御 垂 示 録 (第九号)

五月一日

「今日は平川町にお出ましになられました五月一日より丸十八年と思いますが――」

九年だからね。そうなりますかね。十八年にね。愈々敵(カタキ)をとる事になる。今度奈良に行つて分つたけれども、聖徳太子は観音様ですね。太子はやつぱり私だつたんだね。分つたんです。夢殿の扉が丁度開いて――あれは一年に一ぺんという事に、確かなつているそうですが、あの時に観音様の霊が私に――まあ、入つて来たんですね。それで分つた事は、つまり今迄時を待つて居たんですね。というのは、奈良という土地は仏教の発祥地であるし、大体あそこから仏教というものが始つたんです。だから奈良のお寺の事を色々聞いて見ると、つまり何宗とかいうのは未だ出来ていなかつたですね。あの事を、仏教哲学では原始宗教というんですね。それから、原子宗教の次に出来たのが山岳仏教ですね。之は弘法大師が高野山に行つたり、伝教大師が比叡山に行つたり、山岳仏教ですね。それから宗派仏教になつて来たですね。だから奈良時代の宗教は、大抵観音様が中心ですね。阿彌陀、釈迦――色々あります。薬師如来はやつぱり観音様ですからね。殆ど観音様中心だつたですね。つまり聖徳太子は千手観音の小さい型なんだからね。で、私が今行つているのは、千手観音の働きなんだからね。だから、何んでも無限に色々な事をやつているね。そうして、今迄救世(メシヤ)観音が夢殿に居られ、而も段々聞いてみると、夢殿というのは聖徳太子が始終あそこで書き物したり、生活をして、あそこが住居みたいになつている。それが夢殿と言つて――夢というのが面白いと思うんです。つまり、その時の聖徳太子の夢が愈々実現する事になつたんだろうね。普通、一寸夢なんて名前を附けるものではないですがね。何とか意味のありそうな、正面(マトモ)な名前を附けるものですがね。

それから救世観音と書いてあるんですね。救世観音というのは救世(グセ)観音と言つて、之は文献にあるんだがね。それを「メシヤ」と読んだのは私なんだから、今度行つたのは非常に面白いですね。意味がある。丁度扉を開ける日にぶつかつたという事は、もうちやんと、神様の方では決つている。予定は翌る日だつたんですが早く済んだので、何んでも彼んでも法隆寺を見ようという事になつた。法隆寺を出来る丈やつてあとは明日にしましようと言うが、然し若し明日になつていれば、救世(メシヤ)観音は見れなかつた。やつぱりそういう事になつている。奈良というのは、言霊から言つても、「ナ」というのは地になるんです。「ラ」というのは拡がるという事ですからね。やつぱり「ゴーラ」と同じですね。「ナラ」というのは、地が拡がるという事です。お釈迦さんは土のミロクだからね。地は七だからね。七のミロクになる。だから、今度京都に地上天国を造るというのは、箱根が五で、熱海が六で、京都が七だと、そういつたミロクの意味になるんです。

「此度御出ましになられまして、七がつきもので、お召列車も番号を合わせて見ますと七で御座いました」

ああそうですか。七で完成するんだから、大体ミロクの小さな経綸は、あそこが出来れば出来る訳ですね。

「七は完成の意味で御座いますか」

完成の意味です。

「聖書でもエジプトのでも、七が基本になつております」

聖書も、七が基本になつてますね。それで七日で日曜になつて、休めという事になつている。つまり成るという事ですね。「ナ」という言霊は地という事ですね。だから、天地創造の際も、日月が先でそれから地がなつたんだからね。

