人間の生命は神が造ったものであって、科学で作ったものでない事は、誰でも考えられるであらう。としたら前者は人智でも解し得ない神秘力であり、後者は機械力であるから問題とはならない。
従って生命に関係ある病と雖も、神に治して貰うのが本当で、科学に持ってゆくのはお門(カド)違ひも甚だしい事も分るであらう。としたら之程ハッキリした理屈はあるまい。
処が昔からそれに気が付かない処に不思議な点がある。何よりも今以て病を科学で治そうとしてゐる事で、全く盲の世の中というより外に言葉はない。此盲の眼を開眼するのが私の仕事であって、その方法が光であるから、お光様とは誰が付けたか、巧い名をつけたものと私は思ってゐる。
処が斯んな簡単な理屈が分らない程盲の世の中であるから、世界中の人間は病に苦しんでゐるので、実に愚かな世の中ではある。それを分らせやうと私は長年苦労してゐるが、余程重症な眼病とみえて暇はかかるが、然し治って眼の開く人も日に月に増えつつあるので、何れは眼明きばかりの社会となるのは間違ひない。
そこで此盲の製造元といへば、唯物科学の先生であるから、此人達を先に治そうと思ってゐるが、仲々容易ではない。それもその筈で、治ったら飯の食ひ上げとなる危険もあるからで、万人の利益よりも自己の利益が第一という小乗的考への為であらう。
然し此事は私個人の考へからではない。世界の主宰者たる神の意図であるから、一刻も早く之を信じ、盲目製造会社を解散する事で、それが君等自身も救はれる事で、茲に注意してをく次第である。