血沈とは勿論血液の沈降速度の速いか遅いかを知る方法であって、沈降速度の速い程濁血であり、その重量による為である。医学に於ては速度十ミリ以上を濁血となし、十ミリ以下を浄血としてゐるが、ただ之だけならば私のいふ濁血者浄血者を機械的に測定する一の方法として異議はないのであるが、茲に見逃す事の出来ない事は、濁血者は結核容疑者となし、勤労までも停止させる事で、茲に問題の発生があるのである。
濁血保有者を結核容疑者とみる事は如何なる訳であらうか、私の推測によれば曩に述べた如く感冒や微熱の原因が、濁血の為の毒素溜結に対する第二浄化作用であるから、それが結核に罹り易いとの推定の為であらうと想ふのである。勿論濁血保持者は感冒的症状が発生し易いのは事実であるが、それだけで結核又は結核容疑者と断定する事は余りに早計である。丁度焚火を見て火事を予想しポンプを引出すのと同様の慌て方である。
そうして浄血者を濁血者たらしめる最も有力なる原因としては、近来頻りに応用する彼の予防注射の一事である。曩にも述べた如く注射液等の異物又は毒物を血液に注入するに於ては、それが濁血の原因となるのであるから、注射なるものは濁血者を作る方法でしかないといふ事にならう。
然し乍ら、専門家は曰ふであらう。注射によって伝染病を予防するのであると、然し、私は言ふのである。伝染病とは猛烈なる浄化作用で、之ある事によって人体血液中の汚濁を急激に消滅するのであるから、勿論天与の生理作用である。故に体力旺盛なる民族に伝染病が多く、白人の如き体力低下せる民族程伝染病が僅少であるのは何よりの実證である。従而、注射によって濁血者となる以上、浄化力微弱となり、一時的伝染病を免れる事が出来得るが、其後に到って体力の低下、結核発生の素因(ソイン)となる事は勿論である。此理によって伝染病を真に解決せんとするには別に方法があるが、それは結核以外に渉るから割愛する。其事は拙著「明日の医術」中に詳細掲載されてゐる。
唯だ、爰に一言すべき事がある。それは如何に猛烈なる伝染病と雖も、その被害は一時的であり、一区域だけで済むといふ事である。従而、国家全体の盛衰に関はるやうな事はないが、それに反し、伝染病を防止し得て、その国家は理想の如く伝染病絶滅したとしたら、果して如何になりゆくやといふに、遺憾乍ら所期の目的と反する事になるのである。これは論議する迄もない。彼の英仏を見よ、人口減少、体位低下といふ悲観すべき将来に悩んでゐるではないか。故に吾人は一時的効果に幻惑さるる事なく、民族将来の繁栄と幸福を慮り、善処しなければならない事は勿論である。
次に、今一つ重要な事がある。それは血沈測定の為、血液採集の場合、胸の肱際隆起せる部からであるが、之には異議がある。それは右の部は、注射液の薬毒が最も集溜し易い所であるから、其部から採集する以上特に濁血である事は勿論である。然るに医学の解釈によれば、血液なるものは、人体如何なる場所と同一としてゐる事であるが、私の研究によれば、人体各部の血液は一定せず、汚濁の濃淡は非常に差異があるのである。それは浄化作用によって血液が循環しつつ、汚濁を一局部に集溜させつつあるからである。世間よく欝血するといふが此事に外ならない。例へていへば血管とは溝のやうなもので、新しいか又は清潔なる場合、水は広く速く流れるに反し、不潔なる溝に於ては、水は流れるには違ひないが、溜泥の為細く遅く流れるといふ訳である。之は医家に於て、各部の血液を試験すれば明瞭となるであらう。此事の證左として、人体各部の熱の差異の著るしい事であって人により左右腋窩の体温が五六分の差違ある者がある。故に今日の体温計の如く、腋窩や口中の体温を計るのみでは不完全であるから、人体各部の温度を測定し得べき、進歩せる体温計が出来ればいいと、私は常に思ふのである。
又医学に於ては、薬毒は体内に入っても時日が経過すれば自然消滅するといはれるが、之も甚だしい謬見である。私の永い経験によれば、人間として摂取すべき飲食物は大体定まってゐるので、それ等天与の飲食物は全部消化し、吸収し、排泄さるるのであるが、然らざる場合、異物の大部分は排泄し得られず必ず残存し、凝結し、病原となるのである。
(結核の正体 昭和十八年十一月二十三日)