“大先生様が嘗て義経といふ武将として御出現せられました事は平和愛好者としての大先生とどの様な御関係がございませうか。
“これは、観音様はね、応身の御働きだから何にでもなられるんですよ。馬頭観音なんかは戦ひをされますからね、だから口なんかはこの耳の所まで裂けてゐて物凄い御顔ですね。義経の事もあの時代にはあゝいふ事をすべき訳が何かあったからですね。
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“誠に失礼な御伺ひでございますが、「御光」の御揮毫は地上天国完成の日まで何時までも頂けると信じて宜しいでせうか。種々デマが飛んで居りますので謹しんで御伺ひ申し上げます。
“むろんですよ。私のいのちのある限り書きますよ。――いろいろデマがあるかも知れないけど、そういふ時には私に訊きなさい、訊けばすぐ判るんですから。
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“床の間が二つございます家で、大光明如来様と光明如来様の御姿とそれぞれ御祀りさせて頂いて宜しいでせうか。
“これはそんな必要ありませんよ。いゝ方の床の間へどちらでもいゝからお祀りすればいゝんです。両方お祀りするってのは矢張り嘘ですよ。
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“真面目な一信者、余り豊かでないので段々に建て増す積りで六坪程の小さい家を建てましたが、床の間だけは立派にして、大光明如来様を御奉斎申し上げたいと申して居ります。宜しうございませうか。
“いゝですがね。けど、つり合はないのはいけませんよ。つり合ってゝしかもやゝ立派な方がいゝんです。小さな床の間に大きい掛軸はいけないんです。やっぱり「相応の理」って言ってね、相応してなけりゃいけないんです。
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“教修会の時、教導所がせまい為旅館等を借ります場合、一時、大光明如来様を旅館の床の間に御祀りして教修会を開いて居りますが、之は宜しうございませうか。
“これはいけませんね。間違ってますよ、これは。――そうですね、もし御軸を何するんだったら、光明如来様ぢゃなくて、「光明」とか「真善美」とかいふのをかけたらいゝでせう。
“それは旅館の時だけでせうか?
“いや、旅館に限らず御神体を動かす時にはいけませんよ。御神体は一つの定めた場所へおかけしたらやたらに動かさない事ですね。
“御姿の場合は如何でせうか?
“御姿もいけませんね。
“教導所の出張所に私の頂いた御神体を一時御貸しして御祀り致す事は如何でせうか。
“それは構ひませんね、おかけしたッきりでそこで御祀りするんなら。それから、人に貸して上げるのも、その人が自分で頂く迄一時仮に貸すんならいゝですよ。
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“家族が御神体の意味が判らない為、家族に内緒で頂く人がございますが、これは如何でせうか。
“あゝ、これはいけませんね。これは家族が或程度理解したら頂く事ですね。早く御神体を頂けば早く理解するかっていふとそうでもないんですよ。むしろ、早く頂いてもしまっておく位ならすぐ御祀り出来る人に廻して上げた方がいゝですね。
“御額は如何でせうか?
“えゝ、御額も本当はそうなんですが、けど御神体程ぢゃありませんね。又、経師屋の都合だとか懐ろの具合なんかで早くおうけするんなら構ひませんよ。それから、大先生は今に忙しくなられて御額も頂けなくなるといけないから、今の中に頂いておこうっていふんならいゝですよ。
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“内緒で教修を頂く事は如何でせうか?
“まあ、臨機応変にやったらいゝんですよ。けど、家庭争議になっちゃ困りますがね。
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“御屏風を他の人におゝくりする事は如何でせうか?
“おくるって、郵便でゝすか?
“いえ、人に差上げます事で――
“差支へないですよ。けど、押しつけるんぢゃいけませんね。貰った方で、「何だこれ、迷惑だけど、折角持って来て呉れたんだから、まあ貰っておこう」なんていふのはいけませんね。
“差上げたのでは 御先祖が御苦しみになる事はございませんでせうか?
“そんな事はありませんよ。
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“信者が何かの理由で御道から離れた場合や、信者が死亡して家族に信仰心のない場合等には、御写真、御神体、御書体等はどの様にさせて頂いたら宜しいでせうか。
“これは本人とか遺族とかの意志に任せればいゝんですよ。
“譲って頂いても宜しいでせうか?
“結構ですね。
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“信者が死亡致しました場合、御守りは死体と一緒に火葬にする様にと承りましたが、土葬の場合には如何でせうか。
“之も遺族の希望によればいゝんですがね。然し、まあ、土葬の時は一緒に埋めずに外しておいた方がいゝですね。
“それを御額に表装しても宜しいでせうか?
“えゝ、結構ですね。
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“普通は大黒様だけを御祀りして居りますが、恵比寿様も御祀り致すべきでせうか。
“そりゃあ、両方御祀りするのが本当ですよ。つまりこれは夫婦ですからね。大黒様は木槌を持ってますが、あれはツチの宝を振り出すって働きです。恵比寿様の方は海の幸(サチ)です。だから之は両方が本当ですよ。然し、場合によっては大黒様だけでもいゝですがね。けど、恵比寿様だけではいけませんね。何故かって言へば、金銀の財宝を授けるのは大黒様の受持ですからね。だから、紙幣(オサツ)なんかも大黒様の方が合ふんです。
“両方御祀り致します場合、その位置はどの様に致したら宜しいでせうか?
“向って右が大黒、向って左が恵比寿です。左の方(向って右)が上ですからね。だから結婚式の写真でもそうで、今迄普通撮ってるのは反対なんですよ。あれは西洋風で、西洋は女の方が主だからあれでいゝんですが、日本は男の方が主ですからね、反対になるべきなんです。ま、本当言ふとそうなるんですね。人間も普通右手を使ひますが、これは左の方が上で右は労働者になるんです。左の「ヒ」ってのは霊の事であり、右の「ミ」は身ですからね。
“大黒様と恵比寿様と両方御祀り致しますと、真中に観音様を御祀り申してあります場合、観音様を真中からずらさなければならないと存じますが如何でせうか?
