二 岡田氏の信仰と奇蹟を批判す

氏の信仰は観世音菩薩であり、弥勒菩薩であり、光明如来である、而もそれは一体であると言うのである。仏教に於ては、一般に観音、弥勒は別体なりとされておる、悲華経巻三には、観世音菩薩を、遍出一切光明功徳山王如来と号すと説かれてあり、氏の称うる大光明如来は、その遍出一切光明功徳山王如来の謂いであろうと想像されるが、観音、弥勒同体なりとの解釈は何に基くか、氏に質せばただ霊感なりとのみ謂いて、説明を試みようとしない。真言密教に、大日、弥勒一体説があり、また諸仏諸菩薩は、何れも大日如来の報身か、応身なりと説くより推論して、氏の霊感を解釈するほかはない。

氏は宇宙の根源に大慈悲を認めておる。自然科学や、量子力学の実験による電力結合を、愛の力と見、森羅万象は悉く愛によって生れると宣言するので、観音と言い、弥勒と言い、共に慈悲の権化であるからは、所詮一体なりと断定するのではなかろうか。

そは兎も角、氏の信仰の熱烈、且つ真剣さに驚く。信仰のためには弾圧も、迫害も、牢獄も平気だと言い、迫害はサタンの仕業で、神とサタンの戦は、昔も今もかわりなく続く。而し軈ては神の勝利に帰し、世の建て直しが行われる、既に時が迫っておると言うのである。

また偶ま側近者が、自重を進言すれば、神がついて居るから大丈夫だと斥け、臆することなく振舞い、憚ることなく断言する。その大胆さは、絶対的信仰のほとばしりとよりほか判断出来ないと、周囲の人々は洩らすのである。

(氏は多くの場合、信仰の対象を神と呼んでおる!)

余は氏と話を交ゆるごとに、かの徳山禅師を連想する。偽山禅師、徳山を評して「此の子が孤峰頂上に仏を呵し」云々と言われた、余は氏の風格が、徳山禅師と一脈通ずるなきやを想い、ひそかに微笑することすら屡々である。かかる鋭鋒は、動もすれば独断に傾き、誤解を招き、時に敵をつくる、氏に対する悪評の多くは、かかる所より生ずるのではなかろうか。

氏は至って金銭に恬淡である、氏は常に宗教家は欲があってはいけないと言う、此の点、世の批評とは全然正反対である。氏は信徒の浄財なるが故にと称し、理由なき支出には極めて厳密である。併し乍ら、人を救い、世を利する事業は、神の命なりとして、その施設に莫大なる資本を投下して毫も惜まない。

これら詳細は、事業計画の項に述べるであろうが、かかる氏の信条を解せず、氏を恰も愛銭家の如く批評するは、事実を歪曲するもの寧ろ酷と言わねばならぬ。

氏の信仰の特異な点は、氏が観世音菩薩より、特別に、霊光―神力―を享受しておると信ずることである。これについて、氏は、霊感によって得たりと言う独自の解釈を有し、奇蹟も、これによって行われると説明する。

氏の解釈は、勿論従来の物理科学では、説明出来ないであろうが、今日の心霊科学よりすれば、肯定出来ないことはない。批判は別として、信じ切ることの、如何に偉大なる力となって顕れるかは、氏によってこれを知ることが出来る。「信は力なり」という古言には、寔に意義深きものがある。

宇宙の根源が、霊であることの発見された今日に於ては、信の力―念力の偉大なる働きに、疑惑をいだく理由は毫もあり得ない。今こそ吾等は、古今東西幾多の祖師、教祖、行者等の発揮し得たる不可思議力が、物質万能論の横行によって、軽蔑され、無視され、邪悪視されたることを反省し、再検討し、進んでは深く神秘の世界を窺瞰し、神仏の啓示をきくべく精進努力すべきであろう。

余が此の稿を起草し初めた日、一友人より送り届けられた小冊子の中に、偶然か、摂理か、興味深き話が載せられてあった、以下がその全文である。

明恵上人の霊感……栂の尾の明恵上人は、或時突然「あら傷ましや、蛇が雀の巣に入って雀の子を喰おうとして居る」と叫んだので弟子達が驚きながら、明恵上人の指図に従って寺の屋根を見ると、正に上人の直感通り、蛇が雀の巣を襲おうとして居る処であったので追い払って雀の子を助けたと言うことである。

又或時上人は其行法の最中に、弟子を呼んで「手水桶に虫が落ちこんだように覚ゆる。取り上げて放て」と命ぜられた。弟子は早速縁に出て見ると、果して一匹の蜂が手桶に落入って死にかかっていたので驚嘆したと言うことも伝えられている。

又真言宗中興の祖である興教大師は、或日奥の院で読経中、突然傍の小僧に対し、下の何々院のお堂の中に犬が這入ってお灯明の油をなめようとしているから、追い出して来いと命じた。数丁隔ったお堂の中の事がどうして分るものかと、小僧が半信半疑で行って見ると、果して犬がお灯明の油をなめて居たので追い出したが、其後人々が興教大師の通力を不思議がると「こんな事を不思議に思う者は修行が足らぬのである。こんなことは何でもない、修行すればわかる」と言われたという。云々。

