北海道K・S
私は小学校当時、全国健康優良児童として表彰されました。一見非常に健康そうな体でしたので、一生病気に苦しむ事はないものと自信満々たるものでございました。
昭和一五年会社の社用で渡満、三年間満州生活を続けました。ふとした事から急性腸炎続いて乾性肋膜炎と診断されましたが、一時小康を得て作業に従事していますうちに、肛門より少し放れた処に腫物が出来、恥も外聞もなく診断を受けましたら早速切開され、永らく通院していましたが治らず、新京へ出て静養三月にして又入山しました。肋膜炎は再発し注射、医薬、栄養剤等熱心に続け又小康を得ましたが、徴兵検査の時には右肺浸潤、左肺尖カタル、痔瘻の為に第二国民兵、徴集免除となり、故郷へ泣いて帰国早速村の医師を迎え、注射薬にて安静にし保養していました。
田舎の事とて肺病といえば伝染するときらわれ、肩身の狭い生活を続けて、新聞の広告雑誌の広告、先ず眼に着くものは肺病特効薬という広告に夢中になり、あれやこれやと注文して服用し、又蝮、縞蛇等の蒸焼、生ぎも等、ただただ健康になりたい一心に服用しました。又山羊乳が良いと聞き四方八方探して一頭の山羊をもとめ、毎日新鮮な乳を二、三合飲みにくい思いで服用していましたが、少し無理をすると再発し、医師よ薬よと家族の者に心配をかけ、小康を得て日光浴をしては発熱喀血になやみ、灸は毎日のように据え未だ当時の灸のあとを見る度に、よくも斯んなに焼いたものだと思うほど忠実に実行したものです。
医師曰く「貴方の体はガラスのかけたと同じで無理をすればはがれるから、無理をしないで静養しなさい」と、再三発熱して医師を迎えると「私の言う事を聞かないで無理をしたからだ」と叱られる事度々でした。
無理のないように大事に静養を続けているうち、昭和一九年八月痔瘻再発歩行困難となり、入院手術をしました。手術の結果直腸一五糎も入っていたそうです。八月の暑さと手術後の苦痛の為、衰弱するばかりでした。二カ月して漸く退院しましたが全治せず、毎日バスで通院しましたが、膿の出る処は依然として治りません。医師は再度の手術をすすめましたが、あの苦痛は恐ろしくてどうしても二度と手術する勇気は出ません。
怖ろしさの余り他によい治療はないかと探しましたら、Y町に注射で治す先生がいる、手術より非常に楽だと聞き、家族と相談して早速上京して診断の結果、六カ月位で治るといわれ当日肛門に注射、一カ月分の膏薬を頂いて半年通院しましたが治らず、もう三カ月又もう三カ月、又……と呆れるほど治りませんでした。
痔瘻は不治なるものと、希望も青春の夢も消え、何の為に此世に生れて来たのであろうかと考えさせられ、求むるものは死、死……然し、死の恐怖はどうする事も出来ませんでした。
あちらの病院こちらの病院と代えても一向に健康にはならず、私はその頃から宗教を求め探し、禅宗の本を読むようになり、しかし何回読んでもさっぱり判りませんでした。その分らない処に意を注ぎ、一そう僧侶となって世を捨てたらと考えましたが、ある立派な僧侶に伺いましたら一笑に付され、今の宗教家で『碧巌録』を解ける人は、日本中に十指あるかないか解らん、君はその詩でも学んで居ればいいのだ。又もや希望は挫けてしまいました。
昭和二二年五月、又もや肺の病に苦しんでいた処信者のIさんが来られ、いろいろと不思議なお話を伺い、翌日『天国の福音』を持って来て下さいまして、最初ほど意にとめませんでしたが、二度三度と繰返し繰返し拝読しているうちに、今までの健康法とは全く相違していますので、物は試しにと思って五月一七日初めて御浄霊をして頂きましたが、あまり簡単すぎる治療で、 物足りなさを感じて帰宅しました。
昼食中にお腹がゴーゴーと下る様な気持がしますので用便にゆきましたら多量の下痢がありました。下痢の痛みもなく反って腹部が軽くなりました。毒素が出るといわれたが今日の御浄霊が効いたのかなと嬉しく感じ、又翌日御浄霊をいただきましたら肛門から膿が出る、あんな簡単な事をしてと不思議に思い、それ以来三カ月通いました。
不治の痔瘻とあきらめたのが何時か忘れるようになり、全身から多量の盗汗を三朝続けて出、又或時急に発熱して胃が痛み、ふうふういって寝ていましたら、鼻から急に強臭のある薬の匂いが出て来ました。その晩二回ほどにがみのある液体を吐き出しましたら熱も痛みも去り非常に楽になりました。
