教団について想うこと

ここに記載することはあくまで個人的な見解であって真実相当性は皆無です。ただの感想なので何の信憑性もありません。ここに記載していることは真に受けないでいただきたい。あくまで個人的な感想であることに留意してください。教団と言っても元々の世界救世教から派生分派してものすごく多くの宗派に分かれているので、今回言及するのは箱根と熱海の聖地を管理されている東方之光さんといずのめ教団さんに限らせていただきます。それで、これまで結構過激なことも気にせず書いてきたので、もしかしたら教団に対しても私が痛烈に批判するように思われる方もいらっしゃるかもしれないですけども、結論から言わせていただくと全然そんなことはないです。今の教団の在り方は、今の信者さんにとって相応しいというのが私の見解です。現代の信者さんのニーズにしっかり対応されていると思うのです。

まず、いずのめ教団さんについてなんですが、いずのめさんは既に猛省されてるので今更何も思うところがないんです。『教主信仰は間違っていた、明主様信仰でなければいけないことが身に染みて分かった。』と教団のHPやYouTubeチャンネルにて御自分達でも述懐されてます。四代様、五代様の教主としての資質がどうであったのかは私には分からないです。ただ景仰に次のようのあるのですよ。

景仰P495 『指導者は私ひとりだけだ』
昭和二十三、四年ごろだったと思いますが、明主様の御面会の折、明主様から、『指導者は私ひとりだけだ』という御教えをいただいたことがあります。この時私は、はっと気づき、これは大切なことだと思いました。一生この気持ちは持ち続けなければいけないと、深く肝に銘じて今日まで進んでおります。
(布教師)

[お伺い]
教導師として御讃歌や御論文を中心にして信仰致します上におきまして、自分の魂の曇っている為取違いを致します事が時々御座いますので、その事に関しまして御伺い申し上げます。「人の眼に善しとし映る事とても神の御旨に適はぬ事あり」といふ御讃歌が御座います。少くとも教導師は御論文を謹み畏みて拝読させて頂き、日々地上天国建設の為精進致して居るものと思われます。事実そう思われる人で一生懸命御奉仕致しましたにも拘わらず、不幸な結果に終られた人も御座いまして、取違いという事が如何に恐ろしいかという事を痛感させられます。一方人情と致しましては、何とか神様の御心を覚り、正しい御奉仕の道を歩ませて頂きたい、折角信仰に入って大峠を越さずに霊界に戻るのは余りにも残念であるとの願望も止み難いものが御座います。この事を解決すべき方途はないもので御座いましょうか。又、此の場合、指導者の如何(イカン)が随分とその人の辿る運命と関係あるものでは御座いませんでしょうか。御教えをお願い申し上げます。

[御垂示]
解決の方途はありすぎる。その為に雑誌や新聞に説いているのであるから、よく読む事である。それでなければ人助けは出来ない。指導者は、私の話と新聞、雑誌である。(S25・5・21)

というように、指導者は明主様のみなのです。信徒のみなさんも明主様の仰っていることであると信じて各教団の方針に従っているのが本音だと思うのです。もし、明主様の御教えを恣意的に切り取って捻じ曲げて伝えているのならそれは偽っていることになります。明主様も、嘘は方便だが偽りは罪であると御教えくださっています。

御 教 え 集 第十一号
『そんな様な訳で、だから仏教でも嘘は許されていたんです。ですから「嘘も方便」と言いますがね。ですから嘘は――結構じやないが、それ程の罪にならないです。罪になるのは偽(イツワ)りです。嘘と偽りは違うんですよ。嘘というのは、先が信ずるも信じないも勝手です。鼻の先であしらう――嘘言つてやがらあ、とね。偽りというのは嘘の具体的効果ですね。人に嘘を言うのはそれ程でもない。場合に依つては嘘を言つても良いんです。ですから嘘というのは空虚なものですね。ですから口偏に虚(カラ)と書きますね。偽りというのは中に実体が入つているんですね。』(昭和二十七年六月七日)

