005 霊界篇

今度の神界(飛躍的進歩)、例祭と供養

“毎月仏の供養と観音様の例祭をして居りますが、両方共行なったがよろしいでせうか。仏はもう神界に復っておりますでせうか。

“未だ神界ではない。仏界は残っている。例祭と供養両方やるのは結構である。神界といふのは、今の神道などがやっている神界とはちがふ。今迄のは古神道で、古代のものを伝統としているにすぎぬ。今度のは非常に新しい、文化的のもので、人間が想像するのと反対で、飛行機で空を飛ぶように進歩したものである。(S24・1・6)

現在の霊界

“今年より愈々昼間の世界に入りつつあるとの御教えを戴いて御座いますが、只今の霊界は現界的に申しますと、夜明の何時頃に相当致しますもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“朝六時頃であらう。黎明をちょっと離れた所である。(S25・3・1)

神幽顕、幽玄界、想念界、言霊界に就て

“神幽顕、幽玄界・想念界・言霊界、天国・八衢・地獄、此三段三段は何か関係が御座いますでせうか。

“経にゆけば神(界)、仏(界)、現(界)となり、仏界は幽界になり、地獄といふ事になる。一番上は幽玄界である。中有界は極楽・地獄の間といふ事で、八衢には幽庁や冥官があるから幽冥界といふ。一番上が幽玄界である。仏教では六道の辻といって、極楽への道が三つ、地獄への道が三つある。神道では八衢といふ。神道では天国は仏教の三段より一段上まであり、地獄は根底の国といって、又一つ余計にあるので、四つずつで八つになる訳である。幽玄界、想念界、言霊界は緯になる。科学は宗教の一部なりといふのが本当である。仏教に徹底すると極めて陰遁的となり、科学文明を嫌ひ、否定する事になる。タゴールの如き森林の冥想といって……。今の人が皆斯んな事をしたら食ってゆけない。(S23)

三界の意味  講話集補

“「三界万霊救はせ給ふ」との三界の意味を御教えを御願い申し上げます。

“三界は神幽現で、幽は仏界、現界は娑婆である。霊界は経緯三段になっている。天界・中有界・地獄の三段で、緯は含まれている。現界、科学的にいえば空気界で、本当いふと地獄とか中有界といふその中へ含まれているもので、極楽とか天国はその中にある。三界万霊とは、神幽現三界の無数の霊である。(S24・1・21)

神幽現の意義

“神、幽、現の関係を具体的に御教えを御願い申し上げます。

“此場合、神は日の世界、幽は仏界・月の世界、(現界は土の世界)で、火水土となる。即ち五六七である。幽世といふ場合は幽界全部になる。神幽は区別する。昼になると仏の支配が神の支配になる。仏界は次になる。(S23・10・21)

幽界とは、(幽界の形態化と主宰者)

“神幽現界と伺ひますが、幽界とはどの様に考へさせて頂いたら宜しいでございませうか。

“幽界は霊界と同じ事である。それが形態化したのが現界である。それを主宰している元が神様である。故に幽界は仏界である。(S24・10・13)

幽庁、(夢の世界の位置)

“閻魔の庁は幽庁といふ。八衢の事を冥といふ。幽冥界には天国はないから、夢は天国の近くの八衢以下のものである。(S23・6・24)

幽冥界と幽界

“幽冥界とは霊界とも異った特定の世界でせうか。

“幽冥界は霊界の事である。霊界の中の中有と地獄を総称したもので、天国や極楽は入らぬ。八衢を幽界といふ。冥界も八衢の下の方である。閻魔の庁を幽庁といい、役人を冥官といふ。局部的にいえばそうであるが、大きくいえば霊界を総称したといえる。(S23・12・22)

霊界と幽冥界及び夢

“私事、信仰雑話を拝読致しましたが、夢を見ることに付いて御伺い致します。一、霊界と幽冥界との関係はどういうものでありましょうか。二、幽界の外に幽冥界と言うものがあって、何かの必要があって人の霊を呼んだり引張ったりするものでしょうか。或は又祖霊や守護霊が活動して夢をみさせるのですか。御教え願います。

“一、同じ事である。幽冥界は先ず地獄の事で、霊界も同じである。霊界は天国、中有界全部を称する。閻魔の庁は冥府とか冥土とかいふ八衢以下の事である。

二、招んだり引っ張ったり、人間の霊がする事はある。(人間の霊が行く事もある)、(祖霊や守護霊が見せる場合もある)守護霊は個性を表はしている。暗示的に夢を作る。うまいのがある。長く見せるのと簡単に見せるのとある。人間が寝ると、その霊が脱出して霊界へ行く――副霊が脱出する。(霊界で種々の霊と交渉したり、自分の想念で作る場合もあり、神様が知らす場合がある。〈私など〉神様が知らす場合、外の人に見せる事がある)、(その話で悟る事が以前よくあった)、(家内は湯へ入った夢をみるときっと浄化する)  であるから、夢は判断の技術が必要である。(S24・2・27)

霊界の実存帯、(不住の地に神仏界なし)

“霊界は宇宙の何処に所在するのでせうか。

“霊界はどこにもあるが、(人間の住んでいる所に)或高さまで霊界があり――。人間の住んでいる所に霊界があり、人間の住んでいない所は神界や仏界等はない。人間の住んでいる土地の霊界にある。霊は如何なるものにもあり、霊界は生きたものが、物質がなくなり、帰幽とか往生する、人間世界と同じような――。(S23)

現世と霊界の天国の喰い違い

“現世の天国と霊界の天国との相違について御伺ひ申し上げます。

“本当は同じである。今の所喰い違っているが、結局は同じになる。今でも同じような所もあり、違ふ所もある。此所などは病貧争がないのであるから現世の天国である。本当は霊界が先だが、現界に天国が出来て霊界へ移る場合と、霊界に天国が出来て現界に映る場合とある。

既成宗教の方は財政難の為、山の立木を売ったりなどしてるが、之等は地獄になっている訳で、曾て或仏教の本山に行った事があるが、全く霊的の地獄であった。今一番困っているのは高野山で、之は国有林の為にどうする事も出来ぬのである。(S23・10・28)

天界地獄の存在場所

“天界と霊界とは如何なる差がありませうか。死後人間は霊界人となるのですが、仏壇又は御墓にも居られるとの事ですが、霊界とは空間を言ふのでせうか。霊界と言ふ所をわかりやすく御説明願ひます。

“霊界は空間である。上等は上で、上になるほど段々高くなる。地獄の最低は地中の相当深い所で、海の底位の所である。(S24・6・7)

東洋・西洋霊界の相違

“東洋と西洋の霊界の相違――

“東洋の霊界はピラミッド型になっており、階級的である。西洋のそれは概ね平面で、少し立体的になっている位で、いくらか階級がある。言葉でも、日本の言葉は非常に階級的で、西洋の言葉は平面的である。

日本の霊界

“日本の霊界は経であると申すのは、日本に居る水、土の系統の人にもあてはまりますか。又、現界も下図の如き社会組織になると考へてよろしいでせうか。日本縦長し外国横長し。

“これでよろしい。日本は経である。

法界と霊界

“法界と霊界とは何う違ふもので御座いませうか。

“霊界は  一般現界の肉体のない人間が住む見えざる世界である。法界は仏教の世界である。仏法の世界は多くいい意味になってるが、地獄でもそれになる訳で、厳重な法則が行はれている。仏教は最初仏法といった。浄土は法界である。阿弥陀は法身といふ。霊界の仏法界である。 

霊界の現界

“霊界にも神幽現があると承って御座いますが、霊界の現界とはどの様な意味で御座いませうか。御教へを賜はり度く御願ひ申し上げます。

“霊界には現界はない、神幽のみである。

仏界と幽世大神

“霊界は未だ仏界のように伺って居りますが、霊界の主宰神「幽世大御神」と念ずるのは如何なる訳で御座いましょうか。

“仏界は霊界の一部である。霊界の――仏界等、一切の主宰神が幽世大神である。宗教も幽世大神が主宰しているから、幽世大神に願えばよい。(S23・11・24)