“そんな事ありませんよ、観音様は真中ですよ。――それにね、やはりこれも相応しなくちゃいけないんですよ。だから床の間が小さいくせに大黒様や恵比寿様だけが馬鹿に大きいなんていふのはいけませんね。
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“「気が散ったり眠られない時には鎮魂するとよい」との御言葉でございますが、鎮魂といふ事について御伺ひ申し上げます。
“人間ってものは始終心が動いてゝ、なかなか一箇所に居ないものなんです。人間の心はいろんな事を思ひますからね。で、これは心が分散してるんですが、それを一箇所に集めると落つくんです。だから、眠られない時なんか之をやると分散してた霊が戻って来て落着くから眠れるんですね。
“方法はどの様に致しますのでせうか?
“手の指をこういふ風に組み合はせるんです。左を下にして小指から組み、拇指は右を下にし左を上にし、坐る時左足の拇指を下にし右を上にするんです。気持がイライラしてる時にやると落着きますよ。私は神様に――どうしても判らない事があるとそうするんですが、そうすると神様の御意志がよく判るんです。所が、神様ってのは実にあっさりしたもんで、一寸もくどくないんですよ。急所をポンと言はれるだけですが、それでゐて実によく判るんです。この前或る問題でゴタゴタした時御伺ひしてみたら、神様は「アハハ……」と笑って居られた。それで私も判ったんですよ、笑って居られるのは心配するなって事ですからね。――昔はよくこの鎮魂をやったもんですよ。(御光話録第十四号参照)
“御浄霊の時にその方法を一緒にかねてする方がありますが宜しいでせうか?
“ありますね。然し、之は大本でやったんです。従って神道なんですよ。で、そんな事するのは大本上りの人ですね。(笑声)だから、やっちゃいけませんね、間違ひますから。
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“外国人でありながら、特に日本の文化芸術を愛し之に心酔した、例へばフェノロサ、小泉八雲、ブルーノ・タウト、ウォーナー博士等の人々は日本と何か特別な霊的関係がある様に存じますが如何でせうか。
“えゝ、先づ霊的が多いんですね。これは日本人の霊でアメリカ人に生れたのも沢山あり、又その逆のもあるんです、だから日本の霊統になるんですね、こういふ人は。 それからもう一つの原因があるんです。それは霊が向上――芸術的に向上すると或程度理解力が一致するんです。こういふ人達は日本の文化に憧れますけどね、日本の文化ってのは非常に高いんですよ。恐らく世界中で一番高いでせうね。だから、外国人であって日本文化が解らないのは未だ文化的に低いからですよ。だんだん高くなって来ると、「成程、これは素晴らしい」って理解する力が出て来るんです。そういふ人が偉いんですね。フェノロサは日本画を見て――展覧会で狩野芳崖の作品を見て「之はすばらしい」っていって日本画の価値を見出した人なんです。で、早速芳崖の家へ行って「あんたの絵は気に入ったからみんな売ってくれ」って頼み込んで沢山の絵を手に入れ、米国へ持って帰って展覧会をやったので、一躍芳崖の名は世界的に有名になったんですよ。滑稽な話があるんですよ、フランスに博覧会があって日本画を出品することになったんです。そこで芳崖は龍だの鍾馗だのと言った実際にない様なものを描いて出した。所が、こんなものは実際にないから駄目だって落選してしまったんです。その頃の日本の当局はそれ位理解力がなかったんですね。然し、フェノロサはそういふのをすばらしいって言ったんで、芳崖は一躍有名になったんです。それから美術学校長になり、有名な「悲母観音」を描いたんですが、あれは本当に傑作ですね。――ま、当時の日本人には美術的の高さがなかったんですね。昔は今より高かったけど、明治の御一新からこっち一時世の中が混乱し、その混乱期に洋学も入って来て、本来の日本文化を軽蔑し出したのがこの時代なんですね。小泉八雲は文学的に日本のよさを発見した人ですね。私も美術が好きなんですが、日本のすぐれた美術ってのは先づ東山時代から元禄までゞ、その中でも特にいゝのは桃山時代から元禄時代の間ですよ。この二百年程の間が本当によかったですね。あとの時代は大した事はありません。その間にすばらしい美術が出来た。すばらしい高さ――ま、匂ひっていゝますかね、そういふものがありますね。今の芸術には高さがない、低いんですね。こっちの頭が高いと近代の芸術は低すぎて楽しめないんですよ。近頃、米国人は大分芸術的に高まって来た様ですね。中にはこっちがびっくりする程日本の芸術が解る人もありますね。あの信実(ノブザネ)(註)の「三十六歌仙」は有名ですが、あんな衣冠束帯をつけた歌仙の絵なんか日本人でなけりゃ解らない筈ですがね、然し近来は米国人があれを幾ら高くても買ふんですよ、私も聞いて驚いたんですがね。又、フランス人で茶器の解る人もあるんです。茶器のよさなんて私でさへこの頃解って来たんです。あの、こきたない、わびだなんて言ふけど一体どこに芸術があるのかと思ってたんですがね、それがフランス人に解るんですからね。――然し、今に世界的に日本の芸術が解る様になって来ますよ。そして私は今それをやってるんです。――人間の趣味を高めるって事は宗教的に言っても偉い事なんですよ。
(註―藤原信実 鎌倉時代の画家、歌人、藤原定家の異父兄に当り、画は「似絵」即ち大和絵の肖像画に堪能であった)
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“芸術等をする人の人格が高潔でない事が多い様に存じますが、これはどういふ訳でせうか。
“全くですよ、私もそう思ふんですよ。然し、深く考へてみると無理もないんです。この間も或人と話したんですが、昔の芸術の方がずっと優れてゐる。私はこの前「日展」を見に行ったんですが、殆ど立止って見る様な絵はないんですね。チラッチラッと歩き乍ら見るだけだったんですよ。これは何故かって言ふと、一番の原因は生活問題の為で、それで思ふ様に案を練って描けないんですね。先日話をした人は或る有名な洋画家なんですがね、その人に「今年の油絵は大分真面目ぢゃないか、妖怪な人の絵もないし、地震で潰れた様な家なんかもない」(笑声)って言ったら、その人は「売れないからだ、皆売りたい為に真面目なのを描いてる」って言ってましたが、全くそういふ風に生活や商売に縛られてゐるから、たとへ人格者であっても思ふ様に制作出来ないんですね。この点を何とかしなければ大芸術は生れませんよ。
“昔の芸術には人の心を打つ深いものがありますけれど、現代のにはそれがありませんのは芸術そのものゝ堕落でせうか?
