宮崎県 I・F
私は五年間というものは肺炎、神経痛、心臓と本当に息つく間もなく、冬になれば「又か又か」と人様に言われる程病弱な体でした。
皆さんは一日の疲れを風呂に入られて洗い落し気持よくお休みになるのに私はどうでしょう。風呂に入る度に風邪を引いて床につかなければならず、その上心臓病では医者に見捨てられ、目の前は何時も真暗でした。こんな苦しい思いをするよりも、一層の事一思いに死んでしまいたいと無情な世を呪う事も再三ありました。
その時お観音様のお力にお縋りしてはと母に教えられ、Nさん(信徒)に御浄霊を御願いしました。一回二回と浄霊して頂く内に気持は落つき夜も楽に休む事が出来るようになりました。浄霊四週間足らずの内に見捨てられた難病も夢のように全快しお観音様の大きなお力に只々感謝の思いで一杯です。
間もなく浄化を頂きました。二日三日四日と激しい浄化が続きましたが体の疲れる事もなく、昨年の六月農繁期には田植草取りと村人の驚く程の偉大な御利益を頂きました。昨年の四月にはお守様を頂き、今年の一月には光明如来様をお迎えし感慨無量の幸福とは私の事で御座いましょう。
又昨年一一月から浄化を頂きS先生始めO先生に浄霊をお願いし有難い御利益の数々無筆の私では到底御利益の万分の一も表わせません。
御霊徳深き大先生様のふところに抱かれているという強い信念のもとに毎日働ける事を楽しみに暮しております。この有難いお観音様のお救いのお手に皆さんお縋り致しましょう。
そうして病貧争絶無の日も早からんことを祈り、真善美の新世界を作りましょう。
………………………………………………………………
静岡県 S・K
私は生来非常な病身でした。腹痛に下痢に風邪に肺炎に。それでも、どうにか、大きくならして戴きましたが、今度は悪性の胃下垂をやり肋膜を起し、その上、肋膜の際左腕に打った注射が、筋炎となり大変苦しみました。
慶応病院で一カ所は五寸、他の一カ所は三寸位、切開しました。病状は悪化の一途、全く為す術がありません。朝、起きても飯を食べても、夜寝ても、重い頭、切ない胸、不愉快な腹、痛い腕、アアこれだけの病気。青春の歓びなど、薬にしたくともありません。来る日も来る日も、苦痛と、煩悶あるのみです。「俺は何の為に生れたのだ。苦しむ為か、畜生」自暴自棄、天を怨み、親を不足にした日が続きました。地獄のドン底、此のドン底に落ちた時、この御浄霊あるを知りました。
現在全き健康ではありませんが胸は大変楽に、筋炎は完全に治癒、残るは胃と頭ですが、これ又大変楽にさしていただき、日々が愉快に希望を持って過さして貰えるようになりました。
怨みと不足は感謝と歓びに変りました。心身とも爽快です。ああこの大きな救済力は、御観音様の直接の御慈悲です。有難い、勿体ない御浄霊をいただく度に、御観音様を拝させて戴く度に心から御礼を申上げております。
過去を顧ればあああの儘だったら、自他共に認めた「死」以外に何があろう。満身創痍のあの体でよく御観音様は救って下すった。有難い勿体ない。これを、感謝せずにおられましょうか。もう一息の様です。働かしていただける様になったら、誓って世の多くの病む人、苦しむ人を、一人でも多くこの御道へ入れて上げたい気持で一杯です。
………………………………………………………………
大分県 M・N
私は今年の正月、風邪を引いたのが原因で段々と容態が悪くなり、二月中旬終に医師の御世話にならなければならぬ身体となりました。
最初は気管支炎と言われましたが、暫く過て肺浸潤だと言われました。
父母は申すまでもなく姉や妹が手厚い看護をして下さるにも不拘、病勢は日一日と悪化するばかりか終に喀血致しました。その時私初め父母兄弟の驚きは如何ばかりでありましたでしょう。
そして私は早速入院する事になり愈々明朝出発という前夜、四月一六日突然一人の青年が訪れて来ました。此人(F)こそ今日私の喜びをもたらした、天の使者でありました。そしてF様の言われるには「私が貴兄と同じ状態でありましたが、観音様の御利益によりまして今此通り元気になりました。今貴兄の不幸な有様をみて、黙って見ている事が出来ず、此有難い御話を是が非でもお伝えしたいと思い、夜間もいとわず参りました。どうか一週間入院を延して五六七教会の浄霊をお受けになってみては如何ですか」と言われましたので、私もその気になり早速その翌日からI先生に御世話になる事に致しました。
