結核治癒の実例1

福岡県 H・S

お観音様の有難いお光りによって、一命をお救い受けた御恩に対し、書かせて戴きます。

私は福岡市のY町で紙芝居業をして一家一〇名を養わねばならぬ体でございましたが、昭和二三年五月より胸を患い医者の診察を受け右肺浸潤だから、気胸療法をしたが良いと言われ二カ月間も苦しい気胸を二二回も致したのに拘わらず、呼吸は益々苦しく成るばかり。食事は進まず、紙芝居どころか病院に通うのがやっとの事で一家の柱が倒れ生活は益々苦境に落ち死を待つばかりの状態をつづけ、妻は近所の稲荷さんにお願い致しました処信仰がたりないから六月頃までの命だと言い渡され一家の気持はいよいよ暗く、陰うつな日々を送って居りました。

ある日近所の方にお観音様の有難いお道を聞かされ、苦しい時の神頼みといった気持で行きました。七月二二日から信じ切る事の出来ぬ気持の儘毎日通っていました処、紙を一枚一枚はぐ様にだんだん気持が良くなり第一喜ぶべき事には今迄食事が進まなかったのが、一口一口おいしくなり、衰弱していた体が、だんだん力づき咳が出て来、痰や血痰等で一時は苦しかったが、御浄化の有難い事をくわしくS先生から御指導頂いていましたので唯々有難い感謝の気持で耐え忍んで参り、御浄化の度毎に元気づき始めて暗い私の一家にも明るい光がさし始めました。

八月二五日には先生に励まされ、町角で子供達に迎えられ何の苦もなく紙芝居が出来ました。此の時の嬉しさを御察し下さい。今年の一月二七日にはお守様をお受けする事が出来、S先生にお供してT町のK会本部に参り、K先生から有難い御教えを戴き、益々元気に御浄化を戴き乍ら働ける様に成りました。何という不思議でしょう。感謝せずにはいられません。私は同病で苦しんでいる方に、一人でも多く此の有難い御道を御知らせして御恩報じの一端にもと存じます。大先生様に深く深く御礼申上させて頂きます。

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愛知県 H・S

私は昭和一六年結婚致しまして女児を恵まれ本当に楽しい希望に溢れた日々を送って居りました。此の夢の様な楽しい生活も僅か一年半、主人が結核という世にも恐しい病気と診断された時私達は楽しみの頂点から絶望のどん底に落ちてしまいました。

どうかして助けたいと医者よ薬よと一心に看病いたしました甲斐もなく主人はだんだん衰弱して行きました。それから間もなく私も体の調子が悪くなり医者には脚気と診断されました。顔色は悪くなるばかりで人々も主人と同じ病気ではないかという様になり、私自身もそうではないかと毎日一日もかかさず病院へ通って居りました処、私もとうとう肺病と断定され真暗な気持で愛児とも別居生活を送りました。闘病生活一年七カ月。主人は遂に私と子供を残してあの世の人となりました。

私の病気も悪くなるばかり、可哀そうな子供は肺病の子と人から嫌われ私もやがて来るべき自分の死後愛児の行く末を考えると死ぬにも死に切れない様な気持で泣き暮して居りました。私もこんな病気ですので良人の両親は娘(良人の妹)に後を継がせるつもりで私は離婚されてしまいました。其頃近所の子供が脳膜炎に成り、半田市の小児科の医者より見放されたのが観音様によって馬鹿にもならず命が助かった事実を見、私も実家の母より再三勧められこの病気はどうせ治らぬものならと藁でも掴む様な気持でお縋りしてみました処、一カ月位でとても気分が良くなり、働いても熱が出なくなり僅かの月日で相当の仕事に耐え得る様に成りました。

それに引き換え健康そのものの様な良人の妹がやっぱり肺病で医者にかかって居りましたが、良人と同じ運命をたどりました。

私も今迄観音様を知らなかったらこの妹と同じ事になったろう事を思うといやが上にも観音様に感謝で一杯でございます。それから日々もう駄目かと思われる様な人々の観音様によって健康になる様を見せて頂いて居ります。

