思ったが、その中いろんな奇蹟があった。そして、私と観音様の因縁や、私の使命など、伊都能売神様が知らされた。金龍も憑った。

明治天皇や大正天皇も救ってくれと言って憑った。明治天皇は神武天皇の生まれ代りで、英雄のような、非常に大きいタイプだった。こうして、昭和元年暮から二年の春(二月)まで続いた。その頃会社を経営していたが、三年二月四日、商売と手を切り、宗教に専念した。財産も何もなかったが、あまり心配にならなかった。そして先づ病気治しを始めた。病気は先ず、霊を治すべき事を知ったのである。

斯様に、人間の凡ゆる事は、神様の方でその掛り掛りがあって決めてゆく。職業などうまくゆかぬのは、他に天職があるのである。そういふ事は、何かの感じで神様が知らされる。最初は画かきにならうとして目を悪くした。未だ執着があったら、指を怪我した。その為今でも小さい字はきれいに書けない。これで断念したのである。今は観音様は描けるが、他の画はどうしても駄目である。

明主様の浄瑠璃御修得、人間の移動等、霊界移写の速度、即賞即罰

“宇宙構成の微分子の回転が早くなったと承っておりますが、霊界の事象が又現界の様態が、善悪共に現はれて来るのは時間的にどれ位掛るのですか。又、抽象的に御解示下さい。

“物によって種々で、近頃だんだん早くなってくる。昔五十年も百年も懸ったものが、今は五年位で判る。悪い事も早く判るようになる。五六七世は即賞即罰である。昔は悪い事がなかなか知れないから悪人が殖える。段々それが早くなった。即賞即罰である。人間が動いたりなどするのは、霊界から動かされる。私は先に浄瑠璃をやった。一年位したが、そこで震災で一時やめた。電車通りまで行くと足が止る。それで止めた。之等は正守護神が霊界から止める。一瞬である。(S24・12・27)

明主様神権御掌握、型の御神業(世を持った羽藤、二代の寝台と貝の型、日本公園貸別荘―御帰途の奇象と大震災、五・五・五と鬼ケ島、九鬼、高天閣で御生誕)

“大本時代、東京豊玉分所の羽藤祝達が精神病になり、「自分の病気は、岡田さんでなくては助ける事が出来ない」と言った。そこで私は、綾部へ招ばれて行った。すると彼は平素と変った所はない。そして彼は私に言った。「自分は今迄の世を持ち荒した身魂で、今度はいよいよ引退しなくてはならぬ。地獄へ行かなくてはならぬ。そして岡田さんを立てなくてはならない。岡田さんは幸せだ」と言って泣いていた。処が当時大本の一部では「邪神が羽藤に憑いている、之を治す人はその上の邪神である。聖師は別だ」などと、中野武営の妻君などがしきりに言い触らしたものである。然し、その真相は、羽藤を使って神様が私に知らして下すったものである。

その後高天閣で、二代と聖師しか寝ない寝台に大先生がいらした処、聖師は寝台に寝ていた。そして「二代の寝台に寝るよう」私に言った。之は『龍宮の乙姫の所をとった』型になるのである。そして翌日、二代が貝を食っていた。そして私に「岡田さんこれはとてもうまい」と言って私に呉れた。バイといふ貝だった――と思ふが、貝(バイ)は貨幣の意味になり、これは『龍宮の宝を呉れた』型になるのである。而もその翌日、「萬歳」とかいてくれたのである。九鬼といふのは綾部の殿様で、お筆先に九鬼大隅守とあるが、同氏は水天宮に繁栄を奪はれた綾部の惣領権現を再興しようとしたが――。これで御用はすんだと思った。

大先生は三十年前強羅に来られた。その頃は強羅館といふ宿屋が一軒あった限りで、この辺は一面の薮で手がつけられなかった。それを電鉄が開発し、日本公園の貸別荘を作ったのである。そして震災の年、一軒お借りになった。その中の一軒が今の萩の家に当り、一ケ月余り滞在なされたのである。其後強羅は飽き、伊東へ行かれた――八月湯本へ下られたその時の夕方、天から雲を通して光芒が御光(ゴコウ)のように射していた。「何か異変があるな」と思はれたら大震災があったのである。昭和五年五月五日、午の年、午の月、午の日、午の刻の事。九、一○、一一―。五年五月五日、不思議な事があるような気がした。小山勘蔵、広島代議士、新山(宮中顧問官)――。高天閣で神守氏とお出でになった時、聖師は寝っていて、突然、“生まれた”と言った。神守といふのは、始終大先生にクッついていた。

満月会

“満月会の御光話を御願い申し上げます。

“大本教の時伊藤周二といふ信者があり、私は個人会社であった。今夜面白い会があるから来られよといふ。木村鷹太郎といふ変わった学者があり、会長をしており、毎月十五日に会があり、今日は四十七回目だといふ。いろはでゆくと丁度(マルス)になる。その会は記者とか雑誌社、僧侶、教育者等のインテリ層の種々な階級を網羅している。丸の内の中央亭で行った。丁度二十六名集まり、やはり学問的な事が多かった。私の隣には三輪田元道がいた。九時頃散会した。

そして翌日新聞をみると、九時頃三河島の花火屋が沢山あるが、全部四十七軒焼けたといふ。之は不思議な事と――。満月は月の盈(ミ)ちた事、爆発とは生まれた訳で、自分が生まれたんだと感じた。そして又伊藤周二は夢をみた。池があって、鯉がいる。その中の一匹が天上した。そして天へ行くと、吹流しのように非常に綺麗な種々な色になり、天を游泳している夢をみたといふ。之は神様が知らしたと思った。私が生まれ、その後いろんな不思議があり、その後職業をやめて信仰専門にした。

「松と梅」、「満月会」、「鯉」の神秘

“大本教の「松の世」天理教の「甘露台の世」日蓮の「義農の世」は何れも「地上天国」と同じ意味なる事を聞かせて頂いておりますが、各如何なる訳でせうか。

“大本では「梅で開いて松で治める。神国の世になりたぞよ」と曰ふ。松竹梅の中、今迄は竹の世だと言っている。松は地味な花で、咲いても色が変らぬ。年中青々している。そういふ世の中が来る。之を神代といふ。仏が滅すれば神の世になる。仏は神の化身故本へ還る訳で、今迄は仏の世であった。梅は五大洲に例え、スの種が梅干であるといふ。酢い、スッパイ梅の種、これが一厘の身魂で、この身魂が出て引っくり返すといふ。悪魔は九分九厘、神は一厘といふ。之は面白い。一つの力で九分九厘の世を引っくり返すといふ。観音二十八品中、法華経二十五番目に観音経がある。花の種が観音経である。五は火であるから、昼の世界の初めで、一厘の力は大変な力を表はす。昭和五、六年頃、大本時代であった。天保銭(教祖)、明治四年の五十銭銀貨(出口氏生誕)と、一厘銭を持って来た事がある。

それから間もなく、東京丸の内中央亭で満月会という会があり行ってみた。毎月十五日が例会だったが、いろはにした四十七回目がスになった。会長は木村鷹太郎氏だ。日本の民族史などを出した人で、その時二十六人集まった。社会の各階級の、凡ゆる階級の人が集った。三輪田元道は私の隣にいた。当日散会して夜九時頃帰った。翌日の新聞をみると、三河島に火事があり、花火屋の玉屋(沢山ある)など四十七軒焼け爆発した。三河島は明主様の菩提寺のある所で、此時神秘をお知りになった。その頃伊藤周知といふ人が夢をみた。池の中に鯉が沢山いてその一匹が水から放れて天へ昇り五色の鯉になった。そして雲上に昇った。鯉は魚の観音様である。一列揃って甘露台――といふが、甘露は月である。天理教は月の系統故女の教祖である。中山ミ(女)キ(男)、キミが本当だが、女天下だからこれでよい。天理教は月日会といふのがある。塔の上に甕のような容物があり、甘露がこれに溜るといふ。之は月の雫である。昭和六年から昼になって――。(S25・2以降)

御神述の期間

“大先生様が昭和二年、神様より光明世界御建設の御使命、当時の御心境の御光話――

“別に心境は取たてていふ程の事はない。夜十二時頃非常に良い気持になる。そして何か喋りたい。それを家内に書かした。五十万年位前からの日本歴史を七千年前までで終った。皇室に関係した事が多かった。(ウガヤ)草葺不合――、想像もつかぬような事が多かった。日本歴史と過現未に渉っての種々な大先生の霊的御因縁や使命等が主なもので、三月位続いた。一時間半位づつであった。満洲問題とか、日本の現在の事なども出た。元年の十二月頃から二年二月位まであった。(S23)

大本教は母胎か、(西王母)、(明主様御出生)

“大本教、天理教等は仏教の如く観音教の生まれるまでの母胎の役目があるでせうか。

“大本教の出口王仁三郎氏は西王母であり、(百の実)、だから私の母親でもある。以前私と一緒に寝た時出口先生は「生まれた」と叫んだ。私が生まれたら、大本教は用がなくなった。昭和十六年十二月八日開戦、大本教と同じ月日で、関係がある。  (S23・11・22)

御生誕御祝いと皇太子

“大先生と皇太子殿下の御誕生日が一緒で、宝山荘にも皇太子殿下の御写真がかかげて御座いますが、御観音様と皇太子殿下とは何か霊的関係があるのではないでしょうか。お教え下さい。

“私は誕生祝いをした事はなかったが、昭和八年十二月廿三日弟子達が祝ったらいいといふので、千五百円位持って来た。それで十一人位でお祝ひした。それから皇太子が生まれられた。それで前の日まで鯛はあったが、翌日はもうない。皇太子は明仁と命名され、私は明麿とした。翌年五月一日麹町で開業した。そして四月廿三日に引越した。すると報知新聞が皇太子の写真を置いて行った。そして一ケ月とる事にした。近所の道具屋で丁度それに合ふ額があって、それから掛けるようにした。いくらか神秘的な事がある。(S24・11・7)