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まあ――講和の話は、この間京都でも名古屋でも話したけれども、講和は緯経結ぶという日になるので、米国と日本は、米国は緯で日本は経だから、之を結んだ非常に目出度い日なんで之から世界的伊都能売の働きになつて来るんだね。バツチの真中の赤は日本という事になつて、廻りの黄色はアメリカですね。アメリカは弗の国だから、黄金の色を出した訳です。黄金は世界の四分ノ三はアメリカが持つているんです。此頃そういう輿論が世界中に出て来ましたね。アメリカ人の識者なんかが言つてますね。世界は、アメリカと日本が提携するのが基本になるという様な事を言つてますね。段々、それが分つて来つつあるんですね。で、その結びの其仕事の中心がメシヤ教なんだから、時期に依つて段々そういう様になつて行く。之から本当に面白くなつて来るですね。今年の六月十五日過ぎると、ずつと変つて来ます。之は、別に考える迄もない。美術館は六月十五日に開館式をあげるし、それから鉱山も丁度其頃愈々物になつて来るという事になるですね。六月十五日に信者丈の開館式をやるんですね。神仙郷の落成式と美術館の開館式を三日間位になるだろうが、三日に分けてね。今度は多勢入るから――二、三千位入るから、大抵三日で済むだろうと思う。それから、一般は七月になるだろうと思つている。一般は七月になつてそれから段々外国に判る様になつて来る。之はやつぱり一つの型なんですよ。

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私は昔小間物屋をやつている時分に――之は私の本に書いてあるけれども、先に、装飾物――婦人の装飾に使うものだが旭ダイヤというのを発明した。ダイヤみたいにピカピカ光るんです。今でも物に依ると出来てます。それで世界中の―十カ国の専売特許をとつたんです。私は其頃発明が好きで色々特許をとりました。マークは、月になつていて、半分星が出て、後光が射している。そういうマークでした。私は其時に、一寸大きな馬鹿々々しい衣裳なんで、何か――自分は世界的の事をするとか、世界に名前が知れるとか、何かそういう様な気持がしたものですね。十カ国の専売特許――十は矢張り結びだからね。あれが矢張り仕事の、一つの最初の何になつている。

「旭ダイヤで十カ国ですから――」

そうです。

「原料は何で御座いましようか」

鏡です。鏡を薄くして割るんです。割つて、幾らかふくれる様にすると、ピカピカ光る様になるんです。昔――鎌倉時代にも貝を割つたのがあります。色々ありますね。それを、貝でなく鏡にしたら余計光るだろうとやつて見たら良いんです。それで儲けましたよ。その当時でも十万円位儲かつたでしようね。私が三十幾つの時だから、三、四十年前ですね。ですから小間物屋でも何んでも、やつぱり私の処が成功者として一番になつていたです。だから岡田式、岡田式と、其時分にね。其頃にも色々ありましたがね。私は何をやつても、全然――他を追抜いちやうんですね。大本教に入つた時分にも色んな事が、どんどん私が一番になつちやつてね。だから大本の方で脅威を感じて来たんですね。それで、非常に私を圧迫して来た。美術品の色んなものも、大抵の事は商売人より分つたが、仏教丈に関するものが未だすつかり分らなかつた。今度奈良に行つて、今度すつかり分りましたからね。

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「法隆寺には仏教の美術品が非常に御座いますが」

あそこが中心ですね。本元ですね。つまり聖徳太子が本元ですよ――日本仏教を植附けたね。

「夢殿というのは、あの時分に夢殿と言つていたので御座いましようか。霊感を得たというのではないかと思いますが――」

自然にそういう名前がついたんでしようね。

「自問自答をして居られたそうで御座いますが」

そうそう神憑りになつたんですね。私のは、神憑りよりもつと直接になつているんです。神憑りというのは、幾らか間接になつている。だから私は、神様に伺うとか、神様がお知らせになるとか、そういう手数や何やなく、直接神様の意向が、その儘私の意向になるんです。神人合一ですね。