以上に述ぶる如き実話は他にも数多くある。併し未だ醒めやらぬ物質中毒論者は、これを読んで尚お世迷ごとをならべ、反対するであろう。余は之に向って次の実話を示して答えに代える。

「脳病院を参観する人々を、病院内の患者は指して、狂人が来たと言って騒ぐのである」

要するに、神秘世界の扉はまだ完全にひらかれていない、ただ自然科学の発達により、皮肉にも、科学者自身の手によって、僅かに霊の世界が見え始めただけである、故に信の力の強き人、霊能の豊かな人等について、神秘世界の実相を探ることは、今後に残された一大課題である。

余はかかる意味より、岡田氏の信仰、念力、奇蹟につき、特に検討を続けた結果、前にも述ぶるが如く、その信仰の真剣さと信念の堅固なるを認め、更に念力によって生ずる奇蹟をも否定し得ないのである。

岡田氏は、時々無我状態に入り、自問自答すると言う。それは昭和元年の暮からはじまったとのことで、氏は次の如く語るのである、「当時或晩一二時頃、何とも言い知れぬ、いい気持になって、いくら黙っていようとしても喋りたくなって仕様がない、而も自然と口をついて出る言葉は、奇怪にも、全々自分の思いもよらぬことばかりで、どうしても自分自身で言っておるとは思われない。それ以来三カ月位は引続きこんな現象が発生した。その間、家内に命じて筆記させ、それが一冊子となって保存してあったのが、当時官憲の圧迫甚しく、穴をほって埋めて置いたが、尚お安心ならず、ついに焼き棄てた。今は当時ほど頻々ではないが、それでも時々そうした状態が起る」

かかる現象は、物質科学者の眼には単なる精神異常態と映るであろうが、心霊科学からすれば興味深き問題である。

茲に於てか余は、聊か心霊問題について述べねばならぬ。

一八四八年、ニューヨーク州の一寒村ハイズヴィルに発生したフォックス家の幽霊事件以来、北米各地に、千変万化の異常現象が相ついで発生し、漸次それが英国にまで飛び火して、一世の耳目を聳動せしむるに及んで、シカゴの心霊家、カドワレェダァ夫人等の活動となり、これが心霊現象研究の端緒となったのであるが、最初はただ、不思議、不可解、奇蹟、許術、幻覚等と殆んど問題視されなかった、併し種々研究を重ね、漸く科学的正確さを有する事実たることが判明し、其の必然の結果として、爰に従来と見方を異にする人生観、哲学、信仰が、漸次定形をなすに至った、それが今日世界の有識者階級に勢力を拡大しつつあるスピリチュアリズム(神霊主義)である。

スピリチュアリズムは、吾等の自我は大我の一分子で、各自自我表現の機関として、肉体、幽体、霊体、本体の四つの体を具えておると説き、各人の肉体に霊魂が宿っておること、肉体を離れた霊魂が彼岸に存続すること、人間界と霊界との間に交通が出来ることを説明するのである。即ち一切の森羅万象は、宇宙精神の顕現であること、従って各自が同胞関係にあること、各自が永遠に向上進歩の途を辿ること、等を綱領としておる。

今まで、心霊現象実験の結果、心霊写真現象、卓上其他の浮揚発生現象、物質化現象、直接談話現象、物品引寄せ現象、直接書記又は直接作画現象、霊視現象(透視、千里眼)、霊言現象、自動書記現象、等が確認され、我国に於ても、近来盛に行わるるに至った。

心霊現象の実験も、其の初めは暗室にあらざれば成功困難とされ、ために兎角の疑問を生じ、且つ非難さるる原因ともなって、一般に、成果を示す上に支障となっていたのである。然るに近来、卓子に夜光液を塗布し、霊媒の体躯を縛る等、種々の工夫をこらし、その疑惑の排除に努め、また赤色微光の電灯の下に於ても、実験を行い得るに至り、ここに心霊科学は世界的に重要な地位を占むるに至った。

心霊現象の実験には、必ず霊媒を必要とする、霊媒は、物質世界と、超物質世界との交通連絡を営む、中継者で、其の性質、種類は、極めて多種多様であるが、大別して、原料供給の物理的霊媒、没我的の巫女型霊媒、感応式霊媒、の三種類とみてよいであろう。

原料供給の物理的霊媒は、霊界の居住者即ち霊魂が、物質界に近づき、何人にも判る方法で、彼我の間に交通しようとする時、原料を提供する役割を演ずるのである、即ち、霊媒の体躯から抽出された原料は、一般にエクトプラズムと呼ばれ、一種の半物質的流動体で、有形から無形に、無形から有形に、自由に変形する性質を有し、霊界の居住者は、このエクトプラズムを原料として、卓子を浮動し、または幽霊の形をつくって、吾等に見せるのである。

従って、心霊現象が起って居る最中に、霊媒の体重を計ると、その体重が減っておる、而も浮動した卓子の重量と略ぼ同様の重量が減って居るのであるが、現象が済んでしまえば、抽出された原料は、再び霊媒の体躯にもどり、体重は元に復する。現在、欧米諸国に於て、この種の傑出した霊媒は、ニューヨークのヴァリアンタイン、イタリアのスコット侯、英国のホープ、ポーランドのクオスキー等で、我国では、萩原、津田、亀井の諸氏等であると言う。