皇太子の写真

“大先生様の御生誕遊ばされた十二月二十三日に今の皇太子殿下も御生まれですが、何か御因縁がおありの様に拝察致しますが、如何で御座いましょうか。右御教示御願い申し上げます。

“私も不思議な因縁があると思っている。十二月廿二日は冬至で、廿三(四)日から春分になるのが本当である。何かの事情で一週間延ばし、一月一日にした。本当は廿四日からが本当である。私は明麿といふし、皇太子は明仁といふ。あれを戴き、あの時から明麿にした。昭和九年麹町で民間治療を開業した。そして一週間前の四月廿三日に越した。すると新聞屋が奨めに来たが、断わった。すると皇太子殿下の写真を上げるからといって呉れた。それでは一ケ月でもといふのでとる事にした。廿三日は丁度十二月廿三日より四ケ月目である。その写真を不思議に思って、新聞をとる気になった。近所の道具屋に溜塗(タメヌ)りの赤いようなのがあった――それが今宝山荘に掛っている。よほど因縁があると思ふ。今に表はれてくると思ふ。

明主様の御仕事と御生誕(西王母)、国常立尊と老祖神君、観音―桃太郎、五六七と十八、浅草寺

“印度に三千年目に転輪菩薩が現はれ、多数の人を救ふといふ予言がある。西王母の桃といふが、出口師は西王母になる。祥明館でお生まれになった。之が桃の実である。桃太郎は観音の事である。大先生が桃太郎の役をされてる。宝山荘時代、百円札で――。国常立尊は押し込められた事がある。厳正な神で、天若彦が押し込めた。それが節分の日である。之は作り事ではない。国祖は霊界の主宰神で、今、世界に表はれ、働かれておられる。七五三縄は締込む事である。以前九鬼氏が杯をくれた。ヨモツとは、世を持つ事。至聖先天老祖は国常立尊で、霊界で、凡ゆる霊の審判をされる。即ち浄化である。一方救いの仕事もせられねばならぬ。即ち観音で、之は救いであるから、咎めや裁きはなさらぬ。現界が浄まると霊界の裁きは段々なくなる。

三六九も五六七も十八になる。応身弥勒と化すとあるが、応身である。法身は法によって救ふ事。法輪とは教えである。経緯を結ぶのが今の大先生の御仕事である。物質と精神を結ばす。即ち、芸術、文化等凡ゆる方面の指導的立場である。日本は火の国、木の国といふが、十八は木になる。観音堂は十八間四面といふ。金龍山浅草寺は源頼朝が創立した。金龍は最高である。元、浅草観音の御本体は一寸八分の金無垢だった。それを、長昌寺にあり、年に一遍開帳した。

大本とお戦いになった型、メシヤと猶太教、石屋組合、東島息、木村瑞枝、神幽現の型

“霊界の中心に起った事は型になって出る。以前大本と戦った。和田堀の東京別院との争いである。石屋組合は猶太の元。マッソンは邪神であり、メーソンは良い方である。猶太には種々ある。資本主義も共産主義も猶太である。メシヤは猶太教から出た。マッソン秘密結社は共産党で、サタンである。海軍少将の息子は逗子の海岸で溺死した。アメリカの型は木村瑞枝といふ人相見で、事実は英国より尊敬されていた。これはこっちへ好意をもっていた。

有栖川宮の屋敷(紫雲郷)で、瀬戸物の等身大の観音様の首がとれた。それで大本は駄目になると思った。出口師は観音の生まれ代りと言った。これは霊界の型で、今度は現界の型で、現界の昼間の型である。六月十五日は霊界(幽界)の型、大本は神界の型、今度は現界の型で、之で世界の終末は判る。宗教にも型があり、一千年から経つ宗教――。

明主様御神業と昼夜転換、明治の夜明け、天理本道大西愛次郎説、日本寺神事詳説、小池の自殺、御彫像と大本、御神懸(六年より十八年間)、現在信徒、東京大本教内の型、菊紋の瓦、五・五・五、御撮影

(廿四年一月一日午前、「今後の宗教の在り方」に続く)

“今度昼の世界になるのであるが、之は新しく言い表はされた筈はない。仏教でいふ仏滅とは、夜から昼に転換する予言である。昼間の世界は何時からそうなり、今どういふ所へ来ているかを知るべきである。それは大体明治から明るくなり始めている。明治維新の革命は誰が点火したか、之はアメリカである。長夜の夢―日本の眠りを覚し、今日の如き白人文化により日本を文明国にした。アメリカは星の国であり、星は日を生むで、日本を生む事になる。然し、折角生んだ日本は間違った事をして駄目になる。病弱の子を生んだように、使い途にならぬ。而も不良になり、遂に殺人強盗になった。そこで殺人強盗たる凶悪の人間をやっつけ、今度こそ新しい、善い子を生んで今教育している。現実的にみると、そういふ風に解釈するのが本当だと思ふ。今度の子供は大丈夫である。

すると、明治から段々昼の世界は始まりつつあり、本当に始まったのが、昭和六年六月十五日である。これから第一歩が始まった。その時の――。天理教の信者で大西愛次郎といふ人があり、その当時「今の天理教は本当のそれではない。これから本当のそれを作る」といって働いた。そしてパンフレットを発行し、有識階層へ配布した。その中に天理教のお筆先や御神楽歌の中から、皇室に関係したものを抜記した。昭和三、四年の頃である。「昭和四年十二月迄に天皇が退位しなければ大変な事がある」と言った。その後自分が天皇になるといった。そして自己の三人の子供が三種の神器になるといった。その為忽ち検挙投獄された。其時の調べによると、「之は自分の発意ではなく神から知らされたものであって、天気予報のようなものである。そういふ予言で、気象台でなく、そういふ事になってると言ったに過ぎぬ。国家を思って言ったのだ」といふ。結局懲役四年の判決を受けた。同氏の説によると、天理教の御神楽歌などを調べると、そういふ事になるといふ。然し、或程度これは当っている。最近に又始めたといふ。その説を聞くと、天理教信者は転向するといふ。天理教では一種の脅威であった。それでお筆先や教義も不敬が多いので、博士が寄って世間的に作ったのである。

昭和六年六月十四日、安房国鋸山、乾坤山日本寺へ三十幾人伴れて行った。そして翌十五日に帰ったのである。鋸山の向ふの山が清澄山で、日蓮が法華経弘通の時、東の空を見、日の昇ると共に南無妙法蓮華経を唱えたといふ。私は乾坤山の山上で日の出を拝んだ。日本寺から帰って、本所の方から是非来てくれといふ。明石といふ家である。(明石太蔵)呼ばれて行ったがアカシなどといふのは面白い。そこでお祭りをして神秘な事があった。十六日の日に大森の海岸寄りの大井町に、下駄屋の職人で小池といふ男があったが、顔色をかえて来た。「釈迦が土を掘っている。(友達の山口四郎)その釈迦は墓穴を掘っている。又庭に小池があり、誰か石を投げると、渦巻が起って氾濫する。自分は世界のピントを合す為に生まれた。腰にネジのようなものがあって、それにピントを合せなければ世界は駄目になる」といふ。明主様はいろいろおなだめになったが、海へ入って死んだといふ。これが段々大きくなって来たのである。海へ入って死ぬといふのは、大浄化の事である。これは非常に神秘で、神様はよく、人間の魂の如く、極く小さい型をなさるので、之は一つの型である。

その翌日、当時彫刻師で有名な森鳳声といふ信者が、尊い神様の御姿を彫りたいといふ。どういふ風にしたらよいか聞きに来た。それで、それは「五尺六寸七分の高さにせよ」と言った。そして台ぐるみでもいいと言った。日本寺へ行ったのは昼間の世界の初まりで、天照大神は日の神様である。彫り上って大本教へ献納した。私は妙な気がした。出口王仁三郎氏は月の神で、月は夜の世界の主宰である。そこへ天照大神がお出でになると結果は逆になる。その後、昭和十年十二月八日大本は潰れた。日本は十六年十二月八日世界大戦に入った。昼間の世界になり、霊界が明るくなり始めたのがそれになる。日本寺にはいろんな座像があり、凡ゆる仏を網羅している。それで仏界の型になっている訳である。四、五年前日本寺は焼けた。物質が終る。その一つに仏滅の型――。そういふ事があって、いよいよ昼間の世界の序幕と判ったのである。

昭和二年、神憑りとなった。十二時頃になると、一、二時間良い気持ちになり、いろんな事を喋った。それを記録したものを縁の下へ入れたが、焼いた事がある。日本は大変りする。種々な天皇は斯うなる等書いてある。六年に日本寺へ行く事等奇蹟が続出した。十八年で大体決まると知らされた。六年から今年が十八年になる。これで第一段が済む。来年から新しい結末といふべき段階に入った。よほど霊界にも大きい事が起る。緩慢に又は急速に映るのである。その時になると信仰によらなければならぬといふ事が判ってくる。すると、とても忙しくなる。今の信者はその時の指導者の意味で、未だ、その時の準備時代といふ事になる。

大本内部にもいろいろな事があった。特に争いが多かった。東京の大本分院に役員会があり、私との間に戦いが起った。大本――。東京の大本役員中に世界各国を代表しているような意味の人があった。その型を以て知らしてくれた意味もあり、それによって各国の結末も大体判った。その通りが今出つつあるが、はっきりは言えない。夜の終末、転換は人間の想像出来ぬ事がある。それは知れると反ってよくないから知らされぬ。時機が来ぬと話せない。例えば皇室のようなものである。日本寺から帰ってくると、麹町の或官庁が壊れて、そのままになっているのがあり、そこの屋根瓦の一部を持って来た者がある。瓦の丸い所には十六の菊の紋があった。玉となって砕く、瓦となって全くす、瓦全といふ事がある。これからいっても大西愛次郎のいふ事もよく合ってると思ふのである。昭和五年五月五日は午の年、午の月、午の日になる。之は紀元以来ないといふ。此日の午の刻に写真をお撮りになった。五ノ日、丙午などは――。