「欧米の優秀な霊媒は、特殊な現象が起らずにフツと感ずるという――」

そういう事もありますが、そういう事を感ずる人でも、今迄の人は小さいです。ですから力がないですね。

「高級の神様ではないので――」

そうですね。枝葉の神様ですね。

「そう致しますと、明主様を中心とする信仰は、救世(メシヤ)観音を中心として崇めるという事で解釈して宜敷いので御座いましようか」

いや、然し観音という名前だと、未だ化身だから本当の力は出ないんです。神様が経綸するんだからね。今度の救世(メシヤ)観音というのは、聖徳太子が救世(メシヤ)観音になつているんです。今度は愈々時期が来て活動を始める。活動を始めるには、矢張り自分が仏を作られたので、今度は仏を元の神様にしたり、こちらの――メシヤ教の為に働かせたり、そういう事をやります。メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神――エホバですね。

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「深町の御神体を見ますと、明主様の御神体程強くは御座いませんが、光が出ております」

いや、邪神でも中々光が出ますよ。

「外させました方が――」

そんなのは無論駄目ですよ。災が起りますよ。矢張り、悪にも力があるんですからね。然し、一時的で継続しないです。それからもう一つは、悪の光で、本当の光ではないです。

「明主様のは太陽の様で御座いますが、深町のは月か星にもいかない位で御座います」

そうでしよう。それは早く処分しなければならない。外して、少しの間仕舞つて置いて――。そうですね、一年位経つたら焼いて了えば良い。

「御守も深町のに取替えて居りましたが、結核末期が御浄霊一週間で良くなりました」

つまり、こつちはダイヤモンドなら、先はガラス玉です。イミテーシヨンのあるものです。一寸見るとダイヤの光に似てますよ。イミテーシヨンはね。だから、イミテーシヨンは、何しろ水銀を加工してある鏡だからね。それでやつぱり光だからね。そういつた違いさです。

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「聖徳太子の肖像は、中心のは大きく、二つの小さいのは童子というので――或いは何かの約束で――」

子供でしよう。童子ですよ。

「国宝かと思つてをりましたが、国宝になつてをりませんが、矢張り古い相当の傑作で御座いましようか」

やつぱり良く出来てますね。

「掛物で同じものがありました」

あれは幾つもあるもので、幾つも見ます。然し、法隆寺のが本元ですよ。良い絵になると、随分贋を使つてあるからね。悪意じやないが、それを写して、拝みたいので――そういう意味なんです。

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「博物館に陳列してあります仏像は、霊は抜けますので御座いましようか」 

普通は抜けているんですがね。抜けるけれども、霊に依つて憑いているのもあります。

「信者の一人で、一体丈其前に行きますとゲツプが出、他の前では出ません」 

やつぱり霊があるんです。他のは霊が抜けているんです。多く、仏像の作の良いものには霊が入りますね。作の悪いのは矢張り霊が入らないですね。入つても抜けちやうですね。だから大黒様でも、作の良い大黒様は、それ丈御利益が強いですよ。だから、左甚五郎なんかが彫つたのは色々不思議をするというのは、そういう訳です。  奈良の博物館に、私の処の美術館のものはそう負けないですよ。唯、大きい三体の仏像ですね。あれは負けますね。それと、お釈迦さんの一つお碗みたいなのがありましたが、あれは敵(カナ)わないですね。あれは大したものですね。それから小さい金屏風ですね。あれは、私の処に一つ位しかなかつたです。あとはみんな負かします。あと、あれと同じのが三、四体ありますが、こつちは数が少いです。お経は私のが上ですよ、お経は天平時代のもの許りですが、私のは色々にありますからね。光明皇后の画いたのもありますからね。

