医診に於ては、結核を知る方法として、レントゲン写真の撮影を重要視してゐるが、之に就ても甚だしい誤謬である事を指摘してみよう。
レントゲン写真に顕はれたる胸部の雲翳の有無によって、医家は結核非結核の断定を下すが、一体此雲翳なるものは如何なるものであるかといふ事であるが、勿論あってはならないものには相違ない。然し乍ら、雲翳だけによって、必ずしも肺臓内に於ける結核の病竃とはいへないのである。何となれば写真は平面的に写るものであるからである。私が多くの経験上雲翳の殆んどは肺臓内ではなく肺臓外、即ち胸部及び背部の皮下肋骨附近にある毒素の溜結のそれである。故に、もし肺臓内に毒素溜結があるものとすれば、必ず呼吸に異状がなければならない筈である。その理由は、毒素溜結の容積だけ、肺臓全体の容積が減殺されるからである。
然し乍ら、レントゲン写真撮影に於て、正面からではなく、側面からも部分々々に撮影し、正面写真と照合する場合、肺臓内も適確に知り得るので、斯様な方法を医学も特殊の場合行ふのであるが、普通特に集団的に多数者に、右の如き方法を行ふ事は到底不可能であるから、実際上正面だけの撮影で満足するの余儀ない訳である。右の如くであるから、実験上肺臓内に毒素溜結ある者は、少くとも結核第三期以上でなければならない筈であるから、早期診断時の場合、右の如き重症性即ち肺臓内の異常者は一人もないといって差支へないのである。従而今日行はれてゐる如き平面写真の雲翳のみを以て肺臓内に疾患ありと見做し、直ちに結核と断定する事は余りにも軽卒であらう。
之に就て、今一つ見逃し難い事は、肺臓外の雲翳が、第二浄化作用即ち発熱によって溶解し、液体となった毒素は肺臓内に浸潤し、喀痰となって排泄せられ、浄化が完全に行はれ、雲翳は消滅するのである。然るに此場合医学は肺浸潤として、結核の初期の如く誤解し、その扱ひをするので、患者は精神的にも肉体的にも元気消耗し、食欲不振等によって漸次衰弱し、終に真の結核となるといふ例も少くない事を私は知ってゐる。
(結核の正体 昭和十八年十一月二十三日)