薬剤に科学性はない

これは一寸聞くと変に思うであろうが、事実によって考えればよく分る筈である。というのは新薬を作る場合、科学的に正確な論拠がある訳ではなく、只この病気ならこの症状なら多分効くだろう位の推測の下に、先ず最初二十日鼠、モルモット、猿などに試みてみる。その結果効き目がありそうだと思うと、今度は人間に試験してみる。それも長期間ならいいが、それでは暇がかかるので、数週間乃至数カ月の成績によって、可否を決めるのが殆んどであろう。それで良ければ早速人間に応用してみて、これなら先ず大丈夫と思うと、初めて発表するというのが大体の順序であろう。そこで愈々発表するとなると、大新聞などデカデカと報道するので、一般人は成程医薬は進歩したものだと感心し有難がるのだから、洵に単純なものである。

処が事実をみると、薬なるものは仮令数カ月位は効果があっても、それから先が問題である。というのは無論薬剤中毒が現われるから、折角の効果は零となってしまうのが殆んどで、先ず長くて数年位で駄目になるのは、今迄の幾多の例に徴しても分る通りである。何しろ新薬が次々出ては消えてしまうのが何よりの証拠である。従って現在一般から歓迎されている結核特効薬のどれでも、先ず数年の寿命と思えば間違いあるまい。これにみても薬で病気が治ると思うのは錯覚で、薬屋の懐を肥すだけであるから、これに目覚めない限り、医薬の進歩などいい加減なものといえよう。衆知の通り近頃の新薬ときたら、丁度何かの流行品のようで、一時パッとして大騒ぎされるが暫く経つと駄目になるのを見てもわかるであろう。

(栄光二百二十七号 昭和二十八年九月二十三日)