「釈迦の一代経のものは――」

因果経は天平時代の良いのがあります。あそこにありましたが、ずつと落ちるんです。あれなら私なんか買わないですね。天平の因果経は素晴しいものです。最初は二百三十行かあつたんですが、みんな買い切れないからね。この春出たのを、今経師屋で繋げてますがね。そうすると八十何行です。ですから日本では一番ですよ。久邇宮様の処に五十四行あるんです。それから、金光庸夫――先の大臣が五十何行か持つてます。八十何行というのは、先ず日本一ですから、皆驚いてます。今三行位のものでも大変な取り合いですからね。掛物にしてね。三行の掛物で、吉川英治が非常に欲しがつているので、吉川英治にやる積りだつたが、道具屋の佐々木が是非売れと言われて、二十二万円かで売つちやつたんです。それを吉川英治が知つたので、怒つて道具屋が弱つてました。それで、何か他の良いものがあつてやつとお詫びがかなつたと言つてましたが、その絵が今珍重されているんです。アメリカには十五行いつているんです。処がアメリカでも非常に珍重して、それを日本に来て欲しがつて大変です。之が一番高いです――値段としてはね。絵巻物というのはアメリカ人が馬鹿に好きなんですよ。あの中に平治物語というのがあるんですがね。巻物でね。之がボストンの博物館にある。それは非常に大事にして、日本人が行つて――日本人に限らず、誰でも――見たいという時には、不断はガラスの上に布がかかつていて、見たいと申込むと、布を取つて、見ちやうと又布をかける。というのは、光線に当ると、幾らか色が褪めるという様な心配からやるんですが、それ程向うでは貴くしている。今高いですよ。絵巻物というのはね。

「芸術大学にありましたのは、一寸落ち、他のは良い様に――」

一つは鎌倉時代、もう一つはよく判らないんですが、藤原か足利の初期だろうと思いますが、それは又悪いです。この間博物館にありましたが、見られたものじやない。天平のは丸つきり違いますからね。天平の方が色が良いんです。緑青なんか萠える様ですね。今画いた様ですね。却つて其後に画いたものが古い様に見えます。不思議ですね。今度美術館が出来れば並べますから見れば判りますがね。

  「あの当時のは作者の名前が出てをりませんが――」

巻物というのは作者の名前は出さないものです。大体仏に関したものは作者の名前は殆ど出さないものですよ。あの当時作者として出ているのは、巨勢金岡ですね。それから兆殿司ですね。去年京都に行つた時にね。それから恵心僧都――そんなものですね。

「宮中に色々な役目をもつた係がありましたので、その関係で隠すのではないかと――」

そうじやないんです。書かない事になつているんですね。つまり、むしろ仏様を尊敬した意味じやないかと思いますね。凡て、良いのが作者の名前がないですね。弘法大師の彫刻でも、弘法作なんて書いてないですからね。名前を書くのは、画家とか――そういつた美術家とか、そういう意味になりますからね。今度行つた時弘法大師の作がチヨイチヨイありましたね。

「弘法大師と称するんじやないですか」

判らないですね。怪しいですよ。少し上手過ぎたね――この間あつたのはね。相当の彫刻師がやつている。行基菩薩も彫刻はやつてますね。日光の子育観音なんて、行基菩薩です。然し、支那の古い時代の画家というのは、殆ど坊さんですよ。宋時代のね。この間の博物館のは――尤も奈良の何処のお寺でも仏画はないんです。仏画は幾らもなかつたでしよう。確か曼陀羅があつたかな。曼陀羅は写真があつたね。

「海外に出て了つたので御座いましようか」

海外は余りいかないですが、日本ですね。日本の道具屋ですね。それから、火事で焼けたりしたでしよう。道具屋は相当持つてますよ。私も先に買いましたがね。

「仏画は高野山が多く御座います」

高野山のものでも、私の処に二、三来てますがね。あそこは中々ありますよ。随分弘法大師のものを売りましたね。一ぺん売立てがあつたんです。図録にみんなありますがね。

「相当のものがありますが、本当に見たいというのは――」

あそこで有名なのは赤不動ですね。赤不動は天下に有名なものですね。他には――。

「あそこの美術館には出さずに、お寺に持つてをりまして」

あそこは秘蔵ですよ。ああいう処には巨勢金岡の観音様がありますがね。恵心僧都の画いたのもありますね。仏画というものは安いものなんですよ。喫驚りする程安い。曼陀羅ですね。随分細かに仏様が画いてありますが、こんな大きいのが、前に五、六万位だつたんです。今はずつと高くなつたですがね。私は其時分にチヨイチヨイ買いましたがね。何故かというと、あんまり安いから買つた。勿体ない様でね。手間が勿体ないからね。