御著書の薬毒、 尿毒、 然毒というものは実際ある事を体験さしていただき、日に日に胸部も楽になりましたので、嬉しさのあまり是非私もその御力を頂きたい、そして世の病人を助けたいと人生の希望に燃え、八月鎌倉にてO先生より教修を頂き、御守様を頂きました時は、本当に嬉しく感激致しました。すっかり大船に乗せて頂いた感じでございました。早速帰宅、母の座骨神経痛を浄霊しましたら一カ月程して楽にして頂き、母も九月O先生より御教修を頂き、感謝致しております。それ以来先生の御指導頂きまして、旧D会本部に御奉仕さして頂き、K教会にも御奉仕させて頂きまして、只今では体重一八貫、以前の病苦も悩みも一掃さして頂きました。只今は救世の御用にお使い頂き、これほど幸福な喜びはございません。私のお救い頂きました幸福の感激を涙で御礼申上げます。
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鹿児島県H・T
今日、明るい気持で日々楽しく過させて頂いています事が夢のような気が致します。昨年の今頃は生か死かと絶望の中に、暗い彷いの日々で御座いました。其頃を顧みすれば恐ろしも闇路杖なく彷ひし吾
私の一家は多年病人の絶間なく、医者よ薬よと遍路し、祈祷や民間療法など人から勧められる毎に頼ってみてもその甲斐もなく、長男、次男、三男、姉と次々と亡くなりました。皆二十二、三歳の年配で御座いました。二人の新盆を一緒にした年もありました。長姉は肺結核の宣告を受けて三年間医師の言う通りに絶対安静を守っていました。その中に一人の妹は海に溺れて帰らぬ旅路へ、 次いで姉も他界致しました。其後を追うように六人の兄弟が相次いで霊界往きとなり、両親はもとより、私と弟も何時行くやら判らず、一家は火の消えたように笑い声一つない暗いジメジメした家庭となって行きました。
姉の葬儀の直後、親の勧めで医者に診せましたら肺浸潤との事であります。突き落されたようで生きている気持はしませんでした。実に呪われた運命とはいえ、弟もその時は注射を受けていたのです。近所では私の家庭を嘲笑うのも当然です。両親は何と聞くので御座いましょう。私の診断も親に打明ける勇気もありません。自暴自棄の気持で、いっそ助からぬなら、体の続くまで働き抜こうと職場に勤めました。今は頼るべきものもなく、見放された身に、神仏もあるものかと思うようになりました。
丁度其時、友達から神霊療法を詳しく御聞きする機会を与えられました。光明如来様の無限の御慈悲と大愛の御手を御声として聞く事が出来ました。早速二四年四月一一日入信させて頂き、 後は晴々とした気持と爽やかな私の五体、 従って私の病気に対する気持と考え方も変化して苦しみはなくなり、光明如来様の御慈悲の深さに感泣致しました。弟も続いて入信さして頂き、同年一一月五日には光明如来様も御祀りさせて頂きました。今では一家揃って健康になり、親戚の人々は驚いています。
前途に光明を見出した時の嬉しさ、私は勿論家庭一同の喜びは一通りではありませんでした。其年一一月には御奉仕をお許し下さいまして、神様の御恩に御酬いさせて頂くことになりました。御神業の万分の一にでも御用させて頂きます事を心から御礼申上げます。世の中には病に悩み抜いておられる人々が幾多居られるか想像もつきません。私は此歓喜と幸福とを、皆様と共に頂きたいと念願しております。有難う御座います。
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岐阜県 S・T
今から二年前、私は胸の病気で苦しみました。長い問お世話になっていた医者のお話では「大分ひどく侵されている、絶対安静にせよ」と言われました。私の兄も胸の病で亡くなりましたから、私はこのままではとても全快する見込はないと、その日その日を淋しく送っておりました。
ある日お隣りの方からフト光明如来様のお話を聞き、良いお話とは思い乍ら、今迄は病気は薬でなくては治らないものと思っていましたので、何だか疑えてなりませんでしたが、それでも人様がよいと言われる事は何でもやってみようと、話を承わったY先生のお世話になりました。
御浄霊を受けて、翌朝はとても気持よく全快したかと思う程になり、半カ月後は胸の痛みも去り、その嬉しさはたとえようもなく、早速お守を受けさせて頂きました。その後は一そう良くなり一カ月後にはどんな仕事をしても苦しくなくなり、 O町の先生のところへ山一つ越えて御詣りするにも楽々と行けるようになり、先生も、もう大丈夫と言われました。これでこの世に生れた甲斐があると心が治まり、体もすっかり良くなり、もうどんな仕事をしても何ともありませんでした。
