食餌の方法と原理

今日、食餌の方法として医学で説いてゐる事は、非常に間違ってゐるのである。 其誤りの第一は、食事の時間を決める事である。第二は、食餌の分量を決める事である。

食物の種類により、消化時間が一定してゐない事は、営養学者も認めてゐる。三時間で消化する物もあれば、五時間以上を要する物もある。それ故に、若し、食事から食事までの間隔を一定すれば、腹が減り過ぎたり腹が減らな過ぎたりするといふ、実際に適合しない事になる。故に、腹が減れば早く食ひ、腹が減らなければ延すこそ合理的である。それと同じ意味で、分量も定めないのが本当である。腹が減れば多く食ひ、腹が満ちれば少く食ふのが合理的であり、それが自然であるから、その様に調節すれば、胃腸は常に健全である事は言ふ迄もない。丁度寒いから綿入を着て、火鉢に当るので、暑くなれば浴衣を着、氷水を飲むのと同じ理である。寒暑に対する調節や、其他の総てに良く調節をしたがる人間が、独り食物のみを調節しないで一定すると言ふのは、如何にも不思議である。是等は全く医学其ものの誤謬が原因である事に気付くであらふ。然し、境遇上、例へば、時間的労務に服してゐる者は、時間の調節は不可能であるから、せめて食物の分量だけでも調節するより致方ないであらふ。然し乍ら境遇上、可能の人は是非そうしたいのである。

次に、今日の人間は食物に就て非常に誤った考を抱いてゐる。それは、何を食べると薬だとか、何を食べると毒だとか言って、食ひ度いと思ふ物も食はず、食ひ度くないものも我慢して食ふといふ謬りである。本来凡ゆる食物は、造化神が人間を養ふ為に、種々の物を造られたのであるから、如何なる食物にも人体に必要な養素が、それぞれ含まれてゐるのである。そうして、其営養素は、科学や試験管で測定するよりも、もっと簡便な正確な方法がある。それは、何であるかと言ふと、人間自体が其時食べ度いと思ふその意欲である。何故、意欲が起るか。それは、其時其食物が肉体に必要だからである。故に、之程正確に測定される機械は無い訳である。恰度、喉の渇いた時に水を欲する様なもので、それは其時水分が欠乏してゐるからである。故に、食べ度くないとか、不味とか言ふのは、其食物が其時必要でないからで、それを我慢して食えば、反って毒にこそなれ、薬にはならないのである。満腹の時、如何に嗜好する物も、食ひ度くないといふのは、今は、食物一切、不要といふ訳である。故に、最も理想的食餌法を言ふならば、食べたい時、食べたい物を、食べ度い丈食ふのが一番良いので、少くとも、病人だけはそうしたいものである。

又、近来病人に対し、芥子(カラシ)の様な刺戟的の食物を忌むが、之も大変な誤りである。之も人体に必要あればこそ、神が造られたのであって、辛味、香味などの味覚は、良く食欲を増進させるからである。又、今日の医学は或病気に対しては塩を制限し、或病気に対しては糖分を禁止するが、之等も誤ってゐる。成程、それによって一時は軽快に赴くが、持続するに於て逆作用を起し反って身体は衰弱し、病気は悪化するものである。

次に咀嚼に就て言はんに、良く噛む程いいといふ事は世間でも言ひ、又、多くの人もそう信じてゐるが、之も間違ってゐる。之に就て私は、実験した事がある。

今から二十年位前であった。アメリカにフレッチャーと言ふ人があった。此人が始めたフレッチャーズム喫食法と言ふのがある。それは、出来る丈能く噛む、ネットリする位まで嚼めば良いといふので、其当時大分評判になったものであるが、それを私は一ケ月程実行してみた。最初は非常に工合が良かったが、段々やってゐる内に、胃が少し宛弱ってゆくのが感じられ、それに従(ツ)れて何となく、身体に力が薄れたような気持がするので、之は不可いと思って、元の食餌法に変えた所が、忽ち力を恢復したので、此実験によって、良く咀嚼するといふ事は、胃を弱める結果となり、大変な間違ひであるといふ事を知ったのである。然らば、どの程度が一番良いかと言ふのに、半噛み位が一番良いので、その実行によって、私の胃腸は爾来頗る健全である。

次に、食物に就ての概念を知ってをく必要がある。それは、魚でも、野菜でも、多く収れるものは、多く食ふべきもので、少なく採れるものは、少く食ふのがいいのである。

例へば、夏季、茄子は非常に多く生る。又枝豆は、夏季だけのものである。故に、茄子と枝豆を、夏季は出来るだけ多く食ふのが健康上いいのである。茄子を食ふと、痰が沢山出るといふのは、体内の汚物を、排除する作用があるからである。又、秋は、柿を出来る丈食ふべきである。柿は冷えるといふが、冷えるのではなく、洗滌をする力があるので、それが尿の多量排泄となるからである。此理に由って、特に秋の秋刀魚(サンマ)、松茸、冬の密柑、餅等などもよく、春の菜類、筍等もいいのである。 次に、梅干に就て、特に注意したいのである。之は病人には絶対に不可ないのである。元来梅干なるものは、昔、戦争の際兵糧に使ったものである。それは、之を食ふと消化が悪いから、少量にして腹が減らないといふ効果に由るからである。故に、ハイキングなどの弁当用としては、空腹を予防するからいいのであるが、運動不足である病人には甚だ不可なのである。之は、酸味が強過ぎる為、胃の消化に対し、非常に故障となるものである。

(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)