御 垂 示 録 (第十二号)

八月一日

「今年に入りまして、今日が一番暑い様で――」

そうですか。此処に居ては分りません――。然し、暑いせいもあるが赤痢が随分増えて来た様です。

「毎年レコード破りになる様で御座います」

そうです。オリンピックの方は日本はそうはいかないが、伝染病の方は非常に世界的レコードで破つてます。今「⇒文明の創造」を、以前に書いたのを余程訂正して書いてます。病気は、必要があつて神様が病気になる様にして、そうして弱らせる様にしたという事を書いてます。で、キリストの言つた禁断の木の実は薬の事です。禁断の木の実をもつて悪を発生したということがバイブルにある。で、薬によつて悪を発生したのです。ですから禁断の木の実は悪なのです。もう其時分に、神様はちやんと知らせてあるのです。だから、人間から悪を無くするには、薬を無くす――悪の発生は薬によるのです。つまり薬毒は霊を曇らせるから、霊が曇るから動物霊が人間を自由にする。斯ういう訳なのです。悪が必要だつたのですから、神様は旨い事をやつたのです。神様が人間を瞞した――だから、神様が瞞すのだから上手いに違いない。私は、神様は今迄人間を瞞したのだ、本当は斯うだという事を書くのです。そういう悪は不必要だ、だからして悪を無くさなければ本当に幸福な世の中は出来ないという事を知らせる。という事は、そうするとつまり悪というものは、神様に瞞されて出来たものだという事は、今迄は知らせてはまづいからで、そこで今度は悪の必要が無くなつた、悪があつては反つていけないという時期になつて、初めて知らせるのです。だから今迄、善悪一致だなんて言つたが、それは真理だつたのです。そういう事を今すつかり書いて居ます。私も驚いたのですが、書きかけるとドンドン出て来る。共産主義も色々騒いで居るが、共産主義の根本は悪だから、悪がもう少し必要だからそれで共産主義に走つている。然しもう長い事はない。共産主義というものはもう数年位のものです。

今度の「⇒文明の創造」はつまりエホバの聖書なのです。キリストが作つたのは、自分は天の父の子であるとしてバイブルを書いた。だからその聖書というのは伜のバイブルです。今度は親父のバイブルです。だから伜だからして善性丈だつた。そこで悪の方が解らなかつた。親父の方は善と悪と両方作つてあるから、そこで其の関係がすつかり分る訳です。で、親父が悪を作つたのですが、悪があんまりのさばり過ぎるから、少し――或程度にして置かなくてはいけないというので、それで、伜の――キリストを出して、それで悪ののさばりを防いだわけです。それがキリスト教です。それから娘の方を――お釈迦さんは娘の方みたいですが、それを出して、悪の為に非常に苦しむから大いに慈悲を施すという事をして、人間を慰められた訳です。然し悪を無くする事は出来ない。何うしても或程度文化を発達させなければならないから――。だから聖書の方は、何をする勿れという非常に厳しい正義を説いている。キリストの内部を説くというと、結局修道院に入るより仕様がなくなる。キリストの極く徹底した人は非常に――清教徒と言つて禁欲一点張りです。キリストがそういう――まあキリストの性格です。それであゝいう風になつた訳です。処が仏教の方の難行苦行というのはキリスト教の方とは丸つきり違うのです。禁欲主義というのは、あれは先にも書いた通り仏教の建前ではなかつた。難行苦行するのはバラモン教の方です。バラモン教によつて色んな神通力やそういつた事を――そういう一つの能力を生んだ。

