御 垂 示 録 (第十号)

六月一日

美術館は未だ中に入つて見ないですか。皆見ないでしよう。

「外からは拝見致しております」

中に入つていいですよ。あとで入つて御覧なさい。もう大分中も――七、八分通り出来てますからね。

「想像致して居りましたよりも――」

良いでしよう。私もそうなんですよ。想像したより良く出来たんですね。あんなに良く出来様とは思わなかつた。中々大工も上手くやつたですよ。

「下の方から拝観致しましても、とても宜敷う御座います」

そうですよ。一ぺんやると、もう大体見当つくが、初てでは見当がつかないのでね。

「図面で見ましたのより、建ててみますと立派で御座います」

思つたより立派ですね。だから商売人には頼めないですよ――設計や何かはね。それで、商売人はこつちの言う事を聞かないんです。素人が何言つてやがるんだといつた工合で変えちやう。やり悪(ニク)くてしようがない。そうかといつて商売人がやつたのを、そうぶち壊す事は出来ないしね。あれは私の思う通りにやつたんです。

「あんまり評判が宜しいと、方々から頼みに参ります」

何百万円も献金すればやつてやりますよ。

「奉仕隊の座談会に月二回行つて居りますが――その中で、一体明主様は先は斯うなるとはつきりお分りになつて御造りになるのか、御言葉に出されるとそうなつて行くのか、其の間はつきり説明が出来ないと話しました事が御座いますが」 

そうはつきり言う事は出来ないが、まあ――どつちもあるんでしようね。大体は見当がつきますがね。大体非常に浮ぶんですね。忽ちパツとそこに出るんです。だから、いずれ造る光明殿――あれも目に見える様に写つてしようがないです。あれは白亜の十字形になつて、何段にも角(カド)があるんです。真白でね。之も世界にないですね。

「真白と申しますのは、此間の日本は白という意味で御座いましようか」

そうではない。白は見た目がいいからですからね。だからアメリカなんか非常に白を使います。コルベジユエ式というのは白色が最も適当するんです。それでよくやるんです。ですから、美術館に白という話もあつたけれども、どうも私は白では面白味がない。うま味がない。

「白では有触れておりますので――」

そうです。それに白は何にでも使うからね。やつぱり美術館では、特殊な――異つた風に見えなくてはね。だから建築なんてのは、建築そのものの用途にピツタリ合わなくてはならない。美術館なら美術館らしく、それにピツタリ合わなくてはならない。環境、位置ですね。それから箱根の様に山があり木があるというのは、それに調和する様にしなければならない。

「瓦の色がとても宜敷う御座います」

あれはいいですね。私はもつと薄いのを注文したんですがね。でもまあ、我慢して置きます。

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いずれ私は銀座に美術館を造りますがね。之は、丁度銀座に調和する様な、それで他にない様な飛抜けて良いものです。そういうものを造ろうと思つてますがね。実現するだろうと思つてます。ちやんと敷地はあるんですからね。大体設計も――私の設計ですが――してありますしね。東洋美術協会というのを先月作つたんですがね。私が顧問になつてます。会長は作家の武者小路実篤――あの人が会長になつている。皆名士許りですよ。小林一三とか大倉喜七郎。政治家では星島二郎。そういつたレベルの五十幾人です。当館も今度招待して見せます。この連中の――東洋美術協会の機関として銀座に造ろうと思う。間口十四間、奥行十六間、約二百坪三階建にして一番奥を古美術にして――会員には細川護立が居ますからね。みんな持つてますから、そういうものをみんな出させて、二階は個展ですね。個展をやろうと思う。個展は銀座でやれば一番ですよ。見て呉れますからね。個展は一番人の目につく処でやらなければならない。一番目につくのは銀座ですからね。広いですから――二百坪の家だから、個展が三つや四つは出来ますよ。下を売店にしようと思う。

「此頃個展も流行りますので」

流行りますよ。随分入場者があるだろうと思うが、この収入が大変なものです。私は何でも算盤を取る。それで時々催をやつてね――琳派展とかね。そういう時には私が何しますがね。之は非常にいいと思いますよ。美術を奨励する意味に於てね。何といつても銀座ですよ――多くの人に見せるのはね。実際上野なんかではしようがないですよ。態々行くのは大変ですからね。個展なんか上野でやつても、見に行く人はありませんよ。其時の美術館は、之は一番目につきますから、うんと変つた奴にしようと思つている。