いずのめ教団さんがずっと何を偽っていたのかというと『教主様が指導者である』という点だったんです。その偽りの清算が2018年から表面化した大きな浄化だったのです。この浄化によって、国内の職員と信徒の6割を喪失しました。ブラジルの信徒の方々はそのまま残られたは、渡辺さんの功績が大きかったためでしょう。私の予想では近い将来には、東方之光さんともう一度一体となってやっていくように思うのです。そのときは世相も今より大分激しくなって大浄化手前まできてる可能性が高い。そのときに両教団でピタッと一致させて経綸をされるように思うんです。もし両教団でピタッと一致させてやらなかった場合は、全然違うところから第三勢力が出てきて台頭する気がするんですよ。その人たちが明主様の思想を引き継いで、メシアの代行者として徹底的に救世の業にいそしんで貴い御役目を引き継ぐシナリオが出てくるかもしれません。大本教のお筆先にそのような記述があるんですよ。『あなた方がしなければ、他の人に御役が移るだけだ』とね。これは結構何回も出てきます。

東方之光さんの下部にMOA(Mokichi Okada Association)という組織があって、実はこの二つの組織は不離一体で現状ではMOAが主体となっているんです。実際に東方之光さんの動画配信で理事長のお話を聞かせていただくと、信仰の話はほとんどされないです。ではどのような話が主題なのかというと、統合医療の推進、自然食の普及、美術文化法の拡大のこの三つです。なぜ、東方之光がMOAを前面に出して宗教色を排しているのかというと、やはり教線の拡大と和光同塵といって世間的に溶け込んでいくのを狙ってのことだと推察されるのです。応身の働きを狙ってのことであると思います。そしてこの背景には組織の存続に対しての強い危機感があると思うのです。信徒のほとんどが後期高齢者で、職員も定年間近の方ばかりですからね。若い現役世代に対する普及がはかどってないのです。私の見解としては絶望的にマーケティングが上手くいってないのです。というのは信徒や世間一般の方の本当のニーズというものを把握できてないのです。では、本当のニーズは何かというと、突き抜けるような奇蹟体験、スピリチュアル体験なのです。みんな本当は奇蹟に憧れているのです。これは魂の潜在的な衝動です。明主様御在世当時、明主様が世界に対して何を提供したかったのか、そして信徒は何を熱烈に明主様に求めていたのかを知るには『⇒世界救世教奇蹟集』を読めばわかります。御浄霊で体感を得たり、私が神様の御話をさせていただくと古い信者さんでも子供の様に目を輝かせます。世間一般において昨今、陰謀論やスピリチュアルが流行するのは、やはり表面上は無関心でも心の底では目に見えざるものを求めているのです。世間体を気にして表面上は無関心を装っていますけどね。

二代様に代わられてから御教えの90%がお蔵入りになって、そのあと絶対的な御浄霊が行使できる力のある先生方が相次いでバタバタと帰幽されました。そこから1980年代の三派に分かれる教団浄化があるまでの30年間で明主様御在世当時のあり方が失われてしまった可能性が高いのです。その30年間で教団内でいろんなことの断絶が起こったのは想像に難くないです。それに対して強い危機感を覚えられたのが故川合輝明氏です。明主様への帰一と急所の御浄霊を復活しようとされたのです。かつてのように奇蹟を起こす教団に戻そうとされたのです。ちなみに、この方は明主様から御教えの体系化を任された方だったのですが、多忙が重なってそこまで手が回りませんでした。御教えの体系化が間に合わなかったのが大変残念なことだったのです。どうしてかというと川合さんは明主様御在世当時のことを御存知であの時に戻したいという理想があったのですが、周囲の職員は当時を知らない人も多く意識のギャップが大きかったのです。体系化が間に合わなかったことで、その溝が埋まらなかったのです。それともう一つは療院構想おいて、人が育つ前に大きいハコを造ってしまったのがマズかったのです。小さくはじめて人を育てながらだんだんと大きくするべきだったのです。それをしないといけないぐらい明主様御昇天からの30年間で多くのものを失っていたのです。もうそのときには明主様御在世当時の教会長クラスの人達が帰幽された後だったからです。しかしながら、救世の業としての御浄霊の復活はそれほど難しくないと思います。明主様の言われたとおりにやれば今でも奇蹟という奇蹟が続出するはずなんです。というのは私は実際に明主様の言われたとおりにやって奇蹟を今でも起こしている人を知っているので、それについての心配はありません。