今しがたラジオで聞いたが、今度英国の学者が皆寄つて一人の印度人を試験した。その印度人は目隠して町中を自転車に乗つて廻つたというので、そこでそんな事はないというので学者が大勢寄つて、目にゴムみたいな物を当ててその上にセメントか何か塗つて、その上に布か何かで絶対に見えない様にした。そうすると少しの間坐つて居たけれども、間もなく室内を歩き始めて、ドアを開けてドンドン行く、そうして門の処にある自転車に乗つて町の中をドンドン十分間廻つて、そうして帰つて来た。それが科学では何うしても解らないというのです。その印度人は未だ若いらしい様だが、聞いて見ると生まれてからそういつた目の作用が普通とは違つていた。処が自分は印度のバラモンの行者で――何んとか言う行者の名前で――そこに行つて十年間とか十何年間とか修行してそういう風になつたという事を言つている。それはバラモンの行者から修行受けると、そういう風になる訳です。色んな能力がある訳です。然し、その修行というのは、断食したり山に籠つたりして、色々やる訳です。之はキリスト教の方で言う禁欲生活とは根本的に違う訳です。仏教の方はそういう点は余程ゆるやかなのです。そこでお釈迦さんは「嘘も方便」と言つて、或る場合には嘘を吐いても良いと言うが、キリスト教の方では絶対にそういう事はならんと言う。大体釈迦、キリストなんていうのは、そんな様な性質だという事を話した訳です。そこでメシヤ教の方は、そういう意味の事をみんな包含しているのです。そうしてその中心の柱というものが真理なのです。それは、人間なら骨です。メシヤ教が骨とすると、キリスト教なんか筋みたいなものです。そうして仏教が肉と皮膚みたいなものです。それに、今迄は夜の世界であつたから、それ以上は何う仕様もなかつた。で、段々昼の世界になりつゝある。此の頃は著しい奇蹟が多いでしよう。御蔭話なんか読むと、随分素晴しい破天荒のがちよいよいあります。之は、それ丈霊界が明るくなつて来た訳です。治り方も段々良いでしよう。段々良く治るでしよう。今迄一時間かゝつたのが三十分で同じ位の結果がある。然し、其代り信者や資格者や何かで浄化が起る人も随分出て来ます。昨夜聞いたけれども、信者でもないのですが、ブラジルの方の日本人だと思うが、長い間夜尿症か何かで、私の本を送つてやつたが、御神書を読んだ丈で夜尿症が治つて了つたというのです。今にそういう風になります。「栄光」でも「地上天国」でも、あゝいうのを読んだ丈でも大抵の病気は治つて了う。そうなります。

「それに就きまして斯ういう事が御座いました。月並祭の時明主様の御論文を拝読させて戴きました処、霊視能力のある方が『霊界が非常に変る』『何ういう風に変るか』と言うと「言葉で言い表わす事は出来ない程だ』という事で、明主様の御論文を拝読させて戴きますと、その言霊で変りますので――」

そうです。つまり活字も光を持つのです。光を持つというと変だが、今迄は光が極く有るか無しかだつたが、段々光が出て来ます。

「今の話で、長野の方の布教師が明主様の御論文を拝読させて戴きますと――御浄霊を戴くと咳が出る人が前に坐つて居りましたが――拝読中咳が出まして、拝読が終りますと咳も止まりました」

随分騒々しい本だな。それは其人の口から光が出る。論文を読んでいると言葉から光が出るのです。之は、良い言霊を出せば光が出るという事は、私の古い本に書いてあります。だから愚痴だとか怨事だとか悪口とか怒りとかそういう事を言うと、光の反対の曇――ス丶みたいな物が出る。それが霊眼のきく人には見えるのです。

「そうして良い方も悪い方も、それが自分に帰つて参りますので――」

そうです。あれは自分に帰つてくる。丁度天に唾するという、あれです。良い事が帰つて来る。だから言霊は良い事を言わなければ――。然し人の悪口も、何んな事でも滑稽な事笑いになる事は構わない。私は随分人の悪口を言うが、終りは笑いにするから、それで曇にはならない。

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「一昨晩或るお医者と怒りつこなしで議論しましたが、向うの言い分で御参考になりますかと思い御報告させて戴きます。彼等も病気が治るという事は、薬で治るのでなく人間には自然良能力があると言う事を言つて居り、薬というのは一時的に病気の進行を止(ト)めるものだと言つて居ります。その苦痛を止めて、あとは自然良能力で治るのだからメシヤ教と同じだと申して居りました」

一寸違いますがね。

「薬毒という事では、動物実験をし、種々に分解し人体に悪作用を来さないで、体内で消化され残つた物が無力化した物なら良いとして売出しているのだからと、薬毒という事は信じられないと言つて居りました」

医者はそうなのです。

「然し今悩んでいる事があるそうで、薬というのは元々毒ですから、毒をもつて毒を制するというが、斯う効かなくなるとすると、黴菌の抵抗力が増したのか或いは肉体が抵抗力が出て来たのか、兎に角有効期間が短くなつて来たと――」 

それが霊界の浄化作用が強くなつて来たという事です。

「そうすると、薬で病気を治すという事は無力になる。何かの革命を起さなければならない。その意味からあなたの言う事は解ると言つて居りました」

その点は良いです。

「それから既往症を当てるという事で病院に参りまして、首から上部に手術をして穴があいてました病人がありましたので、此人はいづれ肋間神経をするかも知れないと言つた処、其人は此間から肋間神経で困つていたと言うのです。前に明主様の御論文で、肋間神経になるのは、きつと首から上に手術してあるというので――。『どうです。当つたでしよう。それが薬毒ですよ』と言つて、又来月会いましようと別れました」

