心霊現象叢談 幽霊の話(二)

幽霊の話(二)

『地上天国』第七号に、心霊現象叢談の第一回を執筆してから記者の事情で暫らく、中断されていましたが、今後号を逐うて連載することにいたします。

前回幽霊の話その一には故浅野文学士の記録より抜萃しましたもので、死んだ人の霊魂-幽霊-と現在の生存者との直接談話でありましたが、今回は、同様幽霊の思念を、生存する霊能者が感受して、自働書記によってこれを捉えたこと、換言すれば、死人の霊魂がその意志を一霊能者の自働書記を通して伝達したことの記録を、オリバー・ロッジ著より抜萃して見ることにいたしましょう。

その二

一八七四年四月八日の晩、当時自働書記として卓越した霊能力者と称せられていたステーントン・モーゼスは、彼が宗教問題の疑問について書き初め、「余は其の」と僅かに数文字を書いたところで彼のペンはびたりと止まって終った。

そこで彼モーゼスは是れは「如何なる訳か」と自問した。するとペンは忽ち動き出して、「一箇のスピリットが通話することを望むので、我等は彼等の希望をかなえるよう命ぜられた、彼女は迅速に書くことが出来ないので、我等を経て通話する。彼女の名はファニー・ウエストビーである、君はその名を知っておるか」

かくの如くモーゼスは彼の背後霊からの通信をうけたのを初めとして以下の如き問答が、彼と霊界居住者との間に、彼の自働書記を通して繰り返されたのである。

問記憶しておらぬか。

答君の母は善く彼女を知っておる。彼女は君が母の従姉妹である。彼女は昨年五月一五日世を辞して来た。

問彼女は結婚していたか。

答然り、彼女の生家はカークハムであった。

問ファニー・カークハム。然う、ぼんやりと記憶しておる。彼女はマールクビーに住んでいた事がある。

答彼女は言う、自分はアルフォードと言う地で、今サム・スチーヴンソンが住んでいる家で産れたのである。彼女はマールクビーに住んでいたが、ベルチフォードで嫁した。彼女は六三歳で、ホーンカスルで歿した。君は一八四五年彼女に会うべくマールクビーへ往ったことを記憶しておらぬか。彼女の母エリザベス・カークハムは当時長い病より脱れ去ったので(死んだので)、君の母は其従姉妹を弔慰すべく往いたのである。君は農園のまわりを携まわられ、山羊に乗って歩いた処、彼女は之が為めに心配したが、果して山羊は跳ねて君を投落したので、君は麦打場で麦の堆の上に飛んだ、而して君は毒虫に痛く咬れた。彼女は君が此事を君の母に憶い出させんことを切に冀うのである。

問僕は然うすべく試ろみようが、それは善い事であるや。

答君は母を勧めて此事をしらべさせることは出来ぬであろうが、 君だけは其事の真実なるを首肯するであろう。

問彼女は何等か使命の伝うべき者があるや。

答彼女は、斯う言う、余は生前肉体の情欲を満足せしむる事にのみ屈托したれば、失敗して進歩の好機会を多く逸してしまった、余の進歩は是よりである。余がいまの生活は君の生活と甚だ異なる所は無い、余は殆んどもとと同じなのである。メーリィを感化したいのであるが、彼女に近づくことが出来ぬ。

問彼女は果して自身がファニー・ウエストビーであるという事を余に保証し得るや。

答彼女は此上の証拠をば与え得ぬ。待ちたまえ、帰って君が父にドニングトンとあげ蓋の事を問いたまえ。

問余は彼女が語る所の意味の何たるかを少しも解せぬ。却って宜しい。問うて見ましょう。最早ありませんか。彼女は幸福でおられるや。

答彼女は其の目下の状態に於ては極めて幸福である。

問彼女は如何様にして余を尋ね出したのであるか。

答彼女は偶ま其友(モーゼス夫人)の近くに飛びつつ偶ま此に来り、而して其通信し得るを発見したのである。

問余は彼女の御役に立ちますか。

答然うです。如何ぞ願います。彼女は申すに及ばず、我々は皆君が其霊能を我等に貸すならば、大いに便を得るであろう。

問それは又如何いう事であるか。

答我等が人間の伝えんとする使命を君が慎重に伝えて下さるに於て大いに便を我等が得るのである。真に我等一同はよろこびにたえぬのである。天帝願わくば足下を幸いしたまえ、レクトル。

斯くスピリットは皆人間と交通することを希望しおること恰かも人間がスピリットと交通することを希望しおる如くでありますが、其機関がないので皆困っております。

故、偶まモーゼス氏の如き霊能が充ち満ちた人を発見しますと、スピリットは其処へ群がり来って之が手や口を借りようと試みるのであります。実にモーゼス氏は、霊媒中の尤物とて、大墓地に近く通る時無数のスピリットが大風の如く同氏のまわりに輻輳して其通訳を借りようと争ったと言う如き勢いでありました。兎に角斯る大霊能家を看出したので、スピリットが相慶んでかく「我等一同はよろこびにたえぬ」と言ったのであります。

此自働書記の件を評してステーントン・モーゼス氏は斯う言いました。「余は母に訊ねたところ、其結果が悉く確実で寸分も違わぬ者であった。母は驚いて、僅か五歳の時に於ける出来事を何と善く記憶ておると怪しんだが、余は如何様にして此事を知ったかを母に語らなかった、それが不得策にして又無用ならんを恐れたからである。但し謎のあげ蓋一件に関しては父より何の答をも得なかった。全く忘れてあったか、又は之を語るを好まなかったのであろう。

一八七四年、父は謎のあげ蓋の件を憶い出した。父がドニングトンで住んでいた家は、あげ蓋を通りぬけて屋根へ出られるのであったが、屋根は二重で、眺望は非常に善かった。ファニー・カークハム嬢は来訪の際あげ蓋をくぐって屋根へでようと試ろみて半分途で立往生をしたので、一同より哄笑を浴びせられたとぞ」〔ウエストビー夫人の死は其地の死亡表に徴して確知められた〕

要するに年代や場所や事情が斯く詳細に喋々と告げ知らされたのは、珍らしいのであります。生前非常に快活にして多弁な婦人であったのかも知れません。通例スピリットは斯る巨細な顛末に関しては惑う所がある者の如く躊躇するものであります。但し代弁者たる霊は、今の場合の如く、悠然本人より承っておいて自働書記家の手を経てすらすらと語り出し得るかも知れません。

(地上天国十一号 昭和二十四年十二月二十日)