三 キリストの神と自観師の観音

1 キリスト教発生前の神格

キリスト教に於ける神については、其の淵源を尋ぬれば、遠くヘブライ人の信仰神たりしヤハウェ=エホヴァにさかのぼらねばならぬ。此の神はもと、シナイ山に宮居すると考えられていた一つの自然神で、ヘブライ人の間には古くよりヤハウェに対する信仰行われ、モーセ出でて、ヘブライ人を統率するに及び、彼は此のヤハウェ神に対する信仰を核心として一民族ヘブライ-彼等はイスラエルと呼んでおる-を造りあげ、ここに一神的思想が確立さるるに至ったのである。

然るに彼等ヘブライ人は、紀元前一一〇〇年頃、一時、都をエルサレムに定めたのであるが、栄華を以って後世にその名を知られ、『聖書』にも、「野の百合は如何して育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。然れど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき……」(マタイ伝第六章二八-二九節)と誌さるるかの有名なるソロモン王の死後、北部イスラエルと、南部のユダヤとに分裂して対立するに至った。

が、イスラエルはアッシリアに、ユダヤはバビロニアに滅亡され其の後ベルシアがバビロニアを亡ぼすに及んで、ユダヤ人は許されて故国イスラエルにヤハウェ神殿を再興し、ここにユダヤ教が生れた。これがキリスト教の発端である。

キリスト教の神はもともと、ヘブライ人の信仰せるエホヴァなることは前に叙述せる処なるが、ヘブライ人の信仰を核心として生れたるものが、ヘブライ人の分流たるユダヤ人の宗教、即ちユダヤ教にして、これがキリスト教の前身なるが故に、ヘブライ主義が、キリスト教の淵源をなすことも自明の理である。

ヘブライ主義が如何なる特徴を備えたるかは、茲に詳述するの余白なきも、イエス・キリストの出生前一〇〇〇年乃至二〇〇〇年の昔に於て、当時他民族が執れも多神教を奉じたる時代に於て、ヘブライ民族のみが独り、唯一神、而も無形なる人格神の存在を信じ、この宗教的確信に基づき、一切の道徳政治を処理せることは、以ってこの民族が、如何に特殊なる才分を備えしかを想像するに足る。

されど当時は未だ極めて、簡単且つ幼稚にして、後世のキリスト教が唱導する如き複雑なる宗教とは、到底比較すべくもあらざりしは、もとよりである。ただ彼等の信仰するエホヴァの神は、善き者にはよき酬いを、悪しき者にはあしき酬いを与うる。所謂正義の神、信賞必罰の峻厳なる神とされたことは疑う余地がない。そは「神を恐れるは、智慧の初めなり」というヘブライ民族の信仰を、そのまま言い現したソロモンの言葉によっても窺うことが出来る。

2 キリスト教の神の愛と「放蕩息子の譬喩」

然るにイエス生れ来て三〇歳、預言者ヨハネよりパプテスマをうけて教を説くに及んで、「神は愛なり」と強調し、その神格に一大変貌を招来せることは、見のがす能わざる一大事実である。

「愛する者よ、われら互に相愛すべし。愛は神より出づ、おほよそ愛ある者は、神より生れ、神を知るなり。愛なき者は、神を知らず、神は愛なればなり……」(ヨハネ第一書第四章)

「……神は愛なり、愛に居る者は神に居り、神も亦かれに居給ふ」(同上)

かくの如く「神は愛なり」の教は、キリストの教の根幹をなし、これによってキリストは、人生を愛に導き、愛を以って人生を浄化せんとされたのである。而も人間の霊魂を浄化し、情操の根本的陶冶を主眼とされしがため、心の清き者、心の奥底より純潔無垢なる者を喜び、心に姦淫する者さえ邪淫なりとして排斥するに至った。

「すべて色情を懐きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり」(マタイ伝第五章二八節)

キリストは、神に仕うる態度、天国に入る資格については、極めて厳格な条件を要求すること以上の如くであるが、神の愛については如何なる考えを有していたであろうか、そは『聖書』を繙く時、その全面に渉り、各種の角度より説明されあるを発見し、これによって始めて全貌を窺うことが出來るのであるが、最も詳細に、而も譬喩巧みに説明せる「ルカ伝第一五章一一-三二節」がある。

