過労及び倦怠感

人間が運動する結果として疲労する事は誰もが知る所である。之は何故であるかといふと、激しい運動や又は普通運動にても持続する場合浄化作用が発生するからである。それが微熱であるから、疲労時を診査する場合、腎臓部、腰部又は脚部に必ず微熱をみるのである。此理によって、運動をすれば浄化熱が発生する。それによって毒素が軽減するのであるから、疲労する程の運動は、健康増進に対し最も良いのである。然るに医学に於ては右の理を逆に解して、過労を恐れるといふ訳である。勿論浄化作用の熱の意味を知らない医学としては無理もないであらう。

故に、私は常に思ふのである。それは医学は過労は結核の原因でありとする、その為これを避けようとする故に、産業戦士の能率に尠からず影響するであらう事を憂ふるのである。然るに私の説の如く、過労は寧ろ健康上最善なる方法である事を知れば、能率の上に如何に大なる効果を及ぼすかを想ふのである。

右によって考ふるも、医学は外部的、一時的の症状のみに捉はれ、根本的永久的を考へない所に欠陥があるのではないか。丁度日光によって草木の葉が垂れ、花が凋(シボ)むのでそれを恐れて日蔭へ持ってゆくといふ意味と異ならないであらう。一時的萎(ナ)へた草木が、一夜を経て再び生気溌剌たる事に思ひ及ばないといふ訳である。

次に倦怠感とは、大した運動もせぬに常に微熱が発生するのであるから、之等を治癒せんとするには、大いに運動して高熱を出さしめる方が速く治癒するのである。それは微弱である浄化を強烈にする事によって、毒素の排泄が速かとなるからである。

(結核の正体 昭和十八年十一月二十三日)