父母は何だか不安な様子でしたが私は何だかもう病気がなくなった様な気がしてなりませんでした。そして一日二日と一回毎に気分が良くなり、三日目には足が立つ様になり、一週間目に散歩が出来る様になりました。
今迄毎日苦しんでいた私がなんだか夢の様に思われる様になりました。
父母も非常に喜び、母は早速入会致しました。次いで私も会員の一員に加えていただき今では及ばずながら不幸な人々を救うべく微力を傾倒しております。
………………………………………………………………
三重県 M・K
女学校五年の春。楽しみに溢れていた私は結核という世に恐れられている病に取りつかれて了いました。それから八カ月お医者さんには、お正月迄に熱が下らなかったら、菜種の花咲く頃は棺桶に足を突込まなければなりません、と宣告されたのです。
私の身体は五分と同じ様に寝ていると、下になっている方はしびれだし地の底に引張られて行かれるようになり身体は重く、熱は九度八分を下る事なく何時も頭から湯気が立ちのぼり、通じは半月なく動く事の出来ぬ身体になって了いました。
その上考えることは何時も死についての連想ばかりで寂しい辛い一日、日を過していた私に何という有難い御恵みなのでしょう。叔母が観音教団の教修を受けその浄霊によって二十数年の病弱な身体をよくしていただいた事を聞き、一二月二三日、初回の浄霊をしていただきました。その一回により通じはつき寒気もなくなり、寝ていても身体が天井にういて了うような気がしてならず、寝巻を引張って寝ていた位に身体は一度に軽くなりました。
それよりずっと浄霊を続けて今では、死に近づいたものとは思われないように恢復させて頂きました。
この偉大な観音教団(五六七教会)のお仕事をお手伝いさせていただき、御利益の万分の一でも酬わせていただきたいと思っております。
………………………………………………………………
三重県 I・F
私は昭和一九年九月ごろより胸の病気に罹り毎日寝たり起きたり淋しい日を送っておりましたが、一向に良くならず早く元気になりたいと焦り、凡ゆる薬を飲み、民間療法、各地の病院へと廻りましたが少しの効果もなく、昭和二一年春ごろより益々悪くなり、今迄片方だけだったのが両肺とも悪いと医師に言われ、悲しみのドン底に落ちた。
絶対安静すること八カ月、年も明け正月すぎより少しずつ起きれる様になりましたが痩衰えて、顔色は土色のようで自分の顔を鏡で見るのもいやな程でした。
毎日もう此の病気は治らぬのかと悩み続けておりました処昭和二二年三月私がフト表通りへ出ました時、いつも話した事もない方に有難い光明如来様の事をお伺いし早速浄霊をいただきました処、とても気持がよくなり毎日続けていただくうちに食事も進み、顔色も段々と良くなり今迄の暗い病床の中より光明如来様の御霊徳によりて明るい生活が出来るようになり、今では健康人と変らず教会のお手伝いさせていただけるのも光明如来様のお蔭と深く深く感謝致します。
………………………………………………………………
三重県 U・M
私は昭和二二年希望溢れる一八歳の七月恐ろしい結核に罹りました。五カ月間の長い病院生活が続き一進一退なので家に帰りました。家に帰っても絶対安静でちっともよくなりません。
母は心配して御医者様ではとても治らないと言って色々信仰していましたが、何の利益も頂けなく、前途の希望もどこへやら暗黒に閉ざされた毎日を送り、白く青ざめた私の顔をみてはあちらこちらと救わるる道を求めるに懸命でした。
その時どういう御引合せだったのか、電車の中で思いがけなく見合わした人がH先生の御母様だったのです。有難い観音様のいわれを聞かされ、早速私の病気の浄霊をお願いしたのです。その後H先生にきて頂いた時私は尊い御力におどろいてしまいました。その翌日桑名へW先生が来て下さる日だから是非M先生宅へ行く様にと聞かされました。私の体を心配されて父や兄が反対しましたが、素晴らしいお力を知った私はどんな事があっても又誰が何と止めても行くときめていたのです。
仕方なく桑名まで送ってくれたのがもとで兄も教修を頂き、私は信徒に入って浄霊を受け、身も心も地獄から救われた様に明るくなりました。それからH先生の御浄霊を受ける中に病はどこかへ去ってしまいました。その間には下痢が不思議なほど出ましたがこの大きな御利益で片足棺桶に突込んでいた体が健康体に変り働ける様になった喜びは筆舌には表わせません。
