今日宗教を論ずる宗教学者輩の多くが決っていふ言葉に、現当利益を目的とする信仰は低級信仰であると言ふのである。現当利益など問題にせず、所謂高遠な理論を並べた寧ろ実生活にかけ離れたるもの程権威ある宗教理論のように説かれてゐる事は、吾々から見れば甚だしい謬論で忌憚なく言へば単なる理論の遊戯としか思はれないのである。考えてもみるがいい、抑々宗教の使命は何であるか、言ふ迄もなく天下万民の苦悩を救ひ、此土をして安養楽土たらしむるといふ－それ以外に何があるであらうか。
そうして先づ一般人を客観する時健康が欲しい、財物が欲しいといふ欲求は、貴賎貧富の別なく、精神病者でない限りそれを願はぬ者は一人もあるまい。もしありとすればそれは何程希求しても実現の可能性がない為諦めてしまった人か、又は自己をより偉く見せようとする似而非(ｴｾ)学者の類でしかあるまい。
そうとすれば右の如き諦めや自己欺瞞はどうして生れたかを検討してみるが、事実今日までの宗教信者が神仏に帰依し凡てを抛って許す限りの財物を捧げ之以上やりようのない程熱烈な信仰を続けるに拘はらず、どうしても思うようにゆかない。尤も相当の利益はあるにはあるが、病気にも罹るし死人も出来るし、貧困からも免れ得ないといふのが現実である。
そこで結局信仰をやめるか諦めるかの二途の中一途を選ばなければならない羽目になるが、その殆んどは思ひ切って信仰から離れる事も出来ない。何となれば兎も角も信仰によって或程度の利益もあり、苦境に対する諦めも無信仰者であるよりも勝ってゐるからである。之が苦境に喘ぎながらも信仰を続けてゐる人の偽らざる心情であらう。
そして盲信者は別としてインテリ層の或種に属する人を見る時、彼等は信仰なるものも神仏なるものも、それ程の利益を与えらるべきものではない。ただ精神的に淡い安心感が得らるるだけで、一種の観念に過ぎないと思ってゐるらしい。処が可笑しな事には此種の人は宗教の立教者開祖等の言行や文献を無上絶対なものとなし迎合的な讃辞を織込みながら、其癖思ひ上ったような批判の筆を揮ふのである。
勿論彼等は霊的叡智の持合せなどはないからどこまでも唯物的批判で、自己の名声を落さないよう顧慮しながら洵に上滑りな書き方で到底読む者の肺腑を貫く力などはないのである。
吾等は之等の人を見る時憐愍の情を禁じ得ないと共に、沁々自己の幸福感に酔はざるを得ないのである。何となれば吾等は入信以来欲するがままの健康を得、財物にも恵まれ、凡ゆる面に於る現当利益は寔に裕かであるからである。だが然し之等の境地は世の中の人は経験がないから信ずる事は至難であらう。
そこで現当利益による吾等幸福者を目して迷信といふのであるが実は彼等自身こそ一種の迷信者と言はざるを得ない。彼等が僅かに利益の半面である精神的諦めだけを唯一のものとして、十年一日の如く病貧争の枠から脱却し得られないのである。故に吾と彼との人生観も世界観も甚だしい食違ひのあるのは、むしろ当然である。
是に於て一言にして言えば如何なる立派な理論を称えても、理論だけでは病気は治らない。貧乏神も離れない争ひも絶えないといふのであるから之ではどうみても救はれたとは言はれない。嗚呼、彼等頑迷者の蒙を啓き、真の法悦を味得させる日は果して何時の日か待遠い限りである。
（光新聞九号 昭和二十四年五月十四日）