003 万神篇

転輪王尊

“御讃歌、『天理王の尊は転輪菩薩にて聖観音の化身とぞ思ふ』右に就いて御垂教御願ひ申し上げます。

“元は転輪王尊といった。観音様と同じである。神界で転輪王尊といっていい。(S24・6・9)

転輪菩薩其他の御別名、転法輪の意義

“御観音様としての御光の間配りと転輪菩薩様としての御光の間配りとはどう違ふのでありませうか。

“転輪菩薩は観音と同じものである。観音様には南海大士、観自在、施無畏菩薩、普光山王妙如来、光明如来、無礙光如来等ある。転輪王尊はこれである。転法輪は仏語で、之は一つに固定しない事、玉の如く転がってゆく、融通無碍の事である。仏法が本当で、途中で仏教となった。

無尽意菩薩

“信仰雑話に無尽意菩薩は観音様の別名とありますが、普門品第二十五の無尽意菩薩との関係をお教へ下さい。

“同じものである。

三十二相の御名前

“三十二相の観音様の御名前をよく質問されますので御教へを御願ひ致します。

“今度何かに書いて上げる。白衣、龍上、龍頭等ある。 (S23・8・21)

観音様と光明如来様

“以前の御言葉に『離して御浄めするのは光明如来様の御働きで、着けてしていたのは観音様の御働きである』と伺いましたが、之はどういう意味でございましょうか。光明如来様と観音様との御働きの相違に就いて――、右御教示御願い申し上げます。

“何かの間違いである。離しても着けても同じである。観音は菩薩。如来は位が上になる。それだけである。

観音と彦火々出見

“九州の宇佐八幡宮は、御神体が彦火々出見尊と言はれて居りますが、観音様とは如何なる関係がありませうか。

“古い八幡様は彦火々出見尊で、これが本当の八幡様である。新しい八幡様は応神天皇である。観音様が、神様であらせられた時の伯父、甥位な関係になっている。(S24・4・28)

応神天皇

“一、神功皇后は観音様と因縁御座いませうか。二、又、三韓征伐は霊的に如何なる意味が御座いませうか。

“一、応神天皇の方は、観音様と因縁がある。神功皇后は解釈をちがえた。(S24・9・19)

観音様と勢至、文珠、普賢

“文珠菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩とはどんな御方で、又観音様とどんな関係にあられる御方で御座いましょうか。御教えの程を御願い申し上げます。

“観音様とは直接関係はない。勢至だけは少し関係がある。観音勢至といふ時、観音様が夫になり勢至は妻の働きになる。三人の中、位は勢至が一番上で、荒魂になり、獅子に乗ってる文珠は智慧で奇魂、象に乗ってるのが普賢で、慈悲とか愛のような温かい―和魂―のようなものと考えればよい。(美人)

文珠が男、普賢は女で、夫と妻といふ意にもなる。観音様との関係は、普賢、文珠は殆んどない。(印度の人)(S23・11・11)

観音と文珠

“文珠菩薩と観音様との関係――

“間接には関係はある。智慧のある人である。文珠、普賢、勢至などといふ。「三人よれば文殊の知恵」とよくいう。

観音様にお仕えしてる神

“現在各地に霊懸りが色々な神様の御名前を名乗って出ますが、観音の下で御活動になって居られる正しい神様の御名前を御教えの程御い申し上げます。

“沢山あるから到底言い尽せぬ。一番多い。(S23・9・11)

大光明如来のお働き

“大光明如来様のお働きについて御教示お願ひ申し上げます。

“今種々の奇蹟がある。それがお働きである。雑誌に沢山出ている。(S24・1・27)

観音様と御経綸

“千手観音様はじめ六観音様の御経綸に就て――

“御経綸でいろいろに別れるんで、一つ一つ説明すると時間がかかるから省略する。明主様のおやりになっている事がそうと思えばいい。

薬師如来との関係

“薬師如来は観音様の化身で、夜の世界の間は病気になった時固めた方が早いので、薬を服めといはれた。昼になると溶かして出す。昼間になったのを知らぬから、溶かすのを迷信といふ。この家は薬師如来と関係はない。(S24)

如来の与えられし霊薬

“薬といふのは霊の薬で、体の薬よりずっと利く。やはり御守護である。(S24)

観音様と午丑、五三

“丑年は観音様の本開帳といひ巡礼がお参りをしますが、観音様と丑は何か関係がありますのでございませうか。又午年には準開帳と言ひます、このわけもお伺ひ申し上げます。

“観音様は丑とは関係はない。午とはある。昔、坊主がいい加減に理屈をつけたのであらう。八十八の数は、八は種々に使ふ。八は五三で、観音様に関係がある。富士山は八の字である。ハチスの山といふ。五三は男女、陽陰となり、五三を結んで開く意味にもなる。(S24)

観音の乗らるる動物

“観世音菩薩が龍体、牛、象、鳳凰等、種々な動物に御乗りになってる御姿の絵がよくありますが、御働きに依っての相違をあらはしたもので御座いませうか。

“龍だけである。  (S24・7・19)

金龍神の現在、五十六億七千万年、霊体龍と富士山

“金龍神は昭和四年に出た――琵琶湖。霊と体になって観音様を守護した。富士山から五六七の世建設の為下へ降りて活動している。五十六億七千万年――五六七世。  (S23)

伊都能売神龍の御子、(昭和九年、琵琶湖上の龍巻)

“前回御伺い申し上げました昭和九年九月琵琶湖上で大龍巻が起りました丁度同じ様な場所で、毎年五、六月頃の夜十時過ぎてから、直径五、六寸位の火の玉が見えるそうで、それが上昇し、中天にて星状に細かく分散し、その光は輝きが無くぼーっと見えるそうで御座います。一晩に何回も見えることもあり、本年で三年続けて見たという人も御座いますが、之は如何なるわけで御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“伊都能売神龍は御夫婦だった。男神は昭和四年に出たし、女龍は昭和九年に出た。そして子が出来たんで、この火の玉といふのは子である。子が出たいんで、霊が時々中天まで昇るのである。(S24・11・21)

八大龍王、(明主様は人体化)、九頭龍と龍乗観音、(支那の龍は)

“八大龍王は八人男と女とも、五男三女ともいふ。之が伊都能売の神である。天照大神の御子が、五人の男、素盞嗚尊の御子が三人の女である。釈迦に封じられたという事になっている。これは仏滅後、神の世が来る、即ち仏は夜、神は昼であるから、夜の間、龍神になられておられる事で、昼になるまで龍神の姿で待たれる訳である。

本当は九大龍王なんで、その頭梁は伊都能売の神、即ち九頭龍である。これが私の守護神となっている。今でも活動をしている。(これを人体化したのが大先生)観音様を守護しているのが此金龍である。それで浅草寺の事を金龍山浅草寺といふ。龍乗観音といふのがあるが、之は龍に乗って活躍されるので観音様はいろんな働きをなさる時、龍に乗られる。之は勿論霊である。

東洋、特に日本、支那などは龍神と関係が深い。支那では龍が最高のものとしてある。それで龍の字を非常によく使ふ。いろいろな事に龍を使ふ。然も、支那は本来青龍である。(S25)

八人男女の縁起と金龍神無敵、八人男女に就いて

“荒唐無稽な話であるが意味はある。作り事ではない。素盞嗚尊が天照大神に御遇いに行った。素盞嗚尊は日本を統治したが、外国へ追放される事となり、暇乞いに行った。そこで天照大神は、弟が来るのは滅ぼしに来たものと要心され、その御疑いが晴れぬ。そこで素尊は邪念はないといふので、その心持をみせた。そして剣で天真奈井をかき廻すと三女神が生れた。天照大神は勾玉を「砕かれ」、五人の男神が生れた。天照大神が岩戸開きで出られた時五人の神がお伴して出られたといふ。

八人男女は仏の世になるに就て、釈迦に封じ込まれた為に八大龍王となられ、龍神になられた。八大龍王は、神の世まで龍神となって時を待たれ、日本の近海に潜んでいる。仏滅から、神になられるのである。八大龍王は人間に憑いている。それは全部信者中にある。一番の頭目が、伊都能売金龍で、霊(日、心)は富士山上、体(月、肺)は琵琶湖におられ、邪神の頭目赤龍(ヒマラヤにあり)と絶えず戦っている。金龍に勝てる龍はない。(S24・5・26)