水天宮と惣領権現

“東京人形町にある水天宮様の御本体を御教説願い上げます。

“安徳天皇が壇の浦に沈んだのを水天宮に迎えた。(水天宮の向ひ)坂本公園に惣領権現を祭ってあって、非常に繁昌したが、明治ちょっと前から、水天宮が発展策を講じ、繁昌した為、惣領権現はつぶれた。大先生は之を再興してやらうとして九鬼といふ人がその元なので、坂本町へ、各業者に賛意を求めて、相当寄付の申し込みがあったが、九鬼子爵は頭が気狂いじみて、全然思はぬ事をいふからおやめになった事がある。  (S24・2・3)

大本御入信の頃、(彦一様の事)

“大正八年大本教へ御入信の時、綾部から「スグキテクレ」と電報があった。明主様は御姉上の息子さんを預って養っておられた。彦一様といふ。同僚四、五名と和知川で遊泳中、渦巻へ落ちた友を救ふ為、自分は死し友は助かった。犠牲的精神で、明主様も幾分これでお気持がよかった。兄上より、そのような信仰は止めてもらいたいと言はれ、約五年間やめられた。その後お筆先の研究から、霊的研究に入られたのである。出口師が、使命大きい程苦が重いと言ったが、全くそうだと思ふ。自分も随分苦心したものである。宋時代の服装――。釈迦時代の印度――。(S25・12・23以後)

順序、明主様御寺詣りせらる

“順序といふ事は今迄の世の中では関心を有たなかった。唯物的で出鱈目にした。之は大変な意味がある。お寺詣りにお出でになる予定を十九日に決められた。小石川でお茶の会があり、道具をみてゆかれようとした。お寺詣りは祖先へ行くのが肝腎である。「神は順序なり」といふより、万物は順序なりである。世の中がうまくゆかぬのは順序に無関心の為が大いにある。

御霊写真詳説、(麹町時代、天照大神名乗った行者)

“大先生の霊写真の事について御話し御願ひ致します。

“昭和九年  月、東光男なる者(「観音力を持った人が、東の方に表はれてる」といふ知らせがあり、東の方とすれば、赤坂か麹町方面だ)と言ふので、平河町の応神堂へ訪ねて来た。種種話をして帰途「写真を撮さしてくれ」といふ。素人写真屋のようであったが「床の間へ上っくれ」といふ。そして「マグネシュウムを焚かせてくれ」と言って撮った。私は「何か意味がある」と思って、彼を待っていた。すると翌日、乾板をもって来た。見ると「千手観音」が映っている。早速紙へ焼付けた。確かに奇蹟である。其頃赤坂に相当有名な美容院があり、美容師は女で、亭主があった。私は大本教に居た時に知っていた。その人の病気を治してやったが、三階へ「観音の部屋」を造った。そしてそこへ観音様を掛けて喜んでいた。私が千手観音様を描きたかった処その部屋の極く狭い長四畳を私の部屋とし、「今度出来た観音様の間で書いて戴きたい」といふのである。私は承諾し、毎日通って描いた。三分の一位出来た時、そこの亭主が酒に酔払い、破ってしまった。それで新しく霊写真の千手観音を描いたのである。「この千手観音様は、どこかに絵があるに違いない」とその時私は思った。それを写真を撮る瞬間に出す――といふ、観音力の偉大さには驚いた。これによっても観音力によれば、どんな事でも出来ると思った。

東氏が私の所へ来る度に雨が降るので「龍神がいつもついて来ているように思える」――といふので、私の居睡っているのを撮った。それが金龍の霊写真である。腹の太いのはいろんな物を呑むからで、之は神龍だから、呑まぬから同じ太さである。そして金の光が五本出ている。銀の光なら六本である。即ち五光がさしているのである。千手観音の御写真は仏の姿である。佛は、イ扁である。弓は月、━は経の霊の――霊体が経に引いてる訳である。故に人間の姿が見える。夜の月の光である。日光――神の姿、昼の光であるから強い。龍神は顔をみせない。円光は大輪、中輪、小輪と三段になったの等あるが、之は光を強く形容して書いてあるのである。岩は大地といふ事、今度は天上ではいけないので大地で仕事しなくてはならぬ。円光の霊写真――光が強いと、輪になる。丸くなるものである。この御写真が出て、私自身之は自重しなくてはならぬと思った。吾ながらそんなに偉いのかと、よく思ふ事があるが、神様はいろんな事をさせる。昔の宗教家はよく難行苦行したが、私はそんな事はない。

麹町時代、或神憑りの女が来て、「そもじは感心なお人じゃな、そもじは観音をよく熱心に信仰している」といふので、私は『私は観音を信仰してはいない。観音様の方で私を使はれてる。私の方で使ったんです』と言った事がある。又、大森時代、神憑りが来て「お可哀相な事じゃ」といふ。「天照大神は御苦労な事じゃ」といふ。『どこにいるか』と言ふと、「私の身体の中にいる」といふ。「今、居所がなくて困っておられる」といふ。私は、『一番尊い神様が居所に困られる筈はない』と言った事がある。

大黒様御蒐集とみろく大黒天御入手

“大黒様に就て――

“私が信仰に入った時、二、三ケ月赤字が続いた。二十年位前である。すると一信者の銀行員が、御入用ならばといふので大黒様を持って来た。文久何年かの作である。すると、その翌日から金が入り赤字が消え、不思議に金が入った。それで其後は心掛けて大黒様を探さした。そして段々数が殖えると共に収入も殖えた。そして五十幾つか溜った。

麹町へ行った時、十二月の大晦日に道具屋から電話がかかった。「手放してもいい。御入用なら持ってゆく」といふ。聞くと「あの大黒様を大先生が見られて二、三日経ったら、紫の雲に乗って大黒様が家を出て行く夢をみたので、事によると自分の手から放れるかと思っていると、昨日は苦しくて年が越せない。いよいよ時節が来たんだと思ふ」といふのである。そして持って来て「これは売るんでない、献上金のようでよい」と言ふので、三百円包んで与えた。  (S24・3・17)

八幡様、(応神堂時代の当局干渉)

“八幡様の御本体――

“応神天皇である。大先生とは御関係があり、最初民間療法として治療をお始めになった時の治療所名は応神堂とつけた。半ケ年位して警察に止められた。その当時の当局の干渉は甚しいもので、神宮通りに支部が出来た時、神宮支部と命名したが、それもとめられた。古い八幡様は彦火々出見尊、中途から応神天皇となった。

観音力と天皇

“ホリネスト教会は非常な拷問に遇い、二人殺された。キリスト再臨派の為が根本原因だった。中田重治は可哀そうだった。キリストと日本天皇の関係はどうなるかといふ事をいはれた。私なども、観音様の御力で治る――そんな事はない、天皇陛下の御稜威で治るんだ、故に病気が治ったら、二重橋へ御礼に行くべきだ、などと言った。(S23・6・21頃か)

大先生様借金時代

“(大先生様は非常に気が小さいが又大胆な事をなさった。宝山荘をお買いになる時五千円しかなかった。今思ふと神様にさせられた)「田さんを出してしまった朝寝坊」といふのをおつくりになった。玉川では大苦労して、冒険して大体の基礎を造った。玉川署には十一日間打(ブ)ち込まれた。(S23・11・25)

日光殿建築用材

“終戦と同時に秋田へ行かせ、神社の立木を買った。それを整理して小田原で製材した。運賃など入れ石三百円位だった。今は石二千円位する。杉の通し板を天井に使ふのは珍らしい。(S23・7・23)

金鵄の絵

“此の上に掛っている金鵄は観音様に如何なるいわれがありますか。

“大したいわれ無し。前に貰ったものだが、立派なものだから額にした。金鵄は金の鳶。終戦前まではよかったが今は具合が悪い。

元伊勢の神事と伝説

“千何百年前、その前は丹波の元伊勢にあった。昭和十六年五月、五六七会の幹部を伴に行った。そして七月、伊勢神宮へお鎮めした。ここに五十鈴川があり、その手前に天之岩戸がある。五十鈴川で御輿動かず御輿はやむなく引き返したといふ。それで本当の御神霊は山田へお移りにならなかった。元伊勢の山上に四角い大きい石があるが、之は上から落ちて来たもので、御座石といい、そこへ天照大神がお座りになったといふ。それ以来大神の御位も落ち、御座石も下へ落ちたといふが、之は曖昧である。  (S23)

伊勢御遷座の時

“天照大神の御霊は何時伊勢へお遷りになられたのでせうか。

“約千三百年前、その前は丹波の元伊勢で、ここに五十鈴川あり、此川が、重く渡れなくなり、やむなく引返して元伊勢にお祭りした。それで本当の御神霊は山田へお移りにならなかった。これについて色々伝説があり、元伊勢の山上に四角い大きい石があるが、之は上から落ちて来たもので御座石といい、そこへ天照大神がお座りになったといふ。それ以来大神の御位もおち、御座石も下へ落ちたといふが、之は曖昧である。その手前に天の岩戸がある。昭和十六年五月、五六七会の幹部を伴に行った。そして七月伊勢神宮へお鎮めした。その手前に天の岩戸がある。昭和十六年七月伊勢神宮へ行ったが、その際私の後に天照大神立たれ、「長い間御苦労であった」と仰せられた。神殿には素盞嗚尊がおられ、「これから故郷へ帰りますから、よろしくお願いします」と、その節私は皆に「これから日本、特に上流が変わる」といったが、果して今日の如く大変化したのである。
――――――――
伊勢神宮は、昭和十六年より天照皇大神が御祭りしてあり、その間、天照大神は元伊勢におられ、その間、素盞嗚尊は代理にいた。  (S・23・7)