没我的巫女型霊媒は、普通霊媒の意識を遮断し、これを霊魂に貸し与え、其の機械の役割をなすもので、英国のレナルド夫人、わが国では、中西りか女史等が優秀な霊媒とされておる。

感応式霊媒は、自己の敏感性を利用して、霊界から放送される霊波を受取る役目をなすもので、巫女型霊媒が、全々無意識の入神状態に陥入るに反し、この種霊媒は、恍惚又は半恍惚の放神状態に入り、自己の意識をそのまま保有しながら、自己自らを受身の状態に置いて、霊界の消息を感受するので、この感受性は、天眼通、千里眼、透視、自動書記などとなって現れ、また霊言能力ともなり、霊聴能力ともなるのである。この種の卓越した霊媒は、英国のドーソン・スコット女史、ワード氏、トラヴァース・スミス夫人、米国ボストンのパイパー夫人などがあげられておる。

岡田自観氏は、或はこの種に属する最も優れた霊感性を有する人ではあるまいか。かかる霊感性の豊かな人には、驚くべき神通力を発揮するものがあるからである。

尚、霊言現象について考察するに、霊媒固有の守護が表面に立ちて発言する場合と、霊媒の守護霊は裏面に退き、他の霊魂が霊媒の肉体を使って発言する場合とあるようである。これは霊界の、ある霊魂が思念を放送すると、その念波を、霊媒が感受し、それを自分の言語に飜訳して発表するものと思われる、故に、動物霊が人語を語り、外人が日本語を以って話すこともある。それは先方より放送するものは、ただ思念だけであるから、霊媒が、その思想を自己の言葉で述べるわけで、そこに何の不思議もない訳である、従ってかかる場合最も困難を感ずるは、固有名詞の伝達で、固有名詞は単なる符丁に過ぎず、そこに何の意味も、思想も含まれていないからである。

ここに特に注目すべきは、霊波を感受する人、即ち霊媒が人格高潔である程優秀な成績が現れ、またかかる霊媒には立派な守護霊のついておることで、下品な性格の霊媒には、碌な霊言現象は起らないようである。また霊言現象の場合、霊魂は決して霊媒の頭脳から、その思想を借りることなく、ただ霊魂自らの思想を表現するに必要なる材料を、霊媒から借りる丈である、従って、霊媒の提供する材料が、豊富であればある程、通信が容易であるように思われる。

岡田氏の守護霊は、相当高級なものであることは、氏が霊感によって得たりと称する言葉の中に、深淵なる思想、高遠なる宇宙観が盛られておることによっても察知されるのである。それ等については、後に詳述するであろうが、更に心霊現象の信憑性を確認しおくことが、岡田氏を知る上に利便するところ少なからざるを思い、心霊現象の実験記録を調査し、信用すべき二、三を掲載して参考に供することにした。

一 ジェームス教授とパイパー夫人

オリバー・ロッジ氏の著書より

パイパー夫人は一八八九年の秋に於て我が「心霊現象研究会」の懇請に由て英国に来ったと雖も、勿論それ以前よりアメリカの同研究会員には知られておったので、実は一八八五年ウィリアム・ジェームス教授に「発見」されたものと謂っても宜しいのである。ジェームス教授が初め彼女の交霊会を実験した事、及び其最初の懐疑が破られた顚末は該教授自身の証言に依って観れば甚だ興味あるものである。今左にジェームス教授より我が研究会へ提出された報告書の概要を摘録するであろう。

ジェームス教授の証言―「余は一八八五年の秋初めてパイパー夫人を知るに至った。愚妻の母ギッベンズ夫人は夏中一友人よりしてパイパー夫人の事を聞かされたので未だ霊媒という者を見たことが無かったので、好奇心よりして彼女の交霊会へ往った。ギッベンズ夫人は帰って語った。パイパー夫人は、自分の親戚の名を沢山に告げ、而して、彼等相互の関係を一々説いたが、如何にして之を知っていたか不思議で、到底神通力が無くては出来ぬ芸であると。其翌日、愚妻の妹が往ったが、是は更に優れた良好の結果を齎らして帰った。特に左の一事が彼女を驚かしたのである。

彼女は其の携えていた一書翰をパイパー夫人に手渡したところ、夫人は之を額に当てて、之が筆者の身分や境界を詳細に告げた。然るに該書翰はイタリア語で書いてあって、殊に其筆者はアメリカ中只二人にしか知られておらぬ者であった。

其後余は妻とともに同イタリア人よりせる、他の書翰を携えてパイパー夫人を訪うたところ、夫人は其筆者の如何なる人なるかを語って頗る詳らかなるものがあった。是より二年の後、三度目に余はギッベンズ嬢と共に重ねてパイパー夫人の交霊会に臨んだところ、夫人は其神遊中、再び先年の二書翰に説き及び、今度は其筆者の姓名をも明らかに告げたが、先年は咄嗟の際で其人の姓名を知る能はなかったと付言した。