“客観的には堕落だけど、これもそう一概には言へないんです。喰へなけりゃいくら芸術家でもやって行けませんからね。終戦頃まではよく財閥が芸術家を保護してゐたんですが、今はもうそういふ事が出来なくなってますからね。私は終戦後の芸術品で「之は買いたいな」と思ったものはないんですよ。今言った様に終戦迄は芸術家にいゝパトロンがゐたので絵だっていいのが描けたんですが――例へば美術院には原富太郎が一人に一万円、当時の一万円だから大きいですよ。そして一年に一つ作品を作ればよかったんです。又、銀行家の今村清之助って人は((*1))平山ショウサイ(?)を保護してましたが、この人の作品は実によかったですね、蒔絵でね。現在この人の作品を持ってゐる人は余り居ないでせう、恐らく私が日本で一番沢山持ってるでせうね。この人なんか実際名手ですがね。然し、まあそんな訳で当分名手は出ないでせうね。
“フランスのゴヤなんかは如何でせうか、相当放蕩なんかした様ですがいゝ絵を描いて居ります。
“そうですね、けど、人格的に低い人のにはやはりいゝのはあまりないですね。日本のでも私の知ってゐる限りでは、すぐれた芸術家は人格的にもすぐれた所がありますね。あの尾形光琳なんかだってそうで、とても負けず嫌ひだったんですね。だからこんな話がありますよ。或時竹の皮に金の蒔絵を描いて、それにむすびを包んで花見に行ったんですが、外の人は綺麗な重箱かなんかに弁当を入れて来てゐて、光琳が粗末な竹の皮の弁当だもんで嘲笑したんですね。然し光琳が開けた竹の皮を見て人々はびっくりした、中が金の蒔絵ですからね。所が、びっくりしてゐる人々を尻目に、彼はむすびも食はずにその竹の皮ごと川の中へ投げてすてゝしまったんですよ。で、人々は二度びっくりしたっていふ話ですね。然し、これがお上に聞えて、身の程を知らぬ奴だって訳で京都から追はれ、江戸へ来て深川の材木屋に四年程世話になったんですが、その間にいゝ作品が出来たんですよ。まあ、光琳は「身の程知らず」だったんですが、又一面とてもいゝ所もあるんです。それは彼の絵位余裕のある絵はない、貧乏くさくないですね。――ま、そんなのもあるけど、何と言っても本当の名人は人格者ですね。芸能家だってそうで、名人と言はれる程の人は違ひますよ。芝居の団十郎だって私生活でも偉い所があったんですよ。
注:((*1)) 白山松哉
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“行為は人格の表れであると考へられる場合と、その反対と考へられる場合とありますが、どちらが本当でせうか。
“そりゃあ、人格の表れってのが本当ですよ。「その反対」ってのは本当ぢゃありませんね。けれども時によっては人格と逆の事もせねばならない場合もありますがね。例へば人格が高ければヤミはやらないと言ってゝも、その為に体が弱って死んでしまった裁判官もありましたね。だからそういふ事は時と場合に応じて臨機応変にすればいゝんですよ。然し、結局は何事も人格の表れですよ。人格の低い人ぢゃ立派な事は出来ませんよ。勿論、時には世渡りの為に便宜的な行為も必要だけど、人格の高い人はそれが自然どこかに表れて来て人から愛されるんですね。又、世の中には自分の人格が高い様に見せる人がありますが、こんなのはね、偉いと思はれたって大した事はないんですよ。それからもう一つ大事な事は大乗と小乗の点ですね。小乗だけでは本当ぢゃない、どうしても大乗でなくてはね。例へば戦争中よく言はれた天皇の為とか国家の為とかいふのは小乗ですよ。矢張り本当の人格は大乗的、世界主義的でなけりゃ嘘です。全人類の幸福を願ふといったものが本当なんですね。今の吉田首相なんかも戦争中はブチ込まれてたんですが、今は光ってますね。殖田国務相だってそうで、今は法務総裁ですね。所が戦時中はこういふ人達は国家の逆賊の様に言はれてたんですからねえ。……だから、どうしても大乗で行くやり方が本当ですよ。
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“同情、憐憫等愛の活動をしてゐる場合でも、他面憎しみの活動の起る時もありますが、これは如何なものでせうか。
“これは仕方がありませんね。人間は人を愛するって気持も、又憎む気持も起るもんですからね。然し、その憎む気持が行為、活動にまでなってしまっちゃいけないんです。そういふのは自制がたりないからですね。
“愛の心で何かを致して居りましても、「うるさいな」と思ふ心が起きて来ますが……
“そりゃあ、うるさいからうるさいと思ふんですよ。(笑声)然し、先方が自分より偉い人の場合にはそうはいかないでしょ?(笑声)例へば、隣りの部屋でラヂオがうるさい時には、矢張りうるさいと思ひますからね。それが家族か何かなら「おい、ラヂオをとめろ」と言ったっていゝですよ。それ位なら憎しみまで行ってないですからね。人間はね、日常生活をあんまり窮屈に考へすぎちゃいけないんですよ。広い心ですべてを許し合ふっていふのがいゝんですね。
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“娘を嫁がせます場合、姑のある所へやって姑に孝養を尽す方がその子の将来の為によいといふ人もございますが如何でせうか。
“そうですね、これはどっちとも決められませんね。お嫁さんやお姑さんの性格にもよりますしね。お嫁さんが割に素直で外の人と和合する性格だと姑があってもいゝけど、未だそこまでいってない人も沢山ゐますからね。だからそういふ変なお嫁さんと、変なお姑さんが一緒になったんぢゃ家庭の幸福は得られませんからね。(笑声)――だからどっちとも決められませんよ。
“父母なき場合、父母に尽すべき孝養を嫁いでから姑にしろといふ人もありますが――
“それはおかしいですね。そんな位なら霊に孝養を尽したらいい。そしてそれには世の為人の為になる事をして徳を積む事ですよ。ですからね、本当の孝養は死んでからの方がずっと大きいんですよ。生きてる時のは一時的で大した事はないんですが、死んでから霊界で救はれる様にして上げる事は大変な孝養ですよ。永遠の幸福を得るんですからね。だから、姑に孝行しろってのは霊を認めない唯物的なやり方ですよ。本当ぢゃないですね。
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“消極的借金はいけないとの御教示を頂きましたが、借金しなければならず、又その仕事をやめる訳にもいきません場合、御教へをどの様に考へるべきでせうか。