統合医療推進の背景には御浄霊に対する自信の喪失があるのです。またこれは教団だけのせいではありません。信徒の皆さんにも自分の命がどうにかなる瀬戸際の際には医療に頼りたい思いがあるのです。信仰は自由であるべきなので窮屈になってはいけないのですが、しかしながら信徒も教団に何を求めているのか非常に曖昧になってきているのです。いわゆる惰性です。これは善いとか悪いとかの話ではありません。ただ結果的に教団の求心力が低下していることは事実なのです。統合医療というのは御浄霊と医療を同時並行で進めるということなのです。これは原理原則から言うと非常に間違っています。実は本人からすると苦しみが増えるだけなのです。意味もなく穴を掘って、掘った穴をすぐに土で埋めるような年末調整のための公共工事のようなものです。いや経費調整ですらない、もっともっと意味のないものです。身体の中で、溶ける力と固める力の摩擦が起こって苦しいのです。結局、大浄化の際はみんなこれで亡くなるのです。神様というものを認めたら、これほどの無礼はありません。こんな無駄なことに貴い御光をと思ってお詫びするのが本当なのです。

[お伺い]
前回「此のお道に未だ入っていない病人でも薬を使用している場合は御浄霊は当然中止せよ」との御言葉を頂きましたが、その場合薬の使用を中止させる事は世人の誤解を招き易いと存じますが、此点如何でせうか。

[御垂示]
これは難しい問題で、薬を服んでいては浄霊は出来ない。一番いいのはサンザ医者や薬をやってよくない人ならいいが、そこは相手によって臨機応変に処すればよい。邪神は本教を医学の方で今やっつけようとしている。

[お伺い]
御浄霊によっても治癒が長びく場合、焦って医学に頼る人もあり、中にはたまたま一時的にもせよ治る事があるのは、御浄霊により毒素が軽減した為、薬が浄化を一時的に抑へ得た為と考へて宜しいでせうか。

[御垂示]
それでよい。そういう人は手を引くべきだ。医者の提灯もちしても何にもならぬ。

[お伺い]
信者平野嘉明の子供(二歳)でございますが、一月の初めより肺炎になりペニシリンや其の他の注射は出来る限り致したそうでございます。其の後二月初め両親が御教修を頂き、同時に光明如来様も御祀りさせて頂きました。引続き母親が御浄霊をさせて頂いておりますが、大した変化はございません。最近、医師は慢性肺炎との診断を致しました。両親は御浄霊と医者と両方を致しております。時々私が出張させて頂き御浄霊をしております。子供は元気もございますし食欲もございます。只今までの御浄化は発汗と咳だけでございますが、特にお乳を飲んで居りますときは頭部だけ流れる様な汗でございます。如何致しましたら宜しうございませうか。

[御垂示]
手を引いた方がよい。医者にかかっているなら、無駄な努力である。

[お伺い]
御浄霊を頂きつつ一方では薬を服用致して居りました場合、それは回復に手間取るだけで御座いましょうか。或いは苦痛を増し悪い病状となりますでしょうか。

[御垂示]
服薬者に浄霊は無駄である。  (S24・2・8)

これらのものはほんの一部です。御対談の際には次のようにも言われています。

中村氏、真山氏との御対談(一) 世の中に薬はあるか

真山氏 そうすると、救世教は医学排斥論というわけですね。

明主様 ではなく、もっと強い絶対廃止論です。医学が無くなったら、人間はどの位幸福になるか分らないです。

(昭和二十九年七月二十一日)

日置昌一氏との御対談 キリストの奇蹟位は弟子がやる

近藤氏 子供様方の御家庭では、病気の時等医者にかかると言うような事はありませんか。

明主様 絶対に医者にはゆきません。若し、薬を服んだら親子の縁を切るでしょう。

(昭和二十七年十二月十日)