最初に帰りて一言せんに、余は当時外姑や義姉妹の前に懐疑家の態度をとり、単純な心理を以て該奇蹟を説き去ろうと試みたのを記憶しておる。但しそれにも拘わらず、数日の後余は、妻とともに、直接の印象を得べく、再びパイパー夫人の交霊会へ往ったのである。この訪問より前には我々の名は一度もパイパー夫人に告げられてなかった。而して又愚妻も余も倶に自分の親戚が嘗て夫人を訪うたと言う事は秘していた。然し乍ら霊媒は、神遊に入るや、以前の二会で挙げた我が死亡者の名を繰返し、更に新しい名を之に加えた。其等の名はすらすらとは綴られず、渋って徐々と出て来た、先ず愚妻の父の名ギッベンズは、ニブリンと唱えられ、次で、ギブリンと綴り出された。我等が先年喪った小児ヘルマンは、ヘルリンと綴り出された。斯く姓名には其綴字の間違った者もあったれど、其人々の経歴について説き出された所に徴すれば、大抵的中して、殆んど其間に疑を挿さむべき余地がなかった。

此際の訪問に於ては、我等はパイパー夫人の使う、霊と称するフィヌイットに、其困難を助け遣るべく何等の助言をも添えず、又何等の誘導質問をもかけなかった。但し、其後々の経験に徴すれば、此事は最上の策ではないと信ずる。若し此神遊者に、其考え出せずに行き詰った姓名や、出来事を教えるならば、彼は直ちに之を承けて談話は綿々と続け行くのである、而して其談話中に、幾多の材料を供給する。

此の第一回の会見後、余は先ず斯う感じた、パイパー夫人は或は神通力を有しておる、或は愚妻が生家の人々を顔で知り、或る境遇に由て彼等の家庭に善く通じ、斯くも此の驚くべき印象(感動)を生じ得たのであろうと。然るに、余が爾後の経験(夫人の交霊会に関する)及び夫人との相識は、余をして断然と、此第二の推測を放棄せしむるに至ったので、余は彼女が一種の神通力を有する者と信ずるのである。

余は実験の為め、彼女に催眠術をかけてみようと試みたが、最初の二回は不成功であった。第三回目を試みる前に、余は神遊中彼女のコントロール(彼女が使っておると称するスピリット)に向いて、次回は彼女に催眠術をかけるであろうと告げて、承諾を得た(此種の暗示は若し催眠術に於て与えたならば次回の催眠の際に多少の効力を生ずるであろうと思ったからである)。

第三回目に彼女(パイパー夫人)は果して幾分かが催眠された、然れども其催眠は極めて浅かったので、余は之を夫の暗示に帰するよりは、寧ろ再三反覆の結果に帰した。第五回目にパイパー夫人は可なり善く催眠されたように見えた、其筋肉上にあらわれた様子に依って見れば、如何にも善く催眠されたのである。彼女が此半催眠状態に於ける様子は、其の神遊状態に於ける様子とは大いに異なった。

神遊状態に於ては、筋肉上に激動を生じ、其耳までも動いて異常の大なるを示した。之に反して、催眠状態に於ては、彼女が筋肉の弛緩非常に大なるもので、其声は辛うじて聞ゆべく、手を曲げさせるにも、強い暗示を繰返さねばならなかった。また神遊状態に於ては、彼女の瞳孔は大いに縮少した。神遊中彼女のコントロールに向って、彼女をして、其の神遊中に言った事を、記憶せしむるよう暗示して、承諾を得たが、何等の結果も無かった。併し乍ら催眠術のトランスに於ては、此の如き暗示を施せば、往々患者(或は被術者)をして催眠中の事を記憶せしむるであろう。

パイパー女史に於ては、カルタや図書を当てさせて試験する、伝心や、読心の徴は更に発見されなかった。前記催眠中に於ても、其後に於ても、絶えて之が痕跡を認めなかった。神遊状態に於て、コントロールが之を約したにも拘わらず、二回試みたれども、夫人はカードを正しく当て得なかったのである。彼女は亦覚醒時に於ても、カードの名をいう如き、読心的能力をあらわさなかった。思念戯(ウィリング・ゲーム)及び普通の自動書記に於ても、亦等しく彼女は成功しなかった。

証拠に由て言う限りは、彼女の神遊は彼女の心理上に於ける一種特別な状相である。此の事は若し果して十分に確立し概括されなば、重要な結果を齎すならんと雖も、孰れとも論決するには猶レコールドの甚だ不完全なるも奈何せん。併し乍ら茲に余は、二年ばかりパイパー夫人の交霊会に出席することを廃したのである。固より其処に真箇の一奇蹟が行われているとは確信したれど、時間を要する教習に忙殺されていたので、之が研究に手を下し得なかったのである。

併し乍ら其二年間の中にも、一度偶然に彼女に会ったのである、殊に一八八九年の春に於ては四度も彼女を見た、而して一八八九年の秋に於ては、彼女はニウ、ハムシャルに於ける、余の別荘に一週間の訪問をさえ為したので、余は親しく彼女の人と為りを知って、其の単純にして正当なる人物たるを確知し得た。

