一般に関する奇蹟 05

福岡県 H・K
私は昭和二三年四月一八日にお守様を受けさせて頂いた者で、今まで度々家内中で有難い御神徳の数々を頂き、感謝、謝恩の毎日を過させて頂いて居ります。

五月九日私は社用で博多に出張しました。当夜は当地に宿泊の上、翌朝四時起床、五時一〇分博多発門司港行一番列車で帰途につくべく乗車致しましたが、暫くして睡眠不足のせいか貧血症状で嘔吐をもよおし、その場でするのも他人に迷惑だと思い便所に立ったまでは覚えて居りますが、それから先は全然意識不明で当時から約二時間程も経てからでしょうか、頭上に列車のきしむ音に目を覚まし、初めて進行中の列車から落下したことに気がつきました。ところが何と有難いことに幅四間程の鉄橋の下で、選りも選って白州の上に横たわって居るではありませんか。外傷一つだに負って居らず当時は全く夢心地でありました。

二尺程も左にずれても河水の中で溺死するか、一尺右にずれても、みかげ石で頭蓋骨を粉砕されるきわどい窮地に救われ、ただ感謝感激にひたりました。

十数尺もあろう鉄橋からただ墜落してさえ相当の負傷はまぬがれぬにも拘らず、まして進行中の列車から墜落して外傷一つなく骨折さえもまぬがれ、ただ打撲に過ぎぬとは、有難い光明如来様の御守護の程がひしひしと身にしみ、何といってよいかその言葉も見出すことが出来ません。ただ感謝感激に咽ぶのみです。

しかも落下地点はG駅よりA駅に至る中間の片田舎で、意識を取り戻してからA駅に至る約一里の道を、打撲を受けた身でありながら、単身御守護を戴き比較的気楽に歩行させて頂き、九時一〇分の列車に無事乗車の上帰宅致しました。帰宅して早速T先生にお願いして御浄霊をいただき、お蔭様で非常に良くなりました。

本当に有難うございました。今後共何卒御守護賜わります 様御願い申し上げます。

(昭和二四年一月十二日)

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福岡県 M.Y
偉大なる明主様の御神徳により日々奇蹟の御守護を頂き、感謝感激で胸がつまる思いでございます。人生の意義の深遠なる事を悟らせて頂き、教線の拡張に微力を捧げさせて頂いて居ります。

私の御世話させて頂いて居る信者さんのお蔭話の二、三を謹んで御報告させて頂きます。

昭和二六年の暮の事でありますが、夜のお参り済ました処に、一年前に入信されたSさんと言う信者が来られましたので御用を伺いますと「只今御礼参りに来ました」と言って礼拝後、「今思い出しても胸がどきどきする」と顔を紅潮させ「炭坑の地下五〇〇〇尺の中で間一髪で命を救って頂いた」と、次の話をされました。

「私の作業箇所は天井も緩み、亀裂もあって非常に危険な所ですが、そこにマツ岩(氷山を逆にした様に黒岩が天井にくっついて予告なしにコッポリ落ちて来る)が一寸のぞいて居たが、先山(経験者)が他所へ行ったので後向(経験の浅い 人)二人でマイトをかける準備をして居ったのです。高さ三尺位のマツ岩の下へ私がかがんで這入り、炭を掻き出して居たが、どうも足場が悪いので何の気なしに岩の下から這い出して立つと同時にサッと顔先に風を起して牛の様な岩がドドォーーと落ちて来ました。あっと思った瞬間何と言ったらよいか、只茫然自失、ぼんやりと他人事の様に眺めて居た様ですが、現実のこの出来事をはっきり意識した頃、胸がドキドキと鳴り始めたんですよ。その時瞬時こう思いました。「こんなに遅い神経では、とても人間の力ではこの危難を逃れる事は出来ない、嗚呼神様のお救いだ御守護だ」と気がつき思わず「明主様有難うございました」と言って居りました。丁度その時横でうめき声が聞えるので埃を透して見れば一人は岩の端に片足を敷かれ、引出そうともがいて居るのです。手伝って出してやりましたが、彼は病院で一〇日間休業との診断との事でした。真下の私が無傷で、側の者が怪我をするなんて全く不思議ですね。ほんの二、三秒で私はスルメの様になって今頃こんなにしてお話も出来ないのだがなあ」と言って身振いして居られました。

この話を聞く私も何となく動悸を覚え「大光明如来様は地下五〇〇〇尺の曲りくねった暗黒坑道まで御手を差伸べられ、お救い下さるのですね」と言って、この偉大なる御守護を語り合いました。それから二、三日経って又来られ「坑内の炭車がカーブで何時も脱線するので調べても異常はない。そこで物は試しと申訳ない事ですが炭車に御浄霊させて頂くと、なんと不思議ではありませんか、炭を満載した炭車がするすると順調に進む、これは有難いと毎日やらして頂いたので能率は上り、みんな喜んで居りました。何時も五、六回は脱線するのでナグレ(最低賃金)の日が多かったのですから喜ぶのも当然です。私が昨日一日休んだので六回も脱線し、枠足をたおし、大ナグレとこぼして居りました。今日はお蔭で脱線もなく御力の有難さをつぶさに知らせて頂きました。なお今日はもう一つ面白い事があります」と言って、次の様に述懐するのです。「マイトをかけるので私達は待避して食事をして待って居たが爆発音が何時まで経っても聞えません。普通 一〇分か二〇分で済むのに何して居るんだ、寝ているんじゃないかと皆で冗談を言い乍ら私一人で様子を見に行きました。現場では「変だなあどうしても鳴らんのだ」と言って爆発器を三つも取替えたりマイト線を点検したり汗びっしょりになってやって居るのです。私も手伝って電通試験をやったが電気はちゃんと来るので私まで変だと思いましたが、ふと御浄霊の事を思い出し、「一寸私にまじないをさせて見なさい」と、爆発器と線を御浄霊させて頂き、「さあやってみなさい」と内心気にかかったが待避して合図しますと間もなくゴォーと地軸をゆるがす爆破音が聞えました。私は嬉しくて堪らないので同僚達に話しても信じて呉れないので、先生に聞いて貰いに来ました」とさも嬉しそうに話されました。

