為郷恒淳氏との御対談 美は魂のレベルを高くする

為郷氏 美と言う事と明主様の御教えと言うものとはどういう関係があるのでしょうか。

明主様 つまり人間の魂のレベルを上げればいゝのです。要するに文明のレベルがまだ低いのです。之を段々高くしなければならない。それには耳からの教を説く、それから目から美というものでとると魂のレベルが高くなる。それから文字を読ませる、書いたものを読ませる、そう言う色々の事によって人間の魂を向上させる。その事からどうしても美というものが必要なのです。併し現在ある美と言うものは魂を低くする事が多いのです。それは人間は享楽も必要です。併し其享楽が目から受けるのが余りにも魂を下げるのが多いのです。ですからどうしても斯う言った魂を向上させるのがなくてはならないのです。之は必要なのです。ですから世界の文明が段々発達するに従ってそう言う事が非常に進歩して豊かになります。今はそう言う様な傾向が余程出て来ています。アメリカなんかもヨーロッパでもそうですが、美術館と言うのも大分方々に出来ています。之で現実に美術の機関が流行って来ました。フランスの大家の画でも日本人なんかが片ッ端から見られるのですから。そこで日本美術の今度アメリカで展覧会をやりますが、私の方でも少し出品しますが、そんな様な工合で、美術による、斯ういう関係が濃くなって来ます。アメリカ等は美術館は非常に発展してます。美術についても、相当関心を持つ様になってます。

為郷氏 私はどうも西洋の油絵とかマチスは少しは興味がありますがピカソは全然ありません。

明主様 あれは全く行き過ぎですよ。

為郷氏 日本画ですと、いゝと思ったり、何となく清々しいのですが……

明主様 私もそうなのです。一般人が見ていゝなと楽しめるのでなければ美術の目的はないと言っていいのです。兎に角美術の目的は出来る丈多くの人が楽しめる、と言うものです。目の利いた人丈がわかると言うのは駄目なのです。目の利いた者も、目の利かないものも、理解が出来る、そう深いものでなくても兎に角いゝなあと思われなければ駄目です。処がピカソの絵は考えなければ駄目です。又考えてもわからないのです。ですから今フランスではピカソは狂人だと言う説が出ていると聞いた事があります。あゝ言うのは遠からずなくなります。ピカソの絵についてはいつか論文を書いて新聞に出しました。

為郷氏 それではお忙しい処をどうも有難う御座いました。

(昭和二十七年十月二十二日)