八人男女と伊都能売神の御関係

“『八人男女唯一柱の神御霊と成らせ此土に伊都能売神』の御讃歌の意味を御教えの程を御願い申し上げます。

“八人男と女を一柱にすると伊都能売之神となる。五と三――イズ、ミヅとなる。  伊都能売神は五三の神と書いてもいい。火水の神━光、火水では土が加はっていない。仏では光明如来様となる。土が加はって五六七大神。伊都能売神龍は、神になっておられる。一名九頭龍ともいふ。九つの龍神の中の頭で、八大龍王に伊都能売神が加はって九龍になるのであるから、伊都能売神と八大龍王は一つであって別、別でいて一つである。(S23・11・11)

八大龍王の仏名

“八大龍王の神名及び御任務――

“難陀  ――|歓喜龍王
ナンダ  │

跋難陀│美歓喜龍王
ウバナンダ  │

婆羯羅│海龍
サーガラ│

和修吉│多頭龍王
ワーシュキ  ―ナーガラーンヤ

徳叉迦│祀毒龍王
タクシャカ  │

摩那期│大身大力龍王
マナスヰン  │

優鉢羅│青龍華色龍王
ウッパラカ  │

阿那婆達多│無悩清緊龍
アナバダッタ|

御讃歌『伊都能売金龍』

“『仏滅の御代を限りに隠ろひし八大龍王は八人男と女なり』『八人男と女唯一柱の神御霊とならせ此土に伊都能売の神』右御讃歌の霊的意義――

“九頭龍は九つの龍の頭である。素盞嗚尊が追放された時、姉神に暇乞いに行かれ、山河どよもして登ったといふ。姉神はこれを疑いの目を以てみられたが、暇乞いに来たのだといふ。天の真奈井に剣をそそぐと、市杵島姫命(弁天)――厳島に祀る――等三女神生れられ、天照大神は勾玉をおそそぎになると五男神が生れられた。之は馬鹿々々しい事である。京都の祇園祭では八人男と女を祭る。釈迦に封じられた。

九頭龍は、八大龍王の親で、伊都能売大神である。仏の間隠れて待てといふので龍神となって待つ。仏滅とは神を――。龍神から人間になった。近海へ潜んでる。越後佐渡の間、九州の不知火海、東京湾、十和田湖等にあり。大抵は昇天し、再生したり、人間に憑依し、五六七世建設に働いている。(S24・2・3)

御歌の意味――九頭龍が代表して、一つの龍神として働くといふ事。八人男と女がなくなるのでない。(S23・7・21)

八大龍王と九頭龍

“八大龍王及び九頭龍王とは如何なるものでございますか。

“八大龍王とは五男三女神で、神々が皆仏に化身した時、自分達も仏にならふと思ひ印度に行った所、貴神達は仏になってはいけない、ミロクの世の来る迄龍神となって待つようと釈迦にいはれたので、龍神となって時を待ったのである。九頭龍とは九つの龍で、九つの龍の頭が金龍である。これは伊都能売神の化身である。 (S23)

八人男女の神、五伴男の神名、三女神の神名

“五人の男神の系統は系図にある。天照大神が岩戸開きの時お伴した神で、五伴男神といふ。天児屋根命、太玉命、忍穂耳命、菩日命、熊野樟日命である。藤原など、天児屋根命となっている。今日迄続いている所がある。市杵島姫命は弁天様である。之等は荒唐無稽である。

素盞嗚尊はあまり我儘勝手な政治をされ、世の中が乱れた。それで伊邪諾尊の御気勘にふれ、追放され黄泉の国へ行かれた。そして伊邪冊尊と姉神の天照大神に遇ひに行かれた。山河どよもして天へ昇られた。非常な音がしたりしてざわめいた。大神は征服に来たものとお疑ひになった。劔を天の真奈井にそそがせ給ふ時、田切姫、湍津(タキツ)姫、市杵島姫の三女神が生まれられた。之は山形県の月山と羽黒山に祭ってある。須勢理姫命も共に出羽三山に祭ってある。

八人男女は天照大神が押込められ給ひし為、神界がなくなるに就て家来も隠退した。押込めたのが釈迦としてある。時節が来るまでといはれ、龍神になった。之を封じられたといふ。

金龍と八大龍王、潜む海

“金龍さんと八大龍王の物語りを詳しく御教へ下さい。

“八大龍王を支配しているのが金龍で、九頭龍で、九大龍王の頭である。  五男三女は釈迦に封じられ、弥勒の世まで龍神になった。

  越後と佐渡の間――タクシヤカ、九州、明石海――ウバナンダ…方々にひそんでいた。

  金龍は、琵琶湖で、今度皆出た。

  人間に憑いたり、生れ代って、殆んど龍神ではない。

  黒龍は乙姫――悪、白龍は善。

  金龍は、体は琵琶湖、霊は富士山頂である。(S24・12・13)

八大龍王の居所

“八大龍王は日本の近海又は湖に御鎮りになって居られた由ですが、それはどこどこでございませうか。

“有明海、玄海灘、東京湾、越後佐渡間、十和田湖、和歌の浦等々である。

  (S24・9・23)

五男三女神の現在

“八大龍王の八頭(ハシラ)の神様各位のお働き――

“五男三女は殆んど人間に憑ったり、生れたりしている。(S24・11・27)

伊都能売神と八人男女

“御讃歌集の中に御座います、八人男と女と伊都能売之神の御関係を御教へ賜り度く御願ひ申し上げます。

“三人が女、五人が男。九大龍王で、親玉が金龍であり、伊都能売之神である。 (S24・11・22)

五男神の家系

“藤原家は五男三女神の一人、天児屋根命の子孫が藤原家になる訳で、五摂家がそれである。現在まで続いているのは天児屋根命と太玉命だけのようである。

(S23・7・14)

観音様と金龍神

“観音様と金龍神との御関係、及び観音力と金龍神の御力、金龍と九頭龍とは同じ神様で御座いませうか、御伺ひ申し上げます。

“何れ本に書く、奇蹟物語として――。

  同じである。

(先日地図をみたら、富士山と琵琶湖の間に光が交錯してるようにみえた。面白い)  (S24・8・1)

金龍神

“御讃歌集の中の金龍神の御歌の意味を御教示下さい。

“いづのめの金龍――神秘の扉。  (S24・7・5)

八大龍王と八岐大蛇と赤龍

“八大龍王と八岐の大蛇とは何か関係が御座いませうか、御教へ下さい。

“八大龍王は神、八岐大蛇は邪神である。であるから戦っている。

  伊都能売金龍は赤龍と戦っている。赤龍は八岐大蛇と兄弟分である。

  (S24・8・15)

八大龍王と八岐大蛇

“八大龍王と八岐大蛇との関係に付き御教示願ひます。

“直接の関係はない。八岐大蛇は簸の川上(簸川)で素盞嗚尊に殺された大きい蛇である。八大龍王は五男三女が釈迦に封じられる。仏の世では神じゃいけないので、仏の世の済むまで龍神となられ、日本の近海で時を待たれた。非常に良い働きをする。

天津神、国津神とは

“天津神、国津神に就て御垂示お願い申し上げます。

“天系と地系とある。天津神は天系、国津神は地系である。

天系の神は天照大神が最高の神で、素盞嗚尊、月読尊等もそうで、日と月の系統の神である。

地の系統は国常立之神で、金勝要神、大己貴命、少名彦命等等である。

神の事をいふと、結局国粋主義になり易い。どこの国でもお国自慢があり、それぞれ神の国と思っている。ただそれを軍部が利用した。

天之御中主大神が最高で全体を支配される。支那は盤古大神である。

天津神、国津神

“天津神、国津神に就いて――

“天津神とは天系の神で、神世に於て殆んど隠退されたが、今度はお出ましになる。国常立尊は天系の神である。大本教のお筆先に「天より高く咲く花」といふ事がある。国常立尊の半分が観音様になられる。それを産んだのが西王母で、之は阿弥陀の化身である。

斯うもいえる。国常立尊が奇魂、和魂の如き慈悲の霊を以て観音様と現じ、人間を使って救いの業をなされたが、これは日本ではいけないので、印度でなされたといっていい。それで南海大士になられた。  (S23)

南向の神(天神、地神)

“私が北支に居りました当時、中国人が葬儀の場合黄色で紙の質の悪い別紙紙幣を商人から買って居るのも度々見かけました。又中国では神様を野外の場合総て南向きにお祭りしてありましたが、これには根拠があるのでせうか。

“南向が本当で、北は霊、南は体で、北の神は日の神様、天津神、南は体的で国津神である。霊は上で、北は霊気が強い。キが満ちている。北へ向って拝むのは立派に意味がある。東と西では東は霊、西は体で、東北は鬼門で艮、一番いい気がある。故に鬼門を嫌って邪神がハバリ、人間が間違った事をしているからお裁きを受ける。立派な事をしていれば鬼門へ越すのが一番いい。