「敷地は随分致しますので――」

けれども、もうこつちの――私の権利じやないが、権利を持つている人を押えてますからね。アメリカの美術館の事情なんかも良く知つた人です。色んな写真を持つて来たしね。

「やつぱりフランスで御座いましようか」

やつぱり英国ですね。世界一のはね。ヨーロツパのはフランスに集つているんですが、世界的に言えば、やつぱりロンドンですよ。それは割合古くから集めてますからね。アメリカのは新しいからね。やつぱり、しつかりしたのは英国ですね。

「イタリヤは大分分散したそうで――」

そうですが、やつぱり美術の方は盛んですね。相当画家の偉いのが出来てますね。今上野でやつてます。行つてみようと思つてますがね。まあ、絵では今はフランスですね。だけども私は、油絵は絵と思つて居ないんですよ。絵と美術工芸品の間のものです。

「然し、油絵も日本化したものが御座います」

油絵が日本化し、日本画が西洋化した。之でいいんですよ。両方で行つてね。どうも油絵という奴は面白くないですよ。古い印象派時代の――ルネッサンスですが、あれは又、彩色した写真みたいなものです。それから現代の油絵ときたら、精神病の展覧会みたいで――精神病の展覧会をやれば、きつとああいうものになる。第一人が見ても解らない様なものだからね。だから油絵はしようがないですね。やつぱり絵は東洋画ですね。此処の美術館は絵画に一番力を入れましたからね。絵画の良いものは一番余計出ますからね。之丈は――日本の絵画の良いものは、外国には絶対ないですからね。現代の画家なんかは、見ようと思つても見る機関がないですから、そこでそういう人達が頭を養うに非常に良いと思うんです。本当に良いものは――今の相当の大家は別ですが、中から下の画家では見た事がないでしよう。普通の人は勿論そうですがね。だから美術館はそういう人達の教育機関として非常に効果があります。

「橋本関雪のは――」

見に行きましたよ。けれども高い事を言つているのでね。話にならないです。ですから一つも買わないです。

「良いのが御座いましたので――」

少しはあります。四、五点ありますね。ああいうのは相場を知らないでしよう。だから高くさえあればいいと思つて、つまりそういうものは――古い良いものは幾ら高くても売れるという様な、可笑しな錯覚になつちやうんです。そういうのは沢山あります。丸で、今戸焼の泥人形みたいなものが百万円とか、絵なんかも二百万円だとか三百万円だとか――素人はしようがないです。だから何時も言うんですが、つまりメシヤ教の教祖といつたら、金がうんとあつて赤ん坊みたいなものだという様に言つている。人を馬鹿にしている。此間も貰つてもしようがない様なものを、それを五百万円という。そういうのが沢山ありますね。月に一人や二人はきつとあります。こつちに来る少し前に熱海で、一人の信者の人が紹介したんですが、其人は大変大事にしている曼陀羅ですね。掛物の大きいのね。曼陀羅を写したものなんです。刺繍みたいにね。そういうものを貰つてもしようがないですね。汚い変な物でね。それから支那の六朝仏といつて持つて来たが、支那の割合に新しい――乾隆のものですね。真鍮みたいにピカピカ光つた坊主の像みたいなものですね。曼陀羅なんか人に譲るというのは勿体ないと先でお祭か何かして、京都から東京に持つて来るのに、割れたり損じたりしたらいけないというので、自動車で来た。処がこれと思うのは一つも無いんですよ。貰つてもしようがない。それでガツカリして、何でも一つ貰つて呉れという。寄附をするというんです。処が貰うものが無いんですが、花生があつたんです。あれなら無事なものだからと、それでも貰つて置きなさいと貰つて置いたんです。それに似た様な事がよくあります。以前川崎の方から来たので、掛物だとか道具だとか五、六十点ありましたが、川崎では一番豪のものなんです。番頭か何かで三人で来ましたが、見ると一つも無いんです。夜店の物のみですね。本当の事を言つたらガツカリするだろうと思いましたね。三代前の先祖が集めたのをとつてある――家の宝にしていたんですね。恭しくして大変なものです。光琳が一つありましたが、贋の物なんです。本当の事を言つたら失望するだろうと――それを言うのがつらいですから、私は言わないんです。兎に角私の趣味と違うから――まあ、道具屋に見せなさい。道具屋に見せれば、道具屋におどされますからね。その方がいいからと言つて帰しましたがね。実に可哀相なものですね。ああいうものは、本当のものは無い。滅多にないですからね。良いものがあつても、之はというものは百に一つですね。道具屋が大自慢で持つて来て――七、八つ持つて来て一つあるかないかですね。そういう時には私はしようがないから、一つ預つて置くんです。そうすると其次に何か買う様なものを持つて来ますから、持つて来た時にそれを返す様にする。それから、返す積りで居ると、沢山持つて来て買わないでしよう。それで返す積りで居ても、返さないで――そういう事もよくあります。だから兎に角美術館に出るものは、一つと雖も――どんなものでも兎に角何処か値打のある処があるんです。