幽界と幽世大神

“幽世大神様は所謂神幽現の幽界の主宰神で御座居ませうか。亦幽界は中有界と地獄の事で御座いませうか。幽世大神様は誰方様で御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“幽界は中有、地獄両方である。一切を主宰さるるが、地獄の方が濃い。幽は霊界の感じを表はしてる字である。国常立尊は現界のお働きをなされ、おとなしい大国主尊が後継ぎになっている。之は二級程度の神で、全然交替ではない。審判さるるは国常立尊以外にない。(S24・5・12)

新旧幽世の違い

“以前の幽世大御神と今度替られた幽世大御神の審判の違いを御伺い申し上げます。

“幽世大神の審判の違いは神の性格によって違ふ。今のはいくらか和らかいと思ふ。行り方は幾分違ふ点はあらうが、結局同じである。結局は浄化であるから、神といえども仕様がない。霊界には情実はない。(S23・11・24)

死後審判受ける期日

“帰幽して幽世大御神の審判を受けるのは死後幾日くらい経っての事で御座いましょうか。

“死後五十日間は家に居て、それが過ぎて八衢に行く。五十日以上経てば審判さるるとみてよい。(S23・11・24)

神の御目的、本教の霊界、宗教発祥地と宗教信者死後の帰属

“既成宗教の信者は死後其の霊魂は各宗発祥の地に集結さるる様に御伺ひ致して居りましたが、観音教団の現在の状態に於てはどう考へましたらよろしいので御座いませうか。

“発祥の地とは決っていない。日本にも出張所があって決る訳である。神様は地球全体を天国にするのが御目的である。宗教によっては発祥の地がなくなり、他へ行ってるのもある。(その事行(ヤ)った土地)例えば日蓮宗なら身延も中山も池上もある。霊界へ行って教祖が良い所へ違える事もある。宗教はそれぞれ団体があって、そこへ所属する。観音教団は大先生が居られる所である。最高の霊界となっている。前は上野毛だったが、今は箱根、熱海である。(S24・10・24)

宗祖・開祖の死後、(弟子の罪の贖い)

“宗祖・開祖は八衢にあって教えを垂れているんでせうか。

“宗祖・開祖は天国又は極楽にいる。八衢で救ひをしているのは全部その弟子で、即ち神主とか僧侶、布教師、伝道師等である。然し中には右のやうな宗教者でも、罪のため、八衢や地獄で苦しんでいるものもある。これは間違った事をしていたからで、その罪は宗祖・開祖が一部を引受ける場合もある。

宗祖・開祖の霊界活動

“宗祖・開祖は八衢にあって教えを垂れて居るんでせうか。

“宗祖・開祖は極楽にいる。八衢で救ひをしているのは全部その弟子で、即ち神主とか布教師或は各宗の伝道師である。然し中には罪の為八衢や地獄で苦しんでいるものもある。それは弟子や信者が間違った事をしているとその宗祖・開祖が引受けて苦しむのである。  (S23・12・14)

親鸞、日蓮の居所

“先日御願ひ申し上げました村田操の狐霊を以て霊査いたしました。いろいろの憑依現象を見せて戴きまして謹んで御礼申し上げます。就きましてはその真偽を御垂示賜り度いと存じます。

“村田に憑った霊の言は間違った所はない。その通りである。然しあまりそれに熱中しない方がよい。熱中すると憑り易い。先方で必要な時だけにする。親鸞、日蓮は第三地獄にいた。(S25・5・8)

御浄霊に感謝したクリスチャンの霊界

“クリスチャンが御浄霊を頂き感謝しながら死にました。こんな人はどちらの霊界に参るものでしょうか。

“ただ感謝だけではいけない。観音様の霊界へは行けない。入信しなかったらやはりキリスト教の方へ行く。然し霊界へ行って神様にお許し戴けば、観音様へ行く事は出来る。但しその場合もすぐには行けない。

日本人のキリスト教信徒の死後、キリスト教霊界の地位

“日本人がキリスト教信徒として死後の霊の帰属に就て――

“霊界ではキリスト教の霊界が出来ており、そこの団体へ入る。日本では割合い低い所である。第三天国に相当する。仏教の方が上である。その人の好き好きがあり、霊によっては余り好かぬ霊と好む霊とある。地獄の霊などは天国へやると苦しくて逃げる。つまり相応の所へ行く。キリスト教徒などはその霊界で満足する。ただ祖先を祀らぬから、霊界でも祖先と一緒にならぬ。独自の生活をする。大抵霊界へ行くとキリスト教をやめる。今は仏界か神界が建設しつつある。

キリスト教の祖霊は食に困るか

“キリスト教、特にメソジストでは毎朝の祖霊様の供物はしておりませんが、祖霊様は飢に苦しんでおりますのでございませうか。

“これはそうである。キリスト教によっては不幸な人が多い。祖霊が憑って知らせるが判らない。全く気の毒である。外国の霊界は緯で、外国では、外国の霊は殆ど現界と同じようで、一つの、霊界の食物を与えるような所が出来ている。そして、そこから配給されるようなもので、大きな共同生活式になっている。それで日本人のキリスト教徒は不幸な人が多い。それで外国は民主的――。(S  (*)・10・24)

冬と夜なき天国

“御讃歌の中の、『永遠に冬なき夜なき天国に魂安ませむはや来れかし』とございます御歌の御解釈を御伺ひ申し上げます。

“天国には冬と夜がない。いつも明るい。暗がない。冬は地獄で、天国へ行く程暖かい。一番上の天国は裸である。仏像などは裸で、暖かい。後、薄い衣を着ている。天国的に魂を安らかにして戴きたいといふお歌である。(S24・11・19)

笑いは天国の花

“笑いは天国と申しますが、霊界に於ける笑いは如何なる状態の時に起きるものでせうか。

“現界と同じ事である。神様もよく笑はれる。去年税問題の起った時、私は国常立尊様にお伺ひしたらイキナリ笑はれた。そこで私は、安心だと思った。笑いは天国の花としてある。大黒様などいつも笑っている。

賽の河原の位置

“賽の河原で石を積むと言う事が御座いますが、之に就て御教えを御願い申し上げます。

“本当の子供の地獄界では賽の河原といふのがある。地獄の一番上等で、八衢の最上層部にある子供の地獄である。(S24・4・21)

地獄の釜

“霊が地獄の釜の中に投げ込まれて蓋をされ、其後何千年もの間出る事が出来ないといふ事があるので御座居ませうか。亦その釜の中に入れられる霊は如何なる霊で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“形容したのである。本当に入れられる訳ではない。地獄のひどい所は釜の中で蓋をされたような刑罰である。(S24・5・12)

糞壺地

“或る信徒の妻(三十歳)、七年以前の事、お産の催しが来たので、早速産婆を呼びました。産婆の言葉に従ひ風呂に入ってから便所に参りましたところが急に産気付き便所壺へ誤って産み落しましたが、四日目遂に死亡したとの事ですが、右は霊的に如何なる原因がありますか。亦死んだ赤ん坊の霊はどの様になるものでせうか、御教示願ひます。その妻は本教に反対で、浄霊は一度も受けておりません。

“勿論地獄である。糞壺地獄である。信仰に反対する位であるから良い事はない。  (S24・9・25)

