神事としての断捨離

よく断捨離をすると心にゆとりが出るとか、運気があがるとかいろいろ言われてるんですけど、本当に全くその通りで断捨離には深い意味があるんです。明主様も質素倹約は徹底されまして、モノの整理をちゃんとしないと頭の働きが悪くなると御教えくださっています。ただ、私がこれからお話するのは明主様の御教えからではなくてですね、大本教の霊界物語を読んでて、あーなるほど思ったのでお伝えするんです。

大本教の霊界物語の冒頭では、地球の創世神話からはじまるのですよ。それで、国祖という大神様が主体となって地球創造のお仕事をされるんですけどね、この国祖という神様は国常立尊であらせられるんです。明主様の御教えに『私がかつて神であったとき…』とあるんですが、その時の神様が国常立尊なんですね。それで、国祖が地球創造の際に松、竹、梅、各種樹木、鉱山岩石などいろんなものを創造されるんですけど、どうしても何にも使えなかった残りカスが出ちゃたんですよね。で、実は生物には精霊っていうのが入ってて動くようになってるんですけど、岩とか石にも動かないけど霊がちゃんと入ってるんですよ。鉄とかでもちゃんと霊が入ってて、サビは鉄の死骸なんですよね。生物とは違ってサビを集めて高温にして還元するとまた復活するところが面白いですけど、話が脱線するので元に戻ります。実は残念なことに国祖がどーにもこーにも使えなかった残りカスにも霊が入っちゃってたんですよ。それで、肝心の国祖にいーらねって思われちゃったもんですから、ものすごい怨念をもつようになって、神々や神に愛される生きとし生けるものに対して大変恨むようになっちゃったんです。

以下にその時のことを記した霊界物語の一文を紹介します。

霊界物語 第1巻(子の巻)第二一章 大地だいち修理しうり固成
『しかるに一方いつぱうでは、天地間てんちかん残滓かすのやうにのこつてゐた邪気じやきは、つて悪竜あくりゆう悪蛇あくじや悪狐あくこ発生はつせいし、あるひは邪鬼じやきとなり、妖魅えうみとなつて、我侭わがまま放肆はうし人間にんげん身魂みたま憑依ひよういし、なか悪化あくくわして、邪霊じやれい世界せかいとせむことをくはだてた。』

という具合にですね、悪龍や邪霊の最初の発生っているのは神に必要とされなくなった残りカスから発生したんですよ。

で、話は断捨離に戻るんですけどね。人間が所有してるもので、見向きもされないもの、蔵のようなところに大事に保管されているモノは別として、乱雑に積み重なったゴミなど、そういうものっていっぱいあると思うんです。要は捨てても困らないのに何の心配か後生大事に取ってあるようなものですよ。着なくなった服とか靴とか鞄とか、言い出したらキリがないですけど思い当たるフシがあるでしょう。実はですね、そういうものにもちゃんと霊は入ってるんです。で、不思議なことに人間に使ってもらえると嬉しいんです。ボロボロになるまで使い切って役目を全うして廃棄されるのは本望なんですけど、ずっと使われずに存在を忘れられて役目を果たせずに段々朽ちていくとモノも寂しいんですよね。

それで、程度の差はあれ、そういう可哀想なモノが家の中に溢れていると、そういうモノの暗い霊がだんだん集まって貧乏神を形成するのですよ。で、この貧乏神がキングボンビーかエンジェルボンビーになるかはその家のゴミの量によるんですけど、発生してしまったらゴミをちゃんと断捨離するまで、ずーーっと家に居続けるんです。だから断捨離するっているのは、天地創造の際に出た邪霊や悪鬼などを神様が洗って祓い清めた神事と何ら変わらないんですよね。