「金剛界と胎蔵界の――」

曼陀羅というのは二つのものです。曼陀羅でも、一番良いのは藤原時代のものですが、之は無いんです。大抵鎌倉時代のものですね。

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「京都は大抵御覧になられましたので、もうお楽しみは――」

仏像は法隆寺を見ればね。

「石山寺に弘法大師の軸が――」

怪しいですね。ああいつたもので一番集めているのは小泉三申――あの人です。あの人は玉石混淆ですが、中には良いものがあります。

「金光庸夫は――」

幾らもないです。新円になる前に金光が何千万円か持つていたんです。一千万円か二千万円を現金で持つていた。それで小林一三に、現金持つていると危ぶないぞと云われて、物に換えちやえ。骨董なら俺が一寸――目が利く方じやないが――小林が買わしたんです。尤も其時分には、戦後間もなくで、良いものが安かつた。それを買わした。それを持つているんです。

「若し良いものがありましたら――」

因果経があります。処が先生五万円が一文負かつても売らないと威張つているんです。久邇宮さんは四万円です。未だ仁清の壺が金光にありますから、それを私は一ぺん見たいと思つてます。今そんなものですよ。あとは知れたものですね。好きで買つたのではないからね。満洲タバコで儲けたその金があつたんです。東京では、何と言つても益田孝が一番持つていたです。未だ良いものが相当ありますよ。始終売つてます。終戦前からボツボツ売つてましたよ。あそこは良いものがありますよ。それは敬服しますね。益田孝というのは其方の世界でも第一人者でしようね。昭和の不昧公ですよ。東京では益田さんで、大阪では鴻池です。

「やつぱり売つているので――」

それは、何年も前から骨董売つて食つているんです。何しろ生活費が一カ月五十万円で、それを売つていて平気なものです。未だ倉に――そうですね、五つの倉位あるでしよう。

「明智光春の湖水渡りをした時の茶釜があるそうです」

そういつた名品は何でもありますよ。よくも集めたものですね。

「趣味はないそうで、或る人に菓子入れの素晴しいのを出したので喜んでおりましたら、それは台所に置いているそうです」

そうですか。まあ、良いものは鴻池でしよう。あの時分に金貸しをしていたんですからね。大名に、品物を抵当にして金を貸していた。その流れですからね。住友は銅器位なものです。銅器は別子銅山なんかやつていたから、その縁(ユカリ)で持つてます。

「細川護立候は――」

持つてます。然したんとはないです。先生は目が利いてますからね。中々オーソリテイです。極く良いもの丈は取つてありますが、売りましたね。細川護立候のもので欲しいものが二、三あるんです。浅野候にもあります。浅野は大体宋元時代の絵ですね。他には之はというのはないですね。

「護立さんが持つている――」

然し護立さんも、持つているのは判つてますね。たんとはないです。護立さんので之はというのは五、六点でしよう。浅野さんには支那のが二、三十点でしよう。そんなものでしよう。処が益田さんや鴻池さんというのは凡ゆる方面に亘つている。だから道具屋仲間で、出るというと、今度は何が出るか見当がつかない。

「一時危篤で――」

骨董屋が益田さんに何人も入つてますからね。それで上中下と別けて、上のものを売る時は一流の道具屋で、中は中位、下は下位と、それが何軒も入つてますからね。それで、一番値が良く張つて、間違ないのが、ずつと続いているんです。行り方が非常に固いです。美術品を集めるというのは中々大変なものですよ。道具屋というのは中々ずるいです。君達は詐欺だと私はいうんです。旨く法律の網にひつかからない丈のものだと。実に、うつかりすると嵌めよう嵌めようとする。そうして目を光らせている。それで相場が中々難しい。又品物も随分良く出来ているものがありますよ。どうしても本物としか分らない。私でも一見分らないんです。それで二、三日貸せといつて、掛けて置くんです。すると段々厭になつて来る。何んだか厭になつて来る。之はいけないですね。本当のものは、段々良くなつて来る。之が本当です。

