薬毒の害

前項に説いた如く、人間の罪が魂の穢れとなり、それが心を介して霊の曇りとなり、それの浄化が病気であるとしたら、其曇りを解消する以外、病を治す方法のあり得ない事は余りにも明かである。処が西洋に於てはヒポクラテス、東洋に於ては彼の神農氏が、病人に薬剤又は薬草を服ますと、一時的苦痛が緩和されるので、之を可として医術の始祖となったのであるから、此時から既に誤謬は発生した訳である。成程薬を用ひれば、一時的苦痛が減るので、之こそ病を治すべき方法と、単純に考へたもので、其時代の人智の程度としては、無理もなかったのである。それが現在迄続けて来たのであるから、今迄の人間の迷蒙さは不思議としか思へないのである。処が、私が生れた事によって、此人類の不幸の源泉たる病気が解決される事となったので、全く有難い時が来た訳である。従って之によって文明は百八十度の転換となり、理想世界実現となるのは勿論であらう。

右の如く、人類は古い時代から薬剤を体内に入れつつ、今日に到ったのであるから、現代人悉くは薬剤中毒に罹ってゐる。曩にも述べた如く、薬剤なるものは有毒物である以上、体内に残存して病原となるに拘はらず、医学は薬毒は自然消滅するやうに思ってゐるが、之が大変な誤りで、実は薬毒は生命の在らん限り消滅しないのが原則である。之に就て私の体験をかいてみよう。私は今から三十六年以前、入歯をする為歯を抜き、其穴へ消毒薬を詰めた処、歯痛を起し始めたので、それを治すべく又薬を用いた処、漸次痛みは増すばかりなので、次から次へ有名な歯科医に罹ったが、どうしても治らず、遂に二進も三進もゆかなくなって了った。何しろそれ迄に四本の歯を抜いた位であるから、如何に酷かったかが判るであらう。それでも治らず、而も薬毒は頭脳迄も犯して来たので私は結局発狂か自殺かの運命にまで押詰められて了ったのである。然るに天未だ吾を捨てざるか、或動機によって薬の為である事が判り、それから歯科医を廃めた処、漸次治って今日に到ったのであるが、驚いた事には今以て少しではあるが痛みが残ってをり、毎日のやうに自分で浄霊をしてゐる。之によってみても薬毒は数十年掛っても消滅しない事がよく判るであらう。

右によっても分る如く、薬剤は決して消へない事である。ではどういう訳かといふと、本来造物主は人間を造ると共に、人間が生きてゆけるだけの食料や其他一切のものを造られてをり其為に土壌や海川に其力を附与され、植物鉱物等は元より、空気日月星辰悉くがそうである。そうして単に食物といっても一定の条件がある。条件といふのは食ふべきものと、食うべからざるものとが別けられてある。従って其必要から人間には味覚を与へ、食物には味を含ませてある。又食物の種類も色々あり、悉く人間の健康や環境に適合するやう造られてゐる。例へば塩分が必要な時には塩辛い物が食ひたくなり、甘味が必要な時は甘味が食べたくなり、水分の必要な場合は咽喉が渇くといふやうに、自然は必要によって意欲が起るやうに造られてゐる。それと共に消化器能も一定の条件に適ふやうに出来てゐる。即ち食うべきものは悉く消化されるが、食ふべからざるものは、処理されないで残存する。此理によって薬剤は異物であるから、消化処理されないので、之が古くなると毒素に変化して了ふ。その毒素の排除作用が病気であるから、病原はとりも直さず薬剤といふ事になる。喀痰、鼻汁、汗、膿、毒血などは悉く薬毒の変化したものであるから、世に薬剤程恐るべきものはないのである。之を知らなかった人類は、病気を治そうとして病気を作って来た訳である。何と重大誤謬を犯して来た事に気がつくであらう。実に世に之程な愚な話はあるまい。としたら此一事だけを人類に知らせるとしたら、如何に大なる救ひであるかは、今更贅言を要しないであらう。何よりも此私の説を信じて、専門家諸君は病気と対照してみるがいい。一点の誤りない事を知るであらう。

