御 教 え 集 第四号
『霊憑りと言うのは、余程危険なものですね。処が良い場合もある。それで私は、霊的研究を段々していくうちに、良い――悪い、色んな事が解つて来ましたから、それで、良いのと悪いのとの区別が判る様な知識ですね。霊的知識――それを得られゝば、そう危険はないんですが、それ迄には相当な修業と経験が要るんですよ。ですから、一般には非常に難かしいのと、それから霊界が昔と違つて来ているので、今はそんな事をしなくても、人を救う事が出来るんですから、全然霊憑りに触れないで、霊憑りはいけないものだと、決めてやるのが一番安全であると共に、霊憑りに触れる人はやつぱり発展しないんです。神様が嫌うんです。だから、霊憑りに重きを置かない人は発展するんですね。本当のやり方です。この間も書いた通り、バラモンから出たものですからね。現在、西洋で霊憑りを使つてやりますが、之は科学的なものだから大した事はないが、日本の行者とか、日蓮宗とか、精神病が出るんですね。本当のものじやないからね。そう言う意味を精しく書いて、新聞か雑誌に出そうと思つているが、之は、今の神憑りに対する根本的の事と、それから大体知つて置くべき丈けの事を書いてありますからね。
(御論文「⇒霊憑りに就いて」のあとの御教え)【註 栄光一三三号】
之に就いて、書き足りない点があるんですがね。霊視能力と言うのがありますね。人間は――霊の見える人ですね。始終見える人は狐が憑いているんですね。だから危ぶないですね。肝腎な事を正守護神が知らせ様とする場合に、一寸――パツと見せるんですね。之は本当です。それから、光が見えるのがあるが、之は差し支えない。よく、人間の姿ですね――そう言うのが見えるのは――始終見えてはいけないですね。必要な時に一寸見える。それで、神様は――本当の神様は実に簡単なものです。無駄がないんですね。ですから、人間も本当に信仰が徹底して来ると、そう言う風になるべきものですね。それは、他愛ない――普通は幾ら喋つても、面白くても、唸つても良いですが、肝腎な事は、急所々々に触れる。それが神様のやり方です。』(昭和二十六年十一月十五日)
御 垂 示 録 (第二十七号)
『神憑りというのは、いろんな霊が憑っていろんな事を言いますから、ちょっと迷います。ああいう霊も、最初の内は珍しくて興味を持ちますが、いい加減やって居ると分ります。狐、狸、龍神、天狗がつくぐらいなものです。そうして又霊界の事を聞いたところで、大体そう変った点はないので、決まっているものです。私も前に神憑りを随分やった事がありますが、終いには飽きてしまって面倒臭くなって止しました。』(昭和二十八年十二月一日)
御 光 話 録 第十九号
『霊憑りが正しい信仰でないなんて、そんな事はありませんよ。――この人は正しいんですよ。霊の言ふ事が正しければそれは正しいんです。そして霊の言ふ事が正しいか正しくないかってのは常識で判断するんですよ。「この方は神ぢゃ」なんて言っていろんな事を命令したりするのは正しくないんです。そんなのは狐のいたずらですからね。(中略)けど、こういふのは正しいんですよ。祖霊の中の誰かゞやってるんですね。祖霊は、子孫が早くいゝ事をしないとその家が早く救はれないって事が充分判ってるんで、そうやって知らせてるんですよ。だからこれはいゝんです。』(昭和二十五年四月八日)
テレビ等でよくアイドルみたいな女の子が『わたし霊感があるんです。』って言ってるのをみかけるんですよ。わたし特別な力があるんですよフフフって感じで、ちょっと中二病臭いなと思ったりしてみてるんですけどね。でもまあ明主様が仰られているように、あんまりイイもんじゃないんですよ。結局その力があったとて人を助けたり幸せに出来るようなもんじゃないんです。どうしてかっていうと、その力を与えている霊があんまり良い霊じゃないからですよね。本当の力のある御神霊は常時人間ごときに張り付いたりしないですよ。そんなに暇じゃないんです。
でもね、霊的に浄化してる人を霊憑といって避けて遠ざけるのも間違ってるんですよ。そういう人こそ御神体である光明如来様や御浄霊でしか救えないんですから親切にしてあげるべきなんです。でも注意すべきところがあって、それはそういう霊感をもってる人の言葉を素直に受け入れすぎると危ないんですよ。一旦否定せずに全部聞いてあげて、明主様の御教えや御論文に立ち返って本当かどうか確認すべきなんです。一番悪いのは、そういう霊感のある人の言葉を頼りにすることです。これが一番いけないんです。よく占いで人生相談に行ったりしますが、あれをすると運勢が恐ろしい程にグングン落ちていくんですよ。まあ魂が瘦せ細ってビクビクしてるから、自信がなくて占いに行っちゃうんですけどね。
