群馬県O・M
昭和二一年大先生から無肥料農耕のお話を拝聴致し、物心
両面行詰った農村を打開するには此れより他に無しと考えそれを会員に話すに就いて、無肥料農耕の正しきを認識させる為、実際に栽培する事が最捷の途と考え二、三熱心な会員に実行せしめました。
先年私は安政年間の上州の各大名の禄高を調査して見るに七九万四〇〇〇石あったのに対し、現在の群馬県の供出高は約八〇万石である事実に何かしら割切れぬものを感じておりました。
従来禄高を取り立てていた頃の耕地の面積に比し、現耕作面積は三割程度の拡張をみており、而も肥料に就いて見れば、徳川時代初期迄は僅かに人糞施肥で耕作しており、徳川光圀が堆肥を施す事を発見推奨したが、近時金肥を盛んに利用する様になり、戦争と食糧増産の緊密性より愈々金肥の科学的研究は進歩し農耕に必要欠く可からざる要素として巷問、一点の疑もなき迄になり、農村人にとっては肥料無しでは食糧の増産は不可能なりとの信仰にまで立至ったのである。 然るに斯くの如き肥料が進歩し耕地面積が三割も拡大されているにも拘わらず、その結果が殆んど同様でありとすれば、その結果は三割の増加面積丈が減収という反対現象を生じた事になり、施肥こそ反って有害無益と断ぜざるを得ない事と愚考致すに至りました。彼の所謂精農家と呼ばれている人々自身、果して適正量の施肥を為したとしても収穫時迄安心して待てるでありましょうか。風につけ雨につけ、水害、風害、干害、虫害等に絶えず不安と順天良候を心に願うという事は、肥料だけに絶対の信頼を傾け得ず、何かしら大自然の偉力こそ栽培の良否を左右するものと断ぜざるを得ない考えであった。
茲に於て吾々は世人嘲罵と家族の不安を耐忍慰励しつつ敢然と無肥料栽培を実施したのである。会員は只管に神助を信じたのであった。その結果は第一年目は分けつ七-一〇本位で二割五分減収となり、二年目は分けつ一二-二二本となり一割五分の減収となり、三年目は分けつ一八―二五位となり一本の茎に二-三本の穂がつき俗に言う穂に穂が咲いたもの、夫婦穂が出たものもあり比較的茎は短大にして穂が充実してシイナがなく、 内容外容平均し増収の見込を得る事が出来る程度となり、最初の信念の如き結果を得られた事を実施者と共に喜び愈々確信を固め、第四年目より益々効果を得るの自信を把握する事が出来たのであります。茲に今年より初めて無肥料栽培を実施した人達の感想記を添付し参考に供したいと思います。
追記
無肥料栽培による減収が経済的な面と供出の関係より是と思う人達もいざ実行するとなると不安を感じる様ですが、無肥料栽培者は肥料購入代金の皆無に依り施肥者が収入の約一割四分程度を肥料代金に費消しているのに対して、之が不要となると第一年日の減収となり反面手持肥料及人馬糞の売却により第一年目と第二年目の実滅収一割二分を優に補塡し、且つ肥料入手困難の昨今之に対する繁忙と手間代を有効に活用して副業の充実を計り供出面の不備を補綴し得ているのであります。
従って、第三年目より右の条件だけ収入増加となり逐年増収高を併せ考える時、農村経済の好転は期してみるべきものがある事は明白であります。此の精神的肉体的安心感は農村に革命的幸福をもたらすのであります。
右の如き最初或期間の原因を大先生に御質ねした処、そのお答え左の如くである。
土壌及び種子共肥毒の為衰弱しているからでそれが年を経るに従い漸次肥毒が軽減し、全く無毒となってから良質増量の美果を得るのである。それには種類により早きは一、二年遅きは三、四年後、予期の成果を挙げ得るのである。
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千葉県H・M
此の度本部のT先生より、作物の無肥料栽培に就いて何か体験を述べよとのお言葉がありましたので、会員として最も光栄と存じまして、拙い説明では御座居ますが、左にその水稲無肥料栽培について御利益話を記し皆様の御参考に供した
いと存じます。