然れば余は、今や己が名誉を賭しても彼女の為めに、其行事の正真なることを弁明するを辞せぬ者である。終に臨んで余は再言するが、パイパー夫人に関して余が知る所を悉く綜合して見ば、余は其結果として左の如く断言するを毫も憚らぬ、即ち「パイパー夫人は、其神遊状態に於ては、覚醒状態で到底見聞し得られざる如き幾多の件々を知っている者である、彼女の神遊を解説すべきフィロソフィは、未だ発見されぬのである」と」

彼女の神遊的通告が限局を有する者で、往々断続する事は、人をして不徹底の不快感を懐かしむる無きを保せねど、学術上よりして之を観れば、是れ其の最も興味ある研究点と謂わねばならぬ。如何となれば限界ある処には条件がある、而して此等の条件を発見するのが常に必ず説明の端緒である……

二 直接談話現象

浅野、脇両氏共著心霊研究中の一節

記事中余とあるは故浅野和三郎氏のことなり

直接談話現象というのは、霊界の霊魂が霊媒の口を借りずに、直接空中から音声を発して談話を交換する現象で、英米二国に於て熾んに行われ、イタリアにも最近発生しました。まだ不慣れの霊魂が喋る時には音声が低いので、そんな場合によく拡声用の喇叭を用ゆるところから、そうした霊媒を喇叭霊媒などとも呼びます。直接談話の霊媒は稀に入神状態に入るのもありますが、多くは普通の覚醒状態に於て、他の立会人達と共に出現せる霊魂達と問答します。又実験中に普通暗闇にしますが、赤光線下でも起ります。ただ暗闇よりは音声が遥かに低いようです。直接談話の内容装置はまだ不明のところもありますが、それが一の物質化現象であることは疑われません。即ち例のエクトプラズムに於て臨時に適当なる発生機関及び喇叭を操縦する為めの運搬機関を作成するのでしょう。その必然の結果として成るべく暗闇を要します。燐光性の帯を喇叭に余計付け過ぎても霊媒の方で不便を感ずるようです。直接談話に対して一番向けられる難癖はそれが一の腹話術だという事です。しかし之を打破すべき実験はすでに屡々繰返され、殊に一九一八年ロンドンのウァレエス博士はスーザンナ・ハリスに対して徹底的実験を遂げました。博士はある薬品を加味せる液体を霊媒並に研究者の一人にふくませ、実験後その中に溶解せる唾液の分量を比較しました。其他霊媒の口を絆創膏で塞いだり、霊媒と霊魂とをして交話せしめたり、有りとあらゆる用意を以て実験を行ったにも拘らず、依然としてこの現象は起りました。この現象の確実性は最早疑うべき余地がなくなりました。現在直接談話の霊媒として有名なのは、リイト夫人、ヴァリアンタイン・ハリス夫人、クランドン夫人、ジョンソン夫人、ウッドウァース夫人等多士済々であります。私は昭和三年欧米心霊行脚を試みた際に、前記のヴァリアンタイン・ハリス夫人、クランドン夫人、ウッドウァース夫人其他数人に就きて実験を試みましたが、あらゆる心霊現象の中で、この直接談話から恐らく一番多大の印象を与えられたかと思います。通例立会人と何等かの縁故ある霊魂達がかわるがわる室内に現われ、各自特有の音声、特有の語調で、いろいろの国語を自由自在に操り、極度に現実味に富んで居りますから、とても詐術だとか、潜在意識だとか腹話術だとか言って済ましている訳には行かなく感じました、現在ロンドンで知名の文士であり、又紳商である、ブラッドレー氏なども、前年米国の名霊媒ヴァリアンタインを通じて、亡姉のアンニィと直接談話を試みたことによりて初めて死後に於ける個性の存続を知り、それがよほど心魂に徹したものと見え、爾来極度に熱心なる心霊家となり、幾度も自費を抛ってはるばる米国からヴァリアンタインをドリンコートの自邸に招き英国第一流の文士、俳優、政治家、軍人その他をして連続的に実験に立会せました。ですからロンドンの在住者で少しく気のきいたものは大抵直接談話現象のお順染であります。此等の実験記事は『ウイズドム・オフ・ゼ・ゴッヅ』『トワーズ・ゼ・スタアース』の二巻となりて広く世間に流布して居ります。その中から日本人に取りて特に興味深き個所を抄出します。一九二五年三月三〇日夜の実験に出席したのはデンマーク公使夫人その他の歴々の外に日本の英詩人としてロンドンで有名な駒井権之助氏が加わって居ました。ピープル紙の主筆ハンネン・スウアッファー氏も居りました。ブ氏の報告記事には斯う書いてあります。……やがてノースクリッフ卿の霊魂が現われてスウアッファー氏と談話を交えた。ノ卿は又駒井氏とも物語った。ノ卿は生前駒井氏と親交があり、その文学的天才に対して非常に尊敬を払っていたのである。と不意に一つの声が日本語で駒井氏に話しかけた。最初は甚だ不鮮明であった。そしてその何人であるかは、遂に突きとめることが出来なかった、が駒井氏の説明によれば、右の声はある日本の人名と地名とを挙げ、自分は切腹した者の霊魂であると述べたそうである。駒井氏には、それが何人であるかの、大概の見当丈はついているとのことであった。むろんわれわれや他の何人も、日本語を知っているものはなかったが、デンマーク公使夫人の証言によれば、右の霊魂の用語が、日本語であることは確かであるとの事であった。次いで一つの音声が公使夫人に話しかけ、夫人はデンマーク語でそれに答えた。すると右の声は「どうかロシア語で話して下さい」と言い、自分は夫人の兄のオスカーである旨を告げた。二人はしばらくの間ロシア語で対話した。一九二五年三月一八日の晩のブ氏邸に於ける実験には一層面白い顔触れが揃いました。即ちコナン・ドイル夫妻、シェヴァリアー夫人、スウアッファー氏、駒井権之助氏、その他でした。最初出現したのは例によりて霊魂の守護霊達で、かわるがわる座客と談話を交換しました。