修羅道

“修羅道とはどんな所で御座いませうか。どんな霊憑りになって出て来ませうか。右、御伺ひ申し上げます。

“瞋恚を燃やす。

地獄・極楽

“地獄・極楽を信者に説明する時は如何にしたら宜しいでせうか。御伺ひ申し上げます。

“あるとかないとか言えば、あるといえばよい。地獄・極楽は現世にあるといふが、現世にもあるし霊界にもある。

脱衣婆の更迭

“脱衣婆は現界に当てはめて見ますとどういふ事をしている者をいふので御座居ませうか。

“脱衣婆はそう更(カワ)らない。更迭が少い。現界には相応するものがない。

一つ目小僧と霊界と想念

“昭和二十二年七月八日の夜十一時頃寝につきましたが、中々眠れず蚊帳の中で扇を使って居りました。其の時何物かが忍び込み蚊帳の天井から私を押えつけ、蚊帳の天井は正に私の顔につかんばかり、ぐっと腹に力を入れてよく見直しましたら四尺位の丸い真黒の顔、其の真中に大きな目が光って居ります。逃げようとして四苦八苦致し、ふと横を見ますと、同じような、高さ一尺五寸位の一つ目小僧が二、三十人並んでいます。「こいつ」とばかり大目玉をねらって霊放射を致しましたらヒユッと音を立てて戸外へ逃げて行きました。実際に一つ目小僧と言うものは有るもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊界には一つ目も三つ目もいろいろある。魑魅魍魎、百鬼夜行などとよく言ふ。八衢以下にはそういふ所がある。人間の想念によって、斯ういふ妖怪のような形が出来る。二枚舌など、本当に二枚になる。人の目を晦(クラ)ましたりなどすると、一つ目小僧になる。多くの人から見られるような間違った事をすると三つ目になる。想念(と罪)により形が違ふ。一人の人を大勢が怨むとその想念は妖怪のようになる。悪い想念が凝って形となる。英雄など皆そうである。(その妖怪にやられる。ヒットラーなど、多くの国民に取巻かれる)改心しなければドン底に墜つる。(反対に尊敬され感謝されれば光に取巻かれ、多くの人から信頼を受ける)(大きいのは親分、小さいのは子分で、悪霊は黒い)(S24・2・21)

猿田彦命と天狗界の位置

“猿田彦尊は何の罪により天狗になったのでせうか。天孫降臨の時出迎へたとありますが、霊統は何で御座いませうか。右、御教示御願ひ申し上げます。

“天狗は自惚れ―傲慢の罪―といふより、そういふ性格によってなる。罪といふんでなくそういふ役も必要だった。岩戸開きの時、天照大神を御案内した。やはり手力男命になる。現界に於てもそういふ性質をもったものが行く。天狗界は第三天国の下位で、中有界の(より)少し良い所である。別の階級であって――。天狗で肉体を持っているのがいる。鼻が高い。何百年と生きている。仙人と似ている。

人間界と畜生界、(天国へ行く鳥)

“人間の霊界と動物の霊界と異りますか。異りましたらその相違をお願ひ致します。

“獣の世界は畜生道で地獄の世界である。人間が堕落すれば畜生になる。畜生界と人間界は異ふが関係はある。鳥は異ふ。普通の鳥は天狗界で、孔雀、鳳凰、鶯等特殊の鳥は天国へ行く。(S23・11・27)

畜生道と本来の動物霊の転生

“動物の霊界は畜生道の事で御座いませうか。又、最初からの動物霊は絶対に人霊に転生出来ないものなので御座いませうか。

“この通りである、畜生道は畜生ばかりである。(S24・2・22)

霊界・現界の年齢の相違

“現界の年のとり方と霊界の年のとり方はどう違いますので御座いましょうか。

“現界では肉体を持っていて(肉体が)変化する。之は肉体だけの意で、霊は変らない。世の中の経験を経るだけである。故に霊界でも――、霊界は何年経っても同じ事である。(時空超越)霊界は昼夜の別はない。既に死んでいるから年齢の変化はない。赤ン坊は霊界へ行くと年をとる。年寄は霊界へ行くと若くなる。男は三十三、女は十八、年をとっても育ってもその位の年になる。(S23・10・19)

霊と年齢、高位神の御姿

“死後霊界に行った場合、老年、青年、幼児等により年齢に差がありますが、これ等は或る一定の期間を経るに随って年齢は同じになるのでせうか。又再生の場合の容貌は幼児化するものでせうか。

“救はれない霊(脱出した霊)は年齢が違ふ。救はれた霊は年齢は違はぬ。天国へ行くと大体若くなる。原則として男は三十、女は十八になる。であるから、天国には年齢はない。品格の高い神様は老人の姿をされている。それが一層高くなると、又ズーッと若くなられる。救はれた霊は若くなる。救はれないのは若くならぬ。中有界位では育ってゆく。(S24・8・29)

霊界の年齢(天国霊、地獄霊の年)、(想念の善悪、罪穢の多少、使命の必要、霊位の高下)

“霊界では年齢はどうなるでせうか。

“霊界の年と云ふのは実に千差万別で、地獄と天国と違ふ。天国は若くなる。地獄の霊は年寄のようになる。又霊界で年とって育つのもあり、年中同じのもある。私も天国へ行けば三十歳位になる。霊界へ行くと年齢が違っても、親子はどこまでも親子である。霊界は凡て其人の想念の善悪と罪穢の多少、使命の必要、霊位の高下等によって千差万別である。

霊界の時刻と睡眠、(不眠症の理由)

“霊界の昼夜と現界の昼夜の時刻は同じでせうか。又、霊界人は一日何時間位働くのですか。

“霊界には夜昼はない。故に知る事は出来ぬ。霊界は時を超越している。現界へ往く事などによって時を知る位である。霊界では寝る事もなくはないが、殆どないようである。之は肉体を休める為である。それ故霊が憑ると不眠症になるのは、霊は眠らぬからである。(S23・11・12)

霊界の年月日

“よく霊が現界の事に就て何年何月何日、と申しますが、現界に年月日が御座います様に霊界に於ても年月日が御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。

“霊界にはない。時間空間を超越している。ただ、霊は現界から知るので、霊界ではない。夜昼がないから、時を数える事が出来ない。 睡眠など決って寝る事はない。時々寝る。疲れもない。

霊界の時間

“去る二月一日、ある信者が御浄霊中祖霊が出まして「今日は十三吉(トミキチ)様は大先生様の御面会だ」と申しましたので「御面会は何時ですか」と聞きましたところ「わしはそれは知らん。時間を言うのは狐霊だよ。ようくおぼえておけ」と申しましたが、それは午後の事で御座いました。大抵祖霊は時間を知っている様で御座いますが、果して時間を申しますのは狐霊で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊界には時間はない。夜昼もない。ブッ通しで、寝る事もない。(休む事はあるが)僅かのものである。人間は肉体があるから眠る。(時間は狐霊に聞かなくては判らぬ。狐霊は大分役に立っている。正守護神に頼まれて人間に憑る)(S24・2・11)

霊界の年数

“霊界に於ける年数と現界に於ける年数とは一致して数へられるもので御座いませうか。

“霊界には年数はないし又必要はない。時間空間を超越している。(S  ・7・27)

赤子の老相と霊界での創造

“赤子が年寄の相をしている事が御座いますが、老人が死んだ場合は霊界でも老人のままで御座いましょうか。

“現界へ出ると、元の年寄(相)になる。(霊界は想念の世界で)霊は非常に変化するんで、現界で想像つかぬ。霊界で神格を得たものは想念(像)通りの創造が出来る。(着物など)下の者は今迄使ったものとか、あるものしか出来(着れ)ぬ。(S23・10・19)

霊界人の姿、(霊の向上と大きさ)

“霊界人は常に人間の姿に成って居るのでせうか。右、御伺ひ申し上げます。

“勿論人間の姿になっている。人間と違ふ所は意志想念で自由になる事である。今月は斯ういふ着物を着ようと思ふとすぐにその着物を着る事が出来る。といって、ただ出たら目にそうではない。生前着た着物でなくてはならない。神格が上る程自由になるが、やはり自分の身分に合った物だけしか着る事は出来ぬので、それ以上のものは着れない。霊はどんな所からも出入り出来る。針の小穴の様な穴からでも出入りする。霊は伸縮自在である。蛇などは肉体を持っていても伸縮自在になる。之は或る程度修行が出来て高級になったものである。(S23・11・12)

霊は普段は一定した形で、地獄の霊ほど小さい。向上する程大きくなる。偉くなる程大きくなる。写真に、神様の藁靴をはいただけ写った事がある。(S23・6)

霊界の年齢と階層と智慧証覚、(霊界に於ける談話)

“霊界の年齢は男三十三歳女十八歳に、相当浄化を経て達するものでせうか、又死後直ぐになるものでせうか。

“すぐにそうなる訳ではない。八衢以下ではそんな事はない。天国へ上った霊はそういふ年齢になる。霊界では智慧証覚は自然に養成される。八衢では違ふ。教誨師の如きものがあって説教する。心の修養を教える。天国では階級に応じて智慧証覚が備はる。高級になると言葉では語らぬ。目で話す。もっと上は想念で話す。もっと高級になると遠くででも話が出来る。人間でも沢山しゃべって判らぬのは低級である。あっさり判らすのは高級である。クドイのは極く低級である。宗教でもあっさり言ふ程高級である。故に本教には説教はない。クドクド言って判らすのは低い。一番ややこしいのはマルクス論で、之は下級労働者だからである。真理は極く簡単である。

