発熱

医学上、発熱の原因として今日迄種々の説が行はれてゐるが、今日一般的には、発熱中枢なる機能が頭脳内に在って、それが何等かの刺戟によって熱が発生するといふ説である。又、四肢の運動に由る為と、肝臓及び腎臓からも発熱するといふのである。そうして人間の体温なるものは、食物が燃焼する為に起るといふのである。

右の説が真実であるとして、病気発生の際病毒が発熱中枢を刺戟して発熱するといふ事は、一体発熱中枢なる機能の性質と、それが刺戟される事によって、如何にして如何なる理由によって、熱を発生するのであるか、恐らく徹底的説明は不可能であらう。何となれば、発熱中枢なる機能は全然無いからである。従而、病毒の刺戟などといふ意味は成立たない訳である。斯様な誤った説が生れたといふ事は、私の想像によれば、大抵の病気は発熱の際、頭脳に高熱があり、且つ頭痛が伴ふので発熱中枢が頭内に在ると誤認したのであらう。故に、凡ゆる有熱病に対して、頭脳を氷冷すれば可いとしてゐるのである。又四肢の運動によって発熱するといふのは、それによって温度が加はる為と、浄化作用発生の為の発熱に因る事を単純に推理したのであらう。又、肝臓及び腎臓が発熱の原因といふのは、大抵の人は、肝臓部と腎臓部は、毒結浄化の為、局部的微熱が常にあるものであるから、それを誤認したと想ふのである。

又、食物の燃焼によって、体温が作られるといふ事ほど、実に嗤ふべき説はあるまい。食物が消化器内で燃焼するといふ事は、実に不可思議千万である。それは丁度、人間の体温をストーブと同じやうに推理したのではなからうか。即ち、食物の消化を石炭の燃焼の如きものと想像したのではないかと想ふのである。

私の研究によって得たる発熱の原因を説くに当って断はっておきたい事は、恐らく前人未発の説であらうから、読者はそのつもりで充分熟読玩味せられたいのである。 抑々、宇宙に於ける森羅万象一切は三大原素から成立ってゐる。即ち凡ゆるものの生成化育は、此三大元素の力に由らないものはないのである。然らば、その三大元素とは何であるかといふと、それは日、月、地である。即ち日は火素の根源であり、月は水素のそれであり、地は土素のそれである。そうして此火、水、土の力が経と緯に流動交錯密合してゐるのである。即ち、経とは天から地まで、太陽、月球、地球の三段階となってゐるのであって、日蝕の時、日月地が経に三段になってゐるにみても明かである。即ち、天界は太陽中心の火の世界であり、中界は、月球中心の水の世界であり、地は、地球中心の土の世界である。

次に、緯とは、吾々人類が棲息しつつある此地上其ものの実体である。それはどういふ意味かといふと、此地球上に於ける実世界は空間と物質との存在であって、物質は人間の五感によって其存在は知り得るが、空間は長い間無とされてゐた。然るに文化の進歩によって、空間は無ではなく、空気なる半物質(私は仮に半物質といふ)の在る事を知ったのである。然るに、今日迄空気だけと思ってゐた空間に、今一つ他の原素が存在してゐる事を私は知ったのである。それに対して私は、“霊気”といふのである。尤も或種の宗教に於ては、霊界又は生霊、死霊、憑霊等の説を唱へたり、行者又は霊術師等も霊を云々し、欧米に於ても、霊科学の発達によって、霊と霊界の研究は相当進歩しつつあり、彼のオリヴァー・ロッヂ卿の有名な著書“死後の生存”や、ワード博士の霊界探険記等の記録もあって、之等は相当信ずべきものであるが、私の研究の目的範囲とは全然異なってゐるのである。

そうして本来、物質の元素は土である。凡ゆる物質は、土から生じ土に還元する事は、何人もよく知る所である。次に、半物質である水の元素は、月球から放散されて、空気に充満してゐる。然るに霊気とは、太陽から放射される物質でもなく、半物質でもない処の非物質であるから、今日迄未発見であったのである。故に、最も判り易くいへば、土が物質、水は半物質、火は非物質と言へるのである。

右の如く、物質の原素が土で、空気の元素が水で、霊気の元素が火であって、此三原素がいづれも密合して、そこに力の発生があるのである。これを科学的にいふならば、三原素なるものが、ほとんど想像も付かない程の微粒原子として、融合活動してゐるのが、宇宙の実体である。故に、吾々の呼吸してゐる此空間が、生物の棲息に適する温度や乾度、湿度があるといふ事は、火素と水素の融合調和によるからで、もし火素が無となり水素のみとなれば一瞬にして氷結すべく、反対に水素が無になって火素のみとなれば一瞬にして爆発し、一切は無となるのである。そうして此火水の二元素が土と密合して、土が力を発生し、万物が生成化育されるのである。此理によって、火は経に燃へ、水は緯に流動するのが本性であり、火は水によって燃へ、水は火によって動くのである。之を図に示せば、左の如くである。