此れも皆諸先生の御指導と御苦労のお蔭と感謝致しております。そして私の頂く御利益に家中の者が喜び皆お光を頂き、偉大な観音様のお手伝いをさせて頂く様一生懸命です。
………………………………………………………………
愛知県 K・K
私が入信させて頂きお観音様にお縋りする様になりました動機を謹みて申上げます。過去を想い現在を思う時余りにも幸福にならせて頂いた喜びを拙ない一文を以て御報告させて頂きます。
私は四年程前から肋膜を病み咳が出る熱が出る陰うつな日を送っておりました。その間医者を転々遍歴しよいと言われるあらゆる医療を加えながら病気は反対に悪化してゆくばかりでございました。昨年五月の最後の診断では肺を侵されたと断定せられ悲観その極に達し、どん底につき落されたような思いが致しました。
医療に頼ってみた四年間がこんな状態でありました。一家の生計を背負う私はその責任の重大であるにも拘らず医療費にほとんど財産はなくなりました。もう「どうにもならないもの」と悲しく諦めて医療を廃し、毎日芝生の上に腰を下ろして、お日様を体一杯に受けて遊んでおりましたところ、段々気持が良くなり、体も少し元気が出て参りました。
その時「お日様の様に有難い神様か、仏様はないものか」と思い出しました。此の上は神仏にお縋りするのが一番よい。それ以外助かる方法はないと思いながらも九月頃迄は日増しに衰弱してくる許りで、救いの神様のお道はなく死が間近に迫っている様な気が致しました。妻子の行末を案じ何か知ら心が暗くなり、イライラした気持で明け暮れ致しておりました。
その時、A町の弟が来て、お観音様の御守護により夫婦が悩み続けた病気が治り感激の日を送らせて頂いているという話を聞き、是非お観音様にお縋りしたら何うかと奨められました。早速弟に御浄霊していただきましたところ夜とても楽に眠れ咳も幾分軽くなり、大変気持が良くなりました。今迄願っていた神様のお救いはこれだ!と「渡りに舟」といったような嬉しさで御座いました。
右の様な次第で入信させていただき前途に明るい光明をいただきました。更に一二月八日光明如来様の御神体まで受けさせていただき感激致しております。今日までに不思議な程御利益をいただき体も段々元気になって参りました。最近は何の悩みもなく心も晴々と一家中明るく楽しく生活させていただいております。
身に余る幸福に感激の日を送らせて戴いておりますのもこれみな大慈大悲のお観音様の御守護の賜で御座います。何という有難い事で御座いましょう。此の上は有難いお観音様の御恩の万分の一もお酬いする事が出来ませんが、一人でも多くお救いさせていただき度く念願致しております。本当に有難うございました。
悩み多き人の一日も早くお道に救われ私の様な幸福な生活に入られる事をお祈り致します。
………………………………………………………………
大分県 F・K
私の家は世間の不幸を一家に集めたのではなかろうかと思われる程、病苦と貧乏に喘ぐ惨めな家でありました。
それは父が軍隊より退役後病弱にして何等なす事なく十余年を経て此の世を去り、其の後母一人の手で四人の兄弟を養育せねばならず十余年の間、重なる苦労に、母は終に昭和二一年四月より病床に伏する身となりました。最初は気管支炎と言われて居りましたが、八月には肋膜炎が併発し一旦は入院も致しましたが、病勢は募るばかりで何等の効果もなく最早取返しのつかない病気となって終いました。
私は母が発病した年学校を終えて多忙な家事を一人で切り廻しておりましたが、二二年四月頃より身体がとてもだるくなり、心配の余り早速医師の診断を受けました処、肺門浸潤と宣告せられ悄然として家に帰り、最早その日から昨日とは打って変って病床に伏する身となりました。
斯くする中に只、人の働き手である姉も農繁期を済ませた頃より私と同じ状態となり、私の家は三人枕を並べて病床に伏する事となり、近所の人は言うに及ばず、村人も親類の人も寄り付く人さえなく、無念とも残念とも言い様もなく哀れ淋しき明暮れのうちに、迫り来るものは無気味な死と経済難とでありました。
私の家は此の三人の外妹一人弟一人おりますが、何れも登校中で思う様に家事の手伝いもして呉れず、それでも朝早く起きて自分で炊事を済ませて学校に行く姿は誠にいじらしくも哀れでありましたが、今はどうする事も出来ず只々運命の翻弄に任せるのみでありました。その間にも病勢は募り三人共散歩等は思いもよらぬ事、その上頭痛、倦怠、咳嗽、不眠症等あらゆる病苦に悩まされました。
