治療士の心構え

此療病術たるや、凡ゆる病者に対して其「病原の適確なる発見」と、その「治病能力の卓越せる事」は、真に驚歎に価するのであります。しかしながら、本療病術は、現代医学の所説と相反する点多々あるのでありますから、之を今日一般に対し主張する事は困難であります。何となれば、現在としては、「西洋医学を基本」として、保健機構が成立されてゐるからであります。故に治療士としても本所説を以て臨む時は、「医療妨害」の掛念を生ずる訳なれば、本所説は一つの参考として認識されたいのであります。したがって、治療士としてはどこ迄も「医療の補助行為」に甘んじ、医療の妨害にならざるやう、細心の注意を払ひ、現行法規に抵触せざるやう戒意する事が、肝要であります。

序言(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)

人間には“一種の神秘力”がある。その“神秘力”とは「一種の霊光」であります。その霊光なるものは、誰しも有してゐるのでありますが、人によって、その「霊光放射」に、非常な差異があるのであります。その霊光放射に差別があるのは、如何なる訳かといひますと、その人の魂の曇の程度に因るのであって、その曇の程度は何によるかといふと、其人の有ってゐる罪穢の多少によるのであって、その罪穢なるものゝ根源は「悪に属する思想と行為」の結果に因るのであります。例へていへば、社会の為を思ひ、人類の幸福を念じ善徳を施すに於て、其誠は正しき神に通じ、其人の魂は、曇が払拭されるから、常に明朗なのであります。こういふ利他愛の人は、霊光の放射が強いから、治病力が優れてゐるのであります。それに反し、国家社会より自己の為のみを思ひ、人を苦しめて平然たる如き、自己愛の強い人は、魂に曇が堆積するので、霊光放射が無い訳であります。

元来、病原なるものは、最初に述べた通り精霊の曇であるから、それを払拭するには、病人より清い魂の持主にして初めて目的を達し得らるるのであります。故に、病人と同一程度の曇のある人は如何に治療するも、その効果は、差引無い訳であります。又、病人より曇の多い人が治療すれば、反って、曇を移増するから、病気は悪化するのが事実であります。之によってみても、治療士なるものは「常に操行正しく、社会の模範的人格者」たるべく心掛けねばならぬのであります。

(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)

治療士の心構へ

治療に就ての心得を述べておきます。第一に肝腎な事は治療しよふとする時の想念であります。先づ世の中を救ひ、人類を幸福にしたいといふ大善心が根本にならなくてはならぬのであります。之によって巧く金儲けしよふとか、此人を治せば大いに自分に有利であるなどと思ふのは面白くないのであります。又、治療の時だけは、施術する位置が肝腎であって、原則として、術者は上座に座らなくてはいけないので、常識から見て、其部屋の上座は自ら判るもので、大体入口の方が下座と思へば間違ひないのであります。 然し、其外の場合は成丈下座に居るべきで、それが謙譲の美徳であります。大変良く治る時と治らぬ時、又治る人と治らぬ人とがありますのは、右の様な種々の関係もあるのであります。

次に、問診でありますが、之は出来るだけ訊く方が良いのであります。又、最初は、患者が疑っておりますが、之は構はないので、最初から信ずるのは無理であります。然し一度治病効果を見せられても未だ疑ってゐる人は、それは其人の頭がわるいので、効果のない内に疑ふのは当然ですが、効果をみても尚疑ふのは、先方が間違っておるのであります。

困るのは薬であります。“薬は不可だ”といふと、医師法に触れるからいけない。処が事実は、薬は服むだけ治りがおくれるのでありますが、此点は特に注意して法規に触れないやうされたいのであります。

第二に食物ですが、之も実に困るのであります。肉食特に牛肉と牛乳がいけない。何故かといふと、非常に血を濁すものだからであります。然し、之等も強いてといふ訳にもゆかないので、或程度患者の任意にするより致し方ないのであります。近来、医師により、肉食を不可とし、菜食を奨める人が相当多くなったのは、喜ぶべき傾向と思ふのであります。それに就て、面白い話があります。先日ラジオで斯ういふ話を聞きました。それは、ドイツのヒットラーは非常に摂生に注意を払ってゐる。其為に、酒も煙草も用ひず、又肉食も避けてゐる、といふのです。之でみると、医学の本場であるドイツでも、肉食の害を知ってゐる事で、実に意外に思ったのであります。

次に、病人によく梅干を食べさせるが、之は胃には非常に悪い。食欲を最も減退させるものであります。元来梅干は、昔戦争の際兵糧に使ったもので、それは、量張(カサバ)らないで腹が減らない為であります。梅干と田螺(タニシ)の煮たのを多く兵糧に使ったそうであります。腹の減らない為に使ったものを、粥を食ふ病人に与へるのは間違っております。 よく梅干は殺菌作用があると謂ひますが、空気中ではそうではありませうが、腹の中へ入ると成分が変化する以上それは疑問であります。

(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)

病気と人間の性質

私が幾多の経験上、面白い事には病気と其人の性質とが好く適合してゐる事を感ずるのである。例えば病気治療の場合、よく判るのであるが、素直な性質の人は素直に治ってゆき、淡白な人は病症も淡白である。それに引換え、我の強い人は其如く病気も長引く傾向がある。従而、頑固な人は病勢も頑固である。心の変り易い人は病気も変り易く、皮肉な人は病気も皮肉な経過を辿るのである。
此理に由って考える時、療病に際し、此事をよく知って、其人の悪いと思ふ性質を治してゆく事は、取不直、病気に好影響を与える訳になるのである。それは、何事も素直になる事が最も可いのである。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)