面白いね。

「ヒドラジットが七月九日から売出され、二十万人分が数日で売れましたが、二回目三回目になると売行が止まつたそうで、神戸の或る新聞に『副作用でトンコロリ、元も子もない』という記事が出て居りました」

つまり非常に良く効くという事は非常に毒が強いという事だから、その強い毒にはあてられる訳です。私が先から言つている通り、医者自身が医学に対して愛想を尽かして入つて来るという、その第一歩になつた訳です。それは非常に面白いものです。

「名古屋の横地という博士は十二年来の結核ですが、私が存命しているのは注射や薬をしないからだ。と言い、家族には注射や薬は絶対にやらないそうです。又患者が来て、一時抑えて呉れという者には射ちますが、治して呉れという者には射ちませんそうで御座います」

それも面白いです。成程、少し解つている訳です。

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「最近聞いた事で御座いますが、名古屋の或る伝染病院で冬は暇だからと結核患者を収容して居りますが、結核で健康らしく治つて行つたのは一人しかない。伝染病は怖くないが結核は潜伏が実に長く、一番怖いと言つて居りました」

それは実際です。そういう事も「栄光」に出すと良いです。先に東京の目黒に、やつぱり医学博士ですが、家族の者には絶対に薬を飲ませない。それで娘が「お父様、家の人には何うして薬を飲ませないの」と言うと「それはお前、飲まない方が良いからさ」と言つた。「では何故病人に薬を飲ませるの」と言つたら「あゝしなければ食つて行けないじやないか」と言つた。之は本当の話ですが、お医者さんの正直さがあります。

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「森譲治(六十五歳)という信者で御座いますが、実子がないので、子供が好きで今日迄三人を育てゝ参りましたが、成人し三人の仲が悪く二人迄家を出る結果となり、一人が一昨年の五月頃より、結核症状となり三月に入信させて戴いて居りましたが九月に亡くなりました。足を振わす様になり――」

二人が出て、残つている方が、そうなつたのですか。

「左様で御座います。今その妹が来て居りますが、妹も足を振わせる様になりました。その家には八大龍王、伏見稲荷等、凡ゆる神様をお祀り致して居ります」 

そういう家はありますよ。親父は何時入信したのですか。

「昨年十一月で御座います」

職業は――。

「喫茶店で御座います」

余程霊的に何かあるのです。妻君は居ますか。

「はい、居ります」

後子供は幾人居ますか。

「家出を致しまして、現在は居りません」

病人になつているのが一人ある丈ですか。

「それは妹で、未だ貰つては居りません」

先のも貰い子ですか。

「左様で御座います。実子は一人も御座いません」

大体分りました。それは祖先の一人で非常にひどい目に遭つた霊が一家を根断やしにするという怨です。之はよくあります。先にそういうのがありました。それは、子供が出来ても二十過ぎると皆死んで了う。で、段々それが分つて霊が喋つたのですが、小さい時に殺してやつてもあんまり苦痛でないから、之からという迄待つているのだ。それで二十過ぎになつてから殺して了う。そういうのがありました。そういうのは一家根断やしにするという怨です。そういう人は信仰を非常に熱心にやつて、人を助けて徳を積むのです。そうすると、こつちの方の資格に箔がつくから、そういう悪霊はそういう事をする事は出来なくなる。

「八大龍王等は――」

それは全部撤去しなければならない。

「御神前の左に置いて居ります」

何時からですか。

「入信して間もなくで御座います」

では一年以上経つてますね。そうすれば処分しても良い。それから家出したのは行方は分りませんか。

「分つて居ります」

その弟が亡くなつたのは九月で、その妹が手伝に来ている。それが又可笑しいのですか。

「足がブルブル振える様で御座います」

やつぱり怨の霊は足をひどい目に遭つたのです。

「諸々の霊として祀つて居ります」

いくらそういうのを作つても駄目です。神様に力がないです。いくら神様が助けてやろうと思つても、そういうのは先にも言つた通り、木綿糸に掴まつている様なものです。木綿糸を何本も――沢山の神様に掴まつた処で、力が弱いから掴まつても駄目だ。処がメシヤ教は木綿糸ではないから、一本の綱で大丈夫だという事になる。

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「未入信(三十二歳)の者、夏氷を食べると口と手足が痺れ、冬は雨でも水でも触れると赤く腫れ上ります。霊的の様であり、体的の様でも御座いますが、御浄霊の重点は何処で御座いましようか」

