七月一日
朝からは、初めてだから変ですね。
「連日の来客で御疲れでは――」
なんだか、性格が変つた様です。面白い様な、骨の折れる様な――。
「陳列品は時々御変えになられますので――」
いいえ、連続です。秋に――十月に琳派展をやる積りですが、それ迄変えない積りです。何処の展覧会もそうです。幾月なら幾月と、そのままで通して、ちよいちよい変えるという事はないです。
「昨日は佐藤朝山先生の猫が変つてをりましたが――」
あれは、平櫛田中という人が来るので、どうしてもあの人の物を出さなければならないので――丁度ありましたから、変な人物を出したんです。田中さんが見て、之は少しひど過ぎる、今度はもつと良い物を出しましようと言つていたそうです。
「御招待の方は中々一流専門なので、言つている事を聞いてをりますと面白く、天狗が随分――」
いや、兎も角天狗としては大したものです。
「一休の讃には五、六名が非難しておりました」
もう変えました。私もあれは分つているんです。
「昨晩の宴会の席で長与博士が感想を述べ、来る迄はあんなに立派なものと思わなかつたが、来て見て喫驚した。何んでも、批評すれば幾らでも出来るものだが、斯ういう事を実行したという事は敬服する。という様な意味の事を言つて居りました。それから中川一政画伯は、現代物が非常に見劣りがすると言つておりました。大観でも栖鳳でも良いに違いないが、あゝいう良い物の中に現代物はどうも――と言つておりました」
現代物を並べない方が良いと言うんですか。あの人は分らないんです。蒔絵は古いものより現代物の方が良いですよ。書画ですか――良いです。栖鳳なんかも良いです。古画に負けないです。栖鳳の竹なんか光琳に少しも負けませんよ。尤も現代物の古径とか靭彦になると確かに負けますが、然し栖鳳、雅邦、大観――あれは負けていません。蒔絵は現代物の松哉は断然昔のより抜いてます。
「因果経でエピソードがあります。此間中学校の教頭が来ましたが、益田さんの処で見たそうです。なんでも、信州の青年が斯んなものがあるが金になるかと持つて来たので、益田さんが驚いて二万円やつて、此金は他のものに使つてはいけないと言つてやつたそうです。青年は無造作に持つていたそうです」
二百三十行あつたのを幾つにも切つたんです。一巻が二百三十行です。一番長いのが八十四行。それから五十四行二つ。あとは三十行、十行と別けたんです。切つた道具屋が私の処に来ます。
「湯女は皆褒めてます。長与さんも松田さんも、一番推奨してました」
肉筆物では一番です。
「浅野さんや其他の、見に来た人はみんな湯女を褒めてます」
そうでしようね。
「大体又兵衛より前だろうと言つてます」
私もそう思つてます。むしろ又兵衛はあれから影響を受けたんだろうと思います。あの時代は落款を入れないので分りません。又兵衛なんかあれから余程経つてます。
「昨日の久志さんというのは陶器の研究家で御座いますか」
そうです。久志さんは中々分りますが、幾らか知つたかぶりという処があります。一寸こじつける処があります。
「美術工芸によく書いてますが、随分口の悪い人で――」
そうですね。元支那の公使館の何かをしていたんじやないですか。官吏ですよ。
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「宗達は光琳より五、六十年前で――」
もつとです。二百年位です。歴史が色々になつてますが――二百年という説と百五十年という説とあります。兎に角百年以上は違います。
「琳派という系統は抱一でお終いで御座いましようか」
お終いでもない。抱一の弟子で其一(キイツ)というのが一寸出来ます。其一の画帖は直さなければならないが、出します。空棚になつた処があるでしよう。あそこに其一を出します。其一の次が明治時代の道一という人です。此人で終りです。それから、美術院というのは光琳を復活したというものです。岡倉天心の目的はそれです。光琳を現代に生かせというので、無線画を始めたんです。つまり光琳、宗達は無線画――線を省いたんです。美術院で光琳の無線画をやつて、最初朦朧派という綽名を附けられて、それが馬鹿に人気を拍したので、日本画はみんなそれを真似したんです。今の日本画はそういう意味になつていて、結局光琳が現代に来ているんです。最近はそれに油絵を採入れたんです。
「宗達より光琳がずつと上に御覧になつて居られますので――」