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「美術館の宣伝方法は何もとらないので御座いますか」

何もとらない訳ではないが、最初に新聞記者を呼べば何か書くでしようから、それで様子をみてね。最初からドヤドヤ来られては堪らないからね。その内に世間に知れて来ますから、広告なんかする必要はないと思いますね。

「招待するのも大分多くなつております」

ですから一、二、三と別けて、三の人は優待券。それから案内状ですね。それで郵便丈で、それでいいと思います。

「何時頃からで――」

七月六日が日曜ですから、其次の日曜の十三日ですね。其二日あたりでいいでしよう。其方が来る人もいいでしよう。それから場合に依つたら六月二十九日の日曜ね。それも一日出してもいいだろうと思う。呼ぶ人がすつかり決つてから、日曜を二回乃至三回ですね。そう思つている。東洋美術協会の会員丈でいいじやないかと思う。今に知れて来れば、評判になつて来ずには居られないですよ。中には幾度も来る人があるでしよう。とても一ぺんや二へんでは見切れないですからね。本当に好きな人だつたら、一室見る丈で半日位掛りますね。一品でも、只のものはないですからね。何か文句言う様なもの許りですからね。

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「東洋美術に並んでいる品物はみんな良いもの許りで御座いますか」

いや、そうでもないです。唯、何か品物を売りたいという人があつても、知つている道具屋がないでしよう。そうかといつてつまらない道具屋じや駄目だから――銀座にあの位の店を張つて居れば安心だから、あそこに持つていくんですよ。だから時々素晴しい物があるんですよ。私はそういう物丈を買つてますがね。この連中丈は一纏めにして招ぼうと思う。東洋美術協会役員というのが来ているんです。私が読みましよう。それで説明をします。会長武者小路実篤、之はみんな知つてますね。副会長北吉、多摩美術学校長ですね。

団伊能というのは参議院議員で、団琢磨の息子ですね。それから東京大学名誉教授藤懸静也、この人は浮世絵では権威です。日本で一番でしよう――浮世絵ではね。それから橋本凝胤、薬師寺の管長です。衆議院議員星島二郎。国立国会図書館長金森徳次郎。加納久朗。東宝社長小林一三。衆議院議員三木武夫。私がメシヤ教主、箱根美術館長としてある。大倉集古館長大倉喜七郎。法隆寺管長佐伯良謙。元フランス大使沢田廉三。衆議院議員高瀬荘太郎。評論家徳富蘇峰評議員、読売新聞社顧問馬場恒吾。日本放送協会長古垣鉄郎。美術研究家原田治郎。平櫛田中――彫刻家ですがね。此人のも出ます。芸術院会員板谷波山、此人のも二、三出ます。芸術院会員香取秀真、之は鉄の細工では日本一ですね。松田権六、之は蒔絵師では日本で一番です。中村勝馬。中島久万吉。元奈良美術院長新納忠之介。尾上柴舟、之は書家で――歌ですね。ああいつた内の書では日本一ですよ。それは上手いものですよ。あの人丈ですね。平安朝時代の歌読み位にどうやら書けるのはね。歌も上手いですね。私は一番好きです。新しい人ではね。尾崎洵盛、之は元男爵だつたんですが、支那陶器では日本一ですね。之はこつちの顧問にする積りだつた。鈴木一。遠山孝。梅原龍三郎、昨日かヨーロツパに行きましたが、此人は油絵では一番です。今、日本で油絵といえば此人丈ですよ。此人は美術館に二つ位丈出そうと思つてます。此人のは世間でも第一人者としてますね。此人の油絵は良いです。というのは、此人は骨董が馬鹿に好きなんです。それで買うでしよう。金がないでしよう。それから油絵を画始めるんです。