右によってみても判る如く、長い間人類は病気に対する誤った解釈が因となり、病気の解決処か、逆に病気を作り病気の種類を増やしつつ今日に到ったのである。然も此誤謬が貧乏と戦争の原因ともなってゐるのであるから、何よりも此蒙を啓かなければ真の文明は生れる筈はないのである。従って現在の人間は薬毒のない原始時代の人間に比べれば、その健康の劣弱さは比較にはならない程で、無薬時代の人間の寿齢が、百歳以上が普通であった事など、種々の記録や文献等にみても余りに明かである。私は彼の武内宿禰の寿齢参百六才といふ有名な話は、本当とは思ってゐなかったが、先年武内家の家系を見た処、之は確実である事が判った。武内家の祖先の中、最長寿者は三百四十九才で、次は三百二十何歳、次は三百十何歳、武内宿禰は確か四番目であったと記憶してゐる。此時代は今から二千年以前から千六、七百年前位にかけてであるから、まだ漢薬の渡来以前であった事は間違ひない。又神武天皇から千数百年迄は、天皇の寿齢は殆んど百歳以上であった事は記録に明かである。

近来、米国及び日本人の寿齢が、些か延びたといって喜んでゐるが、此原因は医学の進歩の為ではなく、他に原因があり、之は後にかく事にするが、要するに一切の病原は薬毒である事が判ればいいのである。病気の為の痛み、痒み、発熱、不快感等凡べての苦痛は、悉く薬毒が原因である事は、私の多数の経験によるも絶対誤りはない。勿論遺伝黴毒も、癩病、天然痘、麻疹、百日咳等の先天的保有毒素も悉く薬毒である。何よりも現代人で全然無病の人は、恐らく十人に一人もないであらう。どの人をみても何かしらの病気を持ってゐる。数人の家族で病人のない家は、珍しいとされており、一人や二人は一年の内に入院する者のない家庭は殆んどあるまいと共に、一年中一滴の薬を服まない人も稀であらう。此様に現代人は弱体となってゐるから、病気を恐れる事甚だしく、此為に要する費用、不安、努力の為に及ぼす影響も、蓋し甚大なものがあらう。従而、此世界から薬剤悉くを海へ投げ捨てたとしたら、其時を期とし病気は漸減し、何十年後には、病なき世界の実現は断言し得るのである。

次に、之から主なる病気に就て解説してみるが、人体の基本的機能としては、何といっても心臓、肺臓、胃の腑の三つであるから、これから先にかいてみよう。

(文明の創造 昭和二十七年)

薬の逆効果

次に薬の逆効果をかいてみるが、再三述べた如く、今日迄広い世界に薬で病が治った例しは一人もない事である。勿論治るといふ事は、手術もせず薬だけで再びその病気が起らないまでに根治する事であって、之が本当の治り方である。処が事実はその悉くが一時的効果でしかないのは、一例を挙げれば彼の喘息である。此病気に対する特効薬エフェドリンの如き注射にしても、成程最初は一本でピタリと止まるが、それは或期間だけの事で、暫くすると又起るといふやうに、その期間も漸次狭まり、初めの内は一ケ月に一回で済んだものが、三週間、二週間、一週間といふやうになり、遂には一日数回から数十回に及ぶ者さえある。そうなると自分で注射器を握り、その都度射つのであるが、斯うなると最早死の一歩手前に来た訳で、先づ助からないとみてよからう。処が喘息ばかりではない、凡ゆる注射もそうであるから、実に恐るべき問題である。勿論服薬も同様であって、世間よく薬好きの人とか、薬の問屋、薬詰めなどといはれてゐる人もよくあるが、斯ういふ人は死にもせず、健康にもならず、中途半端で年中ブラブラしてゐて、生きてゐるのは名ばかりである。処がそういふ人の言ひ条がいい。“私が生きてゐるのは全く薬のおかげです”としてゐるが、実は薬の為に健康になれないのを反対に解釈したので、薬迷信が骨の髄まで沁み込んでゐる為である。之を一層判り易くいえば、如何なる薬でも麻薬中毒と作用は異らない。只麻薬は薬の効いてる間が短いから頻繁に射つので、普通の薬は効いてる間が長い為気が付かないまでである。此理によって麻薬は急性、普通薬は慢性と思えばよく分るであらう。

