世間よく怨霊といって、昔から稗史(ハイシ)や伝説等にいろいろあり、恐ろしきものとなってゐる。そうして怨霊とは怨みの霊がその復讐として、当事者又はその子孫に対し、危害を加へようとするものである。之等も決して想像や仮想的なものではなく、実際にある事は争へない事実である。彼の有名な四谷怪談や、累物語(カサネモノガタリ)等も実際あった事と想ふのである。それに就て二三の例をかいてみよう。
彼の故西園寺公望公は正妻はなかったそうである。聞く所によると同家は代々そうであるとの事で、何の為であるかといふと正妻と定まると必ず不吉又は不幸な事があるのだそうで、やむなく右の如くなったとの事である。斯かる種類の怨霊は執着の権化である蛇霊である事は勿論である。
以前私が扱った患者で、廿才位の若い婦人で、左乳の少し上部に相当大きな赤痣があった。それを治してくれといふのであるが、その赤痣を熟視すると、丁度短剣の如きもので突刺され、血が迸り出た状態で全く前世に於ける怨霊の結果としか思はれないのである。唯だ加害者の怨霊か又は右の女性が被害者でその再生かどちらかであらう。
又、彼の有名な菅原道真の怨霊が雷火となって、種々の変事を起した事は有名な史実であるが、之等も全然無稽ではないであらう。又平の将門の霊が大蔵省の邸内に祀ってありそれが種々の祟りをしたので、先年懇ろに祭典を執行した処、それからあまり祟りがなくなったといふ事実があるが、此世の中には、唯物的では解決のつかない事が随分あるのである。そうして怨霊はすべて執着の為、龍神となって活動するものである。
次に、地縛の霊といふのがある。之は変死者の霊であって、溺死、縊死(イシ)、轢死、墜死、毒死、自殺、他殺等であるが、之等の死霊は如何に懇ろに葬ると雖も、その死所を放れる事が出来得ないもので、丁度、地に縛られた如くであるから地縛の霊といふのである。之等の霊は、居所が墓場と異なり孤独であるから相手を求めたがるのである。それが為、その霊の附近を通行するものを誘って自殺又は変死させんとするのである。世間よく轢死者があったレールの附近や、溺死者のあった水辺等に、次々変死者が出るといふ事は、誰も知る所であるが、右の理によって肯かれるであらう。そうして地縛の霊は三十年以内には離脱出来得るものであって、死者の近親者等の供養の如何によって、離脱に遅速のある事は勿論である。
(明医三 昭和十八年十月二十三日)