光明世界の神名

“光明世界に於て天照大神様の御尊名はそのままでせうか。

“別に代える要はない。或は、いろんな神の名を総合して名がつくかもしれない。  天照大神は太陽の表現神であるから、現在でも弥勒の世になっても同じである。

天地の神

“天地の神とは一つの形容詞である。歌によくある。最高の神といふ意味もある。いろんな神を総合していふ訳である。「汝が耳は木耳なるや天地の誠説けども聞かむともせず」 天地の誠――いろんなものに天地を使ふ。久方の――といふが如しである。天に関する事は久方の――である。(S23・6・23)

神々の名(天照、素盞嗚、瓊々杵)、言霊的解説

“神々様の御名前は普通の言葉と違ひますが、どういふ訳で御座いませうか。

“スは主神、素盞嗚の如きは――、サは助ける働きで、ノオは宛字、王になった事があるから王といった。天照――天を照らす。瓊々杵尊は――握る事。(S23)

山の神とは

“山の神と申して狼を祭神として祀ってある所がありますが、之に就て御説明を御願ひ致します。

“狼は山の神の使といふ事になっている。武蔵の三峯神社は狼が働いている。武州、甲州などでは、盗賊除けの神として狼を祀っている。山の神はそれだけのもので、大した関係はない。本当は山の神は天狗である。元は鞍馬山の猿田彦が総大将であった。その土地に――。大抵は人天であるが、偶には鷲、鷹などもある。

神格と今の世、十和田龍神、(明主様に対する世遇)

“十和田湖の主、男装坊が変生男子の御霊とあらはれて今日活躍しているとしてありますが、如何なる神格にてあらわれて居るものでせうか。

“神格は不明である。今は誰でも判らぬ。五六七世になってみないと判らぬ。これからその人の働きによって定まる訳であって、働きが未知数である。然し相当の位にはなる訳である。現在は千差万別である。

反って本当の神は今迄落ちた。それが終戦になって第一段は直った。特権階級は割合に霊的に低い。霊的に高い方が低い所にいた。私などまるで罪人同様である。そして低い身魂が威張った。「世は逆様になりている。今度は本様になる」とお筆先にもある。

十和田湖の主が上ったのは約二十年位前である。金色の龍が昇るのを三十人位の人が見た。金色に昇天してゆくのを見、暴風があった。(S23)

神と願言、(弁天や稲荷信頼し得べきや)

“世間ではよく弁財天や稲荷等を守護神として祀りますが、之は信頼出来る事でございましょうか。又その場合、その守護神はその人の本副並びに正守護神とどんな関係でございましょうか。右御教示御願い申し上げます。

“信頼出来る。お願いすれば御利益くれる。弁天様などにも――、願言を届けない訳にはゆかない。もし叶えねば、神の役目がすまぬ。然し大抵の神は神力がないから、充分叶える事が出来ぬ。然し正守護神の力を増さしむるとか、副守護神に言いつけたりはしてくれる。命令はする。――間接的の守護。豊川稲荷など守護神を貰ふといふ事を言ふ。すると狐の眷族が憑く。そして種々悪い事をしてくれる。正神系の神は正しい事でなくては利益をくれぬ。(S23・12・8)

天馬

“龍神は馬になる。馬は獣の中の龍神である。石摺など斑――まだらである。神様は大抵白馬に乗る。  (S23・7・22)

神の使ふ虫類

“過日『神様はよく虫を御使ひになる』と承りましたが、どんな虫を御使ひになられるのでせうか。

“蝶々を使ふ。又、八ツ手、百足虫に憑依する。(S23・7・13)

内宮外宮併祀の由来

“伊勢の内宮、外宮併祀の由来及びその意義に就き御教示御願い申し上げます。

“内宮は天照大神、外宮は豊受明神で五穀の神である。天照大神様は人間の食物――主食に付き関心をもたれ、豊受明神に命じ日本中稲を間配れと御命があり、御一人では駄目なので狐を使はれた。故に稲を荷ぐと書く。その功により祀る。(稲荷大明神となる)百姓が祀るもので、それだけが役目である。(現今は花柳界でも祀っている。狐が堕落した)豊受神宮は天照大神の家来筋である。伏見が大体大本である。夜の世界は、神の力が弱くなり、眷族、家来――狐などの統制がつかなかった。豊川の如きは中途で荼吉尼(ダキニ)天神を祀った。之は金毛九尾である。それから繁昌した。(山口県は日本の入口で、狐は日本へここから悪事を始める)  (S24・10・8)

神社の将来

“全国に散在鎮祭される神社は  数年後どう言う具合になり行きますか。

“これから経済的に困ると思ふ。神社神道などは相当戦争に利用されたから、今後発展すると思えぬ。産土さんは無いと困るから残る訳である。

真如と今の神社と寺

“真如の意味説明をお願い致します。

“真如の月といひ、月の事をいふ。仏教は真如で月の教え、夜の時代の教えで、仏滅後弥勒が出生するといふ。仏教は今印度に三十万人しかいない。支那もそうで、日本だけが幾分残っているが、之は怪しいものである。復興出来る寺は少ない。神社は神武天皇以後に出来た新しいものである。之から新しい神社が出来る。氏神も系統が違ふ。今迄の神は朝鮮、支那系である。(S23・11・27)

産土神参拝の礼に来る

“本年九月四日、小桜姫を祀ってあります三崎の浜諸磯(ハマモロイソ)の小桜神社へお詣りしました時、祝詞を奏上致しました。それから一ケ月後の十月四日の朝方、美しい姿にて夢に現はれ「非常に有難い祝詞を頂戴致しました、もう一度頂き度いのですが、神社へ行けなければ思ひ出した時に上げて頂き度い」と告げたのですが、神社へ行って祝詞を奏上致すべきでしょうか。私の家の仏前にて奏上してもよろしゅう御座居ませうか。御尋ねさせて頂きます。

“行く要はない。お詣りに行った礼に来たのであって、又行って上げるのは反って観音様に御無礼になる。小桜姫は霊界でよく働いている。ただ産土神だけのものである。月に一ぺんお祭りの日に祝詞を奏げるのは結構である。

産土神と邪神の占領

“左の事に就きまして御教示を御願い申し上げます。

一、産土神が邪神の妨害を受けてお働きになれないで居る事が御座いましょうか。
二、産土神の社を邪神が占領して居る事が御座いますでしょうか。
三、産土神が邪神そのものである事が御座いますでしょうか。

“斯ういふ事は皆ある。受けても徹底的妨害は出来ぬ。

一、そういふ時は産土神に力がない。あまりひどいのは、産土神を外へ移してくれる。
二、占領も或期間で、長い事は出来ぬ。無信仰者が多い土地なら、参拝者がないと、神の力が薄くなる。
三、邪神が占領した時は、そのものになる。或程度妨害を受ける。(S24・9・29)

産土神が救はれる

“三崎近郷の三ケ所の氏神様が時々夢に現はれて、土地と氏子を救って呉れよと申されますが、現在の布教伝道の外に何か特別の事を要求されて居るので御座いませうか。

“伝道だけでよい。信者が多くなれば産土神も救はれる。産土神や其他の神も救ふ力はなく煩悶している。それで教団へ頼む。月の系統の神様だからである。(S24・5)

転居と氏神への挨拶

“転居等の際、氏神様へはどのような方式をとればよいでしょうか。又、仏壇の移動について、何か心得べき点がありましたらお教え下さい。

“産土様に今迄の礼を言い、感謝し、新規の産土様へ氏子として引越して来た挨拶をする。それが本当である。転居等の時は氏神同志で通ずる。仏壇は鄭重に移動すればよい。  (S23・10・13)

西洋に産土神ありや

“日本では結婚の場合、霊界で産土神が両者をお結びになるとお伺いいたしましたが、西洋に於ても産土神に相応するお方が有るので御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“西洋には産土神はないと思ふ。それで自由結婚になったので、緯だからである。西洋は人為的の事が多い。日本は経であるから、種(イロ)んな事を神様がやられる点がある。日本は今迄経が過ぎた。これからは見合い結婚でも恋愛結婚でもよいといふ事になる。

産土焼失時の宮詣り、今迄の神社

“氏神様が天神様ですが、戦災にあわれて未だ復興致しませんのですが、子供の宮詣りは如何すればよろしいでせうか。

“産土様の仮の宮も出来ていないなら、教導所の神様に奏上すればよい。御礼を言い、今後の御守護をお願いする。段々そうなる。神にも種々の系統があり、その系統の神が隠退になり、押込められていた新しい神が出る。今迄出た神は日本の神ではない。支那や朝鮮の神で、それは今度は本国へ帰られる。天神様は菅原道真で、本当の日本の神でない。神に祀られる資格はなくなったのである。(S23・8・16)