“これはね、最初出発がよければいゝんですよ。出発が悪いからこうなるんです。その仕事の出発がごく確実ならそんな事はないんです。不確実なのに手を出すからこうなるんですよ。だから大抵の場合は止めて出直せばいゝんですよ。それからね、人間は大抵誰でも自分の仕事が成功する場合だけしか考へないもんですが、成功だけぢゃなくて失敗した場合の事も考へに入れるべきですよ。そういふ風にすれば屹度大丈夫ですよ。所が普通の人のやるのを見てると実に甘いんですよ。(笑声)――全く、皆成功だけしか考へないんですからね。(笑声)だから、私は三段構へって事を言ふんです。例へば借金なんかでも、「返す頃にはこっちから金が入る筈だからそれを廻して返済しよう」と思ってゐても、大抵は期日迄に入らないもんで、そこでボロが出てしまふんですよ。だから、返済に廻すべき金が甲から入らない時には乙から、乙も駄目な時には丙を――といふ風に三段構へにしておく事ですよ。だから私は何時でもきちんと期日に金を払へるんですよ。けど、何時もあんまり金払ひがいゝもんだから、あすこには何時でも金があるって思はれてしまふんでねえ。(笑声)私はよく言ふんですよ、商売と心中しちゃいけないってね。商売してゝも、それがいけない時には何時でも別れられる様にしておく事ですよ。駄目なら何時でもよせる様にしとくといゝんですよ。そういふ風にしておくと、千変万化の行動がとれますからね。商売と心中する様になると致命的ですよ、再び立つ能はずって状態になりますからね。
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“只今私は工場休業中ですが、今後の進路を左記の中何れにすれば宜しいでせうか。
一、私鉄会社の電車用電動機の修理、この場合修理代金の支払ひは大体三ケ月位遅れます。
二、ラヂオ用変圧器の製造販売、この場合子供と二人でボツボツやりたいと思ひます。
“そうですねえ、これは自分の判断で両方を比べてみて有利な方をする事ですね。たゞね、この場合注意しなけりゃいけないのは、物事がスラスラ行くんならやってっていゝんです。といふのは、この信仰に入ってると、その仕事をどんどん続けてやっていゝ場合には万事が順調にスラスラ行くんです。所が若し続けてはいけない場合には神様がおとめになるためいろいろな故障が起ってスラスラ行かないものなんです。だから、何かと故障が起る時には止めたらいゝんです。又、どうする事も出来ない程事業が駄目になったら、それはその仕事をやめてこの信仰の事をやれっていふ神様の御意志と解していゝんです。この前こんな事があったんですよ。或る農家で八頭の牛が皆次々に死んでしまったんです。之は何の意味かって訊かれたんですが、こんなのは神様が農業をよせって御知らせになってられるんですね。そういふ場合、神様はその仕事がもうやって行けない様にしむけて下さるんです、そしてその代り御浄霊の方を忙しくして下さる、そんな具合にちゃんと段取りをして下さるんですよ。だからその通りやって行けばいいんで、それが「惟神(カムナガラ)」なんですよ。それを、そういふ時に「我」を出して、何が何でもやらうとすると却って苦しむ事になるんですよ。(御光話録第十二号参照)
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“現在私の勤めて居ります会社は破産状態にて、昨年から河川工事にかゝり今夏竣工致しましたが、下金なきため他に工事を見乍ら経営がうまく参りません。之は他に道を求むべきでせうか。
“そうですね、これも考へ直せって事ですね。今の仕事が駄目だったら外の事に方針を変へるんですね。そうするとね、神様の方で旨い具合に、ずっとよくやって下さいますよ。
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“仏壇は階下に御祀りしても宜しいでせうか。
“これはいけませんね、絶対二階に御祀りすべきです。階下では人間の方が上になってしまいますからね。
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“仏壇の上に御書体の御額を掲けさせて頂いても宜しいでせうか?
“御書体はいゝですよ。
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“位牌を新しく作りかへました場合、そのまゝ祀って宜しいでせうか。又その場合前の位牌はどの様に致すべきでせうか。
“御先祖に御移りして頂いたらいゝんです。そしたら前のは焼いたらいゝ。
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“経済的な理由から葬式後何年間も墓標だけにして石碑を建てられない方もありますが、之は如何でせうか。
“これはよくないですね。「経済的の理由」なんて事はないんですよ。どんな事があっても、どうしても石碑を建てると思へば必ず金が入るもんですよ。金が入らないってのはその思ひ方が足りないんですよ。生ぬるいことぢゃ駄目です、是非建てると思へば、ちゃんと祖霊の方で金が入る様にしてくれるんですよ。(御光話録第十四号参照)
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“身寄りの人や知人が死亡して、しかもそのあとを見てくれる人が居りません場合、その遺骨を自分の墓所へ自分の先祖のと一緒に埋葬する事は宜しいでせうか。
“埋葬してもいゝですよ。いゝんですが、そういふ人のは位を一番下にする事ですね。一番すその方に埋めればよい。先祖と同じだったりすると祀られる霊が苦しみますからね。そういふ風に霊界では順序って事が実際やかましいんですよ。
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“世間では行者などが「あなたには何々の霊が憑いてゐる」などとよく申す様ですが、そんなに簡単に霊が見えるものでせうか。
“簡単に見えるんですよ。けど、勿論修行しなけりゃ見えませんがね。大体、普通の行者は一生懸命に水垢離だとか断食なんかをやりますが、あれをやると自分の霊が稀薄になるんで、その為外の霊が懸り易くなるんです。そして懸る霊には狐霊が多いですね。所が狐霊なんかゞ懸ると霊が見える様になるんですよ。だから、霊が見えるなんてのはあんまり自慢にはなりませんね。それに又精神病にもなり易いですからね。だから精神病の人は一番よく霊が見えますね。よく精神病の人が「アゝゝッ」ってこんな事をするでしょ、空(クウ)を見つめてね、(笑声)あれは霊が怖いからですよ。
“そういふ人は何の霊でも見えるのでせうか?