霊界での親子邂逅と生長

“父が夭死し、子が老人で往生した場合、霊界に於て遇った場合、おかしなものになるんじゃないでせうか。

“西洋の霊界では遇ふが、霊界では遇はない。遇ふ時は両方の階級が一致する時である。又霊界で育つ場合もある。西洋の霊媒で自分の腰掛にかけた者があり――。天国へ行くと若くなり、女は十八、九、男は三十位になる。霊界で年とったり若くなったりするし、そうしないのもある。それはその人の希望による。男が死んで、霊界へ行って女になったりする。大抵は男に生まれたり、男が女に生れたりする。前の世に女に生まれた人は毛はない。ズーッと男ばかりに生まれるのはない。同性愛などそうで、一方が男霊、一方が女霊である。

霊界へ行っての夫婦

“妻と死別し後妻を迎えた者が後日霊界に行きたる場合、霊界人としての三者間の関係は如何になりませうか。お伺ひ申し上げます。

“霊界へ行くと直ちに夫婦生活が始まる如く考えるが、決してそうではない。霊的階級が違ふから死ねば別々の所へ行く。そして容易に遇ふ事は出来ぬ。両方救はれ、第三天国へ行くと初めて遇える。それまでは、神の許しを得て偶に遇ふ事が出来る。後妻か先妻かどっちか早い方が救はれる。(S24・10・16)

霊位と居場所

“結婚すると霊界は主人の側に属すと申しますが、霊統が違ったり霊位が違っても同じ霊界に入るのでせうか。この場合、霊界とは場所の意味でせうか、位の意味でせうか。右、御教示御願ひ申し上げます。

“位の意味である。位により場所が違ふ。

霊界に於ける上意下達

“霊界に於きましては上意下達、下意上達がどう言う風に行われますか。

“霊界に於いては簡単に行われる。現界では肉体を持っていて、その上肉体が曇っていてうまく行かぬ。霊界は非常に早く、斯ういふ言霊がない位早い。

霊界の意志疎通と言葉

“霊界は想念の世界と伺って居りますが、霊界ではどういう方法で意志の疎通を計るので御座いましょうか。(言葉は無いので御座いましょうか)又、それぞれの霊界によって異うので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“霊界では言葉が全然ない事はないが極く少ない。多くの場合目で話す。目も口程に物を言ひといふが、若い男女の意志の交換に用ひられ、非常に敏感になる。も一つ進むと気持で判る。高級の霊程よけい出来る。今は相談や話がくどくどしく時間が掛かるが、霊的感受性が鈍感になっているからである。間違った考えや間違った事をして霊が曇っているので、映らぬのである。智慧は出ているが、古代の人間よりは非常に勘は鈍っている。神といふ観念がないから、解釈の仕方など、素直に正しくゆかない。遠くの人がどう思っているか、その人を思ふと心に写る。その人を考えると写る事がよくある。すると、時期が来ると、先方から言ってくる。霊線が繋がるのである。丁度無線電波がつながるようなもので、短波、長波等が霊線に繋がるのである。(S24・3・11)

霊の五感

“人間は肉体的に五感を持っておりますが、死んでからでも五官の働きを持っているのでせうか。

“持っているが、五感は肉体のある時と異ふ。肉体といふ障害物がない。人間は肉体的に感ずる。例えば大阪まで行くのに十時間も十二時間もかかるが、霊だと三分か五分で行く。高級になると一分乃至何秒である。神様になると一瞬である。霊は浄化される程軽くなる。意志想念のままになる。五感からいふと大体同じである。地獄の霊などブタれる時の痛さを嘆く。(神経だけのようなものだから、肉体のある時より何層倍も痛い。死のうと思っても死に様がない。着物を着る時も、娑婆時代に着た物を想念のまま着る)(S23・10・13)

霊界に於ける脈搏・呼吸

“霊界では脈搏や呼吸はどうなるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊界でもある。人間と同じである。でないと生物でない事になる。凡ゆるものに呼吸はある。朝と晩、春夏秋冬などのようなものである。(S24・3・11)

霊界人罪犯すか、怒りに就て、(我と素直)

“霊界人は修行のみで罪を犯す事は無いでしょうか。

“霊界にいて、地獄の霊などは罪を犯す。よく祟ったのなどはそうである。祟った霊は段々地獄の下の方へ落ちてゆく。凡ての罪の元は執着である。執着を除るのが霊界である。我と執着を除ると非常に楽になる。苦しみが減る。人間は怒るといふ性能を神から与えられているから、怒るのもいいが、短かければいい。長いのはいけない。神の怒りは大きい。人間の怒りは小さい。斯んな世界ではいけない、悪魔の横行する世界である――これは神の怒りである。怒りも大きければ罪にならぬ。地上天国建設の如きも一種の怒りである。世の中が地獄みたいに悪魔、邪神がやっている、怪しからぬ、この怒りで人間は救はれる。

我と素直は上の人の言った事のみでなく下の者の言った事にも素直になる。部下の者に対する素直も必要である。之は民主主義で、大勢の者の意に従ふのである。素直なら争いがない。両方で意地を通そうとするから争ふ。負けた為に発展する。先方を怨ますのでなく、出来るだけ感謝されるようにする。感謝されると光になる。怨みは一種の悪霊になる。霊界へ行くと罪を犯すのは現界より少なくなる。霊界へ行くと善悪や罪などはっきりするからである。

霊界人が引っ張る事

“死んだ人が霊界から現界人を引張るやうな場合、矢張り監督神の許しを得ているわけで御座いませうか。

“そういふ事は許されていない。人間を連れてゆくと、その罪により霊界で一段下へ落ちる。引っ張られたのも地獄へ行く。無理心中である。そういふのは禁を破って出てくる。地獄は脱出しよいのである。(S24・5・22)

「霊界へ引く」真相

“肺結核で霊界へ行きました人の肉親が、半年位で結核性疾患になりました場合、其の霊は既に覚醒して居るのでございましょうか。又、次々と同様の疾いになり霊界へ行きますが、それぞれ違った霊界人が肉親を呼ぶのでございましょうか。御伺い申し上げます。

“兄弟が多い。霊界へ行って淋しいんで呼びたいのである。霊はすでに死んでいるんで、死ぬ事は何とも思っていない。現界にいると同様の気持で、霊界では肉体を滅すのも大して重大と思はぬ。中には此方が良いと思ふ霊もある。継母に育てられてる息子を霊界から母が呼ばうとして喉を締めた例がある。肺で次々死ぬのは皆これである。然し人を殺せばその霊もその罪により堕ちる。暫くは、傍へ執着によって呼ぶが、間もなく離れる。(S23)

自殺病死続き幽霊出(イ)づ、断絶的家、(盆以外に出る地獄霊――幽霊)

“廿五歳になる長男、滝へはまって自殺しました。原因は青年団長の職にあって、回答の出来ない事が出来て滝へ投身自殺しました。其後、本年九月に乳牛が麦を喰ひ過ぎて死にました。同時に主人公が病気になり、六日目に死にました。其後その家に幽霊が出ます。その幽霊は嫁さんの妹で、肺病で死にました。この不幸なる事は如何なる原因で御座いませうか。

“罪穢がウンと溜っている。その浄化作用である。そういふ場合、信仰がなかったりなどすると、その浄化に負けるので、悪い事ばかりある。信仰に入れば、段々こういふ事がなくなる。嫁さんの妹の幽霊といふのは、霊界で迷っている。こういふのは死に絶える事がある。地獄の霊などは、盆以外に出るのは大抵逃げ出すので、許可を受けない。そうして幽霊などになる。霊媒に憑からして聞いてみると判る。霊の希望を聞いて始末するといい。霊を自分に憑らして聞いてみるのもいいが、それには修錬を要する。

生死の真義、(霊の死)