皇紀前の神

“日本に於ける皇紀以前の宗教、文化に就き御開示お願い申し上げます。

“皇紀前は素盞嗚尊、その前は天照大御神。これは明主様の御教へと同じである。  (S25・3・3)

西洋、支那に古代仏はなかったか

“西洋歴史に於てエジプト七千年、東洋史に於て支那五千年といふ事を学びましたが、三千年前に於て神界と仏界が変化したとすれば、それ以前に支那、エジプトには現然と文化が栄えていたのですが、支那エジプトには神仏界は存在したのですか。又、日本に於ける神仏界の転換は如何なる形態で行なわれたのですか。御教示お願い申し上げます。

“支那でもエジプトでも仏はなかった。神であった。(エジプトではアラーの神)支那では盤古神王が一番最初統治した。之が支那の先祖になり、天照大神になる。日本は古神道であったが、欽明十三年仏教が渡来し、発達してから、神道の勢力を侵蝕した。(S24・9・8)

聖徳太子が職人の守護神

“聖徳太子を職人の守護神としてよく祀って居りますが、特別のお働きがあるので御座居ますか。

“聖徳太子は種々の物をこしらえた人であるから、職人が神として御守護願ふのは立派に意味がある。法隆寺なども聖徳太子が造られた最古の建造物である。偉い人である。戦時中の荒廃で、頭痛鉢巻の状態である。弁天様は芸能の神で、音楽を好む。白蛇。蛇は笛が好きで、コブラが笛に合わして首を振って踊るのは知られている。(S24・1・23)

国造神

“阿蘇神宮に御祭りしてある御神体は  国造の神と言はれて居りますが、宇佐八幡宮と如何なる関係にありますか、又、観音様との関係――

“国造神は方々に沢山ある。国造る時のお手伝いをした神で、国を造った神様が国常立尊である。観音様との関係は、彦火々出見尊の方が濃い。(S24・4・28)

稚姫君尊の親神

“稚姫君命は何時頃お現れになった神様でせうか、御伺ひ申し上げます。

“天照大神の三番目の娘である。そう古い時代ではない。約三千年前、天照天皇は素盞嗚尊に征められた時追はれて逃げられ、皇后様だけ残られた。婦人の故に尊は赦(ユル)した訳である。何れすっかり発表するが、時期が未だ早い。(S24・6・27)

神孫瓊々杵尊

“神孫瓊々杵尊に就て、御開示戴きとう御座います。

“瓊々杵尊は支那漢族中の英雄である。猶太人らしい。ユダヤの十二種族の一種族で東方へ行ったきり消息が絶えた。之は十二の流れがあったが、今は十一種族になっている。その一が前漢の時代に支那へ行ったが、種族の違ふ為好遇されず日本へ行った。それが瓊々杵尊であると思ふ。鵜茅葺不合、神武等の時代の中に、ユダヤの文化が非常に入っている。博物館などにあるが、菊の紋はユダヤの紋である。又西洋の輿論のようなものが入っている。何故之が瓊々杵尊か神秘がある。本当は瓊々杵尊は天照大神の系統で、支那から渡来した瓊々杵尊はユダヤ系といふのは、之は違ふのである。之は大いに神秘がある。(S23・7・4)

七の神仏

“七は盤古神王で、土の系統の神である。今迄日本を支配していた。七五三といふのは、土の時代であるからである。釈迦は観音の母である。  (S23)

神と善悪、伊都能売、大乗の見方

“神様でも、戦犯者で追放になった神もあり、心ならずも戦に加はった神もある。之等は末端の神である。正神と邪神とあり、最高の神は善悪はない。悪人も必要である。悪人からみると善人は悪人、善人など邪魔気のものとなる。主神は悪人も善人も御自分で造られた。但し、之は想像である。故に善悪無差別である。之は大乗の説き方で、下根の者にこれを説くと弊害があるから一般に説く事は出来ぬ。 

大乗、他力、キリスト━水。小乗、仏教本来は経で、自力。本当はどっちも間違いである。今迄は大乗小乗は別々になっていた。これはどちらも間違いで、これが結ばれたものを伊都能売といい、その十の字の真中に人間は立ち、善にも悪にも、経にも緯にもなる。之が自由無碍の観音の働きである。経緯結ぶと力が出る。力――霊の力は左進右退であり、物質の力・体の力は右進左退である。

米国は水、日本は火、共産主義は火であるから、米ソ戦えばソ連は負ける。十に結んで開けるのは十八。之は五六七であり、三六九である。富士山をハチスの山といふ、八の字とスといふ事である。日本を善い国にするのはアメリカで、日本は日、アメリカは星になる。(S23・6・24)

軍神といふ事、今迄の宗教、(今後の浄化)

“軍神などといふ馬鹿な事はない。戦いをするのは悪魔で、集団殺人など神様はなさらぬ。戦犯者に対する認識がはっきりせぬ。それを本当に説く宗教がない。アメリカがみれば、宗教を撲滅しようとするのは本当である。日本の道徳など全部間違いである。全く新しくした方がよい。新しい道義を建てなくてはならぬ。キリスト教にも欠点がある。それよりもっと欠点のないものを作る。今迄ではキリスト教が一番いい。

どこかといふと病気が治せぬ。善い事を言ってるが力がない。それに此方で力によって病気を解決し、神はもっと大きい救いを垂れようとしておられる。今迄は注射を打つと、浄化力が弱いので全身に廻るが、今は非常に強くなってをり、入ったらすぐに排除しようとする。その為に斑点が出来る。内出血のようにみえる。(S23・11・25)

戦神などの整理(拝むべからざるを拝む罪)

“拝むべからざるものを拝んだ罪、拝ませた罪といふ点から見て、獣の神、戦争の神等の産土神と氏子は現在どういふ関係になって居るので御座いませうか。

“拝むべからざるものを拝むのは、自分は良いと信じていたのだから大した罪にはならぬ。然し全然いいとはいえぬ。いくらかの罪はある。産土神とすれば別で、之は仕方がない。その時の必要からあるんで、区役所のようなもので、神様でいえば行政官であるから、善い悪いよりはなくては困る。戦犯者など、拝むべからざるものを何代も拝んだ。上の地位にあるべからざるものが上位にいた。戦争の神など拝ましたのは乱れの固で、今度はすっかり整理される。時所位の間違ってあったものを整理される。今は古い家を壊し、新しい家を建てる時である。

神々を語る事

“いろんな神々の名には触れぬようにしている。神は日本だけ救ふような事はない。全世界人類を救はれる。日本だけといふと面白くない。神様がどうの斯うのといふのは言葉の遊戯に過ぎぬ。一種の神話に過ぎぬ。それでは現代の人間は納得出来ぬ。既成宗教の衰えたのなどは、現代人と合はぬからである。今既成宗教に頼る事は自動車をすてて駕籠に乗るような事になる。

宗教は現代人を救ふのみでなく、一歩先へ行って指導すべきである。凡て霊界が先であるから神の経綸が先にならなくてはならぬ。故に私は宗教の型破りで、説き方も行り方も違ふ。世を指導して行くのでなくてはならぬ。(皆が納得するよう)何の神がどうだ斯うだといっても、日常の生活に織込めぬ。それは釈迦時代の生活難のない時代の事である。いくら稼いでも食えない。半日瞑想したら、食ふ事に追はれる。そこで善言讃詞を造った。婦人が綺麗な恰好して踊るなど、神様はお喜びになる。(S23)

天照大神と国常立尊、神話的な知識に就て

“天照皇大神様と国常立尊様との御関係は――

“こういふ事は答弁はせぬつもりである。神道でいふ事である。本教は進歩的宗教であるから、今後の時代の世界人類を救ふので、それには関係のない事である。そういふ事が判っても現代思想や社会生活に関係はない。一つのお道楽にすぎない。之等は神国思想を養ふ為に利用されたものである。日本の軍部などが利用した。外国へ知れるとよくない。そういう自惚思想がまだあるかと疑念をもたれる。たとえミロクの世になっても、知っても知らなくても同じ事である。それより外の痛切な問題を知った方がよい。すべて世界主義でなくてはいけない。

日本国名と国旗

“神様から御覧になられて、日本国という名前は意義のある事でしょうか。  又、日の丸の旗は征服を意味するとの説もありますが、国旗の意義は何でございましょうか。右御教示御願い申し上げます。