そうして薬に就いて医学の解釈であるが、それはどんな薬でも余毒は自然に排泄消滅するものとしてゐる考へ方で、之が大変な誤りである。といふのは元来人間の消化器能は、消化される物とされない物とは自ら区別されてゐる。即ち消化されるものとしては、昔から決ってゐる五穀、野菜、魚鳥獣肉等で、それらは人間の味覚と合ってゐるからよく分る。之が自然に叶った食餌法である以上、之を実行してゐれば病気に罹る筈はなく、いつも健康であるべきである。それだのに何ぞや、アレが薬になるとか、之は毒だなどといって、人間が勝手に決め、食ひたい物を食はず、食ひたくない物を我慢して食ふなど、その愚なる呆れる外はないのである。又昔から良薬は口に苦しといふが、之も間違ってゐる。苦いといふ事は毒だから、口に入れるなとその物自体が示してゐる訳で、毒だから浄化が停止され、一時快くなるので効くと誤ったのである。

元来消化器能なるものは、定められた食物以外は処理出来ないやう造られてゐる以上、薬は異物であるから処理されないに決ってゐる。それが体内に残存し、毒化し、病原となるので、此理を知っただけでも、人間は大いに救はれるのである。而も薬剤の原料は悉く毒である事は、専門家もよく知ってゐる。それは新薬研究の場合、必ず毒物を原料とする。彼の梅毒の特効薬六○六号にしても、耳掻一杯で致死量といふ猛毒亜砒酸である。又近来流行のペニシリンにしても、原料は水苔であるから毒物ではないが、人間の口へ入れるべきものではない。魚の餌として神が造られたものであるから、人間に役立つ筈はない。又よく薬の分量を決め、破ると中毒の危険があるとしてゐるが、之も毒だからである。

以上によって薬と名の付くものは悉く毒であり異物である以上、消化吸収されず、体内に残って病原となるといふ簡単な理屈が分らないというのは、全く医薬迷信の虜になってゐるからである。

(医学革命の書 昭和二十八年)

薬毒に就いて

前項迄に詳説した薬毒の如何なるものであるかは、大体分ったであらうが、茲に最も明かな例をかいてみると、若し薬なるものが本当に病を治す力があるとしたら、先祖代々人間体内に入れた薬毒は、驚くべき量に上ってゐる筈であるから、現代の人間は非常に健康になってゐて、病人など一人も無い世界になってゐなければならないに拘はらず、事実はその反対であるとしたら、茲に疑問が起らなければならないが、全然気付かない迷盲である。何よりも昔から病は薬で治るものとの信念になり切ってをり、それが迷信となって了ったのである。それが為医学の進歩を嗤ふが如く病人は増へるばかりで、医師が、看護婦が足りない、病院は満員、ベッドの不足、健康保険、療養所、社会衛生等々、何だ彼んだの病気に対する対策の繁なる衆知の通りで、之だけ見れば医学の進歩とは科学的に、微に入り細に渉っての唯物的進歩であるから、治す進歩であって治る進歩でない。学理上治るべき進歩であって、実際上治るべき進歩ではない。斯う見てくると現代人の生命は学理の支配下にある以上、若し学理が誤ってゐるとしたら、学理の犠牲になる訳である。その根本は現在の学理は、人間生命まで解決出来る程に進歩したと信じてゐるからである。実に驚くべき学理の信奉者である。