「東京の方では、掴まされたと言つております」

それはそう思つてます。昔からの有名なものではないですから、突如として出来た宗教家なんて、どうせ本当のものは判りつこないんだから、ああ贋物を掴まされてと思つているんです。それで興味があるんです。然し一度見た人は驚きますよ。

「白鶴には一寸負けるという事で御座いますが」

白鶴は陶器と銅器ですね。然し日本のものはないんですからね。絵はないんですからね。私の方は、絵は支那のもあるし日本のもあるしね。

「白鶴は六十年位かかつたそうで――」

其当時月謝を一千万円払つていたそうです。それ丈に白鶴は良いものがあります。世界的のものが随分あります。然し支那ですからね。私の方は、日本の絵が沢山ある。絵といつても、光琳もあるし東山水墨もあるし浮世絵があるし、光琳でも――光琳、宗達、乾山、抱一――その人の有名なもの許りある。だから九月十月は琳派展覧会をやろうと思う。去年博物館でやりましたがそれよりかもつと上をやろうと思う。それよりか良いですよ。博物館なんかてんで問題にならない位のものです。だから最初から日本一は勿論ですが、或いは世界一とも言えるでしよう。外人が見ても吃驚りします。この間東京で一流の道具屋に巻物を五、六点見せたんです。二人に見せたんですが、一人は其晩寝れなかつたそうです。頭が変になつてね。その五、六点のが、私の処にはその五倍位ありますよ。ですから他のものを全部見せたら気絶しちやうかも知れない。今仁清の陶器なんかは贋物がうんとあるんです。この間京都に仁和寺というのがあつたでしよう。屏の長いね。其附近は仁和寺村というんです。今から三百年位前ですね。仁和寺前に野々村清兵衛という陶器の名人であれは日本一です。支那陶器に負けないのは仁清丈ですね。仁清と乾山丈は支那陶器に匹敵して遜色ないです。仁和寺の仁と、清兵衛の清で、俗に仁清と言つているんです。あれは大変な名人ですね。だから仁清のものは一品だつて、出れば大変なものです。此頃は出ないですね。けれども私の処なんか二十位あります。

「説明書をつけて頂きませんと――」

つけるのは――ものに依つてはつけるがね。

「説明が出来ないと思われますので」

そういうものは説明書をつけます。それから、私の処には墨蹟――書ですね。それから歌ですね。西行とか貫之、道風。墨蹟の中で面白いのがあるんです。支那の無順という人の書いた、之は有名な掛物ですが、それを、茶会があつて、大名は何とか言つたがね。古田織部という、織部焼の元祖ですが、之は中々有名なものですが、其処で茶会をやつた時に、細川が来て是非欲しいというので、売れと云うが、売る訳にいかない。二字です。「帰雲」と書いてあるんですが、一字千金というから、二字で二千両で売つて呉れと云う。それでも嫌だと言つたが、昔の大名は気に入ると持つて行つちやうんです。仕方がないそうです。実に封建的ですね。あとで、二字で三千両やろうと届けた。その位細川さんが気に入つたんですね。そういつた謂(イワレ)を書いたのがありますから、それも出します。墨蹟というものをとても好きな人は――私も好きですが、とても憧れるんです。何を犠牲にしても欲しいと思つたら得ようとする。

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「明主様の処に、そういう好きな人が来て、そういう話許りされては、教修の方が――」

その位になれば結構です。だからメシヤ教は芸術宗教というんです。地上天国を造るんですからね。天国は芸術の世界です。

「美術館をお造りになられます事は道楽の様に誤解しておりますが、美術の感に打たれて宗教的に徹底するという事になりますので――」

結局に於て宗教というのは、その人の魂を向上させれば良いんですからね。昔は難行苦行して山に入つたりして苦しんで魂を磨いたんです。それからお釈迦さんは経文を唱える事によつて導いたんです。私は美に依つてやるんです。