今迄に注射をしてますか。

「若い時肋膜を致した際に一寸で、他に大した事は致して居りません」

そういうのは聞いた事がない。赤くなる丈で痛くも痒くもないのですか。

「赤く腫れる丈で御座います」

何か可笑しな薬毒か、薬毒でない迄も妙な――食物か何かの毒がある。血が濁つているのです。

「全身御浄霊で宜敷いのでしようか」

浄霊すれば治ります。大したものではない。

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「六年前にメチールで盲になつた者の御浄霊の急所は何処で御座いましようか」 

目をやれば良い。メチールで、最初に目が見えなくなるが、打遣らかして置けば良いのです。メチールの毒が目の上に固まつているので、打遣らかして置けば溶けて出て了うのが、目薬をさしたりするので固まつて了まうのです。目の後と目をやればきつと治ります。だからあゝいつた中毒症のものは必ず治るものです。死んでは仕様がないが、生命のあるものは必ず治るものです。それを医者に行つて目薬をさしたら駄目です。

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「以前黄疸を致し、色んな薬を相当に飲んで居りますが、冷い水に入つたり洗濯の場合に手足が腫れますが、薬毒で御座いましようか」

薬毒です。何かの薬です。黄疸は色んな薬を飲むから、やつぱり何れかの薬毒です。全く医学というものは仕様がないものです。

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「疥癬になります前に、冬、顔を洗おうとして冷い水に手を入れますと、その刺戟で二、三時間感覚が無くなりました。それより暫くして疥癬の御浄化を戴きましたが、やはり毒の――」

そうです。それで薬の性質によつて、冷いと其処に毒血が集まり、それから火傷すると集まるという毒もある。火傷をするとよく膿をもつが、火傷をするとその刺戟によつて集まるのです。やつぱりお灸と同じです。冷いのはその反対の性能を持つた薬です。

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「一月から二月にかけて何時も同じ時刻に痛む場合は一応霊的と考えて宜敷いのでしようか」

霊的とは限らない。薬毒でもそういう事はあります。あるけれども霊的の方が多いです。何処が痛むのですか。

「一人は五十五歳位の男で結核と言われ、昼の一時頃になると腹部から胸にかけて痛みます。もう一人は三十五歳位の男で、腸結核で半年間血便が出、下痢もあり衰弱がひどく、夜中の十二時より二時頃にかけて腹部の固結が激しく其処が痛みます」

最初のは霊的です。後のは薬毒です。その違いがあります。

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「八歳の男子で御座いますが、毎晩同じ時間に舞を踊るそうで御座いますが、霊的でしようか」

霊です。

「何ういう霊がそういう事をするので御座いますか」

色々あります。猫なんか多いです。それから狐。大抵猫と狐です。

「赤ん坊で死んだのを祀つてないのがあるそうですが、そういうのは霊界に行つて――」

然し其の霊は踊りとは関係ありません。然し猫や狐の為に――死んだ人間の霊にその儘猫が憑いていて、そうすると死んだ人間の霊は畜生道に堕ちるから、それが憑く場合もある。然し、元は猫だと、斯ういう事になる。然し信仰で治ります。舞蹈病というのがありますが、あれは始終踊るのです。私が先に見た舞蹈病は、見ていると時々斯うやるのです。ちやんと形が決つているのです。五分位の間隔を置いて斯うやるのです。

「その形と同じだそうで御座います」

そういう舞蹈病は只猫が踊るとかそういうのではない。そういう形をして死んだ霊です。そういう霊が憑いていると、その通りの形をするのです。それは死ぬ時の形をする霊と、そういつた動物霊で踊の好きな霊――そういうのが踊つているのがあります。形によつて大抵分ります。

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「生後九カ月に脳水腫を――」

頭が大きいのですか。

「相当に大きく、手足に幾分痙攣を起し、痙攣は止りましたが熱が増し、前後頭部も出ており、今は脳天に溝が入り、それよりは状態はあまり変りません。御浄霊の急所は何処で御座いましようか」

やつぱり膨れた処です。

「固い処と柔い処と御座います」

それは固まつた処とそうでない処があるからです。固い所を余計やつたら良い。それは、土左衛門――水死した霊です。そして水を沢山飲んで逆(サカサマ)みになつた。それで頭に水が行つたのです。で、死んでからやつぱりそれが残つている。

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「九歳の男、頭脳は普通で薬毒もなく病気もして居りませんが、サ行の発音が出ません。何ういう関係で御座いましようか」

よくあります。舌の関係です。此処(頸部淋巴腺)の何処かに固りがあります。サ行に動かないのです。

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「明治時代に仏教より神社神道に変つて居りましたのが、元の仏教に戻りたいというのが三人御座いますが――」