つづいてシェヴァリアー夫人の亡夫が現われて、夫人と長い問答を試み、その特有の音調といい、又その問答の内容といい、到底他人に真似のできないところがありました。その次にコナン・ドイルの息キングスレー(欧州大戦で戦死)が現われて、地上の父母と情味たっぷりの物語りをしました。が当夜の出来事中、最大の劇的事件は日本語で駒井氏に話しかけたものがあったことでした。例の光帯を付けてある喇叭が、独りでに急に動き出し、最初は力が弱くて二度ばかり床上に落ちたが、最後に右の喇叭が駒井氏の顔のすぐ前に接近して「ゴンノスケ!ゴンノスケ!」と呼びかけました。最初の音量はやや不充分であったが、漸次勢力を増し、やがて「オオタニ」と名告りました。駒井氏は直ちにそれが何人の霊魂であるかを確認することが出来ました。他にあらず大谷というのは数年前に死んだ同氏の実兄だったのです。幽冥所を異にせる兄弟の間には、日本語で対話が行われ、大谷さんは、自分の子供達の事を駒井氏に頼んだということです。私は一九二八年秋、ロンドン滞在中、一日駒井氏を訪問し、半日程閑談しましたが、その際、私達の間には勿論、右の実験に関する談話が交換されました。駒井さんはブ氏の書中に書いてあることが全部事実に相違ない旨を証言し、「誠に不思議なことが出来るものです」と言っていました。私の実験した直接談話現象の中では、昭和三年一一月一七日の夜、ボストンのクランドン博士邸で行ったものが特に私の心に強く印象づけられて居ります。何しろ、その時直接談話の二大霊媒たる、クランドン夫人とヴァリアンタインとが一室に控え、両人協力して実験を行ったのですから、その成績の優秀なのは蓋し当然の話で、恐らく斯んな機会はめったに二度と掴めないかも知れません。当時の私の手帳から要点を抄出します。一七日午後八時三〇分一同実験室に入りて着席、クランドン夫人は正面の小卓子を前にして坐り、その左側にはヴァリアンタインそれから浅野、ロージャース博士(ハーバード、スミス大学の心理学教授)キアノン判事、同夫人、ジョンソン博士、クランドン博士等の順席で卓子を囲んで坐る列外にも数人加わる。赤灯に変るや否や守護霊のウォルターの口笛先ず空中に起る。霊媒の口辺から約三フィート乃至四フィートの距離にある。つづいて「ハロー」とやや錆のある元気の良い、青年らしい声で呼びかける。列席者の大部分は、懇意な人間に対すると全然同一気分でウォルターと挨拶を交換する。私は初対面なので、多少丁寧に「ウォルターさん、お目にかかるのは今晩初めてですが、雑誌や書物の上であなたの事はよく存じて居ます。私の為めに実験に応じて下すって誠に有難う存じます……」「イヤ、アサノさん、よくお出掛けくださいました。今晩は日本人の霊魂も数人ここに現われることになっています……」まるで生きたアメリカの青年と問答するのと少しも変らない。ウォルターが斯く活動している間にいつしか霊媒のクランドン夫人は深き入神状態に入り軽き鼾がきこえる。ヴァリアンタインは平常の通り談笑自在、その中ヴァリアンタインの守護霊達も、すてきに大きな声で室中から呶鳴り出す。「日本人の霊魂達が近づきつつあります」などという。要するに守護霊達は、直接談話で自由自在に列席者達と問答し、実験に関する注意を与えたり、時には冗談なども言うのであります。殊にウォルターの霊魂は、機智縦横といった形で、ちょいちょい警句を吐いて、われわれを笑わせた。日本人の霊魂が、喇叭を通じて話しかけたのは、他のいろいろの実験が済んでからで、多分九時半頃でもあったろう。卓子の傍に床上に置いてあったアルミの喇叭がいつしか独りでに空中に舞い上り、先ず軽く私の肩に二、三回触れた。これは私に対する挨拶なのである。私は早速日本語で「何誰ですか?」と質問すると、最初は喇叭を通じて発せらる返答がいかにも低声で且つ不明瞭であったが、しかし数回問い返し結果「ワタクシ……オサナミです……オオサ……オサカ(この辺不明)アリガトウ……サヨナラ……」という言葉丈は立派にききとれた。つまり大阪の、故長南雄吉氏の霊魂が、私に向って試みた霊界通信であることに疑惑の余地はないが、前記の数語の外、他の日本語がよくききとれなかったのは残念であった。因みに右の長南雄吉という人は、大阪の実業家で、茶臼山の付近に住んで居ました。その実姉の長南年恵という人が、近来日本が生める最もすぐれた霊媒だったものですから、私は大正一二年の春、わざわざ同氏を茶臼山の閑居に訪ねて、其経歴をきいたことがあります。其後両三年にして長南氏は鬼籍に入り、再び地上で面会の機会がなかったのでした。同氏の霊魂が、わざわざボストンの空に現われたのは、私が海外でしきりに年恵女の霊媒能力を紹介したことに対する感謝の意味だったと推察されます。翌一八日の晩には、私は更に直接談話現象その物に対する最も厳正なる実験を行いました。即ち空中に聞ゆる声音が、全然霊媒の発声機関を使用せざる、独立的存在であることの試験であります。立会人は一七日の晩と同樣でした。手帳から抜萃します。クランドン夫人は例の口枷を付ける。それはガラス製のもので、ゴム管でU状試験管に連絡し、少しでも発声すれば、直ちに試験管の液体に影響する巧妙なる装置である。実験に先立ち余及びロージャース博士が、再三右の口枷を試みたが、到底試験管の液体に影響せずに発声し得ぬことを確めた。間もなくウォルターの声が空中に起る。余が日本語で「一、二、三」と唱えると、ウォルターの声が「イチ、ニ、サン」と唱え、順次「四、五、六」「七、八、九」等を試みる。夫人の口には立派に口枷が付いているに拘らず、ウォルターの声は何の影響を受けずに平気で空中に聞える。その声音が一つの独立的存在物であることがこれで徹底的に証明された訳である……