ずつと上とも言わないが、それに光琳は宗達の真似をしたんです。ああいつた画き方は宗達が元祖です。ですから、物に依つてはどつちとも言えない。只光琳の方が絵に破綻がないです。宗達の方は未完成といつた何があります。だから宗達は非常に良いのと悪いのがある。光琳にはそれがないです。悪いというのは滅多にないです。だから、結局光琳の方が上という事になります。
「宗達の鶏は一般が非常に褒めます」
たらしこみというのは宗達が元祖です。あの、にじみ出たものです。今も真似してますが、たらしこみが最も良く出たのが鶏です。宗達の特色が一番良く出てますからあれを出したんです。
「雪舟も珍しいもので――」
珍しいです。
「褒めてました」
雪舟はもつと乱暴に画いてあるんです。処があれは実に入念に画いてあるんです。画き方が実に丁寧なんです。
「武蔵の達磨も――」
あれも良いです。
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「絵なんかには色々な議論が出てましたが、陶器類は非難の声は聞かず非常に褒めてますが、特に力を御入れになられたので御座いますか。久志さんは非常に褒めてました」
あの人は其点は良く分ります。支那陶器を褒める人は確かです。他の人は分らないんです。けれどもあれ程分つていても青磁は分らないです。青磁というのは難しいです。日本に青磁の分る人はないです。みんな意見が違います。今日来る事になつてますが小山富士夫という人、それから尾崎洵盛。尾崎さんが一番なんです。小山さんが其次で、久志という人が三番目なんです。尾崎さんと小山さんは鑑識に於て幾らか専門は違つているんです。久志という人と小山さんが去年あたりから非常に喧嘩しているんですが、小山さんが負けそうなんです。どつちも支那の陶器や窯(カマ)を研究してます、やつぱり天狗ですが。――支那の窯丈研究しても分らないです。大変に数があるんです。
「良いなと言う後に非常に理窟がつくのです」
そうです。それで断定が出来ないんです。だから一致する意見というのはないです。他のものはあつても、青磁丈は合わないです。それだけに青磁は難しいんです。然し一番良い青磁の香炉――あれ丈は非難する人は一人もないです。皆恐れ入つてます。だから、やつぱり本当に良い物は誰でも頭を下げます。あれは世界一です。支那陶器の中で、世界一の物が幾つもあります。青磁の良いのは米国や英国にも無いです。私位のものです。英国のデヴィットなんかは青磁は大いに自慢している様ですが、それがみんな若いです。明(ミン)以後のものです。私の処は青磁は殆ど宋です。
「難しいのか、良いなと言つて理窟は言いません」
分る人はないんですから――。
「一休のは――」
一休は最初から駄目なんです。一休の肖像が画いてあつて、其隣が一寸大したものですが、私は気持が悪いので変えちやいました。今度は一寸良い物を出しました。道風の継色紙というのを出しました。古筆もあんまりなかつたのです。然しそういう風に見て呉れるという人があるという事は張合があります。
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「布教者の立場と致しまして、メシヤ教を再認識して帰つて呉れる事が一番嬉しく思います」
そうそう。新宗教に対して一番誤解している人に向つて、美術館は一番でしよう。さもなければああいう人達には効きつこないです。入ろうとしないです。やつぱりあゝいつた専門なり学者というのは局部的で、全般的に見る人は殆どないです。昨日の中村勝馬という画家が牧谿の双幅を非常に褒めてましたが、あの人は宋元画ではあれが一番良いんだ。宋元名画集でも牧谿のあれが一番好きで、今度本物を見せて貰つて実に嬉しいと言つてましたが、やつぱりそれは間違つていないんです。吉屋信子なんか九谷が一番好きだそうです。一番最初に陶器を好きになるのは九谷なんです。それから進んで行くと支那陶器になる。それから本当に良いのは仁清ですが、仁清というのは世の中に無いから、そこで世の中の人は知らないです。仁清は日本陶器としては一番です。ですから、仁清を出したんです。
「仁清の茶碗は褒めております」
あれは有名なものです。仁清の茶碗ではあれが一番です。
「花車を引いているものというのは、変つているので珍しがりますが、矢張り茶碗が一番で――」
そうですね。仁清の壺があると良いんですが、壺が無いんですよ。
「得意なのでしようか――」