古から、人は小宇宙と謂はれてゐるが、右の理は、人体にも当嵌まるのである。即ち、人体に於ける火、水、土は「心臓、肺臓、胃」-に相当するのであって、胃は土から生じた物を食ひ、肺は水素を吸収し、心臓は火素を吸収するのである。故に、人体に於ける心臓、肺臓及び胃は、火、水、土の三原素を吸収する機関で此機関が人体構成の最重要部を占めて居るにみても、右の理は肯かるるであらう。然るに、今日迄は心臓は唯だ、汚血を肺臓に送り酸素によって浄化されたる血液を、還元吸収するというやうに、血液のみの機関とされてゐたのは、全く火素の存在を知らなかったからである。

右の如く、胃は食物即ち土素を、口中から食道を経て嚥下(エンカ)し、肺臓は呼吸によって水素を吸収し、心臓は鼓動によって火素を吸収するのである。従而、病気発生するや発熱するといふ事は疾患部の凝結毒素を溶解せんが為、必要量の熱即ち火素を心臓が霊界から吸収するのである。即ち心臓の鼓動は、霊界から火素を吸収する喞筒(ポンプ)作用である。発熱時より先に、心臓の鼓動即ち脈搏が増加するのは、火素吸収が頻繁になるからであり、其際の悪寒は、浄化に必要な熱量を吸収する為、一時体温の方への送量を減殺するからである。故に解熱するといふ事は、毒素溶解の作用が終ったのである。

右の如くであるから、心臓が一瞬の休みなく、霊界から火素を吸収する。-それが体温である。又、肺臓も空気界から水素を呼吸によって不断に吸収してゐるので人体内の水分は、口から飲下する以外、肺臓の吸収によって得る量も頗る多いのである。

右の理によって人の死するや、瞬時に体温は去って冷却し、水分も消へて、血液は凝結し、屍は乾燥し始めるのである。右を説明すれば、死と同時に、精霊は肉体を脱出して霊界に入るのである。故に、精霊の火素が無くなるから、水分は凝結するのである。言ひ換へれば火素である精霊は霊界に還元し、水分は空気界に還元し肉体は土に還元するのである。

次に、茲で注意すべき事がある。それは、熱を量るに体温器を用ひるが、医家も世人も此方法は完全と思ってゐるが、私からいへば頗る不完全である。何となれば左の如き理由によるからである。元来発熱の場合、その発熱の根拠は、実は一局部である。然るに世人は全身的と想ってゐるが、それは大いなる誤りである。私が治療の際、四十度位の高熱者を診査する場合、指頭位の固結の浄化作用が原因であるので、其固結を溶解するや、全身的に忽ち解熱するのである。そうして強度な浄化作用は全身的に発熱するが、弱い浄化作用は局部的放射状であって、その局部の周囲(勿論大小はあるが)以外は無熱である事である。従而、体温器を腋窩(ワキノシタ)に挾む場合、其附近の病気、例えば腕の付根の毒結の浄化作用又は肋間神経痛等があれば有熱となって現はれるが、其際離れたる股間、腎臓部、頭部等は無熱である。故に、実際上、右の腋窩と左の腋窩によっても多少の差異がある事である。甚しきは五分位差異のある人がある。右の如くであるから体温器による計熱法は不完全であるといふのである。

然るに、私が行ふ計熱法は、如何なる微熱と雖も発見し得らるるのである。それは掌を宛つれば一分の十分の一の微熱と雖も明確に知るを得るのである。然し、之は相当熟練を要する事は勿論であるが、普通一年位経験すれば何人もなし得らるるのである。

次に高熱に対して氷冷法を行ふ事が如何に誤診であるかを説明してみよう。即ち人体適正の体温は三十六度乃至七度であるといふ事は、其程度の体温が生活機能に適合してゐるからである。然るに氷冷をするや氷の温度である零度になるから、其氷冷を受ける局所の機能の活動は、著しく阻害せらるるのは当然である。此理に由って脳溢血、肺炎、窒扶斯其他の高熱病に対し医療は必ず頭脳の氷冷を行ふが、それが為頭脳は氷結状となるから麻痺的貧血状態に陥り機能の活動に支障を及ぼすので、本来の病気によらずして、氷冷の為に斃れる事が多いのである。氷冷は、右の如き悪結果を招くのみか、浄化作用を強力に停止すべきものである以上、之だけは絶対に廃止したいものである。

今一つ重要な事がある。それは解熱剤の反動作用である。此事は恐らく専門家は固より世人は夢にも思はないのである。これはどういふ訳かといふと、或病気に対して連続的に解熱剤を使用する場合、大抵一週間以上に亘ると、反動作用が徐々として起る事である。それは、解熱剤の作用に対し、反動作用が発生するのである。恰かも或物体を圧迫すると反撥力を起るやうなものであって、下剤を用ひる程便秘を起し、利尿剤を持続すると反って尿量を減ずると同一の理である。故に、発熱するから解熱剤を用ひる。解熱剤を用ひるから発熱するといふやうに繰返すに於て最初三十七八度の熱が畢には四十度以上の高熱にさへなるやうになるのである。斯の如き場合、医家は原因不明の熱として大いに困難するのである。肺患者の執拗な熱は、右の如き原因が頗る多いのであって、解熱の目的を以て解熱剤を用ひ、その結果が反って発熱の原因を作るといふ事は、未だ気がつかない事とは言ひ乍ら、洵に恐るべきであると言へよう。

(明日の医術 第二篇 昭和十七年九月二十八日)