「今何の位致しますので――」

家にある一寸大きいので三十五万円ですね。一寸したので二、三十万円ですね。飛ぶ様に売れるんです。どうも、骨董類を好きな芸術家というのはよくあるんですが、兎に角作家で一番好きなのは吉川英治ですが、古い時代から――二、三十年前から集めてますね。それから大仏次郎、川端康成、未だちよいちよいありますがね。兎に角ああいつた有名になる人はみんな好きです。女では吉屋信子ですね。ああいうのを好きな人は霊が高いという意味もあるし、ああいうのが好きな人は霊が高くなるという意味もありますね。何しろ昔から、ああいうものを好きな人は偉い人になりますね。その内の一番偉いのは秀吉ですが、非常に好きなんですからね。若い時分に戦で掛廻つて居た時分から好きで集めていたんですね。

それから安田靭彦、之は誰でも知つている。評論家阿部賢一。美術研究家榎本明三、之は日比谷公園の美松をやつている人ですね。カフエーの大きいのもやつている。之も好きなんですよ。井上恒一、東京の芝にある晩翠軒の主人ですが、支那陶器では大したものです。昔から良い物を集めてます。私が気に入つた物があつて買おうと思つても中々売らないんですよ。之は良い物がありますね。鎌倉芳太郎。日東紡績株式会社長片倉三平、此の人も好きですよ。中々良い物を持つてます。片倉製糸の社長です。産業経済新聞社長前田久吉。之は先に中外新聞社長をやつていた人ですね。繭山順吉、之は支那陶器の――私の方に始終来る人ですがね。太田貞造、之も中々有名ですね。佐野隆一。菅原通済、此人は好きなんですよ。中々買いますね。良いものを持つていますね。

そんな連中ですがね。未だ細川護立、高橋誠一郎、浅野長武――みんな入つてますが、名前を出して呉れない。そうすると仕事が非常にあるので、暇を割く訳にいかないというので、蔭の会員です。

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「信者の時に浅野さん丈別に連れて来ても――十五日が日曜日ですので――」

それはいいです。けれども十五日はうんと来るから他の日がいいですね。私も会いたいからね。処が日曜は博物館は休みじやないですよ。月曜ですよ。十五日丈は肝腎な日だからね。其他の日がいいですよ。其次の月曜だつていいですよ。日が延びる程こつちは整頓するからね。

「ではそういう風に――」

その方がいいですね。二十三日ですね。確か博物館の休みは月曜でしたよ。何だか――美術館が出来かかつていると、普通の話の方は変テコになつちやつたが、何か聞く事はありますか。

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「昨年夏舌に小さいものが出来御浄霊で治りましたが、本年になり鼻茸の様なものが出来、咽喉の下の方にも出来ております。先の方もダラダラしており、食慾がなくなりましたが御浄霊戴き食慾も出て参りましたが、時々痛みを感じて居ります。十数年前に麻痺をしております。薬毒で御座いましようか。舌癌ではないかと思いましたが――」