そうして最近の統計によれば、日本人の寿命は近来非常に延び、三十年前は男女平均四十七歳であったものが、最近は六十二、三歳にまで延長したといって喜んでをり、之が医学の進歩としてゐるが、此理由は斯うである。即ち浄化作用を止めるべく医学は薬毒で人体を弱らせ、浄化を弱らせ、苦痛を緩和する。処が以前用ひた薬毒は弱い為浄化の方が勝って死んだのであるが、近頃の新薬は中毒が起らない程度に毒を強めるに成功したので、浄化の停止期間が長くなり、それだけ死も延長された訳で、恰度医学が進歩したやうに見えるのである。従って近来の新薬続出となったので、言はば変体的進歩である。勿論それで病が治るのではないから、死にもせず健康にもならないといふ中ブラ人間が増えるばかりで、此傾向は文明国程そうである。近頃欧州から帰朝した人の話によるも、英仏などは老人が多くなると共に、一般国民は勤労を厭ひ、安易な生活を求め、享楽に耽る事のみ考えてをり、殊に英国の如きは食糧不足に悩まされ、戦敗国の日本よりも酷いという事であるから、全く国民体力が低下した為であるのは争うべくもない。同国に社会主義が発展したのもその為で、社会主義は優勝劣敗を好まず、働く意欲が衰へるからで、英国近来の疲弊もそれが拍車となったので、日本も大いに考へるべきである。

話は別だが歴史を繙(ヒモト)いてみると、日本の建国後千年位までは、天皇の寿齢百歳以上が通例であった事で、その時代は勿論薬がなかったからである。その後漢方薬が渡来してから病が発生しはじめたと共に、千四百年前仏教渡来後、間もなく疫病が流行し、当時の政府は仏教入国の為、日本神々の怒りといい、仏教を禁圧した処、それでも効果ないので、再び許したといふ事である。今一つの例は有名な伝説で、彼の秦の始皇帝が“東方に蓬莱島(日本)あり、その島の住民は非常に長命で、定めし素晴しい薬があるに違ひないから、その霊薬を探し求めよ”と、臣徐福に命じ渡来させた処、当時の日本は無薬時代であった事が分り、流石の徐福も帰国する能はず、そのまま日本に残り一生を終ったそうで、今もその墓が和歌山の某所にあるそうだから、無稽な説でない事が分る。之等によってみても人間の寿齢は、薬さへ用ひなければ百歳以上は易々たるもので、事実人間の死は病気の為で、言はば不自然死であるから、無薬時代となれば自然死となる以上、長命するのは何等不思議はないのである。

(医学革命の書 昭和二十八年)

毒素とは何か

病気の原因は体内に溜った薬毒の固結が、溶解排除される苦痛である事と、医学は其苦痛を逆解し、溶けやうとする毒素を固める事であるが、それには毒を体内に入れて弱らす事である。といふのは毒素排除即ち浄化作用なるものは、人間が健康であればある程旺盛なものであるからである。そこで浄化作用を停止する事で、それには健康を弱らす事である。その理を知らない人間は、昔からその毒を探し求め飲ませた処、躰が弱り、浄化が弱り、苦痛が軽減したのでそれで治ると思ひ、有難いものとして薬と名付け、病気の場合之を唯一のものとして用ひたのである。之に就いて有名な漢方の名医杉田玄白の曰った事は、“薬は毒である。治病に薬を飲ませるのは、毒を以て毒を制するのだ”との言葉は至言である。只些か徹底しない点は、毒を以て毒を出さないやうにするといった方が尚ハッキリする。