その後一八日の月並祭の後でこのお蔭話の発表をして頂き、丁度奇蹟と世の中には偶然という事はないというお話の後だったので参拝者の皆さんも特に感動されて聞いて居られまし た。嬉しさをつつみきれず、乱文乍ら右謹んで御報告させて 頂きます。

明主様の偉大なる御守護の下に救世の大業に参加させて頂く光栄を肝に銘じ、益々奮闘致したい念願でございます。

明主様誠に有難うございました。

(昭和二七年三月一日)

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山梨県 O.S
明主様、日々の御守護を戴きまして誠に有難うございます。

ここに奇蹟中の奇蹟、当然ない一命を御守護によりまして お救いいただきました喜びを御礼申し上げますと共に、到底筆舌には表現出来得ません事を遺憾と存じますが、余りにも偉大な御守護を体験させて戴きましたので乱文をも省みませず、感謝の御報告をさせていただきます。

本年一月二〇日から長野県のA線、B町、C町、D町間の 鉄道ケーブル架設工事に出張いたしておりました。二月二八 日には、仲間の一人が梯子から落ち、相当腰を打った人がありましたので、一同注意しておりました。二月八日午後四時四〇分頃の出来事でございます。 その朝、御獄教信者である宿の主人が「まだ一つ大きな災難があるから、皆様も高い所の仕事故、呉々も怪我のなき様に」と特に注意してくれました。現場まで一里余り、この日の作業はケーブルに中乗して、銅線に金車を三米おきに掛けて行くのでございます。その金車の中をロープが入り、ロープの尻とケーブルの先を縛ってケーブルを延すのです。この場所は川を横断しますので、電柱と電柱の間が普通の倍(八〇米)もあり、たるまない様に、もう一本上から吊ってあるのです。従って仕事が面倒で、中乗で途中まで行き上から来た線と下の線が合致する所で掛けかえをしなければなりません。右手で線をつかみ、左手で掛けかえるのですが、掛けてある線からはずすのに、一尺ぐらい上にあげなければならないのです。丁度私がその仕事に当っておりました時、一方をはずして上に掛け様としましたら、一時に体の重みが左片方にかかり、掛けかえ様としても掛からず、初めの内は肘でこたえていましたが、段々力がつき右手だけになりました。その間、約七分、体は伸びきりになりました。一四米下には川が流れ、川淵は石の入った蛇籠になっております。その時の気持は何とも言い表わし様がございません。他の者が助けに来て、手を出すか出さぬ内、こらえにこらえた力も尽き、明主様、明主様と、唯お念じしつつ手を離してしまいました。下に居た人達も何しろ高いので、どうする事も出来ず、アッと思ったまま見るに耐えず、皆眼を伏せたそうです。

ドシーンと落ちた瞬間、ああと吾にかえった時、「御守護だ、救われたのだ、明主様」と茫然としておりました。その中、皆死んだものと思い大騒ぎして駈けつけてまいりました が、非常に驚き「医者へ、医者へ」と心配して下さる時は、平常な気持を取り戻し、「大丈夫です」とことわり、お尻をドシーンとついた響きで、胸が少々痛んでおりました所をそ の場で自分で浄霊いたしました。背負われて宿に帰って参りましたが、お尻が内出血し真黒にはれ上り、左手頸の骨にちょっとひびが入った程度で痛みが全然ありません。あまりの 御守護に只熱いものが流れ出るのをどうすることも出来なかったのでございます。他に信者は居りませんので、唯一人で御浄霊をいたしました。内出血は血尿となって出まして三日目には二階の上り下りが出来る様になりました。後で落ちた現場へ行ってみましたら、その場に居合わした人の話によりますと、線の真下に蛇籠があり、当然そこに落ちるべき処、不思議なるかな身体は斜に落ちて土の傾斜面の上に落ち、三回ころがって蛇籠のところで止ったそうです。落ちた場所から一尺左にはコンクリートで出来た堰があり、一米右の所に電柱の切ったのが上にとんがり出ておりまして、どちらに寄っていましても大怪我をするか、生命がなかった事と思います。思い出しても慄然とする程でございます。何としましても奇蹟というより外に言葉がございません。

有難い御守護に感謝感激、何物にも替え難き命をお助けい ただきました喜びの御礼を申し上げさせていただきます。今後は一層地上天国建設に、微力ながらも御役に立たせて敷きたく存じます。

明主様、本当に有難うございました。

(昭和二六年四月二一日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)