「説教丈では、釈迦もキリストもやつており、やつぱり楽しみ乍ら――」

何しろ今迄の頭じや一寸最初は解らないでしようね。処がこういう宗教はなかつたですからね。そこで私は今迄のは地獄的宗教だ。メシヤ教は天国的宗教だという事を先に書いたんです。

「夢を見乍ら死んでいくというのが一番幸福だと思います」

それじや麻薬でも飲んだら良い。それでは霊界に行つて迷つちやう。両方ですよ。やつぱりメシヤ教だつて、美丈じやない。矢張り教もあるし、理窟もあるし、それに依つて魂を救い、要するに目から魂を向上させるのが美ですからね。だから色んな話を聞いたりは耳からする。又真理を知るのは頭でね。

「理論丈聞くと哲学的になるので――」

そうですよ。それから人に依つて色々ありますからね。だからメシヤ教は千手観音式で、凡ゆる方面からね。

「今日集つている資格者の方も、美を愛する事から宗教情操を高めるという事で――」

そうです。今私が話した様に説明すれば解りますからね。矢張り結局人間は希望の多い程良いですからね。だから夢殿は良いですね。聖徳太子は千二百年夢殿に居た。唯、聖徳太子は芸術を非常に好きであり力を入れていたというのは異色ですよ。

「明主様と――」

良く似てますよ。普通の宗教家と違う処です。一番頭が良かつたですね。話許りになつたが、質問は何か――。

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「つむじが二つあるのは霊的関係が御座いましようか」

無論あるでしようね。よくつむじ曲りと言つてね。やつぱり、頭の一つの中心になつているんでしようね。

「馬や牛は、それに依つて値段が高くなつたり致します。二つあるのは、人を構わずに殺すそうで御座います」

不思議ですね。やつぱり二つあるというのは理由があるんでしようね。いずれ、必要ならば分るでしようが、大して必要がありそうもないから、気にしないでも良いですね。それが別に悪いという訳じやないんだからね。

「今迄は障りがありましても、之からはお光を戴き心配は要りません訳で――」 

無論そうです。霊ですからね。

「大体、一番大事な霊主体従という事を考えていない人が多い様で御座います」 

そうですね。之を解るという事が良いですね。真理だからね。之さえ解つて信じられれば、その人は根本が解つたんだからね。処が、今の世界は体主霊従だから逆になつている訳ですね。

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「ハワイの信者よりの質問で御座いますが、月並祭をさせて戴きますのに、向うは月の日より曜日で決めるそうで御座いますが、お許しを戴けますもので――」

良いですよ。

「土曜日でも宜敷う御座いましようか」

結構ですよ。土曜日が一番良いでしよう。

「金曜日はそういう事には使いません様で御座いますが」

キリストの受難日だからね。十三日の金曜日だからね。

「週が四つありますが、第一土曜日という様に決めなくても――」

決めなくても良いが、第一の方が良いです。何でも早い方が良いです。早い方が基本になりますからね。それで私は、此集りを一日にした。それから数から言うと、割切れる数――偶数ですね。之が陽になる。だから奇数偶数の事柄に依つて合わせるという事も良いんですね。どつちかというと、大抵は割切れる方の数が良いですね。姓名なんか、つまり両方が良いとしてあるんですがね。両方混ぜるのが良いとしてある。字劃の数がね。処が、先に私が研究する時分に、偶数許り四つ並んだ名前で非常に出世している人がありました。之も余り当にはならないですね。言霊は確かにありますね。苗字も名前もア行になると、どうしても其人は孤独性になります。広がらないですね。私は、それ丈は直してますがね。ア行というのは天の行ですからね。「オカダアサコ」とか、それは屹度いけないですね。

