お伺いロマンス 二人袴(三)

岩崎 栄

「焼酎は無かっただか、お春」

吉太がモソッとした声で、永い沈黙を破った。しかしお春はやはり、つッ伏せたまま返辞をしない。

吉太はお春の背なかを跨ぎ、煤け破れた袋戸棚を開け、まるでゴミ捨場に転がっている油徳利みたいに汚ごれた一升徳利と、フチが欠けて飯粒のこびり着いている茶碗とをもってもとの席に戻ると、その茶碗に徳利の口を傾けた。焼酎は茶碗に八分目ばかりあった。

「こんだけじゃが」

ちょっと考えてから、ゴクンと一気にその半分ばかりを飲み、残りを平太に渡してやった。平太も一気に飲み乾して、ホーッと長い息を吐き出した。

アルコールが作用してくると、平太はいくぶんか気持が軽くなったらしい調子で、

「おら、この家が先祖代々のものだでやっぱァこの家に住みてえだが……」

と吉太の顔色を覗くようにする。

「もっともだ」

吉太は頷く。

「そこでだ、あの九造が家つゥもンはへえ荒れはてて住めねえだか」

九造の家というのは、 空家になっている家のことなのだ。

「そんでもなかんべえ、住めばなんとかなるずら」

「ほんだらへえ、おめえあの家さ住まってくれねえかよ」

「うん。そうでもせんことにゃ、へえ、すべもなかんべえよ。したが、この女房や子供はどうするだか」

「そンだよ。まァ、本人の思うとおりに、どっちかへついて貰うだなァ。もっとも子供は、上の女の子はおらがのだから、おらのとこに置くべえ、男の子はおめえのもんだで」

「お春よ、われどうするだァ」

吉太が複雑な眼つきを、うつ伏せているお春の、山のような背なかに向けた。平太も、お春の乱れた髪の毛に眼をやった。

お春は急にまた、シクシク声をたてて泣き出した。

それをそのままに、吉太はまた茶碗と箸を取って来て、芋粥の鍋を灰の上におろした。鍋の中は煮とろけてペトベトになっていたが、二人は熱いのをフウフウ吹きながら食いはじめた。平太は飢えていたから、ガツガツと歯を鳴らしながら何杯も食った。

「われも一ぺえ食ったらよかッぺ」

吉太がお春を促すのだったが、お春はやはり同じ姿勢のままで応えようとしない。

「まァ、問題は明日のこととして眠るべえ」

平太がごろンと炉ばたに横になると、吉太もそのまま仰向けに仆れて後頭部に掌をかった。そして二人とも、焼酎の酔いですぐに、高い鼾をかきだした。

お春はそれから三〇分も経って、むくりと起き直った。泣いた眼の囲りがよごれて、黒い眼鏡をかけたようになっている。

押入から、わりときれいな布団を出して来て、乞食みたいな異臭を匂わせている前の亭主にソゥッとかけてやると、またふだんの夜着をもう一枚出して、それは、いまの亭主の上にかけた。

そして自分は子供の眠っているところへ行き、藁布団を子供たちに被せかけたその裾のところに、腰を曲げ込むようにして眠ろうとしたが、どうしても眠れなかった。

しかし、いつか眠ったのだ。

はッとして眼を醒ますと、平太にガッシと抱きつかれていた。思わずこちらも縋りつこうとして、暗い炉ばたに捜すような眼をやった。そこに吉太の姿が見えない。

「あの人は……」

「いまさき出て行ったから、わしも出てみたら、九造が家へ行っただよ」

「暗いのに……」

「外は、夜があけかけとるだ」

そう言いながら、平太はまた烈しく抱き寄って来た。

「お春よ……会いたかったぞ」

「あんた」

お春も必死と抱きついて行った。乞食臭さも厭わなかった。

一〇年ぶりのめぐり逢いが、この男女を動物的な狂乱にかき紊してしまった。そして、疲れはてた男は、そのままで昏睡する病人のように眠りこけてしまった。

お春は外に出た。朝の谷はミルクのような霧に埋まり、もう鶯が囀っている。

九造の空家へ覗いてみると、吉太が炉を燃しながら、とぼんとしたうしろ姿で、じいッとうなだれている。

「あんた、なにしとるかや」

「お春か」

吉太はふりかえって手招きした。

「ここへ来う」

お春は心に憚かるものがあって、すぐ側へは寄り切れず、炉の向う側へ行ってしゃがんだ。

「暗いうちから、こんげなとこさ来ておめえなに考えとるだ」

「おらか-おら、この家さ住むべえと思ってよ-」

お春は、ヒーッと笛のように泣き出した。吉太がそれに躍りかかって行った。

「おら、おら、おめえが諦められねんだ。なんぼなんでも、おめえはおらのものだ」

気が狂ったように抱きしめ、押し仆し馬乗りになって、しゃにむにお春の体を求めて来た。

お春はされるままになっていたが、この人とも別れられないと思うと、むやみといとしく、かッとなって全身を燃やし、男の頸へ獅噛みついてしまった。

その日の夕暮れに、お春は五ツになる男の児を抱いて、渓川の淵になっているところへ身を投げた。

キャァーッと泣き叫んだ子供の声に驚き、 男二人がすぐ飛び込んでそれを助けあげたので、母子とも生命に別条はなかったが、さて-どうしたもんだべなァと、二人の男は前の晩と同じように炉ばたに差し向かったままで、いつまでもためいきばかりついていた。

春の夜はしずかに寒く更けて行った。

この谷間の、あわれな人生は、一たいこれから、どうなって行くのだろう。どうなって行けばいいのだろう?

御答え

私は此小説を読んで面白いと思うと共に、世の中にはこれと同じような問題がよくあるのを思った、私は此小説の作者岩崎氏から此解決を求められたが、 同氏の意図は無論信仰を通してのそれに違いないと思うが、 此愛欲の争闘がここまで追詰められて来たとすれば三者何れもが満足出来る解決は着き難いであろう、 そうして此問題の困難な点は、三人共善悪がないというよりも、悪の炎がないからである、此処まで来た経路を見れば自主的意図は更になく、いとも自然に転回して来た運命であるからどうしようもない、言う迄もなく三人の中誰かに悪があるとすれば、その解決も敢て難しい事はないが、そうでない処に難点がある。

先ず私が作家として考えてみる時、斯ういう風に描いたらどうかと思う。吉太と平太と前以て約束の下に女に選択の自由を許すのである、何となれば女自身の心の奥底には、どちらか愛の濃い方があるに違いないからで、その結果負けた方の執着の厚薄と良心の分量によって決るのだが、もしか負けた方が諦められないとしたら、茲に新しい波瀾の種が出来る訳で之れからの葛藤こそ小説として面白くなる、といって成程信仰によって解決つけるのが一番いいが、 此の場合三人が三人信仰に入る訳にもゆかず、 といって仮に入信出来たとしても、信仰には深い浅いがあるから実際問題としてはまず可能性があるまい。

これが封建時代になれば、女はアチラ立てればコチラが立たぬというジレンマに陥って、一身を犠牲にするという美談的解決点があるが、今の世の中ではそういう事は望み得ないし此階級の人間としたら、どうしても愛欲の闘争に陥るとみるべきが自然であろう、とすればどうしても悲劇に終らざるを得ない事になる、斯うかいてくると、此小説の続きは作者の考え方一つというより外にない、然し一番間違いない観方は戦争が生んだ悲劇の一種にすぎないのである。

何だか岩崎氏からメンタルテストに遇っているような気がするが、これでパスすれば幸甚である。

(救五十四号 昭和二十五年三月十八日)