「或人に二人の息子あり、おとうと父に言ふ「父よ、財産のうち我が受くべき分を我にあたへよ」父その身代を二人に分けあたふ。

幾日も経ぬに、弟おのが物をことごとく集めて、遠国にゆき、其処にて放蕩にその財産を散せり。ことごとく費したる後、その国に大なる饑饉おこり、自ら乏しくなり始めたれば、往きて其の地の或人に依付りしに、其の人かれを畑に遣して豚を飼はしむ。かれ豚の食ふ蝗豆にて、己が腹を充さんと思ふ程なれど何をも与ふる人なかりき。

此のとき我に反りて言ふ「わが父の許には食物あまれる雇人いくばくぞや。然るに我は飢ゑてこの処に死なんとす。起ちて我が父にゆき『父よ、われは天に対し、また汝の前に罪を犯したり。今より汝の子と称へらるるに相応しからず、雇人の一人のごとく為し給へ』と言はん」

乃ち起ちて其の父のもとに往く。なほ遠く隔りたるに、父これを見て憫み、走りゆき、其の頸を抱きて接吻せり。子、父にいふ「父よ、我は天に対し又なんぢの前に罪を犯したり。今より汝の子と称へらるるに相応しからず」

然れど父、僕どもに言ふ「とくとく最上の衣を持ち来りて之に著せ、その手に指輪をはめ、其の足に鞋をはかせよ。また肥えたる犢を牽ききたりて屠れ、我ら食して楽しまん。この我が子、死にて復生き、失せて復得られたり」斯て、かれら楽しみ始む。

然るに其の兄、畑にありしが、帰りて家に近づきたるとき、音楽と舞踏との音を聞き、僕の一人を呼びてその何事なるかを問ふ。答へて言ふ「なんぢの兄弟、帰りたり、その恙なきを迎へたれば、汝の父、肥えたる犢を屠れるなり」

兄、怒りて内に入ることを好まざりしかば、父いでて勧めしに、答へて父に言ふ「視よ、我は幾歳も、なんぢに仕へて、未だ汝の命令に背きし事なきに、我には小山羊一匹だに与へて友と楽しましめし事なし。然るに遊女らと共に、汝の身代を食ひ尽したる此の汝の子、帰り来れば、之がために肥えたる犢を屠れり」

父いふ「子よ、なんぢは常に我とともに在り、わが物は皆なんぢの物なり。然れど此の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、我らの楽しみ喜ぶは当然なり」」

広大無辺なる神の愛を説き得て、懇切丁寧到らざるなしと言えよう。殊にその構想実によく法華経信解品第四、長者窮子の譬喩に似たる点あるは、最も興味深きところである。

3 法華経中の「長者窮子の譬喩」との対照

今その長者窮子の譬喩を要約して掲載するであろう、これによって、基仏両者の絶対者に対する観察を比較し得るのみならず、次に叙述せんとする自観師の観音信仰を検討する上にも、好個の対照資料たることを思うが故である。

妙法蓮華経信解第四、長者窮子の譬喩-

「一人の男が居た。然るに其の男は幼少の折に父を捨て遁逃し、久しく他国に住して五〇年の歳月を送り迎えたのである。素より貧苦の身とて四方に馳聘して衣食を求めて居ったのであるが、思う様なこともなく、廻り繞って何時とは知れずに、足を故国に向ける事になった。

処が此の男の父と云うのは非常な資産家で、財宝量りなく数多い倉庫の中には、金銀、瑠璃、琥珀、梨珠の珍宝が満ち溢れ、僮僕、臣佐、吏民左右に侍し、広く他国と取引して、財宝は日に増し加わる一方であった。けれども早く愛児を失って居たから、之を尋ね求むる為に多年苦んで居るのであった。

そして彼は常に謂うよう「自分は倉庫に盈溢する財宝を所持して居るけれども、既に老い朽ちて余命幾何もない、若し一旦命終ったならば、財宝徒らに散失して仕舞うのであろう」と、謂うにつけても五〇年の昔自分を見棄てて逃げ去った一人子が恋しくてならない。「若し我子を尋ね当て財物を委付したならば、心坦然として泰んじ楽しむことが出来るであろう」と、昼夜心を痛めて居たのである。

時に窮子は、職を求めて村から村へと展転して歩いていたが、料らずも或る立派な城に到着したので、身に適した職にでも有り付こうと思って、暫し門前に停んで内部を窺き込むと、折しも城の主らしいのが、獅子の牀に腰を据え、足を宝几に載せ、多くの婆羅門、刹利、居士等畏れ謹んで仕候し、吏民僮僕等の手に白払を執って左右に侍立して居る。実帳を張り、華橋を垂れ、香水を地に灑ぎ名華を散じ、衆宝を羅列したる有様、威風堂々として四辺をはらうばかりである。