作物の無肥料栽培によって、増産が出来ると言うお話を伺いましたのは、今より数年前即ち日本浄化療法の講習を受けた想い出の年、昭和一九年八月のころで御座居ます。御承知の如く当時は大東亜戦争真最中でした。私も此れは良い事を聞いたと思い、それから作物を試験的に無肥料栽培して見ようと思いまして、特に水田一町歩の内二反歩だけ実行する事に致しました。最初の年(二〇年度)は四俵半(一石八斗)位で当地の平年作(五俵乃至六俵)を割りました。二一年度やや上昇しまして五俵半(二石二斗)、二二年度(昨年)には驚く勿れ七俵弱と言う成績を上げまして、無肥栽培の真価を発揮致しましたので初めて自信がつきました。
右何れも除草は二回ずつです。
昨年七月より私達のお仕事が日本観音教団となりまして、光が急に世の中に出たため昨年度は好成績を得られた事と思います。
植付けから収穫までの状況を申しますと、先ず六月の初旬に植付け、半月程経てから一番除草をやるのですが、その時はまだ漸く根付いただけで何の事もありません。それから半月程してから、二番除草をするのです。肥料の入った稲はその頃になると、もう黒々として見るからにたくましく伸びつつありますが、無肥料の稲は分けつも大した事なく艶もまた黄葉が消えず、本当に之で増収出来るかと思う位でありました。暫く経って七月半頃見廻りに行って見ると、艶も黒くなり、丈も伸びてどうやら稲らしくなって参ります。
八月初旬頃になりますと稲も出穂期になりますので、普通の稲と変らない位になって来ます。八月中旬になるとすっかり穂も揃い、幾分頭をかがめて来ますので見ても立派です。
八月も下旬になると、段々黄色を増し大きな穂を重々しく垂れて、主人が見廻りに行くのを美しい姿で待ち受けております。こうして収穫期に入るのですが稲草がかたくなりますので、雨や風が少し位やって来てもしゃんとして立っております。刈取りも済みやがてスルスを引き米にしてみると意外に升数の多いのに驚きます。此れは「モミガラ」が薄いので、米が割合に多く出るのです。モミは普通半ズリと言って一石のモミは米にして約五斗位です。無肥料米ですとモミの六〇%程出ます。
一、肉付きの良い大きな粒になる。二、光沢が美しい。三、目方が重い。四、食べて美味しい。五、他の米に比して保管にたゆる等々幾多の長所があるのであります。その一例を申しますと、普通の米一俵の規定貫数一七貫八〇〇匁で大体四斗-四斗一升を要しますが、無肥米ですと本年は四年目で未だ収穫期になりませんが現在迄の状態をかいつまんで申しますと、植付け後直ちに干害の為枯死状態となり、田へ入っても足へ泥も付かない程かたまったのです。
其の中に、もの凄い大雨が降り、一夜にして干潟八万石の耕地を湖と化してしまいました。稲は水の中で苦しい四、五日を過しましたが水が引くと稲はひょろ長く伸びて、田にペッタリと横になって目も当てられません。
揚句の果に水田の王者、ザリガニの猛威を揮う処となり伸された稲の胴中を、すっかりかみ切って終ったので、今年は皆駄目だろうと思い乍ら、自然のなすままに秋の来るのを待っていました。つい先達而、八月下旬に廻りに行って見てびっくりしてしまいました。何となればあれ程ひどく打のめされた稲が今目の前で見事な姿で大きな穂を波うたせていたのです。作況も昨年に勝るともおとらないと私は確信致しております。
被害当時は私の田が一番ひどくやられていたのですが今は近所の稲をひき離してたくましく成長しているのですから、一般の方が驚くのも無理ではないでしょう。右の様な事実が近頃会員の皆様から聞かれますが麦にしても甘藷にしても必ず会員の処のは近所のよりも成績が良いと言うところに、観音様の妙智力が働き、その僕たる私達に大いなる御恵を垂れさせ給うたのである。
私の体験談が会員諸君に得る処がありますれば、幸せこの上もありません。
私は今後一層観音様の御力にすがって地上天国建設の一端をになわせて頂き度いと深く思いを致す者で御座居ます。水稲栽培の御利益話は数々ありますが此の辺で御観音様の偉大なる御力を礼讃し筆を置く事に致します。