“日本は極東にあるから、太陽は東から出るから(日の本といふ)日本から太陽が出るように解(ト)れるから日の本と言った。従って日の丸の旗もそういふ意味で出来た。(あまり古いものではなく)薩摩の島津家で最初造った。明治ちょっと前に出来た。よく天照大神の伝説で(天祖出生地の如く宣伝した)日本は日の本であるから尊いと言ったが、そんな事はない。それでは日本だけ日が照らして世界中照らさぬ訳になる。之は理屈づけて独りよがりに軍部が使ったのである。(S24・1・18)

伊邪と伊弉の別

“伊邪諾、伊邪冊の二尊の御名の中に孰れも邪の字がついているのはどういふ訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。又弉の字を御用い致す場合も御座いますが、右に付き御教えを賜り度く御願い申し上げます。

“宛字であらう。ナミの方は邪の働きをした事がある。言葉へ対する宛字であるから、捉はれる要はない。  (S24・9・11)

伊邪冊尊の行り方

“伊邪諾尊御出現によれば昼の世界となり、御隠退になり、伊邪冊尊は曇らされる御働きで、伊邪冊尊御出現になれば夜の世界となると申してもよろしいでせうか。

“伊邪冊尊は兇党界、即ち悪魔の霊に負ける故悪になる。之は頭に毒があれば霊が憑くと同じような理屈になる。つまり伊邪冊尊の時代が夜であり、伊邪冊尊の行り方では悪魔が活動出来る弱さがあるのである。

素盞嗚尊追放と世界の変化

“伊邪那岐尊が素盞嗚尊を日本より追放しても昼にならなかったのは何故でございましょうか。右御教示御願い申し上げます。

“そんなに素盞嗚尊が月を支配するんでなく、月が素盞嗚尊を支配する。時期によりそれだけの仕事を神から担当させられる。ついてまわるような考えはいらない。素盞嗚尊が日本から追放されれば代りの神が造られる。例えば大国主命など後を継いで支配した。

素盞嗚尊三代

“素盞嗚尊は三人おいでになると伺いましたが、如何なる方々で、その御関係、並びにお働きにつき御教示お願い申し上げます。

“親子関係である。

初代が神素盞嗚尊で、妻は乙姫、西洋に行った。朝鮮から渡って来て、日本を占領統治した。そして阿弥陀如来となる。

二代は速素盞嗚尊で、大蛇を退治した神。櫛名田姫と結婚した。

三代は竹速素盞嗚尊――次に大国主尊である。第六天魔王となった。

大自在天、帝釈天――インドの神である。

神素盞嗚と素盞嗚

“初代が神素盞嗚、次は速素盞嗚、次は竹速素盞嗚と三代ある。どの素盞嗚尊でも略す。最初出雲へ行き櫛名田姫を助け、八岐大蛇を殺し、その血で川が赤くなるほど流れたといふ。これは神素盞嗚尊で、櫛名田姫を妻(二号)とした。宮を作られたが、須賀の宮といふ。家へ入った時スガスガしい気持といふので、須賀の宮とした。  スは上一人、サは佐(タス)ける、故に番頭といふ訳である。これを自分が主人にならうとして武力を以てした。為に伊邪諾尊の気勘にふれ、追放された。

素盞嗚尊の肖像をみた事がある。面長で理智的な顔である。偉い神で、なかなか力があった。大体朝鮮の神で、伝説では素志茂里山に天降ったとある。朝鮮で一番崇められている。支那では盤古神王、日本では天照大神、印度では大自在天、小アジアではアラーの神と、その国々で違ふ。(S23)

素盞嗚尊とフリーメーソン、医学

“素盞嗚尊の夜の経綸と、西洋医学、フリーメーソン、及び共産主義とはどういふ関係がありませうか、右御教示御願ひ申し上げます。

“大いに関係がある。素盞嗚尊が邪神の霊に乗っかったといふ意味である。素盞嗚尊はもう既に判っているので、悉しく言ふ要はない。

八岐大蛇退治の神話

“素盞嗚尊の八岐の大蛇退治の神話の意味に就てお伺ひ致します。

“八岐大蛇――之は事実だと思ふ。素盞嗚尊は三人ある。櫛名田姫を人身御供(ゴクウ)にして退治して、姫を妻にしたといふ。そして住居を作った。それを須賀宮といふ。そして初めて行った時、気に入って、アナすがすがしと言ったといふ。之は初代神素盞嗚尊であらう。クシナダは、言霊でいふと、日本といふ事になるが、それから日本を領有したのである。で、日本にいた八岐大蛇といふ土匪を退治して日本を領有したといふ解釈があるが、それでもいいと思ふ。(S23・7・18)

神無月の神集とは

“所謂神無月には本当に各神々様が出雲にお集まりになるので御座いましょうか。又御集まりの神々は邪神と解釈いたしましても宜しう御座いましょうか。お伺い申し上げます。

“出雲に集まるんではない。出雲から帰るんである。素盞嗚尊は朝鮮から渡り、出雲へ朝廷を作り、大国主尊になり、神武天皇に敗けた。それで朝鮮の神が日の御碕から朝鮮へ帰る。それで神無月といふ。故に他は何等関係はない。

日御碕神宮の祭神

“日の御碕大神宮は天照大神さまの御分霊で御座居ませうか。

“天照大神様の御分霊かもしれぬ。そこから毎年十月、朝鮮へ帰られた。それが神無月である。(S24・3・2)

日御碕神社外出禁止の神事

“出雲国日御碕神社に於きましては、毎年大晦日の夜半、天一(アマノカズ)山にて素盞嗚命が天照大御神に天のむらくもの剣を献して仲直りをされる御神事があり、これは小野宮司が唯一人のみ執行し、他の一切の人に見せないといふ理由から、夜十二時から村の電燈を全部消し、且つ道路の歩行外出等も厳禁します。そして此禁を破った者がここ  、三十年間に二名あり、一名は道路で倒れて死亡し、お宮の格子戸から覗いた者は、顔へ戸がくっついて離れなくなってしまったそうです。村人と致しましては覗視することは問題外として、只夜半消燈されること、外出出来ないことの不便に対して何か対策はないかと申しておりますが、これは如何にしたらよろしう御座いませうか。

“天照大神と素盞嗚尊は昔御仲が悪かった。出雲の神の眷族が日の御碕神社の神様を偉く見せる為、こんな事をするのである。

出雲神の縁結び

“出雲の神様が縁結びの神と申しますのは、如何なもので御座いませうか。  御伺ひ申し上げます。

“之は作ったものである。元、出雲朝時代は大勢力があり、国土を奉還したが、出雲の神は国土返還の為失業して縁結びでもやったのであらう。縁を結ぶのは、その時の事が特に残っているのであらう。(S24・5  12)

鬼ケ島と「龍宮城の宝」

“鬼が島と龍宮城とは関係がありますか。

“龍宮城には宝が貯蔵してあった。乙姫が世界中の金銀を集めて蔵ってあった。此宝が千手観音の持たせ給ふ宝である。

乙姫とサタン 

“乙姫と「サタン」とは如何なる関係があるのでせうか、御伺ひ申し上げます。

“乙姫は世界の物質を集めた。それをサタンに利用された。又は騙された。それだけの関係である。(S24・9・8)

月の神名

“お月様を拝する時に、  お名前を何と申して拝すればよろしいでせう。

“月読尊といふのが本当。月読教といふ古い宗教もあるが、月読尊は夜の時代には極くいい訳である。

第二天国と月の神

“第二天国は月の世界であるから、照ったり欠けたりする。月読命は――。素盞嗚命は暗になるから罪を犯し易い。罪を犯すから贖罪する。故に非常に苦しむ。イエスも阿弥陀も素盞嗚尊。(S23・7・14)

二十三夜様

“長崎五島方面では「二十三夜様」と云って千手観音によく似た御姿の神様(又は月を三体かいたもの)を祀ります。狐霊がこれを怖れた例もあります。太陽暦の二十三日の夜に祀りますが、此の御本体は何でせうか。

“御本体は月読尊である。世に月読教といふのがある。光明如来様奉斎すれば、祀る要はない。月夜見とは月夜の時の働きである。暗黒面の働きが素盞嗚尊である。

彦火々出見尊

“九州(鹿児島)にヒコホホデミノミコトを祭った神社がありますが、九州とヒコホホデミノミコトと何か霊的関係があるのでしょうか。又同神と観音様とは何か関係がありましょうか。御伺ひ致します。

“彦火々出見尊は、神武天皇より数代前である。あまり長生きしなかった。若死したらしい。胆も力もある神。天照大神様の甥位になる。相当の神であった。八幡様は彦火々出見尊である。観音様は伊都能売の神様で、伊都能売神様と天照大神とは非常に関係がある。  (S25・2・5)

八幡菩薩と不動明王、(応神堂と神明支部)