私の拙ない筆では毎日頂いて居ります数々の御利益を表わせないのが残念でございます。

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福岡県 M・S

昭和二一年一〇月以来、M社厚生課に勤務して多忙な生活を続けて参りました。賃金が安いので残業等で生活を補っておりましたがそんな無理が長く続く訳はありません、遂に私は身体にも行詰りを生じて参りました。

昭和二二年二月終り頃風邪を引き、「なに風邪位」と放っておきましたがどうしてもよくならず、翌月母が観音様の有難いお話を承わり熱心に勧めるのでH町のK先生の所まで行き浄霊を受けますと身体の苦痛が軽くなるを感じて未だ悪い乍らも尚出勤を続けました。

母もK先生のお勧めにてお光を受けさせて頂き毎日浄霊をして下さいましたがその翌月の一二月七日よりとても悪くなり出勤出来なくなりました。感冒からついに肺結核という世にも恐ろしい病に侵されました。月末より私の乳部がはれ上り浄霊を受ける度に段々大きくなるばかりです。その上四二度以上の高熱におかされました。此結核が私の肉体にひそんでいたのでした。

予期していた大浄化が始まり床につき、翌年の一月五日より身動き一つ出来ぬようになりました。私は浄化であるという事を知りつつも身体が悪くなるばかりなので母が御光を頂き信仰しているが御利益一つもなく、反って悪くなるばかりではないかとさえ思い、遂には死んだ方がましだとさえ思った事もありましたが、母の熱心なる信仰により薬一服使わず床ずれ一つ出来ず、二月頃には乳部に数個の穴が開き浄霊して頂く度にそれより膿がむくむくと出て参り、結核の毒が浄化により腫物となって排出される。三月の初め頃には何の苦もなく良くなりました。熱は三八度に下りましたがそれからというものはどうしても熱が下らず、夜一一時過ぎますと何時も魔されていました。

或日の昼時私一人寝んでいますと、仏壇の中の阿弥陀如来様の掛軸ががたがたと大きく動きましたので、早速母にその事を告げますと「そんなことがあるものか」と言っていましたが矢張り「仏の障り」とか四代前のおばあさんが祟っているとか私は初めてその時霊というものに気付きました。

それからというものは浄霊を受ける度にぐんぐん熱が下りました。私は此時本当に観音様の偉大なる御力に心から感謝致しましたと共に今迄半信半疑でいた事を深く恥入る次第です。本当に観音様の御力を身をもって体験し、これより一層信仰の念が深まり疑心の雲は残りなく払拭され、強い信念の力を得感謝報恩の気持で五月二七日お光を受けさせて頂きました。

私身体のあらゆる所の浄化を頂きましたが観音様の偉大の御力にて普通人も変らぬ健康人となり、本年二月二三日別府よりO先生がH町のK教導所に御出になられました時、一年振りでお参りさせて頂きました。その時の私達親子の喜びは何物にも譬えようがありませんでした。

今日迄色々な日で他から見られ又知人より猛烈な反対迄された事もありましたが、信仰の力に打勝つものなく輝かしい希望にみちた今日となりました。そして私の元気な姿に驚異の眼を輝かせ乍ら喜んで下さいました。これも全く御守護のお蔭と存じます。今では光明如来様も御奉斎させて頂き母も教導師の資格を頂き楽しい日々を過させて頂いています。

然し五六七教の目的は飽く迄も地上天国を出現することにあるので御座います。地上に天国的幸福者ばかりの世界を出現するのでありますから病気快復の御礼にこの五六七教の目的である人類の最大理想に向ってつくさせて頂くために一人でも多く不幸な人々を入信させて御守護の万分の一にも足らない御礼心ではありますが、大先生の世にも尊い御業の一端に御奉仕させて頂くことが出来ましたら此上もなく幸福の至りと存じます。

筆舌につくし得ぬ御守護を厚く御礼申し上げます。

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愛知県 Y・M

広大無辺御光の射す所、慈悲深き大恵に唯々感謝感激報恩一入湧出るもので有ります。

愚息当年七歳小学校一年生入学を前に控え、百日咳の徴候が見えましたので色々気にして居りました処、逐次浄化厳しさを加え三月一〇日夜分に至り肺炎併発し、其の症状全く重病となり早速O町のI会N教導所に浄霊御願い致して居りました処、平素体力微力の為衰弱も極に達し浄化も激しく、全く生死の岐路に立ちました。