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岐阜県O・T
私は元々貧乏百姓のため肥料配給制度になって、 闇肥料は入手困難になりましたその頃より、止むを得ず堆肥のみにて耕作していました。処が当時の収穫は近隣の人々のが反当り六俵乃至七俵位の処、私方は約一〇俵内外の収穫でした。その故を以て篤農家だとか努力家だと評判されていました。
それが昨年教修を受けまして無肥料耕作の御指導をうけ、
私の今日迄の耕作が的中していた事がつくづく解らして頂きました。然し家畜の堆肥の不可である事を承り、早速昨年よりそれを止めて真の無肥料耕作を実施致しました処、昨年反当り一三俵の収穫を得、今年は未だ全部の収穫は未調査ですが、 一部の収穫は反当り驚く勿れ一五俵を突破致しました。
その無肥料耕作のお教えを戴きましたのも只管観音様の御蔭と思い、此の尊い御教えを一人でも多く御伝えして御恩の万分の一にも御応えせんと教導師補の資格を頂き布教に邁進しています。
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岐阜県O・T
一、稲作について
平年作、当地方は七俵半穫れた程度でしたが、昨年は肥料不足のため丁度良い機会と無肥料で耕作する事に決し、「モミ」「苗」に浄霊をした上、田植をなし、以後あぜより数回浄霊法を実施した結果、他家では例年の如く七俵半程度の収穫でしたが(勿論肥料は種々困難して入手して施していた様でした)、私は肥料を買う事もなく只観音様に専心おすがりしていました処、他家より反当り二斗位多く穫れ平均八俵という成績でした。
今年も同じ様に「モミ」「苗」に浄霊法をし、穫高の約半分程堆肥とし田に入れ、教修を受けたもののみにて田植を致しました。引続き五月初めには光明如来様をお祭り致しました。
只今坪八〇株位にて一株十五、六本茎強く、他家もうらやむ程の出来栄で、他家より一俵位多く御利益を頂けると思っております。
田の草取り及びその付近に行った時は、あぜより浄霊法をして家内中一生懸命です。
一、麦作について
屋敷畑に全然無肥料で、 朝夕浄霊を致しました処、 反当り八俵しかも「空モミ」は一粒もなく平年より良い麦が穫れました。
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静岡県O・B
私は無肥料耕作にて御利益を戴き喜びに満たされています。
私の村は山に包まれ耕作が少なく耕作労力を多く必要とする不便な地です。
私は二二年二月入信。当時、無肥料耕作法を聞かされても信じる事は出来ませんでしたが、度々の御面会を戴く様になってから何となくやって見たくなり、二三年度の稲にと思いつき種籾を分会長先生に御浄霊をして戴き早稲の苗田を作り、三月三〇日に籾種を蒔き数回浄霊をしました。苗が五分程のびた頃、烏が芽をくって困りました。先生に御伺いしたら烏がつつかない事も出来ると言われましたので、早速お願いして四隅に御浄霊した立札を立てた処、烏が少なくなり、二日目には一羽も来ないようになりました。観音様の御力のお蔭と有難く感謝し、五月五日に本田に植付けました。
六月一五日頃一番除草終りました。稲は黄色くてひょろひょろしていましたが、七月一五日前後二番除草を行う頃には大分大きくなり、十二、三本に分蘖しこれで稲らしくなりました。八月に入り他の稲より伸びてはいませんけれど、見るからに丈夫そうです。八月中旬の出穂期になると他家のものよりは分蘗は少なかったけれど穂はずっと大きく、九月に入り稲穂はずっと大きく、一〇月に入り稲穂は重々と頭を下げて日増しに色付いて行きました。