私は霊界のことまで霊視できるわけではないので分からないですが、仮に御昇天後霊界に帰られた明主様が方針を変えられて統合医療でいくと決められたなら、その方針でやっていけばドシドシ発展するはずなのです。要は結果です、結果が出ていれば正解だし、結果が出ていなければ線から外れているのです。上手くいかないときは、御教えに立ち返りなさいということなのです。

御 光 話 録 第十五号
『それから、発展しないのは、人間が見ていゝ様でも神様に対してピッタリしない点があるんです。ピッタリしてれば、神様がこの人ならといふ教導師の所へ信者を持って来てくれるんです。神様が霊界でその人の守護神を働かせて連れて来て下さるんです。思ふ様に信者が来ないってのは神様の気に入らない点があるんです。人間が気を揉んだりすると、神様の方では「あれは俺を信じてないから、いゝ加減にしてやらう」って事になるし、人間の方で心から神様を信じてれば「そんなに俺を信じるんなら、俺も相当にやってやらう」といふ事にもなるんです。感情の点では神様だって人間と同じですよ。喜怒哀楽は同じなんですよ。唯、違ふのは、神様の方はそれが大きいし、人間の方は小さいといふ所が違ふんです。人間は自己愛が強いんですが、神様は非常に自然であり合理性なんですよ、理窟に合ってるんです。それに、時期といふ事もあるんです。時期といふ事は大切なんですが、人間は全く之を閑却して進むもんだから、どうしても逆結果になるんですよ。』(光話十五号  昭和二十四年十二月二十日)

いま全国に療院と呼ばれる施設が10か所ほどあるのです。どこもかなり立派な施設でハコモノとしてしっかりしてます。しかしながら、聞いたところによるとある主要都市の一か所の療院の月の売上高が100万円を切るというのです。粗利ではありません、売上高がそうなのです。経営感覚がなくともかなり厳しい数字であるのが分かると思います。こんな無理が出来るのは信徒の皆さんの献金があるからです。100リットルのガソリンを5秒で燃やし尽くすようなF1レースカーのような経営です。というように結果からみても統合医療の推進が間違っているのは明らかで、理想が先行し過ぎているのです。算盤を無視し過ぎです。ちょっとやってみて上手くいかなければ仕切りなおすべきなのです。明主様は逃げ上手は戦上手と言われていますが、負けたくない気持ちが強すぎて絶対引かないというのが問題なのです。御教えに求めながら原理原則に従って小さくジワジワとやっていたならば、今頃どれほどヒトもモノもカネも発展していたか分からないのです。信徒の数で困ることもなかったでしょう。

しかしながら実際は、統合医療を推進したい理事会の思惑と、医療に命を任せたい信徒のニーズが奇妙なかたちで合致したのです。理事会だけが悪いのではなく、信徒全体の程度も低かったのです。なので、霊界的には間違っているけども、人間社会の都合としては統合医療は正解なのです。統合医療というものが世にクローズアップされるようになってきて、理事会も信徒もこれまでのように後ろめたい気持ちで医療を受けなくてもよくなったので、ある意味ホッとしたのです。なので、御浄霊と服薬を同時にするのは間違っているといって、統合医療への参加を急にやめるのは難しいのです。統合医療という名分を取り上げれば、理事会も信徒も大好きなオモチャやお菓子を取り上げられた子供のように顔をクチャクチャにして泣きはらすのは想像に難くありません。非常に困った事態なのです。このままいくと大峠の際に世間の人達と同じような運命を辿ることになってしまいます。昼の浄化の光と薬毒の摩擦で滅びてしまうのです。ここまで間違って道をそれてしまうのは完全に御教えの拝読不足です。根本経綸が分かってないのですから。この30年の間神様は人間のやりたいようにすればいいと放っておかれたのかもしれない。無論教団が潰れてしまわないようにだけは守護された様に思います。