元伊勢と真奈井

“丹後の国と元伊勢の関係――

“元伊勢は宇治山田へ御移転前の御居で、その前は丹後の真奈井である。(S24・6・19)

元伊勢と天の橋立

“天の橋立を渡りますと元伊勢神宮が御座居ますが、天照大神の御神体がいらっしゃるので御座居ませうか。又、天の橋立といふ名前のつきました由をお話し下さいませ。

“元伊勢の前は丹後の真奈井神社だと思ふ。元伊勢から伊勢へ御神体を移そうとして五十鈴川を渡る時、お御輿が重くなって渡れぬ。それで元へ返し、元の所へ祭った。それで本当は伊勢に居られぬ事になっている。元伊勢の谷川に大きい四角いような岩がある。谷川の淵にある。位おちて、下へ落ちたといふ説がある。昭和十六年五月、お迎えし、そして伊勢へお鎮めした。それまで素盞嗚尊がおられた。それから霊界が変わった。上流階級に変化があると言った。橋立は伝説によると、そこから天の神が昇り降りされたといふ。天と地の間に橋がかかるといふ意味で、龍頭といふ所があり、沖に沓島、冠島があり、之の間を龍宮海といふ。  (S24・12・13)

浦島太郎、真奈井と天照大神

“浦島太郎のお伽噺の意義、又何か秘められたる事柄等を御教へ願ひます。

“素盞嗚尊の時代に朝鮮の神は日本へ渡って来て、いろいろの事をやった。素盞嗚尊の留守中、奥様の龍宮の乙姫は、朝鮮に残っていたので、長い間一人で居て、空閨の淋しさに堪えかねていた。その時、浦島太郎が釣をしていて海が荒れ、朝鮮に漂着した。そしてそこへ上陸し龍宮城へ行った処、大いに歓待された。その頃は、男女関係が紊れていたので、乙姫の寵を受ける事となった。玉手箱といふのは、結構な土産を貰ったといふのであらう。中に貴重品が入っていたのである。開けたら白髪になったといふのは作った事だと思ふ。兎に角、相当長い期間燕の役をした。美男子だったに違いない。そして或時に帰って来た。それが当時珍しい事だったので、美しい物語として、当時の作者が神秘らしく作ったんだと思ふ。 信州寝覚の床には彼の釣竿が祀ってある。乙姫は物欲が強い為、死んで龍神になった。丹後の高砂沖の沓島、冠島の間の海底に龍宮城があり、そこに乙姫がいたと大本のお筆先にあるが、之は本当である。今度は欲をすて、持っていた宝を国常立尊にお返しする。その上で、自分は又国常立尊からもらふのを期待している。

天の真奈井の誓約の後、素盞嗚尊はその約を破らうとした。それを天照大神は不承知で逃げられた。そして水上山へお宮を造って住まはれ、御隠れになった。その御髪の毛を小さく切って方々へ祭った。本当の亡骸を方々に祭ったのが――。丹後の真奈井へお祭りした。大本教では、綾部の本宮山へ祭ったといふ。之はどっちが先かはっきりしない。次に、元伊勢、次に伊勢の順に祭ったといふ。御神霊を元伊勢から伊勢へお移ししようと、御神輿を担いで向ふ途中、綾部の五十鈴川を渉らうとした時、急に神輿が重くなって渡れなくなった。そこで又元へ帰ってお祭りしたといふ。それで元伊勢といふのである。それを私は、昭和十六年七月一日伊勢へお鎮めした。そして祝詞を奏げた時交代になった。素盞嗚尊と交代になったのである。『長い間御苦労であった』と仰せられると、「素盞嗚尊只今より故郷へ帰ります。宜しく願ふ」といふ声がした。そこで之から上流が変るといった。それが上流の没落となって表はれた。 (S24・7・27)

真奈井の誓約

“天の真奈井の誓約について、御伺ひ申し上げます。右御教示を願い上げます。

“真奈井は琵琶湖になる。天照大神は日本全土を統治なされたが、素盞嗚尊が渡って来て武力で脅やかした。そこで東と西に統治圏を分けられ、うしはがれた。(S23)

神話やお伽話、(浮橋、潮干の業、桃太郎)

“昔から神話とかおとぎ話がありますが、何か深い理がありませうか。(ノアの洪水、桃太郎、花咲き爺さん、浦島太郎等)

“神話やお伽話などには、真理もあるし、作り話もある。大先生は桃太郎の役をなさった。ノアの洪水は旧約聖書にある通りで、雨の降ったのが百日といふのと四十日といふ説もある。ノアの予言を本当の信じたのは六人だった。それが白人種の祖となったといふ。之は根拠はある。伊邪諾、伊邪冊尊の神話も大洪水である。立山の頂上に光が見えるとよく言った。富士の中腹には浅間神社があった。天の浮橋といふのは高い山の事。潮干の業とは潮を涸かす事(潮ひるの業)。島生みとは、水が引いて島が表はれた事である。  (S24・11・27)

桃太郎の神秘と猿・犬・雉、(鬼ケ島征伐と桃之実)、東島と東横

“桃太郎のお供した猿、犬、雉はどう云ふ意味でせうか。

“猿は智慧、犬は忠実、雉は迅速に行動する。智に勇を表はしており、桃太郎が戦をするに就ての三つの要素を言ったものである。桃太郎は観音の化身である。支那の伝説では、桃は、西王母の桃の実は三千年に一つなるとしてある。三千年目に優曇華の花が咲き、桃の実がなるといふ。桃の実は神秘で、モモは百、十が十で百で、百とかいてもよい。

明主様は以前、桃太郎の働きをなされた。清水氏がよく其頃桃太郎の夢をみた。五月五日に病人があり、小山勘蔵、新山顧問官、東島威之吉を訪問した。之が鬼ケ島となり、鬼ケ島退治遊ばした事になる。黄泉比良坂戦で、神様の方が敗けて逃げた時、伊邪諾尊が桃の実を下さった。それで勝ったといふ事が古事記にあるが、東横問題で、百円札で六万円持って行って喰ひ止めた事がある。伊邪諾、伊邪冊尊は尉と姥になる。

桃の実

“伊諾那岐尊が黄泉比良坂で桃の実を投げ撃ち、夜見の軍を追払ふ神話は、如何なる意味があるのでせうか。

“伊邪那岐尊が桃を投げるんではない。与へるのである。神秘物語に書こうと思ふから、それを見よ。(S24・9・5)

黄泉比良坂と坂本桃子、(九鬼隆治氏)

“黄泉比良坂、坂本桃子の神話の意味に就てお伺ひ致します。

“黄泉とは、その時の帝王をいふ。平坂の坂の低い所に九鬼隆治氏が住んでいた。私は二、三度行ったし、先からも来た。その時宮内省下附の菊の紋の着いた盃をもらった。これで平坂の戦が終りを告げたのである。桃の実は、上野毛で約六万円位出来、向ふへ払った。之は伊邪諾尊が邪神に桃の実を投げたといふ、それになる。(S23・7・18)

黄泉比良坂の戦い、(東横問題と九鬼)

“黄泉比良坂の戦いに就て御垂示御願い申し上げます。

“之は神秘なもので、神軍が敗けて逃げた所に伊邪諾尊が桃の実をくれた。それで魔軍が退散した。玉川宝山荘を奪らうとして九分九厘まで行ったが、一週間以内に異議を申し立てぬと奪られるといふ一週間目に高利貸が来て、競売はどうなった―といふ。もう一週間位になる。之を過ぎると大変だといふので、帰りに古荘に聞くと言った。古荘は大狼狽して書類を書き終え、裁判所へ持って行ったのが夜の十一時だった。それで延期する事となったが、それには予納金が入用である。其後一週間以内に納めなくてはならぬが、やっと出来て助かった。でないと奪られる所だった。その時持って行った金は全部百円札で、それをブッつけた訳である。九鬼隆治子爵といふのがあり、精神異常者でないが、そんな点があり、綾部の殿様で、本宮山――。元伊勢の前あたり、綾部の本宮山に伊勢神宮があった。綾部の惣領権現を撤去して、大本の宮を建てた。九鬼子爵は陛下下賜の盃をもっていた。  (S23)

黄泉平坂とハルマゲドン、東横問題

“「ヨモツヒラサカ」及び「ハルマゲドン」の戦ひの言霊による意味を御説明下さい。

“黄泉平坂は神代に於て神と悪魔の戦いになっている。明治神宮参道の右に九鬼隆治といふ人があり、赤貧洗ふが如くであったが(大先生との間に戦いの型があった)――。宝山荘は五島によって九分九厘九毛まで競売になって奪られる所を知られた。落札して一週間で決定となった。それを弁護士が忘れていた。そして帰途高利貸(広田弁太郎?)の家へ寄った時に言はれてビックリして抗弁書をかき終って届けた。それがその日の十一時過ぎで危く間に合った。その後やっと金が出来たが、百円札の束で、桃の実をブッつけた事になる。

ハルマゲドンは世界最後の最も悲惨な戦いである。(S24・5・17)

金龍出現と日本寺神事当時、大森上空戦と吉川、(富士御登山、守護神とならる、琵琶湖異変と小幡神社で御撮影)、(日本寺と明石と菊紋瓦、小池の夢と変、天祖御彫像と大本)

“天児屋根命、太玉命、天忍穂耳命、活津彦根命、熊野楠日命――。湍津姫命は一名須勢利姫といい月山に祭られた。伊都能売神は日と月の働きをなさる神様であるが、八人男女は日の神が五人、月の神が三人で、日と月になる。伊都能売大神様が御隠退になった。すると五男三女神は、自分の御主人が御隠退なされたので、自分達も隠退しようといふので八大龍王になった。富士山は霊、琵琶湖は体になるが、両方に分れて隠退された。富士山の登って右側に久須志神社がある。九頭龍は九柱の神の一番の番頭である。伊都能売金龍は木花咲爺姫命を御守護された。咲爺姫は仏界へ行くと観音様になられる。昭和五年七月二十三日、富士山へ大先生お登りになったが、其時に守護神になられた。