九月上旬ごろより全般的に「ウンカ」が発生し、他では毎日「ウンカ」取りに大騒ぎです。私は一匹の「ウンカ」も付くものかと思っていたが心配になるので行って見ると大変です。「ウンカ」は田の中程より発生、外へ向っています。さあ大変と私も焦りました。先生に御伺いしたらよく浄霊をしなさいといわれましたので、懸命に浄霊しましたがなかなかとれません。他家のは白く枯れた処が数カ所ありましたが、私は二カ所で喰止める事が出来ました。私の方は反当り二俵半から四俵というところです。他家では今年は平年作にいかないだろうと嘆いています。私のは少くとも昨年の七分はあると思って稲刈りも終り、籾すりをしてみて八分という上成績を得ました。私は肥料代と手間代だけ他より少なくて一年目にこの成績を得たのです。一家中、神の恵の偉大さを今更ながら有難く、一層努力すべく心に誓い少しでも参考になればと御報告をさして戴きます。 厚く御礼申し上げます。
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三重県K・S
無肥料耕作一年生を御報告させて頂きます。
当三重県は教団の布教が隣りの愛知、岐阜よりは大変遅れていたため、私も会に入らして頂いてからは、未だ一年半(昭和二二年三月二二日、 三重県河芸郡、 Kさん方にて教修を受く)しか経ておりません。初めから無肥料で三割の増収は可能だとか聞いていましたが、七〇の坂を越した父にはそれが納得させにくくて困惑して居りました。浄霊により多くの人の病気が癒って行くのを見、又自らも何人もの人の病気を楽にした後でした故、先生方の言われる無肥料耕作がしてみたくて、毎日ウズウズして、観音様に御願い致しておりました。
僅か半年そこそこで幸い願い叶って、二二年度麦作より農業の方は父が引退して私が全部責任を持つ事になりました。
ここぞとばかり小屋に積んであった化学肥料を全部売って終いました。と言うのは夏頃迄は家の中に、やはり観音様の御利益が絶対的であり、農作物迄にも御恵みが得られるという事が解り、私の家も教導所にして頂き日々お参り、或は浄霊にお出でになる方々を見ていて、家中の者が観音様の御利益の絶対にして想像することも出来ない偉大なるものである事が判ったので、誰一人反対する者もなくなっていたので、そうする事も非常に簡単に出来ました。
二二年の秋、麦の蒔付は近所の人々と同じように致しました。今度は大先生の無肥料耕作の論文が出るそうですが、当時は唯「一回でも多く耕作せよ」と先生から御聞きしていただけでしたので、何も判らないままに人が中耕(作物の根を耕す事)、土入れ(麦のまだ二、三寸の頃麦の頭から細い土を振り掛ける事)を三回程する所を私は四回致しました。然し光明如来様の御恵みを信じている私ではありますが、やはり生まれて初めての試みの事とて、心配で心配でなりませんでした。朝に晩に光明如来様の前に座れば「麦を獲らせて下さい。いい麦を稔らせて下さい」とお願いするばかりでした。
それが三、四月頃になって来た時、愈々隣の麦と自分の田畑麦の相違がはっきりして参りました。普通の麦は青々として濃緑そのものであるに反し、家の麦は色が淡く株も薄くなんとなく貧弱で、丈も他家のは一尺七、八寸程もある頃に、家のは一尺前後で中々延びないのです。
「麦稈はいくら大きくても収穫が少なければ何にもならない、観音様は小さい麦稈で大きな取り入れを教えて下さるのだ」と何時も先生方からお聞きしていました。又光明如来様の御光を信じている私ではありますが、時々襲って来る様に脳裏にひらめく心配は、打消しても打消してもやって来ました。その上「なんや、あそこ今年は可笑しな麦を作ったぞ」
とか、農業組合長が「あそこあんな麦で今年供出が出来るや「ろか」など陰口を耳にした時は「今に見て居れ、いい麦を沢山取ってびっくりさせてやるぞ」とそしり笑う人々にも相手にならぬ様にしておりましたが、やっぱり陰口を言われると余計に心配でした。然し穂が出揃う頃より、その心配も忽ち喜びと変りました。穂が大きくなると同時に当地方に於ては今年は大変な黒穂と雨が多かったため、一雨毎に穂及麦稈が腐り、茎の中程より殆んど折れ、充分結実せず、ひどい所では三割の減収、又は茎が中途で折れたため刈取りに農家は非常に苦しみました。然し飜って家の麦は黒穂は一反に一本乃至二本で殆んど皆無に等しく、 茎が中途で折れる等は全然目に当りませんでした。雨が降って他家は被害を受けたにも拘わらず、私の家では雨が降ったことによっては何の障りも受けず充分に結実し、初めは減収を覚悟して居りましたが、観音様は私等にひもじい思いをさせない為か平年作はゆっくりありました。