もう一つ問題を複雑にしているのが、昔から熱心に教団に貢献してきた家系の信徒が、薬を飲みながら御浄霊を受けたり、抗がん剤治療や放射線治療を受けつつ信仰を続けていても、早々に信仰の糸が切れないというところなのです。おそらく親や祖父母の世代が築き上げた幸徳が寄与しているのです。私はこれを非難する気持ちはないです、なぜなら家系がつくり上げた幸徳はその家の財産だからです。しかしながら、若い世代への信仰の継承を悉く失敗している状況を推察するに、薬毒や医療で汚してしまった霊体を浄めるのに幸徳をものすごい勢いで消化しているのが分かるのです。こういった背景を無視して、教団はいいところだけを切り取って統合医療の成果として発表している部分が少なからずあるに違いないのです。一方で、これまで統合医療を推進してきた理事会とすでに帰幽された先達の御霊は、信徒に偽ってきた部分の責任をとらなければいけません。それは当然のことで、信徒の誠の献金を一番多く受け取って御飯を食べ子女を育ててきたのですから。彼らの血肉は全て信徒の献金で出来ていると言っても過言ではないのです。その理屈でいけば、統合医療という偽りで信徒の霊体が汚れたならば、その責任を偽った理事会の方々が肩代わりして背負ってあげるのは当然の理屈なのです。そこで、統合医療で亡くなった信徒の御霊がどのようなカタチで霊界で審判を受けるのか勝手に想像してみました。

信徒 霊界はあると聞いていたが明主様の言われたとおりだ。これから審判か。私は神様の言うことを聞いて悪事は働いてこなかった。心配することはないはずだ。

神様 おまえは御光を首から下げているね。お前はどうして明主の信徒でありながらこれほどまでに霊体を汚してしまったのか。薬は毒であると教えられたであろう。これほど汚れていてはいいところへは行けぬ。汚濁した霊体の重さで暗いところへ堕ちてしまうだろう。

信徒 そんなバカな。神様、私は教団の言うことを素直に聞いてきたんです。薬を飲みながら御浄霊を受ければいいと言ってもらったから素直に聞いたんですよ。もし霊界にきてこれほど困ったことになるなら最初から薬は飲みませんでした。私は騙されたんです。

神様 そうか、おまえの言うことも一理ある。では、おまえを偽った理事達の御霊をつれてこよう。

理事達 我々も分からなかったのです、霊界でこのようなことになるとは知りようもありませんでした。私たちも先輩方の経綸をそのまま引き継いでやったまでなのです。

神様 御教えを読まなかったのか。御教えに全部書いてあったであろう。言い逃れが出来ぬほどハッキリ書いてあったはずである。おまえ達の偽りを信じて地獄へ堕ちようとせんとするこの信徒を可哀想であると思わぬか。気の毒であると思わないか。おまえ達はこの者の誠の献金でメシを食ったのであろう。

理事達 はい、それにつきましては私どもも猛省して、どのような贖罪も厭わない所存です。

神様 そうか、ではこの哀れな信徒の汚れの一部を、おまえ達で肩代わりしてあげなさい。それによってこの信徒は暗いところへ堕ちなくても済むようになる。霊界でよく働いて人を助けなさい。そうすれば肩代わりした罪穢れも許していただけるときがくるであろう。よく精進しなさい。

ただ、これらのことを逆説的に考えると、信徒の皆さんどうぞ安心してしてくださいということが言えるのです。どういうことかというと、信徒の皆さん統合医療を受けても心配しないでください。御浄霊を受けながらも薬を飲みたければ飲んでください。帰幽するときも安心してください。霊体が汚れて暗いところに堕ちる心配などありません。なぜなら統合医療で汚した霊体の罪穢れは、それを推進した理事の御霊たちが肩代わりしてくれるからです。何も心配する必要がありません。そのかわり理事の方々が納得して快く肩代わりしてくれるようにいっぱい献金してくださいね、ということなんです。ちょっとこの部分については、私の底意地の悪さが文章に出てしまっていますね。なので、冒頭に述べたように、今の教団の在り方は現代の信者さんのニーズにしっかり対応されているといった意味はこういうことです。一ミリも批判したり非難できないのです。改めて結論をいわせていただくと『仕方がない』の一言に尽きます。教団がこのような方針をとっているということは、一時的に神様もお許しになっているのではないかと捉えることが出来るのです。しかし、破綻が近いことが分かることからも、やはり一時的なことで永続性はないのです。