信仰した訳ではないでしよう。それでは仏教で良いです。

「全部――」

全部良いです。

「信仰して変つて居り――」

然し、それは信仰ではありません。信仰した訳ではありません。根本的に神道になつた訳ではない。規則だつたのですから――。

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「四十二歳の女。前の方に物を持つと一歩も進みませんが、後に持つといくらでも進みます。何ういう関係で御座いましようか」

死ぬ時に前からパッとやられて死んだ霊です。ですから前に進んだら大変だという観念が附いているからです。

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「信者で猫を飼つて居りますが、一匹の方が蛇をくわえて参り――」

つまり蛇が好きなのです。その猫は蛇を食べるのではないですか。

「縁の下に持つて来ますが、それからは分りません」

やつぱり食べるのでしよう。別に、蛇を殺す丈ではないでしよう。其時蛇は死んでますか。

「死んで居ります」

やつぱり食べるのです。それは、其猫に、又蛇を食う霊が憑いているのです。例えてみれば、鳥の雉子の霊――あれは蛇を食べるのです。それから鷹だとか、そういつた霊が猫に生まれ変つたか、猫に憑いているか、どつちかです。猫の性能ではないです。

「其処の家と関係が御座いましようか」

別に関係はないでしよう。けれども全然関係がないとも言えない。例えてみれば人間で蛇を食うのが好きな人がありますが、そういうのが死んで、そうして猫に――そこの関係がある。家で猫を可愛がつていた人か何かで蛇を食べるのが好きな人が居て、又猫が可愛がられていた為に其人に猫が憑つて――長く居る内に畜生道に堕ちますから、猫になつて、それが猫に生まれ変つて来ると、そういう様な意味もない事はないです。

「蛇を食べます方が御神前によく休みます」

それでは今言つた事が合つて来ます。元は人間であつた為に、猫に堕ちた為に早く救われたいので光明如来様に御願する訳です。それは正守護神の指図もあります。それらしいです。

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「製材業を致して居りますが、山に木を伐りに行く場合に、代りの木を植えるという事が出来ませんが――」

製材業は又違うのです。そういつた職業的のは――丁度職業的に魚を獲る漁師は――それは全然怨まれない事はないが、余程少いのです。娯楽でやるのは非常に怨まれる。というのは、同じ怨でも職業的にやつた怨というものは極く強く怨まないのです。それから娯楽でやつた方は根本的に人間の方が悪いのだから、弱い訳ですから、そこで怨を受ける。

「木を一本か二本――」

そういう事はしなくて良い。そういうのは一年に一度か木の供養をするのです。お札に「万木の霊位」として一年に一回なりするのです。

「御供物は如何致しましたら――」

色々した方が良いです。普通の神様に上げる様な物をすると良い。只木の中に天狗が居るという事がありますが、怨むというのは自由ですが、只職業的にやるのは怨む事は少い。一年に一回供養をすると良い。それからウナギなんかも一年に一回供養すると良い。

「場所は何ういう処が――」

何処でも良いです。木の霊ですから室内は駄目です。やつぱり地面の上なら良いです。庭でも空地でも良いです。

「魚や鳥の供養も庭の方が――」

そうです。座敷ではいけない。座敷というのは人間でなくてはならない。あゝいうのは人間以下のものですから、座敷では良過ぎるのです。ですから先の方で其処に来られない。

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「仏壇に毎朝お茶を上げますが、それ以外にお水を上げます事は如何で御座いましようか」

それは新仏には上げるのです。一年間位は水を上げた方が良い。

「その場合朝丈で宜敷いので――」

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「戦国時代の一寸八分の木像の観音様を支部長が買受けましたが、先祖代々伝つているものだそうで御座いますが、御開眼御願戴けますでしようか」

良いです。それは、護持仏といつて戦に行く時に腕に御守として縛つて行くのです。そうして戦に行くのです。ですから、一寸八分の金のが多いです。木のは少いです。木の方が軽いといつた意味でしよう。そうして頼朝時代に非常に流行つたのです。つまり護持仏と言つて、持つて歩くという訳です。それもその一種です。金箔は塗つてありますか。

「塗つてありません」

木彫ですか。余程古いですか。

「代々伝つているそうで御座います」

古ければそうです。新しいのなら、只拝む為に一寸八分のものを作るという事はよくあります。今でもあります。

「戦国時代にはそういうのを用いたので御座いましようか」

沢山あります。

「御守護を戴く為で御座いましようか」

そうです。良いのは純金なんかが入つてます。浅草の観音様はそれが御神体だつたのです。浅草の観音様というのは頼朝が作つたのですから。最初は頼朝の護持仏だろうと思います。それが明治になつてから無くなつたが、売つたのです。それは何時か話したが、私の曾祖父が質屋をしていた。そこに質に入れた。浅草の長生寺という――始終遊びに行つた寺です。一年に一回御開帳と言つて、観音様の御供をして行き、済むと長生寺に帰つて来る。処が長生寺の坊主が道楽して金を使つて、私の曾祖父の処に質に入れたのです。で、私の処に暫くあつたのです。処が私の曾祖父は子供が無かつたので養子をしたが、極くお人好で財産をつぶされて、其時に離した。