先の窮子は、今城に見える威風堂々たる人が自分の父なることを知る由もなければ、心に驚怖を抱き却って偶々に来至したことを後悔し、窃に思うよう、「これ或は王か、然らざれば王に等しきものか、迚も自分等分際の職を求める所ではない。寧ろ貧しい里に行った方が反って衣食の道を求むるに便宜であろう。若しこんなところにグズグズして居ったら、何な酷い目に遭わされるか知れない」と、斯く考えて見ると一時も其所に居るのが嫌になり、早足で逃れ去り出したのである。

其の時城内の長者は、早くも窮子の姿を認め、多年吾が求むる一人子なるを知りて大いに歓び、傍の人に命じて窮子を追うて連れ還らしめることになった。

ところが窮子は長者の意中を知らぬものであるから、驚き怖れ「罪も犯さないのに何故俺を捕えるのか」と、大いに喚わり乍ら飽まで振り切って逃ようとする。使の者は無理やりに制え付けるから、窮子は恐怖のあまり悶絶して地に倒れて仕舞う。

之を遥かに城より眺めて居た老長者は、不憫と思うたけれども致し方がないので、使者を呼んで「もう其の男に用はないから、早々蘇生らして放逐して仕舞うが可い」と命ずる。そこで勿論使者も周囲の者も窮子が長者の一人子である事を知らぬのであるから、長者の云うが儘に放した。

辛うじて使者の手を逃れた窮子は、万死に一生を得たような思いで、また貧里に赴き相かわらず衣食の資を求めて、東西に放浪することになった。

併し長者が窮子を放ち遣ったのは、全然見限ったのではなく、一先ず彼の意嚮に任せ、其の間に徐ろに策を設けて彼を手元に引寄せんがためである。

そこで長者は改めて形色憔悴して威徳のない二人の男を呼んで云うよう。汝等窮子の所に行って斯く告げよ「彼処に大変よい口がある。賃銀は普通の倍額である」と。窮子が黙って承諾したならば其の儘連れて来るが可い、若し又「それは一体どんな仕事をするのか」と尋ねたならば、「我々と一所の厠の掃除をするのだ」と告げるが可いと。

二人の使は長者から命ぜられた通り、窮子の所へ行って話をすると、窮子は身に適った仕事と思ったものか、直に承諾して爾来長者の家の糞掃除をすることとなった。

長者は或る日窓の中から窺いて見ると、我子は痩せ衰えて、糞土に汚れ塵糞に塗れ、見るも無惨な有様である。そこで長者は身に纏うて居った美服を脱ぎ棄て、敗れ垢染たる衣を着け塵土に身を汚し、右の手に除糞の器を持って窮子に近づき、徐ろに慰めて云うよう「汝は何時までも此処に働いて居るが可い。給金は段々増してやるから、決して此処を飛び出してはならぬ。俺を父のように思って安心して働いて居るが可い、悪くは取謀らわないから」とて、長者は爾来窮子を「我が児」と呼ぶことにしたのである。

窮子はかような手厚い待遇を受けて、有難いとは感じていたが、自分は矢張り卑しい一人の雇人に過ぎないと思っている、斯くて長者の家に在って厠の掃除に従事すること二〇年の久しきに渡ったのである。

其の間に長者窮子の二人の心は次第に打解けて、今では何の疑惧も遠慮もないようになった。併し乍ら未だ窮子は相かわらず自分は雇人だと思って居た。

然るに長者は身に疾あり自ら余命の長からざるを知って、窮子に家財全部の支配を命ずることにした。窮子は厠の掃除から身を起して、今では限りない長者の財産を自分の思考によって、自由にする身分とまでなった。夫でも相かわらず昔の雇人根性が去らず、家財は長者のもの、自分は只その管理人である。元を訊せば乞食であると思っていたのである。

斯くて長者の命は将に尽きなんとする時、親族・国王・大医・居士等多くの者を披露に招きあつめ、さきの窮子を衆に紹介して云うよう、「諸君、此は我が生む所の実子である。さきに吾を捨て逃走し、作傍辛苦すること五〇年、我れ子を求むること多年にして、漸く邂逅することが出来たのである。間違いもなく全く我が実子である。従って、我が財産は凡て此の子の所有である。今後は最う一切此の子の自由である」と。