御 教 え 集 第二十一号
ところが今まで仏界で救いをされた仏達は穢れがあるのです。穢れがあるという事は、仏の教えというものは本当の教えでないから、一方に慈悲で人を助けた手柄もある代りに、一方人を誤まらせた事も大いにあるのです。その誤まらせた罪を神様にとって貰わなければならないのです。そこでそれを私に浄めて貰う、浄霊して貰うべく急いでいるのです。そこで京都、奈良にある仏像の霊を救ってやるのです。そうして神様の方の仲間と言ってはおかしいが、神様の方のグループにはいって大いに働くというわけです。』(昭和二十八年四月十七日)

何度も言いますが私には非難するつもりはないのです。ただ御教えをベースに理詰めで考えていくとそうなってしまうということを端的に整理しているだけです。それで、理事会の方々には幸徳も非常にあるのです。人生をかけて神様に奉職し、立派に箱根の聖地を維持してくださっているのですから。御教えにもあるのですが、功績は功績で罪は罪であると、差し引きプラスの方が多ければそれでいいという理屈なのです。ただ恐ろしいのが信徒のほとんどが後期高齢者で、その何万という皆さんがこれから統合医療で亡くなっていくのです。霊体を薬毒で汚しながら帰幽するわけです。で、もし霊界において、理事達の御霊が薬毒で汚れ切った信徒の罪穢れを肩代わりをするということが本当に行われているとしたら、これから大変なことになるのです。肩代わりしきれないほどの汚れが一気にやってくるのです。

なのでこれは、東方之光に所属する職員さんや信徒さんから聞いたことなのですが、普通だったらありえないようなことが現場で頻発しているのです。事務的なミスを連発して信者さんを怒らせて退会させたり、職員がふと心無い対応をとってしまって信者さんを怒らせて退会させたりと、そんな話をよく聞くのです。要するに、信仰の徹底していないような薬毒で汚れ切って帰幽される可能性が高い信者さんを切ろう切ろうとしているのです。信仰があやふやな信者さんはちょっとのことで離れてしまいますからね、教団にではなく神様に心から御縋りしている信者さんはちょっとやそっとでは離れないんですよ。一方で教団の方では、後5年もすれば職員の半分が定年退職なのです。また、信者さんの信頼の厚い職員さんが不本意なかたちで教団から離れるようなことも起こっているのです。新規採用では、人手不足にも関わらず人を雇わないのです。希望者がきても理事会の意図に合致しないと容赦なく落とすのです。それでいて、定年退職した職員さんを現場に呼び戻しているのです。信徒が離れるようなことしつつ、組織が拡大しないような動きをつくっているのです。

そうかといって、理事の方々を非難したり攻撃するのは間違っています。彼らは功労者です。医療を受けたいという信徒の願いの受け皿になっているのです。仮に私なんかでは絶対に務まらないです。どうしてかというとタブーと知りつつ御浄霊と薬毒の同時並行を良心の呵責を無視して信徒の皆さんに進めるなんて出来ないからです。ストレスに堪えかねて本当のことを全部暴露してしまいます。そうなるとそれについていけない信徒は皆離れていってしまうのです。目的はその人たちを目覚めさせることであって、突き放すことではないのです。正義のナタで切り刻んでばかりではいつの間にか独りぼっちになってしまいます。薬毒のことを上手く伝えるのが結構難しいのです。薬を飲むなというと医療拒否を勧めることになって、日本では犯罪になるのです。なので、御神書を読んでくださいと言うのです。御神書には薬毒のことが書いてあるからです。

[お伺い]
今迄は御浄霊の場合「薬を使う事、医師にかかる事、  注射をする事」等を否定しない様に、法規に触れない様に注意致して参りましたが、此の度の「結核と神霊療法」中に「医学の誤謬」に対する明確な御言葉を拝読致しまして、之は時期切迫に基く御神意と拝するのでございますが、教導師も感情的に医学を非難しない様に注意して、一般の方方に医学の誤謬をはっきり御話し致しましても宜しうございましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