此理によって毒の排除を止めるに毒を以てする以上、古い毒素の上に新しい毒素を追加するので、古い毒の固りの外に新しい毒の固りが増えるから、最初より浄化が悪性となる。それに対し又新しい毒を入れるから、段々毒が増えてゆき、躰は弱る上に弱るので、浄化の力も弱くなる。斯うなった人は顔色悪く、風邪引き易く、元気なく、常に医者と薬に浸りきりになり、生ける屍の如くなって、年が年中苦しみ通しであって、一人前の仕事など到底出来ない哀れな者である。而もそうなってもその原因が分らないから、相変らず次から次へ医師を取換へ、新薬を探し求め、灸や禁厭、民間療法、信仰等に遍歴してゐるが、それでも根本が分らない為、散々金を使った揚句、苦しみ乍ら彼の世行となるので、此因はといえば医学の誤りであるから、此罪悪こそ驚くべく恐るべきもので、結果からいへば医学は悲劇の製造元であるといってもいい。

此様に私は思ひ切って赤裸々にかいたが、之を読んだ医学関係者は何と思うであらう。中には憤慨する者もあるであらうが、全人類救済上止む事を得ないので、小の虫を殺して大の虫を助ける訳であって、之こそ神の大愛によるのであるから、寧ろその恩恵に感謝すべきである。その結果病なき人間が増へるとしたら、此世界はどうなるであらうか。今迄の地獄世界は一転して、地上天国、極楽世界となるのは必然で、想像するだに歓喜幸福の希望が湧くであらう。

(医学革命の書 昭和二十八年)

薬剤の毒(一)

天然痘毒素の外に薬剤の毒、すなわち薬毒といふ毒素が、如何に恐るべきものであるかを説明してみよふ。
古今東西を問はず、病気に対する薬物療法は、人類に如何に根強く浸潤したであらふか。病気に罹れば薬を服むといふ事は、腹が減れば飯を食ふといふ事程、それは常識となってゐる。然るに驚くべし、薬物は“病気を治癒する力”は全然なく、反って病気を作る即ち病原となる-といふ、恐るべき毒素であるといふ事を、私は発見したのである。到底信じ得べからざる大問題であるが、然し、真理は飽迄真理であって、奈何とも為し難き事である。
昔有名なる漢方医の言に、「元来薬といふ物は世の中にない。皆毒である。病気の時薬を服むのは、毒を以て毒を制するのである」と言った事を私は何かの本でみた事がある。実に至言なりといふべしである。又、毒薬変じて薬となる-といふ諺もある。成程痛みに堪えられぬ時、モルヒネを注射すれば、立所に痛みは去るのである。之は痛む神経がモヒの毒で一時的麻痺するからである。之は医学でも判ってゐるのである。
私は、最初の方で病気の原因は、浄化作用であり、浄化作用は苦痛が伴ふ-その苦痛が病気である-と説いてある。即ち人間は誰しも苦痛は厭だ、早く免れたいと思ふのは判り切った話である。その場合、苦痛を除るには、二つの方法しかない。一つは完全に除る-といふ事、それは排泄さるべき毒素を、全部排泄さして後へ残さない事である。今一つの方法は、一時的苦痛から遁れる事である。それは、苦痛の起る以前の状態に還元さす事である。それは、浄化作用を停止し、浄化作用の起らない時の状態にする事である。処が、前者の完全排泄は自然治癒法であるから時がかかり、であるから、早く苦痛から逃れたい-といふ事が、今日迄の薬物療法は固より、凡ゆる療法を生み出したのである。又、今日迄の医学では、右の原理も分らなかったのである。(医学試稿 昭和十四年)

薬剤の毒(二)

