微熱

結核の前駆としての微熱の原因に就ては、再三述べた通りであるが、実例によって今一層詳説してみよう。

結核患者が長時日の安静療法によって無熱になる事は、浄化作用が全く停止されたからである事はいふ迄もない。然るにその場合、偶々患者が精神的にか又は肉体的に些かの運動をする事によって微熱が発生する。医師は驚いてそれを戒めるといふ例はよくある事であるが、之によってみても浄化作用停止と発生との理が判るであらう。そうして医療に於ては身体は勿論手足をさへ動かさしめず作りつけの人形の如く全然不動で仰臥(ギョウガ)の姿勢を保たせ何十日何百日間も持続させるのであるから治りたい一心の為とはいへ患者の苦痛たるや実に言語に絶するものがある。全く文字通りの生ける屍である。考へてもみるがいい。如何なる健康体と雖も数ケ月絶対安静を持続する以上胃腸は弱り、食欲不振となり、衰弱の極重症患者と同一状態になる事は当然であらう。況や結核患者に於てをやである。又斯うもいへるのである。即ち青年期の旺盛なる浄化力を極力停止する結果として丁度老衰者同様の無力になる事である。それが無熱であり、病的症状消滅であるから、それを治癒するが如く医学は錯覚するのである。此理によって医学は肺其物のみを治癒せんとし、それのみに専念し、畢に全体をして衰弱の極死に到らしめるといふ事に想ひ及ばない訳で、昔から謂はれてゐる、角を矯(タ)めて牛を殺すといふ類(タグイ)である。

そうして前述の如く老衰者の浄化無力と青年期の浄化無力とは同一の様であるけれども実は其根本に於て異るのである。何となれば前者は自然であり後者は不自然であるからである。従而後者の場合浄化無力状態を飽迄持続し得る事は到底出来ない。夫(ソレ)は浄化力抑圧に対する反動作用が徐々として表れ始めるからである。其等を事実を以て説いてみよう。

長期間医師の言を守り、薬物・機械・安静等の療法を続け、殆んど病的症状が消散したと安心してゐると、間もなく微熱と共に病的症状が発生し始める。然るに此際の浄化作用は前述の如く反動作用であるから、如何程浄化停止方法を行ふと雖も更に効果なく、漸次高熱激しい咳嗽・多量の喀痰又は血痰・食欲皆無・下痢・喉頭結核等の症状が現はれ、如何なる手段を尽すも、病勢は更に減退しない。もはや如何ともなし難くなり、終に殪(タオ)れるといふのが、結核患者の一般的経路である。

右は全く現在結核療法として行はれてゐる方法を、医師の指示を守り忠実に行ふ経路と結果である。然るに事実は皮肉にも右の如き定石療法を何かの動機によってその誤りを覚り相反する方法をとる人が偶々あるが、そういふ人は不思議にも全治したといふ例が少くない事である。それに就て二つの例を挙げてみよう。

一、私の体験
私は十五才の時肋膜炎を病み、医療により一年位で全快、暫く健康であったが復再発したのである。然るに今回は経過捗々(ハカバカ)しくなく漸次悪化し、一年余経た頃畢に肺結核三期と断定せられた。其時が丁度十八才であった。そうして最後に診断を受けたのが故入沢達吉博士であって、同博士は綿密に診断の結果、最早治癒の見込なしと断定せられたのであった。そこで私は決心した。それはどうせ自分は此儘では死ぬに決ってゐるとすれば、何等か変った方法で、奇蹟的に治すより外に仕方がないと意(オモ)ひ、それを探し求めたのである。其頃私は画を描くのを唯一の楽しみにしてゐたので、古い画譜など見てゐると、其時、漢方医学で使った種々の薬草をかいた本があったので、それを見てゐるとハッと気がついたのである。それは何であるかといふと、私は今日迄動物性栄養食を盛んに摂ってゐたのである。勿論牛鳥肉魚等は固より粥までも牛乳で煮て食ふといふ訳で、特に其時代の医家は、栄養といへば動物性のものに限ると唱へたのであったから、私も其儘実行した訳である。然るに、右の本を見て思った事は野菜にも薬や栄養があるといふ事である。そう考へると、昔の戦国時代などは殆んど菜食であったらしいが、史実に覧(ミ)るやうな英雄豪傑が雲の如く輩出したのであるから、之は菜食も良いかも知れない。特に日本人はそうあるべきであると想ったので、断然実行すべく意を決した。そして試験的に一日だけ菜食を試みた所、非常に具合がいいので二日三日と続けるうち益々良く、是に於て西洋医学の誤りを覚り、一週間目位には薬剤も放棄した。其様にして一ケ月位経た頃、病気は殆んど全快し、畢(ツイ)に菜食を三ケ月続けたのであった。其結果罹病以前よりも健康になったので、其後他の病気には罹ったが結核的症状だけは無いにみて全く全快した事は明かで、四十余年経た六十余才の今日矍鑠(カクシャク)として壮者を凌ぐ健康にみても、結核は決して恐るべきものではない事を知るであらう。

次に、昭和十八年八月十九日発行の毎日新聞所載「勝ち抜く道」の題下に川南豊作氏の体験談が左の如くかいてあった。
「僕は若い時肺病になった。栄養を摂らなければいかぬといふからポリタミンとかビタミンABとか、とに角栄養になるものは金にあかして摂った。そしたら肥えると思ったら一向に肥えない。寧ろ病気はわるい方に進行する一方だ。そこで医者の奨める事は一切やめて普通の食にした。すると急によくはならぬけれどもわるくはならぬし、栄養剤をやめたら下痢が止ってきた。それからだんだんよくなってきた。医者の薬も止めてしまった。これに力を得て一切いはゆるエキス的な栄養剤で、労せずして栄養を摂らうといった横着な考へ方をやめてやはり歯で噛んで十分消化してそれを吸収するやうにした。すると段々回復して体がよくなった。しかも寒い時でも平気で、寒いからといってストーヴを入れることもなく、火鉢をおくでもなく足袋も穿(ハ)かずに治した。一年間で病気は全快した。」右の如き医療を廃(ヤ)め、自然良能によって全治した例は、結核全治の体験談等に最も多く見らるるのである。

次に、結核熱に就て、特に注意すべき事がある、それは解熱剤の連続服用によって、それの反動熱が発生する事である。例へて言へば、最初三十八度位の発熱が、解熱剤によって一旦解熱するが、それは決して病原解消の為の解熱ではないから復(マタ)発熱する。復解熱させるといふやうに繰返すに於て、遂に九度になり四十度になるといふやうな場合がよくある。而も此反動熱は頗る執拗で、如何にしても解熱しない。此際医家は、斯かる執拗な高熱は結核が肺の深部にまで移行したのであるから入院を要するといふ事がよくあるが、之等によってみて医家自身の手によって執拗な熱を作っておき乍ら、病勢悪化の為となす見当違ひの判断は、恐るべきであるといへよう。

(結核の正体 昭和十八年十一月二十三日)