私が此偉大なる医術を発見し得たといふ事は、霊の実在を知り得た事がその動機である。即ち霊を治療する事によって体の病気が治るといふ原理であるが之は、将来の文化に対する一大示唆と観ねばなるまい。実に科学の一大革命である。何となれば病気治療以外の凡ゆる部面に対しても此原理を応用する時、人類福祉の増進は測り知れないものがあらう。それのみではない。此原理の研究を推進めてゆく時、宗教の実体にまで及(オヨ)ぶであらう事も予想し得らるるのである。神は有るか無いかといふ事の論争も、数千年前から今日に及んで猶解決し得られないで何時も古くして新しい問題となってゐる。それは勿論無に等しい霊である神を、唯物的観点からのみ取扱ふ一般人には、判りようがないのは当然である。然るに私の提唱する霊科学によれば、神の実在と雖も知り得ると共に、人間死後と再生の問題、霊界の実相、憑霊現象等々、未知の世界(私は之を第二世界ともいふ)に於ける種々の問題に就ても解決されるであらう。
私は先づ既往に於ける私の思想の推移から説く必要がある。私は若い頃から極端な唯物主義者であった。其事に就て二三の例を挙げてみるが、私が如何に唯物主義者であったかといふ事は、四拾歳位迄神仏に決して掌を合せた事がない。何となれば、神社の本体などといふものは大工や指物師が、お宮と称する桧で箱様のものを作り、その中へ鏡か石塊或は紙へ文字を書いたもの等を入れる。それを人間が敬しく拝むといふ事は凡そ意味がない。馬鹿々々しいにも程があるといふ考へ方であったからである。又仏にしても技術家が紙へ描いたり木や石や金属等で観音とか阿彌陀、釈迦等の姿を刻んだものを拝む。而も観音や阿彌陀などは実在しない謂はば人間の空想で作り上げたものに違ひないから猶更意味がない。何れも偶像崇拝以外の何ものでもないといふのが持論であった。其頃私は独乙の有名な哲学者オイケンの説を読んだ事があった。それによれば「本来人間は何かを礼拝しなければ満足が出来ないといふ本能を有してゐる。その為人間自身が何等かの偶像を作りそれを飾って拝み自己満足に耽るのである。其證拠には祭壇へ上げる供物は神の方へ向けずして人間の方へ向けるといふ事によってみても判るのである」といふ説に大いに共鳴したのであった。
以上のやうな私の思想は国家観にも及び、古き寺院の多い伊太利などの国は衰退しつつあるに反しアメリカの如き寺院の少い国家は非常な発展をするといふ現実であるから、神社仏閣等は国家発展の障碍物とさへ思はれたのである。然るに其当時私は毎月救世軍へ若干の寄附をしてゐた為、時々牧師が訪ねてきてはキリスト教を奨めた。牧師は『救世軍へ寄附する方は大抵クリスチャンであるが、貴方はクリスチャンでもないのに如何なる動機からであるか』と質(キ)くのである。仍(ソコ)で私は『救世軍は出獄者を悔改めさせ、悪人を善人にする。従而救世軍が無かったとしたら、出獄者の誰かが私の家へ盗みに入ったかも知れない。然るにその災難を救世軍が未然に防いで呉れたとしたら、それに感謝し、その事業を援けるべきが至当ではないか』と説明したのである。未だ其外にも之に似たやうな事は種々あったが兎もあれ私は、善行はしたいが神仏は信じないといふのが其頃の心境であった。従而如何に見えざるものは信ずべからずといふ信念の強さが判るであらう。
其当時私は事業に相当成功し得意の絶頂にあったが、悪い部下の為大失敗し、其上先妻の不幸に遇ひ、破産もし、数回の差押へをも受ける等、惨澹たる運命は私を奈落の底に墜して了った。其結果大抵のものの行くべき所へ私も行ったのである。それは宗教である。私も型の如く神道や仏教方面に救ひを求めざるを得なくなった。それが畢に神仏の実在、霊界の存在、死後の生活等、霊的方面の知識を得るに到って、以前の自分を省み、其愚を嗤ふやうになったのである。其様な訳で、目覚めてからの人生観は百八十度の転換をなし、人は神仏の加護を受ける事と、「霊の実在を知らなければ空虚な人間でしかない」事を悟ったのである。又道徳を説くに当っても「霊の実在を認識させなければ無益の説法でしかない」事も知り得たのである。此意味に於て読者よ、順次説く所の霊的事象に対し活眼を開かれん事を望む次第である。
(天国の福音 昭和二十二年二月五日)