明主様には伊都能売金龍が守護している。伊都能売金龍は昭和四年四月二十一日琵琶湖から出た。昇る時、漁船四十七隻が大暴風雨で沈没した。廿一日には神秘があった。十九日に亀岡へお出でになったが、その時小幡神社にお祭りがあった。明主様は加藤明子の家へ行かれた。十九日は最終の祭りである。明子の家へ志賀和多利の妻君が来た。それと神守と二人で小幡神社へ行かないかと言ふ。その時之は琵琶湖に関係があると思はれた。小幡神社へ行くと皆で写真を映そうとした。明主様が行かれると、神氏と志賀夫人はすぐ二人で脇へ入った。大先生が間誤ついておられると小竹氏が引張って真中へ入れた。聖師は駕に乗りっ放しで、明主様は一番真中の前へ立たれた。それで明主様は、今に大本は自分より以下になると思はれた。小幡神社へ行って皆退散したが、大先生は神氏と二人で、鈴木満月が写真を撮った。写真は神秘がある。琵琶湖が気になったので二十日の日、琵琶湖の有名な旅館へ行った。その帰りに、「怒涛天を捲く」を書いて帰った。そして廿一日琵琶湖で大暴風があった。その後一月目に大森で暴風雷鳴があり、金龍が守護神にならうとして来て、それを邪神が妨害して戦ったのである。琵琶湖の時も赤龍(サタン)と戦った。

又其後吉川が生命をとらうとして短刀を持って来た。その頃お守やおひねりを作っていたし、それが大体問題となるのである。一信者としてそのような事をするのは怪しからんといふ。聖師はそれを知らん顔していたが、吉川等は黙視し得ずとして来たのである。大本は混乱している、その元は貴下なり、宜しく止めよ――と短刀を突出した。そこで彼の言ふ事を聞けば負ける事になる。そこで「之は聖師様も知っている」と言ふと、彼は腹が痛むといふ。それを治してやったら、それからおとなしくなった。そして一緒に来てくれ――といふので、二人で亀岡へ行った。聖師は「お守などの事はワシは知らぬ。あれは三代に作らす事になっている。信者が作るのはいけない。岡田さんはあまり大きくせず、少しづつやってくれれば宜しい」と言った。吉川にはサタンが憑いていたのである。

六年六月十五日――日本寺の住職田中常説は清水生太郎と心易かった。十四日の日に行かれ、十五日鋸山へ登られ、朝日を拝んだ。帰りに本所の方へ寄ってもらいたいとの事で明石といふ家へ行かれた。そこで神秘があった。之は証しだと思った。帰ると麹町でやっている部下の正木がやって来た。半蔵門で震災で役所の建物が壊れたまま建たずにいる、そこから瓦の欠けたものを拾ったといふ。みると菊の紋が着いている。瓦全玉砕といひ、瓦となって全からんよりは玉となって砕けよといふが、丁度皇室が斯様に無くならずに瓦全する(瓦となって生存するのだ)と思った。

(翌日)大井から一人―下駄屋の職人が時々来るが、それが血色を変えて来た。昨日夢をみた。山口四郎が釈迦になり地面を掘っている。そして「小池さん人間といふものはつまらぬものだ。結局穴を掘って入るんだ」といふ。又八景園のお庭の真中に池があって、石を投げると段々拡がり、それが世界中へ拡がった。それが治まると世界中が淋しくなり、所々観音様が立っている―その夢が気になってヂッとしておれぬといふ。そこでいろいろ慰めて帰したが、夕方妻君から電話があり、様子が変だからお出で願いたいといふ。彼は妙な事をいい、自分は世界のピントを合せる為に生れた。腰にネジがあって、之を合せなければお立替が出来ない。大変な意味があるといふ。そして翌日「今朝鈴ケ森の海へ飛込んで死んだ」といふ。それで之から渦巻が始まると思った。彼は全くその為に生れて来たのだと思った。九月十八日満洲事変が起った。之は日本の大転換の始まりで、小池の事から三月目に満洲事変が起ったのである。先の事の見当がつくのは、神様は種々の方法で知らされる。

その翌日森鳳声が来た。ちょっと有名な彫刻家で、天照大神様を彫りたくなったので、どのようにしようかお伺ひしたいといふ。そこで五尺六寸七分がいいと教へた。  其後アラ方出来た。そして「背中をどうするか、一ぺんお出でを願ひ度い」といふので、谷中の彼の家へ行ってみた。そして背中へは太陽の丸を付けよ、と教へた。それが出来ると白布で巻いて大本へ献納した。之は寧ろ大本へ献納されるのは大本にとって良くない。大本は月であるから、そこへ日が出たので月は光を失ふ訳である。

八大龍王御因縁、(梅の御働きとは)

“八大龍王に就て、(一)特に龍神になられ、釈迦によって日本近海に封じられた御因縁、(二)現在の御働き、(三)「八人男(ヤタリオ)と女(メ)唯一柱の神御霊(カムミタマ)とならせ此土に伊都能売神」との御讃歌の意味、(四)鳴戸海峡にもどなたか御鎮りになって居られたのでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“日本で生れた神であるから、日本の近海へ封じられるといふより鎮まって時を待たれた。龍王が仏にならうとして印度へ行くと、仏の働きでは具合が悪いから仏滅の世まで待てといふので、日本の近海へ――。之は本当で、他の事で立証出来る。現在は人間になって働いている。人間に殆んどなったのもある。観音教団に殆ど入っている。八人男女といふが、本当は九柱で、その中の御一方が伊都能売神即ち金龍で、此龍神は昔私に憑り、いろんな事を知らされた。伊都能売金龍は近江の琵琶湖に潜んだ。富士山上久須志神社の神で、九つの龍の頭である。霊にも霊体があり、八大龍王は家来のようなものである。霊が富士山で、木花咲爺姫を守っていた。体は琵琶湖へ潜んで時を待った。鳴戸海は別に特に鳴戸をどうするといふ神はない。海全体を守っている神が琴平別で、金比羅である。木花咲爺姫は仏界での働きであり(桜花)、桜の花は変る時の働き、神にもどられる時の働きである。

誓約と八人男と女、琵琶湖漁船転覆、大本教時代の御戦いの経緯

“観音は仏界でのお働き。兄花姫尊は神界でお働きになる神。金龍は観音様を守っている―守護神である。富士の浅間神社は木の花咲爺姫が祀ってある。久須志神社は金龍である。金龍山浅草寺といふが、九頭龍といふが、八大龍王は本当は九大龍王である。その一柱が金龍で、九つの龍の頭分といふ事である。五男神は天照大神より生れ、三女神は素盞嗚尊の御子。これを八人男と女といふ。祇園祭りも八人男と女を祀っている。

之は神話だが、素盞嗚尊が世を持ち荒し、伊邪諾尊の御勘気にふれ、追放されて黄泉国へ行く。その前に姉神に暇乞ひに天へ昇った。その時天地をどよもした。ただならぬ音がしたので、自分を征めに来たものと大いに警戒された。尊は弁解されたが、天照大神は信じられぬ。尊は決して邪念はないと剣を抜いて天の真奈井にふり濺(ソソ)いだら三女神が生れた。ちょっと馬鹿馬鹿しいようだが、之は寓意的なものである。  自分の心も見せようと、天照大神は勾玉をすすがれると五柱の神が生れられた。岩戸開きの時、手力男命が岩戸を引いた。その時五人の神がお伴した。それで五伴男神といふ。

昔の系統に天児屋根命の系統は非常に多い。貴族、武家などに多い。市杵島姫は弁財天といふ。弁財天は印度の神で、金に関係あるようで、芸術の神である。白い蛇になる。大黒天の方が金を使ふ。之は面白い。

八人男と女は釈迦に封じられた。仏の世になるから、神は一時引っ込んでもらいたいといふので、仏滅まで世に出るなとされ、その間、龍神になって時を待った。それで日本国土の海中へ入って時を待った。九州―明石海―ウバナンダ、越後と佐渡の間―タクシャカ龍王といふようにである。いよいよ八大龍王が出るのが今で、殆ど出ている。皆人間に憑り働いている。観音会には沢山ある。その親玉が金龍で、之は封じられたんでない。霊は久須志神社にいて、体は琵琶湖の底に沈んだ。(霊のうちの――)

昭和四年四月廿二日の新聞に、漁船が転覆した。琵琶湖に料亭があり、出口師が泊った。「怒涛天に沖す」とかいた。大先生は亀岡へ行かれた。春季大祭であった。小幡神社へ神守と参拝しようとされた。志賀渉もつれて行ってくれといふ。志賀と神守をつれ小幡神社へ着き、今写真をとらうとする時、並ぶ時間がない。小竹氏が急いで袖を引き、出口家の人々の真ン前に立たれた。大本をリードする恰好になった。帰りに(小幡で)鈴木満月が写真を撮った。翌日琵琶湖へ行き、廿二日に怒涛があった。金龍が出て、湖上で赤龍と戦った。一ケ月後、激しい雷鳴と共に大先生の守護神になられた。今度は赤龍が大先生を狙い、吉川なども来た。二代教主が宇城に命じ、大先生を暗に殺そうとした。そしてお守やおひねりをやめるように言った。これを聞くと邪神に負ける事になる。所が彼は腹が痛くなった。とに角聖師さんに聞くといふので、吉川をつれて翌日行かれた。聖師は「お守は三代が作る事になっており、ワシでも作れぬ。信者とても同様だ。ただ岡田さんが造ってはいけないといふ事は出来ぬ」と言った。真柄直彦は十八、九の素晴しい女の神が富士山を降らるるのを見たといふ。(S23・6・24)

八大龍王と廿八部衆、(金龍神懸らる)