一寸八分の観音様というのは沢山あるのです。あれが仙台にあるとかよく話がありましたが、みんな其時代の大将の使つた護持仏です。純金ですが、段々位が下になると十六金、十四金、極く下になると六金というのがある。六金というのは銅が多いから錆びて黒くなつている。磨いているとピカピカ光つて来ますが、銅みたいな光です。

「今も浅草には御座いますのでしようか」

あります。今あるのは木彫に金箔を塗つたのです。木彫の一尺位のは方々のお寺の御神体になつてます。観音寺の御神体もそうです。白布に巻いて御厨子に入れて、一年に一回管長でなければ開けてはならない。それを普通の人が見たら目がつぶれるとか言つてます。誰も見た人はないでしよう。私は神様のお知らせで分つたのです。

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「血液型と霊統とは何か関係が御座いましようか」

それはあります。支那、朝鮮、日本と、大体三種です。あとはアイヌ型――あれはロシヤ系です。それから南洋の土人の型もあります。それから印度、それから西洋からも来てますから、型は随分色々あります。だから日本人は色々混つているから良いのです。

「何の系統が火の系統になるので御座いますか」

日本人です。

「AとかBとかの血液型の――」

それは分らない。物質的だから、それは医学の方です。でも斯ういう事は言える。一番多いのは支那系統――日本に来ているのは一番多いのです。その次が朝鮮系統。日本人系統が一番少いのです。

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「十二人の子供の中九人が生まれ乍らにして目が見えないのは何ういう訳で御座いましようか」

それは大変だ。怨どころではない。祖先が大変な罪を犯している。どつちの目ですか。

「左の目で御座います」

それは神様に大変な御無礼をしている。神様のお宮をぶち壊したような罪です。左が神様だから――左が火の系統だから、天照大神様の系統に対して、押込めるとかお宮を壊すとか、そういつた罪です。やはりメシヤ教を一生懸命信仰すれば治ります。

「七代前から四十になると目がつぶれ――」

坊さんでも瞞したのでしよう。坊主瞞せば七代祟るというから――。

「七代前の先祖が相撲取で旅の興行先で箱入娘と逃げ、その母親が泣き明して――」

そんな事ではない。そんな事で七代なんて祟る訳がない。余程大きな怨です。大きな罪です。やつぱり神様の罪です。神様のお宮を壊して無くした――それで、其人は四十の時にそうした。その罪です。

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「中島久万吉さんのお嬢さんで、嫁に行つて居りますが、何月何日とかに生れると必ず毛が無いそうです。男の子が一人居りますが同月同日で毛がありません。非常に不思議がつて、霊的ではないかと――」

それは霊的です。その日に殺された坊さんが祟つて――祟つてというより行き所がないので此処に憑るのです。浄霊で治ります。

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「或道具屋で玉村方久斗が画いた柳に白蛇の巻ついた扇面の画幅を借り受け、御神前の前の壁に掛けて置きますと、道具屋が二晩続けて夢を見、白蛇が扇面から出て光つた雲に乗つて来て、今の家は非常に気に入つたから行くと言つたそうで御座います。何か霊的なもので御座いましようか」

蛇の絵に霊が憑つているのです。で、その霊が――次の間に光明如来様をお祀りしてあるでしよう。そこで救われたので、非常に御用をしたいので其処に居さして貰いたいのです。

「破産寸前になつて居りますので、良い方と悪い方と両方に考えて気持悪がつて居ります」

破産しても良いです。その方が反つて罪が早く取れて、それからは良くなります。私だつて破産した事がある。反つてそれから救われるものです。ですから破産に就いてそう苦労しないで神様にお任せして置く。そうすると、後で結果が良いです。  蛇の絵なんかにはよく霊が憑くものです。つまり霊界には沢山の役無しの霊が居る。だから何処かに憑きたい――居所です。それを求めて、絵なら絵に憑くし、何うしても行き所がないと字にも憑きます。字も水に関係した字に憑きます――サンズイです。終いには、画家のサンズイのついた名前の人に憑きます。住宅難は現界どころではない。霊界の方がずつとひどい。