以上の説明と、実験記録により、心霊現象の確実性は略ぼ了解されたことと思うが、更に観音の信仰により、治病の神力を与えられたと見るべき、最も適切な実話を、故小笠原長生氏(元子爵)の記録より抜萃してみよう。極めて興味深きものがある。

「嘗て私の宅に、名物男として、親戚や知人から持て囃された山口用助(通称重吉と申しました)と言う老僕が居りました。彼は嘉永元年(紀元二五〇八年)一五歳で、始めて私の先々代に仕えて以来、大正五年(彼は同年私の宅で病歿しました)に至るまで実に六八年間、忠実に尽して呉れたのであります。好事門を出でずとは、まだまだ誠意が至らないからで、暗夜の梅花が薫でそれと知らるる如く、袖屏風に名聞を蔽うて居た彼の善行も、何時しか世間に伝えられ、厳重な調査の後、明治四五年七月二〇日、東京府知事より木杯一組に左の賞状を添えて贈られました(此の顛末は、精しく豊多摩郡誌に載せられています)。

「資性廉直幼にして能く父母に事う年一五出でて唐津藩主に仕え以来茲に三代六四年其の間維新前後世局多難に際し藩主の命をふくみ他藩に往来し又藩士の従者となりて屡危地に入りしも忠実能く其の任務を全うせり曩に老衰の故を以て骸骨を乞いしも忠勤老衰に及ぶを愍み許されず然れども猶お素餐を屑しとせず請うて門衛となり又邸内を洒掃して其の分を尽しつつあり他の僕婢其の薫化する所となり皆能く主に仕うという以て至誠人を動かすものあるを知るべきなり洵に奇特とす之に仍て其の賞の為め木杯一組下賜候事」

私も自分が賞められた程感激しまして「お目出度う」と申しますと、彼もさすがに嬉しいと見え「みな隊長(彼は時々私を斯う呼ぶのです)のお蔭だよ」というてホロリとなりました、彼には実子がなかったせいもありましょうが、一方ならず私を可愛がって、六、七歳にもなったものを懐中に入れ、頭を撫でながら、焼芋など呉れたのを記憶して居ります、こんな関係であったものですから、彼は死ぬまで私を小児扱いして、あまり敬語などは使いませず(尤も概ね誰れに対してもそうであったのですが特に私には無遠慮だったのです)唐津弁まる出しで「何しちょるか」「これ遣ろ」と言う調子、それがまた言いしれぬ懐しみを私に覚えさせるのでありました、丁度死ぬ半歳程前の事でした、或る日彼は庭から私の書斎に参りまして、懐中をもごもごさして居りましたがやがて無造作に一封の金子を取出して私の前に置き、「さあ遣ろう」彼の性質を熟知しておる私も、この不意打には面喰わざるを得ませんでした、そこで先ず坐らせて、一体どうした訳なのか。とたずねて見ましたが、頑強に故郷なまりを守ってしかも極端に訥弁な彼が、更に頗る興奮もしているから小鼻を張り口を尖らせるのみで、要領を得ない事夥しかったのです、が段々気を鎮めさせて、ようやく理由が判って見ますと、なんという優しい心根でしょう!私が書生時代に小使銭に困ったのを承知している彼は、今でもそうではないかと考えたらしいので、十数年前より、私に呉れるため、多くもない給料の中から、ポツポツ貯えたのが積り積りて相応の額になったのです、所がこれに関して彼には二つの懸念が生じた、即ち恩に着せないようにして贈りたい、と言うのと、私が快く受けて呉れるだろうか、という此の二つなのであります、是に於て彼は一生の智慧を絞り、私が閑居せる時機をうかがって忍び寄り、有無を言わさず贈ろう!好計い!それに限る、とさてこそ件の不意打となり、懐中もごもごとなり、口尖らせとなった次第、いやはや手数のかかった贈物では御座いますが、私は其の滑稽に一入泣かされたのであります(私は此の金子を以て邸内に祀ってある祖先の小祠の鳥居を造らせ山口用助奉献と刻みて建てさせ今も存しています)。彼は前後に唯一度、私に希望を申したことがあります、それは、自分の墓に私の家の紋をつけることを許して呉れ、とのことでありました、勿論即座に其の請求を容れ、彼の歿後私の菩提寺なる浅草の幸龍寺に葬って、其の希望通りにしてやりました。