“之は関係ない。五男三女神は――。仏は神の化身で、仏の世になる――。八大龍王は別の意となる。仏の世となるに当り、仏になって救ふが、それと仏とはなれず当分何千年間隠退している神とある。八大龍王は隠退している訳で、五六七世までの龍神になり待っているといふ釈迦の命の如く引導を渡した。  そして日本近海の九州明石の海、不知火、越後と佐渡の間、東京湾等の海底に潜んでいる。

最近は殆ど上っている。八大龍王はない。人間に憑いている。或は生れた子に憑くのもある。一番上が伊都能売金龍で、之は大先生に懸った龍である。長い間龍神だったので、人間の言葉が使えなくなり、二、三年大先生の身体におり、人間の言葉が使えるようになった。廿八部衆は観自在菩薩時代の家来で、孔雀明王、不動等、お伴したのもある。廿八宿とは関係ない。之は月の方である。廿八品は面白い。(S23・7)

金龍神の神秘、(赤龍の在所)、写真の重要性、大森の意味

“『志賀の湖水底深くかくれませし金龍神の現れましにける』と御讃歌にございますが、其の意味を御教授下さい。

“近江の琵琶湖は、歌詞では志賀の湖といふ。伊都能売之神は龍神となって隠れ給ふた。それが金龍で、私に憑っていろいろな話をされ、教えてくれた。八大龍王の上の神、龍王の主人、九頭龍といふ。私に半年位憑り、人語を覚えた。四・四・二一湖底より御昇天、霊は久須志宮に住んでいた。観音様の守護神、昇天後一ケ月私に憑って守護神となった。九頭龍は今でも邪神と戦っている。赤龍の霊はヒマラヤ山、体は死海に住んでいた。今以て戦っている。大蔵省など赤龍がやっている。吉川、「怒涛沖天」、四月十九日、大祭、小幡神社へ志賀渉と御参拝、記念写真の真中に写られた。いつか大本教より偉くなられる。写真は神様の方で重要なものにしている。  昭和五年五月五日、午の年午の月午の日―こんな事は珍らしい。大森は、木は六で、六が三つで、大ミロク、応身ミロクとなる。(S23・12・29)

八人男と女の御歌、(病人が金龍霊視)

“御讃歌、『八人男と女唯一柱の神御霊とならせ此土に伊都能売之神』右御歌の意味、御教示御願ひ申し上げます。

“五男三女神は龍神になって弥勒世を待っていた。全部を一柱の神になられたのが伊都能売之神で、八大龍王といふが、本当は九大龍王である。その神の名が伊都能売神である。男(五、火)女(三、水)お節句もそこから出ている。頭目は金の龍神で、これが伊都能売神である。「此土に出づる」がかけてある。五男三女に就て、悉しくお話は出来ぬが、伊都能売神は金龍となり、霊は富士山の上におられ、体は琵琶湖の水底に大体三千年潜まれた。仏教の時代は、龍神となって待っておられた。富士久須志神社の神、観音様の守護神である。浅間神社は木花咲爺姫命で、仏界では観世音である。昭和四年琵琶湖から出られた。湖上でロシヤに本部を置く赤龍(サタン)と大戦した。私が治療時代、病人の病霊を龍がパクパク呑むのを見た人があった。(S  (*)・10・24)

型に就て

“大先生は種々型をなさって御いでになると伺っていますが、その基礎的な知識に就て――

“型は神様がやっているので、大先生がやっておられる訳ではない。これに就ては今は言えない。時期が来れば話す。(S23・6・28)

型の意義

“大先生様の御話に「天国の模型」とか「何々の型」とかいふ御言葉がよく拝されますが、この「型」の意義について御教示下さいませ。

“似た小さいもの、模型である。

型――浄める

“東京世田谷区経堂町にて、六月十二日午前十一時頃夫が妻を浄霊しようとして、善言讃詞をあげて居りました処霊憑りとなり、合掌した手を強く上下動し、「神だから祝詞をあげてくれ」と申し、早速奏上した処、合掌の手を上に高く挙げ涙を流し乍ら「皆様太陽が昇ります」と申し、突然箱根の方向に向ひ、平伏し「大先生様御教へ頂きます」「三十二歳の婦人、御守護御願ひ申し上げます」と申し、おしぼりで全家族の手、顔を浄めさせ、大先生様に御救ひ戴きました御礼を全家族揃って申し上げさせ、更に「井戸の水を洗面器にて三度流し、又泥溝を浄める様に」と申し離れました。この霊は、どの様な霊で御座いませうか。又何か井戸、泥溝と関係が御座いませうか。

“之は霊界で極楽や天国へ救はれた霊で、そういふ霊は神といってもいい。神格を得たもの即ち神格者である。祖先が、これほどに喜んでいる事を知らしたのである。後は間違っていないから結構である。「井戸水を流した」のは、これは型である。霊界の事は型といふものをやる。型に就ては馬鹿々々しい事がある。(一家を浄める型をしたのである)大本教の教祖は十枚の蘭に水をかけた。然し意味はある。十葉(東洋)の波瀾を鎮めるといふのである。そういふ事は間違ってはいない。(S24・6・22)

バッジの真義、(仏教の行り方と日本語の階級性、文化と幸福、力と観音の働き)、十字文化建設の型、箱根・熱海・小田原の意義

“バッジは皆判っているか。上が日、次が月、外が大地で、日月地になっている。真中の十が霊体結ぶ。東西文明、経と緯と結ぶ訳である。今迄の文化は別々になっていた。仏教は東洋で、経であるから祖先崇拝で、先祖を祀る。そして、子孫の為を思ふやり方になっている。経の一番中心が日本、之は言葉でもよく判る。アメリカなど、どんな偉い人でも、相手は汝、私は私と簡単に片づく。言葉に階級性がない。日本には非常に階級がある。特に婦人など、奥様、妻君、新造、山の神、女房、嬶、○○の方――など種々ある。男でも、天皇陛下、殿下、閣下、貴下等いろいろ階級性がある。如何に階級的であるかが判る。アメリカは緯で、経の日本へ民主的といふ緯の棒が入った。民主主義を日本へ宣伝される。それで十字になる。之が本当の文化である。今迄は体的文化が進んだ。半分だけ進歩したのである。今は半文明時代といっていい。それで、いくら進歩しても幸福は増さぬ。人間の幸福はちっとも増さぬ。不幸を増大すべき働きしている。それで、体的文化進み、霊的文化も進ます。体的文化は日進月歩である。一方は何百年何千年前に出来たものでやっている。どうしても新しい宗教が出来ねば本当の文化が出来ぬ。十字になれば非常な幸福が得られるようになる。

そうするには型を要する。神様は非常に大きな事をするに極く小さい、見えない事を始める。人間の肉体と同じ霊があり、その中心に魂がある。人間は神様の分霊といってもいい。本当いふとそうはいえぬ。如何なるものも新しく出来る場合極く小さい。新しいものの生れる場合、一番小さい種が出来る。そのお働きが観音様で、観音様は男(経)であり女(緯)で、両方である。マークはその意味である。十字架もその暗示である。将来、経緯の文化を結ぶ事もある。そこで天国が必要で、東西の結ばった真中、それが観音様の働きである。十である。霊体一致して力が出る。霊が人間の体へ入る。そうして経緯結んで力がある。東西文化が結合すると本当の力が出る。すると悪魔が如何に侵しても犯されぬ。悪魔に犯されるのは、力が足りぬからである。

東と西の間が箱根で、東西結ぶ型を――ここを選んだ訳である。玉川がそういふ位置になる。西東の間で、東へ寄った方である。神山が東西の境界線になっている。神山荘、早雲寮とした。日は五、ハは火(ハに人で火になる)、コはコル――大きいものを詰めて小さくする意、ネは根本。アは火、熱海は外国、洋館になる。七は小田原になる。アは天、タは平らな所、ミは水。故に月である。それで、火水土、五六七の順序になる。そういふ訳で、道場が出来たのである。  (S23夏)

ハコネの意義

“観音様は男に非ず女に非ず、火と水――。東洋精神文明―。函―は完、関、八の意から言っている。関東、関西となる。八は火、火はハと人、コは凝る。火の塊。不二が元になる。アイウエオのオは下の事、小。(S23・9・22)

箱根、熱海の意義

“此様な木は今絶対に出来ない。これが買ってあったために、此道場が出来たのである。これは神社の木を五十本ばかり切って、小田原で製材したものである。強羅は西と東の真中になる。箱根を境にして東が関東、西が関西になる。関東関西の中間が神山となる。と云って、神山へ家を建てる事も出来ぬので、神山に一番近い此地に建てた訳である。神山から向ふが西になる。神山の意味で、ここの家を神山荘とし、此道場を早雲山の意味で早雲寮とした。

東西の真中といふことは、観音といふことになる。  東西は火と水で云へば、火は五で水は六で五六即ちいづのめの神となる。五六が五六七でミロクとなる。東西に分けると、東陽西陰となる。いづのめ神は仏に化身して、観音となられる。この場所は非常に意味があり、ここへ先づ出来て、次に熱海へ六百六十坪の西洋館が出来る。箱根は日本になるから木でつくり、熱海は外国になるから、西洋式で椅子席になる。小田原は日本式と西洋式、支那式等、各国の様式を採り入れたものを造る。

言葉から云ふと、ごは五であり、此の土地は五になる。火で、らは螺旋状に廻る。言霊でゴーラとは、火が渦巻いて拡がってゆくこと。アは天、タは平の所の真中 (マルジュウ)にもなる。太陽の黒点にもなる。太陽の黒点は大きくなったり、小さくなったりする。之は太陽の呼吸運動に因るので、呼(ハ)いた時は大きくなる。太陽は十一年目に一ぺん呼吸する。地球の息吐き切った時は、八月十日頃。引き切った時は冬である。ミは水である。火は経であり山であり、水は緯であり海である。水或いは月の世界は西洋になる。水の天国、月の天国となる。仏教でいへば浄土になる。箱根は極楽になる。小田原は第三天国と八衢になるから四辻になっている。西へも東へも連絡する便宜な地点で、之は八衢の小さい型となる。これで火水土となる。即ち五六七のミロクが型に表はれたのが強羅、熱海、小田原となる。