“現界で死ぬ事は霊界に生れる事になりますが、現界に生まれる事は霊界ではどういう風になりますので御座いましょうか。

“霊界で死ぬ事になる。現界へ生れる。人間は本来霊界が本元で、現界は一時的仕事をする為に生れる。霊界を本位にしなくてはならぬ。それで往生などといふ語がある。現界に生まれれば再生である。(S23・10・19) 

生と死は霊界現界を往来する事。霊に生死はない。いくら苦しくても霊は死ぬ事が出来ない。(S23・5)

死を嫌ふ

“現在は一般に人間の死を気持の悪い嫌な事だという風に考えて居りますが、昼の世界に於ては死に対する考え方ももっと気楽な自然なものに変わりはしないでしょうか。

“ミロクの御世になっているから死ぬのはイヤだ――。ただ、霊界を知っているから、今のような事はない。(S25・5・23)

再生の時の霊界関係――祖霊の感情

“仏壇の霊は朝晩顔を合はせて談合しているものでせうか。又、家族の一人が帰幽する時親類縁者が集まって悲しむと同様に、仏壇の誰かが現世に転生する際、霊界の家族は悲哀を感ずるものでせうか。

“霊界では悲哀を感ずる事はない。信仰や想念や地位が違ふと誰が生れ替るか分らぬ。一つの団体ならすぐ分かる。誰が生れ替るか判る。祝ふ位である。(S24・6・3)

霊界で見る出生

“現界に生まれる事は霊界ではどんな状態になるもので御座居ませうか。

“霊界で亡くなる。本人がいなくなる。霊界での生活がなくなるのである。(S24・7・2)

臨終に約せる言葉と霊への義務、(言葉と想念による霊の満足)

“先般御伺ひ申し上げました――、「自分の横に誰か寝て居ると、自分は咳がしたくないのに彼が咳をすると自分も咳をする云々……」と申して居りました松下景春(二十五歳)は五月三十日死去致しました。その息を引取る際種々な事を申しました。

一、最も苦しそうに見えた日、息を長く吐きますと、笑ひながら「昨日は大変楽な日であった。今日もこれから大分歩かねばならぬ」と楽しそうに申しました。

二、我が家の啖も吐かねばならぬから後もう四度吐かねばならぬ。之が出ると全部塵を大神様に奉ることになる。

三、先祖の位牌を祭ることをやかましく請求し、最初の一人が移るからと申し、御祭りをする頃には二人移ると云ひ、式が終って一時間後笑って亡くなりました。

四、当日朝から、水がなくなったから飲んじゃいけないと管長先生が言はれたと言って、死ぬまで何にも飲みませんでした。又、「渡(ワタシ)についたからどれを渡る」と何度も申します。私は「霊界は肉体のない世界だから自由無碍なる筈、どれでも渡りなさい」と申しますと、「私はわかって居るが先生はどうする」と何度も聞きますので、私も返事に困り「霊の世界は自由だから貴君の行くところへは何処でも一緒に行ってあげますよ」と云って善言讃詞を唱へてあげましたら「嬉しい嬉しい」と繰返し乍ら亡くなりました。大本教の霊界の本に渡は天国行だと書いてありましたが本当でせうか。又、一緒に行ってあげると言った私は今後どういふ気持で霊を慰めてやれば宜しいでせうか。

“大した事ではない。一緒に行って上げるといっても気にかける要はない。その言葉で、その想念で行ってやった事になり、霊は満足する。(S24・6・18)

霊の生殖作用

“霊の生殖作用に就き或る霊に聞きましたが、それに依りますと男の霊は左の手を女の霊の右肩にかけ、女の霊は右の手を男の左肩へ懸けると申しますが、右は正しいでせうか。

“霊界では生殖作用でない。行なはれないから退化する。肩に手をかけたり、額と額を合わしたりするのは嘘ではない。両方の想念で宿る。(聖霊に感ずるなど嘘だが、霊界では合う――そうである)(S24・10・19)

霊界で生れた霊

“霊界で生れた霊は霊界の何処で生活致して居るでせうか。御伺ひ申し上げます。

“霊界で生れたのはすぐに誰かの身体に宿る。霊界で生れて、そのまま居る事はない。(S24・9・5)

新生霊

“霊には新生と再生とがある由、信仰雑話で御伺ひ致しますが、新生とは如何なる場合を申しますでせうか。御教へ下さい。

“霊界に於て一種の生殖作用があり、人間の霊子が生れる。新生霊は働きが鈍い。古い程頭がいい。利口である。(S24・2・26)

胎児の霊界称

“現界で胎児といふ事を霊界では何と呼称するものでせうか。

“霊界からいってもやはり胎児である。  (S24・11・19)

生死ある理由、(転生と罪の関係)

“人間生死のある理由をお教え下さい。

“人間のみでなく一切に生死がある。この生死がなくては困るんで――、生れる人がある。石なども死石といふのがあって、死石はボロボロ欠ける。石にも霊の憑依している事があって、龍神なども石へ憑く場合がある。水の傍の石とか、浅い水の石に憑く事がある。人間の身体も使っているうちに古くなると朽ちて、使ひ途にならぬようになると、霊が抜けて霊界へ行くのである。そして、現界でいろいろの事をやって霊が汚れ切ってしまふ。之を罪穢といふ。それを洗ふのだが、或程度洗ふと又生まれ更る。

生きているうち簡単でない。深い罪がある。之は執着であって、此執着が強いと蛇になる。人を騙したのは狐になる。斯の如く獣のような行ないをすると獣になる。慈悲も情もない。獣のような事をすると獣になって再生するのである。女で嘘ついたり女郎を長くやったものは狐になる。二号や三号になり、ブラブラしてうまい物食ってるものは猫になる。これは猫と同じ行為である。忠実な人間は馬になる。探偵やスパイ等は犬になる。一旦四足となり、人間に生れたのは転生といふ。再生は人間が人間に生れ代ったものである。霊の入っている間は人間である。ヒトは霊止(ヒト)である。体はカラ、霊のカラ、力といふ字はチカラ、チは霊である。霊体密着して力が生れるのである。霊体結ぶと力が出る。

霊の浄化と再生、(再生の自由)

“死後、其の霊が現界に執着が強い場合、現界に再生する事もあるように伺って居りますが、此の様な場合、幽世大御神の御意志はどの様になって居りますので御座いましょうか。

“霊は勝手に再生する事が出来るから、浄化が完全に行なはれない中に生れて来る。勿論或期間は出来ない。不具者などは、生に対する執着が強い為、完全に浄化が行なはれない中に生れてくる為である。現界で汚れて、霊界で洗濯するようなもので、長くいればいる程きれいになる。(S23・11・24)

現界の記憶持つか

“霊界人は現界時代の記憶を持っているでせうか。

“現界の記憶を持っている人と持っていない人と両方ある。死ぬ時に普通に死ぬのは持っている。非常に娑婆や、娑婆の人間に執着を持っているのが多い。(夫婦相和した人は執着がある)死ぬ状態が非常に衝撃のあった場合、例えば爆弾で死ぬような場合、霊は粉微塵になる。そしてやがて人間の形になるが、その衝撃で記憶を消失する。これが一番変化する。半分位消失するのや或は少し消失する等種々ある。爆弾等で死んだのは当分痴呆症のようになる。(S23・10・13)

現世の記憶

“前世の記憶は、再生した場合、生れる時に喪失するとの御教えを頂いて居りますが、霊界に行った場合、現世の記憶は全部覚えておるもので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊界に行った時、現世の記憶は相当ある。非常な苦痛とか急死(爆死等)などの場合、記憶を喪失する。又、霊界を信じなかった場合もやはり記憶喪失といふよりは痴呆症のようになる。苦痛でなく死んだ霊は現界の事を大抵知っているし、執着の強い霊は、現界以上に非常に記憶している。全然忘れっきりにならぬが、段々時が経つにつれ、執着も記憶も薄れるが、生れ更ると全然忘れる。(再生の時霊界の事は判らぬ。運命も運勢も判らぬ方がよい。予言も漠然とした予言ならよい)(S24・6・21)

現世苦楽の記憶

“霊が霊界へ行った場合、現世の苦楽等は記憶しているものでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“記憶している。忘れた方がよい。であるから、一生懸命忘れようと努めるものである。  (S24・5・23)