得意という程ではないが、大きいから見応えがあります。壺の良いのは、博物館の梅の壺です。長尾美術館の藤の壺、根津美術館の京都の吉野山の風景。此の三つが良いんですが、之は買う事は出来ないんです。長尾のは一時売る様な話でしたが、あれを売つちやうと呼物が無くなつちやうんです。ですから何うしてもあれ丈は離さないです。ですから壺さえあれば、此美術館も天下無敵です。仁清の水指があつたでしよう。あれでも大したものです。仁清と乾山は世の中にあんまり無いので、皆見ないから趣味が湧かないんです。乾山の鉢なんか見て呉れなければしようがない。吉野山、立田川とありますが、あれが大したものなんです。未だ、九谷や柿右衛門、鍋島を見る人は、陶器の方も素人からやつと何した位です。博物館に行つても、仏とかそういうものは知つている人がありますが、ああいつたものは寔に無いです。見る処がないです。光琳、宗達は未だ色々ありますが、いずれ琳派展をやりますから今みんな出さないで、成可く出さない様にして取つて置くんです。光琳なんかでも、未だすごいものがあります。去年博物館で開いた時は随分人気を呼びました。あの時はマチスと一緒でしたが――。文化財保護委員の富士川さんという人に琳派展を話したら、博物館の物なら何んな物でも自分が世話するからと言つてました。
「木曾川上流の日本平に乾山焼というのがありますが、字は違つております」
それは模倣物です。乾山の弟子とか、何代目とかいうのが其処で焼き始めたんでしよう。初代の本当の乾山は京都と江戸の根岸です。他には無いです。
「栃木県に――」
そんなのは聞きませんね。
「栃木県の土を使つたと――」
栃木県の土を使つたのでしよう。焼いたのは根岸です。
「鶯谷の――」
そうです。その子孫という事になつているんですか――兎に角縁はありますが、乾也というのがあります。明治時代に、根岸でやつていて向島に越して、乾山風のものを作つた。簪玉が上手くて、乾也玉と言つて、明治時代には非常に流行つたものです。古い女の人は知つていますよ。乾山は、学者が研究した結果間違えて、色を使つたのは乾山じやないという説になつて、博物館もその説を信じて、乾山の色絵物は博物館で出さないんです。今以つて黒絵丈でしよう。近来になつてそれは間違つているというので、大分色物の方に傾いて来ましたが、今となつてはそういうものは博物館の手に入らなかつたから無いんです。黒いものは、今私の処に色々あります。今度の琳派展の時に取つて置きます。何時か北原君の処から持つて来たんです。未だ持つているんですか。
「何うで御座いましようか。お茶席のお菓子皿でとても宜しいのが御座いましたが――」
あれは良いです。
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「今日西洋人が十人程来る事になつておりましたが、断つて来たそうです。矢張り日曜でなければ駄目だそうです。今度日曜日にお招びになられましては――」
そうですね。あつちの人は几帳面ですからね。
「それに朝鮮問題が紛糾してをりますので――」
そうですね。その内に機会を見て――。
「フランスとイタリアの大使館は来る事になつてましたが、非常に好きだそうです」
いずれ来ますよ。それに評判を聞くでしようしね。
「昨日、今日の鑑識家が帰つて評判になります。皆大したものではないと思つて来た様です。長与さんとか谷川さんという人は褒めるものではありませんが――」
そうそう、悪口の方です。反つてそういう人達の方が張合がありますよ。
「また、褒めるとなると馬鹿に褒めます」
それが本当かも知れないです。我々だつて世の中に褒めるものはあんまりないですから――。現代の絵なんていうのは、私は褒めたくも褒める処がないです。
「兎に角あの人達が日本一という折紙をつけて呉れます。今度は世界一に――」
世界一ですね。熱海に出来れば無条件で世界一です。それから富士川さんが話していたが、アメリカでもそう大きいのは無いそうです。私はアメリカだから大きいかと思つたら大抵此位だそうです。それにアメリカでもイギリスでも特殊なものです。支那の物と言えば陶器、銅器。日本の物は版画か光琳の贋物。蒔絵の怪しげなもの。日本陶器は殆どないです。イギリスでも、仁清は少しありますが、その仁清も怪しいものです。日本の物としては版画丈でしよう。版画は日本以上です。ボストン博物館は大したものです。
「益田さんは未だ持つているで――」