昭和二二年六月結婚、二三年に子供が生れるほど丈夫な体になりまして、今では楽しく暮しております。それで今は一生懸命で光明如来様の御業の御手伝いをさせて頂いています。御力の偉大なる事は例えようもありません。今ではただ一心に光明如来様におすがりして、一家楽しく明るい生活を致しております。世の私同様の病に悩む方々は、是非御力におすがりし健康で楽しい日々をお送り下さいますよう、おすすめ致します。
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長崎県 O・Y
私がこの尊い御道に入信さして頂き、光明如来様におすがりするようになりました動機を謹んで申上げます。過去を憶い現在を想う時、あまりにも幸福にならせて頂いた喜びを御報告させて頂きます。忘れもしません昭和二四年一月でした、朝起きようとしましたら身体の具合が悪く、早速医師の診断を受けた所、感冒だからすぐ治るとの事にお薬を二〇日ばかり服用した所、少しよくなったのでお勝手から洗濯と、我慢して仕事をしました所、四月中旬又々ひどい感冒にかかり、病院に行き診断してもらった所、栄養不足だから実家に帰り養生せよとの事、でも私が実家に帰っては家庭が困るからと思い、だるい身体を引ずり、子供を背負いながら我慢して家庭の仕事をしていた所、 胸が病み具合は悪く、又毎日夕方になると、熱が出て、体は疲労を感じますのですぐ病院へ行った所、「肺浸潤だから今後絶対安静をしなければ取返しのつかない事になります」といわれ、世にも恐ろしい病気と診断された時、前途に希望を失い、全く絶望のドン底につき落されてしまいました。皆様、その時の私の気持を御想像下さいませ。
医師からは絶対安静をせよと言渡されたけれども、他に女手のない一家に私が寝込んだら困るので、無理してはと思い乍らも、家事の仕事をしながら注射薬をつづけていましたがはかばかしくなく、人の良いという薬は買求め服用しましたが、やっぱり変りはありません。でも私は医者を絶対的と思い、注射よ薬よと続けていましたが一向に快くなくて快方に向わず、心はいらいらするばかりです。
アッそうだこれからは神仏におすがりして良くして頂くのだと思い病院に通うかたわら信仰もしました。あちらの不動尊、こちらの金光教と二、三カ所の神様におすがりしました所、気持だけはどうやら救われたように思われましたが、病状は少しも変化はありません。
ああもう自分は神様からも医者からも見捨てられたのか、いっその事に自殺をと何度思った事でしょう。 でも私が死んだなら、 後に残るこの小さい二人の子供はどうなる事でしょうか、さぞ母親を慕い泣き叫ぶ事でしょう。
そう思えば子供に引かされどうかしてもう一度治して頂き、元気になって楽しい生活をしたいという一心で、今度は佐世保病院に診察に行きました所、院長先生のお言葉には、マイシンを二〇本うてばよくなるといわれましたが、長い闘病生活の為にお薬代もお払い出来兼ねる程の貧乏の今日、どうしてマイシン二〇本の薬価二万円(一本一〇〇〇円)の金がある筈はありません。病気は一日も早く治して頂きたいしお金はなく、今にも気が狂わんばかりでした。
もうこうなっては、 実家に帰り、 養生させて頂かねばと思い、 昨年七月一日実家のあるN町に帰りました。そうしてその日に早速N病院に入院し、一日も早く治りたい一心で、義父よりお金を借りてマイシン二〇本を注射しました所、約一カ月は身体の具合もよくなり、これで治るのだ、救われるのだと思い安心したのも束の間、又々前と同じ様な病状にかえってしまいました。
いつも天井と体温計との睨み合い、今朝は熱が下ったと思っていると夕方頃になると忽ち三九度の高熱が出て又落胆という日が続きました。医薬は勿論の事、遠方から取寄せた高価な種々の売薬も更に効なく、悪化亢進するばかり、腰は痛み、熱は三八度から九度五分そして苦しみと痛みとをのせて月日はいたずらに、三カ月夢のように過ぎました。