そして他人から聞いた良いと言う方法はどれでもやってみる、最早死を待つばかりとなりました。然し生に対する欲望は断ち難く、時々こんな事を考えるのでありました。「一体此の世に神や仏というお方があるのでしょうか、もし有るとしたらなぜ私達の様な不幸の者を救っては下さらないのでしょうか」と又或時は「此の世に神仏等あるべき筈はない」と否定してみたり、様々に迷う心のあてもなき、明暮れに早一年という年月が流れ去りました。
処が此の不幸な私の一家に遂に一大光明の輝く日が訪ずれて参りました。それは今年の四月一三日幾山河隔てた母の里から母の知人が訪ねて来られ、「今、日本五六七教会という宗教が出来ていて手を振っただけでとても有難い御利益があり、又これは誰でも出来るのであるから貴女の家でも是非誰か一人入会してそのお力をいただき、自宅でやってみるが良い」と言われました。母は早速知人の言を聞き入れて元気な妹を選び入会させました。
私は之等の事は全く迷信とばかり思っており自分丈は絶対此の迷信にひっかかるまいと思っておりました。処が母や姉がその浄霊を受える様になってから気のせいか、段々元気が出て来た様な感じがしましたが、唯物観にとらわれている私に取ってはかえって疑いを強くするばかりでありました。
そして母の知人(M先生)が次に訪ねて来られました時には随分と理屈を並べたものでした。結局理論では解決がつかず、体験してみる事が先決問題と思いまして、自分の意志をおしまげて先ず先生の言われるままに浄霊を受けました。処が之は又何と不思議な事でしょう。先生は私の体に手を当てるのでもなく、圧するのでもないのに一種異様な感じが致しました。そして今迄理屈を言っていた自分が如何に浅薄であったかをしみじみと悟らされました。そして観音力の如何に偉大であるかに驚きましたと同時に之ならば如何なる難病も治り得るという事を信ぜざるを得なくなりました。
それから妹や先生の浄霊を約半月位受けました処、今迄の病苦は跡方もなく吹飛んで、もう軽い仕事が出来る様になり、一カ月位して元気な人と同様の仕事が出来る様になりました。姉も母も日増しに元気になり、今年の田植は人手を借りずに出来ました。さしも惨めな私も観音力により蘇りました。見る蔭もなき不幸な私の一家も観世音菩薩の大慈悲により救われ、何年振りか笑い顔が出る様になり、本当に光明輝く一家になりました。
そして微力ではありますが此の様な偉大な力を、此の様な有難い観音様を一日も早く一人でも多く、世の皆様に知らせて上げたいと思い、一家挙って信徒に加えて頂き、観世音菩薩に感謝すると共に、その御恩の幾分なりとも報いたいと思いまして、東奔西走専ら不幸の人達の浄霊に多忙な日を送っております。
………………………………………………………………
神奈川県 F・S
私は一二歳の一月、突然高熱を発して倒れました。兄が亡くなってからまだ一カ月にしかなりませんので、家人が驚いて医師を招きましたところ、流行性感冒ですから一週間もすれば快復すると申しましたが、其の後一向にはかばかしくなく、今度は肋膜に水が溜ったと申し、一日二本宛注射をいたしました。
一〇日許りすると段々調子が好くなりご飯も美味しく頂けるようになり元気も大分出て参りましたので、此の分ならと喜んでおりました。
それから一日置きに通院いたしておりましたが、風の物凄く吹く或る日病院へ行って帰って来ますと、夕方から苦しくなり前よりも悪くなって終いました。それからはご飯も頂けず頭痛がし、のどが痰でぜいぜい言って心の中は恐怖で一杯でした。下痢をして便が出なくなると、お腹が物凄く痛み少しずつ出血いたしました。これはいけないと医師を代えて見ましたところ、相当悪化している肺結核と診断されました。その時の私の気持をお想像下さいませ。小さい胸は死への恐怖悲しみで一杯でした。
この病気は特にそうだと思いますが、神経が針のようにとがって、今日は死ぬか、明日はと考えは悪い方へ許り走るのでした。それから翌日入院いたし半歳後大分固まったので、これならといわれ退院いたしました。家へ帰ってから前程ではありませんが、依然はかばかしくなく一進一退の有様でした。発病以来来る年も来る年も天井とにらめっこして四年の歳月が流れてしまいました。