こうして可愛いい吾子の苦しい生死の境に直面しました時、光明の中にもさすが自身の苦しみをはっきり解し得たので在ります。そして如何様な事有り得るとも唯、大先生の御霊徳を慕い只管浄霊に真心をこめ一途に御願い致して居りました。

此の時I会M会長先生は早速本部に御守護お願いの電報を打って下さいました処、これは奇蹟、絶望的気息奄々の病状に大いなる御守護を頂けたのであります。みるみるうちに額の色も既に薄赤く染り呼吸もはっきり覚えて来ました。

噫々、何と有難き御守護。私共の喜びはもとより此の大いなる救の力御光の尊さをつくづく感じ得ましたと同時に

罪深き此身も尤め給はず
御霊徳あますなく降りそそぐ

の御讃歌が自ずと浮び唯々有難いの言葉より外にありません。唯一人として御恵の頂けないものはない。此の愚子の大浄化にて幾度か貴重な教訓を与えられました。

其の後又日毎に回復に向い現在ではすっかり元気を取戻しました。

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愛知県 T・H

私の主人は三年前に肋膜を患い医者や医薬品に依存して居りましたが容易に快癒する様子もなく不安の日を過して居りました処、偶々観音教の御話を承り半信半疑の中に御浄めをして戴いて居りました。処が病人は漸次快方に向い私達も大変其の偉大な御力に感銘致しました。

然し未だ其の当時は教修を受けさせて頂く迄には到らなかったので御座居ますが、昨年一〇月頃再び御浄化をいただきまして教修を受けさせていただく事になり、続いて私も受けさせていただきまして有難い観音力を拝受する光栄に浴しました。所が主人の病勢は日に増し募るばかりで御座居ましたので一二月一〇日頃から本部の先生に出張していただき毎日御浄霊をいただきました処、次第に快方に向い家中の者は多少の愁眉を開きました。

その中一二月二四日に名古屋市S区の中央社会館に於て大先生様御生誕祝祭と月並祭が執り行われましたので、主人も是非御参詣したいと申しますし、少し無理だと思いましたが主人の願いが叶えば本望と思いまして、雨降りの寒い日でしたが、私が看護しながらリヤカーに乗せて往復四、五里の道を参詣させていただきました。

其の翌二五日から御浄化は愈々激しくなり大晦日には死を覚悟する迄に到りました。此の間両親始め私も、主人の病気は喉頭結核に悪化して居る事を知って居りましたので、「とても御浄化に肉体が耐えられないだろう」と大半あきらめる様になり、絶望の淵に落ち込みました。併しお観音様に総てをお任せしている私達夫婦は一向平気で御座居ました。之が安心立命と申すので御座居ましょう。

然しお救い願えるものなら何とかしてと一心にお観音様にお念じし、又本部の先生も一生懸命になって雨の日も風の日も欠かさず出張して下さいました。主人も亦「お観音様の先生は未だ御出にならないか」と、とても先生をお待ちする様になり一心にお観音様にお縋り申しておりました。本部の先生は年末から年始にかけて熱海へお参りの為二日間程御出にならず、主人は此の二日間本部の先生のお出になるのを頻りに待って居たらしく、新年の三日の朝も「お観音様の先生は未だお見えにならないか」と言って淋しそうで御座居ました。

三日の午後先生がお見えになり、主人は大変嬉しがりニコニコ顔でした。然る所四日午後より急に容態が変り、とうとう虫の息となり愈々最後だと諦めて親戚知己等へお知らせ致しました。午後二時頃本部の先生がお見えになり、多数の人が集っているのを見てハッとされたらしく、早速仏間に行き屏風観音様に善言讃詞を奉誦され、直ぐ病間に来られて又善言讃詞を三回奉誦されて虫の息なる主人に御浄霊して下さいました。