一進一退もはや治る見込も薄く、このまま此世の別れとなるのではないかとフト心細く感じ、可哀そうなる子供U(一歳)は肺病が感染したら大変だと親戚の人達から言われ親を慕う盛りに人に養ってもらい、上の子供T(五歳)は夫が佐世保につれて帰りました。ああ何という悲惨な運命だろうか、私もやがて来る自分の死後愛児の行末を考えると、死ぬにも死に切れないような気持で、何時も泣き明していました。
今にして思えばああ何という有難いHでしたでしょうか、昭和二五年九月八日、此日こそ私にとって生涯忘れる事の出来ない感激の日でした。斯んなに尊くも美しい歓喜の人生が曾つてあったでしょうか。有難い光明如来様が、こんな曇りだらけの私共をもお見捨てならず、御慈悲の御手を差のべて下さったのでした。近所のKさん(未入信)が病院に来られ、同室隣床のHさんの奥様にお話しておられるのには今日救世教の先生が私の近所に来られ「どんな病気でも治して下さるそうだから、あなたもお願したらどうですか」と教えておられました。Hさんは自分は絶対に医者に頼ってよくして頂く」と言われ、いろいろと話をしておられるのをじっと横から聞いていた私は、Kさんにお願いして、病院ではいけないからKさんの家まで先生の御出張をお願いし、私も五〇米の道のりを一生懸命で辿りつきました。何といっても三、四カ月絶対安静の身でありながら初めて道を歩いたのです。今にも息が切れそうです、 心臓は動悸がする、 杖にすがってそれこそ一生懸命でした。しばらくすると先生がお出でになり早速御浄霊して下さいました。何といっても初めて浄霊を見た事故、お経もあげずただ手を振るだけで病気が治るかしらと半信半疑のまま御浄霊を受けました。先生はいろいろと病気に対してのお話をして下さいました。約四〇分ばかりすると、今迄重かった頭が大分軽くなり三八度五分位の熱も普通になりました。ただ手を振った位でこんなに快くならせて頂いたから、自分もきっと此神様により救って頂くのだ、何と有難い事でしょうか、帰りには身体が軽くなり、走ってでも行きたい程でした。それから三日目に病院を退院し家に帰りましたが、感染しては大変だといわれ、小さい四畳半の家に一人淋しく明け暮れを過していました所、二日後M先生には、下宿の家が奥まった所なので布教上影響するから同居させてもらいたいとの事でした。家の人ですら寄りつかない此私に、何と有難い事でしょう。
その時の嬉しさは到底忘れようとして忘れる事は出来ません。家族の人は一人も寄りついて下さらない。ただ母だけが御飯をもって来て、別にしている私の茶碗に入れて、伝染しては大変だとばかり話もそこそこに急いで帰ります。そういう風に家の人達から冷たく扱われる自分を、先生には朝夕二度の浄霊に、又何から何まで親身も及ばぬ御親切、ただ嬉しさで何度泣かされた事でしょう。
神の絶大なる御守護と先生の御指導により、二〇日目には全快し、見違える身体とならせて頂きました。芋掘りも手伝って近所の人達はびっくりして私の顔を穴のあく程見つめられ、嬉しいやら恥しいやら胸一杯でした。私のような罪深い者までお救い頂けました事、ただただ有難く感謝の外何物もございません。
二月八日にはS教会で教修を受けさして頂き、日々御浄霊に又お道の話を当地の方々にお知らせしています。
もしも尊い此救いのお道を知らなかったならば、病院でまだまだ苦しい闘病生活をしており、ついには彼の世行きになっていた事でしょう。今日のように親子楽しく暮させて頂き、幸福な生活へと入らせて頂くことの出来ましたのも、皆ひとえに、明主様の深き御守護の賜と、A先生始めB、C、Mの諸先生の御親切な御指導の賜と、あつくあつく御礼申上げます。
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岐阜県 Y・K
想い起せば五年前、胸部疾患の苦しみに、家中暗憺たる気持に喘いだ当時の事毎も、歓喜に満ち溢れた愉快な日々を送らせて頂く今には、あまりにも夢のようです。
肋膜炎治癒、再発、肺浸潤と、型の如き経過を辿り、遂に医師に見放されました。然しその頃は何とかして治りたいの一心にいろいろあせってみましたが、落つく所は結局症状の悪化、体力の衰弱でございました。
医師に宣告されてから五カ月、胸部の苦しさに声すらも出せない状態で、もはや快復の見込はなくなりあきらめていた矢先、 叔母さんのすすめでN先生の御浄霊を受け、一度に今迄の苦しみは吹飛んでしまいました。翌日再度の御浄霊でもう寝ておれなくなり、早速床上げするやら、調髪するやら、気分は爽快となり、なんだかじっとしておれぬ気持にかられました。