霊界の自己意識

“霊界に入り生存中の自己意識はあるものでせうか。

“自己意識はある。あり過ぎて困る事がある。(執着であるから)生存中の意識は抜けた方がよい。(向上するに従い生存中の意識はなくなる)(S23・10・17)

病死霊の天国へ行く場合

“「天国の福音」の中に、肺病で死んだ娘が天国から天人になって現界の兄に禁酒をすすめた事が書かれてございますが、一、病死した霊が天人になる事があるのでございましょうか。二、これは大先生様が祀って下さったからで、我々が浄霊してなくなった人には絶対にそういう事はないのでございましょうか。三、もしあるとすれば、どういう場合でございましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“肺病で死んだ娘で――病死した霊でも、子供の霊とか処女の霊は天人になり易い。罪が少ない。特に大先生がお祀りになったのは天国ですぐ救はれる。普通の人ではそういかぬ。既成宗教で祀った霊より教団の人が祀った方が早い。霊になった病気は非常に治り易い。浄霊した霊の病気は特に早い。軽い罪は八衢で改心すれば消える。(S23・10・18)

曇りと死後の浄化

“大浄化に依るも浄化し切れず、曇りを持って霊界に入った霊は如何にして浄化されますか。

“霊界で続いて浄化される。ゆっくりされればいいが、死んでも「激しく続く」(?)――。信仰へ入ると全然違ふ。ズーッと早くなる。世の中で罪穢を犯したものは、どんな偉い人でも、霊界へ行けば地獄へ行くし浄化される。

赤痢で他界の霊状態

“赤痢で他界致しました者は霊界でもやはり赤痢状態が永続致しますもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“或時期まで永続するが、赤痢などはじきに治る。霊界では薬で止めないから(一ケ月も経てば)治る。(S24・8・12)

病死でも天国へ行けた娘

“「天国の福音」の中に、肺病で死んだ娘が死後天国に上り、天人になって現界へ来降し、兄に禁酒を奨めた実例の事が御座いますが、若くして死んだ此の霊が天国に上ったのはどういふ訳で御座いませうか。

“大先生が御手をお掛けになったからである。(S23)

死者が家族の病気持って行く

“神経痛及び胃病等の病人が、身内の年寄りに、病気を持って行って呉れと御願ひ致して置きますと、其の年寄の死後癒ると申しますが、何か霊的に理由がありませうか。

“之はあり得る訳である。但し、年寄りが、代って罪を持って行ってやろうという想念がなくてはダメである。薬毒など気づかず――。(S24・4・2)

戦犯者の死後

“戦犯者が人道上の犯罪に付いては遺憾の意を表していますが、戦争そのものは止むなく起きた事をあく迄信じている様ですが、この事を思って処刑された霊は如何なる生活をするでせうか。(再生後はどうなるでせうか)

“戦犯者は小乗の善で、己の国家や階級のみを考えて他民族を破壊しようが殺そうが(どうなってもいい)構はぬ、日本さへ良ければよいといふ小乗である。此人達は悪を善と間違えて考えた。此人達も霊界で判る。本当の事を教誨師などが説き聞かす。それでその非を悟り改心する。斯ういふ人は小乗の善であるから、最初は残らず無罪を主張した。あの当時は立派な事をしたと考えたに違いない。絶対善と思った。(忠君愛国)日本の道徳など凡て小乗の説き方だった。之が封建的である。外国は早くから国際的であるから大乗的になった。外国は緯であり、水であるから、どうしても博愛的になる。東洋は経で火であるから、祖先を祀り、子孫に美田を作る。夫婦愛などは重きを置かず、夫婦愛などは非常に淡白で、ひどいのは、私の子供の頃、夫婦で一緒に歩くさえ珍らしかった。(夫婦歩きは恥とした)、(経緯の違いである。)外国は夫婦愛が基調となり、隣人愛である。然し祖先を祀らぬ。どっちも偏った。

日本は小乗に偏って戦争となった。故に霊界へ行けばそれを説かれるから判る。再生後は皆相当偉い人であるから、悟りもよい。悟っても此世にいた時の罪は大きい。何千何百万人殺し、何百万人の不幸を作った。今日の悲劇の脚本は殆ど戦争が原因となっている。東洋の大部分の人の生命を奪っている。その殺人の罪、怨みの想念は大変なもので、改心すれば減るが、減っても地獄で何十年何百年苦しまねば許されぬと思ふ。(S24・12・27)

財閥、政治家の霊界相

“十五日夜、財閥の死後の実相を霊査致しましたところ、札(サツ)の山の中に埋もれて苦しんで痴呆症となっております。大政治家を二名霊査致しました処、何れも最低地獄に呻吟して居ります。尚「わいろ」をとった罪にて胸より常に汚物が流出して居るといふことで御座います。右の実否を御垂示御願い申し上げます。

“之は本当である。札を拝んでいた為札で苦しむ。霊界へ行けばウンと苦しむ。寧ろ呑百姓の方が上である。親鸞、日蓮なども地獄だし、家康は狸になっている。(S25・5・18)

霊界に於ける現界の地位

“霊界に於ては現界での智慧学は役に立つが地位名誉等は役に立たない、と或霊が申しますが、本当で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“此通りである。地位名誉は全然なくなり、裸になる。(上下引っくり返る事が多くある。罪穢の少いのは上である。金持は乞食みたいになる。霊界は公平である)(S24・2・21)

善行して地獄へ行くものありや、(真の善事)

“地獄、極楽について御伺ひ致します。
一、苦しみながら死ぬ人でも極楽へ行く人が御座居ますか。

二、楽に死ぬ人は必ず極楽へ行くので御座居ますか。

三、生前中の行なひが良くても死後地獄へ行く人が御座居ますか。

“一、第三篇にすっかり書いてある。極楽へ行けないとしたらどっか悪い所がある筈である。善人でも、功利的なのや交換条件でするのもある。本当の善事は可哀相な人をみて助けてやる。結果など考えぬ。之が本当で、神様はお蔭を下さる。(S24・9・15)

国家、民族の場合の裁き

“霊界も現界も同じである。故に民族的差異がある。戦争をした場合、思想的に争った場合、その民族は堕ちる。その罪によって地獄へ落ちる。そういふ変化はある。之は個人に同じである。

俳優の霊界所属、神界の踊り

“俳優の所属――人を娯しますもの、神様の方にもある。天国でも俳優をする。所属は善悪の量によって決まる。俳優の悪としては婦人関係の罪があらう。生きているうちに善い事をするとよほど罪は減る。女形は日常生活が女と同じ(男優は褌、女形は腰巻等)――併し日常生活の違ふのは自分の芸を磨く為だからいい。神界は極く昔は踊りなどあったが、留守番位のもので、暫くは何にもなかった。仏界だけが盛んだった。現界にも今迄にない事が沢山ある。

爆死の霊状態

“原子爆弾の如く一瞬にして多数の人命を奪ふ時、その失われたる人の霊魂は如何なる形態を取りて肉体より離脱するものでせうか、御尋ね致します。

“霊魂も肉体と同じ状態である。人間の形体はなくなり、コナゴナになり、それが集まって割に早く普通の人間になってから地獄へ行く。丁度、原爆でやられたように、身体も動かず口も利けず、冷い。遺族の供養などで苦しみも軽くなり、よくなる。(S24・6・5)

唯物主義者の霊的状態

“唯物主義者は霊的には如何なる状態にありませうか。

“霊的には痴呆症になっている。霊界へ行くと馬鹿である。唯物主義者は、上面の頭は非常によく、しん(心)は非常に悪い。これが政治などをやってるから、うまく行きっこない。忌憚なくいえば「愚かなる者よ汝の名は唯物主義者なり」と言ってよい。  (S24・7・16)

不具者の霊界状態と再生

“生れながらにして手足の不自由ばかりでなく耳、眼、口もきけない極端な不具者が霊界へ帰属した場合の状態は如何様に相成るもので御座いませうか。又、其の霊が現界へ再生した場合の状態を併せて御伺ひ申し上げます。