「万物は形を現わそうとしますが、今の霊が憑くというのもそれで――」

居所がないからです。で、良く画いてある方が余計憑きます。今のは偶々光明如来様の御光を戴いて素晴しい出世をした訳です。

「現界を慕うという意味で姿を表わそうとするのでしようか」

無論です。生まれ変りたいのです。大抵人間ですから、人間に生まれ変りたいのです。

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「先程の森家の八大龍王で御座いますが、近所に小さい池があり、柳を大工が切つた処其晩死に、近者の者がヘチマを作つた処がそれが蛇の様な形になりました。それを切つて八大龍王として祀つて居ります。二、三十年になりますが、切つたヘチマが伸びるそうで御座います」

木が伸びるのですか。

「ヘチマで御座います。何んでも祀りたいからというので、貰つて来たそうで御座います」

それはいけない。名前が良過ぎる。其処の土地の名前でもとつてやれば良いが、八大龍王なんて言うと名が良過ぎて昇天出来ません。蛇が居所がないのでヘチマに憑るのです。蛇は水気がなくては居られないからで、可哀想なのです。

「伐つたヘチマの木だそうで御座います」

木龍です。柳に憑いていたから、今度はヘチマの木に憑いたのです。

「元の処にお帰り下さいと言つて焼きまして――」

良いです。

「その他のも焼きまして――」

良いです。只、光明如来様を御祀りしたから、何うか元の御座(ミクラ)にお帰り願いますと、それで良いです。

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「本部の御神前の脇の障子と内玄関の脇の障子が、私の留守になると午後四時頃に地震の様に大きく揺れます。留守の時は毎日――」

妙ですね。時間が決つているのですか。何時頃からですか。

「此の春からで御座います」

毎日――あなたが居ればそういう事はない――狐のいたづらでしよう。あなたが居るとそれ丈力が出ないのです。狐にも色んな奴があります。非常に巧妙な奴と、それから欲張りな奴とあります。

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「霊界の動物霊は何うしていたづら好きなので御座いましようか。神霊の本にもよく出て居りますが――」

それは、彼等は楽しみがないから、人間を瞞したり怖がらせたり――そういう事を趣味にするのです。

「西洋でも同じです」

奴等は他に道楽がないのです。

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「三月十八日に大光明如来様を御奉斎。主人が変になり狐霊が出て来て言うには、萩で十年間御参りの邪魔をしたが、講演会があつてからは、萩の霊界はそつちの縄張になつたので逃げて来たが、講演会をやられると我々の仕事がさつぱり出来ないと言い、又此処の親父は経の光明様なんかを戴いたからワシの隠れ場所が無くなつた。経の光明様と大光明如来様では我々の仕事は出来ないが横の光明様なら未だ仕事は出来ると言い、今迄眠つていた信者さんが狐に教えられた様な次第で御座います」

やはり正守護神に狐がやられるのです。そういうのは正守護神の力が出て来るから、狐が言う事を聞かないとひどい目に遭うからです。

「しつかりして居ればそういういたづらは出来ないのでは――」

それでも或る程度迄です。しても或る程度迄です。よく新聞の質問なんかに、自分はフト或る男に体を穢されたという事が出てます。それから煩悶して――そういう時は狐が両方に憑つてやるのです。自由自在です。又そういう事が狐は好きなのです。人間を瞞して踊らせる。又人間を瞞してやらせると狐の仲間での自慢優越になる。あいつは偉いという事になる。

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「最近のアメリカの神霊雑誌の中に、酒を飲めない人ですが酒屋の前に行くと急に飲みたくなり、飲むとヘベレケになる。家に居ると飲みたくないという事で、酒飲みの霊が憑いていて酒を飲みたくて仕様がないのだという事です。その人間は薄ぼんやりしているそうです」

そういうのはあります。それで面白いのは「霊界でも酒があるだろう」と聞くと「あります」「それを買つて飲んだら良いだろう」と言うと「霊界には銭がないから買えない。だから盗むより仕様がないが、盗むと罰を受ける。だから、何うしても仕様がないから人間に憑つて飲む」斯う言うのです。西洋ではそういつた動物霊の種類は何うなつてますか。