博物館に出しました。だから去年なんかも博物館で展覧会がありましたが、どうも良い物は無いです。外国で蒐め始めたというのは、肉筆は見る機会がなかつたからです。大名が仕舞つて見せなかつたからです。版画丈は市中に出てましたし、安いから買い良いですしね。
「家庭に保存して出さなかつたという事は、見せたくないという事もありますが、出して置くと悪くなる。それに外国に持つて行つて見せるという事は傷(イタ)みますから――」
それなら又色んな方法もあるし、短期間やるとか何んとかすれば良い。それは、ほんの口実で、実は見せたくないんです。
「博物館では掛物一つ掛けるにも扱いが悪いので、見せたくないという封建的な事になりますが」
やつぱりそれがあります。絵ならそうですが、蒔絵とか陶器とかは何んでもない。百年置いても何んともない。だからそういう物を出せば良いが、出さない。そういう懸念があるのは絵丈でしよう。あれは褪色したり、皺が出来たりがあります。私の処でも、掛物丈は何ういう風にすれば一番良いか研究する積りです。
「博物館でやるのはハラハラするそうで――」
心得を持たなかつたり趣味がなかつたりするし、お役でやりますから――それはあります。それに博物館は予算が無かつたのでね。
「物を見せて自慢したいというのと、人に見せないで自分丈というのは、本霊と副霊の――」
それ程喧ましいものではないが、それは独占慾です。つまり独占の一番強いのは男女関係でしよう。だから支那人は自分の夫人を人に見せない様にしていた。それからトルコ人が夫人の顔を見せない様にしていた。之は独占慾のごく極端なものでしよう。
「二階の髭の生えた像は非常に褒めてましたが――」
印度のガンダラと言つて二千年位前の物です。あの時分にああいう物が出来たんです。あれ程の名作はないです。あれと同じものが大英博物館にありますが、あれよりもつと年取つてます。此処にあるのがずつと美男です。それを知つている人は褒めます。恐らく世界に無いでしよう。実に良く出来てます。印度のガンダラという処で出来たものです。もう一つは石の首があつたでしよう。あれは良い物です。支那の大同の石仏というのがありますが、あの時代に出来た最高傑作です。何年位になりますか、今調べてますが、相当古いものです。良く出来てます。
「何処から掘出して来るのか良い物がありますね。と言つて居りました」
兎に角日本という国は不思議な国です。
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「博物館では一日平均五百人で、一人十円、団体が五円で、今百八十人使つているので、人件費丈でも大変だそうです」
そうでしよう。何うしても政府で予算を増やさなければ駄目です。美術品の買入費というのは、つい去年あたり迄は二千万円でした。今は増額したでしようが、知れたものです。今文化財保護委員会の方の所属になつてますから――委員会の方は予算も一億以上あります。その代り色んな事があるんです。国宝保存がありますから――。
「古城とか――」
そうです。古い寺だとか――一億円位じやしようがないです。
「会長は誰でしようか」
会長は高橋誠一郎じやないですか。此間来たのが総務部長です。だから斯ういう美術館というのは文化財保護委員会で拵えなければならないものです。だから、之が出来たという事は国家が非常に喜ぶんです。
「昨日来た有士連中も、斯ういつたものがあつても良いと考えて居たらしいので――」
そうでしようね。あつて良いどころの騒ぎではなく、なくてはならないんです。何しろ日本美術の紹介機関というのがないんです。それと位置が変な処にあつては嫌です。外客は来ないです。箱根はその点は良いです。
「明主様に鑑識はないと思つていたので、見てすつかり驚いて、美術学校を出たのか、何ういう造詣があるかと言うので、私は霊感だと言つて置きました」
それは良いです。
「絵なら絵を掛けて、嫌な気がすると買わずに返す、すると後でそれは贋物だつたという事が分る。と、説明するより仕方がありませんので――」
それが本当だからね。全く贋物丈はないです。
「何十年も前から研究していた様に思うんです。大抵は良くても三分の二は贋物だそうで――」
そうです。
「白鶴でも、初めは随分取替え取替えで、いかさまがあつたそうですから――」
そうです。三十代から九十迄でしよう。本物が分つて来たのは二十年位前です。それ迄に一千万円月謝を払つたそうです。