此の長者の物語りを聞いた窮子は、始めて自分の本籍を知り大いに歓喜した云々。尚お、経文には窮子の歓びを説いて、「我れ本心に希求す所有ること無かりき、今此の宝蔵自然にして至りぬといわんが若し」」と述べてある。

以上ルカ伝第一五章と法華経信解品第四長者窮子の譬喩の対照によって明かなる如く、キリストの説く神の愛も、釈迦の教ゆる仏の慈悲も、畢竟、親の子を思う情の極致と解されるのである。裏を返せば、かの、醇乎、熾烈なる親の子に対する情愛こそは、その源を神の愛、仏の慈悲より発すると見らるるのである。

然らば自観師に於ては如何、師はもとより宇宙の本体は物質にあらずして霊なり、精神なりということに於て、キリスト及釈迦と所見を同じうする。加之、宇宙の根本精神は、普遍の大愛心なりと観じ、森羅万象悉くこの大愛心によって生じ、大愛心によって活かさるると説くのである。

4 宇宙精神説と科学の立場

古今東西、宇宙の本体を精神なりと主張する宗教家、哲学者は決して少くない。然るに近代に至って科学者もまた、同一の説をなすものが漸次その数を加えつつある。

思えばダルトン(一七六六-一八四四)出で、原子説を提唱し、物質不滅の原理を完成せるは今より約二〇〇年の昔である。爾来物質不滅説は世界を風靡して今日に至ったのである。が、その物質不滅説も原子破壊の成功によって、全く覆滅し、万物の根元は物質にあらずして、精神的なるものと解せざるを得ざるに至り、世界有数の科学者の中にも宇宙精神説を唱導する者が現れ来ったのである。

試みに吾等はここに工学士田中龍夫氏の所見を聴くであろう。

我等は今や悔いて醒めつつある科学を見た。これは一切の精神生活を否定するが如き浅ましき科学ではない。

永遠不滅の物質に本拠を据え、物とその力を尊び、精神生活を否定して物質万能主義を鼓吹した近世科学は、今や滅びつつある。八十有余の元素は今や単個の電子に還元せられ、物質、エネルギー、対エーテルの三位を提げて、宇宙一切の現象を、物質的に機械的に説明し去らんとせし物質主義は倒れ単純偉大なる電気物質観は、之に代らんとしている。

而も之を倒したのは哲学者ではなく、科学者自身であった。多くの現代科学者の献身的努力の賜であった。宇宙間にエーテルあるを知らず、物質あるを知らず、エネルギーあるを知らず、これ等三体の上に電子を据え、物質在りて力あるに非ず、精なる電子ありて始めて物体あることを主張する。

この革新せる科学、従って一変すべき宇宙観は、よく人心の要求に答えて、物質文化生活の真義を教え、彼等を導いて新天地を開拓するのである。

この世は見ゆるもの見えざるもの、一切見えざる神の力によってなった。昔は我等はこの地球は他の星に衝突でもしなければ、未来永劫に続くかのように考えていたけれどもそれは誤りであった。

力を込め給いし神にしてこの地球より力を取り給わん時は、地球も月も、瞬にして煙の如く散じて了うであろう。物が在っての力でなく魂あっての地球である。神一度命じ給いて此の世は成り、再び命じ給わん時必ず天国成らん。この世が最後の世界ではない。救われたる魂のためには、神は更に新天新地を備え給う。

新天地とは何処であろう。天国とは何処であるか。これは聞くも無益である、語り得べき限りではない。

併しただこの一事は確実である。七〇〇〇万の同胞、一八億の四海同胞、この世界を天国の出張所と心得えて、互に自重相愛の日を送るときに、たち処にこの狭き、いとも可愛ゆき地球にも天国は臨むであろう。

世には天国生活を此世の理屈で極めつけんとする人々がある。これは誠に無益なる御苦労千万の話であって、この世の理屈はこの世限りであって、これで天国をはかるには足りない。されど我等の智慧、我等の情意を越えて与えられたる霊感によってこの世を越えた天国を見得るものは寔に幸である。

天の原見ゆるはてしをのりこえていまし見えん父のみまへに

太初

太初に神あり
見ゆるもの見えざるもの
一切を超越し
時のけじめをのりこえて
時間空間をのりこえて
極もなく境なし
無極は大極たり

宇宙の精神

宇宙の精
己が心になぞらへて
己が伴侶生まんとて
宇宙に精を生みにけり
生みにし神は父にして
生れ出でしは精なりき
父なる神は陽にして
生れし精は陰なりき
宇宙の精全天に充ち満ちて
これに生命あり光あり