「手島武子という名前が悪いと行者に言われ、清子と変えましたが、精神病の様な状態で御座います。どちらが宜敷いでしようか」

手島「タケ」はいけないですね。まだ「キヨ」の方が良いですね。けれども「キヨ」よりも「ミヨ」と言つた方が良いですね。手島というのは非常に強いですね。「キヨ」で呼慣れたら良いでしよう。名前としてはそう悪くないです。

「天国の様が見えるそうで、オーケストラが聞えたり綺麗な人が踊つているとか申します」

それ丈では別に精神病じやないですね。そういう人はよくありますよ。霊憑りですね。霊視能力というんですね。そう心配する事はないですよ。生れつき霊視能力のある人がありますがね。

「家に問題が――」

それは其家に罪がある訳ですね。罪という事は、医者にかかつて医者にお任せするという訳ですね。まあ医者にかかつて医者を信用するという事が不幸の原因なんです。そうされるという事は罪があるからです。助けるという力がない訳ですね。機会がない訳です。

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「足の骨を斜に折り、石膏を塗つて了いましたが、御浄霊戴き完全に治して戴きましたが、其場合に骨が斜に――」

斜でも何んでもないですよ。御浄霊丈で結構つきますよ。唯、下手に骨接やつては――然し結局元通りになつたんですね。

「肱に副木をしてつけました処が、骨が曲つてついた様で飛出ておりました」

そんな事をしたからです。副木なんかしたからです。

「肱の場合にも其儘で――」

そうです。脱臼した時でも其儘で良いです。

「そつとして置きましたら――」

そうですね。そつとして置けば良い。

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「顎が外れる病気の原因は何で御座いましようか」

いや、外れ易いんですよ。癖になるんでね。然し訳なく入りますよ。

「御浄霊で――」

浄霊しないで――歯医者なんか上手ですね。誰かに覚えさせて、そうして浄霊するんです。そうすると外れなくなります。

「十何年外れる癖がありましたのが、御浄霊で外れなくなりました」

そうなんです。だから入れておいて、あとを浄霊すれば良くなります。

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「四国で、道具屋さんが肺病になり、有名な伺い者に聞いた処が此世に二つとない神様を押込んでいるとの事に探してみますと、大阪から軸物を買つて来たが、それを開けたとたんに楽になりました。それが明主様の光明如来様で御座いました。一寸開けて見た処が素晴しい字で、五万円というので、之は直ぐに七万、八万になるからと思い買つたそうです。それで、それを掛けて置きますと病気が三日か四日で治り、近所で御参りが多いそうで御座います」

面白いですね。だからこの間も読みましたが――新聞に出しますが――私の書いたものに対する注意ですね。粗末にすると必ずお気附があるという事を、今度の新聞に出します。

「未信者に配ります時には――」

それは構いません。未信者は粗末にしても構いません。それは、何んだ彼んだ言うと、そんなおつかないものなら俺は止そうと言う事になりますからね。又知らない人は神様はお許しがあります。解つてからはちやんとその点はお咎があります。

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「以前の緯の御守様はお額に致しまして、階下に宜敷いでしようか」

構いません。御神体じやないからね。御神体丈はいけないですがね。

「経の御守様を上のを戴きました場合に、前のは――」

仕舞つて置けば良い。

「お額にする事は――」

いけないです。何故ならば私の署名が――落款が入つてないでしよう。だからいけないです。前のは落款が入つているから良いです。目的が違うからね。

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「お姿の観音様を戴かれていた人で、私にお預りして呉れと言つて他界致しました。少し染が入つてをりますが、如何致しましたら宜敷いでしようか」

それは私の方に寄附して下さい。私が貰つて置きます。私が欲しいんですよ。で、絵のは――あれはもう拝んではいけないんです。やつぱり今の文字でなければね。

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「千手観音様の御参りは、朝は天津祝詞、夜は善言讃詞で宜敷いので御座いましようか」

良いですよ。

(垂九号  昭和二十七年五月十五日)