人間が病気に罹るとする。熱が出る、痛み、不快、咳、痰などが出る。薬を服むと軽くなる。丁度、薬によって病気が治るやうにみえる。然し、度々言った通り、薬と称する毒を服んで全身を弱らせる。弱らせるから浄化作用が弱る。苦痛が軽くなる-といふ訳である。処が、それだけなら未だいいが、その服んだ毒は如何なるであらふか、それが問題なのである。
茲で説明をしておくが、人体には毒素を嚥下すると、解毒又は排毒作用が行はれるやうになってゐる。然し、毒といっても殆んどが食物の毒である。であるから、人体内には、食物だけの解毒作用の力はあるが、それ以外の毒素の即時解毒作用の力はないのである。であるから、食物以外である所の薬毒の解毒作用は全部行はれないので、或程度体内に集溜する。それは矢張り天然痘毒素の場合と斉しく、神経の集注個所である。故に、斯ういふ理屈になる。陰性天然痘毒素の溜結が浄化排除作用が起った時、それを止めて新しき薬毒を加へる-それが薬物療法の結果である。従而、今度は二元的毒素となって溜結する。それの浄化作用が起る。故に、第一次浄化作用より、第二次浄化作用の方が毒素の加増によって悪性なのは勿論である。故に、第二次浄化作用即ち再発の場合は初発より押並べて悪性であるのは、此理に由るのである。右の理由によって、第三次、第四次も起り得るのである。(医学試稿 昭和十四年)

三毒

天然痘毒素、薬毒、尿毒の三毒は、病原であるといふ事は、大体説いたつもりであるが、是等の毒素の性質作用等に就て述べてみよふ。然毒は、遺伝性であるから古いのである。此三毒共、其浄化作用の場合、古い程痛苦が軽く、新しい程其反対である。従而、然毒に因る痛苦は比較的緩和であって、尿毒による痛苦は然毒よりも大体強いのである。然し、薬毒に於ては、其痛苦が前二者に比して断然強いのである。然し、薬毒に於ては、漢薬と洋薬とは異なるのである。例へば、漢薬は鈍痛苦であって範囲は洪(ヒロ)く、洋薬は激痛苦であって局部的である。然し孰れも、服薬に因る痛苦は、或程度に止まるものであるが、注射に因る痛苦に至っては、其激烈なる言語に絶するものすらあり、是等は、当事者の恒に見聞する所と思ふのである。そうして、此痛苦とは如何なる原理かといふに、浄化作用とそれの停止作用との衝突の表はれであるから、最も激しい痛苦といふ事は、最も浄化作用の旺盛なる身体へ、最も強力なる毒素によって停止せんとする大衝突であるといふ訳である。此理に由って痛苦の激しいのが、老人でなく青壮年に多いのである。故に、此理がはっきり呑込む事が出来れば、病気で死ぬといふ訳も判るのである。即ち、浄化作用停止による苦痛の為の衰弱が主なる死の原因であるといふ事である。(医学試稿 昭和十四年)