「塩原さんも大分売つてますが半分は贋物だつたそうです」
贋物だつたらしようがないんです。十品見て一品買えば良い方です。気の毒になりますよ。五、六点位、小僧に持たせたり自分が持つたりして、此処に汗かいて上つて来て、一品も買わないでしよう。その代り、之はという物は殆ど言い値で買つてやるんです。それで結局買損いがないんです。高くても時が経つと安いんです。その代り良い物――之はというのがあると一番先に私の処に持つて来る。値切らないからね。値切る処は一番後です。小林一三は三番目という綽名になつている。私の処に一番に来て、二番目が五島慶太、三番目が小林一三です。
「五島慶太には大分良い物がありますので――」
大分という事はないが――揃つているのは殆どお経です。あと光悦物があるが、他の物は形なしです。去年の大師会の時――大師会というのは方々に席がありますが、東京の席で五島の物を出しましたが、一番の呼物は徽宗皇帝の鴨の絵です。私の処に持つて来て、私がはねつけたもので、贋物なんです。私は其場では言いませんが、あとであれは駄目だ、本物でないと言つたら、聞いた人が『へえ』と言つて居ました。昨日か一昨日か来ましたが『明主様が何時かおつしやいましたが、此頃怪しいという話になつてます』と言つていた。
「此処の徽宗皇帝は浅野さんから出たので――」
そうです。あれは本物です。
「雪舟のはみんな珍しいと言つてました」
珍しいです。雪舟の物でもつと立派な物がありますが、本当に雪舟の良さというのはあれです。特色が表われている。あの位の雪舟はないです。それから啓書記の松が大きく画いてある、あれも良い物です。啓書記、周文を本当に見る人も少いです。未だ啓書記の素晴しい物がありますが、出す丈の余地がないですからね。
「みんな湿気が来ないかと心配して居りますが――」
湿気は大丈夫です。それは研究してます。箱根で普通の戸棚に入れて、去年一年で何んともないんです。熱海の方は二、三黴が生えてます。ですから熱海の空気は悪い。一番困るのは倉染みです。大名の倉に何十年も入つているのは黄色くなりますが、あれは取れない。倉染みでないのは殆ど取れます。蒔絵の方は乾燥が恐(コワ)いんです。蒔絵の乾燥は人は余り気が附かないが恐いです。浮いちやうんです。そこでアメリカ人が蒔絵にあんまり目を附けないのはそういう訳です。アメリカは非常に空気が乾燥しているんです。だから、アメリカに持つて行けばみんな割れちやうんです。良い物ならいいですが――先に持つて行つたのはみんな割れちやうんです。
「コツプに水を入れてあるのは乾燥を防ぐ為で――」
あれはそうです。蒔絵丈です。陶器類も、日本の支那陶器は良いというのは、昔から伝わつてますからね。処が英国、米国にあるのは土中物と言つて土に埋めたものです。同じ様でも全然違います。何百年、何千年前に支那の戦争の時に埋めたんです。外国は殆どそれが多いです。ですから、英・米共に支那陶器は新しい――康煕、乾隆の良い物がありますが、宋時代の物は殆どないです。日本のは、そういう物を藤原時代に輸入して珍重してますが、それが良いんです。ですから青磁の良い物は日本です。
「坊さんが向うに行く様になつてから来ましたのでしようか」
それもありますが、兎に角足利義満と義政がああいう物を好んで珍重して、支那に買いにやつたりしたんです。だからその判のある物はみんな高いです。東山御物と言つて、天山と判を捺してあります。それを捺してあるのはみんな良い物です。それを徳川家康か家光が真似して柳営御物としましたが、柳営御物も可成り良いですが、時代が若いので、中には感心しないのがあります。東山御物なら間違ないです。だからその功績は大したものです。宋元物を盛んに輸入したので、それを真似て画いたのが狩野派です。雪舟は支那迄行きました。支那に行つて勉強して偉くなつたんです。其時分に支那に行つて勉強したりしたのは、雪舟に啓書記、周文――皆、坊さんです。宋元物というのはみんな坊さんです。牧谿も坊さんです。坊さんが大したものです。
「禅から来ているのでしようか」
禅です。禅というのは大したものです。茶の湯でも禅から出ているんです。
「武蔵の絵も禅からで――」
そうです。武蔵は大体沢庵を師匠にして禅を学んで、光悦の影響を受けたんです。私はお茶は習わないが、家内がやつているから、お茶の席に行くが、お茶をあんな事をしてやるのは嫌いです。然し茶席というのは閑寂で良いものです。