三日目からは一キロ程の所をバスで行き、約一週間で歩いて通える程日増しに丈夫になり、引続いて入信と、次々にお恵みを頂き、約二カ月でどんな無理も出来るようになり、何とお礼申上げてよいやら言葉もなき次第でございます。有難うございました。あつく御礼申上げます。
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愛知県 F・K
私は昨年一月初め風邪を引き、発熱と共に下痢を伴い全身に寒気がしましたので、胃薬を用いておりましたが一向利き目もなく、乳色粘液様の物が下り出し食欲は減退し、日々に体は衰弱するのみで、 一五日目頃には会社へ出勤も出来なくなり、医師の診察の結果、急性気管支炎に腸炎併発でなかなかの重態との事で、一週間手当を受けましたが変りなく、医師より入院して養生しなければ危いと言われましたので、驚で、血沈は一時間八二、無理をすると湿性肋膜炎を併発する憂があるから絶対安静が必要だと言われましたが、幸か不幸か病室が皆塞がっていましたので自宅で療養致しました。
病臥していながら前途を思う時、三人の子供の外に、妻は一カ月後に出産を控えていますし、それまでに起き上る事が出来るであろうか、不治といわれるこの病気が短時日に解決するとは思われない。万一最悪の場合が到来したら我家はどうなるであろう。日々につのる不安に暗澹たる毎日を送っていました。
二月一〇日の事、友人のI君が見舞に来て下され救世教の奇蹟等いろいろとお話を聞き、試しに一週間浄霊を受ける事になりました。一日目は何の変化もなかったので頼りなく思っていますと、翌朝になって金冠歯が痛み出し、三日目の朝には咽喉まで痛みを感じ食事も通らないほどの痛さとなり、その時より唾液が出だし昼まで続きました。余りの烈しい痛みに今日の浄霊で痛みが止らなければ歯科医へ行く事にきめました。昼食を無理に済ませヤレヤレと思う瞬間、あれ程痛んでいた歯や咽喉が急に痛みがとれました。不思議だなと思って、お産が後一〇日に迫った妻も、浄霊をお願するようになりました。1君が来て下さるようになって五日目の事、近所のY先生のお宅へN先生がみえて種々良いお話をして下さるから聞かないかとすすめられたので、衰弱してフラフラする身体を同君に案内され、Y先生宅へ行きお話をきいているうちに、これはキッと治していただけるぞと、暗夜に光明を得た心地で、又誰でも人を救うお力が戴けることを拝聴し、家内のお産も間近になりましたので安産させて頂きたいと思い、Y先生のお世話によりお守を拝受いたしました。一カ月近くも病臥していた私が短時日で元気になり、食事も病前の倍も頂けるようになりました。毎日一里の道程を徒歩で教会まで通い、T先生に教修をお受けしました。家内妊娠五カ月目に盲腸を病み、手術を致しておりますのでお産も心配しましたが、初湯の沸くのも間に合わぬ程の安産をさして頂きました。それでも他から安産御守護の御洗米を頂いていましたので、どちらの御利益を頂いたのか判らないと、まだ疑っていましたが、産後二週間目頃より右乳にしこりが出来痛みを感じ出しました。教修を受けたのは斯る時ぞと、浄霊をさして頂きましたら尚痛みが烈しくなったので、初心の私は驚き、家事の手伝いに来ている家内の母は、医者よ薬よとやかましく言われるので心細くなりましたが御讃歌に奇びなり噫奇びなり願言の正しかりせば叶へますなりを思い出し妻に相談の結果、最後までお縋りする事に決心し、Y先生の御指導を頂き引続き浄霊をしましたが、なかなか痛みは去らず増々烈しくなり、乳全体が赤く腫れ上り三昼夜痛み続けました。里の母も見かねて家へ帰ってしまわれました。
その日が丁度教会の例祭日でしたので家内を納得させ、お詣りに連れてゆきました。するとあれ程痛んでいた乳が御講話の終る頃にはすっかり痛みが止っていたとの事に、御守護の偉大さに驚きました。T先生の御浄霊をお願いして診て頂いたら、何と乳癌との事、道理で三昼夜も苦しんだ訳だと思いました。
其後は痛みは全くなくなり、ブドウ色に熱して来ましたので御霊紙を貼りましたら、その個所が子供の拳大に腫れ上り、四日目に自然に破れ排膿致し大きな口があきましたが、一カ月半を経た頃は全快に等しき迄に治していただきました。