はじめに精ありき
精は神とともにあり
精に力あり生命あり
陽精陰子生み出でて
陰と陽とにわかたれて
すべての物の始なる
真の力世にあらはる

見よ万の物
見えざる力見ゆる物
彼等により創かれん
それ精力となり物体となり
広き三千世界に現はれたり

音も香も熱
電気も光も一切の
わさる姿は精のわざ
三千世界のその前に
始めて精が現はれて
幾億千歳まちこがれ
まちにこがれし神上は
けふこそさぞやうれしくて

精の本質

宇宙の精の陰と陽
生々活動し
相寄り相近づきて
互に想ふて心も熱く
燃ゆる熱度も幾万度
互にめぐる億千年
内に光るを陽と云ひ
外なる伴侶を陰と叫ぶ
大精動いては陽を生じ
分れて陰を生ず
陰陽一体たり

元始の世界

広き三千世界
天の河原のただなかに
アルゴン座シータと言ふ君が
夜な夜な青く光りつつ
この星君のただ中に
一個の陽子のまはり
一個の陰子
互にむつみ合ふごとに
熱して二万三万度
一個の陽子と一個の陰子
所謂水素の原始
我等は之をたしかめつ
物質の起源とたしかめつ

以上田中工学博士の文を読んで、科学者の宇宙観が一変し、従来の物質本体論より精霊本体論、即ち宇宙精神生命論に転換せることを知ることが出来、洵に隔世の感なきを得ない。

5 自観師と観世音菩薩

自観師は、田中博士の所説中にもある、陽核を中心に、陰電子が絶えず廻転しつつあるその相慕、親和の状態が、大は太陽系より、細は毛髪に至るまで、宇宙万物一切の姿であることを、宇宙大愛心の表現なりと観じ、ここに万物は大愛心によって生じ大愛心によって活かさるとの論拠を確立されたのである。

その慧眼達識、驚歎の外なく、吾等は未だ全世界にかかる達識を有し、かく科学的根拠の上にたって、宇宙観を説ける、宗教家、哲学者あるを聞かないのである。

而已ならず師は、陽核と陰電子が活動を休止することなく、且つ不断の向上を続けつつある実際に着眼し、ここに人生観を確立し、人生の目的は活動と向上の連続にありとなし、人は食わんがために働くにあらず、働くがために食うなり。人は名誉欲や、地位欲を満足せんがために、向上を希うべきにあらず、向上は人生の本質なりと説く。

理路整然、而も倫理道徳論とも相和し、真に古今独歩の一大卓見と言う可く、これをキリスト山上の聖訓と比し、毫も遜色なきのみならず、科学的基盤にたつだけに、人文進み、智識欲旺盛なる現代の人々にも、反対と批判の余地を見出し難き、近代的特殊性を賞揚せざるを得ないのである。

本田静六博士は「人間の根本たる宇宙の大生命は、物質でなく、ただ一種の働きであり、機能である、これを仮りに生命と名づける云々」と言い、宇宙の根本が物質にあらざる点、及びその生命なる点を認容しながらも、強いて精神なり、神なり、仏なりとする説を排斥しておるが、単なる働きに過ぎざる機能と見るだけで、四季の循環、花鳥水月の美、さては親の子を思う真情までも説明し尽して知識欲を満足せしめ、人心に納得を与え得るであろうか。自観師の宇宙観に比し、妥当性の乏しきは何人も認めざるを得ないであろう。

そは兎も角、本田博士も、

「その生命という機能があるときは固って原子アトムとなり、その原子はまた分散して活力エネルギーとなる。詳しくいえば、原子は更に原子核と電子よりなるが、原子核もまた一種の電子であるから、原子の基の電子が生命という機能であるわけだが、科学的実験の便宜上原子を以て生命の根元とする。

原子の大きさは一億分の一センチメートル位で、どんな顕微鏡でも見えない微小のものでいわゆる微視的現象で、従来これは物質以外に置かれ、精神界または神霊界に属するものとされていたのである。

かかる微小なる原子が集って、九十有余の元素エレメントをつくり、元素が集って分子モラキュウルをつくり、分子が集って万物を造成する、かく万物の根元たる原子は生命という働きであり、生きて生長しつつ動くものであるから、万物悉く生きて躍動しつつあるのである。

