明主様「あなたの事は新聞でよく拝見しました。あの時私も是非お見せしたいと思ってました。日本には相当前からですか」
ダ嬢「今年の二月に参りまして、来年の二月頃迄居ります」
田付女史「ユネスコの関係で、その代表して参りまして、日本の美術に明るい方で御座います」
明主様「此の美術館は日本のを揃えてありますから、何時でもお出でになって充分御研究なさって下さい」
ダ嬢「喫驚致して居ります。見た事もない様な物がありましたので、写真をフランスに送りたいと思いまして色々御迷惑をお掛けして居ります。度々御厄介をさせて戴きます」
阿部執事「因果経と湯女を現寸法でユネスコに送って呉れと申して居られました。それが世界中に廻るそうで御座います」
明主様「それは良いです」
阿部執事「十一月頃迄かゝるのではないかと思います」
ダ嬢「構いません。パリにあります東洋美術の博物館に送って戴きましたら、直ぐに陳列致します」
明主様「美術ではフランスは非常に親しいですから--ヨーロッパではフランス、東 洋では日本ですから--。世界の二つの美術国でしょう」
ダ嬢「その通りだと思います」
明主様「美術を大いに盛んにするという事は、やはり思想的にも非常に良いと思います」
田付女史「此方はずーっとグルッス博士の右腕で、一人で博物館の配置や何かも致して居ります。未だお嬢さんで御座いまして--東洋美術と結婚なさったのだそうで御座います。それであっちに飛び、こっちに行き致して居りますが、支那には未だ行かないそうです」
明主様「それに支那は珍しい物はないでしょう」
ダ嬢「北京の博物館にはあると思います」
明主様「あるでしょうが、併し良い物は蒋介石が持って行ったでしょう。支那美術はアメリカあたりの方が多いです」
ダ嬢「そうでしょうね」
阿部執事「仁清の重茶碗が気に入りました様です」
明主様「やっぱりね。デザインが新しいですからね」
田付女史「青磁のお茶の茶碗が気に入りまして、盗みたいと--ひっくり返っても、半分も買えないそうで、仕方がないので--という事になりまして」
明主様「どうぞ(お笑いになる)」
(昭和二十七年十月二十五日)