“いや、そうぢゃなくて見えるのと見えないのとあるんです。耳もとなんかで囁くのもありますしね、向ふの霊が行者に憑く事もあるんです。然し、見える事が一番多いですね。こんなのを神通力だなんて言ひますがね、人によって出来るんですよ。
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“「地上天国」九号所載「御霊徳に知る自分の前世」といふ御蔭話について御伺ひ申し上げます。
一、自分の霊が自分に憑依する事があるものでせうか。
二、憑依といふ言葉を使ふ以上それは別な霊ではないのでせうか。
“一、そんな事はありませんよ。――それにね、霊のいふ事にもデタラメもありますからね。霊だってトンチキな事も言ひますし、狐霊は人をだましたりするし、低級霊だと間違ひを信じてる事もありますからね、一様に信じられませんよ。二、これはこの通りですね。
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(或人、自分のみた夢の意味を御伺ひ申し上げる)
“夢についての質問には答へない事にこの間決めたんですよ。――夢判断ってのは厄介なんでね。夢を見せるのは正守護神なんですが、正守護神にも頭のいゝのもあれば悪いのもあって、頭の悪い守護神の夢はなかなか判りにくいんでねえ。……(笑声)
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“薬剤使用者は霊体に曇りがある為に、自然に薬剤を使用する様になるのでせうか。
“霊体の曇りってのは誰でも皆あるんですよ。薬剤使用者だけぢゃないんです。薬を使はないのは観音教の信者だけですからね。かと言って観音教の信者にだって霊体の曇りはありますよ。
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“食物と健康について、一、大先生様は御朝食後甘薯を、御就寝前におしるこか御茶漬を御召 上りの由承りましたが、これはどの様な効果があるのでせうか。
“これは効果ってよりも、――つまり、私は栄養をとりすぎてるから、あっさりしたもので調節するんですよ。私は却って栄養過剰といふ事を心配してるんです。栄養の多すぎるのもいけないんですよ。栄養の少いのを喰べてれば人間健康ですが、今の人々は栄養過剰の結果病気になり、更に栄養を摂って益々栄養過剰にしてる、だから衰弱してしまふんですよ。
“そういふ食物には栄養が少いんでせうか?
“少いってより、つまり動物性でないから摂るんです。栄養ってものにも霊的と体的と両方あって、野菜なんか霊的ですが、魚だとか肉だとか言ったものは体的な栄養なんです。
“二、病人が野菜を多食致します時、どんな野菜が一番宜しいでせうか。
“これは、その人が喰べたいものを喰べたらいゝんです。よく、何々は体に薬だから喰べたくないものを我慢して喰べるって事がありますが、あんなのは全く嘘ですよ。喰べたいって欲が起るのは体に必要だから喰べたくなるんです。喰べたくないってのは体に必要ではないか、或は喰べてはいけないんです。人間の体ってのは実にうまく作られてゐるんですよ。それなのに人間の方で間違った事をやってるんですよ。
“混食といふ事は如何でせうか?
“やはり好きなものを喰べたらいゝんですが、原則は両方食ふ事ですね。
“胃の悪い人でも甘いものを非常に欲しい事がございますが……
“えゝ、食ひたけりゃ食ったらいゝですよ。
“然し、喰べますとあとで具合が悪くなります。
“悪けりゃ加減して食ったらいゝ。(笑声)やはり程度ですよ、だから程々に自制する事ですね。
“重傷の時に果物はいけないと伺ひましたが――
“そんなこと絶対言ひませんよ。――たゞ下痢が劇しい時だけはいけませんね。下痢がふえて体が疲れますからね。それ以外の時は構わない、果物だって神様が人間の為に作られたんだから極くいゝんです。それからね、子供に餡気はいけないってよく言ひますが、これは大変な間違ひですよ。以前六つ位の男の子が来たのでそばにあった羊かんをやったんです。するとその母親はびっくりして羊かんなんか喰べるのは生れて初めてだって言ふんですよ。子供の方は喜んでペロペロッと喰べちゃいましたがね。これはね、お医者さんが餡は疫痢の原因になるからって食はせないからですよ。そしてそれは医学の本に餡なんて書いてないからなんですよ。――ってことは、医学が西洋の直訳で西洋の医学の本にアンコだのミソシルだのはのってないからですよ。(笑声)だから、その代りお医者は牛乳だのオートミールだのって西洋の食物を喰べろっていふでしょ。――けど、日本の押割麦もオートミールも同じもんですからね。又、アンコが何故悪いかって言ふんですよ、小豆を粉にしてよく煮て砂糖を入れて作ったんだから実にいゝもんですよ。
“飴なんかは如何でせうか?
“差支へありませんよ。飴と餡は違ふけど、いゝですよ。却ってチョコレートなんかの方が体に悪いですね。
………………………………………………………………
“産前産後に就て注意すべき事を御伺ひ申し上げます。
“産前は余り注意すべき事はありませんね。ま、上に手を上げると流産する事がありますが、之は昔から言はれてますね。それから転ぶと胞(エナ)が首に巻くって言ひますが、おなかゞ大きくなると重心がとれなくなって転ぶんですね。たゞ一寸転ぶだけならいゝけど、梯子段から落っこちたりするのはいけませんね。それから仕事は普通にやってればいゝですよ。余り大事にしすぎない様にして産月(ウミヅキ)まで働く事ですね。お百姓の人なんか産むまで働いてますね。その方がお産が軽くて済むんですよ。 産後は大いに注意すべきですね。産後、古血が出切らぬ中は余り動いちゃいけません。最近は産後氷で冷す事をしますがこんな事も間違ひです。産後の出血は決して止めてはいけないんです。そして産後、殊に一週間位は何かするとそこへ古血が寄りますからね、歩くと足や腰へ寄るし、眼を使へば眼が悪くなるし、産後眼を悪くしたのは一生治らないってよく言ひますね。それからいろいろと心配すると頭へ古血が集るんです。産後に精神病になり易いのはその為ですね。だから、出血し切る迄は安静にして、それ以後は出血を見ながら動いたらいゝんです。まあ、一週間位の間は便所に行く位にして、三週間位までは体をかばひながら動いて、大体三週間で出血は止りますからね、そういふ風に出血と運動と睨み合はせてすればいゝんです。出血が止んだら大体普通の通りにし、七十五日経ったら完全に本式にしたらいゝんです。一寸妙な話ですが、夫婦生活も三十五日間はいけませんよ、恢復が遅れますからね。三十五日過ぎたら、まあ加減しい加減しい(笑声)したらいゝでせう。
“七十五日以後は差支へないでせうか?