“以前八幡菩薩、御不動明王等の信仰者は観音会に因縁あるとの御言葉を戴いた事が御座いますが、どういう訳なので御座いませうか。

“不動明王は観音様の弟子である。八幡様は普通応神天皇で、古いのは彦火々出見尊である。応神天皇は観音の一部が生れられたものである。先に麹町時代、応神堂とつけた。又明治神宮附近に神明支部と命名したが、どちらもいけないと、当局が言った事がある。

応神天皇は武の神

“八幡宮の御祭神が主として応神天皇であられますのは、どの様な御因縁でせうか。応神天皇の御代、日本は大陸の外来文化を吸収し、文化的に一大飛躍をした時と伝へられますが、八幡宮が武の神として長く武家の尊信を受けたのは何かいわれがありませうか。

“応神天皇は戦いの神としてある。戦いがうまかった為に祀られた。それで応神天皇を祀った場合は弓矢八幡という。古いのは彦火々出見尊である。私は応神天皇に生れた事がある。以前、応神堂と命名した事がある。文化も入れたのであるが、やはり戦いの方がうまかった。日本は軍国主義だったので、文の方を軽んじ、軍の方を重く見たのである。

八幡様と春日明神、天祖の両脇に祭る事

“八幡様と春日大明神とは天照大神の両脇に祭られておりますが、如何なる因縁が御座いませうか。

“普通八幡様は応神天皇を祀ってあるが、これは中途からで、古くから祭られている八幡様は彦火々出見尊といふ神で、天照大神の甥位に当られる。之は種々相当の謂れがある。日蓮宗のオマンダラにかいてあるが、余り根拠のある事ではない。奈良の春日明神は、二柱の神になっている。奈良の春日でお祭りしたため二柱になっており、春日は土地の名で、中途で出来たものである。面白いことに、春日神社の地主が建御雷神である。天照大神の御脇立といふのは、そう深い意味はない。又、神社の八幡様は殆んど彦火々出見尊である。

気吹戸の浄化

“暴風や旋風は霊的にはどう言ふ事になりますのでせうか。

“之は霊的の曇りを吹き払ふ浄化作用である。気吹戸主神の風の働きである。祓戸四柱神の気吹戸は風の働きである。旋風は風の働きで、曇りがひどい個所を龍神が一時に祓ふのが、暴風や旋風である。(S23・8・4)

祓戸神の御働き

“祓戸四柱の神は、諸々の龍神を使って宇宙の浄化を司っておられるとの事で御座いますが、各々の働きについて御開示を御願い申し上げます。

“風を起し、雨を降らし、雷火で焼いたりする。低気圧など最も大きいものである。  (S24・5・11)

豊受大神と福徳寿

“伊勢の外宮たる豊受大神は倉稲魂命にて福徳寿の守護神に在し、伏見稲荷大神、豊受稲荷大神と同神と申しますが、正しい意味を御教え御願い申し上げます。

“豊受大神は五穀の神で、倉稲魂命もそういふ訳である。福徳寿の守護神といふのは、少し広義に解釈し過ぎる。寿はちょっと違ふ。伏見稲荷は昔稲種を配布した本家である。豊受稲荷は、豊受明神と同じ女神で、狐の上に乗っている絵がある。(S24・8・21)

御岳教の神

“御岳様は国常立尊であるからいいが、他のいろんな神が祭ってある。之は天狗さんで、国常立尊の家来だったものであるから、悪い神ではない。善い神様は山に居る。(S23・6・27)

大将軍と於加良須神社

“大将軍様と申す神様に付いて御説明を御願ひ致します。

“之は神道でいふので、国常立尊様の御子様といふ事になっている。天理教では天の大将軍といふ。国常立尊の長男、行いがよくなく、後に悔改めて大将軍となられた。武を司った神。お烏神社は稚姫君尊で、素盞嗚尊と恋愛に陥り、素盞嗚尊が朝鮮へ帰られ、恋しさのあまり烏になって行き会った。それを祭った。(S23・10・12)

建御名方命(諏訪神社)と御神業

“神武天皇の時、大国主尊の長男が事代主命、次男が建御名方命の二人あった。兄はおとなしかったが、弟は聞かん気であった。それで降服せずに抵抗し、逃げて諏訪へ行き、飛び込み、龍神となった。それを祀った。強い力のある神で、戦い好きである。それで戦争のある前に諏訪神社の七五三縄が切れるといふ。今は此御仕事の為に働いている。

建御名方命に就て、(二流以下の神の性格)

“長野県諏訪湖の「御渡(オンワタ)り」と称し、冬神様が諏訪湖の上社から下社お渡りになると謂い、湖水に亀裂が生じ、其の状態により其の年の農作物の吉凶を卜うと謂われますが、之は如何なる意味で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“諏訪神社は建御名方命である。大国主命の長男が事代主、次男が建御名方で、神武帝に征められた時、彼は戦争好きで、気性が荒く、精神力が強い。(力あり奇蹟をやる)二流以下の神にはいろいろの性格がある。(最高神はそんな事ない)よく戦争が起ると、柱が四本倒れるといふが、今でも建御名方は活躍している。  (S24・8・21)

諏訪神社由来(協力)

“諏訪神社の祀神の由来に就て御願い致します。

“神武天皇の時、建御名方命は反抗し、諏訪へ逃げて湖に入り龍神となった。力の強い神。教団の為協力している。(S24・12・23)

権現の神

“箱根権現、熊野権現又は東照権現等、権現様と申し御祭り致して御座いますが、何神様を御祭りしてあるので御座いませうか。

“箱根と日光は東照権現で、家康である。熊野権現は謂れがあり、相当の神で、火の系統の神である。権現は、神でも仏でもない。  どちらかといえば神の事である。(S24・8・1)

医瑞弥大神

“或る村の有力な人物(農業)が未だかつてなき無我状態となりました。此人は宗教観念のない人であります。その口述を記録いたしますと、

一、医瑞弥(イワヤ)大神の出現、
二、右神の御神示として、医釈帝弘師、受照無厄神、生仏界金剛と言ひました。そうして、いわや大神は神武天皇の御守護神と説明致しました。右は如何なる事でありますか。

“はっきり判らぬ。今の所判らぬ。今少しくみる。(S24・11・27)

三社祭

“浅草観音様の境内に三社様が祭られてありますが、如何なる御因縁で御座居ませうか。

“三社様由来といふのがあるが、昔は駒形まで海だった。三名の漁師が海で打っていた網に観音様が掛ったといふ。その漁師を祀ったのである。それを小さい方堂へ祭ったが(駒形堂)、頼朝が浅草観音堂を作ったといふ。(S23・12・22)

塩釜神社祭神、金華山との関係

“一、塩釜神社の御霊はどなたでせうか。二、塩釜神社と金華山とは何か関係がありますか。

“一、塩釜明神といふ神で、元は神名があったらう。土地の名をつける神はよくある。春日明神の如きそうである。茨城県の武甕槌の神もそうである。お産の神である。神には種々のお役目あり、つまり職業である。

二、関係はない。金華山は国常立尊がお祭りしてある。近くの島から金が出るので、その名をつけた。その地では病気になると井戸水を飲んで治す。水に金が含まれている。(S23・12・15)

塩釜祭神

“塩釜神社の祭神に就て、御伺ひ申し上げます。

“月系の神、お産の神である。(S23・11・2)

道真、正成の神格と死後

“昔の英雄、例(タト)へば菅原道真や楠木正成等は、死亡して後人々より神として祀られて居りますが、神格を得て居るものでせうか。お伺い申し上げます。

“今迄は神格を得ていたが、終戦後神格が落ちた。楠木正成は地獄に落ちているかもしれない。然し、偉い人、正義の人であるから、割に早く救はれるに違いない。菅原道真は執着が強かったから疑問である。多くを殺した。死んでから天皇を怨んだ。怨みの執着の為、救はれるのは後れる。  (S24・5・4)

阿夫利神社

“神奈川県中郡大山町所在、阿夫利神社に就て御伺い申し上げます。最近大山附近を布教させて頂いて居りますが、阿夫利神社は邪神とか泥棒の神とか言われて居りまして、盗難などの場合、犯人が阿夫利神社の方向に逃げた場合は殆ど見付からないと申して居ります。阿夫利神社はどの様な神で御座いましょうか。御教示御願い申し上げます。

“泥棒の神である。若い時誘はれて居った事がある。オシといふ神主の宿屋へ泊った。ガヤガヤいふので見ると、泥棒の講中であった。仙台辺り手薄いとか――。(S24・9・29)