薬毒ですよ。何でもないですよ。気長にやればすつかり治りますよ。その代り長くかかりますよ。医者に行けば舌癌だと言いますよ。

「五月一杯に色々の霊をお救いさせて戴きました。昨日は落着きましたが、落着きました時は矢張り御浄霊はしない方が宜敷いので御座いましようか」

そんな事はないがね。してもいいですがね。然し、落着いて居れば放つて置いて、何かあつた時にやつてやると、そんな処でいいでしよう。

「最後に龍神が出て参り、五、六年前に池を埋めたのを、替りを掘つてありませんのですが、今掘る訳にもいきませんので、甕を埋めましたが、それで宜敷いでしようか」

いいですよ。

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「大光明如来様、御屏風観音様をお祀り致しております家で御座いますが、三年経ちました稲荷は処分致しても宜敷う御座いましようか」

処分してもいいですよ。三年になるんですね。大抵は居ないでしようが、中には執着が強いと居ないとも限らないから、今迄の礼をよく言つて――其稲荷は何処からかお札でも貰つてしたんですか。

「前の工場の持主が致しましたので――」

それじや、元の処にお帰り願いますと言つて、そうしてやればいいです。

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「本年一月御伺いし御守護戴きました者で御座います。医師に咽喉癌と言われました。耳の下に小豆大の穴が開き鼻、咽喉、耳と三方に抜けております」

穴が開くというのは、膿でもあつたんですか。

「最近一週間に五回一合程出ております」

そうすれば、それは塞がつて来ますがね。

「毎日其穴に膿が溜つております」

それは結構です。熱は――。

「二週間程前にありましたが、大分取れております」

そうすれば流動物を摂ればいい。

「そう致して居ります」

幾つですか。

「六十才で御座います。家庭的に何かあるのではないかと思われます。娘が婚家先で非常な病気となり離縁致しましたが、或人の世話で二号となり、その旦那が父と同じ病気になり始めました。非常に反対しており、娘の御守様を取上げた事も御座います。何か関係が御座いましようか」

そう何にも、その人が親父と何うという事はないでしようがね。然しそういう人は今沢山ありますよ。薬毒ですね。みんな薬毒ですからね。霊的じやないですよ。薬毒ですよ。ですから、其人はもう少し経つたら肉が上つて塞がりますよ。つまり塞がらないのは、未だ毒があるからで、毒が取れれば塞がります。

「チフスで頭を冷したそうで御座います」

無論それは頭の毒です。

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「盲の男の信者で、御浄霊を戴いている人に体をつけますと、戴いている人に非常に感じるそうで――」

盲の人が浄霊している人に触れるんですか、触るのが可笑しいじやないですか。そんな触つているのに浄霊なんかしなくてもいいじやないですか。あなたの話がよく分らないね。あなたが甲の人に浄霊していると、盲の人が甲の人に触るんでしよう。何故其時に触らせるんですか。

「そう言つて来ましたので――」

誰が言つて来た。

「部下の者で御座います」

あなたの部下ですか。其時そういう現象になるんですか。だから其時に盲の人が触るというのは何ういう訳かというんです。何故其人に触らせるなと言つてやらないんです。そういう人は信仰を止めた方がいい。そして盲を拝んだ方がいいですよ。

「非常に霊気を感じるというので――」

それは邪神だつて霊気が強いですからね。只霊気を感じる丈では別に何うという事はないんだ。そんな事は問題ではない。神様の尊い浄霊を受けて居乍ら、受けている人間に対して盲の人が触るというのは、浄霊をしている人の了簡が分らないという話だ。それを触らせるという事ですね。

「態々触れる訳では御座いませんので――」

どうも説明がつかないね。

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「正面五寸程にいきますと見えなくなりますのは――」

瞳の中に毒があるんです。目の玉の前か後にあるんです。目は此処(後頭部)ですよ。真中の処ね。凡てそうです。盲は此処に毒があるから、之を取ればどんな盲でも見えて来る。それから正面丈見えて横の見えない人があるし、横が見えて正面が見えない人もあるし、それは目の玉の毒に依つてそうなるんだからね。

「勝正憲さんが何ういう処を浄霊したらいいかと――」

鈴木さんに此処を浄霊しなさいと言つてあげたんです。よく鈴木さんに言つてやりましたからね。ですからその通りにやればいい。

「殆ど毎日教会に参つており大変御守護を戴き、延髄から頸部は良くなり、今度は御言葉の通り腰の方が溶けて来ており、重く感じるそうで御座います。度々申し上げて呉れと言いますので――」