又一粒一粒の実ははちきれる様に大きく生長する頃の状態を知って居るものでは、実に其の変化の大きく無肥料耕作と観音様の恵みの大きいかに驚いて居りました。「あんたとこ今年はええ麦だすなあ、私等とこ今年は種になるのがない程だすわ」とか「へえー、これが肥料なしで取った麦ですか、えらいもんですなあ」とかつての悪口もどこへやら「肥料をおかなかったからこれだけの麦が取れたのだ」と家中の者の顔もほころびて、私も途中の心配したのが何か罪悪の様な気がして、今更に観音様に御礼と御詫を申し上げました。
麦摺りの結果、粒は円々と大きく俵にするさいにも、いつもは一六貫の一俵を作るのは四斗四升程必要であったものが、今年は目方がよく利いて、四斗二升たらず位で一六貫になり、供出には一目見ただけで検査員が「この麦はええ麦やなあ、今年はこんな麦はめずらしい。飛切の一等やなあ」と大鼓判をおしてくれました。これに自信を得まして、すべて無肥料で致して居りますが、こんどの米作には何だか引続き増収する様な予感があります。
事実稲の発育状況を見て居りますと、病毒なき潑らつたる生長を続けて居る様に見えます。家の事情で毎日浄霊に従事する事も出来ない私は、せめて無肥料耕作によって増産方法の型を示して、これに劣っても優る耕作法はないことの事実を一般に知らしめ、そしてそして日本農法改革に先鞭をつけたいと念願して居ります。斯くすることによって大きなみ恵
を戴いて居る御礼の万分の一を観音様に御返し出来るものと確信して、日々農耕に一心不乱努力を続けて居ります。
昭和二三年九月一日
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岐阜県M・T
私は農業に従事して化学肥料による土質の硬化と作物の不発育、及び耕作の困難を来たしつつあるを知り、予てより無肥料耕作をしてましたところ、フト観音耕作のお話を聞き二一年にお光を受けました。そこで早速大先生のお話の通り耕作を始め、三反歩の稲作につき浄霊をしました。稲は始めより好成績で秋落もなく多大の収穫がありました。籾は莚立「二枚つづき」に普通は八俵程入るのが籾摺をすると何と米は九俵の俵に収め得ることが出来、 籾の量は同じで一俵多く出ました。本年は反当り平均収量より五升の増収をみ、肥料の不必要であることを知り、 実に観音様のお蔭と感謝し、 増収増産無肥料耕作に努め本教発展に努力して居ります。
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石川県A・S
之は石川県石川郡加賀平野の中央に位置しております農家の信者の告白でございます。
今年は急に肥毒が目立って参りました由にて、麦馬鈴薯共に化学肥料の害を表わし、馬鈴薯は永年の肥毒の関係か収穫予定期より、一週間余りも早く茎部から枯れ出し詮方なく掘りました。芋は極めて腐り易く貯蔵のきかないものが多く、従って味も余り良くなかった由でございます。
麦稲作共に当地は盛んに化学肥料を用いた土地でございます。現在は戦時中から高価のため幾分少なくなっておりますが、従来通りに金肥を用いました稲作は草丈はあり、青々として青田の時は非常に豊作を思わせますが、愈々収穫期に入りますと草が非常に軟弱のため少しの風雨にも倒れてしまい、倒れないのは葉ばかり、のこり穂は至って小さく加うるに籾殻が厚く、実収穫は予想を裏切ったと申しています。
お話は別で御座居ますが私の隣り村に石川県の農事試験所が御座いますが、随分広い土地が費されております。稲作麦作はもとより大抵の農作物は栽培研究されております。広大な土地と莫大な人の労力と肥料の研究に全力を傾けている様に見受けます。何々肥料何割何日施与と細かく書いて立札が立てられてあります。