薬剤の害毒

人病に罹るや、直ちに医師の門に駈け付け、治療を乞ふのであるが、医師は先づ投薬療法をする。此場合、服薬と注射、塗布薬等であるが、之が治療上に於ける誤謬の抑々の根本である。何となれば、再三述べた如く、病気の根本は霊体に発生し、而して後肉体に表はれるのであるから、薬剤は肉体的には多少の効果ありとするも、霊体に向っては全然無力であるから、肉体へ顕出した現象を、外部から停止さすに過ぎないのである。而して、霊体の曇が移行した結果である患部は、汚物停滞であり、それが自然浄化によって、体外に排泄さるるその行程が病気であるから、病気其ものの苦痛が病気治癒になるのである。故に、薬剤や其他の方法によって、病気現象を停止せんとする事、それが取不直、自然治癒の妨害をする事になるのである。
人間の血液は、絶対清浄を保つべきもので、血液清浄なれば決して病に侵されないのである。即ち、霊体の曇が血液の汚濁となり、其浄化作用が病気であるから、如何に霊体は清浄でなくてはならないかと言ふ事が判るのである。黴菌に対し、浄血は殺菌力が旺盛であるといふ事は、他面から言へば、人間の血液の掃除夫である黴菌が浸入するも、汚濁が無ければ、掃除の必要がないから、繁殖出来ないで、衰滅する訳である。
故に、薬剤の作用は治癒を妨害すると共に、其余燼(ヨジン)は血液中に吸収されて、血液を汚濁させるのである。此事実は長年に渉る薬剤服用者の皮膚を見れば、瞭らかである。其皮膚は蒼白にして、光沢及び弾力なく、若くして老人の如くである。是等の患者へ対し、薬剤使用を停止さするに於て、時日の経過による自然浄化が、薬剤中毒を消滅さすから、生気を増し、皮膚は光沢を呈し、健康を快復するのであって、斯事に専門家も患者も、今日迄気が付かなかったといふ事は、実に不思議である。
次に、薬剤の逆作用の恐るべき事である。それは、薬剤使用の目的と反対の結果になる事である。例えば、胃の不消化へ対し、消化薬を用ひると、一旦は非常に良く、消化の効を顕はすので、之によって胃は健全を増し、不消化症は治癒するのであると、医師も患者も誤信するのであるが、何ぞ知らん、一時的効果の次は、反って不消化の度を増すのである。それは何の為かといふに、胃は本来、食物消化の器能として存在するものであるから胃自体の労作によって消化さすのが本当であり、又、そう造化の神は造られたのである。然るに何ぞや、それを薬剤の力を藉りようとするのである。薬剤が食物を消化すれば、胃は労作の必要がないから、自然、胃の活動力は衰耗退化してゆくのは当然である。故に、胃薬服用を連続すればする程、胃は退化の度を増すから、益々不消化になり、其不消化を補ふべく胃薬を用ひる。それが又、不消化の度を増すといふ循環作用によって、遂に重症となるのである。私が実験上、食欲不振や不消化の患者に対し、胃薬服用を廃止さすに於て、其病的症状は漸次消失し、患者は其意外に驚くのである。又、それ以外に重大な事がある。それは消化薬は食物を柔軟にし、溶解するのであるが、食物丈ならよいが、胃壁に対しても同様の作用をするので、之が最も怖るべき事なのである。即ち、消化薬連続服用に由って、或程度柔軟化した胃壁は、僅かの固形物が触れても亀裂するので、其亀裂によって血液が浸潤し、それが吐血、血便、痛苦の原因となるので、之が即ち胃潰瘍である。故に、胃潰瘍とは、胃薬の連続服用が原因であるに係はらず、胃潰瘍を薬剤によって治癒せんとする、西洋医学の誤謬は、実に恐るべきものである。
次に、便秘も其他の疾患に対しても、右と同一の理であるから略する事とするが、要するに、薬剤の逆作用の如何に恐るべきかを知らなければならないのである。特に生後間もなき嬰児の如きは、薬剤の注射や服用によって、発育遅滞又は発育停止の症状さへ起すのである。それは薬剤使用は、一種の不純物を注入する訳であるからである。此事は最近、一部の医家は発見し、嬰児に限り薬剤を使用せず食餌療法のみを応用するといふ報告に接し、大いに喜ばしく思ってゐる。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)

