咳嗽と喀痰

喀痰とは、溜結毒素が発熱の為に溶解した液体毒素であり、それを吸出するポンプ作用としての咳嗽である事は曩に述べた通りである。之に就て今一層詳しく述べてみよう。

抑々溜結毒素なるものは、人体如何なる局部に成立するやといふに、その原則としては神経を集注する個所である。即ち左右の淋巴腺、扁桃腺及び耳下腺附近、前後頭部、左右の延髄部、肩部、肩胛骨部、背面腎臓部、胸の付根、腋窩(ワキノシタ)、肋骨部、横隔膜附近、胃及び肺臓部、腹膜部、鼠蹊部淋巴腺等であって、殆んど全身に渉るといってもいいのである。それ等毒結が、一度第二浄化作用が起り、溶解し喀痰となるや、瞬時に肺臓内に移行する。その速かなる事間髪を容れぬ程である。之を以てみれば、喀痰は一定の通過路がないに係はらず、凡ゆる臓器を突破するのであるからその神秘なる事、想像に絶するものがある。之に就て私の実験した例をかいてみよう。

私は過ぐる日、某医博に右の喀痰移行の速かなる話をしたが、どうしても信じられないといふのである。私は、それでは実験をしようといひ、医博の全身を診査した所、幸ひにも右側鼠蹊部に、著るしい毒素溜結が数個あったので、それに対し私は溶解法を行ふや、その都度、瞬時に咳嗽をなし吐痰するので、畢に右の説を信ぜざるを得なくなったのである。

右の如くであるから、喀痰も咳嗽も喜ぶべき浄化作用である。然るに医学に於ては喀痰や咳嗽を、病気悪化作用と誤解し、極力之を停止させようとするのであるから、如何に誤ってゐるかが判るであらう。而も咳嗽は咽喉部の支障として吸入法の如き方法を行ひ、又は咳嗽止め薬等を使用するが、見当違ひであるから、如何程治療すると雖も、その効果のないのは当然である。

(結核の正体 昭和十八年十一月二十三日)