明主様と読売新聞社科学部次長 為郷恒淳氏との御対談 現代人の悩みは何?

秋風戦ぐ十月四日箱根神山荘の応接間に於て

為郷氏 私は科学部の次長をして居りますが、科学部と言いましても、自然科学ばかりではなく、精神科学の哲学、宗教と言う面もやる様に言われていますが今の処紙面があまりありませんがその内紙面が出来たら宗教欄の様なものを作ろうと思って居ります。又其様な読者の要望もありますし、世の中がそう言う傾向でありますので……一度お目に掛って御挨拶を申し上げたいと思って居りました処、幸い新宗連の大石先生が私の大学の先輩でありますので、御無理を御願ひして参上したわけです。

大石氏 御存知の様に今迄新聞が余り調査もしないで新宗教を悪く書いて来たので、斯う言う人達が教団の教祖方に会って話し合い卒直に理解して貰い、現場に当る新聞記者を指導して貰いたいと言うのが狙いなのです。

明主様 良い事ですね。

為郷氏 記者の指導もそうですが、若い記者は宗教といふものは理解もないし興味もないので、大石さんの仰言る様には中々旨くゆかないと思ってますが……

明主様 我々も所謂宗教には余り興味がありませんよ。宗教家が斯んな事を言うのは可笑しいが、と言って科学でも仕様がないのです。特に現代の青年層などが学校で科学を習って社会に出ると結局科学では駄目だという事が分って、矢張り理屈通りに行きませんので、もっと深い大きな何かを欲しいと言う希望は必ず起るのです。では宗教をと言った処でどうも今迄の宗教と言うものは、あまりに現実離れがして、行る気になれないという感じが……非常に多いと思います。併しそうかと言って、マルクスの方は感心出来ないのでフラフラして居る者は大変な数でありましょう。それでも何かを目標にしなければならない、という訳ですが、既成宗教はあゝ言う風に固まって了って興味がない許りか、もう内容根本が分ってますから、それを研究した処で理屈丈は旨く出来てますが、それに心血をそそぐとか、大いに期待をかけるとかは出来ないのです。そこで新宗教と言うことになりますが--新宗教は今迄の既成宗教にないものを夫々持っています。もちろん既成宗教と同じでは発展性もなにもないのですが--では、どのやうな理念が未来のそう言った力になるかと言うと、それが又難かしいのです。私なら大いに自信がありますが、そうかと言って、大体新宗教と言うものは相当長い間軽蔑されてますから、斯うだと言った処で、直にそれに飛び附いたり呑み込む事は難かしいですし、時代もそう言う現状です。私の方ではそれ等を救う自信がありますから、それを一生懸命にやっている訳なのです。今は新興宗教氾濫時代ですが之が結局整理されます。之は時の問題です。本当に良いもの丈が残ると言ふ訳でしょう。

(昭和二十七年十月二十二日)