“霊界でも当分は不具者である。そして霊界の浄化作用があって必ず治る。或期間そのままであるが、霊界は現界の延長で、反って肉体がないから苦しみは増す。そうして、病――とれて生れる事がある。(霊界は現界よりつらい。急病で苦しむのは殴られて苦しんでいる。死霊から聞いた)  (S  (*)・12・14)

不具者の死後

“人間は死の瞬間の状態が霊界にも続くといふ事で御座居ますが、ヘレン・ケラーの場合、やはり盲で御座居ませうか。

“当分は盲である。年月が経つと盲は治る。  (S23)

佐倉宗五郎の場合

“佐倉宗五郎の様な場合、霊界ではどうなるので御座いませうか。

“変死であるから一時地獄へ行くが、早く救はれる。神社に祭られているのは、霊界では神格を得、産土神のような役を仰せつかっていると思ふ。神の規則があるから、罪はどこまでもとられねばならぬ。

稲荷行者の死後

“稲荷の行者は死後狐霊の世界へ墜ちるものでせうか。

“堕ちる。生きている中に畜生に落ちている。だから行者などは非常に不倖せが多い。病気でも変な病気になる。神経痛が多い。水を浴びると身体中の毒が塊まる。だから行者などの身体はコチコチに固まっている。断食、水浴びなどの行は邪道である。狐がよく憑くから、生き乍ら畜生道に堕ちる。だから本当は邪道である。

外国で死んだ霊の帰属

“国際結婚して外国に住まって居た者が死んだ場合、霊界はいずれに帰属するものでせうか。又、外遊中死去の場合は如何になりませうか。謹んでお伺ひ申し上げます。

“本人次第で、キリスト教で死ねば大抵外国へ生れる。そうでないのは帰ってくる。  根本は本人の想念。外遊中死去したのは必ず帰ってくる。(S25・5・15)

処女と罪、子供の天国

“天人のお話の際、処女は罪が軽いとの仰せでございましたが、そう致しますと、  既婚の女性は罪を作ると言う事になりませんでしょうか。

“罪ではない。汚れがない。これもおかしいが、女性は生れて結婚するのが本当である。然し、実際はそういふ事はあり得る。御木徳一など、女が月経があると汚れてるといって、月経のない女性を近侍にした。月経が起ると真偽ははっきり知らぬが、徳一が手をつけると聞いた事がある。霊界では処女は良い所へ行くらしい。そういふ例はよくある。故に理屈でなく事実そうなっている。子供など天人になると天国で子供の綺麗な花園の仕事などさせられるようだ。月経があり、女になると執着の起る点がある。恋愛は一つの執着である。

再生の自覚と子供の霊

“人間再生の場合、霊は再生を自覚して居りませうか。又、浄化不十分にて再生し、又霊界に行った場合浄化されるので御座いませうか。又、霊界にて浄化されたる古い霊が再生し、子供にて霊界に行った場合、霊は子供となるのでせうか。

“再生は自覚していない。前生を知らぬように人間は出来ている。自覚していると再生して人間になっても罪を作る。大抵の人は罪の方が多い。子供で霊界へ行けば子供になる。霊界でも育つので、又老人で若返るのもある。子供で非常に早く育つのと、相当長い間子供でいるのもある。親が徳を積む場合、霊界へ行くと極楽や天国のいろんな仕事をさせられる。天使のようなものである。子供で羽根が生えて空中を飛ぶのがあるのは実際にそんな事がある。霊界でいろんな儀式などの時子供がいろんな役をするのは一つの美観でもある。

霊界に於ける年齢は、男は廿八から三十位、女は十八位である。神様などは年をとらぬ。木花咲爺姫の如きは今以て十八歳である。私が富士山へ登った時、一週間経って姫の姿を見たのがある。霊界には時間空間はなく、夜昼もない。何年経っても同じである。地獄はそうはゆかぬらしい。現界にいたまま続くので、八衢から天国へ行くに従い若くなる。年寄は年寄のままである。(S23・12・29)

上天国の霊は来れぬ

“子孫が御仏壇を拝礼致します際、祖先の天国、中有界、地獄に居る霊は夫々の位牌に次の様に憑依しているもので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

一、天国の霊はいつでも、

二、中有界の霊は子孫が拝む時だけ、

三、地獄の霊はお盆の時だけ――

“天国の霊は低い天国のは来るが、高くなると人間界へ来られぬ。 (S24・7・21)

霊界安住の霊憑る事ありや、(霊界よりの脱出)

“霊界に於て審判を受けて然るべき時所位に付いた霊が再度現界の者に憑る様な事が御座いますのでしょうか。

“必要があれば憑る。霊に執着とか希望があれば知らす。審判を受けると地獄へ行くのが多い。時所位を得るのは良い事ばかりではない。悪い事もある。霊界に行って現肉体に知らす場合――現界へ来る場合、霊界から逃亡――即ち脱獄する。よく火の車などに乗って出る。現界よりは脱出し易いようである。(S23・11・24)

霊魂の本と現体

“左の様な事を読んだ事が御座いますが、御伺ひ申し上げます。「外国の霊界に於ては人間が生きて居る間に霊界に霊体を作り、死んでから其の作り上げた霊体の中に霊魂が入り、霊体の動きに依って霊魂は左右されるものであり、霊体の出来具合は人間が生きて居る時の想念に依って出来上るものであるから、死んでからの霊魂の動きでは自由にならず、中には死んでから霊界に行って見ると霊体のない者もあり、其の者は再び現界へ逆戻りし、之等の者は不幸であるとの事」オリバー・ロッヂ死後霊界よりの通信でありますが、日本の霊界は霊魂が霊体を左右し、外国の方は右の様に霊体が霊魂を左右するのは霊主体従、体主霊従の事によるのでございませうか。

“外国――死んだ方が幸せで、生き返ると不仕合せといふ訳で、ある。 日本の霊界でも斯ういふ意味になる。霊層界に霊魂の本があり、生きてる人の思想、行為で変る。現体が徳を積む事により、霊層界で上る。そして霊層界の霊魂の本へ帰する――と同じ意味である。外国は単純に説いたもので、善いつもりの事が案外悪い事があるので、霊界へ行って吃驚する。共産党などは生命がけでやっているが、霊界へ行くと、案外下に居る――といふ事もある。要は智慧証覚が必要である。(S24・10・24)

溢血意識不明の霊状態

“脳溢血になった人で幾日も意識不明であったり痴呆状態になったりする場合が御座いますが、此の様な場合、霊は如何なる状態に置かれているもので御座いませうか。御教へを御願ひ申し上げます。

“前頭部の意識を司っているものへ毒が溜まり働きを止める。それで痴呆的になったのである。霊もその通りになっている。それを冷すから尚悪い。(S24・11・22)

麻酔時の霊

“麻酔薬使用時及び睡眠時の霊の状態――

“霊が一寸離れている。寝る時は必ず霊は離れている。

他霊の憑依せる時の憑霊

“霊憑りの際、その霊が去らぬのに更に他の邪霊が憑依する場合には先の霊は如何致しているのでせうか。

“よけているのである。小さくなってる場合もある。  今度の「霊界叢談」に書いてある。

霊界人との談話

“霊界人との談話は狐霊の援助により行なはれるでせうか。

“狐霊の援助の場合もあるが、人霊の場合が多い。一時、早く人に聞かす場合は狐を使ふ。(S24・9・9)

霊の年齢・濃薄、(バラモン行者霊の霊位)、心霊現象で可視の霊

“ノースクリフの例――空中にラッパを用意さして語った。板に孔をあけ、窓をつくる。顔だけ見える。そして何か喋る。霊界は時間空間がない。霊界へ行って年をとるのと、逆に若くなるのと、年をとらぬのとある。霊界の事情による。極楽に救はれて私に憑った霊がある。商売していた頃だった。とても嬉しい気がした。バラモン行者の霊など、地獄の上か、中界、天国の下の方位の霊で、どっちかといふと地獄の霊が多い。

人間によって霊のエーテルの多いものと少ないものがあり、霊界の霊はエーテルを自分の身体へ吸収して、自分の霊へ入れる。それで霊が濃くなり、人の目に見える。之が幽霊である。新しい霊程見え易い。古いほど見えぬ。執着の強い霊など濃く見える。従而救はれるのが遅い。神様は最も稀薄である。濃度の強いほど鈍重で、霊界で移行するのが遅い。

