四 岡田氏の宗教事業を観る

大曼荼羅―地上天国縮図

岡田氏は、宗教事業の第一階段として、目下熱海市桃山頂顛に近き山腹約三万坪に、また同市梅林奥の渓流沿い四万余坪に、工事を起し、自ら督励し完成を急ぎつつある。氏はこの工事を、地上天国模型の建設なりと言い、また曼茶羅をこの地に描くと言うのである。

余が桃山に工事を視たのは昭和二四年五月の半であった。車を下りて、羊腸たる山道を登ること数丁、最初に到達した処は、山を削り、岩を砕き、なかなかの難工事のようではあるが、而し数百坪の敷地も殆んど完成し、箱根芦の湖畔、元岩崎別邸より移植したと言う、数百株の躑躅に手入れの最中であった。数多き幾種類何れも珍賞に値するもののみ、而もそれが、爛漫と一時に咲き乱れて、色とりどりに美を競っておる。余は暫しわが眼を疑い、低徊して、その場を去りかねたのである。ここは周囲に老木亭々と生い繁り、前方僅かに、木の間を通して海を望む稀に見る佳境である、そこに花幾十万輪を移し植え、錦上ならで佳景に花を添えたわけである。

而してここに粋をあつめた純日本式家屋を建築し、優秀なる美術品を陳列して、世界各国人の観覧に供するのだと言う。わが国の美術を世界に紹介することは、多くの角度よりその必要を唱えられながら、未だ完全な施設を見ないのである。されば氏今回の企ては、誠に時宜に適したものと評すべきであろう。殊に景勝の地を択び、花を植え、建築に数奇をこらし、そこに美術の粋をあつめて、世界に紹介せんとするにあたり、着眼極めて妙というべきだ。

それよりやや登りて右に廻れば、展望俄かにひらけ、鳥瞰すれば、熱海全市一眸のうちに収まり、初島、指呼の間に浮ぶ。右に網代、伊東を望めば、遥かに川奈岬の隠見するあたり、川奈富士空に聳えて、呼ばば答えん風情を示す。眼を左に転ずれば、大島、烟波の上に横たわり、真鶴岬突出して、そこに自然の囁きを聞く。蓋し近円唯一の眺望であろう。

氏は此処に殿堂を築かんとし、既に一二〇〇坪の敷地は殆んど完成を見んとしておる。前に絶佳の眺望を有する此の地も、三方は樹木鬱蒼、壮厳の気迫る趣きがある。軈てこの聖地に殿堂聳え、夕に梵音に耳をすまし、晨に海潮音に大慈悲心を観じ、日夜善男善女に勝彼世間音を転ずる民の菩薩行が見られるであろう。

頂上に近き大工事も略ぼ竣工し、広さ千坪余りの敷地も流石難工の名残りを止めながら、最後の仕上げに忙しげであった。此処には四〇〇坪の大講堂を作り、温泉大浴場を設け、また、その一段低きところに、数多の小宿泊所を建築し、更々集い来る、全国十幾万信徒の為めに、修練所ともなり、憩い所ともなるのだと言う。一番高い土地だけに、頗る遠望に適し、而も全山蔚然として森厳。絶好の修練場と思われる。

余は、更に一日同市梅林奥に、氏の事業状況を視んと車を走らせた。来の宮神社を過ぎ、若葉香る梅林を左に見て進めば、幽邃愈々加わり、遂に渓流潺湲たる仙境に到達する。俗気横溢する熱海に、かかる別天地ありと、初めて知った余はここに来って自嘲の思いがしたのである。殊に市内に通ずる道路は修理され、拡張され、橋梁も架設されて自動車の往来も自由に、更に流れに沿い、雑木伐採され、蔦葛刈りとられ、小蹊蜿蜒既に普請成って行くの散策に便宜されておる。而も皆、氏のわざなりと聞き、行基菩薩が、道をひらき、橋をかけし古事も想い起され感慨無量であった。

熱海市は、土地狭隘なれば住民、遊客雜沓して俗悪化し、清遊に適せざる土地なりと定評され、詩人墨客は自ら他の静境を択ぶのである、また熱海は避寒の地である避暑地ではないとされ、余も亦爾かく思った一人であった。然るにこの幽境を見て、今日まで等閑視された事を遺憾に思わざるを得なかったのである。況してこの境は、山高うして樹木繁り、水清うして奇岩、怪石に富み、賞美すべき自然の風致を有しておる。殊に楓多く一見嵐山の観がある、岡田氏はここに桜を植えるのだと言う、よき思いつきである。この風致が、岡田氏によって生かされ、紹介さるるに到ったことは、熱海市にとっては、市の発展のためにも、最も欣ぶべきことであろう。

渓流を遡れば一村落があり、その向い側に広々とした平地がある、氏はそこに花卉を栽培し、続く山腹にも一面百合を植えるのだと語る、目的は輸出にあるようである。氏は産業なくして平和なしと称し、地上天国の縮図と称するこの事業にも、産業計画を加えたと言う。花卉栽培もその一つである。また、無肥料栽培によって他の植物も作る計画を有しておる。法華経の「資生産業皆是仏教」の教えを実行すると言うのである。此の所謂無肥料栽倍とは、肥料を施さず、浄化作用によって収穫を得ることで、信徒には、既にこの方法によって成績をあげておる者が少くないと言う。氏はまた、浄霊によって病を癒やす病院も計画しておるようである。要之氏の思想を検討し、氏の事業計画を視る時、氏は決して空理空論の人にあらず、反って果断実行の人であり、自己の理想は万難を拝して実現せずんば止まざる気魄の人であることが看取されるのである。以上叙述せる余の、地上天国縮図視察記は、極めて抽象的であり、極めて外観的に過ぎないが、併しながら、親しく実地を視察し、さらに氏の理想を聴く時は、何人も其の遠大なる抱負と精巧なる計画に驚くと共に、前途の多難を予想せざるを得ないであろう。されど氏は平然として「神様がついていらっしゃる-何事も神の御業であり、神の命である-心配することはない」と言い、毫も前途を悲観してはいない。己ならず、自信満々、洵に悠々たるものがある。此の畏るべき信念、この熱烈燃ゆるが如き信仰こそ一宗の開祖として堂々たる貫禄を示すもの、片々者流の盲評の如きは、自己の小を以って他を律するの類で、氏の真価の片鱗だも穿ち得てはいないのである。前にも述ぶるが如く氏は機鋒峻烈。容易に他に許さない。故に一見極めてとりつき難い感を与える。これが誤解を招き時に敵をつくる原因となり、かてて加えて、氏の財的成功が嫉妬の的となり、遂に怪物呼ばわりさるるに至ったようであるが、冷静に、仔細に、氏の思想を探究し、事業計画を観、抱負と理想を聴く等検討に検討を重ねて初めて氏の偉大さを知り、その深遠なる思想にも触れることが出来るのである。

世俗の偉人と雖も、其の言行ややもすれば常人の推測を許さざるところが多い、況してや、心を常に幽玄神秘の世界にはせ、霊界との交渉深き、所謂霊界人に於ては、言行遠く常篇を絶するはもとより当然のことで、凡人が世俗的常識の尺度を以って之を計り、これを批評すること自体既に無理なのである。古今東西、苟くも一宗の祖と仰がれた程の人物の行跡は、霊妙にして、その真面目を窺わんとするに、希夷髣髴たること、猶し雲間に龍影を望む如き観がある。氏の行跡についてもまた同様の観ある蓋し当然のことと謂うべきである。