其の様子を見ていました私は本当に申訳なく思いました。それは先程から私は一度も善言讃詞を奉誦させていただかなかった事でございます。それ程慌てて心の落付きがなかったのでございましょう、早速心の中でお詫び申上げました。本部の先生が御出になって約一時間半の後ほんとに眠るが如く息を引きとりました。そばで見守っておられた多勢の方々も余りに静粛な息の引きとり方に只唖然としている様子でした。

夕刻主人を仏間に移す時の顔は生前とは似つかぬ綺麗な顔で全く観音様の顔型の様で余りの勿体なさに有難涙にくれました。本当に主人は結構な往生で、お観音様の御下へ透かしていただいたのでございます。

翌五日の晩九時頃納棺致しましたが四日午後三時半に息を引取ってから約三〇時間も経過致しておりましたにもかかわらず、死骸はまだ温かく、手などはクニャクニャで経帷子を着せても訳なく着せられ、お参りの皆さんも其の不思議な有様に目を見張っておられました。只々お観音様のお有難さに自ずと合掌し念仏をお唱えになりました。

私もかねがね先生より往生の際に於ける有難いお話しや、死後の準備のお話しに就て御教えをいただいておりましたが、主人の死を現実に見て全くお観音様の絶対のお力、有難い事を数々体験させていただき、筆舌に尽し得ないのでございます。

六日の朝納骨の為村の焼場に行き、焼く人の話を聞いたのでございますが、「私も沢山の人を焼いてきましたが斯んな綺麗な清い死骸を焼いた事は未だ嘗てない」と申されました。

「此の一言で尽る」……と申しますのは御浄霊は只病気を治療するものではない。身心共に浄められるものだという事をはっきりと悟らせていただきました。

只有難いと申すより外に言葉はございません。これからの私は主人の忘れ形身のMを立派に育成する事で、今後益々お観音様にお縋りして会員の皆様と共に地上天国建設の為働かせていただき度いと冀うものでございます。

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大分県 O・K

不治の病と言われる癌にて一昨年の一〇月母は死亡致しました。過去を振り返ってみますと昭和二一年一〇月頃母は胃腸を害し、医者の診断の結果胃下垂と申され食養生していました。

何処からか弘法様の御利益を聞いてそれならばと弘法様を信仰する様になり、毎日お詣りしている内に日々眼に見えて衰弱し嘔吐をしたり胃病が激しくなり、これで病気が治るだろうかと、不安でなりません。母は苦しくなり私達の進めによって昭和二二年二月国立病院に行きました処、癌と申され死の宣告を受けました。何故もっと早く医者に診て頂かなかったのだろうかと信仰に凝る事は手遅れの原因と思い母の姿をみては悲しみで胸一杯でございました。

八月の末とうとう母は床につきまして健康でなかった私の体を心配しながら父と弟三人を残して他界しました。その後は毎晩母の夢をみ続けあわれな母の姿にお先詣りが出来ないのではないかと心配でなりません。昭和二三年四月頃毎日夕方になりますと熱が出て体が疲労し私はすぐ病院へ行きました処、肺浸潤との事「今絶対安静しなければ取返しのつかないことになりますよ」と申されました。

でも女手のない一家に私が寝込んだら困るので無理とは思いながら家事の仕事をしておりました処、八月の初め喀血致しましていよいよ結核の進行を一人で思い恐怖と不安な気持に戦き、医者が申します通り絶対安静の生活を続けました。近所のおばさんが遊びに来てZ町に観音様があり、信仰したらどんな病気でも肺病でもよくなると教えて下さいました。

けど私は前の母の場合の経験もありますので信仰によって肺病が治るなどどう考えても解らず、折角のおばさんの親切を無にしてしまいました。

私は医者を絶対的と思い注射よお薬よと続けております。けど一向快方に向わず心はいらいらするばかりです。長い病床生活に薬価もお払い出来なくなりこの切迫した貧乏と病の苦しみをどう乗越えて行ったらよいかと思うばかり一家は只暗い生活を続けました。病魔は何時迄私の体を苛むのでしょうか、昭和二四年の初め突然盲腸炎が併発致しまして手術も出来ず、重なる病に恐しい程体は青くなり痩せ細り重湯スープさえも頂けなくなり、最早考える事は死のことばかりでした。