“えゝ、七十五日経ったら普通でいゝですね。
“食物は如何でせうか?
“食物は何でもいゝですよ。
“入浴は如何でせうか?
“入浴も出血の具合で入ればいゝんです。普通は入浴すると出血するんで怖がりますが、今言った様に本当は出血していゝんです。けれども、まあ三週間位経ってからボツボツ入浴したらいゝでせうね。
“梅干や砂糖はいけないと申しますが――
“そんな事ありませんよ。けど沢山喰べちゃ食欲がなくなりますがね。やはり軽いものがいゝですね、しつっこいのはもたれますから。それから白粥に梅干がいゝってよく言ひますけど、これはよくありませんね。
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“姙婦で心臓の鼓動が非常に劇しい人が居りますが、これは何故でせうか。
“心臓と胃の間に毒結があるんですよ。そういふ人は物を喰べても動悸しますよ。殊に姙娠すると子宮が大きくなって胃を圧迫するので、おされた胃が胃の上の毒素を圧迫し、その毒素が心臓を圧迫するためですね。
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“姙娠五ケ月になりますと腹帯を致しますが之は如何でせうか?
“あれは外国ではしませんね、日本だけですね。子供は小さく産んで大きく育てるって意味でやるんですが、腹帯をしめると圧迫するんで育ちが悪い為に産む時楽なんですよ。又、腹帯を戌の日にしめるのは、犬は沢山の仔を軽く産むからそれにあやかるんですね。それから、腹帯をすると働きいゝんですね。腹がしまるから仕事するのに便利なんです。そういふ事もあるんですね。けど、こんな腹帯なんかは本当ぢゃありませんね。だから、どっちがいゝか自分で考へてやったらいゝ。それに余り帯を固くしめつけると流産する事がありますからね、怖いですよ。だから、まあ年寄りのうるさいのが居るんだったら腹帯をしたらいゝし、面倒くさけりゃしなくたっていゝですよ。(笑声)
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“袈裟掛(ケサカケ)子(臍の緒の首にまいてゐる子)及び花咲(ハナサキ)子(姙娠後に月経のある人の子)の生涯は不遇であるとの事でございますが如何でせうか。
“これは迷信でもあり迷信でもないですね。よく転んだり高い処から落ちたりすると臍の緒が巻くって事もありますが、兎に角そういふ変態になるっていふのはそこに親の罪穢れがあるためで、だからその子の運が悪い事もありますね。然し、生れてからのやり方によって不運も幸ひにする事が出来ますよ。花咲子の方は子供には関係ないですね。これはその母親の喇叭管の塞り方が悪いんですよ。又月経ではなく、古血の凝り固ってたのが出て来るって事もありますね。
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“子供の臍の緒を大事に保存しておく風習がありますが、之は矢張り保存しておくべきでせうか。
“こりゃあ、どっちでもいゝんです。ま、そういふ習慣がありますからね、保存する方が気持がよければ保存したらいゝし、処分したって別にどうって事はありませんよ。
“処分はどの様に致すべきでせうか?
“焼けばいゝんです。その人が死んだ時一緒に火焼にすればいいですね。
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“会員の二十五才位の婦人、姙娠五ケ月頃胎動の停止に気づき、医師の診断を乞ひし所、既に死亡し腐敗してゐるから手術を要する旨申し渡されましたが、手術を嫌ひ御浄霊十日程にて胎動があり再び診断を受けた所「死んでなかったかな」と申しました。之は仮死状態でせうか、又如何なる原因によるのでせうか。
“そうですね。ま、仮死とも言へない事もないですが、こういふのには衰弱等の原因もあるし、それから又、例へば臍の緒に毒の固りがあって圧迫する為栄養が胎児に行かないってこともあるんです。やっぱり腹の中に居ても乳を飲む様なもんで、その出が悪いから弱って来るんです。それから、心配事とか又は胃が縮小して食欲がなくなると子供にまで栄養が行かないんです。だから浄霊すれば栄養が沢山行くからよくなりますよ。
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“三十才の婦人(会員)現在姙娠六ケ月ですが腹部膨満せざるため医診を受けた所、三ケ月位で死亡してるから手術せよと迫られましたが、本人は何ら苦痛なき為手術を不安に思ひ御浄霊を希望して居ります。若し死亡して居りましても御浄霊により排出されませうか。尚この婦人は二児あり流産一回致しました。
“あゝ、これは本当に死んでても、浄霊すれば出て来ますよ。それからね、古血が固まってゝこうなる事もあるし、仮想姙娠って事もありますからね、こんな事も考へに入れるべきですね。――仮想姙娠なんて面白いもんでね、「生れるか生れるか」と思ってると腹が大きくなるんですからね。空気も入ってないのにねえ。
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“大怪我をした時や手術のあとで水を飲むと死ぬと言はれて居りますが事実でせうか。
“こんな事ありませんよ、大いに飲んだらいゝんです。何か間違ってるんですよ、水を飲むと死ぬなんて理窟はありませんからね。けど、まあこういふ事は考へられますね、手術をする時麻薬を使ふので 水を飲むと胸がむかついて吐く事があるんです。で、吐いたりすると体が揺れるから縫った所が外れたりするって事はありますね。それを懸念して水を飲ませないんでしょう。大怪我の時もそうで出血の為脳貧血を起すから、そうすると矢張り胸がむかつくんで水を飲んで吐きますよ、そうすると傷口が破れたり口が開いたりするんです。だから水を入れたからどうって事はありませんよ。
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“三十一才の婦人、本年七月頃より結核症状の御浄化を頂き御浄霊により一時よくなりましたが、最近再浄化を頂き衰弱し食欲は余りなく脈は百四十程あります。御救ひを頂けませうか。
“どうも結核はよく再浄化するんでね、大抵この時が危いんですよ。これも衰弱の程度によりますが、ひどくなると駄目ですね。で、こんなのの急所は一ケ所や二ケ所ぢゃなくて方々にあるんです。一番の原因は右の延髄ですね、こゝが浄化すると熱が出る、そうすると衰弱する、衰弱は熱の為ですからね。それから首、喉の辺の淋巴腺ですね。又頭のこゝ(脳天)の事もあるし腋の下、肩、腎臓、それから股なんかですね。股に熱が出てその為に咳の出る事もありますよ。以前そんな人がゐたので、あんたの肺病は股だ、股に肺がついてるって言ったもんですよ。そういふ急所を浄霊すると熱は下るもんですよ。
“その人も御浄霊致しますと熱は一旦下りますが、 又上って参ります。
“はあ、それは急所を外れてしまふんですね。急所をやると直き楽になるんですよ。それから浄霊すると却って咳が余計出る人がありますが、これは見当違ひの浄霊の場合がよくあります。例へば咽喉に原因があるのに肩を浄霊すると肩が浄化して来て、それが又咽喉に移るために余計咳が出るんです。平均浄化ですね。だから、浄霊しても熱が下らないとか咳がふえるとかいふ場合は見当違いぢゃないか考へる事ですね。普通は浄霊すれば熱も下り食欲も出て来るもんですからね。
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“憑霊によると思はれます場合、その霊を祀る事は如何でせうか?