私に直接病人の症状を言えばよく分ります。浄霊は一番は尾 骨(ビテイコツ)ですね。それから股(モモ)の外側――此処に固まりがあります。それでいいです。本元は、足は凡て尾 骨(ビテイコツ)にあるんだから、此処を浄霊する事です。それから足が重かつたり、動きが悪いのは股の外側ですね。此処が固いものです。固いのは足のあがきが悪くて、動きが取れない。それから凡て足の工合の悪い時は此処(尾 骨(ビテイコツ))を浄霊する。それで大体足は治るものです。それから斯ういうのがある。女に多いですが、股(マタ)に固まりがある。斯ういうのは、固まりがある方の足丈あがきが悪い。それも、やれば治つて来ます。

「普通に食事が戴けず、起きて三十分以内ですとお水一杯のあと戴けます。他の時は全然摂れず、無理に摂ると水一杯でも非常に発汗し興奮し苦しみます」 

つまり、寝たあとは入るというのは、胃の噴門の上に毒がある。寝ていると其毒が後の方にあるから、噴門の方に穴が開いている。起きるとそれが下つて来て、それを塞ぐという意味でしよう。ですから胃の後に固まりがありますよ。それと前からの――噴門と、それで治る訳です。

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「本年三月発熱頭痛の後気が遠くなり発作が起き、最初は三十分位のが二時間位続く事もあり、其時は無意識で――」

霊が憑つたんだね。

「最初は猫だ々々と言つて居り、最近は俺だ々々と言つております。其子はお婆さんの処に養子に行つており、お婆さんが居ると発作がひどく、他の時には御座いません」

じや、お婆さんに関係がある霊じやないか。

「お祀りは致して居ります」

お祀りしたから解決するというんじやないですよ。お祀り位じや承知しないというのもあるし、霊に依るんだからね。未だ納得がいかない為なんだからね。子供の親は何時入信したんですか。

「二十三年で御座います」

お婆さんは――。

「前に資格を戴いております」

じや信仰がねぼけているんじやないか。

「今も続けております」

続けているといつても、働かなければです。拝む丈じや駄目ですよ。今子供の状態は――。

「不断は何でもなく遊んで居り、月に二、三回発作が御座います」

癲癇だな。それは調べるのは面倒臭いからね。お婆さんは幾つです。

「五十九才で御座います」

何をしているんですか。

「主人が学校の校長でしたが、今は会社に勤めております」

信仰は――。

「御守様を戴いておりますが、熱心でありません」

熱心でないのはいい、入つているかというんです。

「入つております」

入つている丈で別に働きがないんですね。お婆さんもボヤボヤしているんですね。

「月に二人か三人の導きを致しております」

で、無意識にぼつとしているんですね。

「非常に暴れまして二、三人の男では抑え切れない位で御座います」

救われない霊があるんだ。子供は学校に行つているんですか。まあ別に――その儘で段々良くなります。大したものじやない。成可く――朝晩お参りしているんですね。

「致しております。浄霊は受けませんが、善言讃詞は大人しく聞いております」

善言讃詞とか御神書を聞かせるんですね。其霊は子供に憑いているんだからね。

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「盲乳というのは何ういうもので御座いましようか」

よく言いますね。二つともないんですか。

「左様で御座います」

それは、他の動物の生まれ変りなんだ。哺乳動物でない、他の動物の生まれ変りです。色々ありますよ。四つあるのもありますしね。

「浄霊致しまして治るもので御座いましようか」

之は浄霊じや駄目だね。そういうのはしようがないから、人工で育てるよりしようがないでしよう。子供があるんですか。

「御座います」

牛乳か何かで育てるんだね。それはしようがありませんよ。此次は普通の人間に生まれ変つて来るんですね。

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「大黒様と恵比須様は時所位はどちらが上で御座いましようか」

大黒さんですよ。つまり大黒さんは男になり、恵比須さんは女になる。

「二体ある場合にお誓は大黒様丈で――」

お誓とは――。

「お参りの時に、大黒天神丈で――」

いいでしよう。面倒臭いよ。

「言わなくても宜敷いのでは御座いませんでしようか」

言わなくてもいいですね。言つても悪くはないですがね。

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「長女は嫁に行つても宜敷いでしようか。順序に反しないでしようか」