七福神

“七福神とは如何なる神様ですか、其意味―― 

“日本、支那、印度三国の神仏を組合せたもの。大黒天は印度名、大国主といふがそうでない。弁天様は素盞嗚尊の三女。福碌寿は支那、恵比寿は彦火々出見尊、天照大神の御子となっている。布袋は昔の支那の坊主、うまく組合せが出来ている。

山海の神とシメ(神社に鍵かける事)

“昔から各部落に山の神を祭り御酒を供え五穀豊穰を祈ります。又山の仕事に幸ある様祈ります。氏神の境内又は森の木に太い〆縄を張りそれを拝みます。祭日は九日になって居ります。御神体は女神と言われて居りますが不明、又本社等も判りません。御神体は何神様でありますか。又今後祭る必要ありますか。御尋ね致します。

“各山には山の守護をする神がある。それを祀る事は結構である。そこの一円を管轄している場合がある、鋸山とか。五穀豊穰を祈るのはいい。シメ縄は国祖大神を押込めた系統の神が締込む為に作ったといふ説がある。シメの言霊はよくない。神社などで戸を締めて鍵のかけているのがあるがよくない。(まるで牢屋へ入れた様なものである)山の神は大抵須勢理姫命が多い。海は市杵島姫命である。山は女を穢れるなどといって嫌ふ。月に一回お祭りするといい。何か守護を受ける。(S24・7・24)

地の神とは

“田舎には何処の家にも地の神様が祀って御座いますが、地の神様は如何なる神様で御座いますか。御伺い申し上げます。

“神にはいろんな係りがある。地の神とは地龍で、地の龍神である。産土神の命によりその地域を守るのである。

天龍、金龍、銀龍に就いて

“天龍は天皇になる龍神。金龍は国常立尊様、太陽、火。銀龍は素盞嗚尊、月、水。  (S24・4・23)

龍と支那、(神と龍)

“日光東照宮や嵯峨天龍寺のように、神社仏閣ではよく天井に龍等の絵を描き、個人の家庭ではそんな事は御座居ませんが、天井絵には何か意味が御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“龍を非常に尊んだ風俗は支那から来た。支那では何でも龍をつけた。支那に龍あり、非常に力がある。龍神を救ったりなどするには力がなくては出来ぬ。であるから日蓮宗の行者は非常に怖がる。原因不明で頓死するのは、龍神にやられるのが多い。龍神には位があり、人間に転化すると人間になり、龍神が人間になる事が多い。位の高い人が龍神になる事がある。神と龍神は同じであるといっていい。故に龍顔美わしく、袞龍の袖など、みな龍をつける。玉顔美わしくが本当である。(S24・7・1)

龍王は如何に現界に働くか

“八大龍王、其他神々様が現界に御出ましになり、御活動あらせられる由に御教えを戴いておりますが、現界にては本守護神として御生れになっておられるのでしょうか。或は御憑りになって御働き遊ばされるので御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“(両方である)一たん天へ昇り人間に生れるのがあり、そのまま人間に憑るのもある。龍神は昇天して人間に生れるのが本当であるが、それでは時期が間に合はぬ。一日も早く人間に憑って活動するのが本当である。(高位の龍神は働かないから一旦昇天してから憑るが、働く龍神の方が多い)人間に憑る方が多い。(S24・6・21)

龍の昇天と転生、修行と御光

“昭和二十一年五月に現在の家に転居しました時、其の家が余りきたないので大工、左官を入れ修理致しました処、作業の半ばで父が急性肺炎で急死致しましたので、母が驚き或る人に拝んで貰ふと、今迄此の家に蛇がいて、余り家をいじりまわすので居る所がなくなり、怒って、父に祟ったのだから直ぐ祭をやれとの事で、其れ以来家の棚の上に祭って有りますが、昨年十一月、大光明如来様をお迎へしてからは手不足の為そのままになって居ります。如何致しますればよろしいでせうか。御教示下さい。

“一年経ってからお祭りして、お帰り願ふ。蛇でも修行すると昇天する。昇天しお帰りを願ふのである。言葉でいえばよい。汚れが除れると昇天する。龍は海に千年、山に千年、大地に千年といふ。光明如来様の光を受けると、とても早く汚れが除れる。故に大抵一年も経てば昇天出来る。神格ある龍は昇天する。そうでないのは人間に生れ替る。故に人間に生れ代るよう幽世大神にお頼みする。(S24・5・15)

龍神の種類、性格

“蛇、龍神――。火の系統の龍は山にいる。水、月の系統の龍は海にいる。金平様は二、三流の神で、海の支配者は日本では琴平別命である。乙姫は人間に出ている。龍虎相搏つなどといふが、  そういふ龍は戦ふのが好きである。赤龍は陰険なものである。支那にも龍は沢山いる。青龍。みみずは地龍である。龍は怒り易く怖い。人を殺すのは何でもない。人間から蛇になったのが多い。国全体が腐っているから汚い。不良分子は蛆のようなもので、それが湧く。こちらが隙がないようにしなければならぬ。(S23)

踏むと病気にする石(位と向上)

“片淵光雄(四九歳)と申し、新しい信者で御座います。其の家の裏手に池がありましたが、現在は埋めてしまって御座いません。其の畔になった石が今でも残って居ります。其の石は他家の者が股いだり触ったりすれば不思議に大熱が出て医者では治らず、御祓ひをすればケロリと治るそうで御座います。尚十年前にこの信者の父が祟りのある石は他人に迷惑とて他所に捨てましたら、其の人は非常な腹痛を起したそうで御座います。それで石を持ち帰って元の位置に戻しましたら其の腹痛は治りました。何も知らぬ人には今でも迷惑を掛けるから、其の場所は通行禁止にしているそうで御座います。此の石は如何なもので御座いませうか。又如何に致しましたらよろしいものでございませうか。御伺ひ申し上げます。

“踏まれる事をイヤがるのである。それで踏まれぬように苦痛を与える。といふのは人間に踏まれると龍神の位が下る。又修行中に人間に踏まれると向上が遅れる。  本当いふと小さいお宮へ安置し、小さい池のようなものを作り、時々祝詞を奏げると向上が早くなり、非常に喜ぶ。(25・1・12)

女を嫌ふ神社

“福岡県宗像(ムナカタ)郡大島村沖ノ島(島の周囲一里位)に沖津宮(女神様を祀ってあると謂はれています)が御座います。女が参ると遭難にあい其の島に上る事も出来ず、男でも一週間身を浄めて御詣りするそうで御座います。又この宮には虻が非常に沢山居るそうでございます。之は如何なる意味のあるもので御座いませうか。  御伺ひ申し上げます。

“龍神は潔癖なもので、汚されるのを嫌ふ。女は月経などあるので、女を嫌ふ。男でも浄めてゆくと喜ぶ。虻は海藻か何かで打上げられたものに発生するのであらう。(S25・1・12)

龍神(三寒、三熱症状)

“稲毛輝子(三十六歳)、主人が「カリエス」で苦しみますので、仏壇に向って善言讃詞を上げました処、上げて居る中に頭の方より、冷たき感じが足に迄届くと、間もなく足の方より温く成り汗をかき、善言讃詞を上げ終る迄に三回繰返されました。之は祖霊の何か教へでせうか。御教示下さい。

“龍神の霊で、普通の祖霊では温くなるといふ事はない。龍神がお礼に来たのである。龍神は凡て三回やる。三熱とよくいふが日に三回熱くなるといふ。(その度水へ入る)  (S24・8・8)

青大将の憑依(蛇の特性)

“信者の婦人で御座いますが、どんな物の匂いでも鼻につくと共に胸がわくわくして来るそうで御座いますが、以前この婦人は、家の中に大きな青大将が入って来たのを追っても逃げませんので、唐芥子をいぶして、その煙で追ひ出さうと致しましたが、尚出ませんので、近所の人に頼みまして、その青大将を殺したそうで御座います。其の頃より前記の状態になったそうで御座いますので、龍神様としてお詫び申し上げ、お祭りして御座いますが、治らないと申して居ります。毒素の為で御座いませうか。又霊的のもので御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“霊的である。青大将の霊である。蛇は人間より匂ひなど敏感であり、之が蛇の特性である。その人のお腹に居る。蛇を浄霊して祝詞を奏げてやるといい。すると出るか、居ても差支えない事になる。蛇は、煙草の匂ひなどすぐ判る。ヤニの匂ひ、鉄の匂ひ、紺の匂ひなど非常に嫌ふといふ。  (S25・2・2)

龍神は痒い

“未入信の七十三歳の男子で御座いますが、昨年八月頃より風邪気味で床に就きましたが、其の後ずっと休んで居り、最近は熱は御座いませんが、皮膚が蛇の鱗の様になり、手足、胴体が非常にかゆいそうで御座います。尚その家には以前五歳の子供が井戸に落ちて死んでおりますが、祀ってないそうで御座います。霊的に何か関係が御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。尚、本人は三人の後妻を迎へましたが、何れも死亡して居ります。