亡父も大層彼を愛しまして、よく「用助は尭舜の民だ」と評して居りました、その意味は、啻に彼が無邪気で正真であるという許りでなく常に人生の本領を光明面に在りとし、濁世を透して寂光土を観たことを讃めた言葉のようでした。是真に大宗教家の観念であって、斯かる清浄な心の泉に、どうして菩薩の月影が宿らずにおりましょう、否それどころでは無い、実は心其の儘が菩薩なのであります、果せるかな彼用助は、幼少より無類の観音信者で、物心ついた頃から、郷里の村はずれに在る些細な観音堂にひまさえあれば参詣して、水を上げたり草花を供えたりして居たのです、然うするうち一四、五歳になりましたが、或る日の夕方、例の如く参詣して一心不乱に拝んでおりますと、御本尊の方から、颯と一陣の風の如きものが来て胸の中に這入ったような気がしました、すると其の後何時とはなしに十句の観音経を覚えたそうであります、之は私がしばしば彼の口から直接に聴いた所でありますが、それが現実であったのか、若くはそう感じただけだったのかさえ、判然しない程口不調法の上に、言うことに秩序が立っていませんので、今述べたように明瞭に話した訳ではありませぬけれど、意味は正しく然うなのであります、之を心理学者の側から観たなら此のお経を用助が何時の間にか聴いた事があって、潜在意識となっていた所が偶々観音と言う刺戟に会うてそれが出たのだ、と言う解釈になるかも知れませぬ、併し潜在意識なるものは何うして出来るのか、と段々詮じ詰めていったら、結局は不可解と言うことに帰する外ないでしょう、それは別問題として、十句観音経を授かったと信じて居る用助は、晩年になってから、何時とはなしに、精神療法で、苦しんで居る人や、貧しい人達を沢山治療し、通算したら何万人と言う数に上ったでしょう、所が、その方法は頗る簡単で、患者の患部を押え(患者が黙って居ても、触りながら何処が悪いと能く言い当てたりしました)例の観音経を唱え、其れが終ると同時に、呍と気合を懸けた上で、ふーと長く呼吸を患部に吹きかけた丈けであります、が段々と効験が著しくなって、殆んど奇蹟の感があるようになりました……」

従来、心霊現象の実験は、内外幾多の人々によってなされ、而もそれ等の人々には、科学者あり、評論家あり、政治家あり、哲学者あり、またそれぞれ智識階級による心霊現象研究会も組織され、実験方法も極めて科学的正確さを期し、今は既に疑問を挿む余地なきまでに発達進歩しておるも、霊的治療法は、未だ研究方法も、研究の組織も、爾かく完全ではない、従って一般心霊現象の研究程多くの実験資料を提供し得ざるが故に、兎角疑問視され易いのであるが、而しながら、敢えて遠くキリストの奇蹟に遡ぼるまでもなく、古今東西その例決して少くないのである、ただ近世約二〇〇年に亘って、世界を風靡し来った、物質万能主義の科学教育に眩惑され、その研究はおろか、これを口にする者すら、無智識階級の徒として、擯斥され、軽侮さるるのみならず、往々法によって弾圧さるる等、百方阻止され、阻礙され来った結果、潜在的となり、穏密的となり、非活動的とならざるを得なかったのである。

然るに、久しく横暴を極め、宇宙観を誤った物質科学も、電子の発見によって、完膚なきまでに粉砕され、万有は霊的存在なることが証明さるるに及んで、近来漸く識者の関心を喚起し、殊に医学の大家に、霊的治療を唱道するものすら生ずるに至った。かくて、侮蔑、擯斥より、俄かに研究的興味へと、急転廻しつつあるのが今日の状態である。

ここに於て余は思う、岡田氏の心霊現象も、霊的治病も、好個の研究資料としてこれを扱い、好意と興味を以ってこれに対すべきで、既に崩壊せる物質科学に囚われた頭脳を以って批判し対処すべきでないと。