処が昨年の八月観音様の事を教えてくれたおばさんが来て、「近い内にZ町のG先生がいらっしゃるから貴女もお願いしたら」と教えられ、半信半疑な気持で一月一五日お迎え致しました。どんなになさるのだろうかと思っておりますと御経も上げず只手をお振りになるのでこれで病気が治るだろうかと何だかものたりなさを感じながら御浄霊して頂きました処、重かった頭が楽になりその晩より母のあわれな姿の夢もみなくなりました。

三回目の御浄霊を受けました時、今迄足腰の立たなかった体が誰の手もかりず床の上に立ち上れるではありませんか、そして一歩二歩と足を運んでみますと足も軽く私の足とは思えない様な何処かに力を覚えました。

何という不思議なことでございましょう。その後浄化を頂きまして毎日三九度より四〇度の熱が二カ月続きましたけど日一日と食欲は増し自由に動ける嬉しさにぶらぶら遊び今迄の病の不安も一掃して明るい生活を送る様になりました。その間の先生の御熱心なる御指導と御苦労に深く感謝致しております。

三月一五日御光を頂きまして日々身体が元気になり浄化を頂きながら四月九日B教会本部にお詣り致しました。一年間一歩も出た事のない私が一里の道を往復し汽車にも楽に乗れまして、誠に観音様のお蔭と感謝の涙でございます。

此の世の中に同じように病に倒れている方々に一人でも多くこの偉大なる御救いを教えて上げたいと御恩の万分の一でも働かせて頂きたいと思います。

御守護有難うございます。

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山形県 M・T

私は栄養失調でフィリピンより復員して来ました。その後風邪がもとで肋膜、腹膜を患い村のお医者に掛り自家で療養しておりました。

その中に肋膜に化膿したので入院手術をすることになりましたが、もう絶対安静で御飯も人の手で食べさせて貰い、お医者の言う事を守っておりました処、二、三日して友人M君達三名がお見舞いに来てくれたその時M氏は枕元に来て御浄霊をして下さって、二〇分程後に「気持はどうか」と尋ねた、私はこんな事では治るものかと思ったので良くはないなと断った。そうしたらどうでしょう気がついてみると一回の御浄霊をして頂いたばかりで、化膿しておった膿がなくなり手術をすることもなく済んだのです。

その時はそれでも不幸にして御浄霊を信じられなかった。絶対安静が毎日続き寝ている許りで、良くなり悪くなりしていつ治るものやら判らない。家内は老人と子供ばかりなので仲々大変だ。家に帰って静養する様にと言われたのです。しかし家に帰ったなら看護婦のような行届いたあつかいは出来ないからと言うので断った。

すると家でも面白くなくなり私の病気も段々悪くなり、どうしたらよいかと途方に暮れている頃、S君がお見舞いに来て下さって「御浄霊で治してくれる」と言い「誰も治った彼も治った」と種々話して下さった。

私は今迄こんなにお医者や金をかけてもよくならず苦しんでいるのでは余りに頼りないと、今度こそ信仰する様になった。S君も熱心に病院に来て浄霊してくれた。それからは注射や薬をやめた私も段々気分が良くなり「顔色がよくなったよ、その位なら歩けるよ」などと言うので部屋の中位は歩いたりした。今度は退院するがよいと友人のM君とS君に勧められて大変心づよく退院致しました。

その後も毎日御浄霊をして頂き二、三カ月で私も教修会にも参加出来るようになり、今では御守護のお蔭様にてすっかり丈夫になり、家の人もみんな明るく元気にて働いております。

今後此の御恩に酬ゆる様一層努力致したい覚悟でおります。

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愛媛県 N・O

私は昭和二二年七月にシベリアより復員致しましたが間もなく全身に浮腫が来ました。そこですぐ松山赤十字病院にて診察を受けました処、脚気及び腎臓病と言われましてその手当をしておりました。

その中病気は全快しましたのに二三年六月ごろより腹痛を度々感じ微熱も出ました。その時村医にて診察を受けた結果、今度は腹膜と言われました。そこで八月四日とうとう病床に就きましたが、一カ月程で腹膜は快くなりました。処がどうしたことか、一〇月一一日より又も四〇度からの熱が出まして、早速医師に診て頂きました処医師は肋膜になっているとの事、私は落胆の余り言葉も出ませんでした。