家内の乳癌の為、会長先生に御浄霊を頂きに共に通う中に、私の肺浸潤も治して頂き、血沈も一時間八二であったのが、再検の結果普通の人と大差なく、急速な治癒に却って医師の方が、心配され肺浸潤というものはそう簡単に治るものではなく、安静療法をして居るにしても腹がはれ過ぎているから、腹膜炎を併発しているとの事、唯物的の医師や会社の幹部に、治癒した事を話してもなかなか信じてくれません。
以上入信日浅き者に数々の御利益を頂き、有難さに感謝感激すると共に、光明如来様の偉大なるを、身を以て体験さして頂き、家内も家内の兄も入信し今度光明如来様をお祭りさして頂く事が出来ました。この有難い御教を知る事が出来ず、私が入院でもしていましたら、 今頃わが家はどうなっている事だろうと思うと、救われし身の幸せを喜んでおります。明主様、有難うございました。
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三重県 I・F
私は昭和一九年秋頃より風邪を引き込んだのがもとで、不治とまで言われる肺病の一歩手前の肺浸潤と医者に申し渡され、希望に満ちていた娘心に非常なショックを受け、一度にドン底に突き落されたような気持になりましたが、生きたい治りたいのは人間の常、一生懸命に医者の言われる通り、忠実に実行もし薬ものみましたが一向によくならず、微熱さえもとれず困り果てました。
然し早くよくなりたい心に励まされ、よいと聞くあちらこちらの病院、民間療法とかけめぐりましたが寸効もなく、青白く落ぶれてゆく自分の身をみて毎日涙に暮れてゆくばかりでした。希望もなく面白味とてなく、勇気もなく人間として取残されてゆく、否日一日と命のちぢまってゆく私のその当時の心持をお察し下さい。
昭和二一年四月レントゲン写真の結果、両肺とも半分程黒くなってしまっている「君は絶対動いちゃ駄目だ」「本当に肺病にきく薬はないが、一時よくなる事は出来るけど、再度の時には駄目だ」「それにしても君が頼むならしてもよい」と言われました。然しあきらめてもあきらめきれない心の中にも、頼りない医師の言葉が恨めしく、それかといって頼る所もなく、体はやせる一方、顔も土色に変って、生きているのが不思議な程でした。或時ぼんやり軒端に立っていると、見た事のない男の方が入ってみえて浄霊といって手を振るだけでどんな難病でも楽になれるとか、今まで斯んな重病人を治して来たとか言って浄霊の偉大なる事をお聞かせ下さいました。私も飛立つ思いで一度お願申しますといって、お願申した処、いろいろお話を聞かせて頂いているうちに今迄やっていた方法では治らぬのが当りまえだという気もしましたが、最初の事とて「大変偉そうな事を言われる方だなア」という気もありましたが、試みにやって頂いているうちにとても気持が良くなるではありませんか。唯一度でこれ位良くなるとはと不思議に思いましたが、 二度三度浄霊をして頂いているうちに食事は進み、元気は出るし、気分もよいというふうに、一カ月も経たないうちにすっかり顔色が変ってとても元気になり、これが一カ月前まで苦しんでいた自分かしら、これまでに……と涙乍らに御礼申しました処先生が「あなたもこうやって誰でも治せるよ、世の中にあなたと同じく、又あなたより重病で苦しんでいる人もどんなにいるか、その人達にこんなに簡単によくなる事を教えてあげては」……と聞かされ、私も「神様の御力で再び生命を頂いたものです。御恩返ししなければ光明如来様に申訳ない、先生私にも出来ます事なら」と、入信さして頂いてからはや五カ年の年月が流れました。病気の前よりも一そう元気になり健康にして頂いた今日、偉大なる神様の御力に感激に満ちております。その後工場に入り、働きながら、神様の御旨たる地上天国建設の大業に、微力ながらつとめさしていただいております。有難うございました。
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岡山県 W・Y
昭和二三年九月頃、私は胃腸が悪く困っていた処毎朝二時頃より背中の痛みで横になって休めぬようになり、 起きていると別に変った事がなく、レントゲン検査では異常ありませんでした。マッサージ施療二回で痛みは止りましたが、鍬仕事もせず気まかせに外出していました。