[御垂示]
本は学説であるから、学説は構はぬ。言葉で出すと違ふ。法規に触れる。原則としては法規に触れぬ事、後は臨機応変である。当局も前ほどでない。観音教団も世間で信用するようになった。ちょっとした言い方である。「薬を服んではいけない」といふと法規にふれるから、言ふ事は出来ない。服む、服まぬは勝手だ。(S24・7・3)

このように、霊的な側面を丁寧に考えていくと、昨今のこの状況では、どちらが神様に愛されているのか守護されているのか分からないのです。信仰的にも人格的にも立派な職員さんが地方に飛ばされてたり下積みになってたりするのです。組織の先頭に立って信徒を誤らせる可能性のある立場と、現場でただただひたすらに信徒の皆さんに奉仕する立場とどちらが恵まれているかということです。それでこの状況は長かったですけどもうそれほど長くは続かないのです。光明神殿が完成したら、その後は雪崩のようにいろいろなことが起こる可能性が高いと思います。トランプさんが貿易戦争を中国に対して本格的にはじめたので、世間的にもクライマックスが近いと考える有識者が多いのです。

私はこのホームページを立ち上げた時から一貫してなんですが、熱心な職員さんや信徒の皆さんを応援したいという想いがあるのです。心の底から明主様に御縋りして真善美を体現したい方々の一助になりたいというのが私の願いです。だからホームページのタイトルも『岡田茂吉氏御論文アーカイブ』ではなく『明主様御論文アーカイブ』なんですよ。これは明確に熱心な方に向けてを意図してるんです。どうしてかというと御教えの全部を公開してあるからです。内容がディープなんですよ。それでここは管理人なりの真実というか暴露のページなんですけど、『このサイトについて』のところで反感を覚えるような人はここまで読みにくることが出来ないようにしてあるんです。カギ付きとか非公開にしない代わりにいろいろ工夫はしてるつもりなのです。それで、人間の修行で一番辛いのが、理不尽なことや訳の分からないことに付き合わされることなんですよ。問題の正体が見破れると一気に心が晴れることが多いのです。御法難の際、明主様は地獄はある意味気持ちのいいところなんだと言われています。地獄には現界にあるような訳の分からない理不尽な苦しみがないからです。おまえはこういう理由で何年間地獄で苦しまねばならぬといって、ちゃんと説明してくれるのです。地獄に堕ちる方もああそうかと言って納得して堕ちるんですよ。なので地獄には訳の分からない苦しみが無いのです。しかし、現界においても間違ってることは永遠には続かないのです。どこかのタイミングで必ず本気で明主様に御縋りする人達の時代がやってきます。ミロクの世は真実の人しか残らないのです。

追記でなんですけどね、いずのめ教団さんが明主様を『おしえみおやぬしの神』の位置付けにされていることに対して、けしからーんと思われる方もいらっしゃるとおもうんです。でも、私の個人的な意見としては、それでいいと考えてるんですよ。というのはですね、いずのめ教団さんの大きな使命に海外布教ってのがあるんですよ。海外布教する際にですね、明主様こそがメシヤであり主神様なんですよ、ともっていくとですね、キリスト教やイスラム教と正面衝突しちゃうんですよ。なんなら全面戦争みたいになりますよ、ジハードですよジハード。そういったことを避けるためには、一旦『おしえみおやぬしの神』の位に鎮まっていただかないといけないわけなんです。おそらく明主様自身が霊界から働かれてそうされた様に思うんですけどね。それで、教団が世界全体を獲ってしまってから、徐々に信徒が明主様の本当の御神格に気付かせていただくという運びになると思うんです。