行つてもいいですよ。順序にはずれないです。

「本家の方は三代目になると男の子が出来ません。二代は男、三代目に女となつております。分家の方は男の子が御座います。原因が御座いますので――」 

それはありますよ。それは祖先が何か事情があつて、そういう風にするんですね。そうすると霊界に行つて、霊界で祖先が下の子孫に向つて命令するんだ。斯うせよ、と。それも祖霊がそういう事になつたのは事情があつたんです。先祖にね。そうした方がいい。そうしなければならない、と何か事情があつたんですね。それが男許り女許りじや駄目だが、そういう工合に両方いい工合にいくんだからいいでしよう。

それから、それに就て言うが、跡を継ぐのは長男でなくても、次男でも三男でも構わないですよ。従つて女でもそうです。日本は長男が跡継ぎになつたのは、戦国時代に大将が打死するでしよう。其場合に直ぐに大将の代りを立てなければならない。それでなければ統一がつかないからね。日本はそういう――系統を立ててますからね。それで長男が一番年取つているから、それで長男が跡継ぎという伝統が出来ちやつたんです。だから跡を継ぐ場合は一向差支えない。よくありますよ。長男は家督を継ぐのが嫌だ。芸術家なんかにありますがね。俺は自由にしたい。俺は親の商売が嫌だといつて、弟に継がせるのがありますがね。それを封建的の頭の人は、どうしても長男が継いで呉れなければ――とそういう映画が此間ありましたが、そういう事で悲劇がありますがね。馬鹿気たものですよ。家を継ぐのに適当した子供――そういうのに継がせればいいんですからね。まして女はそういう事は決して尚更差支えないんですからね。

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「昭和六年に東南の方から物凄い音響が入り、釜の中に入れて女の人のお腰で包み――」

音を入れたというのは何ういう事です。

「入つたと仮定したとの事でして、蓋を取るとガーツと鳴るそうで――」

又、お腰で包むなんてね。何か他の布で包むというならいいが、何も腰巻で――とは少し変だね。

「昭和八年にも同様の事があり、之も釜に入れお腰で包み神棚に上げておりました。光明如来様は御祀りさせて頂き、昨年十二月には大光明如来様を御祀りさせて戴きました。尚、其家には沢山の神様が祀つてありましたが、四カ月前に釜と一緒に御神前に置いてあります」

妙なものだね。

「誰でも聞えたのでは御座いませんので――」

それはそうでしようね。

「音を腰巻で包むという謂(イワレ)でもあるのでは――」

兎に角話がどうも変ですがね。光明如来様を御祀りしたのは――。

「光明如来様は一年半前で御座います」

其間色んな神様を以前の儘で――。

「八百万が沢山――」

沢山はよく分つた。其後は――。

「稲荷がありまして、おじいさんが外に祀る事を嫌がつて居りましたが、四カ月前に夫婦喧嘩が絶えませんので、外に祀つたらと思い、おじいさんも許しましたので軒下に祀りますと、家の中も明るくなりました様で御座います」

それじや、それを御神前に置いて、四カ月前というのなら――一年位その儘にして置きなさい。一年以上経つたらお祀りして御礼を言つて、そういう霊は故郷があるから元の御座(ミクラ)にお帰り願いますと言つて処分すればいいです。けれどもあんまりおじいさんが反対したら、しない方がいい。というのは、おじいさんが反対するというのは、其内の霊の何れかがおじいさんに憑つて反対するんだから、光明如来様を御祀りしていると、段々そういつた霊が改心するから、そうしたら一緒にしていいんだから、其点も心得て――。

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「生後六カ月の者で御座いますが、右の親指の爪の先丈が押しつぶされた様な形で、先が角(ツノ)の様になつております。整形外科にいつてレントゲンを写つた処、爪の先丈が二股に別れており、今の内にと、角張つた方をけずり、つけましたそうで御座います。之は浄霊で治るもので御座いましようか」