「お茶席にかけてあるのは――」
『是仏』と書いてあるが、あれは気に入つているんです。無準の弟子なんです。あの書は日本に一つか二つしかないです。上手いでしよう。真似が出来ないです。名前は分つているんですが、覚えていないです。無準の直弟子で、何んでも三代目じやないかと思う。あの字は良い字です。布でも其時代に表装したんですから日本に無い様な良い布です。
「美術館のは後から取換えたのもありますので――」
それはあります。
「当時から続いた方が――」
奥床しいんです。絹のは帰雲ですが、日本一でしよう。私は帰雲が好きで、やつとあれが手に入つたんです。その隣の大燈のは良い物です。
「画家は趣味がない様でした」
墨蹟は画家には分らないです。あれは茶人でなければ――。お茶では墨蹟です。利休はお茶の時には墨蹟です。偶に掛けるのは牧谿の墨絵です。他に掛けるのはないです。
「牧谿の茶掛もお持ちで御座いますか」
川蝉というのがあるでしよう――烏みたいな、あれがそうです。墨蹟というのは茶室では良いです。絵ではどうしても力が弱いです。
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「御神前の二階の張変えを致しますのに、御神体は下に御掛けしてはいけませんでしようか」
いけないです。巻いて置けば良い。
「朝晩の御参拝は如何致しましたら宜敷いでしようか」
二階に掛ける処はないですか。そうしたら休んでいたら良いです。
「改築する場所が――風呂場とかが辰巳になりますので――」
何時も言う通り、艮に汚ない物をやらなければ――。
「本人は辰の年で、一般ではいけないと言いますので――」
それなら西洋人は何うしている。そんな事を言うのは支那人丈だ。支那というのはそういう事を非常に気にして、縁起とかやつてますが、それで世界からあんなに後れている。
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「姙娠六カ月にて子供四人あり、結核の大浄化を戴き姙娠を気附かず、若い時から六神丸を飲んで居り、アデノイドの手術を致して居ります。姙娠直後より声が出なくなり、最近痰が出ますと咽喉が痛み、食慾はあつても食べられず、御浄霊後は楽ですが痰を出しますと痛みます」
痰に毒があるんです。
「砂糖水で痛みを止め、色々工夫して食べさせて居りますが、砂糖水を飲ませます事は如何でしようか」
構いませんよ。
「過剰になるという事は――」
仕方がないでしよう。
「あまり砂糖を摂りますと食欲が劣りますので――」
劣ります。砂糖をあんまりやると、蛔虫が非常に威勢を良くする。御霊紙を小さく切つて飲んだら良いでしよう。姙娠してからそうなつたんですね。
「元々体が悪く、本場の支那の六神丸を随分飲まして居ります」
斯ういう処(頸部)――何処から出るか、まあやつぱり胃です。胃の方から出るんです。
「右の肩胛骨の下に――」
背中と胃腸と、大体此処(頸部)です。固りがあるでしよう。それと此処(咽喉)です。姙娠してから色んな事が起るのは、其処に宿つた霊が親よりも綺麗なんです。それを平均させる為に親の汚ない物が浄化されるという訳です。
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「教師の母(六十八歳)一週間前より目を開いて居りますと、咽喉から胸にかけて苦しく、目を閉じますと咽喉の廻りを虫が這う様な感じが致します」
何ういう苦痛ですか。
「胸の廻りがムカムカする様な――」
それは虫を沢山殺したんです。虫の霊が憑いているんです。之は浄霊すれば良いです。訳なく治ります。
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「三十九歳の婦人で御座いますが、春から夏にかけて両眼の廻りが黒くなりますが、何ういう訳で御座いましようか」
よくありますよ。それは毒血があるんです。
「御浄霊は何処を――」
やつぱり其処の処をやれば良い。
「目の廻りと延髄で――」
それは黒い処丈で良いのです。それ丈の毒血が其処に寄つて来るんです。よくそういうのは淫婦だとか言いますね。
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「中教会本部の月並祭を十日に変えさせて戴きたいと思いますが、如何で御座いましようか」
良いですよ。