私が仮に救世教を世界に布教するという使命を神様から与えられたとしたら、明主様の御神格のことは一旦伏せると思うんです。それでどういったことを言って布教するのかというと、こんな感じです。「キリスト教のみなさん、実は霊界が夜から昼に替わってきたのですよ。みなさんの中ではアセンションという単語で理解されてる方もいるでしょう。霊界が昼になってきたことによって日の光が差すようになってきました。この日の光こそ、あなた方が常日頃から礼拝を捧げている天の父よりもたらされるものなのです。この日の光を心臓から吸収し手のひらから放射することによって、人を含めたあらゆる万物を洗い清め癒すことが出来るようになったのですよ。この方法を天の父から知らされて人々に伝えはじめたのが『おしえみおやぬし』と我々が崇める日本の東の端で産まれた岡田茂吉という方なんですよ。我々はこの天の父からもたらされる光の使い方をお伝えしに参ったのです。」みたいな言い方をするわけです。

こんな方針でいけば、どこにも角が立たないばかりか「是非、天の父の光の使い方を教えてくれ!」と引く手あまたになるのは想像に難くないでしょう。イスラム教の方に対しても同様です。「アッラーの御光の使い方を、我々はお伝えしに参ったのです。」とこういう言い方をするわけです。それで、キリスト教の聖書や、イスラム教のコーランを研究して整合性をとりながら彼らに寄り添ったやり方をとりつつ、御浄霊、自然農法、美による魂の向上とドップリ浸からせてどんどん飲み込んでいくんです。私だったらそんなやり方をします。

東方の光教団さんはやはり経の経綸ですから、緯に広げる布教よりも経の育成に注力すべきだと思うんですよね。じゃあ布教はどうすればいいんだと思われるかもしれないですけど、だからこそ、いずのめ教団さんと仲直りするべきなんですよ。経緯でちゃんと結ぶべきと思います。

それで、私は前述の文章で統合医療を批判しているようですが統合医療自体を批判しているのではないのです。MOA会員さんについては統合医療でいいとおもっています。神様を認めない人たちなんですから、浄化療法と薬毒の混ぜこぜでいいんですよ。私の主張の一番のところは東方之光会員さんたちまで統合医療の巻き添えにして、ちゃんと薬毒の害を伝えないところです。薬毒のことをキッチリ理解できる可能性のある信者さんに対してさえ、ちゃんとそういうことを伝える努力を怠っているんです。努力義務の放棄ですよ。どうして神様にちゃんと頭を下げて信仰のある人たちに対してまで世間の体裁を気にして統合医療の巻き添えにする必要があるんですか。意味が分かりませんよ。それだったら薬毒の害をちゃんと伝えて、それに従えないということなら、神様の言うことが聞けないということなんですから、東方之光会員を辞めてもらってMOA会員になってもらえばいいんですよ。明主様に救いを求めてる方に薬毒の害をちゃんと伝えないのは、大変な偽りであると感じます。

明主様への信仰のある東方之光会員さんには浄化療法じゃなくて御浄霊をしてあげるべきだと思うんです。御神前で、御玉串を捧げるようにして、御浄霊をとおして明主様と一直線に繋がれるようにしてげるべき、というのが私の個人的な考えです。またこれも自分が仮に組織をもってやるんだったらの話ですが、治療という目的ではなくてかなり宗教的なものに寄せますね。では、いずのめ教団さんみたいに祈りの浄霊にするのかというとそうでもない。天帝から霊光波を注いで患者の患部を治療するというのは、明主様や渋井先生がいざという時行われてた必活技(必殺はちょっとおかしいので)みたいなものなんですけど、素人にはやっぱりいきなりはハードルが高いですよ。なのでやっぱり急所の御浄霊なんですけど、御浄霊を行う上での建前をガラッと変えるわけです。御浄霊をする際にですね、公にはこう説明するわけです。「これは治療行為ではありません。純粋な宗教行為で、手のひらから放射する御光を体験することによって、神の存在を確認させていただいているんですよ。それには身体の中で発熱している箇所、痛みの出ている箇所に放射するのが一番分かりやすいのです。それが癒される体験によって、信仰を深めさせていただいているんです。」という風に言いますね。あとは普段通り適当ですよ。あそこが痛い、辛いっていう人がいたら御浄霊してあげればいいんです。そうしてると必ず難癖付けてくるへそ曲がりが多いですから、いえいえ治療行為ではないですよと説明したらいいんですよね。でもウソじゃないですからね。何も偽ってないですよ。要は言い方です。