何時までもそんな事ではと姉がとても心配して教えて下さったのが、日本観音教T会U教導所のO先生でございます。それからどうせ長い病気だからと先生の許にお世話になる事になりました。ぼつぼつやらせて戴いておりましたが、昨年の六月ひどい浄化をいただきました。固めていたのが溶け始めたのだと思います。うその様な話でございますが四〇度の高熱が一カ月も続きまして、三升も出血いたしました。
その間の先生の御労苦御親切を考えますと、本当に申訳なく親身も及ばぬ優しさ、それを思うと心から感謝いたしました。私もすっかり諦めて、自分は罪が深いので神様に救って頂く事の出来ない人間だと思って、生の執着をすっかり取り、或る本で読みましたが「死も生も神に任せて昼寝かな」という言葉を思い出してから自分でも驚く程落着いてしまいました。
それからは段々と病気は下り坂になって来ました。私の如き罪深き者を深い深い御慈悲を戴き神様の絶大なる御守護にただ感謝いたしております。ただいまではお蔭様で不束な罪深い身ではございますが、教団の御発展を喜びとして、御守護の万分の一に届かねど毎日楽しく元気に御奉仕させて戴いております。
私のこの拙ない言葉が悩める同病の方々に少しでもお力づけ出来、御慰めすることが出来ますれば誠に幸いです。
………………………………………………………………
山形県 H・K
私は一昨年の晩秋に座骨神経痛との診断を受け御飯を頂く間も座っていられぬ程の苦痛でした。其の後忠実に医師の一言、句を守り薬剤及注射療法を連日行ったが、いささかも良くなりませんでした。知人の紹介に依り神経痛なら電気療法に限ると聞きましたので、早速医療師を呼んで一カ月も続けたが、治療終った直後一時間位、楽になっただけにて又直ぐ苦しくなり、やはり一時的でありました。
彼処の医師が上手だというので医師を変えて見たら、今度は肺門浸潤まで引起してしまいました。肺結核との宣告を受けた精神的な痛手は経験者のみ知る悲惨なるものであります。その日より絶対安静との事で、天井と体温計とのにらみ合い。今朝は熱が下ったと思っていると夕刻ごろには忽ち三九度もの高熱が出て、また落胆という日が続きました。医療は勿論の事、遠方より取り寄せた高価な種々の売薬も更に効なく、悪化亢進するばかり、腰は痛み熱は三八度から四一度までも苦しみと、痛みを乗せた月日はいたずらに五カ月は流れ過ぎた。一進一退にて、もはや治る見込みも薄くこのままこの世の別れとなるのではないかと心細く感じられました。
神経痛と結核療法を行っているうち、またしても薬毒は腎臓病までを併発させた。医師の命によりレントゲン写真を撮った所「右腎臓の働きが全然ないので入院して手術をしなければならない」といわれた。その時は地獄のドン底へ落された如き絶望を感じた。
そして今一歩にして手術をするというべき紙一重の時期に、K先生が御見舞に来て下さったのです。K先生は私の旧友です。色々と病気の真因、浄化、観音妙智力の偉大さ等、色々と熱心にお話し下さったのであります。医学では手術をしなければ治らぬというが、観音様のお光にて治ったら実に奇蹟以上に素晴しいと思いつつも唯物的な既成教育から脱却出来ず信ずる事は到底出来なかった。
K先生は「とにかく二三日の教修会にY支部へ来て見れば解る」との事で半信半疑のまま行って見ました。支部長先生より、お光のお取次ぎをして頂き、医師より全治まで三カ年以上かかるとの難病を、F先生は一カ月で良くなるとの御言葉に驚嘆しつつ御浄霊をお受けしまして家へ帰るや、只一回の御浄霊にて今までのなやみの苦痛は軽減され、食欲は増進する程の絶大なるお光の偉大さ、事実の前には疑念の余地もなく、その喜悦は一方ではありませんでした。
其の後連日お詣りに行きました。今までは陰気な病院で言語に絶する痛い思いをしなければならぬのに、Y支部は天国的に明るく、いささかの痛苦を覚えず、日毎に紙を一枚一枚剥ぐ如く楽になり生命の危機である手術の不安は除かれ、かつ又苦痛も二〇日頃には全くなくなり、心身共に安心立命の境地に入れさせていただき、讃嘆を絶した大慈大悲の御救いに日々感謝の日を送らせていただいています。
この未熟な私を絶望のドン底より赫々たる光明の世界に救って下された、大いなる御恵に微力ながら万分の一も酬ゆべく、同病に悩める人々、又底なき沼にあえいでいる人々を、一人でも多く救うべくお手伝いさせていただいております。