“やはり龍神の生れ代りである。  龍神は非常に痒いものである。一日に三寒三熱である。祀ってやらなければいけない。龍神は夫婦の状態を嫌ふ。(S25・5・22)

赤城山に就て、本来の邪神と夜の世界、正邪神と国魂、最悪の国魂、邪神への挨拶、氷川神社と流行神、府中大国魂神社と明主様

“赤城の夕立は荒れる。今迄は正神が押込められ、邪神が蔓延っている。邪神は元からの邪神はない。邪神に神が負けると善くない働きをする。今度の整理で邪神の味方した神も味方が出来なくなる。邪神に騙らかされた神もいろいろある。その国魂が力が薄いとか、系統が正統神の裾の系統の場合など――。悪霊や邪神の活動し易いとその地方は悪い。国魂神の善い悪いで定る。国魂神の悪いのは、武蔵(東京)が一番悪い。東京の中心程悪い。

悪い神でも参拝するのは差支えない。邪神だから参拝してはいけないなどといふ宗教は本当でない。神は邪を恐れぬからである。故にどの神も挨拶した方がよい。仁義である。こちらへ来て働く、よろしく――。稲荷でも何でもいい。赤城は素晴しい龍神がいるに違いない。山を登るに六根清浄といふのはいい。山で尿するのも断ってやれば何でもない。征服などといふのは極くわるい。之は闘争心から出ている。府中の大国魂神社は――。武蔵の本当の国魂は日の系統の神で、長らく圧迫されていた。大先生が行かせられたら非常に喜んだ。埼玉の氷川神社は素盞嗚尊で、関東鎮台本元である。氷川さんも段々改心した。不動様は印度へ帰った。流行神は殆んど訝はしい別のものが入っている。(S23)

兇党界に就て、絶対善と絶対悪と進化、五六七界の兇党界

“兇党界に就て御伺い申し上げます。一、神漏岐、神漏美尊が出られて、  善悪二つに分れたと伺いましたが、この悪は兇党界の出現でしょうか、二、主神の御目から御覧になった場合の兇党界存在の意義、三、兇党界の現在の働き、四、五六七の御代になった場合、兇党界の霊は正神に服するのでしょうか。  右御教示御願い申し上げます。

“一、神漏岐神漏美は兇党界と全然関係はない。霊と体を善悪に分けると、霊は善、体は悪となる。悪人は兇党界などとは違ふ。男は善、女は悪――別けるとそうなる。即ち霊と体である。

二、主神の御眼よりは同じ事である。必要のない、いけないものなら、万能の力を以てつぶすのは訳ない。やはり必要なのである。対称的で、神は絶対善であるから、それに対称して、絶対悪がなくてはならぬものである。でなくては人類社会は進化しない。故に必要悪である。審判など神が裁く。罪を裁くなど慈悲も何もないではないか。

四、五六七世には、兇党界の霊はなくなりはしない、限定される。兇党界とは、要するに獣の働きである。今は人間が獣の域を脱せぬ。大いに残っている。今は半獣半人である。

邪を作る神意

“神は愛であり絶対のもので、これがすべてのものを作ったとすれば、悪いこと、つまり邪神、邪悪の人間など出来よう筈はないと思ひますが、これは如何なるわけで御座いませうか。邪心の起源と人間の邪悪の始まりに就き御教へ下さい。

“御本に方々書いてあるから、読めば判る。(S25・5・27)

巧みな邪神の理屈づけ、反対ある場合の対応

“邪神は理屈をつけるのが実に巧い。あまり反対のある時は、当分遠退いた方がよい。いくら先方が間違っていても、怨みが来て邪魔するから、一旦気を抜いて時期を待って行った方がよい。  (S23・8・21)

黒龍と青龍、邪神の必要、支那の龍、邪神の種々、黒龍と青龍の働き

“黒龍は邪神である。乙姫が欲の執念の為、邪神になった事がある。すべて黒は悪魔であるから、気をつけなくてはいけない。青龍――青大将などこれに属する。(善悪中間)。支那に多い。黄龍も多い。邪神は神様に対する邪神、兇党界が元で、働くのも邪神、間違えて働くのも邪神である。悪魔は凡てに渉ってある。一時アクマになり、改心して良くなるのも沢山ある。世界の凡ゆる事は、破壊と創造を繰返している。神は創造者であり、破壊者は悪魔である。故に邪神も必要である。

邪神幹部の系統

“私は二十年秋入信させて頂き、二十三年元日狭心症で倒れ、医師に見離された所を、平本先生の御浄霊で助けられ、家族中入信、大光明如来様も祭らせて頂いて居りますが、二十三年二月頃より悪夢を見ると極端に身体の工合悪く、其の都度御浄霊を頂くと必ず悪霊が浮き、最近は「サタン」と名乗り大暴れをし、黒龍と言っては大あばれをし、踊る神の本尊狐と名乗り、御神前で大暴れをし、平本先生の御浄霊に依り鎮まって居ますが、之は如何なる因縁で御座いませうか。

“何千年か何百年前、邪神の幹部の系統である。そういふ因縁がないと憑れぬ。邪神でも団体みたいになっている。口惜しくて邪魔しようとするか、助けられたいかだが、そこまで行ってはいない。大分弱ってはいる。改心しても――。(邪神にもよいわるいがある)  (S25・2・3)

兇党界、金龍と赤龍、八岐大蛇、金毛九尾、邪鬼、邪鬼の元、天魔坊、邪神の本籍、山口県は入口

“兇党界は悪魔の世界で、悪魔で連絡し合ってやった。赤龍は共産党で、伊都能売金龍と始終戦っている。今以て戦っている。此頃先方の力が弱ったので、楽になった。八岐大蛇は赤龍の子分。金毛九尾、邪鬼は力あり、赤龍と競争する。共同活動もある。よく漢方の先生で「未だ邪鬼が抜けない」などといふ。邪鬼の元は印度で、天魔坊は第六天魔王で、所謂天魔である。山口県は外国から邪神など来る時は、ここから入る。今、入って来た霊は、続々本籍の外国へ移されている。(S23・7・17)

凶党界の三巨頭と霊線と昼間世界、邪神と兇党界の相違、真の善人の率

“兇党界の事について御伺ひ申し上げます。

“兇党界は悪魔の世界、八岐大蛇、金毛九尾、邪鬼、この三つが巨頭で、今迄盛んに活躍していた。これは邪神と違い根本からの悪魔である。之等は善の世界になると小さくなり、悪い事をする霊は凡て明るい所では働けぬ。兇党界から霊線の繋っている霊は沢山いる。例えば金毛九尾などは何億もいて、これ等は女に憑いている。今の女は殆んどこれである。共産党などは邪鬼である。八岐大蛇は戦争が好きで、少くとも職業軍人の如き、全部これの眷族が憑いている。

兇党界は今迄力が強かったので、世の中も悪が強かった。今迄は大抵悪である。善人でも偽善者の仮面を被っている。大部分悪である。真底の善人は百人に一人とない。実に悪に満ちた世界であった。神から与えられた魂が良心である。

八岐の大蛇、邪鬼、九尾の狐、人間心内の戦い

“素盞嗚尊の退治されたと云ふ八岐の大蛇の由来を御教へ願ひます。

“いろいろ説がある。悪魔の巨頭で、三巨頭の一である。眷族は何億とおり、一人一人の人間に憑って悪い事をさす。大蛇は戦争が好きで、東条とかヒットラーなどは、その眷族が憑いたものである。邪鬼も戦争は好きである。金毛九尾は女に憑ってる。花柳界の女とかパンパンガールの如き皆憑いていて、世の中を乱す事をする。男を堕落さす仕事をする。女の腹を裂いたりするのもそれである。人間は常に之等と本守護神と戦っている。(S24・5・12)

サタン

“キリストとサタンの因縁――

“聖書に「サタンは赤い龍なり」とあり、悪魔の頭目である。共産主義はサタンである。釈迦に提婆というように、キリストを始終苦しめてるのがサタンである。パリサイ人も反対派である。之は普通の人間がキリスト教を嫌う如く、明主様と、昔からサタンは戦っている。短刀をもって殺しに来た事もあるが、之は頭から顔から全身真赤であった。

赤龍の握っているもの

“黒龍は物質を握って居るものの様に承って居りましたが、赤龍は何を握って居るので御座いませうか。

“黒龍は龍宮の乙姫であり、赤龍は「サタンは赤い辰なり」といい、共産主義で、世界の三分の一位握っている。