誤れる毒素療法

抑々、浄化力の強弱は、血液の清濁に因る事は前述の通りである。故に、血液が清浄であればある程、浄化力は旺盛であって、之が真の健康体である。此状態の人は罹病はするが、何時も軽微である。それは前に述べた通り、毒素が多量にならない内、早く排除されるからである。故に、罹病はしても発熱は無いのであって、伝染病にも殆んど罹らないのである。
今日、健康であるといふ人も、第一種の人は極稀であって、普通健康者と言っても、第二種に属する人である。此第二種の人が偶々病に罹るや、薬剤の注射又は服用、滋養物と思って肉食を摂る為、血液は汚濁する。血液汚濁は浄化力が弱められるから、病気発生の勢を挫かれ、病気現象は一時引込むのである。それを治癒したと誤認するのが今日迄の医療であった故、治癒したと思った病気の再発が多いのは、此理由に寄るのである。又、近来流行する絶対安静法も、同一の理であって、それに由る新陳代謝の退化、運動不足に因る胃の衰弱等に由り、浄化力が弱る故に、病気発生が一時停止される訳である。即ち、解熱、喀血、咳嗽減少により、病気軽快と誤認するのであるが、焉(ナン)ぞ知らん、毒素還元の為による血液の汚濁、絶対安静に因る器能の衰弱と相俟って、全体的衰弱は実に著しいのであるから、大抵は死に到るのである。是等は最も医療の誤謬であって、結核患者に対する医療は、殆んど之であるから、死亡率の高いのも無理はないのである。
浄化力停止の例として、二、三を挙げてみよふ。
彼の梅毒に卓効ありとするサルバル酸であるが、之を注射する時、梅毒症状は速かに軽快するのである。宛(アタ)かも一時治癒した如くである。然し、此薬剤は毒素である砒素剤が主であるから、其毒素に依って汚濁された血液は、浄化力が弱まるからである。発明者ヱールリッヒ氏が苦心惨澹の結果、漸く六百六回目に完成したといふのは、其毒素を、生体の生命に危険なからしむる程度迄成功し得たといふ訳である。故に、此注射によっての治癒は、一時的であるといふのは、毒素療法に因る浄化力停止であるからである。
次に、喘息に於る注射であるが、之も一時的顕著な効果はあるが、治癒力は毫も無いのである。医学上での理論は兎も角、要するに一時的麻痺による毒素療法に外ならないのである。元来喘息は、横隔膜の下部に水膿が溜結するので、其排除作用としての咳嗽、喀痰、発作時の呼吸困難であるが、注射に因る薬剤麻痺に由って、浄化作用を停止さすのである。故に、之が為に一種のモヒ患者の如き中毒症を起すのは勿論、チアノーゼや呼吸困難の症状が、増大するのは実際である。又、肺結核に於る喀血の場合、止血注射をするが、これ等も浄化力停止作用であって、折角排除されなければならない毒血を、停滞さす結果となるから、実は病気治癒の妨害でしかないのである。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)

病気を治す薬は一つも無い

薬では、病気は治らないといふ事は、医家自身も常に痛感してゐる事であらふ。然し、唯、苦痛を緩和する効果はある。要するに、病気を弾圧するか、又は、麻痺に寄って一時苦痛の感受を軽減し得る丈の事である。薬剤とは、それ以外の何物でもないのである。然乍ら、常に私も言ふ如く、苦痛とは病気治癒工作の過程であるから、苦痛緩和はそれ丈、病気治癒を遅らす道理である。のみならず、それに、薬剤の余毒が伴ふのであるから、二重の不利を受ける訳である。実に薬剤に由る血液の汚濁は恐るべきものであって、それは、如何なる薬剤と雖も、多少の血液汚濁は免かれないのである。
血液汚濁の害としては、浄化力を衰耗させる結果、著しく活力を減退さす事である。故に、其結果として、病気に罹り易くなり、病気治癒の力が弱まるのである。それは、濁血程殺菌力が無いからである。
斯の如く、薬剤なるものは病気治癒を遅らせる事と、血液を汚濁させる害がある以上、他面、苦痛を緩和させるといふ益と比較してみる時、それは、害の方がはるかに優ってゐる事を知らねばならないのである。
然るにも不拘、近代人は無暗に薬剤を用ひたがる。それは全く薬剤の害を知らないからであるから、一日も早く此理を知悉させなければならないのである。近代人の罹病率や短命の多きと病気治癒の遅々たる事実は、少くとも之が原因である事は、争ふ余地が無いのである。
二六時中、薬餌に親しみ乍ら、之といふ病気もなく、といって健康にもならないといふ人は、大抵皆、薬剤中毒患者と言っても可いので、そういふ人は薬剤使用を廃止すれば、漸を逐ふて健康は恢復するのである。
私は大いに叫びたい。国民保健は、薬剤廃止からである……と。(S・11・4・21)(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)