「神霊雑誌にあるのは狐、狸、蛇の霊が多いです。それから猫です」

そうでしよう。大体日本と同じです。天狗は何うですか。

「天狗という名前がありません」
「向うの人は皆鼻が高いので全部天狗では――」
「龍というのがあります。天狗というのは日本独特ですから」

日本と支那にあります。東洋の産ですから――。日本の様に狐が出て何う斯うという事は聞かないでしよう。

「狐霊という事はあります。蛇、猫。犬の霊というのは聞きません」

犬の霊は日本でも少いです。馬の霊は割に多いです。

「鵠(オウトリ)という鳥はあつたので御座いましようか」

そうです。

「現在は――」

之は支那の鳥の様です。支那のは殆ど――模様は鳳凰、龍です。

「之(御神前の花瓶の模様)が鳳凰で――」

そうです。支那の陶器なんかで、首が鳳凰で下が龍になつているのは沢山あります。鳳龍です。

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「出張所の責任者が御浄霊の時に、霞のような物が纏まつて人間の形になつたものが目に写り『ワシは此の土地の二千年前からの先祖だ。これは結構なことではあるが、黙つてしてはならない。一応断つて貰いたい』と言うので早速御参りに行きました処、患者が大変来る様になりました。そういう場合の御参りの方法は如何致しましたら――」

方法も何もない。いきなり行つて、最初に、今日から此の土地を拓こうと思いますから、どうか御守護御願します、と御願と御断りと両方するのです。それは非常に結構なのです。私はそれをやりたいのだが、そうするといやに神道臭くなるので言わなかつたのです。然し時偶言う事はありました。

「土地の守護神で御座いますか」

土地の氏神さんです。それは本当です。最初は丸くなつて来るのです。そうして人間の形になる時に丸いのがほごれてそうなるのです。

「光でしようか」

光とも違うのです。それは神様の格にあります。高い神様だと光が相当あります。普通は白い煙です。靄の様なのです。産土さん位になると薄光がある。神という名が附くと薄光がある。良い神様になると段々光が強くなつて来る。産土の神というと其土地丈の光しかない。それから国魂の神様というと、相当広い範囲になる。天照大神、素盞嗚尊とかそういう神様になると、日本とか朝鮮とか、それ丈の大きさの光になる。で、世界全部の光というと私に憑いているメシヤの神様です。之は世界全部になる。それで世界メシヤ教と言うのです。ですから世界という名が附いているのは、メシヤ教と紅卍(コウマンジ)会です。紅卍会は至聖先天老祖という世界的の名前が附いている神様ですから相当なものです。至聖先天老祖というのは国常立尊です。ですから、私に憑いている神様というのは一番光が強いのです。お光様  なんてのは、之は私が附けたのではないが――静岡新聞が附けたのです。

「あれは、お光様と言つて居りますが、様の字を取つては言いません」

ちやんと敬語を使つている。やつぱりみんな神様がやつているのですから――。

「紅卍会も共産党が入つて来ては困るのでは――」

それは平気でしよう。共産党は問題にしませんから――もつとずつと高い処にいる。そしてちやんと神柱と言つて信者を選んでます。そうして時節を待つているのです。ですから此間アメリカのブレーデンさんが共産党の事を聞きましたから、問題ではないと言つた。神様には問題ではないです。やつぱり、あれも必要があつてやつているのですから、必要がある丈は神様が許しているので、若し必要が無くなれば共産党なんかヒョイとひねつて了います。わけはないです。

「賀陽宮さんと晩餐を共にしました時に、あなたの教祖は共産党を恐るゝに足らんと簡単に言われたが、それ丈で言い切れないと言つて居りました」

それはそうですが、私に言わせればそんな事は――それは神様は大変なものですから――。ですから悪は必要であつたと今度の論文に書いてありますが、然し無限に必要ではない。或る時期迄です。時期がもうそろそろ近寄つているからして、悪の寿命というものは、要するに風前の燈になつている。

「其時頻りに言うので、共産党があるので、アメリカが之丈に育てゝ呉れたのだと言つたら、それはそういう理窟も成立つがと、共産党に対してあんまり無関心な事が分らなかつたのです」

それはそうです。無理はないです。大乗的な見方と小乗的の見方とあります。だからやはり根本は大乗的に見なければいけないです。やつぱり私が何時か書いた色取りです。絵を画くには赤い色も必要なのです。そうかと言つて全部赤色では絵にならないから、他の色も一緒にする。そんな程度に考えていれば良いです。処が皆自分の国の一色にしようとするから、それで失敗するのです。日本なんかもそうです。八紘一宇とか言つて皆を日本の一色にしようとするから酷い目に遭つた。それで、世界の最高の色は白です。

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「霊界通信では神界は金色をしているとありましたが――」

最高はそうでないのです。最高は白です。その次は金色です。ですから白とは、色んな色を廻すと白になるでしよう。あの理窟です。その次が金色です。ですから天皇の皇の字は白の王としてあります。統べるです。ですから私は寸鉄に「白光生」としたのです。大体凡ての事は、一つの現われで分るのです。

(垂十二号  昭和二十七年八月二十五日)