再婚一年後の理由

“夫婦のいずれかが先に死んだ場合、普通一ケ年経たなければ再婚しないのは何か霊的に意味があるので御座いましょうか。

“一年以後といふのは霊界で規則になっている。一年以内の祟りは許される。それで一年以上経ってからする。(S23・11・24)

夫婦死別後の霊関係

“一、夫婦死別した場合の霊的関係をお教へ下さい。(イ)、夫が死せる時、(ロ)、妻が死せる時。

二、夫婦死別して残れる一方が再婚した場合に、死せる者との霊的関係をお教へ下さい。

“霊的関係はあるともないともいえる。想ひ合ふのは霊線によって交流するので、一方が死んでからは早く忘れる方がよい。いつまでも執着するとそれで引張られる。悲しいとか慕はしいといふのは百ケ日位まではよいが、それを過ぎれば成可く忘れる。一ケ年位経つと全く忘れた方がよい。霊にとってはよい。再婚の場合、死んで一年以内はいけない。一年経てばいい。霊界の規則としてはよい。故に霊の障りがあるとしても大した事ない。霊的関係は執着に因るのであるから、執着を早く除る方がよい。嫉妬などよくある。最近も或婦人の教導師で、亭主が亡くなった。そして霊界でヤキモチを焼いている――男が助手になっている事を妬いている。それで男の助手を帰らした事があった。(S23)

亡夫の夢、霊と執着

“亡くなった夫が屡々夢に出て私をかばって呉れますが、夫の霊は救はれてるんでせうか。実によく夢に出て参ります。

“之は夫の方で妻に対する執着があるので、種々守護したりなどするが、本当はいけないのである。此方でも想い、向ふでも思い、両方で想ふのはよくない。霊は早く行く所へ行かなくてはいけない。早く現体の方で愛着を絶てば早くいい所へ行く事となる。死後普通は五十日間その家に居る事になっている。但し極悪の霊はすぐ地獄へ行くが、極善もすぐ天国へ行く。仏教は四十九日間、霊はその家にいるといふ。八衢で修行する場合、生きてる人も死んだ人も想ふのはいけない。それは執着であるからだ。霊界は執着を除る所である。霊界で向上するといふ事は、執着の除れるといふ事である。故人を夢に見るといふのは、どちらかで想っているんで、これは良くない。霊で、執着除れねばよくない。夫婦で一緒におれるのは天国だけである。

心中の霊などは実に悲惨だ。之も子孫が充分供養すると、それだけ早く楽になる。夫婦の邂逅も天国では、神の許可を得て日時を決めてお許しがある。両方で接近すると硬直してしまふ。夫婦二世、親子三世などといふ事は、その時代に権力者に都合のよいように道徳を作ったもので、全然嘘である。主従三世などといっても霊界へ行くと家来がズッと上の場合もある。要するに男女、金銭関係などは早く忘れ、執着を除る方がよい。夫婦でも五十日、百日、一ケ年位思い出す程度でいい。よく霊が言ふ事だが、「自分は引張られていていい所へ行けない」と。つまり、生きてる人が執着で引張っている。だから出来るだけ忘れた方がよい。

霊界の親子と現界の親子

“霊界に行くと年齢が異っても親子は何処までも親子であると御教へ戴いて居りますが、若し祖父が生れ代って来たとすれば、親子の関係は、霊界では如何なるもので御座居ませうか。

“祖父が生れ代るなら、親子は代る。祖父ではなくなる。祖父は消えるのである。祖父が生れれば親子関係はなくなる。祖父は子供になる。子供が年をとり、親の方が若い事もある。(S24・6・22)

人魂(曇りの多少によって異る)

“人魂(ヒトダマ)は霊的に意味が御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“霊的に意味がある。死ぬ時に逢いたいとか挨拶したいといふ想念は、霊が脱けると共に其所へ行く。霊は玉になって移動する。人間も神様も玉になる。人間の霊はボーッとしている。曇りの多い少いでよけいボーッとしたりはっきりしたりするのがある。男は黄色く、女は白いが――青味がかっているのは罪の多いものである。神様のは光っている。家へ入らうといふ為に軒下を通る。(S23・11・21)

人魂と霊気、霊級と行動範囲

“人魂について御教へ願ひます。

“人間の霊は丸くなって移動する。大抵は暇乞ひに行く。生前親しくしていた人に挨拶に行く。大抵軒下を行くものである。大抵中有界の霊である。そして消えた個所の家へ入る訳である。神様のは非常に光っている。人魂は、極く遠くまでは行かぬ。霊が低いと速度も遅く、遠くへ行けぬ。上になる程遠くへ行ける。日本人の霊は大抵日本国内だけ行ける。外国へは物に憑いて行くのである。(本など)お金の霊の場合もある。金貨本位の時代に金に関する説話がある。金は霊気が強い。金気といふ霊気を発し、金は霊気が強いものである。佐藤信淵など、北から南の山を見ると、金気が出てるといふ。

人名簿に○付くを見せらる

“私の導いた信徒で十五歳になる男子、此御教えを大変喜んで居り、神様の御話を聞きたがりますが両親は大反対です。然し本人のあまりにも熱心なるに動かされ、二月、献金を私が立替えてお守を授けて戴きました所、一ケ月後夜十二時頃寝て間も無く夢の如く気が遠くなり、真暗な所に行きました。其処には観音様の様な方がおられ私をお呼びになり、そして一緒に歩き出し、絵で見る閻魔様の様な方の前に行き人名簿を見せられ、其の中に自分の名前の上にだけ○印の付けてあったのを見て正気になったといふのですが、如何なる意味でせうか。其の事を聞いた親も此の御話を聞くやうになりましたが、未だ入信して居りません。

“地獄へ行く所である。人名簿に○が付いてたのは之だけは助けるといふ印である。地獄へ行く所であったのである。

霊界を見せらる

“私は去る八月三日、胃の大浄化を頂き、午後五時より八時半頃迄に十一回の吐血、同時に三回下より排血し、(看病人は凡そ八升といふ)貧血、人事不省となり廊下に倒れたので御座います。依って霊界行きを覚悟して居りましたので、夜半一寸気がついた折、大先生の御写真に向かってお別れの御挨拶を致しました所、大先生には横にお体をお休めになって居られ、そんなに急ぐ事はいらぬ、残り物だが之を食べて行けと鯉の油揚(支那料理にある品)の下方三分の一程下さいましたので、頂きまして大変おいしう御座いました。頂き終る頃、大先生には之から用があるからと山道の方へ上られました。始めより終りまで御姿はハッキリと見えていました。之は霊的に何んな訳で御座いませうか。それから又三回吐血して又人事不省になりましたが、大先生様の御顔が黄金色に天に輝き、御光がさして居ります。その下に中島先生が神主さんの様な白いお姿(かんむりも白)で厳然と往来して居られ(お顔は御神前でお教へを頂く折、私達をキッと眺められた時のお顔そのまま)その下に何千万里とも知れぬ花園がありまして、その上を白い姿(霊界人の如き)の多くの人々がさも楽しそう、嬉しそうに音楽のリズムに乗った如くポーカポーカと歩んで居り、私においでおいでと招いてくれます。私は生まれてから見た事もない楽しさうな所故、早く行きたくて手を延ばしますが、届きません。前を通り過ぎた方は遠くの方で又おいでおいでと招いてくれて居りました。何か霊的に意味が御座いませうか。(此の時の事と思ひますが、見ていた人は私の人事不省の姿が透き通って、顔も神々しく見えたとの事です)御教えを御願ひ申し上げます。

“霊界を見せてもらったのである。霊界が斯ういふ風になっているのである。(S24・9・22)

小桜姫とワードの真偽

“浅野和三郎氏著「小桜姫物語」やワード博士の「死後の世界」等はどの程度信頼して宜しいものでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。

“小桜姫は全面的に信頼してよい。事実である。ワード博士も事実である。(今度「地上天国」に出す寅吉物語の如きは前者以上不思議で、人間が忽ち霊化して飛行する)  (S24・6・23)