要するにこれは占いに限った話じゃなくてですね、自分に関することは全部自分の頭で考えて覚悟をもって自分の腹で決めないといけないんです。そうしないと他責の人生になっちゃうんですよ。この他責の生き方が人生を悪くするんです。これは人に相談するなという意味ではないんですよ。人の意見も素直に傾聴して、そのうえでやっぱり自分の頭で考えるんです。それで、結果がどうなろうと全部自分で受け止めると覚悟をもって腹で決めるんです。そうすると自責で主体性のある素晴らしい人生になるんですよ。自責で生きると間違ったときに反省できるんですよ。他責で生きると反省のない人生になっちゃうんです。反省がないってことは手直しできないんですよ。自責で生きて問題にぶつかって反省して手直しして、自責で生きて問題にぶつかって反省して手直しして、自責で生きて問題にぶつかって反省して手直しして、自責で生きて問題にぶつかって反省して手直しするから、人生はドンドンドンドン良い方に向かっていくんです。
それを人の言うことを鵜吞みにして自分の頭で考えずに突き進んで問題にぶつかったら、どこを反省したらいいのか分からないんですよ。結局どこを反省すべきだったのかというと最初に自分の頭で考えて腹で決めなかったことに原因があるんです。だから他責で生きると反省するタイミングがやってこないので手直し出来ずにドンドンドンドン不幸の方へ堕ちていくんですよ。これは別に運命に従順であることと矛盾しないです。だいたい運命に従順になれないときっていうのはそれを邪魔する自分の中の固定観念(我)があるんですよ。だからどうしても運命に逆らいたい時は逆らってもいいんですよ。そうしたら自分の中の間違ってる固定観念に気付かせてもらえるような浄化が起こるので、一度苦しんでから改心してやり直せばいいんです。別に人生に遅速は無いんですよ。どれだけ遠回りしても、明るい気持ちで生きて自分の頭で考えて自分の腹で決めて行動する人は発展するんです。明主様はどれだけ苦しいときでも前向きでなかったことがないんですよ。わたしが最も尊敬するところなんです。
御 教 え 集 第二十六号
『私は前に“大抵な宗教は詐欺だ”という事を言った事があります。宗教の詐欺というのは珍しい言い方なので、初めて聞いた人は喫驚します。というのは、病気の時にどうしても治らない、お医者でも治らないというので、信仰を求めるというと、まずどんな宗教でも“信心すれば治ります”と言うのです。よくこういう事があります。即ち随分一生懸命に信心しても良くならないと言ってこぼすのです。そうしてその宗教の先生に言うと“それはあなたの信仰が足りないのだ、もっと信仰をしなければいけない”と言うのです。この“信仰が足りない”という事は、結局金の上げ方が足りないという事なのです。それは信者をつくるという手もありますが、それは相当の先生格にならなければなかなかそうはゆかないです。救世教では直きに信者をつくれますが、外の宗教ではなかなかそうはゆきません。だから手取早いのは何んと言っても金を上げることです。この方の親玉は天理教です。
その金の上げ方のひどいのになると、前によくこういう事がありました。“あなたは幾ら幾ら金を上げなさい。そうすればきっと治る”と言うので、その人はひどく工面して、借金したり質に入れたりして、先生の言う額を上げたのです。そうしても治るわけがないから結局死んでしまったのですが、そこでどうせ死んでしまうのなら金を上げなければよかった、と言うのです。“それは神様の詐欺にかかったのだ”と言ったら、“神様が詐欺をしますか”と言うから、“神様は詐欺はしないが、神様を取次ぐ者が詐欺をするのだ”と言ったら“へえ、恐ろしいものですね”と言ってました。これは売薬の詐欺よりもっと上のものでしょう。ですから世の中には大中小様々の詐欺があるのです。それを見別けるだけの目がないわけです。だからとに角今の世の中というのは殆んど詐欺の世の中と言ってもよいのです。』(昭和二十八年九月十五日 )
というようにですね、宗教に限った話ではなくあらゆる詐欺が多いのですよ。それで霊感商法がインチキなのは世間でも常識のようになってますが、信仰のある人間は素直で騙されやすいですから重々気をつけてもらいたいのです。
私の場合は御浄霊の光を体感で感じやすいのです。受けてる時も取り次いでる時もです。左手の方がビリビリ感じやすいんですけどね。要はそういう体感がなければ私も御浄霊は信じてないということです。御神書や御教えも、理路整然と辻褄が合ってて世の中の事実とピッタリ合ってるから信じてるのです。頭ごなしに鵜呑みにしている訳ではないのです。わたしも完全に理解できてるわけじゃないんですけど理解しようと常に努力してるんですよ。でないと実生活に活かせないからです。
というわけで、まとめになるんですけどね。霊感を売り物にしてるのを見かけたらだいぶ警戒するべきですね。仮に霊感持ちの人と親しく話す間柄になっても、参考にすれど鵜呑みにしないことです。ちゃんと自分の頭で考えて腹で決めましょう。