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「二十才の娘を信者さんが御浄霊致し、御浄化は終りましたがその後酒を一升位飲む様になり、飲みましても平然として居ります」
可笑しいな。それはあべこべだ。大変な霊が憑いているんです。
「平素は少し薄ぼんやり致して居ります」
続けて浄霊していると今度は飲めなくなります。平素薄ぼんやり――狸の霊です。
「薄ぼんやりしたのも矢張り霊の関係でしようか」
両方あります。頭が悪いのと、霊が憑いているのとね。
「霊が憑り易いのでしようか」
矢張り因縁ですからね。狸に因縁のあるのは狸です。狸の生まれ変りもあります。それから男の霊が女に憑いて、その男に狸が憑いている場合もあります。
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「四十五歳の婦人の教師。二十三歳の時子供を一人産み、其後無月経となりました。其子に嫁を貰い、子供を二人産んで、其後無月経となりました。母親は非常に薬毒が御座いますが、嫁はそれ程には思われません。非常に心配して教会に参つて居ります」
それじや霊的です。
「家はポンプ屋で御座います」
ポンプ屋に縁があるのかな。腹の中のポンプの効きが悪い。それでは霊的です。そういう霊的は子供を――それに祟りか何かあるんです。一人が産むと、後は産ませないという様なね。怨みとは限らないがね。
「上の子供は四つか五つで、御浄霊を非常に嫌いで御座います」
霊です。苦しいんです。然し治ります。信仰ですね――未だ御祀りしてないんですか。
「出張所になつて居ります。父親が喜んでいないという点が御座います」
それは、熱心にしなければね。相当熱心にして徳をほどこせば、その位治ります。
「最近漸く父親と子が頭を下げて居ります」
時節です。
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「五十二歳の婦人。目の玉が時々白眼になり、暫く放置しておきますと普通になります。何ういう原因で御座いましようか」
病気じやないんですか。白内症の様な――。
「暫くの間で、目の癲癇という様なもので御座います」
霊的です。悪い霊が憑るか、或いは目に罪があつて、その曇が時々出るんです。信仰は何時入つたんですか。
「未だ入つて居りません」
一番分り易く言えば目の癲癇です。霊的の――刹那的のものです。
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「本部の御神体の縁が丸まつて変な感じが致しますが――」
経師屋が下手なんです。早く直した方が良い。
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「キリスト教徒の人が御守、御神体を戴きたいと言いますが、差支え御座いませんので――」
良いですよ。キリストだつてこつちの部下です。
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「七歳迄は元気でしたが耳が聞えなくなり、其一週間前に父親が庭の柿の木を切り、山に行つて首を切つて死んで居り、それより子供の耳が聞えなくなりました。現在二十三歳で、昨年入信致し耳の後が腫れ、鼻血も出る様になりました。柿の木の御祀も致しました。父親の方の霊的で御座いましようか。又は柿の木の方で御座いましようか」
柿の木を切つてから死んだんですね。可成り太いんですか。柿の木に因縁がある様ですね。きつと木龍が柿の木に憑いていたんです。それが怒つてお父さんをそうしたんです。お父さんが亡くなつてから耳が聞えなくなつたんですね。何か関係がありますね。木龍が怒つて、お父さんをそうして、未だ怨みが霽(ハ)れないので子供をそうした訳です。然し、それは十年以上憑いていると、離れるとか何んとか容易に出来ないです。
「最近鼻血が出て参りました」
それは良いです。信仰は――。
「昨年十二月入信致し、御神体、御屏風観音様は御奉斎致して居ります」
耳の後が腫れて来たんですか。
「非常に固くなつて居ります」
それを溶かさなければならない。治りますよ。鼻血が出るのは非常に良いです。耳に関係がありますからね。
「一時は自動車、飛行機の音は分る様になり、変化が御座いました」
気長にやれば治ります。
(垂十一号 昭和二十七年七月十五日)