其年の冬より農耕をする様になり、其後二カ年間は重労働もしましたが、右肩胛骨の下部が時々不快の感があった位で別に気にも止めず農業をしていましたが、二五年三月頃より両胸が時々痛み出し、四月になり医診を受けると肺に異常はない様申されたが痛みは次第に強く、その度を増すようになり、軽い作業をしていました処、四月二九日昼前より床に就き、午後四時頃は呼吸困難となり苦しみました。安静にして栄養をとっていると、二、三日目に少し頭がよくなったので、五分か一〇分間散歩しますと、すぐ後は呼吸困難となり、頭はわれるように痛み医者を迎えると「病はなく、歩いてもよい」よう申されます。二、三日安静にしていると大部よいので散歩する。すると苦しくなるというように、二、三回くり返していますと動悸がするようになり、一時は胸部の痛みも大部よかったのが再び痛むようになり、心臓病の飲み薬を医者より頂き、二週間位で少しずつ散歩出来るようになり安静にしていると、平熱となりました。
医診の際肺ジストマがいるとの事で、注射の為に通院三日頃より、長らく出なかった痰が出るようになり、朝などは血痰が混るようになりました。レントゲン検診で肺浸潤で、ストレプトマイシンを五本位打って、安静にしていると治るだろうとの事で、薬を求める為に二週間位はかかりました。其間痰は増しちょっと動いても血痰が出るようになりましたが、注射を一〇本とバス五日分位服用しますと、 痰は食前一回か二回に、少くなりましたが、一カ月経過後も、依然家人とのちょっとの話や、二分か三分間の新聞をみるのがさわるのです。
困っている処へ親戚のHさんから、光明如来様を信仰したらと教えて頂き、早速U村のMさんに来て頂くようになり、御浄霊を頂くうちは話も出来、次第に楽になり、少し位座って話す事も出来、四日目夕刻にはS先生をお迎えし、御浄霊をいただき、三カ月あまり禁浴していましたが入浴も出来、背の痛みもとれ、翌日よりは離床する事が出来ました。三日頃には近隣への歩行も出来る身となり、一〇日目には四里離れたT町のYさん宅へ行き、家内と共にお守様を受け、御屏風観音様をお迎えし、九月六日には光明如来様を奉斎し、今では不幸な人を救うべく、お手伝させて頂いております。
絶望のドン底より光明を見出し、今日の明るく朗かな生活をさせて頂けます事は、実に御霊徳の賜とただただ感涙のみであります。
医学で治らなかったものが、光明如来様の偉大なる御守護により治った事は世紀の驚異であります。私達も一日も早く世界救世教に徹し、眼に見えざる神様の有難き、前代未聞の福音を、迷える多くの世の人に是非味わって頂き度く、お導き致します事を誓って、お礼の言葉に代える次第であります。
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岐阜県 T・I
昨年一〇月一七日でした。突然一ノ宮市の工場に働いている長女Mの所より「病気、すぐ来い」との電報にびっくりしましたが、光明如来様にひたすらお願して急ぎ行ってみました。病名は急性肺炎との事で、四二度の高熱でペニシリン注射、内服薬それに氷嚢、氷枕で冷し、工場の方々には随分心配をかけた様子でした。幸い一人きりの静かな病室に置いて頂いたので早速御浄霊しましたが、いくらか楽になる程度で大して変りませんでした。以前、二回友達と一里程離れたW先生のお宅へお詣りした事があると言ったのを思い出し、すぐお詣りに行きましたら、折よく先生も御在宅で種々容熊など申上げました処「明日にでもつれてお出でなさい」とやさしく仰有って下さいましたが、今の容体では到底つれて来る事は出来ないと申上げると「ではあなたを浄霊して上げるから帰ってみっちりやって上げなさい」と言って下さり、帰って御浄霊しますと、前と変り少しずつ楽になりました。
三日日にようやく先生のお宅へつれて行く事が出来ましたが、高熱の為の疲労と激しい胸の痛みで、息も切れる程苦しそうでした。早速丁寧に御浄霊して頂きますと、熱もとれ、呼吸するにもあれ程苦しそうだった胸の痛みも楽になり、きまり悪そうに笑うようにさえなりました。今迄の医療法では最大の手当を尽して下さったのに、楽になるどころか増々苦しさを増すばかりでしたのが、僅か先生の四、五十分間の御浄霊で生き返ったように苦しみをとり除いて頂いた尊い尊い御力、此時の本人は申す迄もなく、私の喜びと安心は到底筆や言葉では表わす事は出来ません。その日に再度御浄霊を頂き、その後御浄霊を頂く毎によくなり、わずか三日ですっかり元気をとり戻す事が出来ました。