それは治らない事はないだろうが、相当長くかかります。それは死ぬ時に割られたんですよ。切られたかしてね。それが治り切らない内に生まれ変つて来たんです。それは切つたらいいでしよう。

「あとを御浄霊で――」

そうです。浄霊すれば早く治る。

「手の場合はあるが、足がなつているのは珍しいと言つていたそうで御座います」

何しろ大した事はないからね。

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それから、美術館も考えてみると、未だ下のタイルが出来切らないから、未だ中に入つては工合が悪いね。外からのぞいて見る丈にして――。中のタイルが出来ればいいですがね。一部屋か二部屋昨日あたりくつつける準備をしていたから、今日は外からのぞく丈と、斯ういう風にして貰いたい。それから青苔が随分要りそうですがね。広いからね。だから精々持つて来て貰いたいですね。

私は去年京都に行つた時――苔寺では三十幾つといつて威張つていたから、何くそ、もつと。と思つてね。ですから、信者さんが持つて来るのは随分種類が集りますからね。それはみんなという訳にいかないけれども、相当集るでしようから、足りない分丈箱根で取つても結構ですよ。随分広いからね。まあ苔じや日本一ですよ。

「種類に依つて違いますので――」

違いますよ。

「全国から集まりました苔というのは、他には――」

ありませんよ。凡ゆる植物は違いますよ。竹ですね。箱根竹、小田原竹――みんな違いますよ。前に小石川の植物園で見ましたが、みんな違いますよ。土地や気候や条件に依つて種類がみんな違つちやうんです。

「光苔という天然記念物になつておりますが――」

所々にありますよ。目につきますがね。夜になると光るんですよ。此処なら極く適当ですよ。

「阿蘇の苔を南葉さんが集めて参りますが、国立公園になつておりますので表向きは取れないそうで御座いますが、大学で苔を集めておりましたので――」 

それはいいでしようね。噴火山のですね。あそこの苔ならいいでしよう。木はあんまり大きいのは無いでしようね。

「内輪山は草が多い様で御座いますが、外輪山には原始林みたいな処が御座います」

そうですか。

「苔は増えますので――」

苔に依つてはとても増えます。

「一カ所に集めて増やしますと――」

良い苔は増やします。

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「法隆寺に参りましたが、中門から左が五重塔、右が金堂になつております。この様に一列の線に並ぶのは、外国にもなく、文献にも遺跡にも御座いません。五重塔は舎利塔で、金堂は本尊で、本尊は観音様で御座います。四天王寺式の方は、お釈迦さんが一番偉いとしてあり、法隆寺式では対等の位置に於て拝んだ。従つて観音様が一番偉いという考え方から、そういう配置をしたと考えましたので御座いますが――」

そうじやない。つまり法隆寺式は門から入つて左が五重塔、右が金堂でしよう。処が観音さんを生んだのがお釈迦さんなんです。お釈迦さんが親なんだからね。それからもう一つは、親子という意味になるとお釈迦さんが上でいいんだ。処がこういう事なんです。本当から言うと五重塔の方が霊です。あれは火だからね。火というのは経に高く、横がないんです。金堂の方は低くて横がある。水になるんです。そこで門から入つて右の方に塔を建て、左の方に金堂をやるのが本当なんです。処が仏教というのは逆なんです。体主霊従だからね。そこで夜の場合は反対にする。即ち、入つて左に塔を建て、右に金堂を建てたんです。仏教の方は逆なんだからね。 (マンジ)だつて、仏教はこういう卍です。本当の はこういうナチス式の が本当です。それが根本なんです。それが本当なんだが、仏教の時代にはそれではいけないんです。本来観音様はお釈迦さんより位が上なんです。けれども仏の時代にはお釈迦さんが上になる。例えていえば、天皇陛下を生んだ人は天皇陛下より上になりそうなものだが、やつぱり天皇陛下の方が上です。

「救世(グセ)観音が御座いますが、沢山の観音様の御像は、背面側面に手を入れており、救世観音は正面丈で横、後に手を入れておりませんのは、他のは美術の対照でありますが、之は美術の対照ではなく拝む対照と考えましたが――」

それはそういう訳ですね。それが本当です。

(垂十号  昭和二十七年六月十五日)