ただその生き方の弱いもの、すなわちその生長し方動き方の微小なるものは、従来無機物または死物と称せられ、その生き方の強くして生長も動きも激しきものは、有機物または生物と称せらるるのである。

人間はいわゆる生物中の尤なるもので、たえず著しく生長し動きつつあるものであり、その生長乃至動きの大なるほど、人生を最も有効に完全に近づかしむるものである。換言すれば、人間は本来の本能的性質としてたえず働くべきものであり、勤労即人生であるのだ。

しかも人生はたえざる勤労によって常に向上進歩し、幸福への道を辿るのである。由来人生の幸福は決して絶対的のものでなく、却て比較的進歩的のものであり、いかなる幸福もそのまま永続するときは、いたずらに飽満と倦怠を覚えることになるから人生の真の幸福は、不断の勤労によりて、その生活を向上進歩させて行くところに味〔わ〕われるのである。

ではその勤労とは何か、有形無形とも何か新たに物を作り出すとか、物に新しい形質を与えるとか、何か考え出すとかして、生の内部にあるものを外部に現わしてゆくいわゆる創造作用―これを俗に働きまたは勤労というのである。

したがって人生を完全に生かすということは、勤労によってこの物を生み出す力を完全に発現し、以て人生を生き甲斐あるもの、価値あるもの即ち幸福にしてゆくことである。つまり勤労は人生を価値づけるもの、いなむしろ人生そのものであって、決して金銭や名誉を得るための手段ではない。

働いて金銭上の利益や名誉をえたというのは、ただその働きの結果にすぎず、いわば粕である。されば一文にもならぬ働きに終ったとしても、働いたことだけですでに自己の生を外に現わすという、生そのものの本質は発揮されたのであるから、立派な価値があり、充分働き甲斐があったわけである。尤もかかる場合はごく少く、勤労には必然的に報酬が与えられる。

だが報酬は他から与えられるものであり、自ら求むべきものではない。社会から与えられるべきものと悟るべきである。自分で求めたる名利はやがて苦痛の種子となるものである。他から与えられたる名利は、さらに名利の種子となるものである。したがって名利を目的とせず、生の本きが道楽になり、幸福になれるのだ。それを金銭や名誉をうるために働くのだと思うから、働きがいやにもなり、苦痛にもなり、労働争議や賃金問題が面倒になってくるのである」

と言いて、活動と向上を、人生の本質なりとせる点に於ては、自観師と同一の所見を有することが注目される。

自観師の宇宙根本観は以上述ぶるところによって、その大要を尽したと思うのである。殊にそれが近代科学の何処に基盤を有するか、また、これに対する近代科学者の所見と、師の所説とが如何なる関連性を有するか等についても一通りの引例と説明を試みた積りである。

尚おかかる叙述を敢てせる所以は、師の思想が如何に優秀且つ堅実なるかを立証すると共に、師の信仰する観世音菩薩に対する信仰の全貌を窺うに、欠く可らざる前提条件たるを思うが故である。いざや自観師の観音信仰について述べるであろう。

自観師に於ては、観世音菩薩は、宇宙大愛心、即ち主神の象徴的分霊なりと成すのである。神が普遍の大愛なるが故にその分霊たる観世音菩薩もまた、大慈大悲心を以って、衆生を済度し、あらゆる苦患を抜除し、人に病なく、貧なく、争なき世、即ち地上天国の建設を希念され、自観師自身はその御旨を体して、地上天国の建設にいそしまざるを得ずとの自信を有しておる。

而も師の見る観世音菩薩は厳然たる実在にして、多くの人々がいだく如き空想的想像神ではないのである。そは日夜たえず師の霊感に浮び出でて、かくなすべしと指示し、かくなす可らずと拒否し、師を一個の機関として使用しつつあるとの自覚によるのみならず、度々、御姿を現わして肉眼に映ずることすらあり、師に於ては絶対にその実在を信ぜざるを得ないようである。

キリストが屡々神の御姿を拝し、つねにわが父よ父よと呼んで、聖霊に導かれて語り、聖霊の指示するがままに行動せる事実と相似ることの如何に不可思議なることよ。

思うにキリストが神の寵児として世に現れ、神の御旨を実行せる如く、自観師また、神の恩寵により世に出で、その使命を遂行するものならん。神はその時代に応じ、人の機根を見て、それに適応す可く、聖者を世におくりて、経綸に当らしむとかや、神意の幽玄微妙なる感歎つきせぬものがある。

(自観叢書十五 昭和二十五年一月二十五日)