レモン・カルティユ氏夫妻と御対談 メシヤの降臨について

カ氏「キリストはメシヤであると-」

明主様「メシヤではないです」

カ氏「という事になっておりますが、カトリック信者が何ういう風に入って来るのでしょうか。二度目のメシヤ-。ユダヤなんかは未だメシヤが来てないと思って居るのですが降臨という事について-」

明主様「それは私が精しくお話する事が出来ないです。私がメシヤの降臨とかキリストとすると、ワーッと来て仕事が出来ないです。今色々仕事があるし、書くのも沢山ある。私のバイブルですね。それが出来る迄は公然と言わないんです。だから、ぼかしてあります。そういう意味ですからね」

カ氏「恐入りますが、出来れば御手の写真を撮りたいと思いますが-」

明主様「良いですよ」(明主様がお手をかざしになるのを正面より写す)

カ氏夫人「世の苦しみを治す手、という題で出します」

カ氏「何時バイブルがお出来になりますので-」

明主様「そうですね。来年あたり出来ますがね。それは『文明の創造』という本です。」

カ氏「出来ましたら、私達の方に成可く早く送って戴きたいと思います」

明主様「それから今迄の出版物が色々ありますが、それをみんなあげます。その中には私の弟子でキリストと同じ様な事をした人の手記とか色々出てますからそれをお読みなさい」

カ氏「英語で-」

明主様「いや、日本語です」

カ氏「非常に感謝して居ります。心から御礼を申し上げます」

明主様「美術館を御覧になりますか。それから、之を言って置こう。此処に造ったのは、世界に天国を造る其世界の天国の極く小さい模型なんです。そういう意味ですからね」

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御対談中終始和気藹々として、時折放たれる洒落にドッと笑う。特に面白いと思ったのは、ロジ・カルティユ夫人が明主様に「『世の苦しみを治す手』という題で出し度いから御手を写真とらせて戴き度い」と咄嗟に申し出た時である。全く奇抜な題ではあるとその機智に感心した。之に対して明主様は「あゝ、いいよ」と心易く横向いて手を翳されるとピカッとフラッシュが光る。まことに何のこだわりもなき流水の如き瞬間であった。御対談を終らせられて御退座、一行は美術館へと急ぐ、そこに再び明主様お出ましになり、御自ら御案内される。

目を瞠る様な大きな部屋に、些か処狭しと思える程並べられた古今の名画、名器の前に、驚嘆の声を挙げたのも無理はないが、彼等としてどうして之程のものが集ったのか、疑問の焦点であったでありましょう。到頭「どの様にしてお集めになられたのですか」と御質ねした。明主様はすかさず「奇蹟ですよ」とお答えされる。「実に驚嘆すべきものです。本当に奇蹟です」とカルティユ氏はいたく感激する。明主様は更に言葉をついで、「私もそう思っています。死ぬ様な人が治って、非常に感謝して金をあげる。それが斯ういうものになるんです。命が助かったんだからね」と。カルティユ氏は成る程と肯く。そして、「私達がこちらに参りましたのも小さい奇蹟の一つとして考えましても……」と洒落気たっぷりに言えば、明主様「勿論そうですよ」と大笑い。

カルティユ夫人が茶器の並べてある処を覗いて「これが一番良い様ですね」と指差せば明主様も「この中で之が一番良いですよ。偉いものですね」と鑑識の程をお褒めになる。夫人は之等様々の名品に陶然として見入っていたが余り素晴しいので「盗難の心配はないか」とえらく心配してお伺いした。明主様は気軽に「別に何の心配もしません」とお答えになる。夫人は茶目気たっぷりに「では心配がなければ、私が今晩入ってあの茶碗を取って行こうと思いますが」と言えば明主様は御笑いになり乍ら「試に取って御覧なさい。神様がギューッとやりますからね」と。まことに愉快な一時であった。

(昭和二十七年七月九日)