そうして二〇日間程も四〇度からの熱が続きましたので、食は益々すすまず、身体は「ミイラ」のようになり医師にも遂に見離されました。そこで何とかして命だけはと思っている中、フト友人より観音様の有難いお話を聞き、直ぐ父がH教導所のE先生にお願い致しました。先生は早速来て下さいまして御浄霊をして頂きました。それから先生は三日間程来て下さいましたが上京なさるため父が先生にお願いして有難いお光を受けさせて頂きました。

そして毎日一心に父が浄霊をして呉れました処、不思議にもお観音様の尊い御力によりまして熱は次第に下り、浮腫は取れ身体が非常に楽になり、長い病気も僅か一〇日程で病床を離れ、散歩の出来る様になりました。その時の私は天にも昇る気持でした。それからは食も進み日一日と身体は元気になり、先生が本部より御帰宅なされた時にはもう一人で自転車に乗って御礼に参りました。先生も私が非常に元気になっているので吃驚する程で御座いました。

そして先生から色々とお話も聞きまして私は本当にお観音様の御利益は偉大なる事をつくづく悟りまして、それからは毎日お観音様に礼拝を致し、又二四年一月にはE先生に連れられて父と共に上京させて頂きました。そして帰宅後何の疲れもなく毎日元気で楽しく暮しております。

世の中の人よ早く此の有難いお観音様の光に浴し、早く病貧争をなくして何時も明るい立派な地上天国を作りましょう。

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大分県 K・T

私は田舎の貧しい農家に嫁いで家業に励んでおりました処、生来不健康な私は肋膜、肺と人の嫌がる病を次々に患い丸三年間仕事も出来ず日々を送って居りました。

病状も少し楽に成ったと思われる二二年一一月折も折又も盲腸炎に罹り痛み苦しみと一五日間悩まされ、其の為に手足腰と不自由に成り終には水も咽喉を通らぬ状態になっても最早快復の見込もなく成り、断念していました。然しこんな私にも神様のお救いの手を頂きました。二三年四月入信さしていただきまして観音様の御慈悲で日増しに快方に向い今では全くの大元気で三人の母として日々の家事に精出して居ります。

永い間の病気の為、家計も苦しく困って居りましたのに大いなる御守護を頂き米摺機も買入出来ました。毎日仕事始めの折は必ず発動機に御浄霊をさして頂いて居りますが、思う儘に仕事は出来るし、一度の故障もなく一時間に三五俵は楽々に摺れます。私の体のみか日々の家業に迄大いなる御守護を頂き近頃は家計も都合良く一家揃って有難い楽しい生活をさせて頂いて居ります。

私は何という幸福者でしょうか。神様の御守護を頂ける喜びのままに毎日を感謝で過さして頂いて居ります。

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愛媛県 H・T

私は昨年四月医者より肺浸潤の診察を受け一〇日程通院して居りましたが、其の間肺病という恐しい言葉だけで落胆したのと、医者が「安静にせい」というので病院より帰るなり床につきましたが、昼寝るものですから夜は本当に寝れずあれやこれやと悪い事ばかり考えて一〇日程の間に一貫も痩せた様に思いました。

突然友人より御浄霊の話を聞き早速H教導所のE先生にお願いしてお浄霊をして頂く事に成りました。先生より色々とお光のお話もして頂き又他に大分この御浄霊によって全快している人があるけれども半信半疑の内に浄霊をしていただいておりました。其の内先生より散髪も入浴もしてよいと言われました。けれども此の病気ではと深い谷へでも落ちる様な気がして入浴する気にもなれませんでした。が、先生より二、三回も言われるので入浴もしてみたが何ともなく、散髪しても何の事もありません。

全く医者と養生の仕方が反対の事ばかりで初めの中は本当に致しませんでしたがお光もお受け致し光明如来様もお祀りする様に成り次第に気分も落着いて来るし自分は浄霊により良く成るという自信が着いて来ました。

それから半年程浄霊をして頂きましたが全く以前の身体に成りました。これ一重に観音様の御力とその偉大さに驚くと共に皆さんに此の道へお進めして居る次第であります。