“御祀りすると治るってのもありますが、まあ比較的少いですね。又、こういふ事もあるんです。御祀りすればいゝって言ふけど、霊は形式だけぢゃ駄目ですよ。どうしても祀る人が心をこめて本当に供養する積りでやらなけりゃいけませんよ。たゞ祀ったからってそれだけぢゃ霊は満足出来ないんです。
“供養の際雑念が入るのもいけませんでせうか?
“そりゃあ構ひませんよ。祝詞なんか上げてゝも雑念の入らぬ人は先づないでせう。心をこめてってのはそういふ事ぢゃなくて、例へば自分で祀るのは面倒くさいからって女中にやらせたりする事なんですよ。それからね、霊が懸らうとしてもこっちに力があると懸れないんです。所がこっちが弱ると懸れるんです。衰弱して死に近づくと懸ってる霊の判る事があって、そうすると霊の為の苦しみの様に思へるんですが、そんなのも弱ったから懸ったんです。それに医学では衰弱療法をやりますからね。霊も懸って直きのは離れますけど、懸って永い事経ってるのはなかなか離れませんね。勿論、祀り方とかその霊の要求の如何にも依りますがね。
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“会員(六十三才の男子)中風になり最初より御浄霊させて頂いて居りますが、最近右肩が痛み出し非常に痰が出て居りますが右手右足は未だ不自由でございます。全快致しませうか。尚御浄霊の急所はどこでせうか。
“痰がどんどん出てりゃ結構ですよ。之は右肩に毒血や毒の固りがあり、それが溶け出して痰になるんです。出るだけ出れば自由に動く様になって来ますよ。急所は痛む所、或は痛くなくても圧すと固りのある所です。それからこゝの所(首すじからあごにかけて)に中気の元があるんですからこゝもよくやる事ですね。こゝの血管が破れて毒血が頭に上り、そして反対側の手や足に流下するんです。又、逆中気ってのがありますが、これは溢れた血が頭に行かずにそのまゝその側の手や足に流れるんです。けどこの方は軽いですね、脳溢血にならず中風になるんですから――これだけでもノーベル賞の価値がありますよ。(笑声)
“中風患者の食事はやはり菜食が宜しいでせうか。
“菜食がいゝですね。中風になる人は肉食の人に多いですね。どうしても肉食すると血が濃く濁りますからね。
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“本人は勿論その一家は皆熱心な信者でございますが急に中風の御浄化を頂きました。今迄熱心であったゞけに多少の迷ひを生じた様子ですが、この様な場合どの様に指導させて頂いたら宜しいでせうか。
“この道の信者だって中風になりますよ。その代り信仰してると軽くて済むんです。そして治りもいゝですね。五六七教の渋井さんだって去年中風になったんです。渋井さんは三度やりましたがね、もうよくなりましたよ。最初は首のうしろ側にオデキが出来て毒血がうんと出たし、二回目の時は足の腿の外側に矢張りオデキが出来て毒血が出ましたね。あの人は大体祖父も父も中風ですからね、で、その筋なんですね。あの人がそんなぢゃ信用にかゝはるんで、私も大分骨折りましたがね。(笑声)
“やはり筋をひくものでせうか?
“えゝ、遺伝しますね。けど、渋井さんみたいに三回目だって治るんだからね、大した事はありませんよ。
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“四十五才位の男子、約四年前より右側の腕と脚が痙攣し出しました。別に脳溢血になった事はないとの事ですが、現在昼夜共に同じ様に相当劇しく痙攣し、又後頭部が重く凝ると申します。之は逆中気でせうか、又御浄霊はどこを主にさせて頂いたら宜しいでせうか。
“逆中気ですね、これは。之は殆どこゝですよ。(耳の後下方の首筋)こゝをよくやればいゝんです。こゝの毒血が溶けて手や足に固まったんだから。その外手や足の熱が出たり、痛んだりする所をよくやって上げる事ですね。それから腕の付根の所もよくやる事ですね。これは一寸悪性の様ですが気永にやってれば治りますよ。
“足の痙攣の場合は如何でせうか?
