浄化についての勘違いが酷いなという印象があります。これは世間の考え方と全く逆なので仕方がないと言えば仕方がないのですが、この勘違いのせいで信仰がガタガタになる人が多い。せっかく神様から有難い御蔭をいただいても勿体ないことになることがある。熱心な信者さんの中にも浄化というものがどういうものか分からなくて非常に苦しんでおられるように見えます。なので、前々からここの部分について詳しく解説する必要があるなというのは感じていました。
まずですね、体内にある汚いもの(薬毒など)が体外へ排出されることを浄化というんですね。これは本当にそのまんまの意味で、洗い清めることを浄化というんですよ。現界の生活を続けていくとどうしても肉体が汚れてくる。それは体表に垢や汚れが溜まるのと同様に体内にも毒素が溜まるんで、その汚れを対外に放出することを浄化というんですよね。しかしですね、この浄化を世間一般では病気と言います。例えば、熱を出して体内毒素を融解させ痰にして咳で体外へ排出する浄化のことを、世間では風邪という病気と言います。痰が肺に蓄積し続けたためにずっと熱を伴ない咳でもって体外に長期間排出し続ける浄化を、世間一般では結核という病気と言うんです。結核の浄化が短期間に猛烈に起こると肺炎という名称に変わります。御教えから言うと、毒素が体外に排出されることをまとめて浄化というのです。ただし世間一般では、毒素がどこに集溜するかで名称が変わるんです。目に集まれば眼病、心臓に集まれば心臓病、腎臓に集まれば腎臓病という具合にです。
分かりやすくかなり簡略化してイラストにしてみました。

そして以下のような経過で一般的に浄化というものは起こります。

上記のことは御教えにも詳細が書いてあるのでそちらを拝読されることを推奨するのですが、ここで私が解説したいのは信仰者の場合の浄化と一般の方の浄化は一見同じような表れ方をするんですけれども、内容が全く違うということなんですよね。信仰者の場合は神様の御蔭や御浄霊の御光によって体内の毒素を出していただいて身体を清めてくださるんです。そしてこれは毒素が溜まりきって溢れる(オーバーフロー)するのとはかなり状況が違います。これも分かりやすくイラストで示してみましょう。

このように一般の方の浄化と信仰者の浄化は見かけ上同じような病気として目に映ります。しかしながら、内容と言うか結果において全く違ってくるんです。一般の方の場合でも自然に放置して毒素を出し切れば当然排出した分だけ器はキレイになります。しかしながら周知のとおりですね、そうはならないんですよ。一般の方や浄化のことがイマイチよく理解できてない方は必ず医療にかかります。ちなみにここで注意していただきたいのは私に医療を否定する意図はありません、あくまで解説するとこうなるということを述べているだけで、医療にかかるかからないは原則本人の自由意思です。御教えにある浄化の理をキッチリ理解したうえで各々自分に合った現実的な選択をしていただければなと思います。
で、話は戻りましてここから医療にかかった場合の経過をみていこうと思います。あえてこれまで説明の簡略化のために薬剤の固めるという効果について言及しなかったのですが、これからそのことについて分かりやすく解説していきます。医療にかかった場合、大半の方が薬剤治療を受けると思うのですけども、御教えにもこの薬剤(特に西洋薬)はすこぶる毒素を固める効果が高いとあります。ですので、薬剤によって強烈に固められた薬毒のことを特別に凝結薬毒と表現するとします。薬剤の固める効果によって体中に分布する然毒、尿毒はギューと固められて凝結薬毒へと変化します。もともとあった比較的固まってない薬毒も薬剤の追加によって更に強固に固められることが想像されます。そのことを以下のイラストで表現してみました。

このようにですね、薬剤の凝結効果というのはすさまじく、かなりの毒素を圧縮してくれるわけですね。しかしながら毒素を対外に排出しているわけではないのですよ。おそろしく圧縮して押し入れの中に封じ込めてるだけなのです。で、これ以上全く食品添加物を摂取しないですとか、尿毒を溜めないみたいな生活が出来ればこれでいいかもしれないですけれども、ここから更に生活を続けていく中で薬毒と尿毒がドンドン積み重なっていくわけです。そして毒素が溢れて病気になる度に薬剤治療によってそれを凝り固めるのをエンドレスに続けるのです。というのは一般の方の病気に対する解決方法が医療しかないからです。そのことをイラストで解説してみました。直前のイラストの続きとなります。





ちょっとくどいほど細かく経過を書きましたが、割とじっくり読んでみるとリアルで恐ろしいと思います。このイラストのように行き着く先は薬毒による完全汚染の未来しかないのですよ。こうなってしまっては溜めて置けるスペースもなくなって薬毒が溢れて噴き出すようにしかならないのです。手術によって毒素が噴き出す排出口を切除するとか、生命維持装置をつけてもっと強力な薬剤を注入し続けて病気を黙らすかなどこの続きを表現したイラストも書けるといえば書けるのですが、一旦この辺で置いておきます。
実は解説したいのは別のことでして、それは信仰者における浄化の過程なんですよ。で、信仰が徹底してる人と信仰がフラフラしてる人の2パターンがあるのでそれを場合分けしてイラストにしてみたいと思います。まずは【A】信仰が徹底してる人の場合から示します。




自分で書いてて思ったのですが、こんな優等生100万人に1人いるかいないかでしょうね。自分も含めて大体の方が次に示す【B】信仰がフラフラしてる人の場合でしょう。




というようにイラストで示すとBパターンの人は恩知らずの人でなしのように見えますが、私の主観から申しますとまだマシな方の部類でないかなとお見受けします。まあ普通の人間はこんなもんでしょ。私が思うにBパターンの人は貪欲さに欠けるのです。どういう貪欲さかというと、せっかく神様と御縁があったのだからこの信仰というものを貪りつくして骨の髄までしゃぶりたいという貪欲さですね。それによって今生でもって人間の最高の地位まで得せしめたいという欲です。この私に神格を授けたまえ!最高の霊的資格を得せしめ、永遠の生命と繁栄を与えたまえ!と神に懇願するような貪欲さです。それで人間が神様にそれを願ったとて神様は全く悪い気はしないのです。むしろお喜びになられるでしょう。明主様も『良くないとは、欲無いということだよ。』と御教えくださっています。それでそういう意欲のある人間に神様は御用を与えられるのです。
というようにですね、今回は健康の器くんをとおして浄化について解説してみました。結構簡略化のために乱暴な説明をしましたが、信仰のお役に立てればと思います。