私共のような入信日浅き者が、このような尊いお力で、危ぶまれた生命を救って頂けた有難さを感謝申上げ、嬉しさのあまり御報告させて頂きます。明主様、有難うございました。
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静岡県 I・F
有難い大光明如来様の御力に救われて今日あるわが身の幸を思いますと、御神徳の広大さは到底筆舌に表わし難く、千言万語を費しても御礼の申上げようもありませんが、喜びのあまり、謹んで御報告させて戴きます。
私は昭和二二年一二月頃より微熱が出て、胸痛や圧迫感を感ずるようになり、医師に診察してもらった所湿性肋膜炎と診断され、病気は相当進行しているとの事で、一度に恐怖と不安のドン底に叩き込まれてしまいました。そして一生懸命注射や内服薬を続けましたが、 一進一退を繰返している中に何時しか肺までも冒され、二三年七月頃から病状は一段と悪化致し、とうとう実家に帰って静養する事になりました。然し土用の暑さはひどく身にこたえ、日々衰弱を増して、次第に高熱と下痢が続くようになりました。医師は病気が腸に来たのだと申しましたが私はこの腸結核の診断に死の宣言を受けたような気がして、生きる希望はすっかり無くなり、前途は全く暗黒と化してしまったものの、主人のもとに残して来た幼い子供の身の上を思いますと、生に対する執着は絶ち難く、どうかしてもう一度元気になりたい。如何にしても生き抜きたい一念で一杯でした。
恰度そのころ、ストレプトマイシンが大変良いという事を聞き、 一五本続けて注射した所、大分気分も快くなり、体重もふえて来て、この分ならばと喜びつつ安静を厳守し二カ月程過ぎましたが又々発熱、病状は悪化して参りました。
地獄に仏の思いも束の間、またまた絶望の深淵になやんでいましたが、 恰度その頃Y村のSさんがおみえになり、有難いお道の事や、娘さんが救われた体験等いろいろ御神徳話を聞かせて下さったり、『栄光』新聞なども見せて下さったのですが、未だ医薬を絶対に信じ、マイシンの効果に頼っていた私は、すすめられても御浄霊を受けようとせず、再度マイシンを一〇本注射しましたが、今回は効果が全然見えませんので、あれ程信じ切っていたマイシンにも不安になり、 而も経済は次第次第に詰って参り、 とうとう医薬一切を思い切り、ただ安静をつづけていました。
処が四月下旬、Sさんが御親切にも又訪ねて来て下さって、今度F先生が御見えになりますから御話を伺ってみたらどうですか、とすすめて下さいました。今迄折角すすめて頂いても耳を傾けなかった私も、今回は何故か心を引かれ、是非聞かせて頂きたいと思い立ち、それまで一日中病臥していたのに、三〇分程も歩いてSさんのお宅まで行き、一日中先生の御話を御伺いし、御浄霊を御受けして夕方帰宅する事が出来ました。毎日寝てばかりいた病人が、一度に無理してはいけないと家人が心配しましたが、先生の御浄霊を一回御受けしただけで非常に気分もよくなり、息切れも楽にして頂きましたので、もうすっかり救われたような気持で、三日間つづけて入信者と共に御話を聞かして頂きました。前途の希望をすっかり失い、全く暗黒に閉されていた私は、尊い御道を知って初めて光明を見出し、おかげさまで暗かった心境は一変して、今までの病苦も一度に消えてゆくような気が致しました。それよりSさんに御浄霊を御受けし、六月初めに入信さして頂きました。其後E村のT先生に御願し、 御浄霊をつづけてお受けしていますが、日々薄皮をはぐ如くに快癒の一途を辿っています。
入信以後、時々下痢の浄化を受けており、その度毎に食欲は増し体も肥って参り、体力も増して最近では家事にも何等苦痛なく従事しています。つい最近まで重病に呻吟していた私が、あまり早く元気になったので、家人も近所の人も非常に驚いています。苦悩の連続だった今迄に比し、此頃は心身共に非常に爽快となり、本当に安心立命の境地に入れさして戴き、毎日をただただ感謝の気持で送らして戴いております。
この死を待つばかりであった私を、絶望のドン底より光明の世界にお救い下さいました大慈大悲の御恵みには、到底御むくいする術もございませんが、誠に微力ながらなやめる人々に尊い御道を御知らせして、一人でも多くの人が救われますよう、出来得るかぎり努力さして頂いております。明主様、本当に有難うございました。謹んで御礼申上げます。
(結核の革命的療法 昭和二十六年八月十五日)