観音力療病といふ言葉は、開闢(カイビャク)以来未だ無かった言葉である。それは、観音力療病なる方法が、開闢以来未だ生れなかったからである。それに就て、観音力なる此力は、如何なるものであるかといふ事を述べたいのである。即ち、観音力とは観世音菩薩が、或選ばれたる一個の人体を機関として、救世済民の為揮はれる不思議な力である。一体此不思議な力とは何であるかと言ふと、それは光と熱と水霊である。此光熱水は、太陽が放射する光熱と、月光のヱキスとのコクテルとも言ふべきものであって、其霊妙なる光波は、彼のラジュウムやX線、紫外線等の何百倍であるかは測定が出来ない程の治病力あるものである。故に、今日の学問と人智の程度では、到底認識出来得ないものであるから、実地体験より外に真相を把握する手段は無い。実に此光波こそは超Xである。故に此光波によって、一度難病が治癒せられ、又は大奇蹟に遭遇する時、初めて観音力の不思議さと、偉大さを識り得るのである。そうして此力は、釈迦も基督もマホメットの如何なる聖者と雖も有ってはゐなかったものである。その最大理由としては、時期の関係であった。若し、是等の聖者の一人にても揮ったとしたら、其時限り病無き世界となってゐた筈である。然るに、今日も猶依然として、否益々病苦に悩む者衢に充つるの事実は、それを證して余りあるのである。眼に見えずして治病力の強大なる観音力は、実に量り知れない力である。之に就て一つの例を挙げてみよふ。私が「治病観音力」と紙へ書く其紙を折り畳んで誰でも可いから懐へ入れるとする。そうすると、其文字の意味が光となって活動をなし、其人の手から指から射出する。従而、其人の掌や指が、病人の患部へ触れる時、苦痛は忽ち軽減するのである。故に、医学で治らなかった難病も続々治癒される、といふ大事実である。
斯様な事を言えば、信じないばかりか、私に抗議を申込む人があるかも知れない。又、当局から誇大視せらるるかも知れない。然し、事実は枉げる事は出来ない。百の理論と雖も一の事実を枉げる事は、為し得ない訳である。
確かに世界の黎明期は来てゐる。人類全体が光明に浴する時が来てゐる。此空前な力の顕れが、それを物語って余りあるであらふ。
(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)