多数の県民の研究に来るのは申すまでもありませんが、作物はいずれも片輪ものあり貧弱なるあり、豊な稔りはみられません。本教団信者は今年のこの著しい肥毒の恐ろしさをまざまざ見せられて、言葉なしと申しています。はっきり表われて初めてそれと知る事の愚さをつくづく話しております。
そして来年からは豊かな譲りを戴く準備を致しましょうと異11同音に申しております。
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栃木県I・K
私は昭和二、年一月に教修を受けましてより農業の傍、近所の人達の御浄霊致しております。
いつか大先生より無肥料栽培のお話を伺いましてより私の家では今年は全部無肥料(堆肥は使います)に致しました(自作農地約三町歩)。最初の内は近所の人達に笑われました。
それは蒔き始めは非常に悪く見えますので、自分も家の者も何だか不安で半信半疑でした。そして家の者は肥料をやる様に盛に奨めましたが、私は大先生のお示しを信じて飽く迄頑張りました。
そして兎に角、さつま芋と野菜に先ず試験的に実施しましたが一面又心配なので畑に向っては浄霊を致しました。ところが嬉しい事には今では全体が非常に見良くなりました。其の内で特に御利益を頂いたと思うのは今では干瓢です。木は赤くして醜いのですが実は沢山出来てメゴメゴしい(キメが良い)ので本当に不思議と家の者も驚いて居り、無肥料栽培を信じる様になりました。
他の野菜も非常に出来が良く、味も馬鹿に良く、一回の肥料栽培のどのものよりも美味で皆様がその味を賞めてくれます。これも神様の御利益と感謝致して居ります。これで自信を得た私達は今年は米作にも全部無肥料にする事に致しました。
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栃木県Y・R
世に「為さざれば」と言う古人の金言がありますが、どんな良い事を知っていてもやらなければなんにもならないのと
同じに観音様の御利益も行ってみて始めて大きな恵みに浴されるのです。私ばかりでなく家族の者八名皆教修を頂きまして、身体は勿論作物にまで大きな御利益を頂いております。
他家の作物と比べると総て良く出来ていますが、その中で観音様のお恵みの一番目立ったものを皆様にお知らせすると共に感謝を述べさせて頂きます。
苗代にまく籾種を冷す前に観音様にお供えして家中揃ってお祈りを済ませ一人一人順々に浄霊を致しました。皆で頂く米が出来るんだから皆で浄霊したのです。
無肥料栽培がよいと聞きましたので、一反歩だけ実行してみることになりました。清い種は苗代での成績もよく、一家の期待をかけてすくすくと伸びています。この田にかける水は山から滲み出る僅かな水でした。それと隣りの田から落ちる水によって潤されていました。所が今年は隣りでは意地悪くも一滴の水も落して呉れません。私の家でやる事に邪魔をするのです。
広い田に一本ずつ植えた所は本当に心淋しいものでした。
皆が一生懸命水を廻そうとしてもない水はどうにもなりません。無残にもこの稲は枯果ててしまうだろうか、朝夕観音様の礼拝の時、只管この田の御守護をお願いしていました。
一両日照り続くと干割れてしまうと言う時、不思議にもその都度降雨がありました。実に観音様の垂れさせ給うた慈雨です。山からもどんどん水が出ます。他の田から落ちる水はなくともかえって余る程です。本当に観音様は正しい者の味方です。非難と迫害の下に一般者から注視された稲は不思議な力によって伸びました。只一本の苗が今では最高四八本、最低二〇本、一本に二八〇から三〇〇粒と言う素晴しい出来栄です。
最初は非難していた人々もこの事実をみて賞める様になりました。強い茎から出た穂がそっくり揃って今年の秋を飾っています。普通草取りの時に根本の土をかいて充分日光を入れ又それから浄霊をしました。
無肥料をしかもこんな大きな恵みを頂いて本当に観音様は有難いと家中こぞって感謝しています。