東京を中心とすると、箱根は陰即ち女となる。日光は陽即ち男になる。故に箱根と日光は関係がある。将来日光の戦場原へいろいろの建物が出来る。東照宮はその模型である。日光が地上天国の中心になる。山あり滝あり湖水があるが、箱根には滝がない。日光では凡ゆる風景が取入れてある。要するに神様のプログラムは既に出来ているので、時期が来ると共に自然に出来てゆくのである。(S23)

日光、箱根、熱海、小田原

“熱海は仏教でいえば浄土になる。箱根は極楽になる。小田原は第三天国と八衢になるから四辻になっている。西へも東へも連絡する便宜な地点で、之は八衢の小さい型となる。これで火水土の力となる。即ち五六七のミロクが形に表はれたのが強羅、熱海、小田原となる。

東京を中心とすると、箱根は陰即ち女となる。日光は陽、即ち男になる。故に箱根と日光は関係がある。将来日光の戦場ケ原へいろんな建物が出来る。東照宮はその模型である。日光が地上天国の中心になる。山あり滝あり湖水があるが、箱根には滝がない。日光では凡ゆる風景が採り入れてある。要するに神様のプログラムは既に出来ているので、時期が来ると共に自然に出来てゆくのである。(S23)

法隆寺と仏滅、(日本寺と型)、仏教芸術

“現在、法隆寺は信仰の対象では無く、往時の日本文化の貴い資料として後世に保存する目的と存じますが、昼の文化建設の前には旧文化崩潰の線に神の御意図は厳正であるので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。又、法隆寺保存の衝に当る重要の人は、次々に死去されて行くと云う事を聴きますが、是は何か霊的の関係が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“仏滅の時期へ入っているのである。法隆寺は仏教芸術の根本で、千三百年前聖徳太子が造った。それから仏教芸術が盛んになった。仏教の功罪を考えるに、芸術に就て仏教の功績は偉大なものがある。音曲、絵画、彫刻等仏教が根本になっている。民衆芸術としての音楽――すべての歌曲はお経が元である。お経から謡曲になり、謡曲から種々長唄、常磐津等が生まれた。浪曲は説教節から出ているが、之は坊主が説教するのに、三味線等の楽器を入れて歌ったものである。芸術に対する功績は実に偉大である。その元たる法隆寺は実に惜しいが、深い意味があらう。

昭和六年六月十五日、三十幾人を連れて房州鋸山の日本寺へ行った事がある。其時から昼の世界となった。日本寺へ登ってみると――十四日一泊し、十五日暁方早く山へ登った。それは乾坤山日本寺といふ。山の中腹から頂上に凡ゆる仏像があり、釈迦、阿弥陀、観音、阿難、迦葉(カショウ)等種々ある。勢至、不動等も網羅している。又、橄欖樹といふ樹があり、釈迦は昔、菩提樹下石上に行(業)をしたといふ。それで、日本に於る仏界の型だと思った。仏界は夜の世界の間で、日本寺が黎明となるといふ意味である。その後火事で焼けてしまった。これが仏界の元である。神様の事は、大きい変化は小さく、極く小さくされる。人間一人が世界の型になる場合があり、果物のようなもので、実、皮――種といふようになっている。霊体でも、心から魂、霊子となり、霊子は神界――。精虫のようなものである。小さい元が変化する。それで世界がどうなるか判る。

日本の仏界の元は日本寺であり、そこから黎明になるべき名である。仏教芸術の元が焼けるべき型がなくてはならぬ。今度は型は残っているから、全部消滅したんではない。修復して出来る方が新しいものが出来るから、反っていい。故に、悲しくもあり悲しくもなしといふ訳である。もっと大きく破損して、新しく大きくやり直さなくてはならぬかもしれない。(S24・2・1)

金堂焼失と日本寺、(日本の芸術と仏教)

“法隆寺の金堂が千数百年も存続した事は、神様の御守護があったからだと思いますが、此のたび焼けたと云う事は、如何なる事によるものでございましょうか。

“焼けるのが本当で、止むを得ぬ。仏滅の時期へ入っている。一三○○年前聖徳太子が作った。仏教芸術の本を作った―即ち仏教の本である。故に仏の滅する時は無くならなくてはならぬ。房州日本寺も焼けた。之は日本の仏界の型である。日本寺の上には凡ゆる仏体がある。六月十五日が黎明で、岩戸開きに行ったのである。それから十年位経って焼けた。その次に仏教芸術弘通の初めたる法隆寺が焼けた。仏滅の世になるに、当然あるべきである。日本の芸術は仏教が元である。長唄は謡曲から、謡曲はお経から、浪花節は説教節から、説教節は坊主の経から出てる。絵画彫刻も最初は仏像である。仏教の一番の功績は芸術である。日本の芸術は仏教が生んだといっていい。(S24・1・28)

金堂焼失の意味、(日本寺に就て)

“法隆寺金堂の火災は霊的に如何なる意味がございませうか。

“仏界の元で、仏滅があるとすれば止むを得ぬ。以前型があった。岩戸開きの為、昭和六年六月十四日晩御出発、日本寺へ泊らる。原田祖岳といふ禅坊主で、達磨をかくのが巧い。清澄山―日蓮が東へ向って法華経を唱えた一番最初の山。之がすぐ前にある。日蓮のやった事に関係がある。その山に凡ゆる仏界のものがあった。その寺には橄欖樹があり、菩提樹の樹下といふのがそれである。その時仏界の型と思った。日本寺は今から五、六年前(十四年十一月)に焼けた。再建は不可能となった。之が仏界のなくなる第一歩である。金堂の十二の絵は仏界の有名な仏ばかりである。仏教の各宗がやがてやれなくなるであらう。仏教芸術―物質的の元、元のものから斯うなった。仏教の各宗は財政的に困っている。高野山あたり、去年七十の寺から千五百万円集めたのがやっとであった。本願寺では今年蓮如上人の四五○回忌に一億集まったが、募集費が八千万円掛った。天理教、金光教位である。 (S24・1・29)

法隆寺焼失と夜昼転換

“法隆寺はどうして焼けたのでせうか。

“仏滅は夜の世界の終る事、仏は夜の世界の救いのやり方で、神は仏に化けられた。神は昼間の働きであるが、霊界が夜の世界であったので、昼間の働きが出来なかった。昼間になるに就て、夜のものはなくなる。宗教からいえば夜の世界はなくなる。現象的にいっても大転換し、文化の転換が行なはれ、昼になると戦争はなくなる。戦争などは夜の世界のものである。今昼の世界の焦(頂)点に入っている。それで法隆寺の焼けたのは、仏の形の消滅する型になる。実際世界的のもので、貴重なものを焼いた。そういふ理屈づけるのは怪しからんといふ事にならうが、焼けたのは事実である。凡ゆるものは偶然はない。必然の理由がある。やはり仏滅の一つの表はれと解していい。吾々の方は霊的解釈であるから、体的とは違ふ場合がある。

昭和六年六月十五日、安房の日本寺へお出でになった。乾坤山日本寺といい、ここには凡ゆる仏像があり、菩提樹があり橄欖樹がある。太古からあるが、神様が世界経綸をせらるる場合、先づ型をやられる。之は人間の肉体と同じく、胎内に宿る時は極く小さいものである。世界の動きでも或型でやられる。戦争でも国際問題のその動きなど、廿年前に型で示された。それで日本寺は仏界の型で、之が昼間となる第一歩が始まった。日本寺からお帰りになられ小池氏が夢をみた。又山口四郎が、釈迦が墓穴を掘ってる夢をみた。日本寺は十四年の十一月二十六日に焼失し、再建は出来ぬといふ。法隆寺もその意味である。(S24・3・20)

法隆寺壁画焼失、(仏像御手許へ集まる)

“法隆寺の壁画の焼失は仏滅の世の暗示で御座居ませうか。

“仏滅に入った一番最初の表はれであらう。あれは仏教芸術の根本である。大先生の御手許には今迄仏像類は全然来なかったが、法隆寺が焼けてから(四、五日前か)仏に関するものが御手に入るようになった。(S24・2・2)

法隆寺と僧の醜行等、(仏教の救はれる部分)

“一月廿六日に奈良県の法隆寺の金堂が僧侶の不注意から火災が起こりました。千数百年も経た国宝の建造物や仏画等が焼けました。裏面には僧侶の忌はしい女関係等もあった様です。これは仏の戒告でせうか。又仏法が滅する時の来た事を神が知らして居るのでせうか。

“仏滅の表はれである。僧侶の忌はしい事は殆ど関係ない位である。どうしても仏滅の型をやらなくてはならぬ法則である。仏教の中でも或部分は救はれる。救はれるのが御手許へ集まった。  (S24・2・16)

御光の色、(金、白、紫の色)

“私はお光が見えますのですが、金色と白色、紫と御座います。右のお光に就て御垂示御願ひ申し上げます。

“金は太陽、火素が多い。白は月の光で、水素が多い。紫は太陽の光の裏で、最高の色である。天国の衣冠束帯などの最高位の神の衣裳の色である。結びの色といい、最後の色である。結びは神である。故に神様のものは紫色を使ふ。紫、白、金は皆最高のものである。神の霊光で、手から出る場合も、人によりちがふ。日と月と土の霊統とあるが、霊統により、金色や白色の霊光が出る。又、男は金、女は銀である。

人魂、御光の根原

“人魂と御光の根原――

“人魂は神でも人間でも空間を行く。色は黄色いのと青いのとある。之は女と男で、女は水色、男は黄色である。女は月、男は日の系統だからである。神様は非常に強い光の玉である。燐が燃えるなどといふのは全然出たらめである。私のお腹に光の玉がある。これが筆を通して字に入って行く。明主様の光は観音様から出る。要するに光の発電所である。それが霊線を通して各教導所へ行く。(S23)