“足の時でも根本は首筋ですよ。――或る教導師で時々足が悪くなる人が居ますが、その人の眉間を一寸浄霊すると足が治ってしまふんですよ。だから足の悪いのだって頭が原因の事もあるんです。(御光話録第十二号参照)
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“四十七才の婦人、昭和二十年頃より胃病に悩み二十四年五月入院胃潰瘍と診断されました。同年十月退院自宅にて療養中ですが、日々背中から胃にかけて痛むと申します。之は治りませうか。
“こんなの、何でもないですよ。胃潰瘍なんてのは薬が作るんだから薬さへ服まなけりゃ治りますよ。薬毒が背中に固まってるんです。それが溶けて胃に還元するんです。――それからね、血が吐物や便にまじって出る時は胃壁に亀裂があるんだから、固形物を摂らずに流動食にする事ですね。出血が少しの時にはおかゆ位喰べてもいゝでせう。消化薬は胃壁も柔かくしてしまいますからね。
“この人は血は出ない様でございます。
“ぢゃあ、未だ胃潰瘍まで行ってませんね。治りますよ。けど、今迄服んでる薬が余計なら多少治癒迄に時間がかゝるでせう。それから胃潰瘍は胃癌の様になる事がありますが、これは胃の亀裂の所に毒が固まって臍みたいになるんです。勿論こんなのは本当の癌とは違ひますがね。
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“信仰雑話に「すべての鉱物はその土壌の性質、地霊の濃淡、気候の変化、年代の長短……等によりその種類が発生する」と拝読致しますが、地霊の濃淡とは如何なるものでせうか。
“これはね、地霊ってのは始終発散してるけど、岩石の層が無かったり薄かったりすると地霊は余計に出るんです。又、山上にはよく雲があるでしょ、あれは地霊が薄いからです。で、地霊の薄い所を低気圧と言ひ、厚ければ高気圧です。そして地霊の薄い処には水蒸気が集り易いから雲が出来るんです。ですから地殻の岩石の硬い軟いとか、又は厚薄によって変化がある訳ですね。
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“原子界の霊の部面が想念界になる、の御説から推理致しまして、電子の霊――無線の活用の如く、霊の活用により全世界人類が想念により通信出来る様な時が参りませうか。
“無論そうですよ。今に想念の時代、ま、想念の無線電波の時代が来ますよ。全然機械を使はずに例へばあんたの方を向いて空中に字を書くと、遠くに離れてゝもその意味があんたに判る様になるんです。しかも距離は百里でも千里でも構はないんです。又、普通に話をしても遠くの相手に通じる様になるんです。よくこういふ事があるんです。私は暫く会はない人の事を思ふと、その人があくる日ヒョッコリやって来るんですね。又、あの人に用事があるから一寸来て貰ひたいなと思ふと直き来るって事がよくあるんですよ。
“将来はそういふ事がより一層高度になるのでせうか?
“そうですね。
“その場合、霊の高い人の方がその力が強いのでせうか?
“そりゃあ無論そうですね。
“幾人もの人が それを致しますと混線する様な事はないでせうか?(笑声)
“いや、混線はしないんです。強い所とか、肝心の所へ来る様になるんです。私は今でも誰かゞ来た場合、「あいつ今日は何しに来たんだらう、あゝこういふ事で来たんだな」ってすぐ判ってしまふんで、変な事だと断ってしまふんですよ。
“将来は皆が誰でもそうなりませうか?
“そう、そうなるんです。――多少は違ふけど、今でも人心の機微を見るとか、機運を掴むとかいふのはそれに近いですね。……吉田首相もよく気運といふ事を知ってますね、で、出るべき時に出たから内閣が永く続いてるんです。今でも国民が相当支持してますね。彼は日本国中の人の空気を感じるんですよ。この前の芦田が首相になる時、吉田も出れば出られたけど、もう少し気運を醸成してから出ようって訳で今度出たんですね。まあ、そういふもんですよ。
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“水害で壊れた橋桁などを材料にして家を建てるのはよくないと申しますが如何でせうか。
“家ってものはね、貴重なもんなんですよ。人間がその中で生活するんだから。まあ、守護神みたいなもんですからね。それを作るのに、橋桁に限らずすべてね、一旦何かに使ったもので作るってのは間違ひですよ。これでは人間を侮辱する事になるんです。相応しなくなるんですね。同様に逆柱もいけませんね、木にもちゃんと上下がありますから、正しくやらなけりゃいけないんです。家は、多少生活方法にもよって差があるけど、出来るだけ正しくやる事です。けど、橋桁として使った材木を家の外側の何か粗末なものに使ふんなら構ひませんよ。
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“無肥料三年目の田で本年九俵とれましたが、穂が重すぎて七、八分通り倒れてしまいました。これは堆肥が多すぎた為でせうか。
“ほう。どんな具合ですか、これは水田ですか?
“はい、水田でございます。
“堆肥は何をやったんですか?
“藁をやりました。
“藁ね、外には?
“外には何も使ひませんでした。
“よく堆肥だけだって言ひ乍ら汚穢なんか入れてる人がありますがね。けど、之は九俵ならとれた方ですね。
“外の所は大体七俵で、田ブドーを使った所は六俵でございます。
“田ブドー?
“レンゲの事でございます。
“あゝ、レンゲですか、レンゲなんか要りませんよ。あれは肥料ぢゃなくて美しい花を見せる為に神様が御作りになったんですからね。これは何か他に原因がありますよ。
“少しも堆肥をやらなくても出来る事もございませうか?
“ありますよ。そういふ所は土が軟いんですね。藁を入れるのは土をあたゝめて軟かくする役目ですからね、寒い所は必要だが暖い地方なら要らない位ですよ。
“茨城の方で先祖から代々草一本入れないで四畝から四俵とる所があります。
“ほう、多いですね。
“農家ではよく自然供給量といふ事を申しますが――
“自然供給量って何ですか?
“例へば、一段の田から五俵までは自然のまゝでもとれる。然しそれ以上沢山とらうと思へば肥料をやらなけりゃいけないと申します。
“そりゃ、アベコベだ。(笑声)少しとるんなら肥料をやったらいゝし、沢山とるんだったら肥料をやっちゃ駄目ですよ。(笑声)つまり、それは迷信ですね。だから私が今やってるのは迷信打破なんですよ。所が、そっちの方でこっちを迷信だって言ふんですから、全く、よくも間違ったもんですね。(笑声)
“落綿加工を致します際多量の綿屑が出ますが、これを堆肥として耕作する事は宜しいでせうか。
“余りよくないですね。こっちで使ふ堆肥ってのは「自然」なんですから。綿の屑が自然に散る筈はないんですからね。どうしたって木の葉や草の葉がいゝんですよ。
(光話十六号 昭和二十五年一月二十日)