抑々、病気の根本原因とは何か。それは、一言にして言へば精霊の曇である。本来、人体は精霊と肉体から成立ってゐるのであって、肉体ばかりであるならば、それは単に物質でしかないのである。
そうして、精霊の中心に支配者としての魂がある。其魂こそ実に生命其ものであるから、生命を演繹したものが精霊である、とも言へるのである。そうして、精霊を物質化したものが肉体である。従而、肉体を動かす場合、生命である魂が意志を生じ、間髪を容れず精霊を動かし、又、間髪を容れず肉体を動かすのである。別言すれば、生命即魂であり、魂即精霊であり、精霊即肉体である。猶今一歩約めて言へば、生命即肉体であり肉体即生命である。
故に、肉体の毀損が生命の断絶となり、生命の断絶が肉体の死となるのである。此理に由って、肉体と魂との中間体の存在である両者の媒介者としてのそれが精霊である。
故に、病気の根元は魂其ものから出発するのである。然し乍ら、先づ病原を二大別する事が出来る。一は外部的即ち肉体から病原を作る事もある。それは例へば、飲酒、不純な性的行為、服薬、注射、種痘、肉食過度等であって、今日迄の病原としての解釈は、此肉体的方面ばかりである。(尤も右の中、服薬、注射、肉食等は、現代医学の解釈に於ては可とするが、本療法にては不可とする)
故に、治療の研究も、此肉体的方面のみを主としてゐる事それが誤謬である。実は真の病原は魂にあって、肉体は従であるのが真相である。何となれば、肉体はそれ自身に発言権も、命令権もないので、一切は魂の命ずるままに動いてゐるからである。謂はば、魂の衣である。人間が其衣服を着用する場合、意志のままにするのと等しいのである。従而、衣服が余りに毀損し、余りに汚醜した場合脱却するのが普通である。それと同じで、肉体が余りに毀損して、使用に堪へない場合、魂はそれを脱却して霊界へ赴く。それを称して死といふのである。
此理によって、病気が先づ魂に発生する場合、それは魂の全体、又は一部に曇を生ずるのである。それが精霊に移写し、又、それが肉体へ移写する。其場合精霊の曇は、血液の溷濁となり、それが膿汁と化するのである。其膿汁が滞溜し、固結する。それの排除作用が、肉体的に言へば病気と称するのである。故に病気を治癒する真の方法としては、精霊の曇を払拭する、それ以外には絶対に無いのである。故に、曇の残存する以上、肉体の方を如何に治癒しても、再発するのは当然である。医療に於る再発の多いのは、此理に由るからである。
本療法は、神秘光波によって、此曇を拭払する。それが為即時浄血し、即時痛みは去るのである。其際誰しも奇蹟とするが、決して奇蹟でも不思議でもなく、右の如く洵に合理的方法である。
斯の如く、一切の病原は肉体からと魂からの両方面である。然し、茲に自然法則を知らなくてはならない。それは物質は凡て無形の霊に支配されるといふ事である。それ故、肉体的原因に由る疾患と雖も、精霊の浄化にあらざれば根治しないのである。又、別の意味から言っても、肉体的病原を作る其根原は結局魂にあるのであるから、魂とそれによる精霊の正純化こそ、実に病気治療の原則であって、それ以外真の治療法は無いといふ事を、断言し得らるるのである。
(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)