光の玉拝見出来るか

“大先生の腹の中にあると云はれる光の玉は普通の人に見えるのでせうか。

“あまりには見えぬが、霊写真をみるとはっきり分る。(S24・7・5)

光明如来文字部屋中に拡がる

“光明如来のお軸の左右から室中が光明如来と文字がありありと見えます。どんな訳でありますか。

“字の光が沢山拡がるのである。であるから光明如来様をお祭りしてある家は感じが非常に明るい。気持がいい。この説明は非常に難しい。

御神体に奇瑞拝す

“今年二月二十三日、光明如来を奉斎させて頂きましたが、六月頃より御神体礼拝の際、御神体の印(上下共に)の周囲印同大のホタル色の光が顕滅する様になり、又光明如来の来の字丈太陽の如く光りますが、一体どうゆう訳で御座居ませうか。お伺ひ致します。

“種々に見る人がある。白、黄色、紫など、光、明、如なども光る人がある。又、観音様がみえる人もある。近頃、段々こういふ事が多くなる。(S24・11・26)

御光の色変化

“田崎定といふ信者で御座いますが、教修を戴く前は御神体に御礼拝致しますと黄色い光が見えて居りましたそうで御座います。御教修を頂きまして後は其のお光りの中心に黄色、其の周囲に赤色、其の外輪に青色が見える様になりましたそうでございます。如何なわけで御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“之は光の色である。いろいろの色が出るもので、みえる事は結構で、大して気にする要はない。黄が中心で、赤、青である。(S24・8・22)

御奉斎して梅、桃開花の状見ゆ

“昨年十月光明如来様をお祀りさせて戴きました信徒さんの家のお婆さん(七十六歳)が、今月に入ってから夜毎就寝の前に善言讃詞を奉唱させて頂き、電灯を消すと光明如来様から光が発して室内が明るくなって一度は桃の花、其の後五、六回は梅の花が美しく咲き匂っている美しい情景が展開されます。余りの神々しさにお礼を申し上げ、再び善言讃詞を奉唱させて戴き寝ませて戴いて居ります。右に就いて御説明をお願ひ申し上げます。

“光明如来様から光が出ている。そして桃、梅の花など見せて下さる。時々神様は奇蹟を見せぬと人間が信じない。一生懸命拝む事によって、偶像なら偶像で、人間が拝むと、霊界で観音様なら観音様の形が出来、御利益を受ける。

御神体御光の奇象、(五色に映る)

“停電の時、光明如来様の御書体から大豆程の光が出て障子に五色の色を持ってしばらく映って居ましたが、如何なる訳でせう。

“光が御神体から出るのであるが、こういふ事を見たり聞いたりすると判る。御書体が単なる紙へ字をかいたのみでない事を知らされたので、これにより信仰を深められるのである。

御神体御文字の活動

“私方の教導師の者で、父が本教反対の為でありますが、其の者夫婦と父と永い間不和で、其の者の嫁が一旦家出し又もどりましたが、今父と私夫婦に円満になりつつあります家庭ですが、光明如来様から光といふ字、又、光明如来の御文字のままの光が床の間中飛び廻ります。如何なる訳でせうか。お伺ひ申し上げます。

“光明如来とかいた文字と思っている人があるとすれば、生きておられる事を見せて下さるのである。(よく迷ひのある人には奇蹟を見せられる)奇蹟のある事は良い事もあるしよい事もある。迷いなどあると、奇蹟をみせて困らす事がある。(S24・8・28)

祝詞奏上中御字煙になる

“私は昨年十一月入信、日々喜びの日を送らせて戴き、本年三月光明如来様を御祭りさせて戴きましたが、私の娘(十六歳)が光明如来様に御参り致し善言讃詞を上げて居る間、光明如来様の「来」の御字より煙の如きものが出ると思ふと御字が全部見えなくなり、又四月になって大光明如来様を御祭りさせて戴いて三日目頃よりだんだんその煙のやうなものが薄くなりましたが、如何なる訳でせうか。

“光である。パッと出るのと、持続的に段々出る場合とある。文字から光が出る事を知らしてくれる。

御神体の御光拝す、(歩く御姿)

“私は十五、六年間医者が結核と称すもとに治療を受けて居りましたが効果なく、続いて娘も同様な病気により親子共に死の宣告を受けて悩みの悲しみに日を送って居りましたが、観音様の御浄霊の良いとの事、早速御光を頂き、一ケ月程で親子共に全快、今日では教導師として活躍させていただいて居ります。御利益の程有難く御礼申し上げます。尚、大光明如来様をいただいて居りますが、一昨日御訪問の支度が終り大光明如来様の前に主人が参詣致して居りますと、霊光が御文字のまま反射致しました。主人は目がどうかしたのでは無いかと思い私に見て呉れと申すので、拝見致しますと同じ様に拝めました。何かわけがあるでしょうか。お教え願います。

“字が沢山壁に表はれ、動いたりなどする。これはその人の信仰を進めるとか、字でも生きている事を知らす為見せてくれる場合がある。 先にお姿をよくかいた。お掛軸から抜けて歩くのをみた人があった。

御奉斎により続く光の奇瑞

“十二月廿七日光明如来様を頂き、午后八時頃山路を通ってゆく時に、あたりは真暗なのに自分が通ってゆく道がマッ光りでした。家へ着いた時又光を増して、倉の鍵が掛っていないで戸が開いているのが見られました。其后二十九日お祭込みを頂き、三日目に又母が夜一時頃便所に起きた時、家の前だけが太陽の光の様にマッ光りでした。之は如何なる訳でせうか。

“光明如来様の御光が、此通りある事を知らして下さる。之はよくある。非常に結構な事である。

御奉斎による霊集

“私の家の光明如来様を御祭りさせて戴いて居ります次の間に、今より一ケ月以前に夜十二時過ぎより人が多勢集まって騒がしく話したり歩き廻ったりする感じが致しましたが、如何なる訳でせうか。御教示御願ひ致します。

“霊界で沢山の祖霊や知人の霊などが光を戴かうと思って集まってくる。教導所になると、霊界で知ると、それを見たり聞いたりする。(S24・11・8)

前頭より金色の玉出づ

“先月二十四日或る人の前額部から直径三寸近くの丸い金色の玉が出始め、五、六回にわたって出ましたが、漸次小さくなり、御神前を浮遊して消えました。それが終るや否や光明如来の光の字から同様に出ました。しかしそれはその人の母親だけに見えたので御座います。如何なる事でありませうか。

“この人は頭に毒があって、光明如来様の光が頭を通って出た。そのお知らせである。(S24・5・6)

光明界文字より光

“太陽印刷の主人小山正男様で御座いますが、大浄化を頂き御救ひを戴きまして後、御額の光明界の御文字よりはお光が拝め、他の御額からは拝めません。如何なる訳で御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“字の意味が光明界であるから、光が見えるのである。字の意の通り働くのである。  (S24・10・22)

七の御文字のみ光って映る

“五六七の横額の七の文字だけが毎朝其の下の襖に白く銀色に光って見へるのですが、如何なるわけでせうか。御伺ひします。

“七は土であるから、順序で下の方へ下るんであらう。七だけが一番力が入ってるから、字は一番力の入ってる関係もあらう。(S24・1・6)

御守の音と光により浄化さる

“四月十四日の夜中の事でございました。私が就寝中胸にかけたお光りの附近でパチンと音を感じ、其の音の強さはカンシャク玉のはぜた時の音で、身体にも衝撃を感じ、目をつむっておりましたが、光は目に映じ、光の強さは目をつむって居ても電燈十燭位の強さでございました。其の夜は身体には変化がございませんでしたが、翌朝より下痢の浄化を二日続いて戴きました。お光の附近ではぜた音は如何なる訳でございませうか。又光は如何なる訳でございませうか。御伺い申し上げます。

“神様が此人の汚い物を除られた。激しく除られた訳である。早く浄化しなければならぬ訳があるのである。も一つは、音によってお前を斯く浄化するといふ奇蹟をみせてくれたのである。よく光明如来様の附近で音のする事がある。又お宮で裂けるような大音を聞く事の例もある。奇蹟的にみせて下さるのである。

御垂示の活字の光みゆ

“沖塚と申します信者で御座いますが、明主様の御教え(新聞や御本)の活字が一字一字金色の光を放っているのが見え、又、人の言葉が白色、黄色、灰色、黒色の光となって出るのがよく見えるそうで御座いますが、如何なる霊が憑いているので御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“霊視能力のある人である。万人に一人とある。色々みえる。善い悪いの判別に頼むとよい。(S25・3・1)

皇大神御軸より白光を拝す

“昨年五月、教修を戴きました信徒の家に以前からお祀りしてあります天照皇大神の御軸から、最近に至り光明如来の御神体から発する霊光に等しいと思はれる光(白色光)が見へると申して居りますが、右に就て御伺ひ致します。尚右信徒は近日、光明如来様を御奉斎戴く事になって居ります。

“光明如来様は天照大神の御軸を代りにして、それを通して光を出して下さるのである。(S24・11・9)

光の文字かいて奇蹟あり

“去る九月十日近所の熱心な信徒の方が、光明如来のお軸を見ながら光と云ふ字は本当に有難いと云ひつつ何の気なしに其処にあった紙切に筆を取って光の字を半分位書かれますと、其れを見て居た私の目に光の字が消えて電球の光の線を直視するように舟の形をしたものに変り、それが二、三尺前の方へ進み今度は桃色のような赤いような直径一寸位の玉となり、玉の周囲が緑色とも紫色とも言へない綺麗な色に輝いておりましたが、三分間位でボウッと上に消えました。如何なるわけでせうか。御伺ひ申し上げます。

“光明如来様の御光が写ったものであらう。(S24・10・6)