腎臓といふものは「物を洗ふ水の働き」をするものであります。
それで、心臓が熱を吸収して毒素を燃焼すると灰が出来るから、其灰の如なものを水で洗って流す。-それが腎臓の役目であります。ですから、毒物に中(アタ)ると、非常に下痢をしたり、小便が沢山出る。其際尿は、腎臓が洗った汚水であります。 昔は腎虚などと謂って、精液を造る器械といったものですが、其補助はするが、作り出すものではないのであります。
それで、大熱の出た後などはよく腎臓病を起しますが、それは心臓熱で燃焼した灰が尿に混って出るので、之を蛋白といひ、病気と思ふのでありますが、実は浄化作用の残渣であります。
牛乳を飲むと蛋白が少くなるといふのは、腎臓を弱らすから、洗ふ力が少くなるからであります。
又、窒扶斯や猩紅熱、扁桃腺炎の後など、よく腎臓が悪くなると謂ひますが、之は腎臓が悪くなるんではない、ヤハリ病素の洗ひ渣が蛋白となって出るので、非常に結構な事なんで、間もなく治るのであります。之故に蛋白の出るのは決して悪い意味ではないのであります。
腎臓は、そういふ訳で、水の方の浄化作用の役目で、心臓は火の方の浄化作用の役目であります。ですから、心臓と腎臓は、重要な夫婦役になります。それで、心のシに濁りを打つと腎のジとなってゐるのも面白いと思ふのであります。
又斯うも言へます。心臓は火、肺は空気、胃は土、腎は水の役であります。又、腎臓と肺臓が水で、心臓と肝臓が火の役とも言へるので、又、心臓が霊で肝臓は体、肺が霊で、腎臓は体とも言へるのであります。
腎臓病にも種々あります。腎臓結核、萎縮腎、腎孟炎等であります。
よく萎縮腎を腎臓結核と誤られます。
本当の腎臓結核は、右か左かどっちかの内部に水膿が溜結し、それが化膿して痛みを有(モ)つのであります。
そうして、普通は膀胱へ移行するもので、非常に悪性で、小便に血液が混るのであります。
そうして、膀胱結核から摂護腺、睾丸へ迄移行し、最後に到って睾丸は糜爛するのでありますが、斯うなれば間もなく死に到るのであります。
又腎臓をよく手術によって剔出しますが、多くは予後不良であります。
次に、萎縮腎は、水膿溜結が腎臓を圧迫するので、腎臓は充分の活動が出来ないので、其の為尿が溢れる、其尿が毒素となり、又は浮腫になるのであります。
此の診査は、腎臓部及び附近を指圧すれば必ず痛む個所があります。そうして此溢出した尿中の毒素を医学では尿酸と謂ひますが、私は之を尿毒と謂っております。 独逸の或学者は、「万病は尿酸が原因である」とも謂ってゐます。今も此説は相当認められてをるやうであります。
リョウマチスで、赤く腫れないのは此尿毒が原因であります。私は之を腎臓性リョウマチスと言ってをりますが、非常に治り易く、此尿素は割合に弱性で、溶解し易いものであります。
尿毒といふものは、凡有る病気になります。よく腎臓が悪くて肩が凝る人がありますが、之は矢張り、尿毒が肩へ集る人であります。
足が重倦く痛む人など、皆此尿毒が下の方へ垂溜する為であります。
最も多いのは、尿毒が腹膜へ溜るので、そして其所で凝る。之は、腹部を圧すと必ず痛む所がそれであります。
此尿毒は、肋膜、喘息の原因となる事もあります。ですから腎臓の為に喘息を起し、喘息の為に心臓が起るんですから、間接には、腎臓が心臓病の原因になる訳であります。
腎臓の原因で脚気と似てゐる症状を起す事もあります。之は割合多いので、或は真の脚気より多いかも知れないと思ふ程で、足が重く腫れたりなどして、脚気の如な症状を起しますが、脚気とは全然異ふ。私は之を“腎臓脚気”と言ってをります。
腎臓の周囲へ水膿が溜結すると、浄化作用によって発熱する。之を腎臓炎又は腎孟炎と言ひます。
腎孟炎の症状は、腎臓部の痛み、腫れ、発熱等で、又特徴として脚力が無くなり、歩行不能になるのでありますが、之は頗る治り易く、普通二、三回位で全治するのであります。
本療法によれば、腎臓に関する疾患は非常に治り易いんで、殆んどの腎臓的疾患は百パーセントの治癒率であります。
(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)